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義務感

7月22日(金)

選択授業で、中級のドラマの聴解をしました。「ドラマの聴解」という選択科目名を見て、ドラマが「見られる」と思った学生が多かったようですが、この授業では映像は見せません。音声だけのソースのストーリーを追い、内容を把握し、さらにはそこに散りばめられている日本人の発想や習癖や生活など、もう一歩踏み込んで文化的背景までつかみ取ってもらおうという欲張りな授業です。

日本人なら鼻歌交じりで聞いていても十分理解できますが、中級の学生にとっては、1回聞いただけでは表面的な理解にとどまります。登場人物の名前を聞き取るのも一苦労だし、擬音語擬態語はとりあえずなかったことにして、聞き取れた単語をつなぎ合わせて一番太い幹をよじ登っていくので精一杯です。変な単語が耳についてしまったら、いつの間にか小枝の先にぶら下がっていたなんていうこともありえます。

教師は、幹のありかやそれがどちらに向かっているかをしっかり指示することはもちろん、枝についた葉や花や実にも目を向けさせていかなければなりません。JLPTの聴解問題などを解くだけでは得られるのとは違った種類の力をつけさせていくことが最大の仕事です。学生にとって、わざわざ日本へ来て、日本人の教師から教えを受ける意義は、こういうところにこそあるはずです。

学生が独習できることを教師が仰々しく取り上げても、学生はあまりありがたくないでしょう。多くの学生は、日本人の日本語教師に日本語を習うことに意義があると考えてこの学校に入ってきたのでしょうから、私たちはそれに応える義務があります。安くない授業料を受けとている側としての、サービスの提供義務です。私は、いつもそういうことを考えながら、授業を組み立てています。

光栄

7月15日(金)

各クラスともスピーチコンテストのクラス内予選が終わり、クラス代表が決定し、クラス全員に伝えられました。私のクラスはXさんです。予選の段階でみんながXさんだろうなと思っていたらしく、「クラスの代表は…」と言いかけた時点で、Xさんに向かって拍手が起きました。私に名前を呼び上げられたXさんは、ちょっとはにかむように下を向きながらも、光栄そうな表情をしていました。

クラス代表となった学生は、だいたいXさんと同じような反応を示します。何だかんだと言いながらも、やっぱり誇らしい気持ちは隠せません。クラス代表になるくらいの学生は選ばれる喜びを知っており、みんなの期待に応えることで自分自身を伸ばしていけるタイプの人たちなのです。

クラス代表になった学生は、これからスピーチコンテスト本番までの間、発表のしかたをがっちり訓練されます。授業が終わってから、毎日のようにスピーチの練習をします。原稿を全部覚え、規定の時間内に発表できるように、そして、聞き手の印象に残るような話し方やパフォーマンスも身に付けていきます。

それ以外の学生は、応援に命をかけます。1人の代表をクラスみんなで盛り上げるにはどうすればいいか、全員で知恵を絞ります。音楽や映像プロデュースなどを勉強してきたまたは勉強しようと思っている学生たちは、この応援が自分の作品だともいえます。本番のステージ上で恥ずかしがらずに堂々と演技ができるようになるまで、これまた日々練習を重ねていきます。

これからスピーチコンテストまでの半月ほどの間、学校中に普段とは違った努力があふれます。

1クール

7月9日(土)

4月に新しい事務教務システムが稼働して1クールになります。この3か月間、教職員一同、便利になったと感動したり、機械というかコンピュータープログラムの融通の利かなさを嘆いたりしてきました。

私は、自分たちの仕事をシステム製作者に伝えることの難しさを痛感しました。どんな作業をしているかを伝えるのですら、暗黙の了解の余地がない人が相手となると、その作業を細かく分解せねばならず、けっこうな負担となりました。さらに、個々の作業が有機的にどうつながり、どんな仕事が形作られるのかとなると、私たちにとっては自明のことでも、外部の人にとってはチンプンカンプンです。私たちがシステムに対して「まったくもう!」と思ったことの大半は、実は私たちの側に原因があったのです。

学生の要望にきめ細かく対応しようとすると、そのきめ細かさに比例して判断項目、判断基準が増え、部外者にはわかりにくい仕事の進め方になってきます。じゃあ、そういうこまごまとしたことをばっさり切り捨てられるかというと、そういうわけにもいきません。物ではなく人を相手にしていますから、その心に訴えかける仕事となると、機械的な割り切りばかりではすみません。

いってみれば、私たちの仕事の進め方は名人芸であり、伝統芸能です。それはそれで価値のあるものではありますが、それで自己満足に陥ってはいけません。合理的な仕事の進め方ができれば、さらに仕事を進化させられるはずです。そのための新システムであり、この構築のために自分の仕事を振り返ったことを、学校全体の発展につなげていかねばなりません。

ただいま旅行中

6月17日(金)

最近ずっと欠席が続いていたRさんとようやく連絡が取れました。国から家族が来たので、日本国内を旅行している最中で、今は東京にいないそうです。風邪をひいて調子が悪いという話はだいぶ前に聞いていましたが、旅行中とは全く知らされていませんでした。私に知られたら止められるだろうから、学校には一切断りを入れずに旅行に出て行ったに違いありません。

どこをどう旅行しているのか知りませんが、家族水入らずで、さぞかし楽しいことでしょう。日本語がわからないご両親に通訳してあげて、親孝行もたっぷりできたことと思います。親御さんも、頼りがいのある存在に成長したRさんをご覧になり、目を細めているに違いありません。

でも、Rさんは今学期の進級はすでに絶望的であり、最近の派手な休みようで出席率もがたがたで、ビザの更新も危うくなってきました。そういう犠牲の上に立った家族旅行なのです。親御さんは、こういうことはきっとご存じないのでしょう。ご存知だったら、子どもに学校をサボらせてまで、日本を回ろうとするでしょうか。自分たちのわがままが、子どもの将来を狭くしているのです。

さらに考えると、RさんのKCPでの学費を払っているのはご両親ですから、ご両親はご自身の投資を無駄なものにしかねないことをなさっているのです。その辺どうお考えなのか、お会いして伺ってみたいところです。今までにも親が来たとか兄弟が来たとか言って休む学生はいましたが、Rさんほど派手に休んだ学生は初めてです。遊びに走ってしまった学生を正道に戻す最後の砦が両親からの説得でしたが、Rさんの場合は家族ぐるみで遊びに走っていますから、手の施しようがありません。

Rさんは期末テストまで休むそうです。なのに、日本で進学したいと言っています。どうぞご勝手に。私は手助けするつもりはありませんが。

始まりました

6月6日(月)

朝、出勤して受信トレイをのぞくと、Qさんからのメールが来ていました。この時間に届いている学生からのメールは、ほぼ間違いなく欠席の連絡です。読んでみると、案の定、欠席連絡でした。きちんと欠席連絡をしてきたのはほめられますが、「今日は休んでいただけませんか」はいただけません。「勉強したがっている学生がたくさんいますから、休むわけにはいかないんですけど…」と返信してやろうかとも思いましたが、この切り返しがQさんに通じるとは思えず、誤文を訂正するにとどめました。週の最初から脱力感をたっぷり味わわせてもらいました。

夕方、受験講座が終わって職員室に戻ってくると、午後の私のクラスのSさんが書いたW大学の志望理由書を渡されました。W大学の出願は今月末ですから、もう準備を始めないといけません。先週の面接の時に、SさんはW大学を受けたいと言っていましたから、まあ、予定の行動です。志望校について一生懸命調べて書いたのはよくわかりましたが、そこ止まりでした。調べた内容をSさんなりに咀嚼した跡が見られません。Sさんの人となりがうかがえる部分がないのです。

こちらは、脱力感というよりは、どうやって指導していけばいいのだろうかという、道のりの遠さに圧倒されそうでした。Sさんの志望理由書を読んで、今年も受験シーズンが始まったなと思わずにはいられませんでした。学生たちはEJUの勉強で戦闘開始でしょうが、進学指導をしていく教師は、志望理由書が書けるまでに学生を引っ張り上げていくことが、受験シーズンの最初の大仕事です。Qさんの志望校の出願はまだだいぶ先ですが、いずれこういう場面を迎えることになります。

東京地方は昨日梅雨入りしましたが、じとじとしている暇なんかありません。

紙が懐かしい

5月21日(土)

今学期から新しいシステムを導入し、出席はタブレット端末に入力し、テストの成績や宿題を提出したかどうかなどもコンピューター上の表に記録することになりました。ペーパーレス化を図ろうとしたわけですが、当方がまだ不慣れなせいもありますが、不便な点も見えてきました。

よく言われていることですが、一覧性という点においては、コンピューターは紙にかないません。誰がどのテストを受けていない、受けたけど不合格だというのは、紙なら文字通り一目瞭然ですが、コンピューターだと画面の大きさに限りがありますから、上下左右に画面を動かすことが必要です。

データがしっかり保護されているのはいいのですが、それゆえ目的のデータを目にするまでに何段階かの手続きが必要です。紙は、改変しようと思えばいくらでもできちゃいますが、見たいデータまで一直線にノンストップで進めました。

その他、まだまだ新システムの不便な点をあげつらうことはできますが、コンピューターの本領発揮はこれからです。コンピューターが得意とする点は、データをため込むことであり、ため込んだデータを検索して必要なデータを取り出すことです。システムが稼働して1学期も経っていませんから、たまったデータはまだ知れたものであり、検索の必要性はありません。しかし、たとえばある学生の入学から卒業までを追いかけられるくらいデータがたまってきたら、紙では頭を抱えてしまいそうな作業があっという間にでき、コンピューターの威力に恐れ入ることでしょう。

言うなれば、今は雌伏の期間です。学生の進路指導が本格化することには、新システムの恩恵が十分に感じられるようになるのではないかと期待しています。

運動会に来るかな

5月12日(木)

QさんはKCPの勉強を真面目にしようとしません。気が向いた時だけ授業に参加しているようで、毎日のように授業中にスマホをいじっては先生にしかられています。授業後は塾へ行って、そこで進学のための勉強をしているそうです。A大学が第一志望だと言っていますが、あのしゃべれなさ加減では、受験のテクニックを多少身に付けたところで、とうてい手が届かないと思います。

昨日とおとといは欠席で、ようやく出てきたところを捕まえて理由を聞きました。「どうして欠席したんですか」「11時に起きました」「何時に寝たんですか」「5時に寝ました」というような不毛の会話が続きました。要するに、学校を休んではいけないという気持ちが薄く、気ままな生活を送っているのです。塾に通ってさえいれば、A大学は自然に入れるとでも思っているのでしょうか。

奇跡でも何でもA大学に受かってしまえば万々歳ですが、おそらくそうはならず、その後始末がこちらに回ってくることと思います。今からQさんの力で入れそうな大学の目星を付けておかなければなりません。でも、Qさんの出席率で拾ってくれる大学があるかどうか…。どうして、KCPに対して何の感情も抱いていない学生のお世話に気をもまなければならないのか疑問に思うこともありますが、ビザを出した責任上、そこまで面倒を見なければならないのでしょう。

QさんにとってKCPは塾に通うための足がかりに過ぎませんから、ここには友達らしい友達はいません。塾に友達がいればまだ救われますが、Qさんのマイペースぶりだと、それも期待薄です。そんなQさんは、来週の運動会にちゃんと来るのでしょうか。競技のルール説明をした時の不熱心さを見る限り、非常に心もとないです。

明日から義捐金

4月18日(月)

熊本地震が、なかなか収まりそうにありません。一発目の地震は、震度こそ大きかったものの、そのわりに被害が大きくないと感じました。しかし、それ以後、けっこう規模の大きい地震が続き、被害がだんだん拡大し、ついに16日未明の(現時点では)本震と呼ばれる地震が発生しました。いつの間にか死者が42名を数えるまでになり、11万人もの方々が避難しています。震源が大分県方面に移動し、中九州地震と言ってもいいような様相を示しています。

今回の地震は、東日本大震災とは違って、活断層が引き起こした地震です。今回の震源域の活断層は、四国を東西に貫く中央構造線につながっています。この中央構造線が大暴れしたら、日本が割れてしまいかねません。そんなことはおそらくないでしょうが、悪い想像は尽きません。

14日の地震発生以来、海外から東京は大丈夫かという問い合わせが何件も来ています。震源域から東京まで、どういう測り方をしても800キロはあります。大丈夫に決まっていますが、1万キロも彼方から見ると、800キロなんて至近距離なのです。しかも、大事な子どもを預けているとあれば、わずかな不安でも見逃せないのでしょう。

今回は、今のところは福島原発のような事故は発生していません。でも、震源域の移動方向の逆方向には、稼働再開したばかりの川内原発があります。政府は稼働を続けることに問題はないと言っています。一抹の不安を感じると同時に、もし政府が稼働停止を命じたら、それが必要以上に海外の人々の不安をあおるのかもしれないとも思っています。

明日から今度の震災の被災者に送る義捐金の募金を始めます。募金活動のボランティアを募集したら、予想を上回る人数の学生が集まったとのことです。学生たちは地震の行方に関心を示しつつも、むやみに不安がることなく勉強に励んでいます。家族から離れた異国の地で、立派なものだと思います。

高をくくる

4月11日(月)

私は、コンピューターはなかなか壊れないって信じていますから、わりと度胸よくいろんな操作をします。コンピューターにめちゃめちゃ詳しいわけではありませんから、コンピューターの死命を制するような操作は知りません。自分の入力したデータが消えちゃうぐらいのことは時たまありますが、全体のデータを再起不能にするようなことはありません。コンピューターを物理的に破壊したことなどは、もちろんありません。

というか、どんなことをしたら壊れそうかっていうことは見当がつきますから、そのラインは踏み越さないようにしています。いい意味で高をくくれるのだと思います。ここまでなら冒険できる、たとえ失敗しても損害はこんなもんだろう、そういうことが直感的に見積もれますから、その直感にしたがって、ここまでしたらまずいだろうということを避けています。

カンが働かない人は、プロが予想もしないようなことをしでかしたり、逆に怖がりすぎてごく単純な操作しかしなかったりと、両極端の様相を示します。高がくくれない、言い換えれば危険度を予測できないから、コンピューターに致命的なダメージを与えたり、コンピューターの能力の100分の1も活用しなかったりということになってしまうのです。

今日から新学期で、新しい学生管理・授業管理システムの運用が始まりました。トラブルが全くなかったわけではありませんが、「大過なく」と言っていい初日だったと思います。トラブルに遭った先生にとっては「大過あり」だったでしょうが、皆さん適切に対処してくださったおかげで、全体としては上出来の滑り出しだったんじゃないかと思っています。

初日だから安全運転をしたという面もあるでしょう。慣れてくると悪い方向に高をくくり始めて、どこかで破綻を来たすかもしれません。油断と呼ばれる高のくくり方をしてはいけません。上手に高をくくって、このシステムを120%活用していきたいです。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。世界の国々からたくさんの勉学を志す若者が、このKCPに入学してくれたことをうれしく思います。

今ここにいる皆さんの中には、3か月の予定で入学した人もいれば、KCPで2年勉強して、そして日本の大学で4年、さらに大学院にまで進学するつもりの人もいるでしょう。勉強する期間は長短さまざまですが、今、この入学式の場で、私が皆さんに最も申し上げたいことは、10年後の自分にほめてもらえるような留学をしてほしいということです。10年後、2026年の皆さん自身が、今の皆さんに「2016年の私よ、よく日本留学を決意してくれた。そして、一生懸命勉学に励んでしてくれた。そのおかげで今の私があるんだ。本当にありがとう」と感謝したくなるような留学生活を送ってください。

この留学は、皆さん自身が皆さん自身に対して行う投資にほかなりません。勉学という、時間とお金と労力を必要とする投資は、すぐに何らかのリターンをもたらすわけではありません。今日勉強したことが、明日役立つとは限りません。10年後ぐらいに花が咲き、実りをもたらすのです。「10年後の自分からほめられる」ですから、目先のことだけではなく、自分の将来像を思い描きながら留学生活を送っていってください。

すぐに成果が出ないからあきらめてしまうのではなく、成果が出るまで努力を続けるようにしてください。中途半端な投資は、回収もままならず、丸損になってしまいます。皆さんは自分自身に投資し始めたのです。投資対象である自分自身がいい加減な気持ちだと、その投資は全く生きません。見方を変えれば、安易な気持ちで留学生活を送ることは、自分の手で自分の未来を閉ざすことなのです。10年後から叱り飛ばされるようなことは、絶対にしないでください。

もちろん、留学生活を楽しんでももらいたいです。でも、忘れないでください。楽しむだけでは充実した留学生活にはなりません。10年後の自分と相談しながら、今輝くよりも、将来を輝かせる留学を築いていってください。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。