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人身事故

4月10日(月)

今朝7時半頃、仕事をしていると電話が鳴りました。「小田急線が人身事故で止まっているので、学校に着くのが遅くなりそうです。すみませんが、2階のラウンジの鍵を開けておいてくださいませんか」とMさんから頼まれました。しばらくすると、今度はF先生から「小田急線が止まっていて、迂回ルートで行きますから遅れます」。

人身事故は、踏み切りで起きたようです。小田急線は代々木上原から登戸までは立体交差化が進み、踏み切りはなくなりましたが、その前後は、新宿駅の南口を始め、数多くの踏切が残されています。ホームでの人身事故は、ホームドアによってほぼ完璧に防げるでしょうが、踏切での人身事故は踏み切りをなくさない限り撲滅できません。これは何十年も前から言われていることですが、いまだに解決できずにいる問題です。

立体交差化には多額の費用を要し、一企業の手には容易に負えません。高架化による立体交差は日照権や騒音の問題が生じ、地下化するには高架化よりも工費がかさみます。路線が通過する自治体の協力なしには計画は進みません。でも、計画を立てたからと言ってすぐに実施できるわけでもなく、工事を始めても短期間に終えることはできません。小田急の立体交差化も、都市計画の段階から考えると、半世紀もの年月が流れています。着工からでも30年以上です。

小田急の歴史を紐解くと、昭和の初期に新宿ー小田原間の80km余りをわずか1年半ほどで一気に開通させています。ですから、たらたらと仕事を進める風土の企業とは思えません。その小田急をもってしても、30年とか半世紀とかという時間を要しているのですから、これがいかに難事業であるかがわかると思います。

小田急が開通したおかげで都市化が進み、都市化が進んだせいで立体交差化が進まなくなったという皮肉な図式があります。小田急にしても、立体交差化が完成しても乗客が増えるという見込みはありません。立体交差化に伴って行われた複々線化によってスピードアップが図られ、それによる乗客増はいくらか望めるでしょうが、小田急の経営にどれだけ資するかはわかりません。

踏切事故は、法律的に見ると、ほとんどの場合、鉄道側に責任はありません。でも、はたから見ると鉄道側が悪く見えてしまうこともよくあります。日々、かげながら恩恵をこうむっているのに、事故が起きると「まったく小田急はどうしようもない」なんて言ってしまうものです。

日本は、鉄道など交通機関を公共財と考える発想が薄いです。小田急は利潤も追求しているでしょうが、儲け第一主義だけでは半世紀にわたって粘り強く立体交差化を進めることなどできません。明日からまた多くの学生たちが電車で学校に通ってきます。鉄道会社には安全運転を望みますが、万一人身事故が起きたとしても、鉄道会社だけを悪者にするような学生には育てたくないです。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。世界の各地からこのように多くの方々がKCPに入学してくださったことをうれしく思います。

皆さんはどういう夢を持ってこのKCPに入学したのでしょうか。そして、その夢を実現するために、どういう目標を立てているのでしょうか。これからその目標に向かって進んでいこうとするでしょうが、その道は決して平坦ではないことを予告しておきます。向かい風の中、坂を上っていくような場面もあることでしょう。また、悪魔のささやきに負けて道ならぬ道に迷い込むこともあるかもしれません。残念なことですが、こうして夢をどこかに置き忘れ、目標がいつの間にかすり替わってしまう学生が後を絶ちません。日本で一流大学に進学し、一流企業に就職するつもりだったのが、今日のアルバイトをどうこなそうかということしか考えられなくなる、などという学生が現実にいるのです。

これは、立派な挫折です。しかし、挫折を味わったからといって、がっかりする必要はありません。生まれてから生涯、挫折がない人などいません。問題は、その挫折からいかに立ち直るかです。早く立ち直らなくてもいいですが、その挫折から何かを学ぶことが肝心です。挫折から何かを得るたびに、その人の人格は厚みを増し、その人の人生は豊かになります。人は挫折によって鍛えられるものです。そして、いつの日か、挫折をものともせずに成功へとつなげていける人物に成長していくのです。

4月から大学生になったGさんは頭のいい学生で、学校の授業に出なくてもまずまずの成績が取れてしまいました。東京の有名大学の一角を占める大学への進学も決まりました。しかし、KCPの卒業試験の日に欠席したため、「卒業」とは認められなくなりました。Gさんは、私に何とか卒業試験を受けさせてくれと頭を下げてきました。Gさんの実力なら卒業試験に合格することはたやすいです。しかし、私はGさんに卒業試験を受けさせませんでした。ここで卒業試験に合格してKCPの卒業証書を手にしてしまったら、今後Gさんは世間をなめてかかるだろうと思ったからです。

KCPの卒業証書がもらえないくらい、Gさんのこれからの長い人生の中では小さな挫折です。この挫折を通して何かをつかむほうが、卒業証書をもらうより重い意味があります。頭を下げればどうにかなると思うようになるより、頭を下げても願いが通じないことがあるのだということを、身をもって学んでほしかったのです。

このように、KCPは、時には皆さんに挫折を強いることすらある学校です。皆さんがこれから味わう挫折を乗り越えて目標に向かって進み、夢を実現させることで、より強い人間に成長してください。挫折から立ち上がる際に私たちの支援が必要だとあれば、私たち教職員一同は喜んで力をお貸しします。

皆さん、本日はご入学本当におめでとうございました。

読解

4月4日(火)

企業の研究員として研究を進めるには、今までに出された特許の調査が欠かせません。特許を侵すような研究をしても、企業には利益をもたらしません。この調査の際には当然膨大な量の特許を読むのですが、私にとって、これは苦痛以外の何物でもありませんでした。自分の権利を少しでも広く確保しようという我利我利亡者の精神で書かれた文言は、読んでいて頭痛と吐き気を催したものです。まあ、読み方のコツを覚えれば、機械的に情報を取り出せるようになり、苦痛も多少は和らぎはしますけれどもね。

研究が進み、企業化を図る際には、その製品の製造から販売にまつわる諸々の法律の条文を読み込まねばなりません。法律の条文は悪文だとよく言われますが、シロウトがすんなり理解できる文章ではありません。特許にしても法律の条文にしても、厳密さを追求した結果が、プロでないとスムーズに頭に入っていかない文の集合体を生み出してしまったのでしょう。

日本語教師養成講座に関わる規定が変わりました。日本語学校などで教えるには、文化庁に届け出て認められた養成講座を修了することが必要になりました。…とあっさり書きましたが、実際に文化庁などが出している文書は、特許ほどではありませんが、もっとずっと難しい言い回しです。文から荘重な感じは受けますが、養成講座を受講しようとしている方たちには、軽やかなリズムのほうがとっつきやすいんじゃないかと思い、文意を損なわない範囲で、KCP養成講座のホームページに載せる文句を考えました。

Bさん、Hさん、Lさんなどは、今月から法学部で勉強します。去年法学部に進学したKさんは六法全書とにらめっこする毎日のようです。法学部とは法律や法体系を貫く精神を学ぶ場とはいえ、自分にとっては外国語で書かれたあの難解な条文に全く触れずに済むはずがありません。私は素直にこの卒業生たちを尊敬します。

不摂生の結果

4月3日(月)

昔、お酒を飲んでいたころは、連夜の午前様や二日酔いでの出勤や、それはそれはとんでもないことばかりしていたものです。でも不思議なもので、記憶をなくすまで飲んでも、電車を乗り過ごすことはありませんでした。どういうわけか、自分の降りる駅ではきちんと目を覚まし、帰巣本能に従ってかろうじて家まで帰りついたものです。

そういう生活の中で、年に一度の年貢の納め時が健康診断でした。γGTPが普通の人の2倍などと言われないように、健康診断の直前は身を慎もうとしたこともありました。いや、それでは普段の健康状態を正確に表しておらず健康診断の意味がないとか言って、健康診断の前日も飲んでいたこともありました。

今はお酒はやめていますから、そういう心配はありません。その代わり、毎日が睡眠不足に運動不足に不規則な食事に目の酷使と、不摂生を絵にしたような生活ですから、やっぱり健康診断は年貢の納め時です。

その健康診断がありました。レントゲンなどは結果がすぐに出ませんが、尿検査、血液検査など、結果がすぐ出るものは結果を聞いてきました。それによると、データ上は健康そのものだそうです。実感としては体中ボロボロなのですが、医学的には問題ないようです。なんと頑丈な体なのでしょう。

若い時にムチャをした人は、私ぐらいの年になると健康診断引っかかり放題のはずなのですが、私はどういうわけか目以外は引っかからず、不摂生が改まりません。いつかガクッとくるんじゃないかと心配なのですが、健康診断の数字が異常なしのなうちは働いちゃうんですよね。

午後からは新学期の準備でした。新入生のプレースメントテストが終わったら、また、不摂生の度合いが深まりそうです。

廊下の寒さに耐えて

3月6日(月)

「先生、廊下がめちゃくちゃ寒いです」と、休憩時間に廊下に出ていたDさんが、後半の授業の出席を取ろうとするや言ってきました。そりゃあ、そうですよ。午前のクラスは卒業生が大挙して出ていったため、学生の数もクラスの数も半分ぐらいになっちゃったんですから。

それに加えて、今朝は4名の先生が卒業旅行に行っていますから、朝礼をするときの職員室はスカスカなんていうもんじゃありませんでした。何だか気が抜けてしまいそうな感じでした。

でも、来学期以降もKCPで勉強を続ける学生たちは、これからが本番です。上級の場合、先週までは卒業生がクラスの主役で、卒業文集とか卒業制作とか卒業認定試験とか卒業式の予行演習とか、二言目には「卒業」という言葉が出てきました。それゆえ、卒業しない学生は何だか居心地が悪かったかもしれませんが、卒業生がいなくなった今は、あなたたちが主役です。何より、これから1年間、KCPの屋台骨を支えていってもらわなければなりませんからね。

私が入ったクラスの学生にも、そういうことを説いて、学生たちの自覚を促しました。この学生たちが、現在の初級や中級の学生たち、4月以降に入学してくる学生たちを引っ張っていって初めて、KCPに新たな歴史が刻まれるのです。運動会やスピーチコンテストや、そういった学校行事の成否も、上級に残った学生たちの双肩にかかっているのです。

何だか頼りないような気がしますが、それは毎年のこと。春の運動会で上級生としての自覚が芽生え、夏のスピーチコンテストで上級生として恥ずかしくないスピーチや応援をするために力を尽くし、秋のバーベキュー大会には頼りがいのある先輩に成長しているものです。そして、卒業の学期を迎え、惜しまれつつ去っていく…。これが、この学校の一年です。

ランが咲く

3月1日(水)

今朝、学校に着くと、茜色の朝焼けが見えました。御苑の駅からKCPに向かってくると、最終コースは東西に走る道を東に進むことになります。私が学校に着く6時少し前は、先週ぐらいは真っ暗だったのに、それが朝焼けということは、朝が早まってきたということです。まだ空気は冷たいものの、もう3月、春が着実に近づいてきていることを感じました。

ロビーに雛人形が飾られました。七段飾りの結構立派なものです。休み時間や授業後には人だかりができました。3日は卒業式で授業がありませんから、初級クラスは明日ひな祭りをします。人形を見て「きれいだね」だけで終わりにしませんから、教師もしっかり勉強しておかなければなりません。

私のクラスのように卒業生の多いクラスは、講堂のステージを使って卒業証書のもらい方のリハーサルをしました。日本流の証書のもらい方は、学生たちは経験がなく、少し戸惑いながらも、卒業式に及んで汚点を残すわけにはいかないと、和やかな雰囲気の中にも真剣に手の出し方やお辞儀のしかたなどを確認していました。

春目前ですが、これから受験という学生もいます。職員室では面接練習をする教師と学生のペアがいくつも見られます。私も受験講座の直前にSさんから質問の答え方の相談を受けました。

その職員室に、ランの花が咲いています。頂き物のランを鉢に挿したのが育ったのです。去年もこの時季に咲きました。ランってなかなか花が咲かないものだそうなのに、KCPの職員室はよっぽど住み心地がいいのでしょう。それとも、何か不可思議なオーラが漂っているのでしょうか。

プレミアムフライデー

2月24日(金)

今月から最終金曜日がプレミアムフライデーと称して、早めに退社しましょうと国が旗振りをしています。中央省庁も3時に退勤することを勧めたとか。大手企業の中には半ドンにしたところもあるようです。

KCPは4:45まで授業がありますから、3時に退勤というわけにはいきません。午前授業の教師は…と言いたいところですが、今は受験シーズン最末期ですから、学生がいつ相談などに訪れるかわかりません。学生が図書室に残っている限りはスタンバイしておくに越したことはありません。また、出席率の悪い学生がひょっこり表れたら即座に指導しなければなりません。つまり、待ったなしで対応する必要がある事柄がうようよしていますから、そう簡単にプレミアムフライデーとしゃれ込むわけにはいかないのです。

金曜日は受験講座がありませんから、バス旅行の準備などで遅れていた仕事に手をつけました。そのすべてが卒業式前には片付けねばならない仕事でしたから、そういう意味でも、やっぱりプレミアムフライデーには程遠い1日でした。

でも、来月のプレミアムフラーデーは31日で学期休み中ですし、それに新学期の準備もたけなわになる前ですから、もしかすると早帰りも可能かもしれません。要するに、「今」が必要な仕事には「今」対応するほかないためプレミアムフライデーどころではなく、そういう仕事がない(少ない)時期ならプレミアムフライデーに乗ることもありうるというわけです。

国はプレミアムフライデーを通して個々に働き方を考え直してもらいたいようです。私たちも、学生に振り回されるだけではない時間の使い方を模索していきたいです。

タイムスリップ

2月23日(木)

東北道を快走していくと、やがて左手に白銀に輝く日光の山々が見えてきました。新宿を出るときは、空の底が低く、弱い南風に流される雲がはっきり見え、わずかに雨滴も感じました。首都高走行中は時折ワイパーが動くこともありましたが、北へ行くにしたがいだんだん空が明るくなってきましたから、お天気はいいほうに傾いてくれそうかなという予感がしていました。日光宇都宮道路に入ると、頂上は雲の中でしたが、青白い男体山が車窓を占めました。さっそくスマホにその姿を収める学生も。

日光江戸村は、薄日が差していました。駐車場横の休憩所でおなかを膨らませた私のクラスの学生は、入場するや左右の道標やお地蔵さんや水車や、ありとあらゆるものに突っかかって、写真を撮ったりあれこれ感じたことを言い合ったり、さっぱり前に進みません。私は日光江戸村での“大仕事”が控えていますから気が気ではなく、ついに彼らをおっぱなして“仕事場”へ向かいました。

花魁ショーの行われる若松座は、開演直前には桟敷が文字通りすし詰めの満席。この花魁ショーでお大尽を務めるのが、私にとってのバス旅行最大の任務です。学生たちのコールもあって首尾よくお大尽役に選ばれ、舞台袖で衣装とかつらをつけ、幕が開くのを待ちました。舞台上のお大尽の座に就くと、おひねりが飛んで来るのがわかりましたが、めがねをはずした私は桟敷で見ている学生たちの様子がさっぱりわかりません。そばにいる花魁の顔も衣装もぼんやりとしか見えません。

介添え役の太鼓持ちのいっぱちさんに言われて背筋をピンと伸ばすと、桟敷がどよめきました。やっぱり、偉い人は胸を張ってあたりを見渡すような威厳がないといけないんだなあと思いました。ここから先は、これで3回目か4回目のお大尽役ですから、まあ、慣れたものです。会場の気配しか感じられませんが、その空気や熱を盛り上げるほうへと演じるだけです。演じている最中におひねりが飛んでくるのは、意外と気持ちのいいものですね。

花魁ショーが終わって外に出ると、風がちょっと出ていましたが、青空も広がり始めていました。そんな中、「先生、とっても面白かったです」などと言われると、いつもながら少々気恥ずかしいものです。変身処でサムライや町娘などの衣装を着させてもらった学生たちも、友だちにからかわれながら江戸時代にタイムスリップした自分自身を楽しんでいるようでした。私のお大尽も、この一種なのでしょう。

帰りのバスが中野長者橋のランプから山手通りに出ると、学生を現実に戻さなければなりません。今年のバス旅行は諸般の事情で木曜日に実施しましたから、明日は通常授業です。テストがあるレベルもあれば、宿題が出されているレベルもあります。「はい、新宿駅につきました。江戸時代は終わりですよ」というアナウンスで、バス旅行を締めくくりました。

今週の目標

2月1日(水)

2月になりました。今月から、毎月「今月の目標」を掲げ、さらにその月間目標をブレークダウンした「今週の目標」を決め、学生も教職員もその目標を念頭に置いて動いていくということにしました。2月の目標は「健康に気をつけよう!」で、今週の目標は「手洗いうがいをしよう!」です。今、東京ではインフルエンザがはやっていますから、こういう目標を設定しました。

私が入った超級クラスの学生たちに説明すると、思ったより真剣に聞いてくれました。説明資料の中に学生たちが知らない知識や情報があったからかもしれません。このクラスにはこれから本命の国立大学を受けることになっている学生がいますから、受験日に体調不良で力が発揮できなかった、などということのないようにしてもらわなければなりません。学生たちもそう感じているからこそ、この目標に共感を覚えたのでしょう。

実は、昨日の選択授業・身近な科学で風邪について取り上げたばかりでしたから、そこで使ったネタも使い回ししたのです。全校共通の資料より、その分だけ内容が豊富で、ちょっと違った捕らえ方もしていたというわけです。ウィルスの伝播経路を詳しく説明し、このクラスには受験生が多いのだから、みんなで気をつけようと話をまとめました。

とかく学生は健康管理をおろそかにしがちです。そういう方面の知識が足りないのか若さを過信しているのか、いつでも病気みたいな学生や無茶をしまくる学生が目に付きます。この目標を機に、手洗いという健康管理の基本から見つめ直してもらいたいです。

何を感じた?

1月14日(土)

昨日超級クラスで書いてもらった卒業文集の下書きを読みました。気取った文章もありましたが、KCPに入学してからの行事の思い出を書いた学生が少なくありませんでした。クラス全体でスピーチコンテストの応援を仕上げていったり、バス旅行やバーベキューで自分の国以外の友達と料理の交換をしたり、運動会というものを初めて経験したり、学生たちにとって、KCPの行事は驚きの連続だったようです。

こういった行事は、異質なものとのふれあいを促進します。異文化の実体験と言ってもいいでしょう。もちろん、教室の中の活動でも、同質な友達に囲まれていたのでは味わえない感覚に浸れます。しかし、ことばのやり取りだけとか抽象概念とかにとどまらず、実際にモノを見たり体を動かしたりすることで、印象が強烈になります。文集に行事の思い出を書いた学生たちは、この印象を素直に受け止めて、自分の殻を打ち破ったのではないでしょうか。

昨日のクラスはみんな黙々と文集を書いていましたが、さっぱり筆が進まない学生がいることもあります。そういう学生は、自分を保とうという意識が強すぎて、思い出を見逃しているのです。大人になりたくないのか、いい子のままでいたいのか、日本の悪習(?)に染まってはいけないと思っているのか、変わることを恐れているという面も感じられます。

留学とは、表面的には学問をするために外に出ることですが、学問とは違った次元において頭脳や肉体や精神を刺激することも忘れてはいけません。そういった刺激を受けたと文集に書ける学生たちは、KCPで日本語とともに留学の本質も学んだと思います。ここでえたことを、進学先でも大いに発揮して、自分の将来を形作ってもらいたいものです。