Category Archives: 会話

耳学問

5月12日(水)

「この紙のこことここに必要なことを書いて、担任の先生、K先生ですか? にハンコをもらって、また持って来てください。今日じゃなくてもいいです。明日でもあさってでもいいですよ」と、Tさんに説明して事績に戻りました。椅子に腰かけて目を上げると、私を呼んでいるTさんが目に入りました。再び受付カウンターまで行くと、「先生、これは今日じゃなければなりませんか」とTさん。「さっき言ったじゃないか!」という言葉を飲み込んで、「いいえ、明日でもいいですよ。あさってでもいいです」と答えました。最初に説明した時、中級のTさんに対して、誤解がないように、初級の前半並みにゆっくり話したんですけどね。

その直後、Tさんと同じレベルのSさんが、物理の問題について質問に来ました。まず、問題文の意味がつかめていないようでした。それを説明した後、解き方がわからなさそうでしたから、「これは浮力の問題です。浮力がどう働くか考えれば、答えがわかります」とヒントを出しました。しかし、Sさんはまだわからない顔を続けています。どうやら“フリョク”が何かわからないようでした。受験講座で説明していますから、文字や図で示せば絶対に通じるはずです。しかし、耳からの音声情報だけではわからないんですねえ。

この2人にとどまらず、ゆっくりしゃべっても易しい言葉を選んでも話が通じないという場面が増えたように感じます。中級でこの程度だと、先行き明るくないです。TさんもSさんも志望校は決まっていますが、これからグーンと伸びないと手が届きません。受験講座に出ているRさんもQさんも、真剣に勉強に取り組んではいますが、私の言葉が一発では捕まえられない場面がよくあります。早くも受験講座から脱落したPさんも、このせいだったかもしれません。不安が募ります。

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目指せ花丸

4月28日(水)

私が担当している初級クラスは、「いっしょにテニスをしませんか」「ええ、しましょう」などという、「~ませんか」「~ましょう」がようやく終わったところです。そこで、これを使った会話スクリプトを作る宿題を出しました。この文法項目の理解確認もそうですですが、表記の正確さや会話を広げる力も見ようと思いました。

提出された作品を見ると、学期が始まって3週間足らずなのに、ずいぶん差がついています。国で勉強した貯金が利いている人もいるでしょうが、このモダリティー表現あたりで底を尽く例もよくあります。ですから、この会話スクリプトの出来は、学生の地力を表しているとも言えます。

Bさんは、私が板書した見本の会話をほぼそのまま書いてきました。呼びかけの名前を変えたのが、Bさんの良心でしょう。表記も不正確で、これからが心配です。また、消しゴムを使わずにぐしゃぐしゃと間違いを消してあるのも、いやな予感をさせられます。落ちていかないように引っ張らなければなりません。

Gさんは辞書で調べた難しい言葉を使おうとして自滅しました。場面を工夫しているのは褒めてあげてもいいですが、工夫することにばかり気持ちが向かってしまい、かえってわかりにくくなってしまいました。

一方、Jさんは、今までに習った文法と単語を上手に組み合わせてスクリプトを作り上げました。私の見本会話の要点をつかみ、それを応用してJさんのオリジナリティーを出しています。しかも、字がきれいです。花丸をあげてしまいました。Lさんも、無理なく「~ませんか」「~ましょう」を使っていました。

ここで浮かび上がった各学生の勉強の進み具合を参考にして、来週からの授業を考えていきます。

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海の向こうに向かって

4月8日(木)

午前中の日本語教師養成講座の授業はほんの前菜で、本日のメインディッシュは午後のレベル1の授業です。始業日の一番下のレベルですから、プレースメントテストが多少できたとしても、たかが知れています。しかも、今学期の新入生はまだ入国できないままですから、3か国に分かれた学生たちの国に向けてのオンライン授業です。度胸だけで授業に臨みました。

国にいるということは日本語の音声に接する機会が少ない、すなわち聞いたり話したりする経験が大いに足りないということです。ですから、クラスのメンバーが全員初顔合わせでもありますから、何回も何回も自己紹介をさせました。

最初は、「こんにちは。私は金原です。日本の東京にいます。どうぞ、よろしく」なんていうのも滑らかに言えませんでした。しかし、少しずつ文を長くしていきながら何回も練習させているうちに、学生たちは長い自己紹介もすらすらとできるようになりました。わずか3時間の授業で、長足の進歩を示しました。

これには驚かされました。あれだけ違えば、学生たちも上手に話せるようになったと実感できたのではないでしょうか。自己紹介以外はろくな授業をしませんでしたが、成果が挙げられました。また、学生たちは生の日本語に飢えていたのではないでしょうか。だから、こちらの言葉を一生懸命聞き、話すチャンスは逃さずつかんで声を出すという姿勢だったのです。それゆえ、最後には上手に自己紹介できるようになったわけです。

こう書くと素晴らしい授業ができたように思えるかもしれませんが、実は自己紹介以外はろくな授業をしていません。機械的にうまく動かなかったり、操作を間違えたり、こちらの意図が伝わらずに活動が中途半端になったりしました。日本語ゼロに近い学生へのオンライン授業はどう作っていくべきか、再考の余地がたっぷりあります。

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こちらの課題

3月23日(火)

レベル1の会話の期末タスクを担当しました。習った文法と語彙を駆使して、こちらから与えたキーワードをもとに自分たちで考えた場面で、会話を構成していくのです。会話を作り上げるだけなら、グループのメンバーに構成力のある学生がいれば何とかなります。しかし、それをみんなの前で披露するとなると、実際に話す力も要求されます。毎学期、頭でっかちの学生は、このタスクで落ちていきます。

今学期は先週までずっとオンライン授業でしたから、発話の訓練がどれだけできたか心配でした。もちろん、可能な限り口頭練習をしてきました。でも、目の前に教師がいませんから、学生にしてみれば、指名されたとき以外口を開けずに授業を終えることだってできました。そういう環境がどの程度影響を及ぼしているか、おっかなびっくりでタスクに臨みました。

学生たちは大健闘でした。ストーリーもきちんと作れていたし、発音もアクセントもイントネーションも、普通の日本人にも通じるレベルでした。文法も、日本語教師的には指摘したくなる点が多々ありましたが、街の日本人からは「日本語の勉強を始めたばかりなのに、上手ですね」と言ってもらえそうなレベルにはなっていました。採点は日本語教師の目でしましたから、発音は満点の学生が何人かいましたが、文法は満点をつけることはできませんでした。

こうしてみると、オンライン授業でも、発音は思った以上にどうにかなるようです。しかし、発話時の文法の正確性を追求するのは、なかなか難しいようです。これは学生の課題というより、教える側の改善すべき点です。来学期の授業に生かしていきたいです。

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やっとご対面

3月22日(月)

あさってが期末テストという日に至って、ようやく対面授業が実現しました。この稿でさんざんオンラインはやりにくいと言ってきたくせに、クラスの全学生が初対面となるとビビっている私がいました。

でもそれは授業が始まるまでで、教室に入って出席を取っているうちに“スイッチが入った”状態になりました。最初に文法のテストがあったのもラッキーでした。テストをしている20分のうちに、答案用紙の名前と学生の顔や服装の特徴とを結びつけ、どうにかクラス全員の顔と名前を覚えました。正確にはマスクをした顔ですが、授業を進める上では支障がありません。

おかげで、その後はポンポンと指名でき、オンラインでは到底実現不可能なペースで授業を進められました。何より、クラス全員でコーラスさせられるのが大きいです。学生も最初の1、2回は遠慮がちに声を出していましたが、いつの間にか換気のために開けてある窓から入ってくる街の音にも負けなくなっていました。

オンラインの時にはいい学生に見えたNさんは、実はノートもろくにとらず、こちらが油断するとすぐ母国語でしゃべりだすという悪い学生でした。その逆に、オンラインの時に目を付けていたSさんは、一生懸命日本語で考えて表現しようとする学生でした。こういう例を見せつけられると、オンラインの入試面接って、どこまで受験生の本当の力や意欲を見極められるのだろうかと、心配になってきました。記念受験に近い学生が受かったり、当確と思っていた学生が落ちたりしたのは、このあたりにも原因があったんじゃないかと思えてきました。

せっかく顔と名前を覚えた学生たちですが、これが最初で最後の対面授業でした。来学期、1つ上のレベルで会えることを願って、授業を終えました。

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結果は明らか

3月17日(水)

ある地域の大学の受験者・合格者を調べました。当たり前の話ですが、高いレベルほど多くの学生が受かっています。初級で受けた学生はボロボロ落ちていますが、超級はほぼ合格です。これは、文系も理系も美術系も共通の傾向で、“美術系は腕がよければ日本語ができなくても合格できる”という、学生が信じている(信じようとしている?)俗信を、ものの見事に打ち砕く結果が出ています。

やっぱり、日本語力がないと留学生入試は勝ち抜けないのです。その日本語力は、一般には面接で確かめられます。面接で自己表現できなかったら、コミュニケーションが取れなかったら、見通しは暗くなります。そうなると、学生がKCPに在学している間に何を鍛えるべきかも明らかです。私たちがすべきことも見えてきます。

一番難しいのは、学生を動かすことです。単に「受験の時に必要ですから…」では、こちらの危機感は学生には伝わりません。学生は、選択肢の問題ができれば、その文法や単語を使って上手に話せると思いがちです。そんなこと、絶対にありません。特に、今シーズンは話す訓練が足りていません。上級で星を落としたグループには、オンライン授業で話すのをサボっていた学生が名を連ねていました。

夕方、来学期の受験講座の説明会を開きました。KCPの受験講座は、日本語で総合科目や理科や数学を学び、日本語で進学指導を受ける点に意味があります。最初は苦しいでしょうが、そこを乗り切って本当の力をつけてもらいたいと思っています。1年前は日本語的にどうしようもなかったLさんも、受験講座にずっと出続けたことで、入試を勝ち抜く力が付きました。

学生にも言いましたが、入学するのは1年後ですが、入試は3、4か月後から始まります。オンライン授業で顔を隠している暇などありません。

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雑談好き

2月19日(金)

午前中は、仕事で日本へ来ているPさんのプライベートレッスン。一応教科書はありますが、それにとらわれず、会話(雑談?)をしながら日本語を身につけていくというスタイルです。Pさんはビジネスパーソンですから、動詞や形容詞などの活用をドリルしながら覚えるというのではなく、公私を問わず興味のある話題について何かを語るのに必要な文法や語彙を覚えていこうとしています。JLPTなどの日本語力を測る試験も受験する予定がないそうなので、カリカリした雰囲気はありません。

どんな話題が出てくるかわからないという面はありますが、Pさんのような学習者は、私にとって一番やりやすい相手です。また、Pさんは日本の文物に大いに関心を持っていますから、私としては雑談のしがいがあります。雑談を通して多様な日本を見せていこうとすると、いくらでも話がはずみます。

日本語教師になって最初に教えた人たちが、ビジネスパーソンでした。銀行員、個人経営者、技術者など、多様な職種のさまざまな国籍の老若男女を教えました。語学の学習ですから「若」に偏ってはいましたが。ですから、Pさんのレッスンをしていると、どこか懐かしさが湧いてきました。20年ぐらい前のことですから、社会情勢も大きく変わりましたし、私も経験を積んで気持ちに余裕が持てるようになりました。ビデオを撮って学習者への対し方を比べたら、ずいぶん違っていることでしょう。

Pさんは、先週末の地震のとき、仙台にいたそうです。大きな揺れに非常に驚いたと、熱弁してくれました。新幹線が動いているところまで車で送ってもらい、日曜日にどうにか東京へ帰りついたとのことでした。こういうビビッドな話ができるところが、ビジネスパーソン相手のプライベートレッスンの醍醐味です。

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王様がセンタク

2月5日(金)

「Aさん、次の例文を読んでください」「はい。『王様のような生活をしてみたいです』」「はい、じゃあ、みなさん、マイクオフのままでいいですから、私の後に一緒に読んでください。『王様のような生活をしてみたいです』…。じゃあ、Bさん、王様のような生活って、どんな生活ですか」「センタクします」「え、センタク? 王様は服を洗いますか。家族が着た服を洗うんですか」「いいえ、センタクです。…お金をたくさん使います。高い物を買います」

これをお読みのみなさんは、Bさんが何と答えようとしたかわかりますか。

「ゼイタク」でした。下々の民にしてみれば、王様の生活は贅沢に見えるでしょう。日本人の語感だと若干非難めいたにおいがしますから、例文のような「してみたいです」には合わないように思えます。しかし、そこは不問に付しましょう。Bさんなりに「王様のような生活」をあれこれ考えて「贅沢」という言葉にたどり着いたのだとしたら。

けれども、「センタク」という発音は許せません。発音が悪いにもほどがあります。KCPの学生の超ヘタクソな日本語によって日々訓練されている私ですら理解できなかったのです。普通の日本人に通じるはずがありません。パソコンのマイクにせいで済まされるレベルではありません。漢字が読めないか、「ゼイタク」と発音しているつもりでも「センタク」となってしまうのか、いずれにしても根が深いです。

対面授業なら一文ごとにコーラスさせて、変な発音はすぐに発見し訂正させます。その繰り返しで1ミリずつでも滑らかな日本語へと近づけられます。それが充分にできていないのが現状です。

Bさんも進学希望ですが、今年の秋ぐらいまでに面接にたえ得る発話力が得られるでしょうか。

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何とか押し込まねば

1月27日(水)

まだ行き先が決まっていないJさんが、Y大学の出願書類を持って来ました。最終チェックではなく、これから書類をそろえるのだが、何が必要か確認したいという相談でした。すでに合格して学費も払い込んで後は入学を待つばかりなどという学生に比べると、周回遅れどころの差ではありません。国の親に指示されてY大学を受けるようですから、どこか他人事なのかもしれません。

でも、来週はもう2月ですから、のんびりしている暇などありません。緊迫感が欲しいところですが、「“Y大学はいい大学ですから”という答えは面接でいいですか」などという質問が出てくるようじゃ、まだまだぜんぜんです。かなり尻をたたかないと、Y大学には届きません。これからが、本人にとっても教師にとっても山場です。

Jさんの隣で待ち構えていたのがXさん。こちらはJさんより1周は先に進んでいて、週末に迫ったT大学の面接練習でした。事前に想定問答を綿密に作ってきたのは立派ですが、それからはずれるととたんにしどろもどろになってしまうのも、こういう学生によくあるパターンです。その想定問答も、抽象論になっていましたから、かなり手を入れました。Xさんは私の指摘をちゃんとメモしていましたから、試験日までの追い込みに期待が持てます。

夕方は、外部奨学金受給者として候補に挙がっている学生の面接です。Kさんは先学期の途中からKCPの授業を受け始めた学生ですが、担当したどの先生からもいい学生だと評価されています。確かにいい学生ですが、日本語を聞いたり話したりするのにまだ慣れていない感じがしました。来日してから、ホテルで待機させられたりオンラインでおうち授業だったりと、音声によるコミュニケーション力を伸ばす機会に恵まれていません。こちらも、奨学金を出してくれる機関での面接までにかなり訓練しなければなりません。

気象庁の観測データによると、日中は暖かくなったようですが、それを味わう暇もありませんでした。

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話そうぜ

1月19日(火)

オンライン授業の難しい点は、学生の発話をいかに多くするかです。種々の小道具や小技、手練手管を駆使しても、談論風発とまではなかなか至りません。上級や超級ならそれでも少しは得るものがあるかもしれませんが、初級はそれじゃ意味がありません。習った文法を応用して話をすることに、コミュニケーションを取ることに、授業の意義があるのです。そこで、学生の発話練習を促進するために、初級クラスのオンライン授業のサポートに入りました。

文法の導入はS先生が全体をまとめて行い、その後の練習からクラスの半分を私が受け持ちました。日本語を始めたばかりの学生たちのクラスですから、日本語の音に慣れさせ、口を開かせることが私の使命です。少人数になったのですから、名簿と画面を見ながら次々と指名し、怪しい発音を訂正し、無理を承知の上でzoomを通してコーラスさせました。

2020年度は、それまでに比べて、学生の発話力を十分に伸ばせなかったという反省があります。受験期になって面接練習する段に及んで、“おやっ?”“あれっ?”というパターンが少なくありませんでした。それでもどうにか合格を手にしている学生がいるところを見ると、留学生全体の発話力が低下しているおそれもあります。これを結果オーライとしてしまうのではなく、19年度までの水準に少しでも近づける算段を立てなければなりません。

明日の晩から首都圏や関西圏では終電が早まります。まだまだ戦いが続き、授業を従前の形に戻せるようになるには、時間を要しそうな形勢です。オンライン授業の研究開発の余地は、大いにあります。

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