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新システム

4月7日(木)

今学期から、学生の出席管理や成績管理の新しいシステムが稼働します。新システムは日々の授業の出欠から期末テストなどの成績、進路の決定まで、学生のKCPでの生活は何でも記録しておけます。今日は、新学期の打ち合わせを兼ねて、先生方への新システムの説明会を開きました。

システムを熟知しているM先生が実に要領よく説明なさったのですが、予定の時間をオーバーし、それでもまだ先生方の顔には不安げな表情が残っていました。機能が盛りだくさんですから、1回の説明ですべてをマスターするのは難しいです。授業のたびに使って、使いながら覚えていくっていうことになります。使い方が身についたら、裏ワザも開発され、システムの意外な効用が発揮されるようになるでしょう。そうなれば、私たちが学生を見る目も自分の仕事に対する姿勢も、ミクロな部分からマクロな広がりまで、磨きがかかるに違いありません。

というわけで、今は新システムへの移行期ですから、いつもと違った新学期前夜を迎えています。ひたすら新学期につながるデータを入力したり、こっそりシステムの使い方を練習したり、来週になったら失敗や準備不足は許されませんからね。

新システムになれば、受験講座も今よりがっちり管理できるようになります。それは、今よりきめ細かく学生を見守っていくことにもつながります。1人の学生に関する記録が集約されますから、受験講座と日々の授業や生活が有機的横断的につながり、クラスの先生からも、受験講座の講師からも、より的を射た指導ができるようになると考えています。

野良猫が来た

4月6日(水)

朝、太陽が顔をのぞかせてけっこう暖かかったので、今年初めて、学校の玄関のドアを思い切り開け放ちました。その玄関を通って、新入生がレベルテストを受けにどんどん入ってきました。予定より少し早く、テストを始めました。

レベルテストは、私たち教師にとっては新入生との初顔合わせです。どんな学生が入ってくるのか、厳しいチェックの目を入れます。

教室内飲食禁止だと告げ、飲食禁止の表示まで示したにもかかわらず、堂々とコンビニのコーヒーを飲んだKさん、マイナス10点。携帯電話はかばんにしまえと、ジェスチャーも交えて伝えたにもかかわらず、1科目目のテストが終わったら早速使おうとしたLさん、妙にぞんざいな口の利き方も含めて、マイナス20点。試験中に机の上から落ちた消しゴムを拾ってあげたら、きちんと「どうもありがとうございます」とお礼を言ったPさん、プラス15点。わからないことは手を挙げて積極的に質問していたCさん、プラス15点。試験中ずっときょろきょろしていたTさん、後から一人ぼっちで来日したと聞き、情状酌量して、マイナス5点。

こうした第一印象の評価って、わりと当たっちゃうんですね。おととし、レベルテストで私のクラスでチェックの対象だったSさんは、入学後、予想通り悪いほうで目立ちました。この3月の卒業まで、自由気ままな気質は変わらず、私は密かに「猫」と呼んでいました。でも、志望校に向かって突き進む時の姿は実に真摯でひたむきで、Sさんの蔵している底力の強さや能力の高さが感じられました。野良猫のまんまじゃどうにもなりませんが、それを矯めて自分自身も気づかなかった魅力を引き出すことが、私たちの仕事です。留学に来た本人も、送り出した親御さんも、自分(子ども)の新たな一面を探り出してもらえることを期待しているんじゃないのかな。

Kさん、Lさん、Pさん、Cさん、Tさんを、卒業までに私が受け持つかどうかは全くわかりませんが、教室で相まみえた時には、そういう気持ちで接します。

書類整理

3月30日(水)

職員室の席替えがあるため、教職員一同、身の回りの整理整頓に余念がありません。私は席の移動はありませんが、引き出しの中や机の上にたまった書類をずいぶん整理しました。

自分としては書類をため込んでいるつもりはなかったのですが、今は捨てられないとか、後で必要になるかもとか思ってどこかに突っ込んでおいた書類が、賞味期限切れとなって、わんさか見つかりました。一度捨てちゃったらもう復活できませんから、迷ったらキープなのですが、何で取っておいたのかわからないようなので机や引き出しが占領されているようじゃ、社会人失格ですね。

机まわりだけではありません。受け持ったクラスのプリント類も整理しなければなりません。欠席者に配り損ねた教材を見ていると、この3か月のことがありありと思い出されてきます。出席簿を見ると、卒業していった学生の顔が一人ひとり浮かび上がってきます。でも、そんな感傷に浸っている暇はありません。いらないものはばっさり捨てて、保存すべきものはしかるべきところに置き、新学期に備えました。

驚くべきはシュレッダー。ダストボックスが数時間も経たないうちに2回も満杯になりました。それだけの秘密書類が、この職員室から消え去りました。それだけ、思い責任を背負っているのだなと感じさせられました。でも、サーバーにはシュレッダー級の書類がその数百倍か数千倍か数万倍か、もしかすると、数億倍ぐらいあるに違いありません。二度と日の目を見ることのない電子的なデータが、これからも幾何級数的に増えていくことでしょう。

コンピューターの中に保存しておけば大丈夫って、私たちは書類整理を放棄している面があるんじゃないかなって、ふと思いました。

ハンドドライヤー

3月14日(月)

2階から5階の学生用トイレに、ハンドドライヤーがつきました。今年の卒業生一同が寄付してくれたものです。これまでにAED、廊下のベンチが卒業生からの寄付で贈られています。AEDは幸いにもまだ使用実績はありませんが、ベンチはすっかり定着して、学生たちのおしゃべりの場、軽い食事の場を提供してくれています。このハンドドライヤーも、すぐに空気のようにあたりまえの存在となることでしょう。

そもそも学生たちは、およそハンカチというものを持たず、トイレで手を洗うと、手を振って水気を飛ばそうとします。そのため、トイレの床は常に濡れており、それに外の土やらほこりやらが絡んで、どんなに掃除をしてもどこと泣く汚れた感じがありました。トイレの鏡もその水滴の標的となり、きれいとは言いがたい状態でした。

今年の卒業生は新校舎の1期生で、きれいな校舎が汚れていくのが耐えがたかったのでしょう。寄付物件として、ハンドドライヤーを選んでくれました。早速学生たちは使っています。1階の教職員トイレには取り付けられなかったので、私も3階の学生トイレで用を足して手を洗って使ってみました。思ったより強力で、あっという間に洗った手が乾きました。外は雨が降っていて、靴がいつもより汚れているはずですが、トイレの床はいつもよりきれいなような気がしました。

卒業生が後輩のために寄付をするというパターンが定着したようです。以前から同窓会組織はありましたが、ベンチやハンドドライヤーなど目に見える形で先輩に触れられるようになると、「同窓」という意識も強まるでしょう。

書類を取りになどでKCPへ来る卒業生がちょこちょこいます。明日からは、トイレを案内してあげようと思います。

再び、金曜日

3月11日(金)

あの日も、金曜日でした。午前中の授業を終え、旧校舎の5階にあった職員室で学生に漢字テストの追試を受けさせようとした時です。小刻みな揺れが始まり、学生は「先生、地震」と私を見上げました。「大丈夫、大丈夫」とテストを始めるように促しましたが、揺れは収まらず、「結構来ますね」なんて言っているうちに、揺れが本格的に。学生は机の下にもぐり、私は机の上のパソコンや本や書類が落ちないように手で押さえました。目の前のビルが大きく左右に揺れて、「頼むから倒れないでくれ」と心の中で強く祈ったのを今でもよく覚えています。

その日は卒業式の翌日で、あるレストランのクーポン券を持っていたので、夕食はそこで美味しいものをいただこうと思っていました。揺れの最中も、そのレストランが営業を中止するのではないかという、今思えば実にみみっちい心配をしていました。もちろん、地震後の諸対応で、たとえ営業していても行くことはできなかったでしょう。

上級クラスのN先生は、3.11関連の生教材か何かの授業を入れるようにとお願いしておきましたから、映像資料なども活用して、そういう授業をしてくださいました。しかし、私はといえば、地震や原発事故の記憶を風化させてはいけないとは思いながらも、午後2時46分は来週の教材を考えているうちに過ぎ去っていました。原発をバンバン再稼動させる政策に疑問を感じながらも、こんなことでは言行不一致ですね。

昨年末、思わぬ休暇が得られたので、仙台へ行きました。仙台駅などは震災前よりにぎやかになった気さえしましたが、海岸に近づくにしたがって、更地やプレハブの建物が目立ってきました。新築の家が固まって建っているところは復興が進んでいると考えられますが、私の目にはかえって震災の傷跡が浮かび上がってきました。

日本は地震大国です。「震災」が意味するところは、地域によって、人によってそれぞれです。どんな震災であれ、私たちにはその記憶を後の世の人に伝えていく責任があります。そして、日本を知ろうとしている世界の若者たちにそれを伝えていくことが、この学校の使命です。

推薦書を断る

2月13日(土)

昨日の夕方、Gさんが、専門学校を受験したいから推薦書を書いてくれと頼みに来ました。そこでGさんの出席率を調べてみると、ビザの期間延長後の出席率がKCPの推薦基準に達していないことがわかりました。ですから、Gさんに推薦書は書けないと伝えると、推薦書が書けない理由を書面にしてくれと言います。これは断る理由はありませんから、書くことにしました。

Gさんに限らず、推薦書は先生に頼みさえすれば書いてもらえると思っている学生が少なからずいるように見受けられます。推薦書とは、「この学生はいい学生ですから、ぜひ貴校で勉強させてやりたいです」という書面ですから、誰にでも出せるわけではありません。Gさんのように出席率が足りないとなると、学校で勉強するという学生の本分を忘れているということですから、間違っても推薦の対象にはできません。

Gさんの場合、専門学校側は推薦基準を設けていませんから、KCPが推薦書を書けば、それはそのまま受け取ってもらえるに違いありません。しかし、1週間に1日以上のペースで休む学生を推薦できるほど、私の度量は大きくありません。私文書偽造の罪に問われることはないでしょうが、良心の呵責は感じますし、そこまで学生を甘やかしていいものだとは思いません。Gさんの欠席には、本当に休まなければならなかった場合もあったでしょう。でも、おそらく大部分は寝坊程度の理由だったことは、想像に難くありません。推薦書の権威と信頼性を保つためにも、Gさんに推薦書を書くわけにはいきません。

私が推薦書を書かなかったことで、Gさんは専門学校に落ちるかもしれません。そして、日本での進学をあきらめ帰国を余儀なくされるかもしれません。でもそれは、少なくとも半分は、自業自得です。私たちがもっと強力に指導していればという反省もないわけではありませんが、指導に耳を貸さなかったのは、ほかならぬGさんです。

来週、Gさんは書類を受け取って、専門学校に出願します。いったい、どんな結果が出るのでしょう…。

ガムをかむ

2月12日(金)

午後の代講クラスの教室に入ると、ガムをかんでいる学生がいました。しかも、口元をかくすわけでもなく、堂々と口の中のガムを膨らませようとすらしていました。その学生の机に近寄り、教科書で思い切り机をたたいて激しく怒っていることを示し、外でそのガムを吐き出させました。

KCPは全館学厳禁です。これは学校のルールとして入学時のオリエンテーションでも伝えているし、その後も折があるたびに注意しています。文法の例文などでも、ガム禁止はよくネタにします。それにもかかわらず、しかも教師に目の前でガムをかむとは、どういう神経なのでしょう。

私はこのクラスに入るのも、そして、おそらく、その学生に会うのも初めてです。何のしがらみもありませんから、思い切り叱ることができます。傷つきやすかったりプライドが高かったりして、クラスメートの面前で叱ることが好ましくない場合もあるでしょうが、明らかにガムをかんでいることがわかる学生を放置することは、私にはできませんでした。たとえ傷ついたとしても、ルール違反は悪いことだと、当人及び周りの学生たちに知らしめることに何の躊躇が要りましょう。

幸いにも、その学生はそれほど壊れやすいタチではなく、その後は指名しても普通に答えていました。クラスの雰囲気も、一時的には暗くなりましたが、最終的には持ち直しました。私がこのクラスに入ることは、おそらくもうないでしょう。ガムをかんだ学生を受け持つ可能性も、あまり高いとはいえません。ですが、このクラスと学生を、しばらくは注視していきます。

大仕事

2月1日(月)

卒業文集には卒業生の作文のほか、各クラスで撮った動画も載せます。今日の私のクラスは、その動画の撮影日。大きな白い紙に各自がメッセージを書(描)いている様子を映すというものです。準備万端整い、朝からすぐ撮影のつもり…だったのですが、出席をとると、肝心の大きな白い紙を持って来ることになっているPさんがいないではありませんか。カメラが借りられるのは授業の前半だけだし、どうすればいいかと頭の中ですばやく計算し始めた時、4分ほどの遅刻でPさんが教室に駆け込んできて、事なきを得ました。

Hさんが指示を出しながらカメラを回し、学生たちは黙々とメッセージを書き、撮影は粛々と進みました。先週、何を書くか決めてくることを宿題にしておいたので、紙を目の前にして考え込むような学生はいませんでした。みんなかなり力のこもった言葉を書いていたので、ちゃかしたり冷やかしたりすることもなく、ふだんの授業よりも厳かな雰囲気でした。

美術系の大学に進学することが決まっているOさんには、特別枠で大きな絵を描いてもらいました。将来、Oさんが有名になったら、このDVDは価値が出るよなんて言ったら、Oさんははにかんだように笑っていました。そして、最後に、その巨大な寄せ書きを掲示板に張って、みんなその前に集まって記念撮影。Oさん以外はみんな一言しか書いていないのに、とっても大きな仕事を成し遂げたかのような満ち足りた顔をしていたのが印象的でした。“作品”をこのまま卒業式まで張っておきたいというので、午後の先生に断って、掲示板をしばらく占拠させていただくことにしました。

最近は、国で勉強ばかりしていて、クラスや学校全体で一つの仕事を成し遂げるという経験をしていない学生が目立ちます。スピーチコンテストやバーベキューなどの学校行事、そしてこうした卒業制作みたいなことを通して、そういうことの楽しさを味わってもらっています。今日のこの経験も、このクラスの学生たちに何物かを残したと信じています。

目指せ起業家

1月27日(水)

超級クラスの学生はほとんどがこの3月で卒業します。そういうクラスは、卒業文集を書くほかに、クラス全体で撮った動画も文集のDVDに入れます。それは、自分自身やクラスメートにとってはとても記念になり、同時に先生方や後輩へのメッセージにもなります。だから、撮り終わったらみんなそれなり以上の達成感を味わえるのですが、多くのクラスで自分がリーダーとなってクラスをまとめていこうという人物が現れません。

しかし、今年の超級クラスには、そのリーダーに立候補した学生がいました。Cさんです。クラスの中にはやる気のない学生もいますから、みんなをその気にさせて引っ張っていくのは難しいです。友だちがいのないわがままな学生がクラスの結束を乱すことも、しばしば見られます。そういう同級生をなだめすかして1つの作品にまでもっていくことの大変さを、Cさんはどこまで知っているのでしょうか。

リーダーの立候補者が1人しかなく、Cさんがリーダーに決まる時、私は他の学生たちに、これから動画完成まではCさんの命令なら何でも聞けと約束させました。このぐらいの強権がないと、話がまとまりっこありません。

多くの学生たちが、異口同音に、起業したいと将来の抱負を述べます。起業とは人の上に立って指示したり、周りと調整を図ったり、要求を押し通したりって、一瞬たりともじっとなんかしていられません。クラスのリーダーにすらなろうとしない人に務まるわけがないじゃありませんか。勉強さえしていれば自然に社長になれるとでも思っているのでしょうか。ネットで起業するにしたって、どろどろした人間関係をどうにかしなければならない場面があります。

Cさんはやる気のない学生の尻をたたきつつ、自分の思う方向へみんなを引っ張っていこうとしています。Cさんのプロジェクトが成功するよう、私も助力を惜しまないつもりです。

入学式挨拶

皆さん、ご入学、おめでとうございます。このように多くの国から多くの学生がこのKCPに集まってきてくれたことをうれしく思います。

私は上級クラスを受け持っていますから、毎年この時期は進学指導に忙しいです。今年も、新年の仕事始めの日から、大学入試の面接練習をしました。この大学入試での面接で最も大切な力は、何だと思いますか。それは、コミュニケーション力です。面接官が何を知ろうとしているかを察知してそれに応える、これがコミュニケーション力です。

コミュニケーション力は、大学入試にとどまらず、就職試験やアルバイトの面接でも重視されますし、そもそも円滑な日常生活を成り立たせる上で必要不可欠なものです。日本語という皆さんにとっては外国語によって、皆さん自身の心や頭の中身を目の前の人に伝え、日本語で思考回路を働かせ、それを日本語によって訴えようとしている日本人の考えや気持ちを感じ取ることは、たやすいことではないでしょう。たとえ面接試験なしで進学や就職ができたとしても、その後その進学先や職場で暮らしていく際にはコミュニケーション力なしでは済みませんから、この力を伸ばしていくことはこの国で生きていく上で何より優先すべきことです。ペーパーテストの点数が高いだけでは、勉強も仕事もはかどりませんし、日本での生活自体が楽しいものにはならないでしょう。

日本の文化を知ろうと思ってこの留学を思い立った皆さんは、なおのことコミュニケーション力が物を言います。どこまで日本文化の深い部分に触れられるかは、ひとえにコミュニケーション力にかかっています。日本文化を表面的になでるだけなら、翻訳や通訳を通せば十分できます。でも、それならインターネットによって国でもできるでしょう。日本でしかできない経験を求めるなら、それが日本文化の真髄に近いものいであればあるほど、日本語によるコミュニケーション力を身に付けなければならないことは疑いようがありません。

KCPは、日本語によるコミュニケーション力を付けることに主眼を置いています。初級の教室で、国籍の違う学生が、まだまだ不十分ではあるけれども、お互いの共通言語である日本語によって意志の疎通を図っている姿を見かけると、“ああ、やってるな”と、思わずニンマリしてしまいます。そうやってコミュニケーション力を伸ばそうとしている学生は、実に生き生きとした表情をしています。皆さんにもその輝く笑顔を振りまいてほしいのです。こういうコミュニケーション力を手にすることができたなら、必ずや皆さんの留学は実りの多いものになることでしょう。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。