Category Archives: 学校

期末テスト当日の朝

6月21日(火)

朝、まだ他の先生方がいらっしゃっていない時間に、電話が鳴りました。「はい、KCP地球市民日本語学校でございます」「〇×クラスのTです」「あ、Tさん、おはようございます」「おはようございます。実は、私、昨日、友達のうちに泊まったんですが、そこに鍵を忘れてしまって、今、うちに入れないんです」「それは大変ですね」「はい。今日、期末テストですが、受けられなかったらどうなりますか」「受けられなかった場合は、あさって、23日に追試をしますから、それを受けてください」「今日の午後は受けられませんか」「午後は初級クラスの期末テストがありますから…」「私、23日は大阪に行くことになっているんですが…」「でも、追試は23日だけですから、その日に受けてください」「はい…。とりあえず、わかりました」

Tさんは今学期の新入生で、中級クラスです。どういう事情で友達のうちに泊まったかはおいといて、中級でこれだけのやり取りができるとはと感心しました。上のやり取り、ほとんどTさんの言葉そのままです。発音イントネーションも自然だったし、事情を説明して自分の要求を述べるという話の進め方も理にかなっています。最上級クラスにだって、こんな話し方ができる学生は少ないでしょう。これだけ話せれば、大阪へ遊びに行っても楽しいでしょうし、何か得るものもあるはずです。

しかし、聞くところによると、Tさんは漢字が弱いそうです。進学を狙っていますが、漢字に足を引っ張られかねない状況です。そんな弱点を克服して、持ち前のコミュニケーション能力を生かして、日本で身になる勉強をしてもらいたいです。

今、調べたら、Tさんは数分の遅刻で期末テストが受けられたようです。大阪も楽しんで来てください。

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テーブルを挟んで

5月24日(火)

5月も下旬となれば、かなり高い位置から日が差してきますから、ビルの谷間にあるKCPの校庭も、昼は太陽光の恵みにあずかることができます。半袖だと風が肌寒く感じることもありますが、日が当たっていればそんなことなど忘れさせてくれます。このところ、校庭で勉強する学生が出てきました。うちで宿題をするよりも図書室で教科書を広げるよりも、校庭のほうが気持ちよく、はかどるのかもしれません。

談笑している学生もいます。校庭のテーブルにはいつの間にか椅子が2脚ずつ配置され、授業後のひと時を過ごすにはうってつけの場所となっています。去年は椅子を1脚ずつにして、学生同士が集わないようにしていました。それを思うと、笑い声こそ聞こえてきませんが、テーブルの周りでいかにも楽しそうにしている学生たちが現れたのは、日常復帰への第一歩か二歩です。

このところ、屋外などではマスクを外そうという動きが少しずつ出てきました。談笑だとマスクを取るわけにはいきませんが、校舎の外ならもっとはしゃいでもいいのかなあと思います。今までの自分の世界よりも広い世界から来た友人と知り合うことは、留学の主要な意義の一つです。2階のラウンジではしてほしくないですが、校庭はどんどん活用してもらいたいですね。

ある程度の新規感染者を出しつつも、日々の活動を可能な限り元に戻していくという流れができつつあります。この流れが滞ることなく太くなっていってほしいです。最初はほんのちょっとの間だけ我慢すればと思っていたのが、もう3年目ですからね。

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硬い教室

5月17日(火)

中間テストがありました。私が試験監督に入ったクラスは、諸般の事情で、いつものクラスをばらして再組成したクラスでした。今までなら、こういう場合でも、前の学期は同じクラスだったとか、クラブ活動で顔なじみだとかという組み合わせがいるものですが、今学期はそういうパターンがほとんどありません。先学期はほぼオンライン授業でしたから、たとえ同じクラスだったとしても生身の接触がなく、クラブ活動もなく、しかも来日したばかりの学生が結構な割合で含まれているというわけで、違うクラスの学生≒知らない学生でした。国籍も多様だったという要素も、これに拍車をかけていたかもしれません。

だから、朝、教室に入った時、いつもの試験監督の時とは違った空気に包まれていました。試験に対する緊張感のほかに、初対面の人に対して様子見をする硬い雰囲気が漂っていました。そういうのを感じると、顔と名前の一致する学生がいないだけに、こちらまでピリピリしてきます。

でも、試験が始まってしまえば、学生たちは、おのおの、まわりを一切気にせず試験問題に向き合います。そこには初対面がどのこうのという様子はなく、いつもの試験の教室になりました。

ところが…。「はい、あと10分です。もう終わっている人は提出して、次のテストの準備をしてもいいですよ」と声を掛けると、普段なら2人か3人ぐらい、待ってましたとばかりに出すものなのですが、誰も立ち上がりません。明らかに問題を解き終わっている学生が何人かいるのに、ちらちらっと教室を見渡すばかりで、提出の意思を示しません。私が目で誘っても、下を向いてしまいました。学生たち、シャイなんですね。

入試会場で友達を作ったという話を、毎年何人かから耳にします。この臨時クラスの学生たちも、あと数か月でそんなつわものになって、志望校へと旅立っていくのでしょうか。

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引き締める

5月11日(水)

東京の新規感染者数が増えています。といっても、先週は連休の最中でしたから、検査を受けた人が異常に少なかったのでしょう。その反動で、休み明けから新規感染者数が前の週を上回り続けているのだと思います。来週になっても前の週(=今週)よりも多くの新規感染者が現れ続けたとなると、またもや感染拡大の方向に動き始めたと見るべきなのではないでしょうか。

学校の近くの郵便局が、11時半から1時までお休みになってしまいました。感染者や濃厚接触者が増えて、お昼の時間帯の交代要員が確保できないようです。郵便局に用事がある場合は、ちょっと離れたところ(といっても、歩く距離が数十メートルから数百メートルになるくらいですが)にある別の郵便局へ行けばすみますから、仕事や生活に差し支えることはありません。でも、こういう身近なところで感染拡大の影響が出てきたとなると、先週は休みだったからなどとのんびり構えてもいられません。

私が見る限り、最近来日した学生も含めて、学生たちから動揺は感じられません。自分の部屋より学校の方が、国より日本の方が、楽しいようです。細々とではありますが、ラウンジや校庭で談笑する学生の姿が見られます。季節が進むと、進学で苦しむ顔が出てきます。だからこそ、こういう状況が少しでも長続きするように、引き締めるべきところはピシッとやらなければなりません。

卒業生はどうしているんでしょうね。それぞれの進学先で勉学を楽しんでいるんでしょうか。それぞれの学校がそれぞれのピシッとで、勉強の環境を整えているのだと思います。

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よく降りますね

4月26日(火)

また雨が降っています。傘を持って来なかった学生の方が多いみたいですが、歩いて帰って行きます。さほど強い雨でもなく、気温も20度を上回っているので、御苑の駅か富久町ぐらいまでなら、ぬれても風邪をひくことはないでしょう。いや、今の学生たちはやっとの思いで入国していますから、東京で降られる雨もまた、感激の一要素かもしれません。梅雨時になったらさすがにうんざりするでしょうけどね。

それにしても、この4月はよく雨が降ります。3月までは平年よりも若干少なめでしたが、4月はすでに平年よりも50ミリほど多い降水量です。連休中もパッとしない天気の予報が出ていますから、もう少し上積みがなされそうです。学生たちは梅雨の前に雨に飽きちゃうかな。

この雨で、昨日せっかく校庭の上空に飾り付けられたこいのぼりが引っ込んでしまいました。本物の鯉なら水は大歓迎でしょうが、布製の鯉はそんなことは言っていられません。しかも古いですから、大いにいたわってあげなければなりません。あさってはお天気が回復しそうですから、また青空に泳ぐ雄姿が見られることでしょう。3連休は再度引っ込めて、端午の節句の行事を予定している5月2日は、どうやら日差しが望めそうですから、またご登場願いましょう。

端午の節句が終わったら、今学期はアートウィークが待っています。鯉の滝登りほど苦労してKCPまで来てくれた学生たちに、精一杯日本を味わい、学校で勉強することを楽しんでもらいたいと思っています。

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財布を持って来ませんでした

4月7日(木)

始業日です。始業日といえば教科書販売です。午前も午後も教科書売り場を担当しましたから、教科書を渡す時を利用して、昨日以上にしげしげとオンラインで教えた学生を観察してしまいました。「あなたがTさんか。去年の今頃は日本語が全然わからなかったのに、今学期は中級? 早いねえ」なんていうやり取りを何人かとしました。やっぱり、立体的に見えて生の声が聞けて、タイムラグなしで言葉を交わせるって、盛り上がりますね。

さて、私個人的には、教科書販売は忙しくも楽しかったのですが、若干由々しき事態が発生しました。それは、教室に財布を忘れたという学生が多かったことです。クラスの先生が教科書販売の場所まで学生を連れて来る際に、財布を忘れるなと言っています。昨日までに、教科書代としていくらぐらい必要かも伝えています。教室で教科書の説明もしています。にもかかわらず、中級・上級で数名の学生が財布を持って来なかったと、教室まで取りに戻りました。

今までそういう学生が全くいなかったわけではありません。しかし、こんなに続々と出てきたのは、私の知る限り初めてです。注意力が散漫なのか、聴解力が弱いのか、状況把握ができないのか、いずれにしても教科書を買いに行くのに財布を置いていく学生がこんなにいたとは気懸かりです。先生の言葉が理解できなかったとしたら、これからの授業はどうなるのでしょう。今学期末に控えているEJUやJLPTにも暗い影を落としかねません。中級・上級の学生にいたというと、夏ごろから始まる大学院入試も心配です。

ここまで考えたところで、もしかすると、こういう学生たちは財布からお札を出して物を買うという経験に乏しいのではないかと思い至りました。普段、○○payで支払いを済ませていると、買い物と財布が結び付かないでしょう。お金を知らない子供がいるということも聞いたことがありますが、学生たちもその仲間なのかもしれません。

そういうことも含めて外国から来た留学生を鍛えていくのが、日本語学校の仕事です。

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初対面の再会

4月6日(水)

初対面だけど旧交を温め合う――という不思議な光景が、あちこちで見られました。私も、Lさん、Cさん、Hさん、Mさん、Kさんと、“再会”しました。

密を避けるため午前と午後の2回に分け、このたび来日した学生を集めて、ウェルカムパーティーを開きました。去年の4月以降KCPに入学してオンライン授業を受けてきた学生と、今学期の新入生とをまとめて、いわば2022年4月期来日生を歓迎するイベントです。この中に、去年の4月期にレベル1で教えたCさんたちや、スピーチコンテストのスピーチ指導をしたLさんや受験講座で毎週のように顔を合わせてきたKさんがいたのです。

「わー、生Lさんだ」なんてはしゃいじゃいましたが、実は、「先生、私Lです」と名乗られるまで気が付きませんでした。オンラインの時はマスクなしでしたから、マスクありの顔は初めてだったのです。確かに、よく見ると、目元はLさんです。でも、Cさんは、髪型が変わったせいか、名乗られてもピンときませんでした。zoomの画面の1マスとは、ずいぶん印象が異なります。

レベル1の時に種をまいたCさんたちは、明日からレベル5です。この半年余り受験講座に食いついてきたKさんは今度の6月のEJUに勝負をかけます。みんな、成長すると同時に、日本留学生活の最初の山場を迎えようとしています。その時期に、直接顔を合わせて力になれるとは、教師として意気込みを感じずにはいられません。

歓迎のスピーチをするためにステージに上がった時、午前も午後も、数秒かけて会場を見回してしまいました。誰もが、日本へ来てKCPの校舎で勉強できる喜びに満ちた表情をたたえていました。この顔を曇らせることなく、学生たちを志望校へと送り出したいと思いました。

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期末テストでした

3月25日(金)

どうにか、今学期も期末テストの日を迎えることができました。私が試験監督をしたクラスは、卒業式で大半の学生が出ていますから、見張るべき人数は少なかったです。密を避けるという意味からも机を離して配置しましたから、他人の答案をのぞき込むというのは不可能です。こっそり教科書を見るとかスマホに相談するとかも、学生の手元が丸見えですから、やる勇気のある学生はいないでしょう。そもそも、テストを受けたのは真面目な学生ばかりでしたから、そんな勝負に出るとは考えられませんでした。

学生の数が少ないですから、いつもと同じように教室を見回ると、学生の前やら脇やらをやたらと通り過ぎることになります。すると、学生が試験に集中できなくなるおそれがあります。ですから、試験時間の半分ぐらいは教室の後ろから学生たちを見ていました。

正面からだと、一心不乱に問題を読んだり、頭を抱えたり、ホッとした目つきになったりと、学生の表情に変化が生じること、その変化が学生ごとに違うことが手に取るようにわかるものです。しかし、テスト中のうしろ姿は変化に乏しいです。学生の顔つきを想像して、その乏しさを補いました。

午後から、アメリカの大学のプログラムでKCPへ来ていた2人の学生の修了式がありました。初級から始めて、漢字のハンデをものともせず、上級まで進んだ学生たちです。先生方は一様に、アジアの学生たちに刺激を与えてくれたことに感謝していました。対面授業でもマスク顔ばかりで単調になりがちだったところに、発想やら発言やらによって変化をもたらしてくれました。そういう意味で、大いなる功労者です。私も、「おめでとう」とともに、「ありがとう」とも声をかけました。2人とも、日本で就職です。企業もしっかり人物を鑑定しているんですね。

同時並行で、新入生のレベルテストも行われました。別れの季節から出会いの季節へと動き始めています。

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来る人、来ない人

3月19日(土)

Kさんはオンラインの学生ですが、受験講座も含めてきちんと出席してきました。卒業式後は最上級クラスです。また、行事にも積極的に参加してくれました。オンラインの節分では、おいしそうに料理を食べてましたっけ。

私も、そんなKさんが来日して、生で会えるのを楽しみにしていました。しかし、Kさんは軍隊に行きます。兵役を済ませてから、改めて進学の準備をして、後顧の憂いなく大学で勉学に打ち込むのだそうです。それも1つの決断です。大学に進学してから休学して入隊する人も多いですが、入学が遅れることよりも勉強を途切れさせないことを優先したというわけです。

もうすぐ「まん延」が終わります。通常の生活に戻る第1歩となるはずですが、感染者数最高を記録している県も毎日にようにあります。東京だって、ピークは越えていますが、感染者数の絶対値は相当なものです。留学生が来てくれるのはうれしい限りですが、感染が沈静化したとは言い難い国で暮らし始める留学生自身はどんな心境なのでしょう。「ウチの国よりましだよ」なんて思っている人もいるのかな。

そんなことより、入国できるときに入国しておきたいという気持ちが勝っているのかもしれません。日本は前科がありますからね、一度閉ざしたら貝のごとく絶対に開かないという。だから、Kさんが敢えて来日を見送ったというのは、非常に勇気ある決断だと思います。しかも、今、Kさんの国は日本よりひどい感染状況ですから。Kさんが兵役を終えるころには、かつてのような自由な国際往来が復活していることを願うばかりです。

来週以降、オンラインの学生やら新入生やらが三々五々入ってきます。万里の波濤を飛び越え、隔離という最後のハードルもクリアして、ようやく新宿までたどり着く学生も出始めます。この学生たちに幸多かれと祈っております。

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何を学んだ?

3月11日(金)

あの年も、3月10日(木)が卒業式でした。あの日は、前夜多くの卒業生と語り合ったので、若干疲れ気味の体を引きずって出勤しました。8時ごろ、授業の準備をしていたら、午後の便で帰国するという学生が挨拶に来てくれました。「元気でね」と言って、手を振って見送りました。卒業生がごそっと抜けた午前クラスは、大半がクラス消滅です。私は残った数少ないクラスの1つの授業をしました。

朝の授業に遅刻して文法テストを受けられなかった学生の追試をしていた時です、揺れが始まったのは。その学生は机の下にもぐり込んだものの、腰が抜けてしまったのか、揺れが収まっても立ち上がれず、ただ泣くばかりでした。朝の学生は、おそらくきわどいタイミングで日本を離れられたのではないでしょうか。成田あたりで足止めを食らっていたら、きっと困り果てて学校に電話をかけてきたでしょうから。

伊勢丹のレストランの招待券がありましたから、早めに仕事を終えておいしいものを食べようと思っていましたが、そんな予定は吹っ飛んでしまいました。津波の映像を見ながら、帰宅できなくなった午後クラスの学生とともに、学校で夜を明かしました。

その後の日本がどうなったかは、皆さんご存じのとおりです。東京であの日の傷跡を見つけるのは難しいですが、東北地方にはあの日から手つかずのままのところもあれば、大改造を施されて以前の姿が想像もできなくなっているところもあります。「塗炭」などという生易しい言葉では済まされないほどの苦しみを、今も味わっている方たちがいることを忘れてはなりません。

世界はどうでしょう。あの後、世界中から温かい支援の手が差し伸べられる一方で、日本全土が放射線で汚染されているかのような報道もなされました。そういった誤解も、だいぶ解けてきたように思えます。それだけに、原発に攻撃を加えようとしている大国のリーダーには怒りを禁じえません。彼は、FUKUSHIMAから、原発は据え置き型の核兵器だということを学び取ってしまったのでしょうか。

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