Category Archives: 授業

工夫、雨水

7月10日(月)

上級の読解で、ギリシアのパルテノン神殿のエンタシスについて触れられていました。その部分の段落を学生に読ませると、「…エンタシスというこうふが施されています。…」と読んでくれました。次の学生も「…こうしたこうふによって…」と読みました。

学生が「こうふ」と読んだところは、「工夫」と書かれています。20人も学生がいれば、1人ぐらい何か言う学生がいるだろうと思いましたが、誰も何も言わずスルーしそうになりましたから、「それは“くふう”と読むんだよ」と、こちらから教えました。

「工夫」は、“くふう”と読むか“こうふ”と読むかによって意味が全然違います。学生たちは“こうふ”の意味で本文を理解していたのでしょうか。それとも、「工夫」には意味が2つあるけれども、こちらの意味がこの文にはピッタリくるということで、読みなど確かめずに理解してしまったのでしょうか。いや、そもそも「工夫」を“くふう”と読むなど夢にも思わず、意味だけ調べてわかったつもりになってしまったのかもしれません。

そのもう少し先に「雨仕舞」という言葉が出てきました。こちらはきちんと調べたようで、“あまじまい”と正しく読んでくれました。しかし、その直後に現れた「雨水」は、しっかり“あめみず”と読んでしまいました。「雨水」は漢字を見ただけで意味がわかるので、わざわざ調べることもなかったのに違いありません。「雨〇」は“あま〇”と読むことが多いと補足説明しました。

もっとも、「雨水」は、二十四節気では“うすい”です。また、工場では「雨水(うすい)のピット」などというように、“うすい”と読むことがよくあります。実は、私は、気を付けないと“うすい”と読んでしまう派なのです。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

顔と名前

7月6日(木)

今学期私が担当する上級クラスは、先学期のクラスで考えると大きく2つのグループから成り立っています。お互いほとんど接触がなく、何も手を打たないとクラス内に壁ができてしまうかもしれません。ですから、始業日恒例の自己紹介に代えて、数人ずつの小グループをいくつか作り、そのグループのメンバーの顔と名前を覚えるようにと指示を出しました。

ここまで言えば、上級の学生ですから、名前を言い合ったり簡単な自己紹介を始めたり、さらには雑談に発展したりと、グループのメンバーを自分の頭に印象付けようと工夫をしていました。メンバーを組み換えると、1回目より要領よく顔と名前を覚えようとしていました。

もう少し詳しく観察すると、グループ内で自然発生的に生まれたリーダーがノートか何かを回して、各人の名前を書かせているところと、そうではなくて、音やリズムを頼りに顔と名前を一致させようとしているところがありました。上級だとやはり文字を介したほうが覚えやすいのでしょうかね。

私が新しいクラスの学生の名前を覚えるときは、名前に特徴的な漢字が含まれていたら、その漢字をキーにして顔と名前を記憶します。名前の読み・発音が独特なら、それと顔を紐づけます。外見が印象深かったら、もちろん、それが幹となり、名前その他がそれにぶら下がります。

このクラスでは、文字派が若干優勢でした。最後にクラス全員の顔と名前を覚えましょうということになったら、「先生、ホワイトボードに1人ずつ名前を書いていってください」ということになりました。過程はどうであれ、クラスのみんなが、みんなの名前を覚えて仲良くなってくれたらそれで目標達成なのですから、言われたとおりに名前を書きました。

クラスメートの名前を覚えてくるのを宿題にして、明日のM先生に引き継ぎました。M先生は、明日の朝いちばんで、「この学生はだれ」とやってくださることでしょう。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

盛り上がりの陰で

6月29日(木)

昨日の午後、アメリカのプログラムの学生たちは、数グループに分かれて都内へ見学に出かけました。午前の授業は、見学してきたことの発表会でした。6階の講堂がさらっと埋まるほどの学生の前で、パワーポイントを使ってプレゼンテーションしました。私のクラスの学生たちをはじめ、日本語がほとんどできない学生も多いため、発表そのものは英語でした。日本社会の見学、文化体験が主たるテーマでしたから、満足に使えない日本語よりも、自由に意思疎通ができる英語で自分たちの見聞をみんなで共有することに重きを置きました。

逆にこちらは学生たちの話が完全には理解できませんでしたが、発表した学生たちの新鮮な驚きは十分に伝わってきました。学生たちはといえば、英語での発表だったからなのでしょうか、質疑応答が活発でした。その様子を見ながら、今学期や先学期のタスク発表の様子を思い出しました。沈黙が続いて、教室内に重苦しい雰囲気が漂うこともたびたびありました。

学生にとっては外国語である日本語での発表を聞き、その日本語で質問するというのは、中上級の学生たちにしても重荷だったのかもしれません。ただ、気になったのは、聞き手の学生たちの表情でした。生き生きしていたアメリカのプログラムの学生たちに対して、中上級の学生たちには“させられている感”が見られました。受験勉強以外には興味が持てないのでしょうか。知的好奇心の欠如とは思いたくありません。

予定の時間をオーバーして発表・質疑応答が行われている間、7月期の期末タスクはどうすればいいかなあなどと考えていました。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

東京で好きな物

6月28日(水)

お昼少し前に、先週金曜日に入ったクラスのアメリカのプログラムで来ている学生たちが、職員室に現れました。習ったばかりの文法や単語を使って、教師にインタビューしてくるというタスクのためです。職員室にいた教師が3人ずつぐらいの学生から、インタビューされました。

私のところへ来た学生は、「はじめまして。Aです。どうぞよろしくお願いします」「はじめまして。Cです。どうぞよろしくお願いします」はじめまして。Jです。どうぞよろしくお願いします」とあいさつしました。しかし、AさんとCさんは金曜日に私と会っています。2人もそれはわかっているはずですが、「はじめまして。…」と言ってしまいました。おそらく、先生が授業で示した例の通りにあいさつしたのでしょう。

初級の最初の頃の学生たちですから、聞けることはたかが知れています。「何時に学校へ来ますか」「何時まで働きますか」「趣味は何ですか」などという程度です。ところが、Jさんは「東京で好きな物は何ですか」と、予想外の質問をしてきました。一瞬答えに詰まりましたが、逆質問してもJさんを困らせるだけです。ですから、「好きなところ」とか「好きな建物」とかではないかと想像し、「スカイツリーです」と答えました。すると、それを聞いたCさんが「sky tree は、いいです。私も好きです」と、英語だけきれいな発音で突っ込んでくれました。どうやら、そんなに的を外さなかったようです。

授業後、担当した先生に話を聞くと、みんな満足したようです。またしたいと言っていたそうです。大半の学生が、生の日本人と話したのは初めてだったでしょうから、そのぐらいの感動があってもおかしくはありません。この感動を忘れないでほしいですね。忘れ去ってしまうと、中級あたりで沈殿することになってしまいますから。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

アンダー1階

6月22日(金)

学生たちは学期休みですが、KCPの教師はアメリカのプログラムで来日した学生の授業をしています。私も午後の授業を担当しました。

いつもは一番下の、日本語ほとんどゼロのクラスを担当することがほとんどでしたが、今年は下から2番目のクラスを教えることになりました。手始めに自己紹介をしてもらったら、できるんですね、これが。一番下のクラスだと、名前を言うのがやっとくらいなのですが、ランクが1つ上がるだけで、「初めまして」とか「どうぞよろしくお願いします」とか、前後に付け加える言葉がスムーズに出てきました。また、「アメリカの〇〇から来ました」スムーズに出てきましたし、同じ出身地が続くと「私もアメリカの〇〇から来ました」とやってくれました。想定していたレベルよりも高くて、面食らってしまいました。

こうなると、余計なことを教えたくなるものです。絵を使って「1階、2階、3階、…」をやった後、地下1階を指さして「ここは?」聞くと、「アンダー1階」とか「グラウンド階」とかという答えが返ってきました。「地下1階」と正解を教え、さらに地下鉄の“地下”と同じだと付け加えました。でも、デパ地下は遠慮しときました。

そんなことより何より、3年数か月ぶりにマスクなしで授業をしました。“5類”以降、マスクをしない学生も出てきましたが、クラス授業ではずっとマスクを着用してきました。でも、午前中、このクラスの教室をちらっとのぞいたら、みんなマスクをしていませんでしたから、私もしないことにしました。新学期は、通常クラスもマスクなしで行こうかな。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

発表練習

6月14日(水)

私が受け持っている中級クラスは、日本人ゲストをお呼びして、期末タスクの発表練習をしました。あさってが発表本番なので、その2日前に本格的な発表練習をし、前日に最終の修正をかけようという心づもりです。私も、学生たちの発表がどこまで進んだか見てみようと思っていました。

発表2日前なのに、ほとんどの学生が原稿を見っぱなしだったのが、何よりの不安材料となってしまいました。ゲストの方からもご指摘を受けましたが、原稿の日本語が難しすぎます。あちこち調べるのはいいのですが、調べた結果を吟味せずにそのまま発表原稿にしてしまっているのはいただけません。原稿が自分の言葉になっていないから、原稿を読み上げることになってしまうのです。

目が原稿に向かっていますから、パワーポイントの図表を活かして発表するという段階には至っていません。モニター画面を指し示しながら発表したのは、Dさん1人だけでした。これでは発表になりませんから、発表が終わった後で、こんなふうにするんだよと私が実演して見せました。

そもそも、声が小さいです。これまた原稿を読もうとするせいなのかもしれませんが、教室の一番後ろに立つと、蚊の鳴くような声しか聞こえてこない学生も数名いました。これじゃあ、原稿を黙読してもらった方が、発表者の考えが聴衆に伝わります。

ゲストの方からいただいた貴重なアドバイスも取り入れて、明日、手直しをしてもらいます。でも、考えてみれば、学生たちは自分にとって外国語である日本語でなにがしか発表しようと挑戦しているのです。足りない点を指摘しまくりましたが、心の中では立派なものだと秘かに感心しています。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

千差万別

6月12日(月)

月曜日の中級クラスは、今週末の期末タスク発表に向けて、先週末から準備に励んでいます。4つのグループに分かれて取り組んでいますが、早くも順調そうなグループと怪しげなグループの間に差が生まれつつあります。

YさんやTさんのグループは順調組です。授業中はどちらかというと周りの学生に引っ張ってもらうことの多いYさんは、そのいつも引っ張ってくれる学生がみんな違うグループになってしまったため、自分が先頭に立たざるを得なくなりました。リーダーっぽい役割を担いつつあるようです。Tさんは発表用パワーポイント作りで活躍しています。漢字が苦手なはずなのに、パソコンの画面をちらっとのぞいたところ、正しい漢字を使ったタイトルや文が並んでいました。

LさんとPさんのグループは、危ないです。メンバー4人のうち2人が休んでしまいましたから、LさんPさん2人が受け持ったところだけで仕事を進めるほかありません。休んだ2人は電話をかけても応答せず、無断欠席です。あさってはリハーサルなので、明日は何が何でも来てもらわねばなりませんが、果たしてどうでしょう。出席した2人で話し合いながらパワーポイントも作成していましたが、2人のうちでなんとなくリーダー役のLさんは、どことなく不安げでした。

MさんTさんSさんのグループは、3人がマイペースで仕事をしていました。話し合いながら進めるようにと言っても、私がそばを離れると、また黙々と個人作業です。授業終了間際にMさんとTさんは話し合い始めましたが、全体をつなげた時に、違和感満載のストーリーになっているのではないかと心配です。

Cさんがリーダーになるのではないかと思ったグループは、合議制と言えば聞こえはいいですが、話し合った割にはまとまりがないような気がしてなりません。メンバー全員が話し合っている分だけ、上の2つのグループよりましだと思わなければならないのでしょうが、教師としては安心できません。

戦力均等を旨としてグループを作ったつもりなのですが、だいぶ差がついてしまったみたいです。でも、授業が終わってからオンラインで急に話が進むこともよくあります。それはそれでありがたいのですが、それだと日本語で仕事を進めたかどうかわからない面があります。そうだとすると、何のためにおタスクなのか、わからなくなります。ましてや、生成AIなんて使っていたら…。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

宿題を見ると

5月26日(金)

今学期は中級クラスの読解を担当しています。授業では教科書の文を追いかけるだけではなく、そこに書かれていることについて考えてもらったり、教科書の周辺事項まで話を広げたりしています。学生たちも、自分の思いをうまく表現できないもどかしさを感じつつも、そういったことを楽しんでいるようでした。

ところが、中間テストの出来は芳しいものではありませんでした。私のクラスだけでなく、他のクラスでも似たようなものでした。そこで、学期の後半は、読解の1つの課が終わるごとに、宿題として数問の確認問題をしてもらうことにしました。家で教科書やノートを見ながらなら十分解けるはずの問題です。

その宿題を回収し、チェックしたのですが、残念な結果に終わりました。まず、問題をよく読んでいない学生がおおぜいいました。意味を聞いているのに理由を答えてしまったとか、答え方を指定してあるのにそれに従わなかったなど、解いた後で書いた答えを読み返していないと思われるパターンです。中間テストでも目立ちました。

それから、教科書の文を長々と抜き出した答えも多かったです。それを要領よくまとめてもらいたかったのに、何かを省くと減点されると思ったのでしょうか。「要点をまとめられるかどうかが、中級の力があるかどうかの分かれ目だよ」と言っているんですがねえ。これも中間テストそのものでした。

来週の読解は、こういう点を踏まえて、学生たちをしっかり追い込みます。きちんとはっきり正確に答えられるようになることを第一に、授業を組み立てます。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

教師の勉強

5月25日(木)

1時間の授業をするためには3時間の準備が必要だ――20年以上も前、私が日本語教師養成講座の受講生だった時、講師の先生がおっしゃっていました。駆け出しのころは、そのぐらい準備に時間をかけていたと思います。しかし、今はそこまで時間をかけません。いや、“かけません”と“かけられません”の中間ぐらいでしょうか。仕事が立て込んでいて、即興に近い形で授業をすることさえあります。そんなことでは学生に対して失礼だろうと思いながら、若干の罪悪感を抱きつつ、でも平気な顔をして、教壇に立つこともあります。

準備が嫌いなわけではありません。本棚に並んでいる10冊以上の辞書を駆使して語句の意味を調べたり、読解テキストの参考になりそうな資料を探したり、数学や物理の問題のオーソドックスではない解法を考え出したりなどということは、何時間やっても飽きません。しかし、次から次と仕事が飛び込んできますから、そういう方面にばかり時間を割り振るわけにはいきません。

午後、読解の勉強会がありました。上級では、今学期から新しい読解の教科書を使い始めました。読解の授業のコンセプトも見直しました。そのため、授業で新しい課に入る前に、上級担当の教師が集まって、その課の取り扱い方を研究しています。

毎回、教師間で読解テキストの捉え方、視点の位置が違うものだなと感心しています。たびたび目からうろこが落ちます。そうすると、授業で新しいことに取り組んでみようかというチャレンジ精神が湧き上がってきます。年寄りには刺激が必要なのです。

この勉強会も授業準備だとしたら、いくらかは3時間に近づいたでしょうか。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

自宅勉強時間

5月23日(火)

火曜日のクラスは、今週もディベートに挑戦しました。「予習と復習ではどちらが大事か」という、先週に引き続きしょうもないテーマですが、主張や反論はいくらでも思い浮かべられるでしょうから、ディベートのネタとしました。作戦立案中の学生たちを見ると、予習が大事にしても復習が大事にしても、予想通りいろいろな意見を出し合っていました。

さて、本番になると、その主張を訴えてはいるのですが、どうも迫力がありません。チームで考えた通りに主張を読み上げるチームもあり、相手の目を見て話すという基本ができていませんでした。逆に、相手の目を見て主張を述べたチームは、審査員の受けが良かったですね。

相手チームの話を聞くことに関しては、先週よりもメモを取っている学生が多かったですが、それでも相手の主張に応じてとなると、できる学生は限られていました。相手の主張もすぐに想像がつくテーマを選んだつもりなんですがね。私から見ると不満な点は多々ありましたが、主張や反論はどうにかこうにか形になっていました。

授業後、学生面接をしました。Cさんは自宅学習が毎日1時間と言います。さらに話を聞くと、日本語の動画を視聴した時間も含めての1時間でした。さっきのディベートでは、予習の重要性をあんなに語っていたのに…。今年はN1を取ると言っていましたが、そのための勉強はしているのでしょうか。

Aさんも事情は似たようなものです。美術系大学院進学希望ですから、今は作品制作に忙しいです。毎日4時間ぐらいそれに時間をかけています。でも、勉強時間ゼロはひどすぎますよ。Aさんの熱弁した復習の大切さが今一つ心に響かなかったのは、こんな事情があったからなんですね。

2人とも、中間テストはどの科目も合格点前後でした。予習復習、せめてどちらか1つはしっかりやっておかないと、日本語力が伸びませんよ。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ