Category Archives: 授業

先生こそ例文作り

3月24日(土)

養成講座の初級文法の最終回は、例文の作り方を取り上げます。日本語教師を目指す人たちは、とかく文法を言葉で説明しようとします。しかし、特に初級クラスでは、言葉による説明はあまり効果がありません。だって初級ですよ。言葉がわからないから初級にいるのであり、その人たちに言葉で文法や単語の意味を説明しようったって、土台無理な話です。言葉によらずに説明するには、例文が最も有効なのです。

でも、漫然と作っていては、説明力のある例文は生まれません。寸鉄人を刺すような例文を作るにはどうしたらいいかということになるのです。はっきり言って、私の話を聞いたからといってすぐにそういう例文が作れるようにはなりません。文法や単語の意味の構成要素を抽出し、それを際立たせるような例文を考え出します。これができるようになるには、残念ながら訓練を積むしかありません。作り慣れてくれば、文法や単語の意味の特徴が見えてきて、それを組み合わせた例文も、「う~ん」とかうなっているうちに作れるようになります。

また、例文はドリルの基本材料にもなります。単に機械的に言葉を入れ換えていくだけでは、練習する側も流れ作業になってしまい、覚えてほしいことが定着しません。学生の印象に残るドリルのキューは、例文作りから得られるものです。私は授業で遅刻した学生や前日欠席した学生をよくいじります。そういう学生をネタに文法導入するのにも、例文作りの訓練が生きてきます。

受講生の皆さんはどう感じてくれたでしょう。これからも講義やら実習やらが続きますが、例文作りの練習も忘れないでもらいたいです。将来確実に役に立ちますから。

お久しぶり

3月23日(金)

代講で初級クラスに入りました。今学期の受け持ちクラスはみな上級でしたし、先学期も中級以上でしたから、半年ぶりです。不思議なもので、初級の教室に入ると、上級クラスの省エネモードとは違って、挨拶から大きな声が出るのです。文法の説明も、理屈をこねくり回す気はまったく起こらず、練習して体で覚えてもらいたくなってくるのです。学生が変な答えを出すと、あなたの言ったことはこういうことだよとアクションで示して、その不自然さに気づいてもらいます。それがすらっと出て来てしまうんですねえ、初級の教室だと。

単語の意味ならともかく、文法を言葉で説明してわかってもらうのは、初級では厳しいです。私はもっぱら印象付けることに徹します。そのためにアクションで示したり、その日の教室に即した例文を考え出したりします。もちろん、口頭練習がその最たるものです。代講に入ったらクラスの雰囲気を読んで、おとなしそうなクラスだったらこちらが引っ張って何とか盛り上げますし、ほうっておいてもしゃべるクラスだったらそのパワーを最大限利用します。

初級のクラスのいいところ、おもしろいとこと、やりがいのあるところは、手ごたえが感じられることです。上級だとクラスの作り方をちょっと間違えると、のれんに腕押しの毎日になってしまいますが、初級はこちらがその気で立ち向かえば必ず何かはね返ってくるものです。はね返ってくるときは、印象付けがうまくいったときです。毎日初級だとパワーを吸い取られて体がもたないでしょうが、たまになら授業が楽しめます。

さて、このクラスの学生たちも、今年の後半には私のテリトリーに上がってくるかもしれません。そのときの成長ぶりを見るのが楽しみです。

卒業式前日に初級の授業

3月8日(木)

卒業式を明日に控え、卒業生がほとんどを占める最上級クラスで、KCPでやり残したことは何かと聞いてみました。すると、一番多かったのがクラブ活動でした。このクラスは進学する学生ばかりで、勉強最優先できましたから、こういう答えが出てくるのも、ある意味当然です。大学に受かったらクラブ活動に参加しようと思っていたけれども、受かるのが遅れてつい最近になってしまったので、とうとうできなかったと言っていた学生もいました。

私は、このクラスの学生はクラブ活動には冷淡なのかなと思っていましたから、意外にも感じました。毎朝、クラスでその日の連絡をするとき、クラブ活動の連絡には全く反応を示さない学生たちでしたが、実は一生懸命耳をふさいで、楽しいことに引っ張られないようにしていたのかもしれません。

それから、初級の授業を受けたかったという声も多かったです。このクラスの学生は、多くが国で初級の勉強を済ませ、KCPには中級以上に入ってきました。ですから、KCPの初級の授業を知らないのです。厳しいけど楽しいという噂は聞いているけれども、どんなものなのか見当がつかず、興味津々のようでした。

そこで、コンピューターの中に入っている教材を使って、初級の授業の実演をしてあげました。超級ではめったにないコーラスなんかもしちゃいました。学生たちは、授業の進め方よりも、私のテンションがいつもとまるで違うのに驚いているようにも見えました。超級は省エネ授業もできますが、初級は常にハイテンションで行かないと、20人の学生たちからの熱気と圧力に負けてしまいます。

行き先が決まっていなかった学生がばたばたと国立大学に受かってくれました。明日は明るい気持ちで証書が渡せそうです。

スライドで視力検査

3月7日(水)

今学期の最上級レベルは、各学生に自分が興味を持っているテーマについてのプレゼンテーションをしてもらいました。各学生の発表を聞いてきましたが、感想を一言でまとめると、思いが先行しすぎているとなるでしょうか。

スライドの写真は、発表者のそのテーマへの情熱が感じられ、視覚への訴求力も強く、感心させられるものが多かったです。理解の助けになり、学生たちのセンスのよさも伝わってきました。

しかし、字が小さいんですよね。教室の後ろからじゃ読めないくらいでした。1枚のスライドに欲張って何でも入れ込もうとするのもありますが、どこかのサイトにあった文章をそのまま引っ張ってきたため、字数が多くなってしまったというパターンも見られました。インターネットで調べた内容を引用するのは構いませんが、そのままコピペというのは感心しません。進学先では絶対に注意されるでしょう。もしかすると、内容の要点を把握し、簡潔な表現でスライドにすることができなかったのかもしれません。そうだとすると、最上級クラスの学生としては、ちょっと情けないです。

私も先学期と今学期は、毎週、選択授業の身近な科学の発表資料作りに追われました。しかも、学生たちの発表は10分ですが、私は90分でしたから、スライドの枚数もかなりなものになりました。資料を読み込んで、周辺事項も含めて知識を堆積し、その中から珠玉の一言を選び出し、醸し出し、学生に伝わるような表現にしていきます。学生たちのスライドには、そこが足りなかったと思いました。

でも、これから進学先でビシバシ鍛えられていくことでしょう。来年の今頃には、私なんか足元にも及ばないくらいのプレゼンテーションができるようになっているんでしょうね。

線がつながるまで

3月5日(月)

認定試験が終わり、バス旅行にも行ってきて、卒業生は今週金曜日の卒業式を待つばかりです。だから授業は消化試合みたいなものにしてしまうかというと、そういうわけにはいきません。たとえ最上級クラスであっても、まだまだ勉強することがあるのだよと意識付けることが、私たち教師に課せられた使命です。

そういう発想のもとに、最上級クラスでは「耳で書く」というテキストを読解で扱っています。自分が書いた文章を目で追うだけではなく、声に出して読むと、文章の不自然な点や未熟な表現が浮かび上がってくるという、外山滋比古氏の考えです。この外山氏の文章を読んだのが去年の秋ぐらいで、そのときからこれを卒業学期に最上級クラスで取り上げようと思っていました。

私はここに書かれていることを実際にやっているし、やった結果効果があると思っています。ですから、KCP卒業後進学してから日本語の文章をたくさん書くことになる学生たちにも是非実践してもらいたいのです。このブログにも出来不出来がありますが、不出来の日は、書きっぱなしでそのまんま登録しています。我ながらよく書けたと思える日は、少なくとも心の中で朗読してから登録しています。

ところが、そういう気持ちがどうも学生に伝わっていないようで、読解を始めてもぽかんとしている学生が多かったです。本文中に出ている悪文の例も、文法的には正しいからこれで構わないと反論されてしまいました。そうじゃないんだ、リズムの問題なんだと強調しましたが、わかってくれたかなあ。

KCPで勉強したことがすぐにピンと来なくても、卒業してしばらく経ってからなるほどと思ってくれたら、それで十分です。

声に出して読む

2月27日(火)

今学期の火曜日の選択授業は、「声に出して読む日本語」という科目で、ニュースの原稿を読んだりエッセイを朗読したりしました。卒業生中心のクラスなので、今回が最終回で、期末テストをしました。学期の最初から読んできたエッセイの最後の部分を声に出して読んでもらいました。

採点するつもりできちんと聞いてみると、学生ごとの読み方の癖が浮かび上がってきました。それは同時に、留学生全体の日本語の発音やイントネーションの弱点でもあります。

一番多かったのが、清音を濁音に近い音で読むパターンです。例えば、「見て」が「見で」となってしまうのです。濁音というくらいですから、きれいには聞こえません。文全体のイントネーションがよくても、気持ちを込めてセリフを読んでも、濁音がみんな帳消しにしてしまいます。

それと同じぐらい目立ったのが、促音の脱落です。「そんなことがあったっけ」みたいに、促音が続くとうまく発音しきれない学生がかなりいました。テストを早く終わらせようと急いで読むと、「そんなことがあたけ」と聞こえてきてしまいます。超級の学生でも、促音のリズムを正確に刻むのは難しいようです。

これらに対して、長音はみんなわりときちんと音を伸ばしていました。毎回かなりしつこくしてきた甲斐が、いくらかはあったようです。もう1学期続けて授業ができるなら、促音の不正確な発音をしつこく指摘し、早口でも促音を落とすことなく読めるようにできたかもしれません。

でも、このクラスの学生たちはもうすぐ卒業です。ここから先は、進学先で日本語を使いながら鍛えてもらうことに期待をかけましょう。

勉強好き

2月26日(月)

受験講座から戻ってくると、YさんがT先生に叱られていました。どうやら、授業中にEJUの勉強をしていたようです。現在初級のYさんが6月のEJUで高得点を挙げるとなると、やはり相当な勉強が必要となります。塾にも通っているYさんは、きっと授業中に塾の教科書を開いていたのを先生に見咎められたのでしょう。

そういうふうに焦りたくなる気持ちはわかりますが、焦ってもいいことは1つもありません。まず、日本語の勉強がおろそかになります。今、Yさんたちのクラスが勉強していることは、初級と中級をつなぐ文法で、これがいい加減だと中級以上の文法だけにとどまらず、作文も書けないし、長文の読み取りもできないし、聴解で話の流れもつかめないしということで、日本語力が伸びなくなります。

日本語以外のEJUの各科目も、問題を理解するには日本語力です。よしんばそこは受験のテクニックを駆使しまくって切り抜けたとしても、面接の受け答えで苦労します。そこもある程度はテクニックでカバーできますが、進学してからはごまかしが利きません。大学に入るのが留学の目的ではなく、入ってから自分の人生に資する勉強をすることこそが目的のはずです。

そう考えると、たかだか3か月半ほどのスパンの勉強のために、日本で暮らしていく間はずっと必要になる日本語の基盤の勉強を怠ることが、いかに愚かなことか見えてくると思います。1日3時間ぐらい、必死に日本語を鍛えることすらできずに、どうして他の勉強の力が伸ばせましょう。日本語学校で日本語を勉強しないのなら、日本語学校に在籍する意味がありません。ビザのためだけに籍を置く学生は要りません。

日本語教師の文法

2月24日(土)

今学期は、土曜日は日本語教師養成講座の文法の講義をしています。3月までは初級文法のお話で、みんなの日本語初級版に出てくる文法を中心に解説しています。しかし、初級の範囲だけを抽出して教えていくというのは非効率的ですから、共通の土台に立つ中級上級の文法もいくらか触れていきます。

例えば、使役なら「先生は生徒を立たせました」みたいな典型的な用法はもちろん、「肉を腐らせてしまいました」みたいなちょっとひねった表現についても考えてもらいます。日本人はこの2つをわざわざ「使役」などと意識して使うことはありません。また、日本語学習者の母語ではこれらを同じ形で表現していないかもしれません。でも、日本語教師は2つの文では同じ文法項目が使われているけれども、その意味は違うことを明確に認識していなければなりません。

受身だと、「あべのハルカスが建てられました」と「あべのハルカスを建てられました」の違いなんていうことも取り上げます。この違いは、学習者に教えることはまずないでしょうが、受身の根本にかかわることですから、日本語教師を目指す方々には是非理解しておいてもらいたいです。授業を支える文法力を裏打ちする知識や発想もまた、日本語協視力の一端だと信じています。

一のことを教えるには十知っておかなければならないと、20年以上前の養成講座時代に教えられました。その後日本語教師を経験してきて、確かにその通りだと思いますから、私も自分の講座の受講生に対してその精神で向かっています。

すばらしい例文

1月31日(木)

文法の時間には、その日習った文法を使って例文を書かせるのですが、昨日のクラスは時間の都合で宿題にしました。いつもは説明や練習の直後に教室で時間に追われながら書くのに対し、昨日は家でじっくり時間を掛けて書いてきました。それが影響しているのかどうなのか、学生が書いてきた例文は、いつもよりよくできていました。中には、何かで調べたのをそのまま写したと思しきものもありましたが、概して文法の特徴を上手にとらえた例文が多かったです。学生たちを急かせ過ぎているのでしょうか。自分なりに咀嚼させたほうが、理解が深まるのかもしれません。

私は教室で学生に例文を書かせているとき、教室を歩き回って書き立てほやほやの例文を見て、だれにも共通する間違いを見つけてはそれをホワイトボードに書いて、クラス全体で考えさせます。その誤りはその日の文法項目に限りません。助詞や活用のような初級の範囲の間違いはわりとあっさり解決しますが(上級なのにこの程度のことで時間を食っていては困りますが…)、「てしまう」「ておく」などの補助動詞となると、すぐには答えにたどり着かない場合がほとんどです。補助動詞も初級で勉強するのですが、それだけ定着が悪いのです。

どんな語学でも間違えながら覚えていくものです。間違いの回数に比例して上達するといってもいいと思います。だから、いろんな間違いをどしどし指摘して、早く上達してもらいたいと思っています。でも、指摘を指摘として受け取ってくれなかったら、こちらの思いは空振りとなり、いつまでたっても同じ間違いを繰り返し、初級のミスから完全に脱却できません。自分の例文が板書され、クラスのみんなからたたかれ笑われたとなると、その間違いが当人に強く印象付けられ、1つの間違いで3回分ぐらいに相当する思い出深いものになるんじゃないかと期待しています。

1月5日(金)

初授業をしました。養成講座が、今年最初の授業でした。正月休みは、完全に打ち破られました。日本語学校の始業日は来週の金曜日ですから、他の先生方より1週間早い“教え初め”です。今年は誰を相手にどんな授業をどれくらいすることになるでしょうか。

夕方はDさんに数学を教えました。Dさんは技術系の専門学校への進学を考えていますが、数学が弱いことが現在のところの最大の問題点となっています。いや、数学というよりは計算問題が苦手なのです。勉強したい技術は明確ですが、その技術を教えてくれる専門学校に入るためには数学(算数?)のテストがあります。でも、今のDさんを見ていると、Dさんには数字に対する感覚が欠けているように思えてなりません。

昔気質の職人に弟子入りするなら数学のテストなど不要です。非常に厳しい修行が待ち受けているでしょうが、その技術を身に付けたい一心のDさんには耐えられるかもしれません。しかし、弟子入りではビザは出ません。それゆえ専門学校に進まざるをえないのですが、そこにはDさんにとっては鬼より怖い数学のテストという、関門があるのです。Dさんはそれを乗り越えるべく昨年末から果敢に挑戦を続けています。その成果が少しずつ現れつつあるとはいえ、数的感覚のなさは覆うべくもなく、心安らかならぬ日々がしばらく続きそうです。

職員室では新学期の準備が着々と進められています。養成の授業とDさんの数学以外の時間は、私が担当する超級クラスの教材作りに励みました。超級の学生たちには、市販の教材では歯ごたえがありません。“まだまだ勉強すべきことがあるんだぞ”ということを示すには、独自の教材を作り上げるしかないのです。

そうそう、受験講座の準備もしなければね。