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対訳

8月7日(金)

受験講座の化学は、今日から有機化学に入りました。有機化学といえば、カタカナの物質名が山ほど出てきます。EJUの問題では、カタカナ名のほかに英語名は記載されますが、中国語や韓国語で名前が書かれることはありません。ですから、カタカナ名とその物質の構造式や性質などを結び付けておく必要があります。

手ごろな資料が見つからないので、私が物質名を中国語訳、韓国語訳した対訳表を配っています。国の言葉の役を見ても何がなにやらわからない、という声もよく耳にします。確かにそうでしょう。その辺を歩いているおじさんやおばさんに、いきなり「ベンゼンって何ですか?」と聞いても答えは返ってこないでしょう。だから、有機化学になじみの薄い学生たちがカタカナ語の対訳を見てもやっぱりわからないままだというのは、当然なのです。

しかし、それで開き直っている暇はありません。国の言葉での名前は覚えずとも、日本語名はきちんと覚えていかなければ、志望校合格の目はありません。そのためのよすがになればと、対訳を配っているのです。対訳表としてではなく、物質名と構造式をつなげる表として使ってもらってもかまいません。いずれにしても、この表が有機化学の入り口ですから、足場をしっかり固めて、高いところに手が届くように体勢を作り上げていってもらいたいです。

蝉時雨

7月29日(水)

丸ノ内線四ッ谷駅でドアが開くと、蝉時雨がなだれ込んできます。四ッ谷駅は春は桜を楽しませてくれます。赤坂御所に近いですから、自然が豊かなのでしょう。赤坂御所のほかにも、都心は皇居、新宿御苑、明治神宮など、けっこう緑に恵まれています。そういうところがカラスの供給源になっているという説もありますが。それにしても、今年の蝉の鳴き声は例年になく激しいような気がします。夏らしい夏でいいんじゃないでしょうか。

梅雨が明けて以来、猛暑日になるかならないかぐらいの暑さが続いていましたが、今日は一息ついた感じです。そんな中、毎学期恒例のバザーがありました。湿度は高かったものの、カンカン照りではありませんでしたから、バザーをしていた方々も少しはましかなという顔をしておいででした。

いつものように学生たちはバザーの商品に群がり、掘り出し物はないかとあれやこれやとひっくり返していました。買いたいものがあってそれを探すというよりは、たくさんのものの中から光るものを見つけ出すことを楽しんでいるようにも見えます。誰にとってもすばらしいものでなくても、自分にとっての宝物が手に入れば、それで満足なのでしょう。そこまでいかなくても、友達とわいわいやりながら物を見ることが、学生たちには息抜きであり、時節柄暑気払いなのかもしれません。

新宿御苑のすぐそばは、御苑の木陰から吹き出す風のおかげで多少は涼しいそうですが、KCPの周りは夜でもむっとするような暑さです。これに四ッ谷駅並みの蝉時雨が加わったら、暑苦しくてたまりません。

受験講座開始

7月14日(火)

私の今学期の受験講座は、今日が初日。物理をしました。先学期から、教科書の勉強中心のクラスと、問題を解くのが中心のクラスとに分けています。どちらも面倒を見るのですから、理科がある日は忙しいです。

問題を解く演習クラスは、先学期はEJUの過去問が中心でしたが、今学期は過去問に加えて大学独自試験を意識した問題も解かせることにしました。選択肢のあるEJUの選択問題ばかりやっていたら、自分で答案を作る筆記問題の力はつきません。また、口頭試問で物理の原理みたいなものを聞かれても何とかなるようにという気持ちもあります。

こういうことを通して学生たちに本当に学んでもらいたいのは、科学の根幹を成す発想です。順序だてて論理的に考えて結論を得る問題の解決法です。科学者として過ごしていく上でどうしても必要な考え方です。今思い返すと、私も受験勉強のときにそんな発想法の芽となるものを身に付け、それを大学から大学院にかけて育て上げていったような気がします。そしてそれを学生たちにも身に付けてもらいたいのです。

だから、EJUを基準に考えると、私の授業は理屈っぽいでしょう。でも、無駄なことをしゃべっているつもりはありません。ほんのかけらでもいいですから、私が持っている経験や感覚を伝えていきたいと思っています。

さわやか?

7月10日(金)

朝は私の家から直線距離で3kmほどのスカイツリーが半分ほどしか見えませんでしたが、日中は久しぶりにきれいな青空となりました。梅雨明けですか、なんて聞いてきた学生もいました。そういってもらいたいところが、ちょっと気が早すぎますね。でも、その学生の気持ちはわかります。どんよりとした空の湿っぽい日が続いて気持ちが暗くなりがちでしたから、一刻も早く夏になって今日みたいな青空が続くことを願いたくなります。

でも、日差しが強いわりには気温は上がりませんでした。外に出たとたん汗が吹き出すことも日向が歩けないこともなく、夏らしさはありません。湿度は結構高いんですが、それが蒸し暑さにつながらず、お昼を食べに出たときにさわやかさすら感じました。新しくできたラーメン屋さんで熱いラーメンをすすりましたが、全く苦になりませんでした。

今年はエルニーニョの影響で冷夏だと言われていましたが、気象庁の最新予報によると、関東地方は冷夏ではなさそうです。日照時間が短めで気温が高めという予報ですが、要するに今年の夏は蒸し暑い日が続くのです。今日みたいに気温が程ほどで青空がパッと広がる日は、あまり望めそうもありません。連日猛暑日・熱帯夜じゃたまりませんが、33度ぐらいのじわーんと暑い日が続くのも、真綿で首を絞められるような嫌な感じです。

さて、今日は多くのクラスでスピーチコンテストの原稿書きをしました。来週初めにクラス内予選をして、代表者を決めます。その頃梅雨が明けて真夏の太陽が照り付けると、グッとムードが盛り上がるのですが、今年はどうなるでしょうか。

入学式挨拶

7月7日(火)

皆さん、ご入学おめでとうございます。このように世界の各地から多くの新入生を迎えることができ、非常にうれしく思っています。

皆さんは自分自身のことをどれぐらい知っていますか。自分の長所や短所、思考回路や行動様式、性格や嗜好などをどこまで把握していますか。知っているようで知らないのが自分のことです。

これから始まる留学生活では、今までに一度も経験したことのないことに出くわすことも多いでしょう。幾度もピンチに見舞われることと思います。皆さんが持っている物差しでは測りきれない事態に遭遇することの連続です。そのときに、皆さんが何をどのように考え、どんな結論を導き出し、いかに動くか、これによって皆さんは自分自身を知ることになるのです。意外に打たれ強いとか、一人ぼっちに弱いとか、交渉事が思ったよりうまいとか、そんなことを感じていくでしょう。今まで気が付かなかった自分の一面が見えてきます。こういう経験を通して、新しい自分を切り開いていってほしいのです。

世界を広げるために留学に来ました――こう語る留学生は多いです。確かに、留学によって自分の知らなかった世界を知ることはできます。生の日本文化に触れることを楽しみに来ている方も多いでしょう。KCPの教室で異文化を持った友人と語り合うことは、留学ならではの得がたい経験です。それをきっかけにして、世界に目を見開いていった先輩もたくさんいました。しかし、そんな彼方のことではなく、足元の自分自身を知ることもまた、留学の大きな意義です。

自分を知るとは、自分の適性を見極めるとも言えます。これが皆さんの将来を形作る大きな要素になることもあるでしょう。自分自身に対する新しい発見によって、自分の秘められた可能性を引き出し、それをベースに将来設計をし直すことだってあり得るのです。留学で広げられる世界は、外に向かう世界だけではありません。自分の内的世界、未知の能力の開発のほうが、重要な意味を持っていると私は思います。

孫子の兵法に「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」という言葉があります。敵に勝つには、敵を知ることはもちろんですが、自分自身を知ることもそれに負けず劣らず重要なのです。親元や母国を離れて長期間外国で暮らすのは、多くの方にとって初めての経験でしょう。ただ勉強に追われて漫然と過ごすのではなく、自分自身を直視し、強さも弱さも見極める機会としてほしいのです。これができれば、この留学は皆さんのこれからの長い人生における強固な基盤になるでしょう。その基盤の上に、日本での経験や学問を応用した皆さん自身の人生を築いていってください。

この留学が、10年後、20年後、30年後の皆さんに資するものになることを切に願っています。本日は、ご入学、本当におめでとうございます。

雨降り

7月6日(月)

強い雨ではないけれども傘をささないわけにはいかないぐらいの雨がずっと降っています。天気図を見ると高気圧も台風も勢いよく動く気配はなく、予想天気図でも前線の位置はほとんど動きません。ということは、ここしばらくはこんな天気が続くということです。先週もパッとしない天気が続きました。梅雨だから文句を言ってもしかたがないのですが、そろそろスカッとした青空が恋しくなってきました。

お天気にかかわらず、新学期は着実に近づいています。その準備の一環として、図書室の整理をしました。蔵書の配置換えをしましたが、古い本の多さに改めて驚かされました。古いことが価値につながる本や記録として取っておく必要がある専門書などは捨てるわけにはいきませんが、それ以外にもこんなの誰が読むのっていう本が多数ありました。でも、勝手に捨てるわけにはいかないんですよね、学校法人の場合は。

古新聞や昔のアルバムが出てくると思わずそれに見入ってしまうように、20年以上も昔のガイドブックなんていうと、史料価値といいたくなるくらいの面白さがあります。三条から浜大津に向かう京阪電車なんて、私が学生のころの話です(現在は京都市営地下鉄)。その頃のことを思い出して、涙が出そうになりました。また、ハードカバーの単行本が昭和58年には480円だったなんて、そう簡単にはわかりませんよ。私の感覚だと、昭和58年はついこの前なんですが、実際にはかなり昔なんですね。

夕方は、入学式の会場設営。講堂全体を埋め尽くす椅子は、壮観そのものです。明日もお天気はよさそうにありませんが、ここに期待に目を輝かせた顔が並ぶのでしょう。

爆弾作り

7月2日(木)

来週の木曜日は始業日なので、先生方の打ち合わせがありました。スピーチコンテストの概要や、進学に関する情報などをお伝えし、新学期への準備を進めました。K先生がスピーチの指導方法について詳しく講義してくださり、また、今までよりぐっとすてきな今年の会場の写真を見せられたりして、ああ今年も夏学期が始まるんだなという気分になってきました。

私は明日も来週も養成講座の授業があるので、そっちに頭を使っていると、ついつい新学期の準備が疎かになってしまいます。別に現実逃避しているわけではありませんが、受講生には全力で立ち向かいたいですから、授業の下調べに力こぶが入るのです。まあ、語彙論とか意味論とか形態論とか日本語の歴史とか、授業内容が私の好きな分野ですから、なおさらそっちのほうに目が向いてしまうのでしょう。

それでも、新学期に私が担当することになりそうなクラスの授業構想を立て始めています。教材集め、教材作りにも取りかかっています。こちらもやり始めると結構熱中してしまうもので、この教材は今学期は難しいかもしれないけど、学生たちが力をつけた来学期ならこなせるかななんて、3か月も先のことまで心配しちゃったりしています。仕事のしかたが散漫でいけませんね。

今度のクラスは進学希望の学生が大半ですが、進学するのに役に立つ日本語だけではなく、進学してから勉強しておいてよかったと思ってもらえるような日本語を教えていきたいと思っています。1年後か2年後に爆発するような時限爆弾を仕込んでいるような感じです。そう考えると、教材作りがおもしろくなります。

私の周りの時間

6月26日(金)

私の周りには他の先生方と違う時間が流れています。学校の中はアメリカの大学のプログラムで来日した学生であふれていて、昨日から授業が始まっています。教師は総出でその授業をしています。しかし、私は日本語教師養成講座の講義やその準備に明け暮れています。いつもの年なら私もアメリカからの学生の授業をするのですが、今年は養成講座が最優先です。

ここ数年、日本語がほとんどゼロのクラスを担当してきましたから、授業が終わると本当にへとへとでした。でも、スタートがゼロですから、ちょっとでもできるようになったら伸び率無限大なのです。学生もできるようになったことが実感できますから、とてもうれしそうな顔をします。わからない言葉に包まれて教師以上に精神的に疲れているかもしれませんが、きっと心地よい疲れを味わっているのでしょう。

今年はそういう場面に立ち会えないのが残念なのですが、養成講座の授業でそれを補っています。こちらの受講生も、日常普通に使っている日本語や、もう少し大きくいうと言語そのものを、あるいは政治経済、科学技術なんていう角度で眺めてきたこの国を、今までとはまるっきり違う視点から見つめ直す新鮮さを味わっているようです。驚きと感動をもたらしているのだと思うと、アメリカの学生たちに対するときと同じ種類のさわやかな疲れを感じることができます。

私は文法とか言葉の意味とかをねちこちと考えるのが好きですから、養成講座の講義の準備は楽しんでやっています。むしろ、深入りしすぎないようにブレーキをかけているくらいです。あんなこともこんなことも受講生に考えてもらいたいと思いながら授業の計画を立てていると、資料がどんどん膨れ上がってしまいます。今週の3回の講義でも、山ほどあった伝えたいことを泣く泣く切り捨てて、どうしてもっていう内容を厳選しました。来週もそんな感じになりそうです。

さて、来週は新学期の準備もしなければなりません。忙しくなります。

始まりました

6月22日(月)

全校的には期末テストでしたが、私にとっては日本語教師養成講座スタートの日でした。初回は日本語教育概論ということで、これから教壇実習に至るまでの舞台となるKCPという学校のしくみや、そもそも人に物を教えるとはどういうことかとか、日本語教師とはどんな仕事をするのかなどについて話しました。話しましたというよりは、半分は考えてもらいました。考えてもらうとは、受身ではなく主体的に授業に参加してもらうということです。

どこの日本語学校でもそうだと思いますが、日本語の授業は教師の説明を一方的に聞くだけではなく、学習者自身が口や手や体を動かしながら身に付けていくものです。ですから、養成講座のうちから授業とは自分が動くんだ、教師は学習者を動かすんだっていうことを身をもって感じてもらいたいのです。

明日からはもう少し理論的なことをやっていきますが、「教える」だけの授業はしません。答えの出し方までは教えますが、実際の答えは自分自身で出してもらうという考え方でいきます。日本語教師は、いつどんな形でどんな質問が飛んでくるかわからない仕事です。そういった質問にすぐ対応できるように、今からビシバシ鍛えていきます。

さわやかな朝

5月15日(金)

毎朝、学校の玄関の鍵を開けるのと同時に、学校の前の駐車場や道路にごみが落ちていないか見回ります。そうすると、1週間に2日ぐらいは何かが落ちています。吸殻が一番多いですね。お菓子か何かのビニールのフィルム、ガム、コンビニ袋、紙くずなど、大きなものでなありませんが美観を損ねるものが捨てられています。木の葉が飛んでてもそんなに見苦しいとは思いませんが、フィルターだけになった吸殻が1本落ちているだけで、神経に引っかかるものがあります。

学生が学校の敷地内や前の道に吸殻やごみを捨てるとは思えません。そんな学生がいたら放校ものですよ。小さなものが大半ですから、どこかから風邪に飛ばされてきたことも十分に考えられます。でも、吸殻やガムはその場に捨てられたものじゃないかな。

とすると、犯人はおそらく日本人。日中は人目もありますからそんな投げ捨てはしないでしょう。しかし、夜は、職員室の道路に面した窓のロールカーテンも下りているし、人通りも少ないし、ちょうどいい具合に道路から引っ込んでいるから、ポイッといきたくなるんじゃないでしょうか。

そんなことを考えながら、ごみを拾います。同時に、こんな公徳心のない日本人がいることに情けなさを感じます。日本人を見習いたいと言っている学生たちには、恥ずかしくて見せられないなと思います。これは三流の日本人の仕業だと思えば少しは気が楽になりますが、その三流日本人がごみをポイ捨てするときの卑しい顔を想像すると、やっぱり心は曇り空になります。朝、ごみを見つけると、こんなふうに、朝から気持ちが落ち込んでしまいます。

来週の金曜日は運動会。会場の小豆沢体育館は、ごみは原則持ち帰りです。学生たちには卑しい日本人のまねをしてもらいたくないです。