Category Archives: 授業

欠席者多数

11月27日(月)

足のケガで受けられなかった中間テストの追試を先週の金曜日に受けると言っていたKさんでしたが、金曜日は欠席でした。その日は連絡が取れず、週末も行方不明のままでした。今朝も教室にはいませんでした。こりゃあ自宅訪問かなあと思っていたら、休み時間後にひょっこり現れました。教室に入るとすぐにマスクをしましたが、またすぐ外して鼻をかみました。月曜日の後半は作文ですが、作文を書きながら、ポケットティッシュ1個を丸々使い切るほど鼻をかんでいました。

授業後に確認を取ると、やはり金曜日から風邪で寝込んでいたとか。アルバイトもすべて休んだと言いますから、相当ひどかったのでしょう。30日に志望校の出願締め切りがあり、その出願について聞きたいことがあるので少し無理して出てきたそうです。

Kさん以外にも、Aさんもあまりたちのよくない咳をしていました。先週1週間欠席していたJさんは復活しましたが、マスクをしていました。おどろおどろしい病名の書かれた診断書を提出してきました。そのほか、欠席したCさんに電話をかけると、Cさんとは思えないような声が返ってきました。Mさんも同様です。電話線を伝わって菌がやってくるんじゃないかというような咳もしていました。Yさんはお腹を壊したようでした。他のクラスも、こういった欠席者が多かったようです。

私も確かに風邪をひきましたが、学校を休む手前で踏みとどまりました。どうして学生たちは踏みとどまれないのでしょうかね。無理のしかたがわからないのかもしれません。こういう経験を通して健康の大切さを身にしみて感じてもらうのも、留学の成果の1つだと思うほかありませんね。

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役者と俳優

11月24日(金)

金曜日のクラスでは、語彙の授業を担当しています。教科書があり、進度表も公開していますから、学生が予習してくることを前提に授業を進めます。学生にもそう伝えています。

予習が前提ですから、私が出てくる単語を一つ一つ説明することはしません。予習してもわからなかったことを質問してもらいます。私がそれに答え、必要に応じて周辺事項を補足説明するという形で授業を進めます。

「大晦日は何の日ですか」「式典と儀式は何が違いますか」「当て字はどういう字ですか」「共通語と標準語は同じですか」「役者と俳優は同じですか、違いますか」「腹芸はどんな芸ですか」「俳句と川柳の違いは何ですか」…などというような質問が、毎回次から次へと出てきます。みなさん、これらの質問に答えられますか。

学生からの質問が出尽くしたら、こちらから逆襲です。質問が出なかったことを学生に聞きます。「暦の上では春ってどういうことですか」「意訳はどんな訳ですか」「将棋は指すですが、碁は何と言いますか」などというのを聞くとだいたい答えられませんから、追加説明をしていきます。

こういう進め方をすると、予習をしてきた学生は、「そうそう、そこは私もわからなかったところ」とか「私が調べたのとちょっと違うぞ」とかといった反応を示します。私の説明に誘発されて新たな質問が出てくることもあります。上述の“大晦日”は知っている学生も多いでしょうから、“晦日”とは何かという話を付け加えると、知っている学生もふむふむということになります。

しかし、予習してこなかった学生は、ぽかんとしているほかありません。学生と私のやり取りが頭の上を飛び交うだけで、ツッコミを入れるすき間がありません。みんな笑っているのに、何がおかしいかわからないということだってあり得ます。練習問題の答えを機械的に書き込むだけでは、大した勉強にはならないに違いありません。たとえそうだとしても、それは自己責任ですから、特別なフォローなどしません。

タスクの例文すら書かずに居眠りしていたLさん、あんたのことですよ、この話。

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指示詞につまずく

11月22日(水)

国語のテストで、よく指示詞の指示対象を問う問題に出くわしたと思います。「“その学生”とは誰ですか」などという類です。KCPの読解のテストでも、初級から超級まで、この手の問題が出されます。

こういった問題は、答えとなる指示対象を本文からそのまま抜き出してくればいい場合もあれば、なにがしか加工しなければならない場合もあります。当然、後者の方が難しいです。そのまま抜き出しても答えとなる場合でも、字数制限を設けてあえて加工を加えさせることもあります。要点がきちんと把握できているかどうか見ようというのが、問題を作る側の心です。

超級クラスの読解テキストに、一筋縄では答えられない、テスト問題にするには絶好の指示詞を見つけました。早速授業で聞いてみると、勘のいいKさんも、本文の言葉をそのまま答えようとしました。私がダメ出しを繰り返すと、それらしきところを次々と引っ張り出してきました。こういうことができますから、Kさんは決してできない学生ではないのです。むしろ能力が高いと言えます。

Kさんの答えはどれもいい線を行っているのですが、5点の問題なら3点か4点といったところでした。そこで、Kさんの答えを板書しておきましたから、「はい、みなさん、Kさんの答えをもとにして、きちんとした説明になる答えを考えてください」ということにしました。

さすがに、ここまでヒントを出せば、正解と言える答えが出てきました。でも、ここまで10分ほどですから、時間のかかりすぎです。ことあるごとに鍛えていかねばなりません。

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作文テストの前に

11月6日(月)

午前中の授業の後半は、来週の火曜日に控えている中間テストの作文の課題について説明しました。先学期から、私のクラスでは、中間・期末テストは、事前に課題を発表し、それについて調べたり学生同士で話し合ったりする時間を設けています。その結果、質の高い作文が増えました。和文和訳が必要な意味不明の文字列や、原稿用紙の1枚目と2枚目で話が食い違っている大作や、突き詰めてみると実にありきたりの結論だったり、「~かもしれない」を連発して批判を避けようとしていたり、そんな読むに堪えない、あるいは解読・読解不能の文章が絶滅しました。

もちろん、誤字や文法ミス、表現の拙さや誤解を招きかねない書き方などは随所に見られます。しかし、たった原稿用紙2枚足らずの文章を理解するのに半日を要するなどということはなくなりました。主張はそれなりに伝わってくるようになりました。

上級とはいえ、いや、上級だからこそ、課題を見て思うことをまとめるのには時間を要するのです。日本語で考えられる幅が広がるからこそ、あれこれ書きたくなり、短い試験時間内には起承転結をつけられないのでしょう。1週間ほどの時間と、クラスメートと話し合うチャンスと、多角的な物の見方につながるヒントを与えれば、少なくともまあまあレベルの文章が書けるのです。

さて、問題は欠席した学生どもです。授業でこういう刺激を受けなければ何もしそうにないやつらです。出席した学生たちが盛り上がっていたグループ討議を経ずに中間テストを受けるとなると、採点する立場として大いに不安を感じずにはいられません。

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イトウマイ

10月30日(月)

月曜日は2週連続して代講に入ってもらいましたから、10月最終週にしてやっと初授業です。しかし、水曜日にも教えているクラスですから、学生の顔と名前がわからないということはありません。

先学期に引き続きニュースの小見出しをやると、包囲網、公取委、一等米などという言葉が壊滅状態でした。上級とはいえ、ちょっと聞き慣れない言葉となると、意味の想像もできなくなってしまうようです。公取委は漢字を示してもぽかんとしていました。経済経営系の大学院進学志望の学生には反応してほしかったのですが、そんな学生も含めてみんなスマホで調べ始めるというありさまでした。

一等米がきちんと書けたPさんは、クラスで唯一、その文の聞き取りが完璧でした。他の学生のノートをのぞき込むと、「イトウマイ」とか「いっと毎」とか、思い思いの表現で自分の聴き取った言葉を書いていました。学生にとって「米」の字は、米国、欧米などの「ベイ」ではあっても「マイ」ではないのです。米の話だとわからなければ、その小見出しについては皆目見当が付かないでしょう。

逆にほとんどの学生ができたのが、日本のGDPがドイツに抜かれる見通しだという小見出しです。こちらは、円安とか下回るとか聞き覚えのある言葉ばかりですから、それを組み合わせればそれっぽい文ができます。つまり、ニュースを聞き取るには理解語彙を増やさなければならないという、聴解の基礎法則が実地に確認できたということです。

こういう積み重ねをするつもりで始めたニュースの小見出しですから、今後も地味に地道にやっていきます。

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これも作文?

10月26日(木)

遅ればせながら、今週の月曜日に書いてもらった上級クラスの作文を読みました。先週の金曜に課題を与え、週末に何についてどんな構成で書くか考えておくようにと宿題を出しておきました。しかし、作文を見る限り、その宿題に全く手を付けてこなかったと思われる原稿用紙が何枚か紛れていました。

文章そのものが稚拙ならば、まだ救いようがあります。鍛えれば伸びる可能性があります。添削のし甲斐もあるというものです。しかし、明らかにどこかの文章を丸写しというのは、あーあと嘆くほかありません。その学生が考え出したとは思えない論理展開なのですが、ところどころにいかにもといった感じの間違いがあります。一生懸命写したのでしょうが、内容を理解していませんから誤字脱字初歩的な文法ミスが浮かび上がってきます。

さらに困ったことに、そういった学生の多くがこれから入試などで作文・小論文などを書くことになっているのです。彼らの頭には想像力・創造力というものがないのでしょうか。また、文章を書いた(写した)後で読み返すという基本的な習慣も持ち合わせていないに違いありません。もっとも、すぐスマホに頼る学生たちですから、こういう心の働きなど思い浮かびもしないのです。

クラスのみんながこういう作文だったら、課題設定が悪いとか授業の進め方が学生のやる気を誘うものになっていないとか、こちらの反省材料もあります。しかし、すばらしい作文を書いた学生も、しょうもない作文を書いた学生と同じくらいいましたから、やっぱり丸写し組は何かが欠けているのです。

来週の月曜日、どうやって返却しましょうかねえ。

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症状悪化

10月24日(火)

ある時、授業の初めに口慣らしとして行う3分会話で、「命の次に大事な物」というテーマを取り上げました。2人1組で3分話して、その内容をかいつまんで発表してもらいました。そこでCさんは「スマホ」と答えました。自分はスマホがなければ生きていけないスマホ中毒だとまで言い切りました。Fさんもそれにうなずき、「私もスマホ中毒です」と名乗りを挙げました。もしかすると…と思い、「2人のほかに、自分はスマホ中毒だと思う人」と聞くと、さらに2、3人が手を挙げました。その後、スマホ中毒自慢大会みたいになり、中にはスマホを握ったまま寝るという剛の者までいました。

数年経った現在、スマホ依存症は勢いを増しているようです。Yさん、Pさん、Bさん、Eさん、Jさんあたりは、上述のCさん並みかそれ以上でしょう。スマホなしで何かを考えることができないのではないかと思えるほどです。依存どころか、脳みその一部になっています。おそらくスマホを握ったまま寝ていることでしょう。

本人はスマホを使いこなしているつもりなのかもしれませんが、はたで見ているとスマホに浸りきっている、振り回されているように思えてなりません。わからないことがあるとスマホで調べるばかりですから、人に聞くということもなく、だからコミュニケーション力も伸びません。しかも、周りの状況を顧みずスマホを使いますから、まじめに授業を受けようとしている学生は鼻白んでしまいます。もちろん、教師が注意したくらいではやめません。Yさんに至っては、あまりにひどい授業態度なのでT先生がスマホを取り上げようとしたところ、無言で奪い返したそうです。その瞬間の教室に漂った気まずい雰囲気、想像するだけで寒気を催します。

今週の木曜は課外授業ですが、1日中スマホを見ながら街を歩くんじゃないでしょうね。

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切れる前に

10月19日(木)

中級クラスの代講をしました。授業内容そのものは、教科書や教材がそろっていましたから、決められたところまで進めさえすればいいだけでした。しかし、担任のO先生からは、「学生の集中力がちょっと…」と懸念材料を示されていました。テンポよく、目先を変えて、学生を波に乗せる必要があるようでした。

前半はうまくいきましたが、授業開始後1時間足らずで、さっきまで元気いっぱいだったSさんが机に伏せてしまいました。Dさんも元気がなくなってきました。逆に、最初は線がつながっているのか切れているのかわからない雰囲気だったEさんが発言するようになりました。授業の最後の方は聴解問題だったので、QさんやWさんは飽きてしまったようでした。

O先生たちこのクラスの先生方のご苦労がよくわかりました。集中力の切れ方が予測不能で、雑談で息抜きをして集中力を復活させるべきか、集中しているうちに進むだけ進んでおくべきか、そのあたりの学生との駆け引きが難しかったです。何回もクラスに入れば勘所もつかめるのでしょうが、そもそもこの集中力のなさ加減では、これから先が思いやられます。

まず、EJUやJLPTでしかるべき成績を挙げるのが難しいでしょう。それゆえ、学生たちが思い描いている進学ができるかどうかも疑問です。出願書類を作成するときだって、細心の注意を払い続けなければなりません。私の観察では、それすら危ういですね。面接はどうなのかなあ。集中力が途切れた瞬間にあらぬことを口走ったりはしないかと、心配になってきました。

文法や聴解よりも、集中力をつける訓練をしたくなってきました。

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指名されても

10月18日(水)

「Pさん、次のところを読んでください」「…」。「Hさん、次のところを読んでください」「…」。「Aさん、次のところを読んでください」「…」。

この3人は授業に集中していない様子がうかがえましたから突然指名したところ、案の定でした。慌てて隣の学生にどこから読めばいいか教えてもらったり、適当に見当をつけて読み始めたり、ささやかな抵抗を試みましたが、クラス中に恥をさらすことになりました。

PさんもHさんもAさんも、受験を控えていますから、読解の教科書など読んでいるどころではないと思っているのでしょう。授業そっちのけで何をしていたか知りませんが、Aさんは今までもよくスマホでどこかのサイトを見ていることが多かったですから、大方そんなところでしょう。下を向いていましたしね。Hさんは昨日面接練習でボコボコにされていましたから、その立て直しでもしていたのでしょう。でも、それは授業中にするべきことではありません。そんな余裕のない学生は、だいたい落ちるものなんですがね。

読解力なくして日本の高等教育機関で勉強を続けることなどできません。こちらもそのつもりで上級のカリキュラムを組み立て、進学してから日本語で困ることのないようにしようと思っています。読解力がないまま進学したら、結局困るのはその学生自身です。しかし、Pさんたちには目の前の愉楽や試験などしか映らないのでしょう。1年先の自分自身の像すら思い描けないのです。

上級クラスでは常々「進学してから必要な日本語力」を意識させようとしています。でも、この3人を見る限り、私もまだまだ力不足です。

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3時に寝る?起きる?

10月12日(木)

授業後、欠席したCさんに電話をかけると、あっさり本人が出ました。

「Cさんですか」「はい」「KCPの金原です。こんにちは」「こんにちは、先生(明るく元気な声)」「Cさんは、今日、学校を休みましたが、どうしましたか」「寝坊しました。先生、すみませんでした」「そうですか。何時に起きたんですか」「12時半です」「12時半? ついさっきじゃないですか」「はい…」「昨日、何時に寝たんですか」「3時に寝ました」「3時? それは昨日じゃなくて、今朝ですね」「あ、はい…」「じゃあ、何時に寝れば、学校に間に合う時間に目が覚めるんですか」「11時ごろに寝れば…」「わかりました。今晩は11時までに寝て、明日は寝坊しないで学校へ来てください」「はい」「じゃ、明日、学校で会いましょう」「はい、先生」。

Cさんの住所からすると、8時に起きればどうにか遅刻しないで登校できるはずです。それなら、3時にベッドに入っても5時間寝られます。十分な睡眠時間とは言えませんが、授業中爆睡するほどでもないでしょう。そもそも、3時から12時半まで9時間半もなんて、受験生にあるまじき睡眠時間です。

次はKさん。

「Kさんですか」「はい」「KCPの金原です。こんにちは」「こんにちは、先生(明るく元気な声)」「Kさんは、今日、学校を休みましたが、どうしましたか」「寝坊しました。先生、すみませんでした」「そうですか。何時に起きたんですか」「11時半です」「11時半? 昨日、何時に寝たんですか」「3時に寝ました」「3時? それは昨日じゃなくて、今朝ですね」「あ、はい…」「じゃあ、何時に寝れば、学校に間に合う時間に目が覚めるんですか」「1時ごろに寝れば…」「わかりました。今晩は1時までに寝て、明日は寝坊しないで学校へ来てください」「はい」「じゃ、明日、学校で会いましょう」「はい、先生」。

Cさんほどではないにせよ、8時間半の睡眠時間は十分すぎます。そもそも、2人ともなんで3時まで起きてるんでしょうかねえ。この2人以外にも、3時4時まで愚にもつかないことをしながら起きている学生がおおぜいいます。朝型の私にとって、3時と言えば就寝時刻ではなく、起床時刻です。日の出から日の光を有効に使わなきゃとは思わないんでしょうか。日足が短くなったのを、夕方ではなく朝に感じる生活の方が、ずっと健康的だと思うんですが、いかがでしょうか。

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