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ノートが取れない

1月28日(木)

選択授業・身近な科学では、今学期も私の話のノートを取らせて提出させています。今学期の受講者は先学期よりもいくらか下のレベルなので、果たしてどのくらいノートが取れるだろうかと心配していました。先週、今週とやってみると、その心配が杞憂ではないことがはっきりしました。

今学期の学生たちは、メモとも言えないほど何も書けません。ここが要点だよと強調したつもりのところが、さっぱりノートに書かれていないのです。私の話に集中していたと言えば聞こえはいいですが、ノートを取る余裕もないほど集中しないと話の内容が理解できないとしたら、由々しき事態です。

身近な科学に出ている学生たちは、ほぼ全員4月に進学します。進学先では毎日いくつもの講義を聞きます。そのとき、こんなノートだったら勉強したことが何も残らないでしょう。配布資料があったとしても、そこに適切な書き込みができなければ、試験前など、後日読み返したときにわからないでしょう。こんな調子じゃ、単位なんか取れないんじゃないかな。

先学期は優秀な学生のノートを見ると、授業をした私自身が自分の授業に新たな発見をすることがたびたびありましたが、先週・今週のノートは中身がほとんどありません。この学生たちも上級ですから、初級、中級の授業を聞いてきたはずですが、そのときはどんなノートを取っていたのでしょう。今の日々の授業ではどうなのでしょう。

細かい内容はともかくとして、授業全体を通じてのキーワードすらつかめないのだとしたら、これは進学先のみならず、就職してからだって困るんじゃないかなあ。不安が募ります。

遺言?

1月21日(木)

超級クラス、しかも卒業式を迎えるこの学期ともなると、教えることがなくなってきます。特に読解は、外国人向けの日本語教材では全然追いつきませんから、新聞・雑誌の記事や小説や論説文やエッセイや日本人高校生向け問題集など、あらゆる方面に手を回して教材を集めています。

そういったものから教材を採ったとしても、字面を追うだけなら学生たちは自習できちゃいますから、字面だけからはわからない何がしかを付け加えています。例えば、今扱っている教材には関西弁がふんだんに出てきますから、関西弁を共通語に訳してみたり、その訳語と関西弁のニュアンスの違いを議論したりしています。

小説なら、文中に表れたちょっとした言葉から登場人物の心理を推理してみるなんてこともしています。行間を読むというか、1つの単語から想像を広げるすべを身に付けてほしいと思っています。また、日本人なら暗黙の了解で済むことも、学生たちはきっちり説明してもらわないとわからないこともあります。辞書やネットではつかめない何物かを与えていくことが、このレベルの学生たちに対する我々教師の役割だと思っています。

このクラスの学生の大半は、4月から進学先で日本人に囲まれて勉強していきます。授業では留学生だからと手加減や特別扱いされることはないでしょう。日本語にじっくり向き合えるのは、日本語学校の卒業式までですから、こちらもその間に日本人に「伍して」いけるだけの、日本語力プラスアルファをつけさせようと思うのです。日本語力はもう十分ですから、「プラスアルファ」の部分に力点を置いて、卒業直前の授業を組み立てています。

私から皆さんへの遺言だよって言って、授業をしています。

日本語力の差

1月12日(火)

小雨の新学期初日でした。教室を間違えたとか事務手続きに手間取ったとか、何名かが遅刻しました。まあ、でも、最終的には欠席1名にこぎつけましたから、よしとしなければならないでしょう。

午前のクラスは上級クラスでしたが、初級で教えた学生が何人もいて、なんだか上級という気分にはなりませんでした。「Tさんがいるなんて、上級もお安くなっちゃったね」なんていう冗談が通じるのですから、まあ彼らも上級なのでしょう。でも、消しゴムで字を消した時にできる黒いものを「消しゴムのごみ」なんて言っちゃうあたり、初級的な発想が抜け切っていないとも言えます。「消しゴムのかす」なんて、日本人なら子どもでも知っています。そういう言葉を知らないと進学してから日本人の同級生にバカにされるよって言ってやったら、妙に納得していました。

こんなのは比較的どうでもいいのですが、このクラスで一番いけなかったのは、自己紹介のときに全員が「〇〇です。◎◎(国)から来ました。趣味は△△です」で済まそうとしたことです。これならみんなの日本語の14課だと怒ってやり直させたら、中級ぐらいの文法は使って夢やら日常やらを語ってくれました。やればできるんですから、やるように仕向けることがこのクラスを教える上での課題です。

一息つく間もなく、午後は代講。そのクラスは一番下のレベルですから、初日は挨拶と教室用語と数字と自己紹介です。自己紹介では「初めまして。〇▲です。△▽(国)の▼◎(都市)から来ました。どうぞよろしく」と、都市名に触れる分だけ午前中の上級の学生より上ではないかっていう自己紹介を練習しました。日本語の発音に慣れていないためにおかしげなイントネーションの学生もいましたが、全体的に見ればよくできたんじゃないでしょうか。

教室の片づけを済ませ職員室に戻ると、C大学に進学したTさんが来ていました。「新学期の初日だからお日柄が悪いんだよなあ」なんて言いながらも、懐かしさのほうが勝って、思わず話し込んでしまいました。4月から3年生で、就職に向けて動き始めるとか。こなれた日本語を話していますが、入学当初は日本人学生との間の日本語力のギャップに悩んだそうです。このねたは、明日の超級クラスで使えそうです…。

存在感

12月9日(水)

教室に入ると、今まで出席率100%のJさんがいません。電車が遅れても9時前には必ず教室にいたのに、Jさんの定位置の机にかばんも何もありませんから、トイレでもなさそうです。いったいどうしたのだろうと、出席簿に挟んである書類を見ると、入試のための欠席届が出ていました。

Jさんは特別発言が多い学生ではありませんが、いないとなるとどこか不自然さを感じます。授業中に教室全体を見渡してJさんの姿が見当たらないと、なんだか調子狂うんですよね。Jさんには、それだけ無言の存在感があったのでしょう。

同じく、KさんとPさんも欠席でしたが、この2人は今までにもよく休んでいたので、特に何も感じませんでした。「ああまたか」と思うこともなく、「まったくもう」と怒りを感じることもなく、欠席を受け入れているのです。クラスを担当する教師として、学生の欠席を当然のことと思ってはいけないのですがね。まあ、それぐらい、この2人は、Jさんとは違って、私の心の中に存在感がないのです。

このクラスに限らず、毎学期受け持つどのクラスにも、KさんやPさんのような学生がいます。昨日のクラスではGさん、Sさんでしょうか。遅刻して教室に入ってくる姿に、腹も立たなくなっています。注意はしますけれども、GさんやSさんほどの常習犯になってくると、注意に身も入りません。言っても無駄だろうなと思いながら注意しても、効き目は半減ですから、悪循環に陥っています。

Kさん、Pさん、Gさんは、Sさん、考えてみればかわいそうな人たちです。同じ授業料を払っているのに、Jさんほど目をかけてもらえないんですからね。私にもっと熱き血が流れていれば、様相は違ってるんでしょうが、現実は彼らの空席を見ても心拍数すら変わりません…。

切腹? 打ち首?

12月8日(火)

授業で裁判や刑罰関係の語彙が出てきたら、いつの間にか話がそれて日本の裁判制度や刑務所、果ては切腹と打ち首の違いにまで広がってしまいました。今日は授業のスケジュールが詰まっていたわけではないので、学生の興味の赴くままに成り行き任せの授業をしました。

初級だとこういう授業は許されませんが、上級はだんだん何でもありになってきますから、たまにはこんな日があってもいいのです。今日は、いつもは口数が少ないLさんやYさんが発言していましたから、それなりの意義はあったと思っています。それ以外の学生も、日本の死刑は絞首刑だとか、刑務所はどこも定員オーバーで困っているとか、切腹は名誉の死刑だとか、そんな話にうなずいたり、何十年も死刑囚のままでは残酷だとか、日本は麻薬に甘いとかという意見を言ったりしていました。

こんな教科書外の授業は、毎週生教材という形で取り入れてはいますが、今日みたいに自然発生的にテーマが生まれてくることは、そんなに頻繁にあることではありません。だから、学生たちの自由に発言したいという気持ちや、知りたいという意欲を優先して、成り行き任せにしたのです。

でも、なぜ裁判や刑罰が学生の心に火をつけたのかまではわかりません。ということは、今後どんな話題で盛り上がるか、見当がつかないというわけです。このクラスは盛り上がるポイントがつかめずに困っていたのですが、今日は盛り上がったものの、今後どうすれば盛り上げられるかは、手探り状態のままです。

私は、観光地・網走刑務所の人形はリアリティー満点だみたいなネタはたくさん持っていますから、盛り上がる方向がわかれば、今日のような授業は好きです。知ってても使い道がない知識や情報を授業で有効活用できれば、これに勝る幸せはありません。

明日は超級クラスと、身近な科学。どんなネタで盛り上げましょうかねぇ。

タッチ

12月4日(金)

初級のN先生が病気でお休みのため、急遽代講をすることに。担当のS先生によると、テストやディクテーションがあり、そんなに難しい授業内容じゃありませんでした。毎度のことですが、上級では抑え気味に話していても、初級ではそれじゃ負けちゃいますから、全力でぶつかります。省エネ運転などとは言っていられません。

さて、漢字の時間。ホワイトボードに勉強する漢字を大きく書き、はねる所など注意すべき点を赤で印をつけて、学生たちに練習させました。その様子を見て回っていると、ある学生が、「先生、ここはタッチしますか」と、私の字と教科書の字の微妙な違いを指差して、聞いてきました。私はこれが嫌いです。初めて“タッチする”を耳にした時の、身の毛のよだつような嫌悪感がよみがえってきました。“くっつく”じゃダメなんですか。

初級クラスで漢字の授業をすると、時々私の乱暴な字では接するべきところにごくわずかな空白が生じ、そうすると、この学生に限らず、「先生、ここはタッチしますか」と質問する学生がいます。質問自体は、よく板書の字を観察しており、感心すべきことですが、“タッチしますか”には、どうしても引っ掛かりを感じます。おそらく、初級の先生方はみんなタッチするとかしないとか言っているのでしょう。日本語学校なのに、どうして“タッチ”という外来語をわざわざ使うのでしょう。

“タッチする”が日常頻繁に使われる外来語ならまだしも、私などはパスモかスイカで改札を通る場面しか思いつきません。“くっつく”と“タッチする”では、どう考えても前者のほうがよく使われると思います。だから、わたしは、たとえ一番下のレベルでも、“くっつく”を使います。先ほどの学生にも、“はい、くっつきますよ”と答えました。

タッチよりももっと蔓延しているのが“チェンジ”です。「はい、ペアをチェンジしてください」などと指示を出していますが、私は「友達を変えてください」と、ジェスチャーを交えながら指示します。もちろん、通じます。チェンジはタッチよりも多く使われているでしょうが、“変える”という立派な、しかも非常によく使う日本語があるのですから、そっちを使うべきだと思います。初級の時から“変わる”“変える”ってささやき続けられれば、自他動詞の区別も自然に付くようになるかもしれません(これは牽強付会かな…)。

タッチ以外は楽しい授業でした。その後、気持ちよく受験講座の授業に進めました。

Lさんのノート

12月2日(水)

今シーズンの選択授業・身近な科学は、学生たちにノートを取らせ、それをチェックしています。最初はノートの取り方にかなりの差がありました。回を重ねていけばその差が詰まるだろうと思っていたのですが、今のところそういう気配はありません。いつも要領よくまとめている学生は、パワーポイントの中から本当の要点を抜き出してノートにしています。その一方で、毎回ろくなノートになっていない学生もいます。Lさんがその代表格でしょうか。Lさんは、授業中私の話を聞いていないわけではありません。きちんと反応していますし、居眠りや内職をしているようにも見受けられません。しかし、ノートを見る限り、Lさんの頭には何も残ってないんじゃないかって思えてきます。

Lさんは超級の学生ですから、理解力はかなり高いはずです。だから、授業後に口頭試問でもすれば、そこそこの答えはできるんじゃないかと思います。しかし、「聞く」と「書く」を同時にするのは、Lさんにとっては至難の業なのでしょう。でも、このままじゃ進学してからが心配です。大学の講義は、たとえ教科書があっても、先生の話を聞き取ってメモしておくことが必須ですから。先生の生のことばの中にこそ、真実や最新の情報が含まれているものです。

私のほうにも反省点は多々あります。ノートを取らせるということは考えずにパワポのスライドを作っていますから(…というか、去年のスライドの使い回しですから)、スライドの字数が多すぎたり、逆に大事なことばがスライドになかったり、図表がわかりにくかったり…。しゃべってる本人がこれだけ気付いているんですから、聞かされてる方はたまったもんじゃないですよね。

今年は思いつきでノートを取らせるってことを始めましたが、来年はしかるべき準備をして、同じことをしてみたいです。

寒い?

11月26日(木)

ゆうべ、雨の中を帰宅するとき、手がとても冷たくなりました。だから、今朝は手袋をはめて家を出ました。コートにマフラーに手袋、気が付いたら冬のフル装備です。気象庁のデータを見ると、今朝の出勤時の気温は6度台で平年並みでした。ずいぶん寒く感じましたが、今までが暖かすぎたのでしょう。

このぐらいの寒さになると、クラスによって教室に暖房を入れたり入れなかったりで、教室の温度に結構な差がつきます。昨日のクラスの教室はガンガンに暖房が利いていたのに、今朝のクラスの教室は「切」。学生が寒がっていないようなので、私が勝手につけるのもどうかと思い、そのまま授業をしました。まあ、教師は上級でも授業中ちょこまか動きますから、凍えそうになるなんてことはないんですけどね。そうそう、風邪を引いてからヒートテックを着込んでもいるし。

このクラスにはドンみたいな学生はいませんから、ある特定の学生の感覚によってのみエアコンのON-OFFがなされることは考えられません。寒かったら「寒い」って言いそうな学生が黙っていましたから、許容範囲内の寒さだったのでしょう。

一方、昨日のクラスは出席率ほぼ100%で発言力もある学生が、エアコン権を握っていると見ています。その学生が寒がりかどうかまではわかりませんが、他の学生は多少暑くても文句を言いそうもないなあ…。

微妙な綱引きが繰り広げられるクラスもあります。「先生、寒いです」「寒くないです」って応酬は、意外に初級に多いのです。日本語で先生に注文をつけられることを楽しんでいるって側面もありそうです。上級は、そんなことには冷めちゃってますからね。

予報によると、明日は天気は回復しますが、朝は10度をだいぶ割り込むみたいです。教室のエアコンはどうなっているでしょう。

肉肉肉に負けそう

11月17日(火)

今週金曜日に課外授業のバーベキューが迫っていますが、明日が中間テストのため、多くのクラスで今日バーベキューの説明や料理の内容などを決めました。私のクラスもそのパターンでした。

このクラスは上級ですから、半分くらいの学生が去年のバーベキューの経験者です。経験者といっても、去年のこの学期は初級でしたから、わけがわからないうちに終わってしまったかもしれません。だから、同じ経験者でも、私の説明にそうだそうだとうなずく学生もいれば、初めて知ったかのような新鮮な顔をする学生もいました。

今回は炭への火のつけ方が動画で説明され、わかりやすかったんじゃないでしょうか。そんなこんなをしているうちに、次第にバーベキューの頭になったところで、メニューの話し合いに。毎回、どこのクラスでも、ここからが難しいのです。このクラスも、強力なリーダーがおらず、私が半分強引に意見を引き出すほかありませんでした。それでも、食材をあれこれ言わせ続けていくと、学生たちの頭の中に料理のイメージが浮かんできたようです。ただ、各学生のイメージがなかなか一致せず、意見がまとまったようなまとまらないような、中途半端な感じでした。

さらに、これまた毎回の課題ですが、食材をたくさん買おうとする圧力はかなりのもので、足りないと思うくらいがちょうどいいという、KCP全教師の経験則を語っても、「肉、肉、肉」という学生たちの声にかき消されてしまいました。「予算は全部使わなくてもいいんだから。食材を捨てるようなことは絶対にするな!」と5本ぐらい釘を刺しておきましたが、さて、効き目はあるでしょうか。

誰が何を買ってくるというところまで決めて、「買うのは中間テストが終わってからだよ」と最後にもう1本太い釘を打ち込みました。授業後に買い物に行って、食材を刻んで、バーベキューにうきうきしちゃって、とかってなっちゃったら、明日のテストが悲惨な結果になりかねませんからね。

金曜日の予報は、曇りないし晴れ。会場の国営昭和記念公園は、紅葉の盛りだそうです。

見られる

11月14日(土)

今週は、大学で日本語教育を学んでいる学生さんたちが実習に来ています。初級のクラスに入って、来週は教壇にも立つ予定ですが、日本語教育の現場全般を見るということで、私の超級クラスにも見学に来ました。まず、読解の授業を見、その後、新聞記事を読んで、グループに分かれてその内容について意見を交わすという授業に参加してもらいました。読解も会話も、初級との差が際立つ授業だろうと思い、見学してもらいました。

授業が終わってから感想を聞いてみると、まっ先に語彙が全然違うという声が挙がりました。そりゃそうですよね。授業や学生各自の勉強で日本語の文章に触れる分量が初級とは桁違いだし、こちらも意識して難しい言葉を入れていますから。後半の新聞記事を読んで会話する授業だって、そこに出てきた語句の説明はほとんどせず、意見を交し合えるくらいに内容が理解できているかを確かめるだけでした。でも、学生たちは、記事の言わんとしているところはちゃんと把握していました。また、私が語句の意味を聞くと素早くわかりやすい言葉で言い換えて答えていたことにも感心していました。これまた、日頃の訓練の賜物です。

それから、テキストを読ませた時にアクセントを間違えてもすぐに自分で気付いて言い直していたことがすごいという声も。毎日、重箱の隅をほじくり出すように注意してきましたからね、その成果が現れたってところでしょうか。学生たちも、日本人と同じようにしゃべれるようになりたいと思っていますから、こちらの注意を素直に受け止めてくれます。それが積もり積もってこういう評価になったのです。

授業の最後に、話し合った内容をグループごとに発表しました。どのグループも、私が決めた制限時間の1分前後でまとめていました。これもまた驚きの対象だったようです。同時に、クラスの学生+実習生の20名からの聴衆に対して物怖じせずに発表していたことにも感心していました。毎週、プレゼンテーションをしている成果が実っているのでしょう。

学生たちにとって、実習生という“お客さん”を迎えての授業は刺激的だったと思います。張り切っている姿がうかがえました。そして、私のようなしょっちゅう顔を合わせている人間ではなく、実習生の皆さんのこういう感想を聞いたら、自分の日本語により一層自信が出てくるんじゃないでしょうか。