Category Archives: 卒業生

読解

4月4日(火)

企業の研究員として研究を進めるには、今までに出された特許の調査が欠かせません。特許を侵すような研究をしても、企業には利益をもたらしません。この調査の際には当然膨大な量の特許を読むのですが、私にとって、これは苦痛以外の何物でもありませんでした。自分の権利を少しでも広く確保しようという我利我利亡者の精神で書かれた文言は、読んでいて頭痛と吐き気を催したものです。まあ、読み方のコツを覚えれば、機械的に情報を取り出せるようになり、苦痛も多少は和らぎはしますけれどもね。

研究が進み、企業化を図る際には、その製品の製造から販売にまつわる諸々の法律の条文を読み込まねばなりません。法律の条文は悪文だとよく言われますが、シロウトがすんなり理解できる文章ではありません。特許にしても法律の条文にしても、厳密さを追求した結果が、プロでないとスムーズに頭に入っていかない文の集合体を生み出してしまったのでしょう。

日本語教師養成講座に関わる規定が変わりました。日本語学校などで教えるには、文化庁に届け出て認められた養成講座を修了することが必要になりました。…とあっさり書きましたが、実際に文化庁などが出している文書は、特許ほどではありませんが、もっとずっと難しい言い回しです。文から荘重な感じは受けますが、養成講座を受講しようとしている方たちには、軽やかなリズムのほうがとっつきやすいんじゃないかと思い、文意を損なわない範囲で、KCP養成講座のホームページに載せる文句を考えました。

Bさん、Hさん、Lさんなどは、今月から法学部で勉強します。去年法学部に進学したKさんは六法全書とにらめっこする毎日のようです。法学部とは法律や法体系を貫く精神を学ぶ場とはいえ、自分にとっては外国語で書かれたあの難解な条文に全く触れずに済むはずがありません。私は素直にこの卒業生たちを尊敬します。

横綱登場

3月16日(木)

昼休み、「先生、卒業生が是非金原先生にお会いしたいと言っていますが…」と呼び出され、ロビーに出て行くと、Zさんがにっこり笑いながら「先生、お久しぶりです」と声をかけてきました。

ZさんはR大学に進学し、この4月から4年生になるか、ちょうど卒業ぐらいの計算になります。だから、「何年生になるの? それとも卒業?」と聞くと、「先生、大学やめました」と言うではありませんか。「えーっ、じゃあ、今、何してるの?」「4月から専門学校です」

もう少し正確に言うと、Zさんは大学をやめたのではなく、やめさせられたのです。犯罪に手を染めたとかそういうのではなく、留年を繰り返したためです。Zさんが進んだR大学は、私が受験生だった頃も進級基準が厳しくて大量の留年が出ることで有名でした。だから、R大学の卒業生はがっちり鍛えられた精鋭ぞろいだと高く評価されてきました。ZさんがR大学に入るとき、そういう話をして、R大学は入ってからも必死に勉強しないと卒業は難しいと強く戒めました。Zさんと同期のWさんは、この話を聞いて、R大学にも受かっていたのに、M大学に進みました。

KCPにいたときのZさんは、日本語力は「ちょっと…」という感じでしたが、理数系にはきらりと光るものがありました。何より、理科が大好きでしたから、R大学に進学したら大きく花開くのではないかと期待していました。しかし、Zさんが言うには、1年生の時から勉強が難しくてついていけなかったそうです。

専門分野がどんなに好きでも、日本語力が伴っていなかったら、やはり大学での勉強は無理なのでしょうか。Zさんにとって、R大学はレベルが高すぎる大学だったのでしょうか。R大学には今年も何人か進学します。その面々を思い浮かべると、少々不安を禁じえません。R大学以外にも、自分の実力以上の大学に進学する学生もいます。今はそういう大学で勉強できる高揚感に包まれているでしょうが、それが苦しみと後悔へと変質するのは、意外とたやすいことなのかもしれません。

専門学校に進学しなおすことをわざわざ報告に来てくれたZさんは、目標を設定しなおして吹っ切れたような顔をしていました。何より、KCP時代と同じような明るい笑顔と、大台を突破してすっかり丸くなった体つきから、前を向いて進んで(転がって?)いこうという強い意志がほとばしり出ていました。

ご奉公

3月14日(火)

お昼を食べに行こうと玄関を出たら、卒業生のHさんが微笑みかけてきました。授業料減免の手続き書類を見てほしいと言います。C大学に進学するのですが、書類が通ると約40万円が減免されます。これはHさんでなくても大きな金額ですから、Hさんの書いてきた理由書に手を加えて、説得力を持たせました。実際、Hさんには弟がいて、ご両親の教育費の負担は半端なものではありませんし、これからも当分続きます。

かつてに比べれば学生たちの家庭はかなりお金持ちになりましたが、それでも学費を安く抑えたいという気持ちは変わりがありません。親の負担を軽くしたいという思いは尊いですし、アルバイトのために勉強時間が削られるようでは、何のために進学したかわからなくなってしまいます。日本は奨学金の制度があまり充実していませんから、特に新入生にとっては、授業料の減免は何とかものにしたいところです。

実は、昨日はSさんから入学手続き書類に載っていた奨学金について聞かれました。その奨学金は返済の必要があり、実質的には借金です。そういうのにうっかり手を出してしまうと、就職時に経済的にマイナスからのスタートになってしまいます。そのために真っ暗闇の社会人生活を送っている日本人の例をよく聞くようになりました。ですから、Sさんには少し節約に心がけて、勉学に励んで、2年生から条件のいい奨学金がもらえるような成績を取るようにとアドバイスしました。

Hさんが進学するC大学は、わりと有利な条件の奨学金が整備されています。1年生のときに授業料減免でしのげば、2年生からそれ以上の金額になる奨学金受給生になることも夢ではありません。そうやって新しい生活への不安を取り除いてあげることが、卒業生への最後のご奉公だと思っています。

お正月

3月4日(土)

カレンダー上の1年の終わりは、改めて記すまでもなく12月31日ですが、上級を教えていると、卒業式が大晦日みたいなものです。学生が卒業式会場から去ると、どうにか無事に1年が終えられたと、肩の荷が下りました。夜の食事会がお開きになり、「元気でね」と言いながら卒業生と別れて夜空を見上げると、なんとなく除夜の鐘が聞こえてくるような気がしました。

だから一夜明けたらお正月気分かというと、そうでもありません。午前中、自分のクラスの授業で使ったプリント類を整理していたら、大掃除をしているような感じがしてきました。卒業生の筆跡のテストなどを見ても、まだ思い出に浸ってしまうほどには記憶が発酵していません。淡々と掃除が進みましたすっきりしたクラスのロッカーを見ると、やっぱり気分がいいものですね。

私が寂しくならないようにと気を利かせてくれたのか、今年は私の受け持ったクラスでも、例年より多くの学生が卒業式後も来学期も、KCPに残ります。大掃除が終わったら、この学生たちへの授業内容を考えました。だから、大晦日の次は仕事始めでした。

卒業式後のこの時期に怖いのは、学生たちが妙なお正月気分に取り付かれて、授業を消化試合みたいに感じてだらけてしまうことです。楽しい授業はしようと思いますが、何よりためになる授業を心がけ、学生たちを引き締めていきたいです。また、上級で使えそうな教材やタスクを試してみる絶好の機会でもあります。いくつかの企画を練っています。

結局、私のお正月は、新宿で卒業生たちと別れてから地下鉄に乗るまでのわずか数分だけでした…。

甘くないぞ

1月30日(月)

去年の卒業生でJ大学法学部に進学したHさんがフラッと訪ねてきてくれました。単位は順調に取れているようですが、J大学の中では法学部が一番成績評価が厳しく、GPAはどうしても低めに出てしまうそうです。法学部といえばJ大学の看板学部ですから、しょうがないですね。でも、そのため、GPAで勝負が決まる奨学金などでは不利な立場になってしまうと嘆いていました。そうは言いながらも、そんな厳しい世界を自分なりにしっかりした足取りで歩んでいるんだという、自信のようなものが表情にあふれていました。

Hさんはよくfacebookに写真やら近況やらを載せていますから、大学での勉強は大変だと感じつつも学生生活を楽しんでいることは知っていました。実際に顔を見て話を聞いて、本当にリア充のキャンパスライフを送っているんだなと思いました。どうやら順調に滑り出したようですから、心に太い柱が一本通っているHさんなら、このまま学業に励み続けてくれるんじゃないでしょうか。

しかし、J大学にも勉強の意欲を喪失してしまったような学生もいるそうです。日本人の学生なら、たとえ退学してもどこかに居場所はありますが、留学生はそうはいきません。次の居場所を確保するまでは、いやでもその大学にい続けなければなりません。J大学ともなると、名前にあこがれて入ったはいいけれど…という留学生がいても不思議ではありません。残念ながら、KCPにもそうなりかねない学生がいます。大学の名前につられて自分のやりたいことはどこかに置き忘れてしまっている学生です。

Hさんは、1年間大学生活を送った先輩として、KCPの学生に戒めの言葉を残してくれました。進学してからの勉強は、真に自分の人生を決めるものです。いい加減な気持ちで進学先を決めてほしくないし、生半可な心構えで進学先での学問に臨んでほしくもありません。

先輩後輩

1月21日(土)

12月に卒業したJさんが、C大学に受かったとメールで知らせてきてくれました。卒業式後の懇親会のときに、面接練習を頼まれ、年明け早々、C大学の試験前日にやりました。はっきり言って危ない状態でしたが、面接の答え方のポイントを訓練し、Jさんを送り出しました。新学期準備や始業直後の忙しさにかまけてC大学の入試のことはすっかり忘れていただけに、Jさんからのメールに喜びもひとしおでした。昨日のこの欄でLさんの不義理を嘆きましたが、Jさんは面接練習のお礼まで、メールできちんとしてくれました。

Jさんはおとなしくて目立たない学生でした。でも、KCPの初級から始めて超級まで上り詰めました。教師が指示したことは確実に実行し、着実に力をつけてきたのです。爆発力や瞬発力はありませんが、持久力に富んだ学生という感じです。C大学は、Jさんにとっては実力以上の大学かもしれませんが、コツコツと努力を続けて、大きな成果を手にしてもらいたいです。

そのC大学に通っているFさんとPさんがひょっこり来てくれました。Fさんは、大変だと言いながらも、好成績で単位を確実に取っているようです。Pさんは、試験微に休んで落とした単位があるとか。KCPにいたときの2人の行動様式そのままです。Fさんは、在校時に演劇部の一員として出演した新入生向けマナービデオの映像と全く変わっていません。Pさんは、勉強はそこそこ頑張っているようですが、顔が丸くなり、おなかはぽにょぽにょの肉に包まれていました。肉が引き締まるくらい勉強に励んでくれるともっといいんですがね。

Jさんのほかにも、C大学には何人かの学生が進学します。FさんやPさんのように、堂々と遊びに来られるくらいのキャンパスライフを送ってもらいたいです。そうすれば、名門C大学ですから、得るものも大きいでしょう。

一人旅は苦手?

1月12日(木)

始業日なのでいろいろな先生がいらっしゃると思ったからでしょうか、授業後の時間帯を狙って、12月に卒業したKさんが来ました。Kさんはお正月休みに関西を旅行し、そのお土産を持ってきてくれました。

Kさんは、京都、奈良、大阪、神戸を回り、姫路城まで足を伸ばしました。姫路城や奈良公園の鹿や北野の異人館や京都で食べた茶そばなど、関西各地に足跡を残してきたことがよくわかる写真を見せてくれました。とても楽しそうな旅行だと思ったのですが、1人旅だったので寂しくてたまらなかったそうです。旅行中、しょっちゅう国のお母さんやM先生に電話をかけていたとか。

私が毎年5月の連休に1人で関西へ行って楽しんできた話を聞いて、Kさんも関西1人旅を試みたそうですが、Kさんとしては失敗だったようです。Kさんはよくしゃべる人ですから、周りに話し相手がいないと張り合いがなく、それで寂しいと感じたのでしょう。そんなKさんに対して、私は1日中全く口を利かなくても平気な人間ですから、1人旅を寂しいとは全く思いません。

私は自分が見たいと思ったところにはじっくり時間をかけて思索にふけりたいし、そこで得た感動は他の人とシェアするより1人で心行くまで味わいたいです。また、私は歩くのが好きですから、関西で言えば琵琶湖畔の浜大津から山科まで、琵琶湖疏水に沿って寄り道しながら歩いてしまうくらい、平気でします。これもひたすら汗を流すだけですから、誰かと一緒にするような旅ではありません。要するに、自分の興味の対象に浸りきるわがまま人間なのです。

Kさんと私とでは、旅に対する姿勢が根本的に違うのであり、Kさんが私のまねをしたら、やっぱり満足できないでしょうね。感激を分かち合うところに旅の真髄を感じようとするのですから。

5月の連休には、また、関西旅行に行きます。その計画を少しずつまとめつつあるところです。

就職したKさん

1月11日(水)

先学期末で退学し、日本で就職したKさんが書類を取りに学校へ来ました。早速若い力として頼りにされているそうです。何事にも前向きな学生だったKさんなら、社会人としてもきっと立派にやっていけるでしょう。

さて、そのKさんですが、どんな経緯で就職が決まったかというと、アルバイト先でしっかりした人物だと見込まれたからです。普通の大学生がするような、エントリーシートを送って、会社訪問をして、面接を受けて、…という就職活動とは全く別コースです。Kさんの就職した会社がそういう通常の採用活動をしているかどうかまではわかりませんが、通常の就職活動を経ていたら、Kさんは採用されたかどうかわかりません。Kさんは非常に長い面接かインターンシップを通過して採用されたようなものです。

外国人が日本語学校から就職するというのは、法律上は不可能ではありませんが、実際には非常に難しいものがあります。日本語学校卒業は「学歴」にはなりませんし、「KCP」という名前には学歴を乗り越えるほどのブランド力もありません。それゆえ、就職を志す学生たちは、自分の腕や頭脳や人間性だけで勝負しなければなりません。

日本の会社が学生のそういう本質を正確に見極めてくれるのなら、KCPは、例えばN1を取る道場として機能すればいいでしょう。ブランド力のある大学や専門学校を出ることによって、その学生の技術や知識や社会人としての基礎力に保証が与えられるのです。

Kさんはその保証を自分の手で勝ち取ったのですから、感心するほかありません。しかし、日本で就職したいと思って日本語学校に入った学生たち全員にKさんと同じような足取りをたどることを要求するのには無理があります。私たちができることと、歩み寄ってもらわなければならないことと、今年はそんなことも考えていきたいです。

明日から、新学期が始まります。今学期は卒業の学期ですから、学生の送り出し方を考えるにはいい時期かもしれません。

はなむけ

12月26日(月)

9時を過ぎたころから、正装した学生がポツリポツリと集まり始めました。朝からすきっとしない空模様だったせいでしょうか、学生たちの出足は今ひとつ思わしくありませんでした。定刻の10時直前にどっと押し寄せて、空席が目立たなくなったところで、2015年1月入学生の卒業式が始まりました。

3月の卒業式に比べると数分の一程度の規模ですが、12月の卒業式は卒業生全員の顔がよく見える卒業式です。今回も、証書授与の後で、全員にスピーチをしてもらいました。卒業生のために集まってくださった先生方からも一言ずつはなむけのお言葉をいただきました。小ぢんまりとしていますが、密度の高い卒業式だったと思います。

卒業生のスピーチですが、司会のM先生が単調な内容にならないようにいろいろと予防線を張ってくださったのですが、急にしろと言われたからかもしれませんが、中には「これで卒業?」と言いたくなるのもありました。それでも、学生たちの心の内を想像すると、感動を呼び起こされました。

私は卒業生たちが入学した時に、出席率が悪くてやめさせられた学生の例を出して、卒業までしっかり勉強するようにと願いを込めたスピーチをしました。しかし、今朝、卒業生の出席率を調べてみると、ひどいのもいましたね。そういう学生に限って、優秀な頭脳を持っているんですよね。

学生たちは、自分の能力とか才能とか可能性とかをどう捕らえているのでしょう。岡目八目じゃありませんが、そういうのは当人ではないほうがよく見えるのかもしれません。本人に見えていたら、それを磨く努力をしたことでしょう。学生たちに気付かせられなかったことが、指導者として悔いの残るところです。

KCPでの勉強は、さらに高度な勉強をするための予備教育です。次の段階は、真に自分の人生を左右する勉強だと思って、今までの比ではなく真正面から取り組んでもらいたいです。若いうちの失敗は許されますが、次第にその余地は狭くなっていきます。それが、大人になるということなのです。

ようこそ

11月29日(火)

夕方、あれやこれやと仕事をしていると、S大学に進学したYさんとZさんがやって来ました。Zさんとは、先々週、T奨学金のパーティーで会い、そのときに、近いうちにYさんを連れて顔を見せに行くと言われていました。それが早速実現したというわけです。

ここ数年、毎年コンスタントにT奨学金の受給者となる学生が出ているので、先日のパーティーでは大勢のKCP卒業生に囲まれました。みんな私のために料理を運んできてくれ、その料理をつまみながら卒業生たちの近況を聞きました。大学院に進学するOさん、アメリカへ向かうJさん、日本人なら誰もが知っている日本の会社に日本人学生との競争に勝って就職したSさん、カメラ係スタッフとしてパーティーの裏方をしていたWさん、KCPにいた時とは見違えるようないい学学生になったXさん、なんだか垢抜けた日本語を使うようになっていたCさん、みんなT奨学金をもらうだけあって、自分の人生の基礎を着実に築いていました。パーティー会場についた私を見つけて、一番はしゃいで喜んでくれたのが、Zさんでした。

そのZさんが、ルームメートとして一緒に暮らしているYさんを連れてきてくれたのです。Yさんは、Zさんと入れ替わりにKCPを卒業してS大学に進学しました。そして、先輩としてKCPへ来てS大学のよさを語り、その話を聞いてZさんたちがS大学に進学したのです。今度はZさんが今の学生の中から誰かを釣り上げてくれないかなあなんて思っています。

忙しい授業の合間を縫って顔を見せてくれたYさんもZさんにとても感謝しています。夏に来ようと思っていたけど、台風が来たから…などと言っていましたが、それでそのままにせず、義理堅く来てくれたことをうれしく思います。