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さわやか?

7月10日(金)

朝は私の家から直線距離で3kmほどのスカイツリーが半分ほどしか見えませんでしたが、日中は久しぶりにきれいな青空となりました。梅雨明けですか、なんて聞いてきた学生もいました。そういってもらいたいところが、ちょっと気が早すぎますね。でも、その学生の気持ちはわかります。どんよりとした空の湿っぽい日が続いて気持ちが暗くなりがちでしたから、一刻も早く夏になって今日みたいな青空が続くことを願いたくなります。

でも、日差しが強いわりには気温は上がりませんでした。外に出たとたん汗が吹き出すことも日向が歩けないこともなく、夏らしさはありません。湿度は結構高いんですが、それが蒸し暑さにつながらず、お昼を食べに出たときにさわやかさすら感じました。新しくできたラーメン屋さんで熱いラーメンをすすりましたが、全く苦になりませんでした。

今年はエルニーニョの影響で冷夏だと言われていましたが、気象庁の最新予報によると、関東地方は冷夏ではなさそうです。日照時間が短めで気温が高めという予報ですが、要するに今年の夏は蒸し暑い日が続くのです。今日みたいに気温が程ほどで青空がパッと広がる日は、あまり望めそうもありません。連日猛暑日・熱帯夜じゃたまりませんが、33度ぐらいのじわーんと暑い日が続くのも、真綿で首を絞められるような嫌な感じです。

さて、今日は多くのクラスでスピーチコンテストの原稿書きをしました。来週初めにクラス内予選をして、代表者を決めます。その頃梅雨が明けて真夏の太陽が照り付けると、グッとムードが盛り上がるのですが、今年はどうなるでしょうか。

入学式挨拶

7月7日(火)

皆さん、ご入学おめでとうございます。このように世界の各地から多くの新入生を迎えることができ、非常にうれしく思っています。

皆さんは自分自身のことをどれぐらい知っていますか。自分の長所や短所、思考回路や行動様式、性格や嗜好などをどこまで把握していますか。知っているようで知らないのが自分のことです。

これから始まる留学生活では、今までに一度も経験したことのないことに出くわすことも多いでしょう。幾度もピンチに見舞われることと思います。皆さんが持っている物差しでは測りきれない事態に遭遇することの連続です。そのときに、皆さんが何をどのように考え、どんな結論を導き出し、いかに動くか、これによって皆さんは自分自身を知ることになるのです。意外に打たれ強いとか、一人ぼっちに弱いとか、交渉事が思ったよりうまいとか、そんなことを感じていくでしょう。今まで気が付かなかった自分の一面が見えてきます。こういう経験を通して、新しい自分を切り開いていってほしいのです。

世界を広げるために留学に来ました――こう語る留学生は多いです。確かに、留学によって自分の知らなかった世界を知ることはできます。生の日本文化に触れることを楽しみに来ている方も多いでしょう。KCPの教室で異文化を持った友人と語り合うことは、留学ならではの得がたい経験です。それをきっかけにして、世界に目を見開いていった先輩もたくさんいました。しかし、そんな彼方のことではなく、足元の自分自身を知ることもまた、留学の大きな意義です。

自分を知るとは、自分の適性を見極めるとも言えます。これが皆さんの将来を形作る大きな要素になることもあるでしょう。自分自身に対する新しい発見によって、自分の秘められた可能性を引き出し、それをベースに将来設計をし直すことだってあり得るのです。留学で広げられる世界は、外に向かう世界だけではありません。自分の内的世界、未知の能力の開発のほうが、重要な意味を持っていると私は思います。

孫子の兵法に「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」という言葉があります。敵に勝つには、敵を知ることはもちろんですが、自分自身を知ることもそれに負けず劣らず重要なのです。親元や母国を離れて長期間外国で暮らすのは、多くの方にとって初めての経験でしょう。ただ勉強に追われて漫然と過ごすのではなく、自分自身を直視し、強さも弱さも見極める機会としてほしいのです。これができれば、この留学は皆さんのこれからの長い人生における強固な基盤になるでしょう。その基盤の上に、日本での経験や学問を応用した皆さん自身の人生を築いていってください。

この留学が、10年後、20年後、30年後の皆さんに資するものになることを切に願っています。本日は、ご入学、本当におめでとうございます。

雨降り

7月6日(月)

強い雨ではないけれども傘をささないわけにはいかないぐらいの雨がずっと降っています。天気図を見ると高気圧も台風も勢いよく動く気配はなく、予想天気図でも前線の位置はほとんど動きません。ということは、ここしばらくはこんな天気が続くということです。先週もパッとしない天気が続きました。梅雨だから文句を言ってもしかたがないのですが、そろそろスカッとした青空が恋しくなってきました。

お天気にかかわらず、新学期は着実に近づいています。その準備の一環として、図書室の整理をしました。蔵書の配置換えをしましたが、古い本の多さに改めて驚かされました。古いことが価値につながる本や記録として取っておく必要がある専門書などは捨てるわけにはいきませんが、それ以外にもこんなの誰が読むのっていう本が多数ありました。でも、勝手に捨てるわけにはいかないんですよね、学校法人の場合は。

古新聞や昔のアルバムが出てくると思わずそれに見入ってしまうように、20年以上も昔のガイドブックなんていうと、史料価値といいたくなるくらいの面白さがあります。三条から浜大津に向かう京阪電車なんて、私が学生のころの話です(現在は京都市営地下鉄)。その頃のことを思い出して、涙が出そうになりました。また、ハードカバーの単行本が昭和58年には480円だったなんて、そう簡単にはわかりませんよ。私の感覚だと、昭和58年はついこの前なんですが、実際にはかなり昔なんですね。

夕方は、入学式の会場設営。講堂全体を埋め尽くす椅子は、壮観そのものです。明日もお天気はよさそうにありませんが、ここに期待に目を輝かせた顔が並ぶのでしょう。

爆弾作り

7月2日(木)

来週の木曜日は始業日なので、先生方の打ち合わせがありました。スピーチコンテストの概要や、進学に関する情報などをお伝えし、新学期への準備を進めました。K先生がスピーチの指導方法について詳しく講義してくださり、また、今までよりぐっとすてきな今年の会場の写真を見せられたりして、ああ今年も夏学期が始まるんだなという気分になってきました。

私は明日も来週も養成講座の授業があるので、そっちに頭を使っていると、ついつい新学期の準備が疎かになってしまいます。別に現実逃避しているわけではありませんが、受講生には全力で立ち向かいたいですから、授業の下調べに力こぶが入るのです。まあ、語彙論とか意味論とか形態論とか日本語の歴史とか、授業内容が私の好きな分野ですから、なおさらそっちのほうに目が向いてしまうのでしょう。

それでも、新学期に私が担当することになりそうなクラスの授業構想を立て始めています。教材集め、教材作りにも取りかかっています。こちらもやり始めると結構熱中してしまうもので、この教材は今学期は難しいかもしれないけど、学生たちが力をつけた来学期ならこなせるかななんて、3か月も先のことまで心配しちゃったりしています。仕事のしかたが散漫でいけませんね。

今度のクラスは進学希望の学生が大半ですが、進学するのに役に立つ日本語だけではなく、進学してから勉強しておいてよかったと思ってもらえるような日本語を教えていきたいと思っています。1年後か2年後に爆発するような時限爆弾を仕込んでいるような感じです。そう考えると、教材作りがおもしろくなります。

私の周りの時間

6月26日(金)

私の周りには他の先生方と違う時間が流れています。学校の中はアメリカの大学のプログラムで来日した学生であふれていて、昨日から授業が始まっています。教師は総出でその授業をしています。しかし、私は日本語教師養成講座の講義やその準備に明け暮れています。いつもの年なら私もアメリカからの学生の授業をするのですが、今年は養成講座が最優先です。

ここ数年、日本語がほとんどゼロのクラスを担当してきましたから、授業が終わると本当にへとへとでした。でも、スタートがゼロですから、ちょっとでもできるようになったら伸び率無限大なのです。学生もできるようになったことが実感できますから、とてもうれしそうな顔をします。わからない言葉に包まれて教師以上に精神的に疲れているかもしれませんが、きっと心地よい疲れを味わっているのでしょう。

今年はそういう場面に立ち会えないのが残念なのですが、養成講座の授業でそれを補っています。こちらの受講生も、日常普通に使っている日本語や、もう少し大きくいうと言語そのものを、あるいは政治経済、科学技術なんていう角度で眺めてきたこの国を、今までとはまるっきり違う視点から見つめ直す新鮮さを味わっているようです。驚きと感動をもたらしているのだと思うと、アメリカの学生たちに対するときと同じ種類のさわやかな疲れを感じることができます。

私は文法とか言葉の意味とかをねちこちと考えるのが好きですから、養成講座の講義の準備は楽しんでやっています。むしろ、深入りしすぎないようにブレーキをかけているくらいです。あんなこともこんなことも受講生に考えてもらいたいと思いながら授業の計画を立てていると、資料がどんどん膨れ上がってしまいます。今週の3回の講義でも、山ほどあった伝えたいことを泣く泣く切り捨てて、どうしてもっていう内容を厳選しました。来週もそんな感じになりそうです。

さて、来週は新学期の準備もしなければなりません。忙しくなります。

始まりました

6月22日(月)

全校的には期末テストでしたが、私にとっては日本語教師養成講座スタートの日でした。初回は日本語教育概論ということで、これから教壇実習に至るまでの舞台となるKCPという学校のしくみや、そもそも人に物を教えるとはどういうことかとか、日本語教師とはどんな仕事をするのかなどについて話しました。話しましたというよりは、半分は考えてもらいました。考えてもらうとは、受身ではなく主体的に授業に参加してもらうということです。

どこの日本語学校でもそうだと思いますが、日本語の授業は教師の説明を一方的に聞くだけではなく、学習者自身が口や手や体を動かしながら身に付けていくものです。ですから、養成講座のうちから授業とは自分が動くんだ、教師は学習者を動かすんだっていうことを身をもって感じてもらいたいのです。

明日からはもう少し理論的なことをやっていきますが、「教える」だけの授業はしません。答えの出し方までは教えますが、実際の答えは自分自身で出してもらうという考え方でいきます。日本語教師は、いつどんな形でどんな質問が飛んでくるかわからない仕事です。そういった質問にすぐ対応できるように、今からビシバシ鍛えていきます。

さわやかな朝

5月15日(金)

毎朝、学校の玄関の鍵を開けるのと同時に、学校の前の駐車場や道路にごみが落ちていないか見回ります。そうすると、1週間に2日ぐらいは何かが落ちています。吸殻が一番多いですね。お菓子か何かのビニールのフィルム、ガム、コンビニ袋、紙くずなど、大きなものでなありませんが美観を損ねるものが捨てられています。木の葉が飛んでてもそんなに見苦しいとは思いませんが、フィルターだけになった吸殻が1本落ちているだけで、神経に引っかかるものがあります。

学生が学校の敷地内や前の道に吸殻やごみを捨てるとは思えません。そんな学生がいたら放校ものですよ。小さなものが大半ですから、どこかから風邪に飛ばされてきたことも十分に考えられます。でも、吸殻やガムはその場に捨てられたものじゃないかな。

とすると、犯人はおそらく日本人。日中は人目もありますからそんな投げ捨てはしないでしょう。しかし、夜は、職員室の道路に面した窓のロールカーテンも下りているし、人通りも少ないし、ちょうどいい具合に道路から引っ込んでいるから、ポイッといきたくなるんじゃないでしょうか。

そんなことを考えながら、ごみを拾います。同時に、こんな公徳心のない日本人がいることに情けなさを感じます。日本人を見習いたいと言っている学生たちには、恥ずかしくて見せられないなと思います。これは三流の日本人の仕業だと思えば少しは気が楽になりますが、その三流日本人がごみをポイ捨てするときの卑しい顔を想像すると、やっぱり心は曇り空になります。朝、ごみを見つけると、こんなふうに、朝から気持ちが落ち込んでしまいます。

来週の金曜日は運動会。会場の小豆沢体育館は、ごみは原則持ち帰りです。学生たちには卑しい日本人のまねをしてもらいたくないです。

台風接近…せず

5月12日(火)

学生たちは、明日台風で休校になることを期待していたようですが、すでに台風は温帯低気圧寸前で、どうやら夜中にちょっと強めの雨が降って終わりになりそうです。明日は朝から晴れという予報が出ています。

昨日の今頃はまだかなりの勢力を保っていましたが、この時期は本州付近の海水温がまだ十分に上がっていないため、北上するにつれて急速に衰え、少々の雨を降らすのがやっとというところに落ち着きました。温暖化が進んだらこの時期の台風も弱まらずに本州に襲い掛かるようになるのですから、恐ろしい限りです。

さて、「先生、明日は学校休みですか」と期待に胸躍らせて(?)聞いてきた学生たちですが、「明日台風で休みになったら、期末テストの次の日に授業をします。それが嫌なら今度の日曜日です。どっちがいいですか」と聞き返してやると、「んぎゃっ」と何とも形容しがたい声を出して沈んでしまいました。実際、このクラスは進度が遅れ気味なので、臨時休校なんてなったらその後よっぽど急がないと所定のところまで勉強が進まなくなってしまいます。勉強をはしょわれて結局どこかでしわ寄せを食うのは彼ら自身です。台風で外にも出られない日が休みになっても、何のご利益もありません。普通どおりに学校で勉強するのが一番いいのです。

毎日続けることが力になると、学生たちもわかってはいるのでしょうが、それを信じて実行することは難しいです。臨時休校の日にきちんと自宅学習できる学生は、努力の価値をしている学生で、目標到達までがんばり続けられる学生でしょう。これ幸いと遊んでしまう学生は、堕落の芽をはらんでいる学生だと思います。これから半年前後続く受験競争ですが、台風で休校などという僥倖を当てにしないで、しっかり力をつけて勝利をつかんでもらいたいです。

活動再開

5月9日(土)

朝の受験講座が終わってから、ボランティアクラブの学生たちが募金箱を作り始めました。来週からネパールの地震の被災者に送る募金を始めます。

学生たちの中にネパールとつながりのある人はいないでしょう。地震の少ない国から来た学生には、地震で家を失うとか生活の基盤が消えるとかという事態が、最初はピンとこないかもしれません。自分を被災者の立場に置いて、そういう状況がいかにとんでもないものかを理解し、縁もゆかりもないところの被災者にお金を出す、という思考や行為は、学生たちを成長させます。自分の主体的な行動が遠い世界とつながっているという実感を、若いときから持ってもらいたいです。

ネパールのど遠くじゃなくても、ボランティアのネタはいくらでもあります。日本へ来てから献血を始めたという学生も、今まで何人かいました。母国の天災を知り自らが発起人となって募金活動を始めた卒業生もいました。家の近くの公園を掃除しているという学生の話も耳にしたことがあります。そういう気持ちを大きく育てていくと、一回りも二回りも大きな人物になれるでしょう。

ボランティアクラブは、旧校舎の時代には東日本大震災の募金をはじめ、けっこう活躍していたのですが、仮校舎に移ってからは活動休止状態が続いていました。それがこのたびようやく復活し、最初の活動がこの募金というわけです。募金以外にも、毎学期実施しているバザー(収益は親と一緒に暮らせない子供の施設に寄付)のお手伝いなど、いろいろと活動計画があるようです。

募金箱を作っている面々も、受験講座を受けているくらいですから受験生です。自分の勉強を最優先にしたいでしょうが、その気持ちを抑えて、だれかのために貴重な時間と労力を割いています。この心意気は大いに買ってあげたいです。

持ち帰らない

4月28日(火)

明日は昭和の日でお休み。いよいよ大型連休が始まります。学校はカレンダーどおりに休みですが、教職員の中には仕事を家に持ち帰る方もいます。私は仕事を家に持ち帰りません。帰宅が遅くなろうとも、仕事は学校で片付けます。

まず、学生の宿題などの書類を持ち帰ろうとしてその書類をなくしてしまったら、その責任は取れないからです。学生が私を信頼して個人的なことを書いた作文を電車の中で採点していて隣の人に読まれてしまったら、私はその学生に合わせる顔がありません。学校の機密にかかわることだったら、なおさらのことです。私はそう簡単に持ち物をなくしませんが、万が一のことを考えると、気安く持ち帰ろうという気は起こりません。

それから、「私」の時間に「公」を持ち込みたくないのです。「私」が「公」に侵入する公私混同が許されないのなら、同様に「公」が「私」を侵略するのもおかしいです。ほかの人はともかく、私は24時間仕事のことばかり考えていたらいい仕事はできません。かつて、職場も住まいも同じ敷地内という環境だったことがありますが、頭がおかしくなりそうでした。仕事を完全に離れる時間が、私には必要なのです。

もちろん、学校を一歩離れたら日本語教育について全く考えないなどということではありません。毎朝新聞を読んで、教材になりそうな記事はしっかりチェックを入れますし、長期休暇で旅行に出ても、旅先で授業のネタに反応することはあります。ただ、それを義務だと思った瞬間に、日常生活も旅行も重苦しいものになってしまうような気がするのです。それゆえ、“私公混同”を恐れているのです。

午後は受験講座がびっしりつまっていましたから、午前中の授業の後始末がまだ完全には終わっていません。でも全ての仕事が納期に間に合うような計画は立てています。今週末からは、例年通り、思いっきり遊ぶつもりです。