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EGUの勉強

6月3日(月)

午前中、仕事をしていると、出席状況に問題のあるKさんからメールが入りました。「昨日早朝までEGUテストの勉強をしていました、今日起きられなかった。」とのことでした。今朝3時ごろまで勉強していたのでしょうが、E「G」Uって何ですかってきいてやりたいです。

E「J」Uの勉強をすることも大事ですが、Kさんの場合、EJUでどんなにすばらしい成績を挙げても、出席率の問題で落とされるおそれがあります。事態はそこまで切迫しているのですが、本人は何回注意してもこういう調子で、行いが改まる兆しが一向に見られません。

Jさんは去年の11月のEJUで350点以上取ったのに、どこにもうからずに帰国しなければなりませんでした。書く力も話す力も十二分だったのに、出席率がどうしようもなかったため落とされたとしか考えられません。200点の学生すら受かっている大学に落ちたのですからね。

そういう話をKさんにもしているのですが、どうやら本気にしていないようです。のんきに今度のEJUで330点取りたいとか言っています。それほどの実力があるとも思っていませんが、たとえ取れたとしても、今、Kさんが考えている大学には手が届かないでしょう。授業を途切れ途切れにしか聞いていませんから、Kさんの生み出す日本語は不正確です。しゃべればしゃべるほど、面接官に格好の落とす材料を与えることになります。しかも、出席が悪いと来ていますから、受かるはずなどありません。

午後のクラスのLさんも、EJUの勉強で学校を休んだと言っています。そんなの、入管にとってはさぼりの口実に過ぎません。こちらは厳しく注意したところ多少は響いたようですから、これからの動向に注目しましょう。また、Cさんは遅刻が積み重なって、出席率がどんどん下がっています。先月の出席率を見て、びっくりしていました。もちろん、入管が納得するような理由などあろうはずがありません。欠席理由書は入管に提出する正式書類だと言ったら、青くなっていました。…もう遅いんですがね。

さて、この3名、今月はどうなることでしょう。

6月1日(土)

さて、6月。「令和」になって1か月が過ぎました。しかし、私は「令和元年」という表記をまだしていないような気がします。昨日の運動会の優勝トロフィーのペナントに、M先生が“平成三十一年”と書きそうになり、「あっ、令和だった」と言っていました。その時に、そういえば、書類などに“令和元年”と書いていないよなあと思いました。

“平成元年”は、わりと保守的な会社にいたこともあり、元号が改まってから1か月間に何回も“平成元年”と書きました。それに対して、今は、外国人留学生を相手に仕事をしていますから、年号は平成や令和ではなく西暦を使います。上級で生教材のテキストに元号が出てくることでもない限り、元号は使いませんね。

不思議なもので、昭和の出来事は西暦よりも元号でその年代を記憶していますが、平成になってからは元号ではなく西暦で記憶しています。日本語教師養成講座に通っていたのは1997年であり、それを換算して平成9年のことだったとなりますが、そもそもわざわざ換算なんてしません。令和も、きっとそうなるでしょうね。意識の底には持ち続けるでしょうが、表面に出てくることはめったにないのではないでしょうか。

だから、元号を廃止せよとか無駄だとかと言うつもりはありません。元号制度は、千数百年連綿と続く、日本が世界に誇るべき文化の一つです。さすがに皇紀まで行っちゃうと怪しい感じがしますが、「“令和”は“大化”以来248番目の元号だ」とは、胸を張って言えます。「日常、鉄道には乗らないけど、鉄道廃止には反対だ」という議論に似ていなくもありませんね。なんだか気恥ずかしい感じもしますが、私と同じような感覚を持っている日本人は多いんじゃないかな。いかがでしょうか。

大盛況

5月30日(木)

2時になっても、各大学のブースには順番待ちの学生が大勢いました。いつもなら1時半を過ぎれば会場はかなりスカスカになるのに、今回は終了予定時刻の2時を回っても、講堂は人いきれでムンムンしていました。

話を聞く学生があまりにも多く、いらっしゃったすべての大学の方々に名刺を配っている時間がありませんでした。留学生入試担当の方と直接お話をするというのが私の役目なのですが、それに影響が出るほどのにぎわいようでした。ピークのころは学生の勉強したいことを聞いては、比較的すいているブースを指示するという交通整理をしていました。例年より、会場でぼんやりしている学生が少ないように感じました。

大学院志望の学生は、さすがに大人で、自分の聞くべきことをきちんと考えてきたようです。話を聞くことができた大学の方たちは、そういう感想を漏らしていました。大学志望の学生はそこまでいかなかったようです。担当者が自分のスマホで大学のページを示し、ここに書いてあると教えていた場面も散見しました。

自分の欲しかった情報が得られた学生は、幾分興奮気味に私に報告してくれました。「先生、A大学は入試制度がこんなふうに変わりました」「B大学は出願締め切りが早くなりました」「C大学の先生に、TOEFLの点が高いと褒められました」「D大学に入りたかったけど、EJUで高い点が必要なのでやめました」「私の専門はE大学なら勉強できそうです」などなど、自分の日本語で得た貴重な情報を私に教えてくれました。

明日の運動会が終われば、EJUまで半月です。各自の志望校に向けて全力で突っ走り、この進学フェアで手に入れた情報を生かしてもらいたいものです。

スター

5月29日(水)

学校中で、競技進行の最終チェックや応援フォーメーション練習や各種小道具づくりなど、明後日の運動会の準備がピークを迎えています。昼休み、私が担当する競技で学生たちが使う小道具を、使う本人たちに作らせました。ちょっとした絵(?)を描いてもらったのですが、美大志望のMさんはスイッチが入ってしまいました。

まず、驚かされたのは、何の道具も使わずにゆがみのない円が描けることです。それも、サインペンでスーッと描いちゃうんです。私も受験講座の理科で、説明のための図に円を描くことが多いのですが、いつも楕円にもならないような不細工な円になってしまいます。原子の電子殻などで同心円を描く必要があるのですが、外側のはおにぎりみたいな形になってしまうこともしばしばです。それはともかく、その真円を朝日にするのですが、まったく同じ大きさ・形になります。画才のない私は、ただただその手際に感心するばかりでした。

もちろん、その小道具はすばらしい出来栄えで、運動会当日、学生や教職員の目を引くことでしょう。才能が発揮できるチャンスがあると、抑えようにも抑えられないのかもしれません。こういうのを「才能がほとばしり出る」と言うんですね。まさに腕が鳴っているのだと思います。

クラスでも学生たちに応援グッズを作らせました。やはり、凝る学生はいるもので、誰でもできる単純作業にでも、いや、単純作業だからこそ、他の学生とはひと味違うところを見せつけたいのでしょう。やはり、雑に作ったものと比べると、目を奪う力が全然違います。

もちろん、リレーをはじめ、ガチンコ系の競技に命を懸ける学生も大勢いるでしょう。優勝チームにはヒーローが出るものです。それが普段は目立たない学生だと、驚くと同時になんだかうれしくなります。運動会は、運動神経だけでなく、才能の輝きを競い合う場でもあります。

あなたにこそ

5月24日(金)

朝一番で文法のテストを配ると、用紙が2枚余りました。欠席者が2名いるということです。誰だろうと思って学生の顔を順番に見ていると、ドアが開いてYさんが入ってきました。さて、もう1人は…と思って探してみると、どうやらHさんがいないようです。昨日もおとといも授業の後半、15分の休憩時間の後から来ました。またかと思っていたら、7分遅刻ぐらいで遅延証明書を手に入ってきました。これで全員出席。私は決断しました。

実は、おととい、全校学生に出席の大切さを訴えるビデオを作りました。各クラスで見せるつもりなのですが、こういうことを企画すると、最も訴えかけたい学生に伝わらないことがよくあります。最も訴えかけたい学生とは出席率の低い学生ですから、下手に日時を決めると、その学生だけがおらず、出席状況に何の問題もない学生たちだけに出席率の話をするというとんちんかんなことになりかねません。Hさんはこのクラスで一番出席率が悪い学生です。その他問題学生が全員顔をそろえるなんて、今後二度とないかもしれませんから、このチャンスは絶対に逃すわけにはいきません。

テスト後、全員にビデオを見せました。ビデオが始まると、画面と私を見比べて一瞬だけざわつきましたが、話が始まると水を打ったように静まり返りました。Hさんも下を向かずに画面を見つめていました。数分のビデオに、勢い余ってさらに30分ほどビデオに盛り込めなかった話をしてしまいました。その後、お通夜のような雰囲気で授業が淡々と進んでいきました。

私のクラスでは一番聞いてほしい人に聞かせることができました。他のクラスでは出席率的に問題がある学生に休まれて、思うに任せなかった例もあったようです。週末に噂でじわんと伝わってもいいと思います。来週、各クラスの出席状況が改善するのを祈るばかりです。

静かに退室

5月17日(金)

いろいろな意見があるでしょうが、最近の学生は行儀がよくなったと思います。

中間テスト、期末テストのときは、最後の試験科目は答案用紙を提出したら帰ってもいいことになっています。毎日、授業後は椅子を机の上に載せて帰るルールになっていますから、中間・期末の日もそうします。

数年前までは、クラスの他の学生がまだ試験問題に取り組んでいるのに、ガラガラガッシャーンと大きな音を立てて椅子を載せ、ドアも自然に閉まるに任せてバッターンという音をさせていました。しかし、近ごろの学生は、音を出さないように椅子を両手で持って静かに載せるようになりました。教師がそうするように厳しく指導した形跡はないのですが、どのクラスに試験監督に入っても、例外なく椅子を丁寧に載せるようになりました。

先日、外階段を降りるとき、何気なく校庭を見下ろしていたら、テーブルの周りの椅子を動かして6、7人で談笑していたグループが、椅子をもとの位置にきちんと戻してから帰って行くのが見えました。時間的に見て中級か上級の学生と思われますが、心の中で「えらい!」と叫んでいました。昔の学生だったら、1つのテーブルに7つぐらいの椅子をほったらかしにして帰ってしまったでしょう。

でも、机の中に鼻をかんだティッシュを突っ込んだままにして帰ってしまう学生は後を絶ちません。教室内は飲食禁止だと口を酸っぱくして注意しても、こっそりお菓子やパンを食べている学生がいることは明らかです。もう一歩だなあと思います。教師が目を光らせていなくても、陰日向なく周りを考えた行動ができるように持っていければいいですね。

手を挙げる

5月14日(火)

5月31日(金)の運動会の出場選手を決めました、いや、運動会は全員参加ですから、各学生の出場種目を決めたと言うべきでしょう。

昨日のT先生から、種目説明をしたけれども反応がよくなかったとの引き継ぎを受けていたので、かなり難航するのではと案じていました。今週末の中間テストに向けて追い込みの時期であり、これにあまり長い時間をかけたくありませんでしたから、いよいよの場合は強権発動かなと覚悟していました。

リレーの選手を募ると、Yさんが「1人どのくらい走るんですか」と聞いてきました。体育館の中なので1人100m弱だと答えると、Yさんが立候補してくれました。

これでクラスのみんなの気持ちがやってみようという方向に動いたのか、リレーはあっという間に埋まり、他の種目も順調に埋まりました。しかし、1つだけ人気のない種目があり、そこだけ決まりませんでした。「誰かいませんか」と何回か促したところ、Cさんが引き受けてくれました。

Cさんはすでに自分が出たい種目にエントリーしていて、さらにもう1種目出てくれたのです。力ずくで決めるには至らず、教師としてはありがたい限りでした。おかげで、ひそかに見積もっていた時間の半分もかからずに本日最大のタスクを終了することができました。

Yさんのように沈滞ムードを打ち破ってくれる学生、Cさんのようにみんなの尻込みする仕事を引き受けてくれる学生がいると、クラスはうまくまとまります。みんな押し黙って、その雰囲気に耐えられず誰かがスマホでもいじり始めようものなら、教師は激怒しなければなりません。いらぬ説教で時間をつぶすことに陥ってしまいます。担任教師のありがたいお小言など、誰も聞きたくはないはずです。

2人がそういうことまで読んで声を上げたり手を挙げたりしたしたのかはわかりませんが、近ごろ多い自分のことしか考えていない利己主義学生でないことは確かです。今学期は学生に恵まれたと思いました。

半年差

4月9日(火)

今学期はEJUが控えているため、始業2日目から受験講座が始まりました。私の火曜日は、生物。2クラスあり、1つは今学期の新入生、もう1つは去年の10月期から勉強している学生のクラスです。今学期の新入生といっても上級に入っていますから、去年の10月期からの学生より日本語レベルは上です。

新入生クラスの学生たちは、国で生物を勉強してきたと言います。ある程度自信を持っているようでもありました。しかし、国の言葉ではなく日本語で生物を勉強するとなると、動植物の名前をはじめ、見慣れぬ言葉だらけです。細胞の構造という生物の基本の基本についての話でしたが、大変な重荷だったようです。日本へ来て半月もたたないうちから、自分たちにとっては外国語である日本語でかなり高度な話を聞いて理解しなければならなかったのですから、授業後にいかにも疲れたという表情になったのもやむを得ないところでしょう。同時に、「とても勉強になりました」と言ってくれたので、相当な刺激にもなったのでしょう。

10月期からの学生たちは、先月までにEJUの生物の範囲を一通り勉強したので、今学期は過去問に挑み続けます。40分時間を与えて解かせたら、みんな35分ほどでできてしまいました。答え合わせをしても、こちらは余裕が感じられました。正解以外の選択肢の解説にも強い関心を示していました。学生たちの生物をとらえる目が広がってきていることを感じました。

半年前、この学生たちが初級で生物の勉強を始めた時は、日本語の問題文が全然理解できず、困り顔しかできませんでした。それを思うと、長足の進歩です。新入生クラスの学生たちも、早くここまで到達してもらいたいです。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。このように多くの若者が、世界中からこのKCPに入学してくださったことをとてもうれしく思います。

さて、KCPに入学なさった皆さんに課せられた義務は何だと思いますか。それは、毎日学校に出席することです。皆さんのビザは、一部の方を除いて、留学のビザです。そのビザは、KCPで勉強するために皆さんが日本に長期滞在することを許可するという効力を有しています。KCPで勉強しなかったら、KCPの授業に出席しなかったら、皆さんの長期滞在の大前提が崩れてしまい、ただちに帰国しなければなりません。これが、日本の入管法の精神です。そのほか、学校を欠席したことによって生ずるいかなる不利益も、皆さん自身の責任において処理しなければならないのです。学校は、皆さんに出席を促すことまではします。しかし、それ以上のことは、しませんしできません。

以上が、法律的な面から見た「出席すること」の義務の意味です。これに加えて、学校に出席することは、将来の皆さん自身に対して今の皆さん自身が果たすべき義務でもあります。

非常に残念なことに、今年の3月の卒業生の中に、出席率が悪くて希望の学校に進学できなかった学生が少なからずいました。入試で優秀な成績を挙げても、出席率が悪かったらまじめに勉強する気持ちのない学生だと思われ、また、合格させてもビザが下りないだろうと判断され、不合格にされてしまいます。出席率の数字は、皆さん以外の誰にも変えることはできません。ひとえに皆さんの努力にかかっているのです。

つまり、学校を欠席することは、自分の手で皆さん自身の将来を狭めていることを意味します。自ら進んで暗闇に身を投じるようなものです。若者には無限の可能性があるとよく言われますが、将来の自分に対する義務を果たさない若者には何の可能性もありません。AIの僕に甘んじて細々と暮らすしかないでしょう。その期に及んで、KCPでもっと勉強しておけばよかったと後悔しても、過ぎ去った歳月は取り戻せません。

皆さんは留学生活に夢を抱いてこの場にいることでしょう。でも、何もしなかったら、夢は夢のままです。楽な道ばかり選んでたどり着けるような夢は、それなりの小さな成功しかもたらしません。皆さんの夢を実現するためにまず必要なことは、学校に出席することです。学校は楽しいことばかりとは限りません。プライドがずたずたに引き裂かれることだってあるでしょう。学業面に限らず辛い目にあうことも1度や2度ではないでしょう。しかし、出席し続けた向こう側には、必ずや成長した皆さんの姿があり、夢への道筋がくっきりと浮かび上がっているはずです。

皆さんがそこに至るまでのお手伝いができることは、私たち教職員一同の非常に大きな喜びでもあります。

皆さん、本日はご入学、本当におめでとうございました。

修了式と同窓会

3月29日(金)

養成講座の修了式が終わり、会場の設営を手伝っていると、Mさん、Nさん、Tさん、Oさん、Kさんなど、懐かしい面々が次々と姿を見せてくれました。名前だけではピンとこなかった方々も、顔を見たら「ああああ!」という感じで、瞬時に線がつながりました。養成講座の同窓会は、互いに久闊を叙するところから始まりました。

養成講座を修了したMさんがKCPで先生をしていたのは、10年以上も前になるといいます。確かに、震災の前ですから、そういう計算になります。でも、顔はしわが増えたわけではなく、声の張りや艶も変わることなく、でも、お話を聞くと間違いなく歳月は流れており、なんだか不思議な気がしました。

Nさんは私がKCPに入る前にお世話になっていたところでしばらく教えていたそうです。そこは震災をきっかけに日本語を教えなくなってしまったという話を聞き、少し寂しくなりました。でも、Nさんはほかで仕事を見つけ、日本語教師として立派に独り立ちしていて、表情には自信がみなぎっていました。

KCPが日本語教師養成講座を始めたのは2001年のことです。調べてみると、私は2003年ごろから養成講座に携わっていますから、かなりの数の同窓生とどこかで接触があったはずです。今回出席できなかった方たちも、送られてきたメッセージによると各方面で活躍しているようです。その活躍に微力ではあっても貢献できたんのかと思うと、なんだか誇らしいです。

もちろん、KCPの養成講座出身者は、KCPでも多くの方が貴重な戦力となっています。今期の修了生からも、3名が4月からKCPで働き始めます。同窓会でつながりができた先輩方を目標にして、ぐんぐん成長していってもらいたいと思っています。