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言葉の重み

11月27日(火)

各クラスで、中間テストの結果を見ながらの面談が始まっています。私も授業後に3名の学生の面談をする予定でしたが、そのうちの1名、Kさんが欠席でした。電話をかけると、体調が悪いから休んだとのことでした。面談の人数が減れば仕事がそれだけ少なくなりますから楽になりますが、Kさん自身が決めた予定を連絡もせずにキャンセルするのはいかがなものでしょう。ドタキャンされた側としては、若干腹立たしいものがあります。

もう1つの私のクラスでは、やはり自分で火曜日なら時間があると言ったCさんが欠席しました。Cさんの都合を考慮して予定を組んだのに、空振りになってしまいました。担当のR先生は、半ばあきらめ顔でした。明日私が入るクラスでは、やはり面談予定のJさんが欠席だったそうです。

どうして面談予定を平気ですっ飛ばすのでしょう。約束したという意識がないのでしょうか。私がお昼過ぎに電話をかけたKさんは、いかにも寝起きという声で電話に出ました。体調が悪いと言っていましたが、果たして本当でしょうか。夕べ寝付けなかったようなことを寝ぼけた声で言っていましたが、メールぐらいは送れたはずです。

先学期も、当日欠席の学生が多数現れ、予定表の体をなしていませんでした。ケータイが普及するにつれて、簡単に約束したりそれを変更したりできるようになりました。その変更の連絡がいつのまにか省略されるようになってしまったのが、現在のありようだと思います。みんなそういう迷惑をかけたりかけられたりしているうちに、ドタキャンに対する迷惑の感度が鈍くなったのではないでしょうか。

世の中には気安く取り消すことのできない言葉があるんだということ、すなわち、ことばの重みを教えることも、語学教師の役割だと思い、学生に対していきたいと思います。

紙くずが落ちていました

11月20日(火)

10時半に前半の授業が終わり、外階段を使って1階の職員室まで戻ろうとしたら、私の少し前をSさんが歩いていました。Sさんは私に気付いていないようで、1列に並んで前の学生の後について黙々と階段を下りていました。

5階、4階、3階と下りて、2階に着く直前の階段の上に紙くずが落ちていました。Sさんの前を歩いていた学生たちは気付いていないのか、気付いても無視しているのか、誰も拾いませんでした。私が拾わなきゃと思っていたら、Sさんが軽く腰をかがめて拾い上げました。そして、それをポケットに突っ込み、1階に下りたらそのまま学校の外へ行ってしまいました。コンビニへでも行ってくるのでしょうか。

Sさんは、入学後しばらくは毎朝早く学校へ来て、ラウンジで勉強していました。出席率は100%でした。しかし、最近は欠席が目立ち、ついに先月は1か月の出席率が80%を割り、欠席理由書を書く事態に陥ってしまいました。進学先が決まり、いくらか気が緩んだ面もあったと思います。

このまま悪い学生に落ちぶれて卒業していくのかと危ぶんでいただけに、さりげなく紙くずをつまみ上げた姿がより一層輝いて見えました。先週、最近校舎のあちこちに汚れが目立つようになったので、校内美化に努めてもらいたいという話を全校的にしたばかりでした。それに応えてくれたSさんの根本の部分は、決して腐ってはいなかったのです。すぐそばで見ていた私まで、心が洗われる思いがしました。

おかげで、清々しい気持ちで後半の選択授業、午後の面接練習と受験講座に取り組めました。

何も見ずに

11月2日(金)

私が西立川駅に着いたのは8:20頃でしたが、すでにいつも朝早く学校へ来る学生が何名か開門を待っていました。昭和記念公園でBBQをするときいつも心配なのは、電車が止まることです。中央線が運転見合せなどということになったら、行事自体を中止しなければならないかもしれません。でも、そんなことはなく、三々五々、先生も学生も集まり始めました。

BBQが始まると、私はいつものように火付けお世話係です。火をつけるとみんなうちわであおぐのですが、炭に火が燃え移るまでは我慢しなければなりません。炎を吹き消してしまうことにもなりかねませんから。そして、炭が赤くなったら、真上から思い切りあおぎます。酸素をどんどん送り込んで、火勢を強くします。でも、ここで寝ている赤ちゃんに風を送るようにやさしくあおいでいるんですよね、学生たちは。私が腕がちぎれんばかりにあおぐと、みんな目を丸くして見ていました。

BBQ恒例の料理コンテストは、きのこ料理というお題で各クラスが腕を競いました。今年は予選があって、予選通過作品のみ本選審査員が賞味するということになっています。さすが、予選を勝ち抜いてきただけあって、私のところまで運ばれた料理は一流のものばかりでした。甲乙つけがたいところを無理やり順位付けをして、審査員が一斉に発表したところ、私が選んだ料理は多数決で敗れてしまいました。でも、お金を払ってでも食べたい一品、いや逸品料理でした。

料理コンテストが終わると、すぐにごみの分別チェックです。中には分別がまるでできていないクラスもあり、一緒に分別し直していたら、持って行った軍手がぬちゃぬちゃになってしまいました。ペットボトルのラベルをはがしてつぶして持って来たクラスもあったんですけどね。

気がついたら解散時刻。そういえば、園内の花や紅葉を全然見てなかったなと思ったのも、後の祭りでした。

郵便物

10月26日(金)

このところ毎日、どこかの大学から入学案内が届きます。私は、商売柄、大学の名前には詳しいほうだと思いますが、それでも知らない名前もあります。大学側は、日本語学校の一覧表か何かを見ながら機械的に発送しているのでしょう。入学案内を見て、1人でも受験し合格し入学したら、入学案内の作成・発送などにかかわる費用は元が取れてしまうのだと思います。

知っている大学なら、その大学について学生に語ることもできます。しかし、中身を知らない大学については、たとえ大学案内を見ても、語りようがありません。せいぜい大学の所在地についてあれこれ言うのが関の山です。これでは、KCPから受験者が現れるとは思えません。いただいたパンフレットに目を通して勉強できればいいのですが、今の私にはその時間がありませんから、私は学生を押す力にはなれません。

大学から担当者が来てくださると、様子ががらりと変わります。その大学の真のウリが見えてくるし、面と向かって話せば情も湧くし、その大学に対する親近感が全然違ってきます。条件の合いそうな学生に対して、その大学を推したくもなります。つまり、私がその大学の営業マンになったようなものです。もちろん、大学の担当者に会えば自動的に営業マンになるわけではありません。やっぱり、その人から何かを感じなければ心は動きません。

現在、日本には大学が768校あるそうです。この768校が減りつつある日本の高校生を奪い合い、優秀な留学生を確保すべく戦っています。その戦場の十字路にいると、勝ち残りそうなところとそうでもないところとが、戦いの砂塵の合間からぼんやり見えてきます。

時代を画す

10月11日(木)

仕事の合間に見たインターネットのニュースによると、来年の2月から丸ノ内線に新車が導入されるそうです。新型車は丸ノ内線のラインカラーである真っ赤な車体で、伝統のサインカーブをまとっているそうです。連結器の近くの窓は、四角ではなく丸窓です。今までの丸ノ内線の車両とはかなり趣が異なるようです。

今走っている丸ノ内線の車両は、もう30年にもなるそうです。私はもう1代前の車両も知っていますから、いまだに“新型車両”という気がしていましたが、30年といえば減価償却はとっくの昔に終わっていますよね。そして、30年といえばちょうど平成の長さです。平成を走り抜けたのが、今の丸ノ内線の車両なのです。そうすると、来年登場する新型車両は、現皇太子さまが天皇として在位している間じゅう走り続けるのでしょうか。

私のうちの近くを走っている日比谷線も、去年あたりから新型車両が走り始めました。来年ぐらいまでが端境期なのでしょう。こちらの車両も、1988年から走り始めたとのことですから、やはり30年です。また、沿線の築地から市場が移転するのと同時期に車両が入れ替わるというのも、1つの時代が終わったことを象徴するようで、感慨深いものがあります。

一般家庭のクルマは10年も乗らないでしょうから、このような形で時代を感じることはないと思います(個人的な思い入れは別ですが)。それに比べると、電車という公器がそれにかかわる人たちに与える影響力は大きなものです。だから、どんなに乗る人の少ないローカル線でも廃止となると反対運動が起きるのでしょう。

KCPだって、これにかかわった人たち、すなわち卒業生やかつての教職員のみなさんの心に何がしかの痕跡を残してきたはずであり、今後も残し続けていくでしょう。責任重大だなあと思います。

入学式挨拶

10月10日(木)

皆さん、本日はご入学おめでとうございます。このように多くの若者が、入学してくださったことを大変うれしく思います。

皆さんは、今、大きな夢を抱いてこの場にいると思います。「若者」を形容する言葉として、「無限の可能性」などという語句もよく用いられます。しかし、皆さんの燃え滾る心に冷や水をかけるようなことを申し上げて恐縮ですが、KCPでの皆さんは、その無限の可能性を1つずつつぶしていくことが最大の仕事となるでしょう。国から携えてきた夢を完全にしぼませてしまったみなさんの先輩方は数限りなくいます。こうして打ちのめされて再び立ち上がれなかったら、留学は失敗です。自分の夢や可能性を冷静に見極め、次々と消し去り、最後に残った珠玉の1個に賭ける、そして、その賭けに勝利する土台を築くことこそが、みなさんぐらいの年代の若者に課せられた試練です。

自分より数段優れた同級生を間近に見て、この人にはかなわないと己の実力を悟ることもあるでしょう。努力しても成績が伸びない自分に苛立ちを覚えることもあるでしょう。悪魔の誘惑についつい負けてしまう自分をふがいなく思うこともあるでしょう。独り暮らしの寂しさに耐え切れなくなることも、健康を害して言い知れぬ不安に襲われることもあるでしょう。そういう自分の負の側面を直視できずに挫折しそうになることもあるでしょう。しかし、そういう数々の苦難が、みなさんを磨き上げ、社会に出てから遭遇するであろうさらに大きな困難に打ち勝つ原動力をもたらすのです。

自分は何に長じていて何に欠けているか、自分はどちらに向かうべきか、何に知力体力労力を傾けるべきか、それを考え続け、結論を出し、その道に向かって歩み始めるのが、このKCPでの皆さんの仕事です。これは自分自身に見切りを付ける作業でもありますから、辛く厳しい過程になるでしょう。でも、皆さんはいつまでも子供ではありません。大人になるということは現実と正面から向き合うということです。たとえ皆さんが留学という選択をしなかったとしても、これはいつかどこかでしなければなりません。いつまでもこの問題から逃げている人をモラトリアム人間と呼んだこともありました。私はみなさんにそういう人間になってほしくはありません。留学は、この問題にきちんと片を付ける絶好の機会です。そして、人生の大きな目標を定め、それを見据えることができるようになったら、国へ帰った時周りの人から「留学して成長したね」言われることでしょう。

自分の夢や可能性の中から、自分の一生を捧げるに値するものを見つけ、その道を邁進していってください。私たち教職員一同は、喜んでそのお手伝いをいたします。

本日は、ご入学本当におめでとうございました。

出願できる?

10月9日(火)

10月は受験のシーズンでもあり、出願のシーズンでもあります。すでに合格が決まった学生もいますが、大半はこれからが勝負です。Hさんもそんな学生の1人…と言いたいところですが、少々事情が違います。

まず、Hさんは入学時期の関係から、この12月までしかKCPにいられません。たとえ日本で進学するにしても、年内に一旦国へ帰らなければなりません。ですから、受験できる大学は、試験日が12月までのところに限られるのです。帰国してまたすぐ日本に入国というのは、ビザの上で難しいので、年が明けてから試験の大学は避けておくのが無難です。

Hさんはいくつか志望校を挙げました。EJUの成績などから考えて、1校は明らかに無理。もう1校は、多少は可能性があるけれども、そこに受かるとは思わないほうがいいでしょう。さらにもう1つは、受かる可能性はありますが、仮面浪人前提の大学。行きたくなさげに挙げてきたもう2つの大学が妥当な線です。もういくつかこちらから提案して、それらに出願することにしました。

それに加えて、出席率が悪いです。ビザ更新後は危険水域にどっぷりつかっており、この出席率のままなら、大学進学後にビザがもらえる可能性は非常に低いです。ですから、10月から12月まで1日たりとも休むわけにはいきません。風邪をひいたりおなかを壊したりすることもできません。しかし、Hさん自身にその自覚や危機感がなく、どうにかなると思い込んでいます。同じような先輩が結局進学できたとか、塾の先生が大丈夫だと言っているとか、私たちに言わせれば根拠がないに等しいことを理由に挙げています。

上述の出願校にしたって、もし、KCPでの出席率を見たら、それだけでアウトにある恐れがあります。アウトにはならなくても、面接ではきっと出席率のことを聞かれるでしょう。Hさんはどう答えるつもりなんですかねえ。

今学期は、こういう学生のお相手をしていかなければなりません。

ぽかん

9月25日(月)

期末テストが近づき、授業中に行われる平常テストで不合格だった学生が大量に再テストを受けました。なぜ、「大勢」ではなく「大量に」という言葉を使ったかというと、同じ学生が複数の再テストを受けたからです。複数でも何でも、再テストで合格点を取ってくれればいいのですが、再テストをしても合格点に手が届かない学生がいました。それどころか、最初のテストよりも成績が下がる例すらありました。

勉強せずに再テストを受けたということはないでしょうから、冷たく言い切ってしまえば、実力がないのです。こういう学生には、もう一度同じレベルをやってもらおうと、私の心の中では思っています。サボっていて実力が伸びないのなら、もう一度、こんどはまじめに勉強しなおしてもらいましょう。教師の説明がわからなかったのなら、二度目に聞けばわかるようになるでしょう。今学期わからなかったところを整理しておいて、来学期そこを集中的に聞いて理解することができれば、1回目で理解したつもりになっている学生より確かな実力となることでしょう。

最も厄介なのが、もう限界組です。努力しても、語学に対するカンを持ち合わせていないため、実力が頭打ちになってしまっている人たちです。助詞の用法でも動詞の活用の使い分けでも、理論的に説明できないことはありません。しかし、教師の説明だけで理解しようと思うと、膨大な量の日本語を聞かなければなりません。その日本語を聞いて理解するほうが、そこで説明されている文法を理解するよりよっぽど難しいです。ですから、カンによってそれを補い、少しの説明から応用範囲を広げていく才能が必要なのです。その才能がない人は、そこで打ち止めです。

残念ながら、私のクラスにもそれらしき学生がいます。初級の終わりぐらいの段階でもうそれが来てしまったとは、本人も認めたくないでしょうし、こちらとしてもどうにかならないものかと思ってしまいます。学期の初めはそれ程でもなかった差が、今は歴然としています。教師の地の語りが理解できるようになった学生がいる一方で、それを聞いてもぽかんとしている学生もいます。ぽかんの人たちに、どこかで引導を渡すのも、私たちの仕事です。

甘い生活

9月3日(月)

最近、財布をなくしたといって事務所へ来る学生が増えたように思えます。また、忘れ物として財布が届けられることも何件かあります。授業後、教師や日直が教室を点検して机の中に置きっぱなしになっている財布を見つけることもあります。残念ながら、「なくした」のほうが出てくる件数よりも多いため、なくしたと訴えてきた学生全員の手に財布が戻ってはいません。

詳しく話を聞いてみると、鞄のファスナーなどを閉めずに、口が開いた状態で教室やラウンジなどに置いたという例も見られます。確かに盗るやつが一番悪いですが、これなんかは盗られた方も重大な不注意を犯しているといわざるを得ません。誰もいない部屋に貴重品の入った鞄を置いたままどこかへ行ってしまうというのも、いかがなものかと思います。自分の国でも同じようなことをしてきたのでしょうか。

日本は治安がいいとよく言われます。しかし、それは程度の問題であって、悪人が全くいないという意味ではありません。本屋やコンビニなどでは万引きが増えているといいます。人ごみではスリに用心するのが常識です。もちろん、置き引きに遭わないように自己防衛しなければなりません。KCPの学生は、無邪気というか、無防備というか、そこのところの脇が甘いんじゃないかなあ。オリエンテーションでさんざん注意はしているんですけどね。

最大限の注意を払ってなおかつこうなってしまったのならともかく、抜け落ちがたくさんある状態で不愉快な目に遭ったとしたら、だから日本は暮らしにくいとか、想像とは全然違ったとか言ってほしくありません。冷たい言い方ですが、そこでなくしたお金は授業料です。授業料は1回払えば十分です。

留学生活を楽しみたかったら、必要最低限の身を守る姿勢ぐらいは身に付けておいてほしいです。

そろそろ

8月31日(金)

昼休みに、YさんがA大学の志望理由書を持ってきました。A大学全体や志望学部のホームページを読み込んでいることはわかりましたが、まだ自分の言葉になっていないところがあります。辞書で調べて固い表現を使おうとしているのはいい傾向ですが、その言葉が浮いているんですねえ。いかにも使いつけない単語をこねくり回しているという感じがします。誰にでも書ける文章ではないものの、インパクトがいまひとつという気がします。

Yさんの次はBさんが面接練習を申し込んできました。本番は3週間ほど先ですが、ちょっと内気なBさんが自分の光る部分を語れるようになるには、少々時間が必要です。来週から鍛えていくことにしました。

毎年、受験日直前になって、何を着ていったらいいかとか、ネクタイの結び方を教えてくれとか、靴下は黒じゃないとダメかとか、急に不安になった学生からあれこれいろいろと聞かれます。また、誰がどうひいき目に見ても絶対に似合っているとは言いかねる格好で試験場からKCPに寄る学生も少なくありません。今年は、服装関係の専門の方をお呼びして、面接試験を受けるときの服装の基本的なマナーについて講義していただくことにしました。その講義への参加者を募集したところ、講堂がサラッといっぱいになるくらいの人数になりました。

8月末日、締め切りが早い指定校推薦の校内選考の応募締め切りでした。クラスで「最終日」と聞いて私も応募したいと言ってきた学生が2名。しかし、2名とも志望学部が合わなかったため、応募には至りませんでした。

たった今、JASSOから6月のEJUの結果で奨学金の予約ができることになった学生への通知書が届きました。宛名を見ると、しかるべき学生がもらえることになったようです。

夏休みが終わり、8月も終わり、学校全体を受験モードにしていかなければなりません。