Category Archives: 授業

一期一会?

10月10日(火)

新学期の初日は、午前中に養成講座の授業をして、午後は教科書販売の補助をすればいい予定でした。ところが、レベル1のM先生が急病で、午後はその代講をすることになりました。お昼の時間は新入生の日本語プラスの登録をすることになっていましたから、朝から夕方まで一気に予定がびっしり詰まってしまいました。

養成講座の授業は受身と使役が中心でしたから、こちらは快調に進みました。最近巷にあふれている「~させていただきます」について議論したり、「太郎は映画を見ます」は受身の文にできないことについて語ったり(みなさん、受身の文を作ってください。意味不明の文になります)、という調子で、快調に飛ばしました。

お昼の時間の日本語プラス登録も、入学式後にオリエンテーションをしていますからさほど大きな問題もなく済みました。早くも進学相談に乗ったり、理科系志望の学生が2人いたので喜んだりしているうちに、無事終了。

さて、レベル1の初日の授業ですが、上述のようにほとんど何の準備もなく教室に飛び込むことになりました。でも、レベル1の初日は発音練習やひらがなの書き方、簡単な自己紹介などが主たる内容ですから、度胸1つでどうにか乗り越えられます。確かに日本語が通じない人が多いですが、1人ぐらいはこちらの日本語から何かをつかんでうまく反応してくれる学生がいるものです。うん、やっぱりいました。

そんな言葉の通じない不便さも、留学の醍醐味なのです。いや、その何とも言えない不安をばねに学習意欲が湧くようでないと、留学は成功しません。このクラスの学生たちは、そういう意味では、やってくれそうな感じがしました。M先生のご病気が長引かない限り、このクラスに入ることはないと思いますが、袖振り合うも他生の縁で、陰ながら応援していこうと思っています。

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秋空

10月6日(金)

気象庁のサイトによると、最近は最高気温の上位10地点が沖縄の観測点で占められています。暑さの盛りの頃は、常連の熊谷とか多治見とか、あるいは東北地方でも福島とか山形とか盆地が上位に名を連ねていました。沖縄は、多少渋滞に巻き込まれたとしても車で30分も走れば反対側の海岸についてしまうくらいの幅しかないくらい海に囲まれていますから、真夏日にはなっても、猛暑日にはなりません。10月ともなると、今度は海の保温機能が働き、また、南にあることから、いつまでたっても涼しくならないのです。

KCPの前の道に出ても、高いビルに囲まれていますから、空はとても狭いです。でも、その空が、朝からとても高く、また、雲一つなく晴れ渡っていました。これだけ照っても東京の最高気温は25℃をやっと超えた程度でした。ひと月前だったら猛暑日間違いなしだったんですがね。そして、朝の最低気温は17.9℃で、今シーズン最低でした。熊谷は15.1℃、多治見に至っては11.2℃でした。いずれも今シーズン最低です。11.2℃だったら、暖房を入れているかもしれませんね。

私は今週から日本語教師養成講座の授業をしています。2階の教室ですから、空は見えませんでしたが、日差しは見えました。澄んだ空気の明るさが感じられ、こんな日は教室で授業じゃなくて外を歩きたいなと思いました。そんなわけで、お昼はちょっと遠くまで行き、食事を済ませてから公園で本を読みました。風がやや強かったですが、心地よかったです。

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作り直し

9月28日(木)

来週から日本語教師養成講座の対面授業が始まりますから、その準備をしました。去年から今年にかけて、養成講座のオンライン授業用の資料を作ってきました。その資料作成の際に調べたことも対面授業に取り入れようと思い、こちらのレジメの改訂にも取り掛かりました。

KCPの養成講座は少人数制ですから、受講生の年齢や職業、経歴などに合わせて授業を進めていきます。同じレジメを使っても、話の持って行き方や提示する例文、取り上げる話題など、毎回微妙に変えます。また、受講生の理解度も違いますから、それを感じ取って、サラッと進めたり時間をかけたりします。

そんなことを考えながら、進み方が速かったらこんな話題を付け加えようかとか、こんな受講生がいたらレジメのこの部分はこんな扱いにしようとか、あれこれ想像を膨らませました。とりあえず来週使う分ぐらいはできました。新しい受講生と顔を合わせるのが楽しみになってきました。

養成講座を担当するたびに何か発見があります。そのため、レジメがだんだん厚くなってきました。この発見はぜひ次の受講生に伝えたいと思うことが多く、内容を入れ替えるよりも蓄積していくことの方が多いのです。一度レジメに入れてしまうと、なかなか捨てられないんですよね。

日本語学校や日本語教師にかかわる制度が新しくなろうとしています。制度がどうにかなったところで日本語教師に求められる資質が180度変わるわけではありません。体にしみこんでいる日本語を、改めて頭で理解し直し、外国人学習者にわかりやすく伝えていく力が何よりも必要であることに変わりはありません。

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動画を見る

9月11日(月)

上級のクラスでは、可能な限りニュースなどの動画を見せています。映像や字幕を補助にしてそこで何が語られているかを理解し、キャスターやコメンテーターの言葉をその場で聞き取ってもらうようにしています。最近のニュースや、読解教材に関連した動画などを使っています。

「じゃ、動画を見てください」と言って流し始めると、クラス内は大きく2つに分かれます。興味深げに動画に注目する学生と、息抜きのチャンスとばかりにスマホを取り出すグループとです。後者の人々にこそ耳の訓練をしてもらいたいのですが、なかなか思い通りに動いてくれません。

こういった学生たちは、概して受験勉強以外に興味を示しません。「読解のテストで動画が流れるわけでもないし」という考えなのか、一心不乱に下を向いて親指を動かします。動画が終わってからその内容に関して質問しても、当然のごとく答えられません。

動画を見せるのは、耳の訓練のためばかりではありません。社会性を持ってもらいたいからです。文法や読解の問題には答えられるけれども、そこから一歩外れてテキストの内容に関して質問されるとしどろもどろというのでは、真の意味で上級の実力を持っているとは言いかねます。

JLPTのN1かN2に合格するのが留学目的だというのであれば、それでもいいかもしれません。しかし、語学なんて使い倒さなければ意味がありません。動画を見てその内容について議論したり自分の意見を文章にしたりすることができて初めて、日本語を勉強した意義があるのです。

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違い

9月7日(木)

午後からレベル2のクラスの代講でした。つい先日、私が教えているレベル1のクラスの学生もいろいろなことが言えるようになったとこの稿に書きましたが、やっぱりレベルの学生たちは一段上です。レベル1の学生たちに比べて3か月長く勉強しているだけあって、複雑な文法も知っていれば、日本語に対する勘も鋭くなっています。こちらの話の通じ具合が全然違います。名詞修飾が既習ですから、話す際の制約がかなり緩くなっています。何より、冗談と冗談でないことの区別がつくようになっているところが、私のような無駄話の多い教師にとっては、教えていて面白みのあるところです。

私のレベル1のクラスにも、次の学期にレベル3に上がろうと考えてそのための勉強をしている学生がいます。その学生が、あと1か月後にこのクラスの学生たちに交じって勉強するのかと思うと、それが本当にその学生のためになるだろうかと、少々心配になります。レベル2では、大事な文法を数多く勉強します。それを独習するとなると、練習が足りなくなるおそれがぬぐえません。レベル2の学生たちは、そうやって険しい岩場をよじ登ってきたからこそ、冗談も理解できるのです。

授業の後半は作文でした。そんな学生たちも、文章を書くとなるとまだまだという感じがします。「3か月東京で住んでいます」「日本は楽しいの国です」などという、レベル1の文法の間違いが至る所に見られました。授業で習った文法が定着し正しく使えるようになるまで、2学期ぐらい要するものです。書き上げたつもりになっている学生の作文を読み、そんな間違いを見つけて、「はい、レベル1」と言って指摘する、意地の悪い教師になりました。

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次第?

9月6日(水)

「しだい、しょうきぼこうをちゅうしんにはんすうちょうがていいんわれ。ていいんはふえたがにゅうがくしゃはへる」という音声を聞いたら、みなさんはどんな文を思いう浮かべますか。

私大、小規模校を中心に半数超が定員割れ。定員は増えたが入学者は減る――とするのが常識的な線でしょう。大喜利的には他の答えもあるかもしれませんが…。

上級クラスでやっているニュースの見出しのディクテーションでこれをやったところ、学生たちはみんなとんでもない文を書いてくれました。

まず、“しだい”は、ほとんど“次第”でした。これは理解できないこともありません。でも、“次第”は“次第に”とか“~次第だ”という形で使われますから、ここでは“次第”ではないことは見当が付くのではないでしょうか。

“小規模校”も、私が指名したWさんは“小希望校”と書きました。それでも、学校のことを意味しているとは理解していますから、それだったら“次第”をどうにかしてほしかったですね。

Wさんは、“半数超”は無事通過しましたが、“定員割れ”は“店員割れ”でした。“店員は増えたが入学者は減る”と書きましたが、この文の意味をどのように理解したのでしょう。

さらに、Wさんがホワイトボードに書いた文をそのまま写している学生もいました。「次第、小希望校を中心に半数超が店員割れ。店員は増えたが入学者は減る」という文に、笑い一つ起きませんでした。

結局、どんなニュースやら誰もわからず、私が解説しました。正解を見たらみんな「あー」となりましたが、上級でもこんないい加減な聞き取りをしているのでしょうか。

日常生活レベルなら問題はないはずですが、これでは少し硬い話題になるとついていけないでしょう。進学後に受ける授業は、こういった文の連続です。

また、学生が私たち教師の話にうなずいていても、その理解度はこんなものかもしれません。こちらも油断せずに、慎重に確認を取りながら話をしていかなければなりません。

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願いが届いたかな

8月7日(月)

七夕をしました。7月7日は今学期の始業2日目で、まだクラスも学校も落ち着いていなかったので、1か月遅れとしたわけです。仙台の七夕も8月6日から8日までですから、ちょうどいいでしょう。

私のクラスは、M先生が金曜日に自分の願いの下書きを書かせ、それを添削してくださいました。非常識な願文はありませんでしたが、こんな文じゃ願いは聞き届けてもらえないだろうなというのはいくつかありました。M先生は、それを丁寧に直してくださいました。

その願文を手作りの短冊に書きます。厚紙の周りを学生たち自身に千代紙などでデコらせて、それを短冊と見立てました。短冊に書く段階で毎年問題となるのが、縦書きです。学生たちは、出身国にかかわりなく、縦書きの経験がほとんどなく、いきなり縦書きをさせると拗音や促音のゃ、ゅ、ょ、っなどをとんでもない位置に書きます。ですから、今年は縦書きの下書きもさせ、必要に応じて微調整を掛けました。

6階の講堂で短冊に願文を書き、その短冊を飾り立てたのですが、飾り立てる方はこちらの想定を上回る作品がいくつも現れました。千代紙をそのまま短冊の四方に貼り付ければいいように切っておいたのですが、その千代紙をさらにきれいに小さく折ったり、四方ではなく上部に兜の前立てのように飛び出させたり、短冊の裏側をきれいにしたりと、学生のアイデアは尽きるところがありませんでした。

その一方で、願文はいつになく慎重に書き込んでいました。添削してもらっているのに、さらに「これでいいですか」と確認する学生もぽつぽついました。真剣に願文を考えたので、織姫牽牛に願いを聞いてもらいたい、そしてかなえてもらいたいのでしょうね。

私も願いを書くつもりでいたのですが、学生たちのお世話であっという間に時間が過ぎ、クラス写真を撮ってもらっただけで教室に戻ってきてしまいました。

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農業とは

7月24日(月)

子どもの頃、父の仕事の都合で、田舎に住んでいました。父はサラリーマンでしたから、私が直接農業にかかわることはありませんでした。しかし、友達には農家の子どもがたくさんいましたし、農家の方から野菜や果物、時にはお米など、農作物をいただくこともよくありました。また、学校からの帰り道などで農作業を見かけることも稀ではありませんでした。父の転勤で住んだ東京23区にも、子どもの足で行ける範囲に、わずかではありますが、畑がありました。

先週から、上級の読解教材で農業についての文章を扱っています。そのテキストに、文章の中心人物であるMさんが田植え機に苗をセットする写真が載っていました。学生に「これ、何の写真かわかる?」と聞いてみましたが、誰もわかりませんでした。それはそうでしょうね、学生にとって、田植えなんてなじみがありませんから。

私が小学生だった今から半世紀ほど昔は、農業はまだまだ日本の中心でした。しかし、工業やサービス業などが新しい産業として注目を集め、農業はそれらに比べると時代遅れというイメージでした。それゆえ、就業人口も減りつつありました。

現在はどうでしょう。日本の農作物は、海外で偽物が出回るほど高い評価を得るようになりました。平成前半あたりに比べると、バイオテクノロジーを駆使するなど、近代的なイメージが強まっているのではないでしょうか。耕作放棄地などという経済的な問題もありますが、“斜陽”しきって上向きの勢いを感じます。

学生たちの国では、農業はどんな位置付けがなされているのでしょう。読解が進んだら、聞いてみようと思っています。

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一夜明けると

7月21日(金)

朝、始業の3分前に教室に入ったら、学生が9人しかいませんでした。その後もう1人来て、出席を記録するためのタブレットがなかなか立ち上がらないために遅刻にならずに済んだ学生が2名いましたが、欠席者多数というのが最終状況でした。このクラスは、昨日のコトバデーの発表が、練習からは想像もつかないくらいとてもよくできたので、大いに褒めてあげようと思っていました。でも、この状況を目の当りにしたら、そうした気持ちも失せてしまいました。コトバデーで活躍した面々も休んでしまったことが残念でなりませんでした。

この学校の学生たちは、どうもそういうところが甘いんですねえ。「今週は昨日で燃え尽きたから」などと思っているのかもしれませんが、それは言い訳にもなりません。クラスの発表にも個人のスピーチにも、さらにはクラスの発表終了後のクラブ活動の発表にも参加していて、そのすべてに全力を注いでいたLさんが朝からちゃんと出ていたのですから。ついでに言うと、Lさんは午後の日本語プラスの授業にも出席しました。

欠席者が多かろうが、授業は予定通り進みます。私みたいなひねくれ者は、欠席が多いと出席した学生にサービスしたくなります。授業の各科目でちょっとずつ広い範囲を教えたり、逆に出席した学生たちに合わせてわからないところを丁寧に教えたりします。少なくとも、出席した学生に損したなんて思われたくないですからね。

コトバデーの練習で時間を使いましたから、これから夏休みまでギアを入れ替えてぐいぐい引っ張ります。暑い夏場こそ、進学する人たちにとっは自分を鍛える時季ですから。

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解く? 解かない?

7月14日(金)

私が受験生の頃から、試験ではできる問題を確実に解いて点数を積み上げることが大事だと言われています。これはEJUでも何ら変わることはありません。受験のテクニックばかり教えるのは、学生に真の力をつけることにはなりません。しかし、学生に点を取らせることが学生の将来を切り開くことにつながるというのも、一面の真実です。しょうもないテクニックを知っているかいないかで合否が分かれるかもしれないのですから。

日本語プラス数学コース1では、解ける問題から解けという指示を出しています。問題Ⅰから順番に問題Ⅳまでやるのが正統派なのでしょうが、問題Ⅱがいくら考えても解けなくて、問題Ⅲ・Ⅳまで進めなかったとしたら、大損失です。ことに、問題Ⅲは得意分野で、試験終了間際にちらっと見たら楽に解けそうな問題だったなどといったら、精神的ダメージも尋常ではないでしょう。

だから、考えてもわかりそうもない問題は後回しにして、解けそうな問題から手を付けて点を稼ぐことが好結果につながるのです。数学コース1は、東大でも狙わない限り満点じゃなくても問題はありません。問題Ⅱでつまずいて平均点にも及ばない成績になってしまう方が、重大な結果をもたらします。

そんなことを言ったら、Lさんが「でも、問題Ⅱを解かないで問題Ⅲを始めたら、問題Ⅲは絶対間違えてはいけないと思って、とても緊張すると思います。そうなったら、得意分野の問題も解けなくなってしまいます」と反論しました。Lさんは物事を引きずる性格なのでしょうか。そこはすぐに頭を切り替えて問題Ⅲに集中してもらいたいです。“1問必殺”みたいな感じで、目の前の問題に全力を傾けてもらいたいです。解けなかった(解かなかった)問題はきれいさっぱり忘れて…というのは、そんなにまで難しいことなんでしょうか。Lさんにとっては至難の業なのかもしれません。そこを鍛えていくのが、私の仕事みたいです。

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