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雪国

1月4日(木)

年末年始は例年通り名古屋に。「先生は毎年名古屋へ行きますが、名古屋ってそんなに面白いですか」と、ある先生から聞かれました。名古屋は毎年行っていますが、年末年始ですから博物館や公共施設などは多くがお休みで、行っているわりには有名なところを見ていないのです。徳川美術館も東山動物園も行っていません。名古屋城に登城したのは日本語教師になる前のことです。

行き場が限られていますが、今回はミッドランドスクエアの一番上まで上ってきました。私が行った大晦日は、朝は雨で、午後は上がりましたが遠見は利きませんでした。でも、名古屋市内とそのもう一回り外側までは何とか見渡せました。そして、次回の割引券をいただきました。

その前に熱田神宮へ行きました。数年前にも一度お参りしたことがありますが、昨年から日本全国の「神宮」を訪ねようと思い立ちましたので、改めて詣でた次第です。私は初詣はせずに、12月30日か31日にその年が無事過ごせたことへの御礼のお参りをしています。そういう名目で祭神である熱田大神に手を合わせました。

その熱田神宮の1900年の歴史を述べ連ねたパネルが参道にあったので熟読していくと、何と、私でもわかる誤記があるではありませんか。“1909年(明治39年)”とありましたが、1900年が明治33年なので、明らかな間違い。これを社務所に知らせたら、いたく感謝されました。

元日は、名古屋から金沢を回って帰京しました。太平洋側と日本海側の天候の違いを1日に2度も体験できるのは、気象マニアとしてはたまらない魅力です。

名古屋は快晴。岐阜も快晴ですが、行く手に雲が。大垣は曇り、あっという間に地面が白くなり、関ヶ原では雪が舞っていました。北陸線沿いの山間部はかなりの積雪でした。金沢は曇り、道路脇には除雪された雪が。糸魚川の海はまさに冬の日本海。大火の後が片付いているようで、復興し始めたのでしょうか。長野は街が白かったですが、トンネルを抜けた上田は快晴。善光寺平と佐久平(上田を佐久平と言ってしまうのは、無理がありますが…)でこんなにも気候が違うものかと、改めて感心させられました。金沢や糸魚川の湿った風景が趣があっていいなどと言えるのは、私が冬晴れ地方の人間だからでしょう。

北陸よりももっと北国から、Sさんが来ました。吹雪になると大変だとか、寒くて起きられずに午前の授業は休みがちだとか、車を買ったとか、近況を伝えてくれました。どうやら北国の地に根付きつつあるようです。卒業する頃には今よりずっと骨太になっていることでしょう。

大掃除の最中に

12月28日(木)

2017年最後の営業日なので、校舎内外の大掃除をしました。私は外回りを担当しました。枯葉がたくさん舞い込んでいるのは先刻承知でしたが、砂ぼこりも結構たまっていました。また、植え込みの陰や隣の敷地とのすき間に空き缶やポリ袋が落ちていました。いや、見えないだろうと思って誰かが意図的に捨てたのでしょう。電車など乗り物のシートも全く同じで、クッションの隙間のような目立たないところに小さなごみが無理やり突っ込まれていることが多いのだそうです。でも、それは、掃除する人に手間をかけさせるに過ぎません。空き缶(正確には、そこに何か月分もの雨水がたまっていたので七分どおり入っていましたが)を取り出すのも大変だったんですよ。

そんなことをしていたら、京都の大学に進学したGさんがやって来ました。「やせた?」「はい。キャンパスが山の上なんで、よく歩くんですよ」。去年の今頃は受験の真っ最中で、運動不足もあったのでしょうか、まん丸でしたが、今はお腹が一回りか二回りへこんだような気がします。単位も順調に取っているようですから、脳で消費するエネルギーが増えた分だけやせたのかもしれません。

そうなんですよね、Gさんは、KCP史上おそらく最多の大学を受験し、おそらく最多の大学に合格しました。年末年始は面接練習やら何やかやで、毎日大騒ぎでした。期末テスト後も始業日眼も特訓でしたものね。あれから1年、早いものです。

そのあと、在校生のDさんが、大学出願にKCPの書類が必要だけど、1月6日必着だからどうしようと、青い顔をして飛び込んできました。来年の年末は、遠くに進学したDさんがひょっこり現れて、こんなことを思い出させてくれるのでしょうか。

よい新年を迎えたいものです。

去る者

12月22日(金)

選択授業の時間に書かせた小論文を読んでいます。教養とは何かというテーマを与えたのですが、ちょっと重すぎたようです。一生懸命書いてはいるのですが、議論が浅いのです。「教養は人間らしい生活に不可欠なものだ」といった類の、書いた本人もおそらくわけがわかっていないと思われるものが多く、出題を失敗したかなと思いました。しかし、これは何年か前の某大学の留学生入試の問題ですから、受験生たるもの、12月の時点で書けないなどと言っていてはいけないのです。

マークシート的な知識の堆積を狙った授業ばかりをしてきたつもりはありません。しかし、「教養」という、高等教育の目的の1つについてお手上げ状態では、私たちの教育のどこかに至らぬ面があったのでしょう。学校の中に物事を深く考える雰囲気が足りなかったのかもしれません。

その中に、「教養とはコミュニケーションのツールである」という意見がいくつかありました。異文化に触れ世界に目を向けるきっかけを作るなどという話になると、読んでいても夢が広がります。こういう学生の将来がまぶしく見えてきました。

コミュニケーション力をつけてくれというのは、私も去年の1月の入学式で祝辞として述べています。それから2年間勉強した学生たちの卒業式がありました。卒業生全員出席で、会場に空席がないというのは気持ちのいいものです。2年前には講堂いっぱいにいた新入生のうち、卒業式まで残ったのは講堂の真ん中にほんの3列だけ。コミュニケーション力が身についたか怪しい学生もいますが、よくぞ頑張り通したと思います。彼らと激戦を繰り広げた先生方も、式後ににこやかに談笑していました。

1年経つと

10月28日(土)

ゆうべは今年の3月の卒業生といっしょに食事をしました。正確に言うと、私以外の卒業生と先生方はお酒も飲み、私は食事だけいただきました。

MSの卒業生ですから、集まった卒業生たちは全員それなり以上に名の通った大学・大学院に進学しています。ですから、みんな胸を張って自分のこの半年あまりの学生生活を語っていました。教室ではいつもドヨーンとした顔をしていたLさんは、とてもすっきりした明るい顔をしていました。レポートと発表に追い立てられて忙しいといいつつも、Yさんの目は輝いていました。理系大学に進学したWさんは、女子学生がいないと言いつつも、どこか誇らしげに見えました。

Kさんは、留学生向けの日本語の授業が簡単すぎて取らなかったそうです。KCPの最上級クラスで鍛えられていたんですから、そりゃ当然ですよ。そのKさんですら、入学当初は講義の日本語がよく聞き取れなかったとか。Kさんのしゃべりは日本人となんら変わるところがありませんから、在校生にそういう話をして刺激を与えてもらいたいところです。

KCPにいたときは出席状況に大いに問題のあったBさんも、進学先ではほとんど欠席していないとか。欠席したらその次から自分の席がなくなっていたという事件を経験し、それに懲りて休まずに通っているそうです。KCPもそれぐらい厳しくしなきゃいけないのかな。

幹事役のMさんは相変わらず生真面目な性格です。私のグラスが空くと、「先生、お飲み物は?」と気を回してくれました。将来は研究者を目指していますが、偉ぶらない態度は人望を集め、きっとすばらしい研究業績につながることでしょう。

今朝、私のパソコンにはCさんからの志望理由書が届いていました。Cさんも、1年後はゆうべの面々と同じくらいに成長しているのでしょうね。

通過後

10月23日(月)

私が朝、目を覚ましたときは、まだ雨は降っているようでしたが、風がうなりを立てて吹きすさぶような感じではありませんでした。駅に向かうときは、生温かい風は吹いていたものの、雨はやんでいました。御苑の駅から学校までは、その逆で、雨には降られましたが、風は穏やかで、かばんに忍ばせてきた替えの靴下やタオルは出番がありませんでした。

程なく雨は完全に上がり、学生が登校するころには道が乾いていました。午前の授業が終わるころは、青空が広がっていました。それでも、各クラス、自主休講に及んだ学生が何名かいた模様で…。

台風21号は、未明に静岡県に上陸したころでも、九州から北海道の一部まで強風域に取り込むほどの超大型台風でしたが、雨や風はそれほどでもなかったように思います。もちろん、全国的には被害が出たところもあり、被災された方々にとっては「それほどでもなかった」どころではなかったでしょう。

10月も下旬ですから、南の海域にあるときにはそれなり以上の強さを誇っていても、関東地方にやってくるころにはヘロヘロになっているだろうというのが、先週木曜か金曜あたりの私の予想でした。気圧の面では上陸時に965hPaでしたからヘロヘロとは言いかねますが、雨風の勢いは、気圧ほどでもなかったかのように思います。

それでも、風に飛ばされた物が架線に引っかかって、首都圏いたるところで電車が止まったようです。そういった中、あれこれ手を尽くして出勤してくださった先生方には、頭が下がります。なにせ、こちらはそういった影響がまったくない地下鉄通勤ですから。

午後の授業が終わったころ、卒業生のUさんとKさんが来ました。2人とも、東大の大学院に受かったと報告してくれました。過半が大学院に進学し、実質6年教育となっている理系と違い、文系の大学院進学は厳しいと言われています。KCPに顔を出す時には軽薄そうにしていますが、内実、大変な努力を重ねていたのでしょう。

職員室の中にも、台風一過の青空をもたらしてくれました。

台風前夜の心理学

9月16日(土)

台風18号が西日本に接近中です。愛媛県の天気予報を見ると、明日は大荒れのようです。これが2週間前、夏休みの最終日だったら、松山から東京までの飛行機が飛ぶかどうかわからず、私はまんじりともせずにニュースや天気予報を凝視していたことでしょう。

2年前の夏休みは、台風が九州を直撃した日に博多にいて、動いている交通機関が地下鉄だけという経験をしました。博多駅前のホテルに泊まっていたので、地下街を通って博多駅付近のビルへは行けましたが、ビル内のお店はほとんどが臨時休業で、全く時間つぶしになりませんでした。動いていた地下鉄で福岡空港へ行くと、飛行機は欠航でしたが、空港ビルのお店は大半が開店していて、思わずマッサージ屋さんに入って、半日マッサージで過ごしました。

今回の台風で東京はそんなことにはならないでしょうが、連休中に台風が通過することになりますから、外回りを点検しました。校庭に置いてあるベンチはかなり重いので飛ばされることはないでしょうが、テーブルといすは1人で楽々持ててしまいますから、強風にあおられるとどうなるかわかりません。ですから、屋内にしまうことにしました。

教師数名がよろよろしながら校庭の片づけをしていると、2年前の卒業生のAさんが自転車で学校の前を通りがかりました。Aさんはわざわざ自転車を降りて、テーブルを運ぶのを手伝ってくれました。八王子の大学に進学したのですが、週末のアルバイトはKCP時代から変えていないそうで、ちょうど移動しているところだったそうです。

運び終わってから大学生活を聞くと、毎週1万字ぐらいのレポートを書いているとか。文献も大量に読み込まなければならず、日々日本語が鍛えられているようでした。心理学は大学に入ってからが大変だとよく聞きますが、でも、そのおかげで日本語が見違えるように上手になっていました。思わぬ余禄に与れました。

明日は約束があって出かけますので、台風さん、お手柔らかにお願いします。

激やせ

9月5日(火)

夕方、学生指導を終えて夏休みの宿題のチェックをしていると、見慣れぬ若い人が職員室に入ってきました。一緒にいる在校生の友達のようですが、外部の人を気安く職員室に連れて来てもらっては困ります。

ところが、その若い人が話すと、その声に聞き覚えがありました。数年前に卒業したOさんではありませんか。KCPにいたときはぷっくり太っていたのに、実にスリムな体つきになっています。顔も半分ぐらいになっていましたから、見かけではわかるはずがありません。10kgやせたと言っていました。

あっという間に、A先生、M先生、H先生など、Oさんにかかわった先生方がOさんを取り巻きました。みんな一様に驚いていました。そして、Oさんがいた頃の記憶がよみがえり、同級生のGさんやKさんやLさんなどの顔が浮かんできました。昔話が満開でした。

OさんはM大学の4年生で、就職しようか大学院に進学しようか迷っているとか。卒業するときは、こんな軟弱な学生がM大学で通用するのだろうかと思っていましたが、順調に進級して進学すら視野に入れているのです。月日が流れるのは早いものです。

Oさんは昔の仲間と連絡を取り合っているそうですから、大学を卒業する前にみんなを集めてKCPへ連れて来いと言っておきました。本当にみんなが集まったら、びっくりさせられることばかりでしょうね。

実は、昼休みに、今年に春に卒業してD大学に進学したHさんが、夏休みを利用して関西から来てくれました。Hさんもわずか数か月ですっかりやせていました。勉強は大変だと言っていましたが、どんどん面白くなってきたとも言っていました。関西に進学した同級生と時々会っているそうです。

みんなKCPを卒業するとやせるということは、KCPの生活はまだまだ甘っちょろいということなのでしょうか。

見詰める

8月10日(木)

だんだん入試シーズンが近づいてきて、それに向けた指導も始まっています。面接での受け答えを見ていますが、現時点では私のクラスの学生で対外戦ができそうなのは2~3名程度でしょうか。独自色が全くないというか、面接官がうんざりするような話ばかりというか、まあ、自分を売り込むとか面接官の心を捕らえるとかというゴールの対極にあるような答え方ばかりでした。

1クラス分の答えを列挙してみると、似たり寄ったりの内容が並び、それを見た学生たち自身も、これではいけないと多少は刺激になったようです。刺激になったのはいいとして、じゃあ、横並びから脱することができるようなネタを持っているのかというと、それもまた怪しいような気がします。学生たちの人生や経験が無色で平板極まりないものだとは思えません。しかし、そういった「今まで」を、面接で点が取れる答えにまで加工していく技術が、学生たちにはまだまだ足りません。今ここで自分の人生を違った角度から見つめ直すことは、これから男盛り女盛りを迎える学生たちにとっては非常に有意義だと思います。入試のためなどという狭く功利的な気持ちから離れて、是非しておいてもらいたいことです。

ナンバーワンよりもオンリーワンとはよく言われますが、常にオンリーワンを目指し続けるというのも、精神的にはしんどいのではないでしょうか。でも、土曜日のスピーチコンテストの審査員をしてくれた卒業生たちは、オンリーワンを追求してきたのではないかとも思います。そういう先輩を見習って、今の学生たちにも敢えて茨の道を進んでもらいたいと思っています。

心を動かす

8月5日(土)

今年のスピーチコンテストは土曜日開催とあって、審査員として日本で就職した卒業生が何人も来てくれました。会社名を並べると、結構なところばかりで、みんなKCP卒業後努力を重ねてきたのだなあと思わずにはいられませんでした。顔や声は変わっていなくても、内面は大きく成長しているのです。

初級から上級まで、多種多様なスピーチが聞けましたが、会場全体が盛り上がったのは、わかりやすく共感できるスピーチ、アイデアが豊かでユーモアが感じられる応援でした。また、今年はパフォーマンスを中心にしたスピーチをひとかたまりにして競い合わせましたから、見るスピーチが華やぎを添えました。

もちろん、正統派のスピーチも健在です。社会問題に真剣に向き合うスピーチもまた、多くの学生の心を動かしました。全学生が参加する学生審査にもそれが明確に現れていて、私たちが感心させられたスピーチは、学生をも捕らえていたようです。

ただ一つ気になるのは、審査員のK先生もおっしゃっていましたが、パワーポイントの画像などに頼るあまり、ことばの力だけで聴衆を動かそうというスピーチが少なくなったことです。正統派スピーチで最高点だったJさんは、パワーポイントは使いませんでした。そのスピーチには確かな力強さも感じました。しかし、画像があるスピーチは、わかりやすくなる代わりに、言葉による説得力が弱かったように思いました。この点が、Jさんと他のスピーカーとの差になって現れたのではないかと思いました。

スピーチコンテストを作り上げるまでに、どこのクラスでも幾多の紆余曲折がありました。その紆余曲折を乗り越えたことによって、賞はもらえなくてもさわやかな満足感が得られたのではないかと、コンテスト終了後の学生たちの顔を見て思いました。

有名じゃないけど

8月4日(金)

スピーチコンテスト前日とあって、どこのクラスも応援やスピーチの練習に余念がありません。私のクラスも授業の最後の15分は応援練習にあて、「恥ずかしいと思わないで手足を思い切り動かせ。そうじゃないとかえって恥ずかしいぞ」などといっちょまえくさったアドバイスなんかしちゃいました。

スピーカーの練習が終わったころ、F大学の留学生担当の方がいらっしゃいました。F大学は今年Sさんが入った大学で、Sさんは勉強にもクラブ活動にも力を入れているとか。KCPにいるときにはおとなしい印象しかなかったんですが、F大学ではかなり積極的に動いているようです。

だから、今年もSさんのようなすばらしい学生を送ってくださいというのが、F大学の方の訪問主旨です。F大学は、首都圏では高い評価を得ている大学ですが、KCPの学生の母国では知名度がゼロに近いです。Sさんにとっても、私たちが紹介して始めて知った大学です。私たちがなぜF大学を紹介したかというと、F大学は進学した学生が非常に満足していて、奨学金制度も充実しているからです。F大学の担当の方は、それに加えて、留学生と日本人学生とのつながりが強いこと、就職のケアも手厚いことなども強調なさっていました。

日本人の18歳人口の激減を控え、どこの大学も生き残りに必死です。生き残り策の1つとして、にわかに留学生を増やそうというのには与したくありません。F大学のように誠実に留学生を育ててくれる大学とのつながりを築き、そういう大学に1人でも多くの学生を送り込みたいと思っています。