Category Archives: 授業

初授業

3月2日(月)

朝から何となく落ち着きませんでした。オンライン授業というものを初めて担当することになったからです。若い先生方は、すでにそういう訓練をしてきたようで、金曜日から結構余裕でこなしているようでした。でも、こちらは頭で理解していただけで、実際に自分がその主役となって送信した経験はありませんでしたから、朝からトラブル続きでした。昨今のような事態を想定していなかったのは、危機管理がなっていなかった証拠だと言われれば、返す言葉もありません。

やってみて感じたことは、私は目の前の学生に頼って授業をしてきたのだなということです。たとえ反応の薄い学生たちであっても、目の前にいればいじることができますが、オンラインとなると独り相撲を取っているような気がしてなりません。学生たちがわかっているのかいないのか、どの程度興味を持っているのか、そんなことがつかみづらいなあと思いながら授業を進めました。

それと、脱線がしにくいですね。初級では、脱線してあらぬ方向に授業が進んでしまったら、学生たちのためになりません。しかし、上級では、学生の興味に合わせて予想外の展開になったとしても、それもまた勉強になるものです。というか、私なんかは、むしろ、それを楽しみにすらしていました。それができないとなると、授業が上滑りしているようで、不安さえ感じました。

でも、語学学校は生で顔を合わせて質問に答えたり一緒に声を出したりしなきゃね。キーボードを介して教師とやり取りしても、効果のほどは知れたもののような気がするのですが…。そう考えるのは、私の頭が古いからなのでしょう。次の授業日に向けて、教材を準備しなければ。

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見えない授業

2月28日(金)

おとといから、新型肺炎の全世界新規患者数のうち、中国が占める割合が5割を切ったそうです。武漢市と湖北省を犠牲にして中国全体を守ったようなものだと評しているジャーナリストもいます。日本はウィルス検査も満足にできない状況が続いており、漠然とした不安が上空に漂っています。

この漠然とした不安を取り除くのは、理詰めな説明や解説ではありません。頭では理解しても、心のもやもやが晴れることはないでしょう。安心感を与えるほかはないのですが、具体的にどうすればいいのかとなると、安倍さんもだれも、確たる答えを持ってはいません。

学生たちに安心感を醸し出せるかどうか自信はありませんが、KCPもオンライン授業を開始し、学生たちが満員電車に乗らなくてもいいようにしました。昨日の夜は、その準備で全教職員が大わらわでしたが、そのおかげか、初日は大きなトラブルがないまま切り抜けられました。

学生たちも期待していたのでしょうか、初級から超級までかなりの出席率でした。初日は珍しさも手伝ってという面もありますから、授業内容の真価が問われるのは来週からです。飽きられて昼間で寝ていられたり、形式的に接続しただけで実質的に何もしなかったりなどということが起きては困ります。

そういうことを起こさないように、頭をひねり、腕を振るうのが教師の役割です。月曜日は私がカメラの前に立ちます。目の前にいない大勢の学生に対して授業をすることには慣れていませんが、どうにか引っ張っていかなければなりません。教材を厳選し、教案を立て、いつもの数倍気合を入れて授業に臨みます。

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何を書いたのかな

2月26日(水)

今学期の超級クラスは読解が選択授業です。小説、論説文、エッセイと分かれて授業をしてきました。明日の卒業認定試験を前に、その読解の認定試験をしました。

私が試験監督をしたのは、エッセイのクラス。今学期は、「“その”が指すのは何ですか」みたいな授業ではなく、文章全体を大づかみにして、筆者独自の視点や主張を読み取るということをしてきました。テストも、当然そういう問題にしました。選択式ではなく、筆答式の問題ばかりにしました。学生たちにとってはきつい問題かもしれないと思いながらも、こういうことをやってきたのだから、その力がどれだけついたのかを測る問題にしようと、初志貫徹しました。

試験問題を配ると、学生たちは一瞬顔を引きつらせましたが、すぐに問題に取り掛かり、黙々と答えを書いていました。解答欄を広めに作ったつもりでしたが、解答欄に書ききれず余白に続きを書く学生が何名もいました。もちろん、ただ本文を引き写しただけでは長い解答でも意味はありません。本文を自分なりに咀嚼できているかどうかを、採点基準にしようと思っています。

時間前に提出したSさんやCさんの答えを見ると、ちょっと期待外れの面もあれば、よくやったとほめてやりたくなる答えもありました。それ以外の学生も、あきらめて端から机に突っ伏してしまうことはありませんでした。少なくとも、最後の問題まできちんと解いていました。

このテストでは、授業で配ったテキストは持ち込んでもいいことにしました。そこにどんなメモが書かれていたとしても、それはその学生が授業を真面目に聞いていた証であり、そのメモが多い学生が有利になるのなら、理にかなっています。Wさんのテキストは特に書き込みが多いようでしたから、うならされる答えが書かれているのではないかと期待しています。

テストが終わって解答用紙を集めると、かなりのボリュームを読まなければならないことがわかってきました。卒業認定がかかっていますから、悠長に構えているわけにもいきません。

明日は文法と文字語彙の試験です。こちらもある期待寄せて問題を作っていますから、採点が楽しみです。

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「来る」の尊敬語

2月6日(木)

「みんなの日本語」には、て形をはじめいくつかの山があります。その最後の山が敬語と言っていいでしょう。尊敬の動詞には、例えば、「食べます」に対して、「食べられます」「お食べになります」「召し上がります」と最低3つあります。しかも、「召し上がられます」などとすると二重敬語となり、敬意が増すどころか非文法的な表現になってしまい、かえって失礼に当たりかねません。「お食べになります」はよくても、「お見になります」は使えません。「お読みになります」は尊敬語ですが、「お読みします」は謙譲語ですから目上の人の動作に使ってはいけません。いや、そうとも言い切れない状況を設定することができますから、よけいにややこしいのです。

この敬語について、養成講座で話しました。毎度のことですが、日本語教師を目指そうという、日本語に対する意識が高い方々も、いきなり敬語について質問されると、正しく答えることは難しいものです。「来る」の尊敬語は「いらっしゃる」以外に何があるかと聞かれたら、すぐに答えられますか。ポンポンポンと3つぐらい立て続けに言えたら、日本語力に相当自信を持っていいでしょう。

養成講座の敬語は、もちろん、尊敬語や謙譲語を暗記してそれで終わりではありません。待遇表現というもう一回り広い範囲の文法の一部としてとらえます。待遇表現とは、話し手と聞き手、書き手と読み手の人間関係や、その言葉が発せられる状況・場面などに応じて用いる各種表現です。こういう文や口のきき方は失礼になると考えることが、待遇表現なのです。

…ここから先は、KCP日本語教師養成講座でお話ししましょう。

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まずいぞ

1月29日(水)

私が受け持っている超級クラスでは、初級から今までに習った文法の復習をしています。助詞に始まって、授受表現、意向形はじめ意志の表現などを扱ってきました。一度は勉強したことがある事柄ばかりなのですが、学生たちは間違いまくっています。この表現はなぜダメなのか、こういう言い方もあるのではないかなどなど、議論百出で意外な方向で授業が盛り上がっています。

私のクラスの学生たちはほぼ全員が3月で卒業です。進学したら日本人の学生に囲まれて、日本語で行われる講義を聞き、日本語でレポートを書き、議論をし、コミュニケーションも日本語で取ります。その際に、日本語の未熟さゆえに相手に誤解を与えたり、相手の真意がつかめなかったりしたら、日本語学校として責任を果たしたことになりません。それゆえ、卒業直前のわずか2か月ほどですが、基礎をもう一度振り返り、そんな失敗を撲滅することは無理でも、1つでも減らせたらと思ってこういう授業を企画しました。

前日に教材を配ると、学生たちはきちんと予習してきます。中には学校へ来てから教室で大急ぎで答えを書きこんでいる学生もいますが、それでも授業を受ける準備はきちんとしておこうとしているわけです。学生たちにも、授業を受けているうちに、危機感が湧いてきているのではないかという気がします。

現時点において、進学が決まったからと言ってちゃらんぽらんしているのはKさんぐらいでしょう。Kさんは消化試合のつもりで、出席率確保のためだけに登校してきているようですが、Kさんの文章や話し方では、進学してからが心配です。諸先生方が厳しく訓練してくださったおかげで入試の面接試験は通りましたが、本番はこれからだということを忘れているように見えてなりません。

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気になるニュース

1月24日(金)

今学期は、毎週金曜日に学生の気になるニュースについてまとめて発表してもらうことにしています。先週の学生は自分の趣味に関するアニメの話題を10分ぐらい熱く語ってくれました。今週は、4人のうち2人が武漢の新型肺炎を取り上げました。2人とも、武漢ではありませんが中国の学生でしたから、やはり心配なのでしょう。

中国が震源地となり、世界中に広がりつつあるという恐ろしい話も出てきました。確かに日本でも患者が出ていますからねえ。じっとしていても、ウィルスの方からじわじわと近寄ってきそうなイメージがあります。患者のくしゃみのしぶきで感染するそうですから、油断はできません。

幸いにも、今のところ、KCPにはこの前の年末年始の休みに武漢に帰省したり遊びに行ったりした学生はいないようです。でも、ウィルスに感染していたけれども潜伏期間中だったため元気そうに見えた友人と会っていたなどというパターンもあるかもしれません。そうだとしても、週明けぐらいまでに発症しなければ、最長の潜伏期間を仮定しても、無事だったと言えそうです。

この学校には世界中から学生が集まってきますから、世界中のいろんな影響も凝縮されます。時には今回のような伝染病であり、経済状況の激変の場合もあり、自然災害に気をもむこともあります。そういうニュースを知っていると、心配そうな顔をしている学生が特に目についてきます。私たちが力になれることってたかが知れていますが、それでも何かしてあげたいと思うものです。

私が目にした記事によると、武漢のウィルスは感染力がそれほど強くないとのことでしたから、中国政府の武漢封鎖作戦が成功して、どうにか下火になることを願っています。

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私は誰ですか

1月23日(木)

初級のクラスだと、学期が始まって1週間もすると、どの学生もクラスメートの名前を覚えるものです。自己紹介そのものが教材になっていて、何回もしているうちにお互いの顔と名前が頭に入ってしまうという面もあります。それ以外にも、発話練習でペアになった学生の名前を呼ぶ場面が多いので、いわば反復練習をしているようなものなのです。

しかし、中級、上級、超級と進むにつれて、そういう友達の名前を呼ぶチャンスが減ってきます。発話内容は抽象的かつ高度なものになりますが、それに反比例して、クラスメートの名前を意識することがなくなってきます。また、進路の方向が違う学生とはあまり話さなくなります。ことに最近の学生は第一の親友がスマホですから、なおのことその傾向が強いです。今学期木曜日に受け持っているクラスの学生たちにもこの傾きが多分に感じられ、ちょっとおせっかいを焼くことにしました。

まず、席が隣同士でない(≒友達付き合いをしていない)学生を強制的に2~3人組にし、お互いの顔と名前を覚えさせます。次にそのグループを2つずつまとめ、規模を倍にして同じことをさせます。2人組だったらたまたま旧知の仲という例もありますが、4人となると1人ぐらいは話したことのない学生が混じるものです。これを繰り返し、最後にクラス全員の顔と名前を一致させます。

Wさんはクラスの学生の名前を完璧に覚えました。しかし、Pさんは人の名前を覚えるのが苦手だと言い、半分あきらめ気味。自信ありげなCさんをテストしてみると、実はボロボロ。口数が少ないSさんが、意外によく知っていました。

卒業式まであっという間ですが、だからこそ、仲良く密度濃くやってもらいたいです。

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力作

12月17日(火)

今週は木曜日と金曜日が出張のため、金曜日の期末テストの問題を明日中に印刷しておかなければなりません。そのため、先週の土曜日と昨日、必死になって問題を作りました。その問題を、授業後、自分自身で解いてみました。解きにくい問題がちょろちょろありましたねえ。作った本人がよくわからないのですから、いくら超級とはいえ、学生がわかるはずがありません。そういう問題は作り直しです。

今学期の私のクラスは、中間テストが難しすぎて点が取れていませんから、期末テストはある程度点を取らせてあげないといけません。まさか全員不合格というわけにもいきませんし、12月卒業生には花を持たせてあげたいです。休んでばっかりのJさんはともかく、クラスへの貢献度の高いMさんには、修了証書ではなく卒業証書を渡したいです。

そんな余計なことを考えていると、テスト本来の役目である学生の理解度を測るとか教えたことの定着度合いを知るとかいうことがかすんでしまいます。もちろん、超級としての最低限度のレベルも示してやらねばなりません。まあ、こちらの方は、授業中の態度を見ていればそこに達しているかどうかは見当がつきますがね。

Sさんは残念ながら達していない学生の代表格です。「先生、トイレ」と言って教室を出ていくことしばしばです。要するに、緊張が90分間続かないのです。指名しても答えられないし、指示を出してもその通りに動けないし、私がテスト問題に多少手心を加えたところで、点が取れないことは見えています。授業中もスマホがお友達のKさんも同類かな。Kさんはこちらの質問にどうにか答えられますから、少しは望みがありそうです。

明日の朝、修正版をもう一度見て、模範解答を作り、印刷してしまいます。再度修正ということはないと思うんですが…。

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KCPがなくなる?

12月16日(月)

超級クラスで、紙の本がもうすぐなくなるのではという記事をもとに、もうすぐなくなりそうなものを挙げてもらいました。あっという間に話が終わっちゃうかなと少し心配していましたが、杞憂でした。

しょっぱなに指名されたIさんは、元気な声でいきなり「KCP」と答えました。クラスのみんながそんなこと言っちゃまずいという顔になりましたが、Iさんは「インターネットを通して語学の勉強ができるようになれば、わざわざ学校に通う必要もないと思います」と理由を説明してくれました。その通りとうなずく学生もいれば、「それじゃあ留学のビザが取れないから、日本へ来られなくなっちゃう」と、全然違う角度から反論を加える学生もいました。

Sさんは、「日本へ来て日本の文化に触れることが留学の大きな意味だから、KCPがなくなってしまっては困ります。それに、ネットで一人で勉強するより、みんなと議論しながらのほうが、役に立つ日本語が身に付きます」と、教師一同泣いて喜びたくなる反対意見を述べました。

Tさんは、「でも、先生だって、毎学期同じ授業を繰り返すのはつまらないでしょ?」と、こちらの心理を尋ねます。「確かに初級のひらがなの書き方とかて形のつくり方や練習なんかは毎学期同じかもしれないね。でも、このクラスみたいなレベルになると、クラスの学生の雰囲気や進路や興味の対象に合わせて授業を組み立てるから、同じ教科書を使っても進め方はかなり違うんだよ」と実情を語ると、学生たちは感心したような顔をしていました。

そうはいっても、教科書は電子配信の方がありがたいみたいでした。タブレットにチャカチャカと書きこむ方が、今の学生にとっては勉強しやすいのでしょう。こちらの方は、早晩そうなっていくのではないでしょうか。

学生に考えさせるつもりの授業が、こちらが考えさせられてしまう授業になりました。

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鬼が笑う心配

12月10日(火)

12月も早くも10日で、そろそろ来学期の心配を本気で始めなければなりません。私は、来学期の超級レベルの教材作りに取り掛かりました。実質卒業式までですからいつもの学期よりは短いですが、自転車操業で乗り切るには厳しい長さです。1年かけて少しずつ作りだめをするのですが、今年はそれがあまりなく、完全に追い込まれる前に作業を開始した次第です。

超級は全員が卒業と考えていいので、しかもみんな力があるので、何をするにせよ一ひねり必要です。漫然と文章を読ませる読解では満足してくれませんから、何か仕掛けを設けなければなりません。正面切っての論説文でディスカッションでもいいですが、そればかり2か月も続けたら、教師も学生もへとへとでしょう。卒業式のころには足腰が立たなくなっているかもしれません。そもそも、そんなディスカッション向けの論説文など、その辺にごろごろ転がっているわけではありません。

それ以外の味がする授業も企画しておくと、学生も喜びます。でも、これも探すのに骨が折れます。いつも、この文章ならどんな味が付け加えられるかという目で文章を読んでいますが、すばらしい教案が描けそうな文章にはなかなか出会えません。“とりあえずキープ”という文章が私の周りのあちこちに置かれていますが、さて、どれをどうしたものか…。

もちろん、学生自身が調べてきて発表する形の授業もします。そうだとしても、発表のきっかけや方向性ぐらいは与えねばなりません。学生丸投げでは、授業がスマホのひと時になってしまいます。

明日も少し時間がありそうですから、引き続き無い知恵を振り絞ります。

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