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会話テスト

6月16日(金)

今週ずっと、「金曜日に休んだら今学期の会話の成績はFですよ」と言い続けてきた甲斐があって、私のクラスの会話テストは全員出席でした。学生をペアにして、各ペアに課題を配り、その課題に沿って会話を作ってもらうというテストです。もちろん、今学期習った文法や語彙を使います。

ペアAは、2人とも少し緊張気味。ストーリーに飛躍があり、また焦って早口になり、それでも制限時間オーバーであえなく沈没。努力が空回りのようでした。

ペアBは実に滑らかな日本語でした。聞いていた学生たちから、ウォーッと、会話のはずみように感心した地鳴りのような驚きの声があがりました。しかし、教師の耳は文法のミスを次々とキャッチし、評価的には1番にはなりませんでした。この2人は、気合と勢いで話しますから、予想通りといえばまさにそうです。

ペアCは意外性を狙いました。何かの間違いだと思って聞いていたのが間違いではないとわかってから、学生たちは安心して笑っていました。こちらの予想を上回る会話を作ってくれました。

どのペアも今学期勉強した項目を織り込んで会話を作ってきました。そういう意味では合格点ですが、でもそれは会話テストというしゃっちょこばった条件の下でよく考えてその場に臨んだからこそできたのです。肩肘張らない雰囲気だと、まだまだ易しい言葉や文法の方に流れて、初級っぽい口の利き方になってしまうだろうと思います。今学期勉強した日本語が自然に口をついて出てくるのは、数か月先のことでしょう。

会話テストを終えた学生たちは、あさってのEJUと来週木曜日の期末テストに向けて進んでいきます。

延長戦か打ち切りか

5月30日(火)

毎学期、中間テストの後にクラスの学生との面接を行っていますが、いつもながらいろいろな声が出てきます。

Jさんは、先生にはあまり授業を延長してほしくないと言ってきました。一生懸命教えてくださるのはありがたいけれども、チャイムがなったら学生たちの心は教室の外に出て行ってしまっているので、それほど効果的ではないという、教師としては耳が痛い言葉もいただきました。

私はチャイムが鳴るのと同時に授業を終わりにする主義ですから、教室の時計を学生に気付かれないようにチラ見しながら、こちらのセリフの長さを調整したり学生の発言・発話をコントロールしたりします。10時半と3時の休み時間は、学生たちは2階の自動販売機に並ぶのに命を懸けています。また、終業後は、私自身予定が詰まっていることがよくありますから、必然的にぴったりに終わらせなければなりません。

そうでなくても、予定の授業内容が予定の授業時間内に終わらなかったら、教師の負けだと思っています。すべての学生がこちらの想定どおりに動き、理想的な授業展開になることなどめったにあるものではありませんが、そういう流動的な要素も織り込んだ上で授業時間内にピシッと終わらせてこそ、プロだと思うのです。質問が百出して授業が進まなかったというのは、こちらの教え方に抜けがあったのかもしれません。授業が盛り上がることは大切ですが、前に進めなくなっては盛り上がりすぎであり、教師の指導力不足を指摘されてもやむを得ません。

もちろん、私も予定ほど進めなかったことは数限りなくあります。ですが、テスト範囲が終わっていない場合でもない限り、授業時間を延長してまで取り返そうとは思いません。負けを認めて、次の授業では同じ失敗を繰り返さないようにします。

学生にとっても教師にとっても、時は金なりです。

与太話

5月24日(水)

N先生が急病のため、超級のクラスの代講に入りました。今学期はこれまで代講も含めて初級ばかりで、先学期末以来約2か月ぶりの超級クラスでした。

私はその場のひらめき(思いつき?)で授業を進めることがままあります。たとえば文法を教える例文で、予定していたのより面白そうなのが突然思い浮かんだら、それを使ってしまうこともあります。ある単語に関連した語彙に急に思い当たったら、それも紹介してしまうこともあります。また、ついでに触れておきたい日本社会の一面なんかも、授業の最中によく出現します。

しかし、初級ではそれをそのまま学生に披露したら混乱を招きかねません。ですから、ひらめきの大半は涙ながらに葬り去ることになります。それでも何のためにもならない無駄話を1日に何回かはしています。

それに対し、超級ではひらめきをそのまま利用しても、どうにかなってしまうことが多いです。ですから、授業があらぬ方向に進み、話の中の要点を聞き逃さずにつかみ取る訓練と化していることもあります。こちらは好き勝手なことをしゃべってボケ倒すだけですから気楽なものですが、それを聞かされている学生は、つられて笑っているだけでは済まされませんから、苦労が多いことでしょう。今日も、大坂城を造ったのは豊臣秀吉とされるが、秀吉の大坂城は徳川家によってつぶされて、今の大阪城は徳川が諸大名に造らせた城を元にしている…という、どうでもいいにも程がある話題に進んでしまいました。

初級の既習文法で上記のような話をするのは無理ですから、こういう話をしたくなっても自動停止装置が働き、おとなしく教科書に戻ります。でも、可能な限りそのラインを追求し、習った文法や語彙でこんなことまでできるんだ、こんな難しい話もわかるんだという自信を植え付けようと思っています。

のどがかわきました

5月22日(月)

一番下のレベルの代講をしました。自分が担当しているレベルとは違うレベルを教えるときには、代講で自分が教えるべき項目をしっかり頭に入れておくことはもちろん最重要ですが、これまでに何を勉強しているかの確認も怠ってはいけません。初級では未習の単語や文法は使ってはいけませんから、自分の言語中枢をそのレベルに調節しておくことが欠かせません。

今学期は初級クラスを担当していますが、そのクラスはもうすぐ中級というレベルですから、一番下のレベルとは日本語力がかなり違います。いつもの調子でしゃべったら、“???”となってしまいます。ですから、頭のねじを思いっきり戻して、「のどがかわきました」なんていうのを、説明というよりは実演するわけです。

「激しい運動をした後などで、水分が非常にほしくなった状態」とかって言っても、そもそも「激しい」がわかりませんから、無意味です。せいぜい、「たくさんスポーツをしましたから、とてもとてもとても水がほしいです」ぐらいまででしょうね、言葉で説明するとしたら。今学期の私の担当クラスなら、スポーツの最中も熱中症予防にために水を飲めとかって付け加えられるでしょう。上級なら、「のどがかわく」の「かわく」は漢字でどう書くかなんて小ネタも織り交ぜるでしょう。

上級なら、「教師の言葉がわからないのは、お前の勉強不足のせいだ」と言い切ってしまうこともできますが、初級では、教師の言葉がわからないのは教師の力不足にほかなりません。ここでの力不足とは、語彙コントロールの未熟さでもあり、理解させる手段を考え出す発想力不足でもあり、学習者の側に立つ思いやりの欠如でもあります。こういう方面にも頭や心を使わなければなりませんから、初級の授業は気疲れがするのです。

私は、初級の授業は頭の体操になるので好きです。確かに疲れますが、授業中は楽しいものです。

東京一極集中

5月20日(土)

「東京の人口は増えていますか」「はい、最近のデータによると増えているそうです」――というやり取りをする練習が教科書にありました。この練習をした後、私が「今、日本の人口は増えていますか」と聞くと、学生たちは「いいえ、最近のデータによると減っているそうです」と模範的な答えをしてくれました。

そこで、「本当に、今、日本の人口は減っているのに、東京の人口は増えています。じゃあ、人も東京に集まる、お金も東京に集まる、何でも東京に集まることを何というか知っていますか」と聞いてみると、「……」。学生を黙らせるのはいい授業ではありませんが、私はここで“東京一極集中”という言葉を覚えてもらいたかったのです。このクラスは受験生が多いですから、これくらいは知っておいたって損はありません。また、教科書だけでいっぱいいっぱいの学生たちばかりじゃありませんから、余計なことも入れてみました。

こんなふうに、私の授業は教科書を離れてふらふらすることがよくあります。一番下のレベルの授業でも、クラスの様子を見ながら、それまでに勉強した日本語で理解できる“日本の社会”を入れます。この学校に入る前は、ビジネスパーソンが相手だったこともあり、“毎朝6時に起きます”程度の日本語力でも学習者は日本について知りたがりました。そして、それに答える授業をすると、とても喜ばれました。

ですから、私は教科書を読んだだけではわからない、インターネットでもなかなか調べがつかない、学校で勉強しているからこそ手に入れられる何かを付け加えたいのです。これが、私の授業の色だと思っています。

謎解き

5月17日(水)

他の専任の先生方は明日の中間テストの問題作りや印刷などに忙しい中、私は、今学期はどこかのレベルの責任者ではないため、そういったことはしません。時間が少しあったので、上級の教材作りをしました。10月期か1月期にはきっと必要になるでしょうから、今のうちから少しずつ作りだめをしておこうというわけです。ちょっとした謎解きの文章で、これをお読みの皆さんにも是非挑戦していただきたいところですが、この教材を使うことになりそうな学生の中にもこれを読んでいる人がいますから、ここでそれを紹介することは控えておきます。なぞを解いて頭の体操をしたいという方は、個人的に私のところへお越しください。学生の皆さんは、あと半年ほどお待ちください。

KCPの超級は、市販の留学生向け教材では手応えがなさ過ぎて学生の力が伸ばせませんから、新聞記事やエッセイや小説などの生教材や、教師がない知恵を振り絞って生み出した文章や、日本人の高校生向けの問題なんかまでも総動員して、教材を作り上げていきます。時には思い入れが強すぎて教師の意欲が空回りすることもありますが、こうして鍛えられた学生は進学先で十分に日本人学生に伍していけるだけの日本語力を身に付けて卒業していくのです。

読書は私の趣味であり娯楽でありますが、頭のどこかでは「教材」ということを考えています。新聞も情報を得るためだけではなく、半年後に振り返っても学生の心をつかめそうかという目でも読んでいます。息苦しそうに聞こえるかもしれませんが、日々是教材探しという生活も、結構楽しいものです。

聞けた

5月12日(金)

連休明けから準備を進めてきた、日本人ゲストを迎えての会話授業がありました。私の入っているクラスは初級の最後のレベルですから、初級の総まとめ、総仕上げの意味も込めて、日本人ゲストとの会話の授業を企画しています。また、「会話」ですから、学生は一方的にしゃべり倒すのでもなく、ひたすらゲストの話に耳を傾けるのでもなく、双方向的に話を盛り上げて行くことが求められます。

まだ初級ですから、いきなり会話をしろと言われてもできるものではありません。ですから、採集の準備の時間になると、グループごとに会話の予行演習が自然発生的に始まりました。こうなると、私の言うことなど上の空です。放置するほかありません。

そして、ゲストがいらっしゃると、ちょっと緊張しつつも元気に挨拶し、各グループで会話が始まりました。私は各学生がちゃんと会話に参加しているか、会話があらぬ方向に進んでいないか、ゲストに対して失礼な態度を取っている学生がいないかなどを見回りました。会話は、どのグループも途切れることなく進んでいました。

終了予定時刻になり、私が会話を中断すると、学生たちは名残惜しそうにゲストに「ありがとうございました」とお礼を述べ、ゲストの方々は次の教室へ向かわれました。教室の外に出たところでゲストの方に軽く感想をお聞きすると、話し相手をしただけでも思ったよりハードだったとおっしゃっていました。それだけ学生たちがたくさん話したというふうに、ポジティブに受け取ることにしました。

私は、学生たちがきちんと話を聞いていたことに感心しました。ゲストの話だけでなく、同じグループの学生が話しているときも、相槌を打ちながら反応を示していました。初級だと、誰かが話している間は、それを聞くのではなく、えてして次に自分が話すセリフを必死に考えているということになりがちなのですが、今回はそんな様子は見られませんでした。この点は学生たちに伝え、褒めておきました。

学生たちも、ふだんの10倍ぐらい日本語をしゃべったので疲れたようでしたが、それだけ長い時間話し続けられた、実のある会話ができたということが、大きな自信になったようでもありました。ここで得た自信で、来週の中間テストでも好成績を挙げてほしいと思いました。

倍増期

4月20日(木)

昨日採点した学生たちより2学期分上のレベルの学生たちが書いた作文を採点しました。さすがですね。読みやすさが全然違います。そりゃあ、助詞や漢字や文法の間違いはありますよ。でも文の構造が崩れていないってところが立派なところです。主語と述語がかみ合わないねじれ文が少ないのです。

2つのレベルの学生たちに頭脳的な差があるとは思えません。要するに、頭で考えたことを日本語の文章にする力の差だと思います。語彙力の差もあるでしょうが、長い文になったときに文全体が見渡せるかどうかによるところが大きいように思えます。初級の段階では単語レベルを見張るのがやっとなのに対して、もうすぐ上級という学生たちは複文になっても前後の関係が見えてくるようになっているのだと思います。

午後は、今学期から理科の勉強を始めた学生たちの受験講座をしました。初回ですからオリエンテーションが中心でした。入試の口頭試問の例として、半減期を説明しろと学生に聞いてみました。すると、目や手は動くのですが、口はさっぱり動きません。国の言葉でなら説明できますが、それを日本語で表現できず、もどかしい思いをしているのが手に取るように思いました。私が学生たちの知っている範囲の文法や語彙で説明すると、ノートにメモする学生もいました。

上級の学生なら、半減期程度のことは自分の手持ちの言葉で強引にでも説明しきってしまうでしょう。3月に卒業していった面々を思い浮かべても、そんな気がします。今、口をもごもごするしかない学生たちが、そこまであつかましくたくましく育っていくのでしょうか。彼らの日本語力の倍増期はいつでしょう。

消去法

4月17日(月)

午前の授業が終わってカウンターがわいわいがやがやしている中に今学期から受験講座を始めるHさんがいて、受講を申し込んだ数学の受講をやめたいと言います。Hさんは受験講座が必須の学生ではありませんから、必要がなければやめても一向に構いません。文系志望ですから、数学よりも総合科目です。苦手な数学をどうにかしようと力を注いだ代わりに総合科目で思うように点が伸びなかったら、志望校に手が届かなくなってしまいます。いわゆる“いい学校”には、150点ぐらいは必要ですからね。

Hさんは国でも数学は苦手だったと言います。受験講座に申し込んだときには勢い込んで数学も受けると言ってしまいましたが、落ち着いて考えてみると、あのわけのわからない数学を自分にとって外国語である日本語で勉強することに身の毛もよだつような恐怖を感じたのでしょう。

その時カウンターにいたPさんとMさんも、自分たちも数学はどうしようもなかったと盛んに語り始めました。化学や物理はもっととんでもなかったとも。「人生、消去法で行き先が決まるもんですね」という結論になりました。

思い返せば、私も歴史の研究をしたかったのですが、古文漢文がからっきしでしたから理科系に進んだという、やはり消去法の選択をしました。歴史小説を読んだり史跡を歩いたり博物館を見学したりして、歴史に対する自分の興味を満たしています。

その一方で、新入生のYさんは、文系志望ですが物理も化学も生物も受けたいと言います。授業時間が重なっていませんから認めましたけど、果たしていつまで続くでしょうか。受験講座は、EJUや各大学の独自試験にターゲットをあわせていますから、受験とは関係のない学生が聞いて面白い内容かというと、大いに疑問です。年度の後半に行う超級向け選択授業の「身近な化学」のレベルなら面白く感じるかもしれませんが…。

でも、幅広く枠を取って、その中で自分の可能性を見出そうというのなら、大いに歓迎です。Yさんはまだ若いですから吸収力も強いでしょうし、寄り道が許される時間的余裕もあります。是非、消去法ではない選択で、自分の進路を決めてもらいたいです。

桜吹雪の中で

4月14日(金)

朝、誰もいない職員室に入ると、机の上に置かれた袋の列が、まだ薄暗い空気の中に浮かび上がりました。どのレベルも御苑へ花見に行くことになっていて、そこで食べるお菓子が入っているのです。

こういう日は、えてして学生は気が緩みがちになるものですから、私は朝から気合を入れてガンガン授業を進めました。いつもの半分しか時間がないのですから、密度を高く、集中しなければなりません。学生も、振り落とされないように、歯を食いしばってついてきました。

御苑に向かって歩き始めると、スーツの上着が邪魔くさく感じられるほどの陽気でした。今学期の学生たちはわりとパキパキ歩いてくれて、列が崩れることなく御苑まで行けました。明日が首相主催の観桜会だからでしょうか、大木戸門の前で全入場者の荷物検査をしていました。私が持っていたのはお菓子の袋、学生のかばんの中に入っていたのはみんなの日本語という調子ですから、もちろん、無事通過。

苑内はソメイヨシノの桜吹雪と満開の八重桜が重なり、まさに春爛漫。仕事とはいえウィークデーに花見ができるのが、KCPに入ってよかったと思うことの1つです。学生たちは入場するやそんな桜を写真に撮っていました。中には趣味の本格的なカメラをわざわざ持ってきて、いろんなアングルからレンズをのぞいている学生もいました。教室での少し緊張した顔つきとは違って、日本の春ののどかな日を楽しんでいるように見受けられました。

今週は新学期が始まったばかりですから、まだテストもなく、受験講座も始まっていませんが、来週からはテストもあれば授業後に受験講座も待ち構えています。学期の終わりにはEJUやJLPTもあります。ここで勢いをつけて、志望校まで一気に駆け上がってほしいものです。