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笑いました

9月13日(金)

KCPアートウィークも最終日を迎えました。初めての試みということで、試行錯誤的な面が多分にあり、その上、初日は台風のために学校中が混乱し、一時はどうなることかと思いました。しかし、最終日のステージはほぼ満席で、来年につながる何かが得られたのではないかと思います。

午前中は、学生の作品を展示している教室の、いわば店番。午前クラスの学生は授業中、午後クラスの学生にとっては登校するには早い時間帯で、見学者は少なかったです。しかし、隣の教室で行われた進学コースの授業が終わると、その学生たちが見に来ました。えらく感心して、作品の前にしばらくたたずんでいる学生もいました。初級の学生でしたから、来年のアートウィークに出展してくれるといいのですが。

講堂では読書感想文の入賞者の表彰が行われました。全員が初級・中級の学生というのは、喜んでいいのでしょうか、いけないのでしょうか。でも、上級顔負けの内容と構成でしたから、今後を期待することにしましょう。

圧巻だったのが、超級クラスの学生2人による漫才でした。2人が話す日本語そのものもさることながら、構成がしっかりしていて、教職員を本気で笑わせていました。もちろん留学生にわかる日本語であることも考慮されていて、講堂全体が笑いに包まれました。素晴らしい才能です。

A先生とI先生の、琴とバイオリンのコラボもうなってしまいました。実は学生の作品展示会場に、こっそり自分の作品を紛れ込ませた先生が何名かいらっしゃいました。学生に限らず教師も才能豊かなのです。私は、そんな誇れるような才能には恵まれず、アーティストの学生や先生をうらやむばかりでした。

ロビーの顔出しパネルが片付けられました。宴が終わったらもうすぐ期末テストです。

入試問題を目の前にして

9月5日(木)

昨日W大学を受けたEさんが試験問題をくれました。問題用紙を開いて最初に感じたことは、“うわっ、面倒くさい”でした。小さい字がたくさん並んでいて読む気をなくしてしまったというのが、より正確な描写でしょう。どうにか読んだとしても、問題をきちんと解いて答えを出すところまでたどり着けるだろうかという不安も湧き上がってきました。

集中力がなくなってきたのだと思います。授業で使うために大学の過去問を解くことがよくありますが、本番の入試並みに60分とか90分とかかけて取り組むことはありません。解いている最中に話しかけられたり電話に出たりほかの仕事をしたりと、思っているよりもずっと時間を細切れに使っています。だから、集中力のなさを感じずにすんでいたのです。ところが、学生から「昨日の問題です」なんて問題を渡されると、一気に解かなければならないような気がしてしまい、怖気づいて逃げようとした結果が、“面倒くさい”だったのではないでしょうか。

それを乗り越えてもう少し詳細に問題を見てみると、こうすれば問題は解けるだろうという道筋は、直感的に浮かびます。でも、その道筋に従って問題を解き進めようという気力が満ちてこないのです。年寄り特有のずるさだなと思います。口は出すけど手は出さないじゃ、第一線は務まりません。

そう思いながらも、この瞬間的に解法が見えてくるということこそ、頭脳はまだまだ明晰な証拠じゃないかと、自画自賛してもいます。ただ、同時に、これは本気で取り組むべき問題、これは捨ててもいい問題などと仕分けしてしまうのは、やっぱりずるさですね。

昨日、Eさんと一緒にW大学を受けたら、Eさんよりいい成績を取れたでしょうか。若い者には負けられないと思いつつも、負けちゃうのが落ちかな。

激怒の裏に

8月28日(水)

私が受け持っている初級の一番上のレベルは、中間テスト後から漢字の教科書が変わりました。初級の教科書から中級の教科書になったのです。今までは教科書で取り上げる単語に各国語訳がついていましたが、それがなくなりました。それに伴って、教師の授業の進め方が変わり、学生にも予習のしかたを変えるように指示を出しました。単語の意味を日本語で説明できるように、例文全体の意味を理解してくるように、というのが主なものです。

きちんと予習してあるかどうか事前にチェックをしたんですが、実際に授業をしてみると、学生がしてきたのはほんのうわべだけの予習で、こちらの質問にまともに答えられる学生はほとんどいませんでした。例文の中に「大気中」という言葉が出てきたのでこれの読み方を聞いたら、1人を除いて「だいきちゅう」と答えました。「お前ら予習不足だ!」と激怒しました。いや、正確には激怒するふりをしました。

毎学期、中級の漢字の教科書を使った最初の授業では、学生たちの予習不足が露呈されるのが常で、それは驚くにあたりません。「だいきちゅう」も毎度おなじみ、想定内の答えです。問題は、いかに次から教師が満足できる予習をしてくるようにさせるかです。ですから、激怒のふりをして、予習してこないと大変なことになると学生に恐怖心を植え付けたわけです。

中級になったら、頭の中が日本語で回転するようになっていなければなりません。それが聴解力向上や読み書きのスピードアップなどにもつながります。このレベルの学生たちが乗り越えなければならい壁でもあります。中級以降伸びるかどうかは、日本語で考えられるかどうかなのです。

V字回復

8月16日(金)

日本語学校に通う留学生は、出席率が悪いと留学ビザの更新ができなくなります。学生の本分は勉強ですから、学校を休んであまり勉強していない学生は、ビザがもらえなくて帰国となってもやむを得ません。

Kさんもビザが危ない学生の1人です。先学期も私が受け持ちましたが、風邪を引いたとかお腹が痛いとか言いながら、よく休みました。本人はそんなに休んでいないつもりだったのかもしれませんが、出席率は毎月80%を割り込み、欠席理由書を書かされていました。それだけ派手に休むものですから、授業内容がきちんと頭に入るはずもなく、期末テストでひどい点数を取り、進級できませんでした。

先学期の期末テスト後に一時帰国したのはいいのですが、国でインフルエンザにかかって日本へ戻るに戻れなくなり、今学期初めて登校したのは始業日から1週間以上も過ぎてからでした。当然その間も出席率は下がり続け、もはや1コマたりとも休めなくなりました。

もう終わったなと思っていましたが、学校へ来始めてからは遅刻が数えるほどある程度で、毎日学校へ来ています。今月は、なんと、出席率100%です。それでも入学以来の出席率は70%台で、依然ビザ更新危険水域にあります。これからも全く油断はできません。

出席率はまだまだですが、成績は上がりました。やっぱり授業は切れ目なく聞き続けなければ実力向上につながらないのです。授業が面白くなれば学校に通うのも面白くなり、さらにもっとわかるようになり…という正のスパイラルに乗ったように思えます。

明日から夏休みです。Kさんの正のスパイラルが休み明けにも維持されていることを祈るばかりです。

ほっぺたと声

8月14日(水)

午前クラスの中間テストの試験監督を終え、解答用紙をクラスロッカーに納めて、「やれやれ」なんて思いながら一息ついていると、職員専用口からK先生が入ってきました。正確に言うと、“K元先生”です。結婚なさり、3月でおやめになっていますから。K先生、お腹がちょっと膨らんでいます。M先生に「安産!」と気合を入れられていました。赤ちゃんが生まれたら、ぜひ連れてきてほしいです。私は赤ちゃんのボニョボニョしたほっぺたを触るのが趣味なのです。最近では、O先生のお嬢さんのほっぺを触らせてもらいました。触られている方は迷惑でしょうが、触っていると心が洗われてくるような感じがするのです。K先生の赤ちゃんは、何か月か後のお楽しみとしておきましょう。

K先生がKCPにいらっしゃったのは3月までですから、先学期からK先生のいらっしゃらない体制になっています。でも、それなりにKCPという組織は働いています。こんな時にK先生がいらっしゃってくれたらなあと思うことはあっても、だから組織が機能しないということはありません。今は、多くの学生がK先生のことを覚えていますが、来年の3月になったらその大半が卒業してしまいます。去る者は日日に疎しと言いますが、K先生の影がだんだん薄くなってしまうのは、何となく寂しい気がします。

でも、これからも当分の間は、K先生は私たちの心に必ず復活し続けます。どうしてかというと、K先生は聴解の試験問題をたくさん残していらっしゃるからです。中間テストや期末テストのたびに、教室にK先生の声が響き渡るのです。その声を聞き、“K先生、お元気かなあ”とかって、K先生のことを思い浮かべるに違いありません。

残念ながら、私は聴解教材は残していませんから、今やめたら、あっという間に忘れ去られるでしょう。文法や語彙や読解などの教材は作りましたよ。でも、声ほど後の人々に強い印象を与えるものはありません。幸せそうなK先生を見ながら、そんなことを考えました。

偉大な時計

8月10日(土)

職員室の自分の席で仕事をしていて時刻を確認するときには、左上の柱に掛かっている時計を見上げます。右前方にも時計が掛かっていて、しかも視線を動かす角度はずっと小さいのに、首を回さないと見られない左上の時計を見てしまうのです。そもそも私は、風呂に入るとき以外は、寝る時ですら、腕時計をしていますから、ほんのちょっと視線を落とすだけで時計の文字盤が視野に入るのです。それでも、自分の席にいる時は、腕時計ではなく、左上の時計なのです。

先月、その時計が故障してしまいました。この校舎の新築時から5年と少々時を刻み続けてきましたが、止まってしまいました。当然、時計は外され、修理に出されました。そのため、左側を見上げても、空振りです。日に何度となく、空振りを繰り返します。腕時計や右前の時計を見ればいいのに、ないことがわかっているのに、反射的に首を左に動かし、「あ、そうだ」と満たされない気持ちになるのです。

今、左上の時計は復活しています。しかし、いつ復活したのか、さっぱりわかりません。あんなに空振りを繰り返していたのですから、復活したらうれしくなって小躍りしてもおかしくないはずでしたが、まったく気づきませんでした。そこに時計があるのがあまりに当たり前で、時計が戻っても新鮮な刺激にならなかったのかもしれません。

「空気のような存在」という表現がありますが、左上の時計はまさにこれだったのです。消えて初めてその存在の偉大さに気づいてもらえるなんて、自己主張せず、でもさりげなく存在感を示す渋い役者のようじゃありませんか。そう思いながら、改めて時計を見上げています。

いつもと違うぞ

7月22日(月)

四谷警察の方が来て、防犯の話をしてくださいました。話の内容そのものは、入学時のオリエンテーションで学生の母語で書かれた冊子で確認していることでも、日頃私たち教職員が伝えていることでもあります。でも、警察の方の口からじかに聞かされるとなると、学生たちの心に響くものがより強かったようです。

Gさんはこの学期休み中に引越ししました。しかし、在留カードはそのままにしていました。これは20万円以下の罰金に相当すると聞かされ、顔色を変えて区役所へ。この例も、私たちは何度となく注意してきました。しかし、教師の言葉だと軽く聞き流されてしまうのです。日々接しているものが口を酸っぱく注意したところで、効き目は高が知れています。ところが警察が言ったとなると、同じことでも重みが100倍ぐらい違います。おそらく、Gさん以外にも授業後に区役所に駆け込んだ学生が何名かいたのではないでしょうか。

校長などという職に就いていると、時々「叱ってやってください」と先生方に頼まれることがあります。クラスの先生が持て余している学生を連れてきて、私の口から説教してくれというのです。実情を聞いて、学生の言い分にも耳を傾け(と言っても多くの場合、聞くに値しない言い訳にすぐませんが…)、学生としてあるべき姿を説いていきます。すると、いったんは持ち直す場合がほとんどですが、いつの間にか元の木阿弥という例もよく見られます。

学生に、多くの目で見られているんだという意識を持たせることが肝心だと思います。クラスの教師だけでなく校長も見ている、学校の教職員だけでなく警察も見ている、そういう環境の中、日本で生活しているんだと実感してもらいたいのです。監視社会という面もありますが、本当の悪の道にまで転落しないような救いの手がいつでも差し伸べられるんだということも、ぜひともわかってもらいたいところです。

学生たちには有意義な留学生活を送ってもらいたいですから、これからもこういう機会を設けていきたいものです。

暗いムード

7月9日(火)

7月期の初日は最上級クラスでした。半分ぐらいがどこかで教えたことのある学生でした。大半が進学するので、オリエンテーションの後、東京や東京近郊の大学には容易に進学できないという話をしました。どうしても東京というのなら、思い切って志望校のレベルを落とし、滑り止めを確保すること、さもなければ首都圏以外の大学を志望校に加えることと、半分命令口調で訴えました。

初日からいきなり暗い話題で、学生たちは沈んでしまいましたが、今から言い続けないと、3月の卒業式のころに泣きを見るのは学生たち自身です。KCPの先生方が手分けしていろいろな大学の留学生担当者に話を聞いた結果、どこもかしこも難化しているので、学生たちに考え方を変えさせなければならないという結論に至りました。

さらに、進学後にビザをもらうとき、入管が日本語学校の出席率を重視するようになったという話もしました。心当たりのある学生は、いくらか顔が引きつってきました。こちらもまた、多くの大学の方が異口同音におっしゃっていたことです。上級ともなると在籍期間の長い学生もいて、それで入学以来の出席率が悪いとなると、挽回不可能かもしれません。たとえそうだったとしても、今までに何度となく注意されたのに行いが改まらなかった自分自身が悪いのです。目の前の快楽を追求したために将来の夢が消えたとしたら、帰国後同じ過ちを繰り返さないようにすることで、留学の成果につなげていくほかはありません。

2月や3月になってから、教師の言葉は真実だったと気が付いても、もはや手遅れです。今から毎日学校へ来れば、受かる大学を確実にものにしていけば、にっこり笑って卒業できるでしょう。私の話が、その第一歩につながってくれればと思っています。

更地

6月24日(月)

隣のビルの解体工事が完了して、更地になってしまいました。土地を見ると、KCPと同じだけの奥行きがあるのですが、道路側からしか見たことがなかったので、なんだか意外な気がしました。奥の方はどうなったいたんでしょう。今となっては知るすべもありませんが。

掲示された建築計画書によると、この土地に高さ約42mの14階建てのビルができるそうです。KCPは7階建てですから、単純計算で2倍の高さになります。KCPがいよいよビルの谷間になってしまいます。

旧校舎が取り壊されたのが6年半ほど前で、校長として起工式に参列したのがそのもう少し後でした。隣の更地を見ていると、その時のことが思い出されました。更地になると、ずいぶん狭いなと感じました。職員室も教室も何でも同じ平面にあったと思ってしまうからかもしれません。また、設計のときには意見も出しましたが、それがどんな形で反映されるかは、建築の素人の私にはぼんやりとも見えませんでした。

隣の地主さんもそうなんでしょうか。隣のビルには知る人ぞ知るお店が入っていたらしいですが、そのお店の人はどんな注文を出したのでしょうか。それとも、新しいビルにはもう入らないのでしょうか。隣の敷地もあんまり広くないように感じました。建ぺい率の関係で、建物の面積はさらに狭くなります。人が暮らしたり仕事したりできるスペースが生まれるのだろうかと、勝手に余計な心配までしてしまいました。

工事は8月1日から始まるようです。竣工は2021年になります。KCPの学生や教職員が直接かかわることはないでしょうが、やっぱり気になりますよね、お隣さんですから。

ある先輩

6月22日(土)

「もしもし、金原先生ですか。私、Pです。2010年に卒業してS大学に進学したんですが、覚えていらっしゃいますか」「ああ、Pさんか」「はい。そのあとT大学の大学院に入って、修士を取って就職して、今年4年目です」「はーあ、そんなになるんだねえ」「卒業してから初めてなんですけれども、学校にお邪魔したいんですが、今週のご予定はどうでしょうか」「今週かあ…。金曜日が期末テストだからそれまでは時間がないんだよね。土曜日なら空いてるんだけど」「土曜日だったら会社がありませんから。何時がよろしいですか」「土曜日なら、今のところ何時でもいいよ」「じゃあ、1時に伺います」「1時だね。じゃ、待っています」

…という電話のやり取りをしたのが、確か火曜日。お昼前から結構な雨になったので、果たして来られるだろうかと思っていたら、1時2分前ぐらいにスーツを着た若者が受付に姿を現しました。Pさんでした。さすがビジネスパーソン、どんなに雨が強くても、約束の時間には遅れません。

Pさんのころは旧校舎でしたから、まず、校舎が新しくなったことにびっくり。ざっと案内すると、2階のラウンジの自動販売機を見て、「私のころはこういうの、ありませんでしたね」とポツリ。Pさんに限らず、古い卒業生はみんな同じ感想です。

話を聞くと、KCP入学当初は専門学校で技術を身に付けて帰国するつもりだったそうです。KCPでいろいろな授業を受けたり周りの友達から刺激されたりしているうちに大学に行きたくなり、大学進学の勉強を始めました。首尾よくS大学に入学しましたが、学部の勉強だけでは飽き足らず、T大学の大学院に進むことにしました。大学院は留学生入試があることを知らず、日本人学生の試験を受けたそうです。修士課程を終えて、今は霞が関にある会社に勤めています。

こういうPさん、後輩の手助けをしたいと言ってくれました。自分が力になれることなら、ぜひ協力したいとのことです。うれしいじゃありませんか。10年ぶりでも何でも、学校を思い出して、足を運んで、こういうことを申し出てくれるんですから。来学期での実現に向けて、進めていきたいところです。