Category Archives: 会話

夕立

5月18日(木)

中間テストの午後の試験監督をしていたら、急に空が暗くなり、にわか雨が襲い掛かってきました。教室内には雨音は聞こえてきませんでしたが、外階段は雨粒が屋根にぶつかる音で会話が成り立たないほどでした。

こういうときは、職員室は傘を借りに来る学生たちでにぎわいます。

「かさ、ください」――いちばん下のレベルの学生なら、しかたないところでしょう。“ください”が言えただけでも多としなければなりません。

「すみません。傘、借りてください」――“わしゃあ、あんたから傘借りんでも、折り畳みはいつも持っちょるんじゃがのお”。生半可に動詞を覚えると、こうなってしまいます。初級だからこそ、正確さが肝心です。

「あのー、傘、貸してもいいですか」――“じゃけえ、傘はあるって言うちょろうがね”。貸し借りは方向性がありますから、使い方を間違えると変なことになってしまうのです。“てもいいですか”を使った点は褒めてあげてもいいですが、中級の学生がこれだとがっかりですね。

「すみませんが、傘を貸してもらいませんか」――惜しいなあ。でも、私はあんたと一緒に傘を借りる気はないんだよねえ…。

「失礼します。傘を貸してくれていただけませんか」――知ってる文法を全部たたき込めば丁寧になるってわけじゃないんだよ。

「お忙しいところすみません。雨が降ってきたので傘をお借りしたいのですが…」――2年前だったかなあ、1度だけ上級の学生にこう声を掛けられたことがあります。この学生は、KCPの学生なら誰もがあこがれる国立大学に進学しました。

テストが終わる頃には雨が上がり、青空が広がりました。この雨の降り方はまさに夕立じゃありませんか。天気予報によると、明日から暑くなるそうです…。

聞けた

5月12日(金)

連休明けから準備を進めてきた、日本人ゲストを迎えての会話授業がありました。私の入っているクラスは初級の最後のレベルですから、初級の総まとめ、総仕上げの意味も込めて、日本人ゲストとの会話の授業を企画しています。また、「会話」ですから、学生は一方的にしゃべり倒すのでもなく、ひたすらゲストの話に耳を傾けるのでもなく、双方向的に話を盛り上げて行くことが求められます。

まだ初級ですから、いきなり会話をしろと言われてもできるものではありません。ですから、採集の準備の時間になると、グループごとに会話の予行演習が自然発生的に始まりました。こうなると、私の言うことなど上の空です。放置するほかありません。

そして、ゲストがいらっしゃると、ちょっと緊張しつつも元気に挨拶し、各グループで会話が始まりました。私は各学生がちゃんと会話に参加しているか、会話があらぬ方向に進んでいないか、ゲストに対して失礼な態度を取っている学生がいないかなどを見回りました。会話は、どのグループも途切れることなく進んでいました。

終了予定時刻になり、私が会話を中断すると、学生たちは名残惜しそうにゲストに「ありがとうございました」とお礼を述べ、ゲストの方々は次の教室へ向かわれました。教室の外に出たところでゲストの方に軽く感想をお聞きすると、話し相手をしただけでも思ったよりハードだったとおっしゃっていました。それだけ学生たちがたくさん話したというふうに、ポジティブに受け取ることにしました。

私は、学生たちがきちんと話を聞いていたことに感心しました。ゲストの話だけでなく、同じグループの学生が話しているときも、相槌を打ちながら反応を示していました。初級だと、誰かが話している間は、それを聞くのではなく、えてして次に自分が話すセリフを必死に考えているということになりがちなのですが、今回はそんな様子は見られませんでした。この点は学生たちに伝え、褒めておきました。

学生たちも、ふだんの10倍ぐらい日本語をしゃべったので疲れたようでしたが、それだけ長い時間話し続けられた、実のある会話ができたということが、大きな自信になったようでもありました。ここで得た自信で、来週の中間テストでも好成績を挙げてほしいと思いました。

実験台

4月19日(水)

先学期は卒業クラスばかり担当していましたから無しで済ませてしまいましたが、今学期はこれから中級に上がろうかという学生たちのクラスですから、作文は逃げて通れません。私にとって辛い季節が始まりました。

午前中は、昨日書かせた作文を採点しました。幸いにも今学期のクラスには“文字は日本語だけど文章は日本語ではない”というほどひどい作文の書き手はいませんでしたが、何回読んでも理解不能な文はいくつかありました。前後の文を読んでみても、その文だけ浮き上がっていて、どうしてもパズルのピースをはめ込むことができません。書いた本人の頭を解剖して、思考回路をトレースしたいです。

習った文法や語彙を使うというルールも、重荷に感じた学生がいたようです。上手に使って文章を小気味よくまとめている学生がいる一方で、取って付けたような使い方をして文の流れを滞らせてしまった学生もいました。4、5か月前に勉強しているはずの文法をすっかり忘れていて、思い切り減点された学生も。

午後は初級のクラスに入りました。ここでは、習った文法を使って質問に答える練習をしました。安易に下のレベルの文法で答えた学生には、遠慮会釈なしに「はい、レベル1」などと冷たくダメ出しをしました。

授業での文法の練習は、その文法を使うことが明らかなので、動詞などの形さえ間違えなければどうにか乗り越えられます。しかし、何をどこでどう使うかわからない状況で使えと言われても、習ってきたいろいろなツールのなかからふさわしいものを選んで使うのは、学生にとっては厳しいかもしれません。

使って間違えて笑われて悔しい思いをして…。学校はそういう場です。学校にいる間に一生分の間違いをし尽くして、その代わり学校を出たら絶対に間違えないようにしてくれたら、私は喜んで添削もダメだしもします。

あいさつをしよう

4月18日(火)

今月のKCPの目標は「あいさつ」です。朝は「おはようございます」、昼間は「こんにちは」、学校から帰るときは「さようなら」というように、その場にふさわしい挨拶をする習慣をつけようというものです。これらのあいさつの言葉は初級でひらがなを勉強するよりも前に習っていますから、当然学生たちは全員知っています。しかし、知っているのとそのあいさつの言葉を口にするのとの間には、大きな隔たりがあります。無言でスマホを見つめながら通り過ぎたり、授業が終わると脱兎のごとくどこかへ消え去ったりする学生も大勢いるのが現状です。

学生があいさつするなら、教職員もきちんとあいさつを返さなければなりません。そこで困ったことが1つあります。それは、私の「こんにちは」のアクセントです。

30年ちょっと前、私は新入社員として山口県の工場に赴任しました。そこで働いているのは山口で生まれ育った人たちが多かったですし、工場を出れば地元の人ばかりです。「おはようございます」は、一部の年配の方が「おはようございました」となぜか過去形になることを除き、共通語と変わりありませんでした。しかし、「こんにちは」は、共通語は「こ」が低くて「んにちは」が高いアクセントですが、山口では「こ」が高くて「んにち」が低く、「は」で再び上がるアクセントなのです。共通語には絶対に見られないアクセントです。

ところが、このアクセントは実に耳に心地よいのです。無愛想に言おうと思っても、そうできないんじゃないかな。いつしか私もそのアクセントで「こんにちは」とあいさつして、周りの人たちに私の感じた心地よさを感じさせたくなりました。同時に、このアクセントは言うほうも何だか心が穏やかになります。そして、それが現在に至るというわけです。

今までもこの“中低”とでもいうようなアクセントで「こんにちは」と言ってきましたが、これからはその頻度が大いに増えそうです。そうなると、私のアクセントをまねして、それを外で披露して「うわー、ガイジン」なんて言われるような学生が出てくるかもしれません。そんな事件が本当に発生したら、学生に合わせる顔がありません。それでも、この中低アクセントはやめられそうもありません。

文明の利器

4月6日(木)

新入生のプレースメントテストがありました。最初の科目の答案用紙と問題用紙を配り、試験を開始して間もなく、教卓のまん前に座った女の学生が手を上げました。彼女は答案用紙に名前を書いただけで、答えは何も書いていませんでした。問題の答え方がわからないのかと思ったら、スマホを出して彼女の国の言葉で何事か入力し、チョンとタップして私に見せてきました。「私は日本語が全然わからないので、初級のクラスに入るつもりなの」と表示されていました。

こういうスマホの使い方もあるのかと、試験中だからスマホはダメだと注意するのも忘れて感心してしまいました。それと、どういうアプリを使っているのか知りませんが、“初級のクラスに入るつもり『なの』”と、女の子っぽい表現になっているのにもほほーと思ってしまいました。

試験と採点が終わったら、もうお昼を大きく過ぎていました。中華料理屋で定食を注文し、料理が出てくるまで本を読んでいると、隣のテーブルのお客さんが店員さんを呼びました。「はーい」と元気よく応じた店員さんでしたが、お客さんからメニューについて英語で質問されたら顔色が変わってしまい、急いで別の店員を呼びました。その店員さんはスマホを取り出すや、何事か入力し、画面に表示されたであろうと思われる英文を読みました。それを聞いたお客さんは、「OK」とか言いながら何かを注文しました。出てきたものを見たら、麻婆豆腐ラーメンでした。

スマホの翻訳通訳アプリの威力を見せ付けられていたら、就職する直前に、3週間ほどヨーロッパを一人旅したときのことを思い出しました。ミラノのホテルで会話集の通りに「今晩部屋が空いているか」と聞いたのに全く通じず、その会話集を見せて何とか部屋を確保したこともありました。今なら、スマホの音声でどうにかなってしまうのかもしれません。そもそも、事前にインターネットで予約するからこんな事態には陥らないのでしょう。パリのハンバーガー店で、フランス語で注文しようとしても通じず、留学生と思われるアルバイト店員に“Hey, can you speak English?”と聞かれました。私にとっては助け舟で、予定外のポテトまで注文してしまいました。これも、今ならスマホでスマートにこなせるのでしょうね。

新入生の彼女、顔と名前はしっかり覚えましたよ。今度会ったときはスマホなしで話しましょうね。楽しみにしていますよ。

伝わるかな

3月10日(金)

初級のクラスに入りました。このクラスは、来週の月曜日に日本人のゲストを呼んで会話をすることになっていますから、その練習をしました。上級ならいきなり会話をしろと言われても、それなりに何とかできるでしょうが、初級はそうはいきません。中心テーマに至るまでの想定問答も考えておかないと、大混乱に陥りかねません。

あいさつのしかたとか、相槌の打ち方とか、アイコンタクトとか、話題の流れに沿った話し方とか、会話は単に丁寧体で話せばいいという問題ではなく、考えておかなければならないこと、気をつけなければならないことが山ほどあります。それに気付かせるのが、今日の授業の主目的でした。

ゲスト会話でいつも困るのが、学生たちの話したい内容と学生たちの語彙のギャップです。「ヨーロッパのビルは日本語で何といいますか」とCさんに聞かれましたが、これだけでは答えようがありません。Cさんにさらに情報を求めても、Cさんはそれ以上の言葉を知りません。それでもどうにかこうにか聞き出したところ、「洋風建築」のことでした。こういう言葉をそれぞれの学生が抱えているのです。自分の思いが伝わった喜びと同じくらい、思いが伝わらなかった悔しさも、会話能力を伸ばすと思います。

その後、今週末に受験を控えているZさんの面接練習をしました。今までに何回も練習をしましたから、志望理由や将来の計画など、主要な質問には十分対応できます。それ以外の部分で自分をアピールする戦略を一緒に考えました。そこで他の受験生に差をつけようという作戦です。そのZさんも、1年前は今日の午後の学生とどっこいどっこいの力でした。Zさんの受け答えを聞きながら、初級の学生の1年後に思いを馳せました。

引く

2月15日(水)

超級クラスでは全員にプレゼンテーションをやってもらうことにしています。今までに何人ものプレゼンを見てきましたが、その中で一番はKさんです。

多くの学生が自分の興味の対象を紹介し、下手をすると自分の世界に入ってしまうこともあるのですが、Kさんは自分がどうしてD大学進学を決めたかということを、子供の頃にまでさかのぼって語ってくれました。確かにスーパー個人的な内容の発表なのですが、聞き手の興味をそらさない話し方をしていたことが印象に残りました。

思い入れのないことについてプレゼンしても、心のこもっていない、聞き手に訴えるものの薄いプレゼンになるでしょう。でも、思い入れがありすぎると、もう少し正確に言うと思い入れがあふれすぎていると、話し手は思い入れの海に浮かび続ける快感に浸ってしまい、聞き手のことを忘れてしまいがちです。そうなると、聞き手は置いてけぼりを食い、引いてしまうものです。

残念ながら、現時点での学生のプレゼンはこういうタイプが目立ちます。志向や思考や嗜好が同じ方面を指向しているなら聞いていて楽しいかもしれませんが、そうでないと壁を感じてしまうこともあります。熱意は伝えられても、それ以外のものを聞き手に与えることは難しいでしょう。

話し上手な人は、こういう点の機微がわかっていて、相手の反応を見ながら話のコントロールができます。同時に、話しながら聞き手の興味を引く術を思いつき、それを実行する器用さもあります。今の学生たちにここまで求めるのは酷でしょうが、進学して、就職してと、人生の階段を上っていくにつれて、こういった技能は必須のものとなっていきます。人の上に立とうと思ったら、なおさらのことです。

Kさんのプレゼンが学生たちの刺激になり、聞き手の心を捕らえるプレゼンが続くことを祈っています。

子供と話す

2月13日(月)

超級クラスは、近くのH小学校との合同授業をしました。昨年度から行われている地域交流であり、今年度は私のクラスがKCPの代表に選ばれました。

学生たちは日本の小学校に入るのは初めてであり、おっかなびっくりであり興味津々という顔つきで校舎に入っていきました。私も選挙の投票以外で小学校に入るなんていうことはなく、動き回る子供たちに思わず見入ってしまいました。

交流授業は図書室で行われました。今日は初回ということで、自己紹介が中心でした。学生と小学生たちが自己紹介し合っている間、私は図書室の本を見ていました。ハリーポッターのような比較的新しい本も並んでいましたが、「ルパン」とか「家なき子」とか「シートン動物記」とか、概して私が小学生の頃にもあった本のほうが多かったような感じがしました。そういう本は不朽の名作ということなのでしょう。

それから、子供たちの名札がローマ字だったことも、私にとっては驚きでした。今日のクラスは高学年でしたから、英語教育を見据えてのことかもしれません。私のころは、もちろんひらがなか漢字で名前が書かれていました。そして、それをどこでも必ずつけて歩くように言われました。しかし、今日の子供たちの名札はかなり大判で、明らかに校内用でした。今は物騒な世の中ですから、名札をつけて外を歩くなど、考えられないのでしょう。

そんな観察をしているうちに、交流授業は終わりました。学校に戻ってから学生たちに聞いてみると、1か月分の日本語をしゃべったなどという声もあり、かなりの刺激になったようでした。日本語的には手加減したわけでもされたわけでもなく、いい勝負だったみたいです。

この交流授業は今週から来週にかけてする予定です。学生たちが小学生を通して新宿という街をより深く知ってくれたら、日本のごく普通の子供やその家族、日々の生活に触れて日本をより深く知ってくれたら、この授業は大成功です。

唯我独尊

2月4日(土)

超級クラスの授業でやっているプレゼンテーションの、聞き手の学生が書いたコメントシートをチェックしました。何回分も溜め込んでしまったので、内容を思い出しながら、私の書いたコメントシートと比べてみました。

聞き手が内容を理解するに至らなかったコメントシートは、おざなりのものが多いです。感想も、一言も書かれていないか、「とてもいいです」のような形式的なもの止まりです。評価欄の各項目の点数が高いのに感想がないシートには、私がにらんでいるからとりあえず出しておいたという、聞き手の学生の心理が見えます。

評価が低いプレゼンは、聞き手が内容をそれなりに理解した上でそのプレゼンに物申しているパターンがほとんどです。上のパターンよりもきちんと聞いているからこそ、辛い評価になるのです。辛辣なコメントには、きちんと受け止めたという熱き心が込められています。

真にすばらしい発表の場合、聞き手の学生はここがよかったと具体的によいところを指摘します。パワポがわかりやすかったとか、こういう話に共感したとか反発を感じたとか、議論が成り立ちそうなコメントが返ってきます。そして、惜しみない賞賛を送ります。

発表者の陰から聞き手を見ていると、発表者の独演会のときは、やはり聞き手は引いています。死んだような目つきでパワポを見ているか、それすらせずにうつむいてスマホをいじっているかです。特に、発表者が台本を読むために下を向いてしまった場合に、こういうことがよく起きます。

今学期は自分の世界に入り込んでしまったり、単に物事の紹介だけで、自分の意見や感想が全然なかったりする発表者が多いように思います。もうすぐ進学という学生の多いクラスですから、ちょっと心配です。卒業式前にプレゼンの総括をするときに、一言指摘しておかなければならないでしょう。

なんて言ったらいい?

1月19日(木)

「先生、ちょっと相談があるんですが…」「何?」「今度アイドルKの握手会があるんです。その時、Kと3秒だけ話すことができるんですが、何を話せばいいですか。『頑張って』とか、そういう普通なのはいやなんです。かっこいいこと言って、私のこと、覚えてもらいたいんです」「じゃあ、国の言葉で『頑張って』とか『応援してます』とか言ってあげたらいいんじゃない」「ダメダメ。それもよくあります。3秒、一言でKに覚えてもらえるような…」

と、Hさんから頼まれたのですが、3秒でアイドルの心をつかむような言葉など、急に聞かれたって思いつくわけがありません。かといって、よく考えたところでそんな気の利いたフレーズが湧いてくるとも思えません。実際、こういう時って、ファンの人たちはどんな言葉をかけているのでしょう。Hさんのように覚えてもらおうなどと意気込んで握手会に臨むのでしょうか。私は経験がありませんから、よくわかりません。

3秒で人の心を捕らえるには、どんなことをすればいいでしょうか。何も答えてあげられないままHさんが去った後も、しばらくそんなことを考えていました。寸鉄人を刺すような激励か愛情表現かはたまたギャグか、そんなうまい言葉はないものでしょうか。小説やドラマの中のように、一瞬にして聞き手の顔色が変わるような言葉は、そうそう転がってはいません。

教師の言葉に瞬発力を伴うのは、説教の時が多いように思います。学生を黙らせたりぎゃふんと言わせたり、その状況に応じたセリフが浮かんでくることもあります。しかし、その応用でアイドルにかける言葉を考えるのは、無理があります。自分の想像力のなさに肩を落とすしかないようです。