Category Archives: 社会

大阪の巨星墜つ

5月16日(木)

やはり、キダタローさんが亡くなったことに触れなければならないでしょう。私はもちろんお会いしたことはありませんが、探偵ナイトスクープで深く印象付けられました。

昨年新たに入局した桂二葉に対して、きれいな大阪弁を使っていると評していました。私も、アクセントに乱れがなく、「してはる」という敬語を過不足なく使っていることなどから、聞いていて気持ちがいいなと思っていました。キダタローさんも同じように感じていたのかと、自分の耳に自信を持ちました。

このほかにも、「浪花のモーツァルト」と呼ばれていたり、かに道楽やアホの坂田の作曲をしたりと、常に大阪を愛し、大阪に軸足を置いた活動を続けていました。その活動は、芸能人というよりは文化人というべき幅広さでした。大きく言えば、近松門左衛門からの系譜を継ぐ人でした。

私は東京生まれで東京育ちと言ってもよい人間ですが、そういうキダタローさんが好きでしたし、だから注目もしてきました。そんな方が亡くなり、寂しい限りです。キダタローさんの後が継げる人って誰でしょう。すぐには思い浮かびません。こう考えると、実に偉大な人物を失ったものです。

キダタローさんの死因は報じられていませんが、93歳という年齢からすると、老衰に近かったのでしょうか。でも、老衰というのは、生前のキダタローさんのエネルギッシュさからほど遠い気もします。いずれにしても、今頃は空の上で探偵ナイトスクープ初代局長の上岡龍太郎さんと旧交を温め合っていることでしょう。

ご冥福をお祈りいたします。

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便利さの追求

5月9日(木)

A先生が授業で使おうと思って、最近発売された聴解の問題集を買いました。近頃は、聴解の問題集でも、音声はCDではなくダウンロードするタイプのものが増えました。この問題集もその手のものでしたから、A先生は事前に内容を確認しておこうと思いました。ところが、ダウンロードしようと思っても画面が真っ白になってしまって、結局できませんでした。システムの不具合だそうです。「買う前に言ってよー」とA先生は嘆きましたが、私だったら「金返せ」と叫んでしまったかもしれません。

A先生は出版社に問い合わせのメールを送りましたが、なしのつぶてのようです。やっぱりCDのような現物があった方が安全確実なのでしょうか。ダウンロードの方が、何かと都合のいいことが多いですが、こういうトラブルに巻き込まれると、手も足も出せません。出版社側のシステムなど、私たちにとってはブラックボックスですからね。

昨日、JR東日本が、当分の間みどりの窓口をこれ以上減らさないと発表したと報じられました。以前、この稿に有楽町駅のみどりの窓口が閉鎖されていて驚いたということを書きました。しかし、外国人観光客をはじめ、みどりの窓口を必要とする人が多く、みどりの窓口が残っている駅が大混雑しているそうです。

もう一つ、チケットレス化が予想より進んでいないというのも理由に挙げられていました。スマホかカードを改札口にタッチするだけで座席指定車に乗れるのですから、便利なものです。でも、紙の切符の方が、安心感があるのでしょう。スマホをタッチした瞬間に改札口が閉じられてしまったら、パニックに陥る人もいるに違いありません。チケットレスもブラックボックスです。

A先生も、授業準備の段階でダウンロードがうまくいかないことがわかったからよかったようなものの、スクリプトだけ読んで授業に臨み、ダウンロードできないとなったら、平常心は保てなかったでしょう。授業に大きな穴をあけることにもなりますしね。

紙の切符を持って、CDウォークマンで音楽を聴きながら旅をしていたころが、人間の本能に一番負荷がかからなかったのかもしれません。

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たくさん歩きました

5月7日(火)

連休は大阪に野暮用があったので、3日の朝いちばんの飛行機で伊丹へ。隣り合わせた親子連れが大阪と奈良のるるぶを出していましたが、「道頓堀であれ食べるこれ食べる」とか「奈良公園でどうするこうする」とか話し合っていましたから、私のライバルではないと判断しました。この親子、「連休は何をしましたか」と聞かれたら、「大阪と奈良で人を見てきました」と答えるんだろうなと、気の毒になりました。

着陸態勢に入ると、窓から大和三山が見えました。あのあたりがこの連休の予定戦場かと思いながら地図と見比べました。

大阪で用事を済ませ、上本町から近鉄に乗り、八木に着いたのがお昼少し前。まず向かったのが、藤原宮跡です。私は「跡」が好きです。もちろん、世界遺産の姫路城や法隆寺の価値は認めます。姫路城を見ればその威厳ある姿に身が引き締まります。法隆寺の夢殿や五重塔からは心が洗われるオーラを感じます。しかし、姿がはっきりしていますから、そこ止まりです。一方、下津井城跡とか豊後国分寺跡とか上淀廃寺などというと、何もないだけにいくらでも想像が広がります。ここに七重塔があったらとか、五層の天守がそびえていたらとか、頭の中に無限の風景を描くことができます。

藤原宮跡は、そういう意味では第一級の史跡です。草ぼうぼうの野原に大極殿跡とか朱雀門跡とかが示されているだけです。近鉄電車から見える復元平城京みたいなものだろうか、それよりもさらに荘厳なものだろうかと、思い切り空想を暴走させました。大和三山に囲まれた藤原宮跡は、朝飛行機から見下ろした予定戦場のど真ん中でした。

4日は桜井から多武峰を抜けて飛鳥へ。だいぶ昔に自転車で談山神社まで行きましたが、途中から自転車を押して急坂を上る羽目に陥りました。体力を使い果たし、談山神社の十三重の塔を見たら下り坂でバスを追い越すほどのスピードを出して桜井まで戻りました。今回は、歩いて多武峰を越えようと企画しました。多武峰は新緑が美しく、山道から見下ろす飛鳥の里ものどかな感じがして、浮世の穢れが洗い流されました。

多武峰の飛鳥川の麓にある石舞台古墳は、以前見たこともあるし、人も大勢いましたからパスして、その付近にある展望所から棚田・段々畑的な景色を楽しみました。私は観光客でしたから「楽しみました」と言えますが、そこにずっと住んでいたらのんびりしすぎて、刺激が欲しくなるでしょう。都会人は心のゆとりを求めて田舎を旅し、のどかな里の人々は刺激を求めて都会を歩きたくなるものではないかと思います。でも、それが毎日となると、お互いかえって疲れてしまうのではないでしょうか。

5日は、卑弥呼が眠っているのではないかと言われている箸墓古墳をはじめとする纏向遺跡を歩き、大神神社のご神体である三輪山にも上りました。箸墓古墳は宮内庁管理ですからまわりを一周する以外は何もできませんでしたが、他は古墳の頂上に登ったり建物の礎石に腰を下ろしたりなど、わりと自由にできました。

三輪山に登るには入山料を納め、神社の方から心得を聞き、輪袈裟をかけてご神体に向かいます。細く険しい山道ですから、上り下りとも譲り合いが肝心です。この道を譲るのが、えもいわれぬさわやかさを伴います。譲ってもらったときに「ありがとうございます」と答えるのも、気持ちのいいものでした。見ず知らずの人たちとのこうしたふれあいの場として、ご神体は懐をくつろげているのではないかとさえ思えました。

その後、桜井市立埋蔵文化財センターに入りました。そこで、普通に読むと7世紀に建てられたはずのお寺が鎌倉時代に建てられたことになってしまう説明文を発見しました。学芸員の方に指摘しました。すると、専門家にとっては常識の説明が抜けており、それを補うと確かに7世紀に建てられたことになりました。旅の最中も日本語教師であることを忘れない金原でした。

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学ぶ価値

5月1日(水)

これをお読みのみなさんは、授業料を支払って外国語を勉強するとしたら、何語を選びますか。英語ですか。中国語ですか。韓国語ですか。ポルトガル語ですか。フランス語ですか。アラビア語ですか。

おそらく、上述のような言語ではないかと思います。どこかの小さな島でだけ使われている言葉とか、古代ギリシア語とかという方はほとんどいらっしゃらないでしょう。

ただで教えてもらうならともかく、学費をかけて語学の勉強をするとなると、その学費に見合った何物かが得られるかどうかを考えるのではないでしょうか。それは当然のことだと思います。私だって、英語が話せるようになるならしかるべき対価を出す気持ちはありますが、同じ金額でどこかの国のとある部族にしか使われていない言葉を勉強しようとは思いません。

要するに、出したお金と釣り合うだけの価値を手にできるかどうかという、経済的な問題がポイントなのです。現在KCPで日本語を勉強している学生たちにしても同じだと思います。日本語を学ぶことで有形無形の利益が得られると思うからこそ、決して安くはない授業料や渡航費、生活費をかけてでも勉強しているのです。もちろん、目論見通りにいかない場合だってあります。でも、そういうリスクを織り込んでも、学生たちには期待できる将来像が輝いて見えるのです。

もし、日本の国力が衰えて、何の取り柄もない国になってしまったら、わざわざお金と時間をかけて身に付けようなどという人はいなくなるでしょう。失われた30年が、40年、50年となっていったら、いずれ日本語は世界のだれからも相手にされなくなってしまうに違いありません。そうなったら、日本語教師は全員失業です。

…などという話を、養成講座でしました。先日の選挙で日本の政治が少しでも動いてくれたら、日本語教師は首の皮1枚で命を長らえることができそうですが、果たしてどうでしょう。

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こいのぼり

4月30日(火)

朝、外階段から教室へ行こうとしたら、校庭上空にこいのぼりが泳いでいるのが目に入りました。先週土曜日は何もなかったし、今朝出勤した時も曇り空しか広がっていませんでした。きっと、O先生が飾り付けてくださったのでしょう。

今週は連休の谷間で、授業日は3日だけです。5月2日(木)に、年中行事として端午の節句を予定しています。その一環として、毎年恒例のこいのぼりを揚げました。曇り空だと今一つ映えませんが、風になびくこいのぼりは、やはり初夏の風物詩です。

そういえば、学校以外でこいのぼりを見かけていません。私の行動範囲が、ほぼ家と学校との往復に限られていて、しかも地下鉄経由ですから、そもそも外を見るチャンスがあまりないというのが大きな要因です。おとといと昨日は家の近くを歩き回りましたが、小学校にも幼稚園にもこいのぼりは揚がっていなかったように思います。最近はそういうことをしなくなったんですかね、学校でも。

KCPの近くにある花園小学校と花園幼稚園も見てきました。わずかに幼稚園の掲示板に折り紙のこいのぼりが張られているだけでした。校舎や教室の中には何か飾り付けがなされているのかもしれませんが、外から見る限りいつもと変わらぬ姿でした。コンビニも、恵方巻は派手に宣伝していましたが、柏餅はあまり目立ちません。令和の端午の節句は、通奏低音のごとく地味に行われるのでしょう。

午後、化学の授業をしたら、うっすら汗をかきました。端午の節句は地味でも、季節は夏の入口なんですね。

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自転車通学

4月18日(木)

「大学には、自動車・オートバイで通学してはいけない」という本文に対して、「学生は大学まで歩いて来なければならない」という選択肢があったとしたら、みなさんは〇にしますか、×にしますか。

Pさんは〇にしました。ところが、正解は×でした。「自動車・オートバイは通学に使えないけど、自転車は乗ってきてもいい」と説明すると、「私の国では、大学の寮に住んでいる人以外で自転車で通学する人は0.00001%ぐらいしかいません」と、納得がいかない様子でした。

かつては、坂の街・長崎は自転車がない街として有名でした。しかし、昨今は電動自転車が普及し、市街地のいたるところにある急坂をものともせず、市民の足として定着しているようです。長崎に限らず、坂の多い街でも自転車は住民に愛用されるようになりました。

Pさんの語るところによると、Pさんの国には一般庶民が自転車に乗る習慣がないようです。スーパーマーケットにも、駐車場はあっても、駐輪場はないそうです。東京のような大都市で、駅前にもちょっとしたお店にも区役所のような公共機関にも、駐輪場・駐輪スペースがごく当たり前にあるのに驚いたと言っていました。

もしPさんの言っていることが本当だとしたら、この問題は読解の問題として適切でしょうか。日本人にとっても若干トリッキーな感じがしないでもありません。自転車という乗り物は知っていても、それを通学に使うという発想自体がない人々は、筆者または作問者の意図をつかむことなどできません。文化の違いが読解を妨げていると言ってもいいでしょう。

だとしたら、私が今まで作ってきた読解問題の中にも、好ましくない問題があったかもしれません。恐ろしいものです。

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運命の61日後

4月16日(火)

6月のEJUまでちょうど2か月――と進学指導の時間に言ったら、授業に出席していた学生たちは、一様に驚いた顔をしていました。6月16日(日)が試験日ですから、61日後です。

この学生たちは、ほぼ全員、来年4月の進学を目指しています。確かに、大学に入学するのは1年後です。しかし、入試は秋ごろ行う大学が多く、年内に合格発表のところは、ほぼ11月のEJUの成績は利用できません。ということは、6月のEJUがラストチャンスだとも言えます。61日後に運命が決まってしまいかねないのです。

こちらも、3月になっても進学先探しに右往左往したくはありません。早く安心したいものです。でも、1年後のことが2か月後に決まってしまうとなると、腕組みをしたくなります。

大学進学を目指す多くの留学生は、日本の高校3年生よりいくらか年上です。その分大人だということにもなりますが、それは数字の上の話に過ぎません。留学生は、未知の国へ来て、生活に慣れるのにも時間を費やしています。もう少し迷う時間を与えてもらってもばちは当たらないでしょう。志望理由書や面接練習などでそれらしい学修計画や将来設計を書いたり話したりさせていますが、どこまでが心の底からの声でしょう。

学校推薦型入試などによって、日本の高校生の進路決定が早まってきたという話をよく耳にします。大学や学部や学科をどこまで理解して受験するのでしょう。学生の確保は大学運営の至上課題だとも言われています。そんなことが起点になって日本の将来を担う若者の人生が歪められたとしたら、本末転倒です。

ほかの国はどうなのでしょう。もっと余裕のある留学生受け入れスケジュールのような気がします。走りながら考えることも必要でしょうが、走る前に目標を定めて見据える時間も欲しいです。

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自由の国?

4月15日(月)

先週、外階段とそれに続く物置の屋根に吸殻が落ちていました。発見場所から考えて、KCPの学生が捨てたものと思われました。同じ日に、近所の方からKCPの学生が外でタバコを吸っているという苦情が来ました。学校近辺を警戒していたところ、Aさんが吸っているのを見つけ、すぐに捕まえました。調べると、Aさんは未成年でした。

たばこに関するトラブルが相次いだので、その翌日、全校学生に向けて喫煙に関する注意の放送を流しました。このところしばらく喫煙が問題になることはなかったのですが、卒業生が抜けて新しい学生が大勢入ってきたため、また元の状態に戻ってしまったのかもしれません。それゆえ、かなり厳しい言葉で放送の原稿を作りました。

週が明けました。また路上喫煙者が捕まりました。休み時間にいつもの喫煙所へ行ったら満員だったので、外で吸ったと言い訳をしていました。満員だったら吸わないで学校に戻るという考えは、かけらも浮かんでこなかったのでしょうね。この学生にとって、先週の放送は何の歯止めにもなりませんでした。善悪の判断もできなくなるということは、重度のたばこ依存症と言うべきでしょう。

数年前には、「日本は自由の国だから何でも許されると思った」と言った学生もいました。大きな勘違いもいいところです。日本には言論の自由や職業選択の自由はありますが、喫煙の自由はありません。昭和は喫煙者が大手を振って闊歩していましたが、令和は喫煙者の喫煙権は無視される時代です。

これは日本に限ったことではなく、世界的な潮流です。学生の母国でも同様であるに違いありません。それにもかかわらず好き勝手にたばこを吸ってしまうような学生には、まず、目を大きく開いて自分の周りを見渡してもらいたいです。喫煙がどれだけ忌み嫌われているか、それを知ることが留学の第一歩でしょう。

先週から今週にかけての喫煙者に、猛省を促します。

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心が狭い?

4月9日(火)

昔はよく車を運転しました。住んでいたのが山口県で、道路状況が著しくよかったのもその一因です。会社から帰って来てから軽く100キロドライブとか、休みの日に山口県一周とか、意味もなく車で出かけたものです。高速道路を使わずとも、渋滞にはまることなく運転そのものが楽しめました。

東京に住むようになってからは、車の運転は縁遠いものになりました。それどころか、バスも含めて車そのものに乗らなくなりました。長い休みに旅行した時ぐらいでしょうかね。

先週入院した時、病室の窓から病院の駐車場が見下ろせました。次から次へと車が来て駐車スペースに止められていくのですが、その止め方にツッコミを入れていました。「アホ! ハンドルの切り方が逆だ」「そんなところからバックしたら隣の車にぶつかっちゃうだろう」「何トロくさいことやっとるんじゃ。車2台待ちくたびれとるぞ」…。中にはほれぼれするような止め方もありましたが、一言物申し上げたくなる動き方をする車がほとんどでした。

私は支配欲が強いんでしょうかね。バスなんかに乗っていても、「こら、黄色で突っ込む気か。渡り切る前に赤になるぞ」「小型車1台ぐらい、前に入れてやれよ」「ここは追い越し車線に逃げるのが常道だろう」「何で右折するんだ。まっすぐ行った方が近いじゃないか」などと、心の中でわめき続けています。バスの運転手さんの方が、運転がうまいに決まってるのにね。

東京でライドシェアが解禁されました。でも、私なんかライドシェアを使ったら、目的地に着くまでにへとへとになってしまうに違いありません。運転のしかただけでなく、道の選び方にも文句をつけかねません。この性格を直さない限り、ライドシェアを使いこなすことはできないでしょう。

自動運転の車に乗ったら、どうなっちゃうのかな。

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入院記

4月6日(土)

先週のこの稿でお知らせしたとおり、月曜日から木曜日まで入院していました。病魔に侵されよれよれになって入院したわけではなく、放っておくとまずいことになるかもしれない、いわば病気の元を予防的に取り除くためでしたから、病棟の他の患者さんたちには申し訳ないくらいぴんぴんしていました。

入院した1日は、簡単な検査をいくつかしただけでした。ベッドを起こしたり倒したり機能を確かめた後はすることがなく、200ページ余りの本を読み終えてしまいました。そして、ブリの煮つけの夕食をいただいて、就寝時刻の夜9時を迎えました。病棟は暖房がよくきいていて、布団の中に入ると暑いくらいでした。

手術日の2日は、朝6時半から飲食禁止でした。熱と血圧を測って手術衣に着替えるとほかにすることがなく、2冊目の本を読み始めました。9時過ぎに看護師が迎えに来て、手術室まで歩いて移動。手術開始直前までメガネをかけていてもいいとのことでしたから、手術室をじっくり観察させてもらいました。ドラマなどで見たのと同じように、無影灯に取り囲まれ、帽子とマスクで表情がわからない手術スタッフに見つめられ、麻酔薬が腕から注入されました。ああ、こうやって気を失うんだなあと思いながら、鼻からガスも吸わされ、意識がなくなりました。

その次の記憶は、「金原さん」と起こされた時でした。入院前の手術オリエンテーションみたいなときに、麻酔から覚めると吐き気を催したり体の自由が利かなくなったりすることがあるかもしれないと言われましたが、そんなことは全くなく、手術はうまくいったんだと、手術室を出る前に勝手に確信してしまいました。

病室に運ばれてスマホの時計を見ると、12:01でした。正味の手術時間は2時間弱だったでしょう。事前に先生に言われた通りでしたから、安心材料がまた増えました。

ところが、ここから6時間ベッドで安静にしていろと言われ、これが最大の苦痛でした。点滴のチューブがつながっていますから、自由には動けません。麻酔はもう切れていますから眠くもありません。私はスマホで時間つぶしをする人間ではありませんでしたが、スマホに頼らざるを得ませんでした。でも、ここで大問題が発生しました。私は左手でスマホを操作しますが、その左腕に点滴の針が刺さっていますから、動かし続けることはためらわれます。そういえば、入院時に病棟に入るとき、「利き腕ではないほうにタグをつけます」と言われ、左手首にタグをつけてもらいました。こんな目に遭うなら、左腕の自由を確保しておくべきだったと後悔しました。右手1本でページをめくりながら、2冊目も読んでしまいました。

6時になり、ようやく立ち上がってもいいと言われ、足を床に付けました。全くふらふらすることもなく、トイレまで行って、用を足してきました。点滴で水分をたっぷり補給されていましたから、膀胱が破裂しそうでした。この日は、食事は全くなし。口の中の手術でしたから、しかたがありません。

3日朝は、待ちに待った食事がでました。3食全粥でしたが、おかずは普通のものでした。肉や魚の塊も出ましたが、手術したのとは反対側の歯で普通に噛んで食べました。

この日は左手が自由に使えましたから、スマホで5月の連休と夏休みの旅行の計画を練りました。それだけではありません。紅麴事件についても調べました。私はサプリは一切口にしませんが、事件について知ると、それで間違っていなかったと思えてきました。でも、スマホを長時間眺めていると、ドライアイの症状が現れてきました。スマホの画面より本の活字の方が目に優しいのでしょうか。でも、本は最後の1冊となっていましたから、大事に読まなければなりません。病室の窓から桜が見えるかなと思って探しましたが、見つかりませんでした。

4日、退院手続きや支払いを済ませ、せっかく慶應病院に入院したのですから、入院中の穴埋めをしてくださった教職員のみなさんへのお礼として慶應グッズでも手に入れようとしました。しかし、病院の売店には手ごろなものはなく、総合案内の方に聞いたら医学部の生協まで行けば何かあるかもしれないとのことでした。そこまでする気は湧かず、うちに戻りました。

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