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期待と夢と

10月12日(水)

新学期の初日は、教科書販売があります。私が担当した超級クラスでも、高いとか何とか言いながら、結局全員買いました。そして、ふだんより少々神妙な顔つきで、名前を書き込んでいました。新しい教科書を手にすると、未知の世界に飛び込むわくわく感が沸いてくるのでしょう。

私も小学校から大学まで、新しい教科書のインクの匂いをかぐと、気持ちが高揚したものです。時にはその教科書は苦難の道への案内書だったりもしたのですが、初めて教科書を開くときは、その教科書をマスターすれば万能の力を手に入れられるような、今思うと実に前向きな勘違いをしていました。

学生たちも新しい教科書にそんな期待をかけているのでしょう。学生は教科書に夢を映して一生懸命勉強すればいいのですが、教師としては、その教科書を使って、学生たちが寄せた期待や描いた夢を実現させていかなければなりません。教科書の字面を2倍にも3倍にも膨らませて、学生たちが想像も及ばなかった景色を眺めさせることが、私たち教師に課せられた責務です。

ところが、前学期の成績が思わしくなく、今学期も同じ教科書で勉強しなければならない学生もいます。その中には、やる気を失ってしまう学生も少なくありません。一度勉強して書き込みのある教科書には、確かに新鮮味はありません。でも、その教科書に見えていなかったところがたくさんあるから、合格点が取れなかったのです。「また同じ勉強だ」ではなく、一回目には見落としたり聞き落としたりしていた点をしっかり自分のものにするんだという気持ちで教科書に接すれば、きっと新たな発見があり、それが高揚感をもたらしてくれます。

幸い、私のクラスは、全員新しい教科書でした。早速、その教科書を使って授業をしました。今までにない刺激を感じたのか、活発な授業になりました。この勢いを期末テストの日まで持続していきたいです。

ニュースの聴解

9月23日(金)

選択授業の聴解の期末テストがありました。私が担当しているのはニュースの聴解です。授業の前半は今までの授業で取り上げた教材から作った問題でテストをしました。こちらは日本語学習者のために作られている教材ですから、言ってみれば、それなりに手加減されています。学生たちにとっては、聞いたことがある内容で、しかも問題も難しくしていませんから、悪い点を取ってもらっては困ります。

テストが終わったら、そういう教材を使って身に付けてきたニュースの聞き方を、本物のニュースで試してもらいました。NHKのニュースを、テレビの画面を消して聞いて、どのくらい内容がつかめるか、学生に実体験してもらいました。

まず、Y社の顧客情報がハッキングされたニュース。聞き覚えのある単語が多く、その単語を元に想像しやすい内容だったこともあり、思ったより聞き取れていました。画面を見せて聞かせると、画面に出てきた文字も読めますから、「ああ、やっぱりね」という顔をしていた学生が多かったです。

次はぐっと難度が上がって、EUの元高級官僚が租税回避地に設立された会社の役員になっていたというニュース。こちらは大苦戦で、お手上げという顔の学生も。背景を説明すると、そういう方面の勉強をしていたり関心を持っていたりする学生が、ようやく線がつながったという顔をしました。

その次は、オリンピックでも活躍したF選手の婚約のニュース。これは内容を知っている学生も多く、自分が知っている事柄を日本語のニュースではどう表現されるか確かめている感じもありました。画面を見せたら、ニュースの内容とは関係のない方面に興味を示す学生も。

さらに、K鉄道の車掌が、人身事故で運転見合わせ中に、突然駅の高架から飛び降りたニュース。大阪で起きた事件で、学生たちは内容を全然知りませんでしたが、音声だけで事件の概略はつかめたようです。画面を見せて補足説明すると、事件の異様さに驚いたようです。

実際に本物のニュースを聞いてみて、今までの訓練で、半分か3分の2ぐらいかは把握できるという自信を持ってもらえたでしょうか。これをきっかけに、進んでニュースを見聞きして、日本語で日本や世界を理解するようになってほしいところです。

実感

9月21日(水)

今学期、毎週水曜日は選択授業の「大学入試対策」を担当しました。いろいろな大学の独自試験の過去問を解かせて、その解説をするという内容です。来週は選択授業の期末テストですから、今日が実質的な最終回です。某上位校の過去問を取り上げましたが、こちらが設定した制限時間内に余裕で終わっている学生がほとんどでした。7月の初回は、これより易しい問題でも制限時間内では終わらなかったのですから、着実に力をつけてきたと言えるでしょう。

でも、中級や上級の学生たちが自分自身で「力が付いた」と実感するのは難しいです。初級なら、昨日までできなかったことが今日はできるようになったという経験がいくらでもできます。ところが中級以上になると、長い目で見ないと実力が伸びたことがわからないものです。そうなると、倦怠期みたいな感じになって、やる気を失う学生もよく現れます。そして、自分の目標も見失ってしまうこともしばしばです。

EJUの点数が上がったとか、JLPTで1つ上のレベルに受かったとか、数字のように目で見える形で成果が現れると勉強した甲斐があったと思えるでしょう。しかし、どちらのテストも半年に1回ですから、そこ至るまでにどうにかして実力の伸びを実感させたいものです。ですから、教師はあれこれ手を使って、学生にその実感を持たせようとします。

今日の私も、初回に比べたら問題を解くスピードが上がった分だけ実力がついたと思うと、すぐにフィードバックしました。すると、学生たちの顔がさっと輝きました。でも、同時に、「これで正解数が多ければね」と釘を刺すのも忘れませんでした。

意外なリーダー

9月9日(金)

私のクラスは、期末タスクでグループ活動をしています。

AグループのリーダーはWさん。グループのメンバーが発表されて顔合わせをしたときから、自ら進んでメンバーをまとめていこうという行動を始めました。グループにはWさんより上手にしゃべれる学生もいますが、メンバー全員がWさんをリーダーと認めて、Wさんの指揮の下に活動しています。こういう形は、教師側では予測していました。何も言わなくてもWさんがグループをまとめてくれるだろうと期待し、その通りになりました。

Bグループは、今学期の新入生のSさんがリーダーです。これはちょっと意外でした。しゃべれて成績もいいXさんかLさんあたりがリーダーになるんじゃないかと思っていたのですが、これまた初日にメンバーが集まるや、Sさんが話し合いの司会を始めたのです。前からKCPにいた学生は、KCPのこういうグループで大きな何かを作り上げる活動になれていますが、それが初めての新入生には荷が重いんじゃないかなと思っていました。でもSさんは根気強くメンバーの意見を聞き、それをまとめ、みんなが納得できる提案をし、活動の方向性を定めました。

SさんがKCPに入学するまでどんなことをしてきたか私は知りませんが、このグループを統率する力は大したものだと感心しました。グループのメンバーも、最初はSさんのリーダーシップに対して懐疑的なまなざしでしたが、今は全幅の信頼を寄せていることが、顔にも発言にもちょっとしたしぐさにも表れています。

来週のグループ活動発表まで、WさんもSさんもきっと力強くグループを引っ張ってくれることでしょう。この活動がうまくいったら、2人は自分の日本語力に大きな自信を持つようになるんじゃないかと思います。だって、外国語をつかって大きな仕事をまとめ上げたんですよ。来週もガンガン活躍してもらいたいです。

やる気

8月9日(火)

Hさんは先学期から受験講座理科に登録していますが、先学期は勉強する気が湧かなかったとかで、欠席が目立ちました。来日したばかりで、中級に入ったとはいえ、何かとわからないことが多すぎたのでしょう。しかし、今学期は意欲的に出席しています。表情にも余裕が感じられます。何より、私に質問するようになったし、その質問もまるでわかっていないからしているのではなく、理解を深めるためになされています。この勢いが続けば、11月のEJUは期待できるかもしれません。

Tさんも先学期の受験講座は気が向いたら出る程度のものでしたが、今学期は非常に前向きです。何が何でも理解してやろうという意志が感じられます。Tさんの場合、日本語力が付いて受験講座の日本語がわかるようになり、授業がおもしろくなったのではないかと思います。漫然と板書を写すのではなく、自分なりに要点を強調しながらノートを取っているように見受けられます。また、Tさんは6月の結果が思わしくなかったので、尻に火が付いたという面もあります。

HさんとTさんは、いい時期に取り組みが積極的になったと思います。受験講座は先月から始まっていますが、その最初からきちんとやり直しているので、11月にはぎりぎり間に合うでしょう。これ以上遅れたら、やる気が空回りで力が付かないうちに受験ということにもなりかねません。でも、これは、途中でたるむことなく一気に突っ走らないといけないという意味でもあります。

指定校推薦の希望者受付が始まり、学生たちも受験シーズンが近づいてきたことを肌で感じています。残暑厳しき折、どこまで力を伸ばせるかが勝負です。

たちますか

8月8日(月)

「先生、ここ、たちますか」。初級クラスの漢字の授業で、ホワイトボードに書き方を示し、それを練習させ、学生の手元を一人ひとり見て回っていたときのことです。一瞬、何を聞かれたのかわかりませんでした。その学生の指差すところを見ると、「配」の4~6画目の終筆と外側の2本の縦棒とが接するかどうかを聞いているのだと理解できました。確かに、私の字が雑で、接しているかどうか微妙でした。それがわかりましたから、ホワイトボードの字の該当箇所に丸をつけて、この部分は接する旨をクラス全体に伝えました。

それでは、なぜ、「たちますか」などという聞き方をしたのでしょう。その学生は「タッチしますか」という意味でそう発したのです。カタカナ語に不慣れなため、「タッチします」が既習の「立ちます」とごっちゃになってしまったのでしょう。「タッチしますか」は、今まで何回も質問の言葉として聞かされてきました。そのたびに、「はい、くっついていますよ」とか「いいえ、そこはくっつきません」とか、私はかたくなに「タッチ」ということばは使わず、「くっつく」を使ってきました。日本語において、漢字の画と画が接するという意味で、「くっつく」は使っても「タッチ」は使わないと思います。

ただし、この学校は外国人が相手ですから、学生が「タッチ」のほうがわかりやすいとあれば、「タッチ」を使うのもやむをえないと思います。こういう言葉は一種の記号ですから、わかりやすさが第一です。そうは言っても、私は絶対に使いたくないし、「くっつく」のほうが漢字以外にも使い前があると思っています。

しかし、「たちますか」と聞かれると、「タッチ」をこのまま放置しておいていいのかという気になってきます。漢字の習い始めの頃から、「くっつく」「くっつかない」という言葉を入れて、それを使って質問させるべきではないかと思えてきました。まあ、そもそも、私がきちんと丁寧に板書すれば、こんな質もなんか出てこないんでしょうけどね。

鍛錬の夏

8月5日(金)

Aさんはクラスで一番質問が多い学生です。授業中、わからないことがあると、すぐ「すみません、〇〇はどういうことですか」「××について、もう少し詳しく説明していただけませんか」などときいてきます。中には非常に基本的な質問もありますが、私はそういうAさんの質問を決しておろそかにしようとは思いません。

教室の中では携帯電話は使用禁止です。ですから、わからないことがあってもググることはできません。わからないことをそのままにしておきたくなかったら、教師に聞くのが一番安全確実なのです。隣の学生に聞くこともできますが、その間に授業は遠慮なく進みます。わからないことが1つ解決しても、また新たにわからないことが2つぐらいできてしまいます。教師に尋ねれば、そこで授業が止まりますから、わからないことが増える心配はありません。

Aさんは、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という精神を自然に身に付けています。こんなことを聞いたらかっこ悪いと思って、教師の目を盗んでググろうとしたり母語で周りの学生に聞いたりそのまま打ち捨てようとしたりする学生も少なくないでしょう。それゆえ、Aさんの質問に答えることは、そういう多くの気の小さい学生の疑問を解消することにも直結するのです。このクラスの学生はAさんに大いに助けられており、Aさんはこのクラスのペースメーカーになっていると言ってもいいのです。

Aさんのクラスでは、他のクラスとは違った緊張感を覚えます。Aさんからどんな質問が出てもそれに対応できるようにって思います。Aさんが質問しなくても理解できるような授業の進め方を考えます。そうやって臨んでもAさんに質問されると、計画の抜け落ちを感じさせられるし、Aさんの質問に端的に答えられないと、伝えることの難しさを感じずにはいられません。

今学期は、Aさんに鍛えられているような気がします。

義務感

7月22日(金)

選択授業で、中級のドラマの聴解をしました。「ドラマの聴解」という選択科目名を見て、ドラマが「見られる」と思った学生が多かったようですが、この授業では映像は見せません。音声だけのソースのストーリーを追い、内容を把握し、さらにはそこに散りばめられている日本人の発想や習癖や生活など、もう一歩踏み込んで文化的背景までつかみ取ってもらおうという欲張りな授業です。

日本人なら鼻歌交じりで聞いていても十分理解できますが、中級の学生にとっては、1回聞いただけでは表面的な理解にとどまります。登場人物の名前を聞き取るのも一苦労だし、擬音語擬態語はとりあえずなかったことにして、聞き取れた単語をつなぎ合わせて一番太い幹をよじ登っていくので精一杯です。変な単語が耳についてしまったら、いつの間にか小枝の先にぶら下がっていたなんていうこともありえます。

教師は、幹のありかやそれがどちらに向かっているかをしっかり指示することはもちろん、枝についた葉や花や実にも目を向けさせていかなければなりません。JLPTの聴解問題などを解くだけでは得られるのとは違った種類の力をつけさせていくことが最大の仕事です。学生にとって、わざわざ日本へ来て、日本人の教師から教えを受ける意義は、こういうところにこそあるはずです。

学生が独習できることを教師が仰々しく取り上げても、学生はあまりありがたくないでしょう。多くの学生は、日本人の日本語教師に日本語を習うことに意義があると考えてこの学校に入ってきたのでしょうから、私たちはそれに応える義務があります。安くない授業料を受けとている側としての、サービスの提供義務です。私は、いつもそういうことを考えながら、授業を組み立てています。

低度

7月21日(木)

私のクラスのTさんは、今学期、初級の同じレベルをもう一度勉強することになった学生です。全然できないわけではなく、Tさんの最大の問題は、よく休むことです。よく休むから受けなかったテストもあり、それが足を引っ張って進級できる成績が取れなかったのです。

Tさんも、新入生だった先学期、自分では思ってもみなかった低いレベルに入れられ、勉強がつまらなくなってしまいました。授業中に新しい発見ができなかったのです。じゃあレベル判定が間違っていたのかというと、決してそんなことはありません。Tさんの話し方を聞いていると、今のレベルで勉強する内容の抜け落ちが随所にあります。つまり、授業中に新しい発見はいくらでもできたのに、自分の手で自分の耳目をふさいでしまったため、全く進歩ができなかったのです。

残念ながら、今学期のTさんもその点は変わっていないようです。自分はできると根拠もなく信じているので、正確さが欠けたままです。指摘してもケアレスミスだからと軽く流されてしまいます。でも、Tさんの実力はそのケアができない「低度」なのです。日本語教師なら理解できますが、Tさんの志望校の面接官は、Tさんの日本語でTさんの熱き思いを感じ取ることはできないでしょう。

そして、今日も14分の遅刻。授業中もみんなが口を開いて練習しているのに、やる気のなさそうな視線を下に向けているだけ。この調子が続けば、来学期も同じレベルかもしれません。

Tさんもやっぱり一度痛い目に遭わないと、自分の実力を正面から見つめることはしないのでしょう。

根くらべ

7月19日(火)

今週から受験講座が始まりました。今までは毎学期学生に時間割や教室を通知するのに苦労していたのですが、今学期は新システムの時間割通知メール機能のおかげで、大きなトラブルもなく通知が済みました。先学期も同じ機能を使ったのですが、使う側もメールを受け取る学生の側も準備が不十分で、その機能を遺憾なく発揮するところには至りませんでした。

1学期間新システムを使ってみて、学生側に、学校からの連絡は学校からもらったメールアドレスに届くんだという意識が定着しました。そのメールを見ないと不利な扱いを受けることもある、見ると有用な情報が得られるから毎日必ずチェックしようという方向に動きました。それゆえ、今回もしかるべき時刻にしかるべき教室にしかるべき学生が集まりました。

しかし、スタートがよくても竜頭蛇尾ではいけません。最後まで続けさせることが大切です。そのためには、受講する学生の力に合わせた授業をすることも大切ですが、それだけでは学生の力は伸びません。難しいことを承知で、背伸びもさせなければいけません。

また、時には、引導を渡すこともしなければなりません。好きこそ物の上手なれと言いますが、受験に関しては好きなだけでは済みません。もう大人なのですから、単なる憧れで将来像を描くことは許されません。自分の能力と冷静に向き合って将来を決めることが求められます。受験講座の教師は、こういう役目も負うことがあるのです。

さて、今学期の学生はどこまでついてきてくれるでしょうか。彼らとも力くらべ、根くらべが始まります。