Category Archives: 会話

上手なコミュニケーション拒否法

10月17日(火)

町を歩いていると、至る所から「大丈夫」が聞こえます。「大丈夫ですか」「大丈夫です」のように、ちょっとしたやり取りの中に大丈夫が満ち満ちています。日本人も実に頻繁に使っています。学生も、初級から上級まで、どこのクラスからも「大丈夫」が聞こえてきます。

先週、朝日新聞に留学生の投書が載りました。コンビニなどで何か聞かれた時、聞かれた内容がわからなくても「大丈夫です」と答えておけば切り抜けられるけれども、いつか「大丈夫です」ではない答えができるようになりたいと書かれていました。この投書をネタに、どんな時に「大丈夫」を使っているか、「大丈夫」に誤解したりされたりしたことはないか、日本語会話を上達させるためにどんなことをしているか、といったことを作文にしてもらいました。

その中で、2人の学生が、誤解の例として「レジ袋は5円ですが、大丈夫ですか」を挙げていました。学生は、この「大丈夫ですか」を「レジ袋は要りますか」という意味にとり、不要だという意味で「大丈夫です」と答えたら、コンビニの店員にレジ袋を追加されたという経験です。店員は「5円払ってもレジ袋が欲しいですか」という意味で「大丈夫ですか」と言ったのだと、学生は分析していました。この分析は、正しいです。

私もコンビニなどでこう聞かれることがありますが、「大丈夫です」とは絶対に答えません。首を振ります。こうすると、レジ袋をもらわされることは絶対にありません。店員がどちらの意味で「大丈夫ですか」と言っても、首を横に振れば「レジ袋は不要だ」という意思が伝わります。「大丈夫です」という言葉よりも正確なコミュニケーションができるのです。

投書をよく読むと、この留学生は「大丈夫です」と答えることによって、それ以上のコミュニケーションを拒絶したかったのではないかとも思えました。「大丈夫です」と言われてしまえば、店員はそれ以上何か声をかけることはないでしょう。ですから、「大丈夫です」は「日本語がわからないから声をかけてくれるな」というサインにもなり得るのです。

もし、KCPの学生たちも同じ意味で「大丈夫です」を連発しているとしたら、いつまでたっても日本語は上達しません。「大丈夫です」からの脱却こそが、日本語上達の第一歩なのです。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

前日

9月29日(金)

明日D大学の面接試験を受けるXさんの面接練習をしました。Xさんは先週から集中的に面接練習をしてきました。本番前日にその成果を確認しようというわけです。

まず、面接室の入り方は軽くクリア。まあ、入り方が多少雑だったとしても、それが原因で落とされることはないでしょうが。声もよく出ていました。目をそらすことなく、また、貧乏ゆすりなど面接官に悪印象を与えそうな癖もなく、面接を受ける際の態度も問題がありませんでした。

入試に限らず面接試験では、面接官の印象に残らなかったら合格はできません。その点、Xさんには秘密兵器があります。自作のおもちゃです。これを出すタイミングの研究をしました。「こんなものを作ってしまう私は、貴校の建学の精神そのものです」という流れが一番自然ではないかということになりました。おもちゃそのものは、くだらないと言ってしまったらXさんに失礼ですが、それが正直な感想です。でもその制作過程は確かにD大学好みの香りが漂い、そこを起点に口頭試問になだれ込むことも可能です。

その口頭試問ですが、先週出した宿題は少々荷が重かったようです。結果を暗記する勉強を積み重ねてきたXさんには、暗記しているその結果を導き出すというのは、かなりの難事業でした。考え方を教えると、目からうろこみたいな顔つきになりました。

Xさんは、面接官の頭と心に印象を残せそうなネタは持っています。それをうまく使えば、D大学の先生が乗ってきてくれれば、勝ち目は十分にあります。もはや私にできることは祈ることしかありませんが、明日のお昼ごろ、Xさんが面接を受ける時間あたりに、精一杯念を送ることにしましょう。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

戻る

9月16日(土)

アメリカの大学のプログラムでKCPに来ている学生の期末テストと修了式がありました。普通の学期は期末テストの日に行われるのですが、夏の学期は、アメリカの大学の授業日などの関係で、通常の学生より1週間ぐらい早く期末テストと修了式を行います。

修了式は、いつもの学期と同様に、修了証書をもらった学生が、一言スピーチをします。私がレベル1で教えてきたEさんは、感極まって「みなさん、ありがとうございました」と涙声で言うのがやっとでした。Eさんは、国籍を問わずクラスの全学生と仲良くなり、「じゃあ、この文法で会話してください」となると、目を輝かせて教室中を歩き回り、何人もの学生と楽しそうに話をしていました。そういういつもの姿からするとEさんらしくない感じもしましたが、この3か月間、それだけ全力で勉強してきたのですから、思い出が次から次へと浮かんできたのでしょう。走馬灯状態だったに違いありません。

もちろん、ほかの学生も思い出や感謝の言葉を語ってくれました。その中で、数名の学生が、「またKCPに戻ります」と言ってくれました。戻って来ますと言うべきだ、などというツッコミは入れません。「また来る」のではなく「戻る」のです。「元に戻る」というくらいですから、KCPが元の状態、いわばホームです。これからちっとどこかへ行って、再びホームの土を踏むというわけです。言った本人はそこまで考えていないでしょうが、深層心理にそういう部分があるのです。

うれしいじゃありませんか。そこまでKCPのことを思ってくれているなんて。来年1月に再入学を予定しているEさんも、「戻る」という単語は知らなくても、心の中はきっとそうです。1月の入学式のころは、今と違って寒い盛りです。おしゃれなEさんの真冬のファッションも、今から楽しみです。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

初練習

9月4日(月)

午後、レベル3・4の学生の初面接練習に付き合いました。志望校の受験日が目前に迫っているのではなく、入試の面接の模擬体験をする授業で、面接官を務めました。

面接の受け方に関する基本的な講義を受けた後で、面接官の数に分かれて各教室へ。私のところへは4人の学生が来ました。

まず、Fさん。「どうして本学を志望しましたか」「経営を勉強しますから」というような、さっぱりかみ合わない問答を繰り返しました。そのうち、背筋が丸くなり、緊張していることが手に取るようにわかりました。

Eさんは「次は私」と勢い良く手を挙げたものの、面接の答えはFさんと違った意味でひどいものでした。「大学で自然と環境と動物のぼうこうを勉強したい」と言われたら、みなさんはどう受け取りますか。あれこれ聞いていくと、“ぼうこう”とは“保護”のことでした。これ以外にも発音が悪くて何を言っているかわからない場面がいくつもありました。

「本学で何を勉強しようと思っていますか」「文化です」と答えたきり、口をつぐんでしまったのはRさんです。しかたがいので、「文化といっても幅が広いですが、その中で特にどんな文化を勉強したいんですか」と聞くと、「いろいろな文化です」と、これまた新しい情報が全くない答えが返ってきました。

最後のHさんはファッションクリエーションを勉強したいとのことなので、「今のあなたの服装は、どんなところがおしゃれですか」と聞いてみました。レベル3・4の学生には難しいかなと思いましたが、Hさんは一言も説明できませんでした。初回とはいえ、これでは困りますねえ。

担当のO先生からは、面接の厳しさを味わわせてほしいと言われていましたが、その役目は果たせたと思います。私以外の先生が担当だった学生たちも含めて、その多くが何らかの形でこれから受験します。実際に出願し、面接日が近づいてから行う面接練習の際には、受け答えがずっと上手になっているでしょうが、こちらもさらに厳しい質問をします。それに耐えてやっとどうにか競争に勝てるのです。次に会う時までの成長に期待しましょう。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

自己表現

8月30日(水)

午前の授業の後で、指定校推薦の面接をしました。指定校推薦に応募してきた学生が、推薦するにふさわしいかどうか、学校内で審査するための面接です。

Sさんは超級レベルの学生ですから、日本語には全く問題がありません。自然な話し方ができます。学力的にも優れていて、難関のH大学に志願しました。ところが、その志望志願した理由を聞くと、とたんに視線が天井を向いてしまいました。と同時に、機械が話しているかのごとき口調になりました。暗記したことを尾のまま話しているのが手に取るようにわかりました。話している内容は立派なものですが、心ここにあらずという感じがありありとうかがえました。

緊張していたこともそうですが、間違えてはいけないという意識があまりに強いと、こうなってしまいます。今回は学校の中での面接であり、私たち面接官側も学生をよく知っていますからこれでもいいですが、H大学の面接試験でこれをやったら、いかに指定校推薦とはいえ、落とされてしまうかもしれません。これから試験日まで、しっかり訓練する必要があります。

続いてOさんの面接をしました。Oさんも上級とはいえ、Sさんと比べると力の差があります。H大学ではなくB大学の指定校推薦を狙っています。人柄は校内で一番かもしれませんが、話す力には“?”が付きます。入学試験は人柄まで見てくれません。学校から提出する書類で訴えることはできても、面接の受け答えがおぼつかなかったら、確実に落とされます。Sさんの後だっただけに、Oさんのたどたどしさが目立ってしまいました。こちらも、特訓の上で本番に臨んでもらうことになります。

KCPは決していい加減に選んで指定校推薦の学生を選んでいるわけではありません。2名とも、H大学やB大学で勉強したい気持ちには、並々ならぬものがあります。それを伝える手段が面接試験の場しかないとなると、苦戦を余儀なくされます。それを乗り越えるトレーニングを、これから課していきます。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

会話テストの結果

8月8日(火)

レベル1は、会話タスクの日でした。今学期前半で勉強した文法や語彙を使って、1分程度の会話を作って発表します。もちろん、ストーリーや発音なども採点対象です。以前レベル1を担当したときは、採点は教師が行うだけでしたが、今回は発表を聞いている学生にも採点してもらいました。

滑らかにナチュラルスピードに近い速さで話す学生もいれば、ゆっくり話す学生もいます。会話は課題を与えその場で作らせますが、上手にまとめるところもまとまった話にならないところも出てきます。でも、どのペアも2人で協力して作っていましたし、今学期の成果をどうにかして取り込もうとしてる様子は感じられました。

そういった点には学生の成長を感じましたが、頭を抱えてしまった部分もあります。みなさんだったら、相手を誘う場面で、“いっしょに昼ご飯を食べ(   )”ときたら、(   )に何を入れますか。普通は“ませんか”ですよね。しかし、これができたのは1組だけで、他は「いっしょに昼ご飯を食べますか」としてしまいました。これじゃあ予定を聞いているみたいで、聞かれた方も自分は誘われているんだという認識は持てないかもしれません。

もちろん、「いっしょに~ませんか」は何回も練習しました。でも定着していないんですねえ。学生たちは、日本語で誰かを誘うことなどないのです。身近な表現じゃないから、覚えられないのです。レベル1では、こうして会話テストをすることで、学生たちが「いっしょに~ませんか」が使えていないことが浮き彫りにされます。しかし、レベル2以降では、こういうことはあまりないでしょう。そうすると、「いっしょに~ませんか」が使えないまま上級まで来てしまうことにもなるのです。

学生たちのできなさ加減は、自分のできなさ加減なのです。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

20万円の靴

7月13日(木)

レベル1のクラスでは「いくらですか」を勉強しました。値段を答えるとなると、万の単位までは言えるようにならなければなりません。英語はthousand, million, billionと3桁ごとに単位が変わっていきますが、日本語は万、億、兆と、4桁ごとです。ちょっとお遊びで“100000000”を読ませたら、「1万万」という答えが返ってきました。それはともかくとして、“32千円”などという予算か何かの表に出てくるような言い方をする学生がたまにいますから、それをつぶさなければなりません。

「Kさん、いい靴ですね。そのくつはいくらですか」なんていう形で、値段を聞いたり答えたりさせました。Kさんの靴は20万円だそうです。「この時計は18万円です」なんていう答えもありました。学生が身に付けているものや持ち物は、高いものが多かったです。話をいくらか盛っているかもしれませんが、いくらかは事実でしょう。私なんか、夏はユニクロで身を固めていますから、靴まで入れてやっと1万円を超える程度、時計がそれと同じくらいといったところでしょうか。視界はしっかり確保したいのでメガネは多少奮発していますが、それを加えても学生を上回らないかもしれません。

私がKCPにお世話になり始めた頃は、“学生=貧乏”という不滅の定理がありましたが、今は“学生=金持ち”のほうが恒等式に近いような気がします。これも、日本の国力の衰えという意味での時代の流れなのでしょうか。円安のため、かつて海外へ出て行った工場が国内に回帰しつつあるのだそうです。20万円の靴の国でつくられた品物は、我々一般庶民には手が届きそうもありません。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

顔と名前

7月6日(木)

今学期私が担当する上級クラスは、先学期のクラスで考えると大きく2つのグループから成り立っています。お互いほとんど接触がなく、何も手を打たないとクラス内に壁ができてしまうかもしれません。ですから、始業日恒例の自己紹介に代えて、数人ずつの小グループをいくつか作り、そのグループのメンバーの顔と名前を覚えるようにと指示を出しました。

ここまで言えば、上級の学生ですから、名前を言い合ったり簡単な自己紹介を始めたり、さらには雑談に発展したりと、グループのメンバーを自分の頭に印象付けようと工夫をしていました。メンバーを組み換えると、1回目より要領よく顔と名前を覚えようとしていました。

もう少し詳しく観察すると、グループ内で自然発生的に生まれたリーダーがノートか何かを回して、各人の名前を書かせているところと、そうではなくて、音やリズムを頼りに顔と名前を一致させようとしているところがありました。上級だとやはり文字を介したほうが覚えやすいのでしょうかね。

私が新しいクラスの学生の名前を覚えるときは、名前に特徴的な漢字が含まれていたら、その漢字をキーにして顔と名前を記憶します。名前の読み・発音が独特なら、それと顔を紐づけます。外見が印象深かったら、もちろん、それが幹となり、名前その他がそれにぶら下がります。

このクラスでは、文字派が若干優勢でした。最後にクラス全員の顔と名前を覚えましょうということになったら、「先生、ホワイトボードに1人ずつ名前を書いていってください」ということになりました。過程はどうであれ、クラスのみんなが、みんなの名前を覚えて仲良くなってくれたらそれで目標達成なのですから、言われたとおりに名前を書きました。

クラスメートの名前を覚えてくるのを宿題にして、明日のM先生に引き継ぎました。M先生は、明日の朝いちばんで、「この学生はだれ」とやってくださることでしょう。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

入学式挨拶

みなさん、ご入学おめでとうございます。世界中の国々の、このように多くのみなさんが、KCPを留学の場として選んでくださったことをうれしく思います。

今学期、KCPはコトバデーを開催します。この後すぐに紹介しますが、コトバデーとは、簡単に言うと、全ての学生が日本語を「話す」いろいろなタイプの発表に携わるイベントです。

言語には音声言語と文字言語がありますが、人類が最初に得たのは音声言語です。コンピューターのプログラム言語のような人工的な言語は別として、日本語も英語も韓国語も中国語もフランス語もスペイン語も、自然言語は音声言語あっての文字言語なのです。コトバデーは、KCPで学ぶ学生も、教える教師も、言語の原点、「話す」ことに立ち帰る、全校挙げての活動です。

このコトバデー、実は昨年が第1回でした。3年前から全世界を襲ったパンデミックによって、KCPも授業形態を大きく変えることを余儀なくされました。当時の学生も教師も全力を尽くしましたが、一番大きな影響を受けたのが、学生の話す力でした。教師は、オンライン授業で学生の話す力を伸ばすことの難しさを痛感させられました。学生の日本語を話す力を取り戻すにはどうすればよいか、そのための第1歩が、コトバデーでした。

これから始まるコトバデーに向けた活動を通して、みなさんに何よりも味わってもらいたいのは、日本語を話す、日本語で心の内を語る、考えを述べる、コミュニケーションを取ってお互いを知り合う、そういったことの楽しさです。日本語というみなさんにとっての外国語によって、相手に理解してもらえた、相手のことが理解できた、その瞬間の喜びです。その喜びをさらに深めるために勉強を続けていけば、自ずとみなさんの日本留学の目的も達せられることでしょう。

今ここにいらっしゃるみなさんのKCPで日本語を勉強する目的は何ですか。大学の単位を取るため、日本で進学するため、日本で暮らすためなど、各人各様でしょう。もちろん、みなさんそれぞれの目的に向かって進んでいってください。ですが、もう一つ、1人の日本人としては、日本語を学ぶことによって日本や日本人を知るということも、2番目か3番目の目的に付け加えてほしいところです。日本で生活し、日本語で日本人とコミュニケーションを取ることで、日本とはこんな国なんだ、日本人ってこんな考え方をするんだなどということを、実感を持って理解していってもらいたいのです。そして、親日家にはならずとも、知日家にはなってほしいと思っています。

単に日本語を勉強するだけなら、わざわざ日本へ来る必要などありません。日本で、生身の日本人教師から直接日本語を習う意義を再認識し、この留学をより一層有意義なものへと作り上げていってください。みなさんは、非常にラッキーなことに、入学してすぐ、コトバデーという、日本語を掘り下げるチャンスがあります。これも有効に活用してください。そのためなら、私たち教職員一同、喜んでみなさんのお力になります。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

盛り上がりの陰で

6月29日(木)

昨日の午後、アメリカのプログラムの学生たちは、数グループに分かれて都内へ見学に出かけました。午前の授業は、見学してきたことの発表会でした。6階の講堂がさらっと埋まるほどの学生の前で、パワーポイントを使ってプレゼンテーションしました。私のクラスの学生たちをはじめ、日本語がほとんどできない学生も多いため、発表そのものは英語でした。日本社会の見学、文化体験が主たるテーマでしたから、満足に使えない日本語よりも、自由に意思疎通ができる英語で自分たちの見聞をみんなで共有することに重きを置きました。

逆にこちらは学生たちの話が完全には理解できませんでしたが、発表した学生たちの新鮮な驚きは十分に伝わってきました。学生たちはといえば、英語での発表だったからなのでしょうか、質疑応答が活発でした。その様子を見ながら、今学期や先学期のタスク発表の様子を思い出しました。沈黙が続いて、教室内に重苦しい雰囲気が漂うこともたびたびありました。

学生にとっては外国語である日本語での発表を聞き、その日本語で質問するというのは、中上級の学生たちにしても重荷だったのかもしれません。ただ、気になったのは、聞き手の学生たちの表情でした。生き生きしていたアメリカのプログラムの学生たちに対して、中上級の学生たちには“させられている感”が見られました。受験勉強以外には興味が持てないのでしょうか。知的好奇心の欠如とは思いたくありません。

予定の時間をオーバーして発表・質疑応答が行われている間、7月期の期末タスクはどうすればいいかなあなどと考えていました。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ