Category Archives: 会話

感覚を磨く

4月22日(月)

初級も後半になると、意味の近い表現がいくつか出てきます。「~してくださいませんか」と「~していただけませんか」もその1つです。これは、後者の方がいくらか丁寧度が高いと言えば学生たちは納得してくれます。「~してくださいませんか」が一番丁寧な言い方で、「~てくださいませんか」がその次、…とやっていって、オチは「~しろ」が一番丁寧じゃない言い方。これを出すと、学生たちはみんな笑ってメモを取ります。

目的目標を表す「~するために」と「~するように」も、似ているようでちょっと違う表現です。日本語教師養成講座の授業よろしく徹底的に説明してもいいのですが、そんなことをしていたら時間がいくらあっても足りません。せいぜい「辞書形ために」「可能動詞ように」ぐらいしか言いません。言葉で理解させるのではなく、練習を重ねていって、感覚的にニュアンスの違いを把握させられたら成功です。もちろん、接続が違いますから、それも体得させます。

この例に限らず、コミュニケーションツールとしての言葉は、適切な表現が必要な場面でとっさにかつ自然に出てこなければ意味がありません。それにはやっぱり練習なのです。また、学校の授業での練習は、畳の上の水練的な面がありますから、実地に使う機会を求めていかねばなりません。学生が弱いのはここのところで、授業で習ってテストで点数が取れればわかったつもりになりがちですが、自分の言葉としてそれが使えるかといえば、そんなことはありません。テストで〇をもらったくらいで万能感に浸られたら困ります。

明日は作文です。作文は実地に使う絶好のチャンスです。また、使ってみて直されて覚える王道を歩む入り口です。さて、学生たちはどんな文章を書いてくるでしょうか。

哀れな末路

4月10日(水)

前の学期に習った文法の復習問題を宿題に出しています。もちろん個人差もありますが、文法項目による定着度の差の方が大きいように感じます。「とばたらなら」はやはり難関らしく、使い分けや使用制限などがあやふやな学生が多いです。それに対して、「かもしれません」や「(した)ほうがいいです」などは、間違える学生があまりいません。

正直言って、「とばたらなら」は上級でも怪しげな使い方をしている輩が多数います。読んだり聞いたりしたときはわかるけれども、自分が使うとなると勘に頼ってしまうのが実情なのでしょう。最初に習った時にきちんと覚えられれば理想的なのですが、そういう流れに乗れなかったときに挽回する機会がなかなかありません。OJT的に使いながら身に付ける、“習うより慣れろ”方式になってしまいます。でも、自信がないから使うのを避ける、だからいつまでたっても使えるようにならない、だから自信が持てないという悪循環に陥っている面も否めません。

“とばたらなら”に限らず、私はそういう末路を知っていますから、授業中に学生の言葉尻をとらえては既習の文法で言い直させたり、作文で思い切り書き直しを命じたりしています。逆に、みんなが使えない文法をきちんと使った発話があったら、「この文法はこういう時にこんなふうに使うんだよ」とクラス全体に紹介します。

昨シーズンの受験結果は、もはや「読めばわかる」では通用しないことが明らかになっています。コミュニケーション能力が求めらるのです。それを勝ち抜くには、みんなの日本語の文法ぐらいは使いこなせるようになっていなければなりません。でも、みんなの日本語の文法が自在に使えたなら、入試の面接は心配不要でしょう。

明日、宿題を返す時に、そんな注意をしましょう。

力の差

3月18日(月)

授業後、WさんとCさんが会話テストを受けました。こちらから与えた話の骨格に肉付したものを発表します。もちろん、話の内容も見ますが、“会話”テストですから、台本棒読みのような話し方は減点です。

さて、この2人、Wさんは気持ちのこもった、イントネーションに起伏のある話し方をしました。週末にかなり練習したのだろうと容易に想像できました。それに対し、Cさんはスクリプトを暗記しただけで、見事な棒読みでした。その対比がおかしく、聞いていてちょっと笑ってしまいました。やっている本人たちは、棒読みのCさんにしろ真剣でしたから笑っては失礼なのですが、でも、コントを見ているような感じがするくらい、落差がありました。

Cさんはできない学生ではありません。先週の文法テストはWさんよりいい成績でした。でも、この会話テストは、15点差でWさんのほうが上だと判定しました。もし、入試の面接だったら、Cさんは自分の志望理由書か大学のホームページを丸暗記してきたと見られてもしかたがありません。Wさんは、自分の言葉で語っていると思われるに違いありません。同じことをしゃべったとしても、Wさんは合格、Cさんは不合格になるでしょう。

今シーズンの入試は、こういう最後の一息で落とされてしまった学生が多かったように感じています。EJUの成績や提出書類では甲乙つけがたくても、面接で“乙”をつけられて涙を呑んだ例が少なからずあったと見られます。こういう反省に基づいて、“話す”力というよりも、自分を“語る”力を伸ばしていきたいと思っています。

頑張りどころ

3月12日(火)

今、私が持っているクラスは、次の学期に中級に上がる(つもりの)学生たちが勉強しています。もうすぐ期末テストというまさにこの時期、初級から中級への脱皮を図ります。みんなの日本語を勉強していた前半に比べて、後半は中級を意識した勉強をしています。今までに習った文法事項がスムーズに出てくるように訓練を積んでいるとも言えます。

授受表現、受身、使役、補助動詞、条件節など、文法用語で書き連ねると、初級とはいえ、今までにかなり高度なことをしてきたことがわかります。ただ、学生たちはそれらを単発でしか使えません。組み合わせて使うことでより精密な表現ができることや、詳しい情報を付け加えられることを学びます。単にテスト問題が解けるだけではなく、書いたり話したりという場面で、自分の心や頭の中を表現するために使えるようになってほしいのです。逆に、そういう表現に敏感になり、聞いたり読んだりした時に相手の心のひだをくみ取れるようになってほしいのです。

KCPの中上級の学生全員がその境地に至っているかと聞かれたら、いいえと答えざるを得ません。でも、そこを目標に進んでいかないと、日本で勉強したり働いたりはできません。学生たちのゴールがそこにあるのなら、KCPにいるうちにそこに一歩でも近づいておいてもらいたいです。

私が同じ事態に対して、これが初級の表現、これが中級の表現、これが上級の表現と例示すると、自分たちが今まで勉強した単語や文法も使いようによってはかなり高度で微妙な話もできるのだなと感心しているようでした。でも、感心しているだけでは中級に進級できません。最初はまねてでもいいですから、使えるようになってもらわないと…。

チャンスを求める

3月11日(月)

授業のあと、MさんとYさんに頼まれて、会話練習の相手をしました。Mさんはテストの成績はいいのですが、会話となるとスムーズに言葉が出てきません。そこを何とかしたいと思っています。Yさんは聞かれたことに単語で答えるのが精一杯で、まず、文で答えられるようになるのが目標です。

そもそもは、2人とも会話の中間タスクの成績が思わしくなかったのです。期末タスクまでの間に何とかしなければと思い、授業後に練習することに至ったのです。そういう意欲は買いますが、始めてみると、こちらがもどかしくなってきます。身振り手振りで言わんとしていることを伝えようとしていることはわかりますが、それに頼りすぎては会話力の向上にはなりません。

それでも、30分近く話していると、だいぶ口が回ってくるようになりました。2人とも表情が明るくなってきました。自分の気持ちが伝えられたという手応えが実感できたのでしょう。

MさんとYさんはこれをしばらく続けていけば、どんな場面でもコミュニケーションが取れるようになるでしょう。しかし、私の見るところ、この2人以外にも会話の特別練習が必要な学生はまだまだ大勢います。この学生たちの練習相手になることもやぶさかではありませんが、2人で30分というペースでやっていたら、他の仕事が破綻を来たしてしまいます。

KCPは学生のケアを手厚く行っている方だとは思いますが、それでもまだやり切れていない面があります。でも、それをやり切ろうと思ったら、教師が今の3倍ぐらい必要なのではないでしょうか。それは、おそらく、経営的に許されないでしょう。MさんやYさんのように、自分から働きかけてきた学生が優先されるのは、やむをえないところです。でも、自分から声を出せない学生にも目を掛けていくのが教師の責務なんですよね…。

声に出すと

2月12日(火)

朝8時半頃、トイレに行こうと職員室を出ると、男の人が声をかけてきました。しかし、その方が何と言っているのかよくわかりませんでした。「は?」と聞き返しても、同じような答え方でよくわからないままでした。姿かっこうからお客様とも見えず、また、この時間帯に学校にいるのはほぼ間違いなく中級以上の学生であり、外国語で話しかけてくることは考えられません。彼が発した言葉をおうむ返しに言ってみると、彼は違うという顔つきでスマホを出し、何か示そうとしました。そのときに発した何回目かのことばで、ようやく彼は例文を書くノートを買いたいのだということがわかりました。クラスと名前を聞こうとも思いましたが、聞いたところで聞き取る自信がありませんでしたから、すぐに事務の職員に引き継いで、当初の目的どおり、トイレに向かいました。

読解の授業で、Cさんにテキストを読んでもらいました。Cさんは文法の理解も早く、気の利いた例文も作れます。日本語のセンスはあると思います。しかし、音読はひどかったですねえ。漢字やかなを1字ずつ拾い読みするのです。聞いている学生たちは、何がなんだかわからなかったでしょうね。Cさんの教科書をのぞき込んだところ、かなり書き込みがあったので予習はしているようでした。でも、黙読と辞書で意味を調べるのとが中心で、一言も発することなく勉強を進めているのでしょう。

今朝の彼もCさんも、JLPTのような日本語試験ではある程度以上の点数を取るでしょう。しかし、音声によるコミュニケーションというか、日本語の声を出すことそのものに関しては、標準以下と断じざるを得ません。KCPはそういうことが内容に、発話教育にも力を入れてきているのですが、学生の側にも私たちの意図をくみ取る感度がほしいです。朝早くから例文ノートを買おうとした学生、きちんと予習して授業に臨んだCさん、2人とも“いい学生”の範疇に入ります。しかし、話せなかったらそのよさを回りに伝えられませんよ。

「話せない学生は合格させない」と人気有名私大の先生が明言なさっていたそうです。Cさんが第1希望の進路をあきらめざるを得なかったのも、この音読レベルの発話力が原因だったかもしれません。

後先

12月12日(水)

“好きな食べ物は先に食べるか、後にするか”というテーマで、学生たちに話してもらいました。先派は、好きな食べ物はできたてを食べたい、熱い物は熱いうちに、冷たい物は冷たいうちに食べるのが一番おいしいなどということを理由に挙げていました。後派は、食事の最後を好きな味で締めくくりたい、最後に幸せな気持ちになりたいなどと言っていました。

日本は地震が多いですから、いつ地震が起きるかわかりません。いつでも地震が起きる可能性があります。もし、食事中に地震が起きて一番好きな食べ物を食べずに逃げなければならなくなったらとっても残念じゃないですか。だから、私は好きなものを最初に食べます。――と言ったら、学生たちは笑っていました。

今学期が始まったころは、こんなややこしい話は理解できなかったと思います。これが冗談だとわかって笑えたあたりに、学生たちの日本語力の伸びを感じました。このクラスは、今、中級への坂道の一番険しいところを通り抜けようとしています。私の話の面白みが感じ取れなかった学生は、残念ながら、来学期もう一度同じレベルになる気配が濃厚になってきたように思えます。ぽかんとしていた学生は、みな、今週行われた文法テストが悪かったですから、なおさらそんなにおいがします。

中級や上級を教える楽しさは、驚くべきところで驚き、笑うべきところで笑い、感心すべきところで感心してくれるところにあります。学生の立場で書き直すと、日本語で驚いたり笑ったり感心したり、果ては泣いたり感激したり憤慨したりできるようになるのが中級です。この域に達していない学生は、上がってきてほしくないです。

さて、実際の私は、熱い物と冷たい物は真っ先に食べます。でも、後派の気持ちもよくわかり、お菓子だったら一番好きなチョコレートは残しておくかな…。

まかぬ種は生えぬ

9月21日(金)

来週木曜日が期末テストですから、毎週金曜日のレベル1の授業は、今週が最終回。で、最終回にふさわしい華々しい授業をしたかというと、私はほとんど突っ立ったままでした。期末タスクの準備をしたからです。

各グループでテーマを決めて、そのテーマについて他のクラスの学生にインタビューし、回答をまとめてクラス内で発表するというものです。そのインタビューと回答のまとめをしたのですが、みんなの日本語の赤い本がまだ終わっていない程度の日本語で何とか意思疎通を図ろうとしている姿が、とても健気に感じられました。

7月の始業日のころはかたことにも至らないくらいだったのが、曲がりなりにも自分の意見が言えるまでになったんですからね、大したものですよ。インタビューでもその後のまとめの時間でも、知っている単語と文法を組み合わせ、時にはジェスチャーを交え、時には絵を描き、どうにかコミュニケーションを図ろうとしていました。実生活でも同じような場面に出くわしているに違いありません。たくましいなあと思います。

このクラスの学生の大半は、日本での進学を考えています。来年の今頃は受験準備に追われていることでしょう。そこに至るには、今の10倍ぐらいの日本語力をつけなければなりません。胸突き八丁の坂道がいくつもいくつも待ち構えています。へこたれずに登りきってもらいたいと思います。

3連休の宿題は、発表のスクリプトを覚えてくることです。発表当日は、私は受験講座がありますから、応援に行けないのが残念です。でも、レベル1で種はまきました。来年、中級か上級で刈り取る日を夢見ながら、教室を後にしました。

期末に向けて

9月7日(金)

久しぶりにレベル1の授業。その前後に、そのクラスの学生の面接をしました。

Aさんは1学期だけ勉強して帰国する短期コースの学生です。期末テストの翌日に家族が来日し、富士山と関西を旅行して国へ帰るそうです。旅行をとても楽しみにしているようでした。国へ帰ったらすぐ仕事が始まります。大学卒業から入社までの休暇を利用して、KCPに留学したとのこと。日本はこういうことができないんですよね。私も修論の発表から入社式までの間に3週間ばかりヨーロッパ旅行しました。そのときの見聞が、今の私の根幹を成していると思っています。それよりもはるかに長い時間を、旅行者ではなく生活者として異国で暮らしてきたのですから、KCPでの留学がAさんの人生に与えるであろう影響は、かなりのものだと思います。

Cさんは日本で大学に進学するために、今KCPで勉強しています。でも、まだ、志望校どころか大学で何を勉強するかすら決まっていません。「経済ですか、文学ですか、化学ですか、もっと違う勉強ですか」と聞くと「経済」と答えましたが、もしかすると聞いてわかった単語が経済だけだったのかもしれません。受験が迫っている学生ばかりを相手にしていると、Cさんみたいな学生は何と間が抜けたと思ってしまいますが、レベル1に入学したばかりだとこちらが普通なのでしょう。鍛え甲斐があるとも考えられます。

授業後、Aさんは会話の練習の相手になってくれないかと言ってきました。残り少ない留学の日々を少しでも有効に使おうという意志を感じました。成績がいいCさんにはレベル3へのジャンプを勧めました。難しい課題に挑戦することで伸びていきそうな手応えを感じました。こういう経験ができるのが、一番下のレベルを教える醍醐味だと思います。

9時から7時まで

7月27日(金)

金曜日はレベル1担当です。今週から勉強が遅れ気味のHさんとYさんの会話練習の相手をすることになりました。会話といっても学期が始まって2週間ほどのレベル1です。食べますとか行きますとか基本的な動詞がやっと入った程度ですから、深い話ができるわけではありません。

2人は約束どおり11時半に職員室へ来ました。あいさつもそこそこに、「Yさん、朝、何時に起きましたか」と聞くと、Yさんは目を白黒するばかり。Hさんが助け舟を出してくれて、ようやく10時半に起きたことがわかりました。そのHさんもよくわかっているわけではありません。「Hさんは、毎日、うちで何時から何時まで勉強しますか」「くじからしちじまで勉強します」。こんな答えを聞いたら、ええっと驚くのが普通ですよね。そういう私の反応を見ても、Hさんはどこがおかしいのだろうと、怪訝そうな顔をながら「ごごくじからごぜんしちまで勉強します」と説明を付け加えます。腕時計の文字盤で“くじからしちじまで”を示すと、ようやく自分の誤りに気づき、「午後9時から午前1時まで勉強します」と正しく答えてくれました。

2人がわかる範囲の単語を組み合わせてあれこれ聞き出してみると、2人は国にいたときから仲が良かったそうです。母親同士が同じ学校の教師で、もう10年近く付き合ってきました。幼なじみが連れ立って日本留学したわけです。昨日の晩は2人で餃子を作って一緒に食べたとか。

30分ぐらい話すと、ようやく多少は言葉がスムーズに出てくるようになりました。その後、2人はお昼を食べて、授業の教室で再び顔を合わせました。先週までと比べて滑らかに話しているように感じたのは、ひいき目が過ぎるでしょうか。来週の金曜日にはさらに話が弾むことを祈りながら、教室を出て行く2人の後姿を見送りました。