Category Archives: 作文

背伸びの前に

6月12日(火)

期末タスクの時期です。私のクラスの学生たちが書いた発表原稿を見ました。まったく意味不明な原稿はありませんでしたが、細かく見ていくと、突っ込みどころが満載でした。

ネットで調べて原稿を作ってもいいということにしていますが、中にはネットの書かれていたことをそっくりそのままコピペしていると思われるものもありました。コイツがこんな難しい単語を知っているわけがないっていうのが散見されます。“難しいことを易しく”というタスクの目標を掲げましたが、“難しいことをさらに難しく”という原稿になっていました。検索で引っかかったそれっぽいページを書き写したら、もう安心しているのです。そんなの、「〇〇はどういう意味ですか」と質問されたら、しどろもどろになって、発表が瓦解してしまうに違いありません。

発表に使っているのは易しい言葉だけれども、内容は深めてもらいたいのです。いや、易しい言葉で説明しようと努力することによって、内容が深まると言ったほうが正確でしょう。ですから、直すにも学生の言わんとしていることを噛み砕いて、このぐらい誰でもわかりそうな言葉で書くんだよと例示するようにしました。私たち日本語教師はそういうのを日々やっていますから、鍛えられています。学生たちは、小論文なんかではむしろ背伸びするくらいの気持ちで書いているでしょうから、急に「易しく」と言われても戸惑ってしまうかもしれません。

でも、プレゼンテーションで求められるのは、背伸びよりも明確さであり、それは平易な表現によって裏付けられることがほとんどではないでしょうか。明日もタスクの作業がありますが、この点を学生たちに訴えていきます。

これから花を咲かせます

4月24日(火)

選択授業で、EJUの記述対策のクラスを受け持ちました。クラスの学生に聞いてみると、1名を除いて今回が初めてのEJU受験とのことでした。中級の学生たちですから、去年の11月はまだ初級で、受けても高得点は取れなかったでしょう。今回のEJUで高得点が挙げられれば、彼らが思い描いている夢が具体的な形を帯びてきます。

まず、EJUの記述とはという話をしましたが、試験時間とか字数とかはみんな知っていました。採点は論理性に重きを置くというあたりからは、新しい情報だったようです。中級あたりだと文法を不安がる学生が多いのですが、読み手に誤解を与えるような、あるいは読み手の理解範囲外となるような間違いでなければ、論理性でカバーできます。議論に飛躍があったり、独り善がりすぎて読み手がついていけなかったりしたら、文法的にはミスがなくても、高い評価とはなりません。

それから、中級の学生は、書き言葉と話し言葉が曖昧になっていることが多いです。特にKCPは話せるようになることに力点を置いていますから、何かを日本語で考えるとき、話し言葉がまず思い浮かんでしまうこともよくあるようです。その辺も矯正していかねばなりません。

さらに、EJUが初めての学生には少々ハードルが高いかもしれませんが、ことばのレベルを上げろとも訴えました。かつて毎学期のように中級の作文を担当していたときは、“もっと、大丈夫、もらう、いい”など、NGワードを設けて、それを使ったら文句なしでマイナス5点とかということもしたことがあります。EJUだけだったらそこまで求められないでしょうが、その先にある小論文まで考えると、上述のような便利な言葉を安易に使わない癖をつけることも大切だと思います。

さて、書かせてみましたが、そんなことより何より、スピードが全然でした。30分で規定の字数に届かなかった学生がうようよ。鍛え甲斐があるというか、何というか…。

漢字テストとお礼状

3月6日(火)

漢字のテストをしました。まあ、卒業生の成績の悪いこと。10点とか15点とか、勉強してこなかったとしか思えない答案が続出。平気でそんな答案を書く学生は、卒業認定試験も終わり、バス旅行へも行ってしまい、あとは金曜日の卒業式を待つだけという、今週の授業を消化試合としか認識していないのです。

勉強してこなくても80点ぐらい取れてしまう日本語力があるのなら消化試合でもいいかもしれません。でも、そういう学生の実力は、勉強してこなかったら限られた範囲の漢字の読み書きすら満足にできないのです。卒業式まで授業日は明日と明後日しかありませんが、それこそ1字でも多くの漢字を覚えていってもらいたいです。

そのくせ、文法の例文では“卒業したにしたって、勉強が終わったわけではない”など、殊勝なことを書いているのです。これは例文のための例文に過ぎず、本心はまるっきり別なところにあるのでしょうか。

もう少し上のクラスでは、お世話になって先生方へのお礼状を書かせました。ある特定の先生に向けてと思って教材を用意したのですが、多くの学生がKCPの先生全員に向けたお礼状を書いてくれました。雑な字で数行書いてお茶を濁す学生が出るのではないかと疑っていましたが、そんな学生はおらず、配った便箋の上から下までびっしり感謝の気持ちを込めてくれた学生が少なからずいました。

卒業する学生たちは、勉強と言われるとげっぷが出てしまいますが、感謝の気持ちはチャンスがあれば表したいと思っているのでしょう。卒業式後には先生たちと触れ合う時間も用意してありますから、そういう時間を是非活用して、思いを伝えてKCPを後にしてもらいたいです。

線がつながるまで

3月5日(月)

認定試験が終わり、バス旅行にも行ってきて、卒業生は今週金曜日の卒業式を待つばかりです。だから授業は消化試合みたいなものにしてしまうかというと、そういうわけにはいきません。たとえ最上級クラスであっても、まだまだ勉強することがあるのだよと意識付けることが、私たち教師に課せられた使命です。

そういう発想のもとに、最上級クラスでは「耳で書く」というテキストを読解で扱っています。自分が書いた文章を目で追うだけではなく、声に出して読むと、文章の不自然な点や未熟な表現が浮かび上がってくるという、外山滋比古氏の考えです。この外山氏の文章を読んだのが去年の秋ぐらいで、そのときからこれを卒業学期に最上級クラスで取り上げようと思っていました。

私はここに書かれていることを実際にやっているし、やった結果効果があると思っています。ですから、KCP卒業後進学してから日本語の文章をたくさん書くことになる学生たちにも是非実践してもらいたいのです。このブログにも出来不出来がありますが、不出来の日は、書きっぱなしでそのまんま登録しています。我ながらよく書けたと思える日は、少なくとも心の中で朗読してから登録しています。

ところが、そういう気持ちがどうも学生に伝わっていないようで、読解を始めてもぽかんとしている学生が多かったです。本文中に出ている悪文の例も、文法的には正しいからこれで構わないと反論されてしまいました。そうじゃないんだ、リズムの問題なんだと強調しましたが、わかってくれたかなあ。

KCPで勉強したことがすぐにピンと来なくても、卒業してしばらく経ってからなるほどと思ってくれたら、それで十分です。

AIと働く

1月20日(土)

1年で一番寒いとされる大寒を迎えました。覚悟して家の外に出ると、思ったほどでもありませんでした。空を見上げると星が見えず、上空の雲が多少なりとも熱が逃げるのを防いでくれたようです。しかし、日中もその曇り空が続いたため、気温はあまり上がりませんでした。

超級クラスでは、読解の時間にAIの上司とはどんなものかというテキストを読みました。意見があふれ出て激論が交わされるような雰囲気のクラスではないので、このテキストを踏まえて上司とはどういう存在かについて文章を書いてもらいました。それを一気に読んだのですが、深く考えて書かれた文章が多かったです。

学生たちは、私が思っていたよりAIの上司に対して好意的でした。感情に流されずに部下を評価できる、常に論理的に冷静に判断が下せるなど、考え方がぶれないことに期待しているようです。女性差別がなくなるので、女性の戦力化が進むのではないかという意見もありました。

学生たちはこの後30年かそれ以上、会社かそれに類似した組織で働くことになります。あと10年働けるかどうかの私より、AI上司について真剣に考えたことでしょう。そういう彼らが、その間気持ちよく働けるのは、人間よりもAIの上司の下だと思ったのです。“人付き合いが苦手だから、上司はAIのほうが働きやすい”という意見には、同感したくなるものがあります。学生たちの考えを読んで、私も認識を新たにしました。次の読解もAIに関するテキストです。また学生たちから刺激を受けたいです。

大寒の次の二十四節気は立春です。日の光に力がみなぎりだすまでもう少しです。

何でもしますよ

1月16日(火)

金曜日が出願締め切りのSさんの志望理由書の手直し、今週末に入試を控えたCさんの面接練習、上級クラスの卒業文集下書きの添削と、年度末ならではの忙しさが続いています。

Sさんの志望理由書は、内容が欲張りすぎていたので、ばっさり切り捨てて規定の字数に近づけました。同時に論点を絞って、Sさんの将来に対する考えを明確にしました。Sさんは私が切り捨てた部分に未練があるようでしたが、それを盛り込むと面接で墓穴を掘ることになりかねません。あきらめも肝心です。

Cさんは、早口でいけません。留学生のへたくそな日本語に毎日接している私ですら聞き取れないのですから、大学の先生が理解できるわけではありません。内容的にもありきたりで、評価に値する答えが少なく、これでは合格は危ういです。また、視線がすぐそれるので、面接官に好印象を与えることはありません。

卒業文集の下書きは、油断していましたねえ。すーっと読めるのもありましたが、YさんやPさんの原稿は何度も何度も読み返さないと内容が理解できませんでした。また、“てから”と“たから”を間違えるなど、初級の文法ミスも山ほどありました。卒業したら次の学期に再入学してほしいような文章が多く、疲れもひとしおです。

それに加えて、受験講座開始。初回はオリエンテーションをしましたから、そんなにハードではありませんでした。しかし、これから6月のEJUまで、ガンガン鍛えていかなければなりませんから、嵐の前の静けさみたいなものです。

さて、まだ添削が残っていますから…。

疑い

12月25日(月)

「問題4はサービス問題ですから、そんなに厳しく採点しなくてもいいですよ」と、出題者のK先生から言われていたのは、学校に欠席を知らせるメールの文面を考える問題です。メールの文面については授業でも扱いましたし、これくらいなら常識で答えられちゃうだろうと思っていました。ところが、採点を始めると、学生たちの答えはとんでもないことになっていました。

「先生、おはよございます」とぬかしやがったのは、Sさん。以下、一切読まずに0点。超級の分際で「おはよございます」とは何事ですか。“う”を落としたのはケアレスミスだとは、絶対に言わせません。恥を知れ、恥を!

件名に「休みの請求」と書きくさったのはGさん。Gさんのぶっきらぼうな話し方そのものの件名です。私はGさんの担任ではありませんからGさんからメールをもらったことはありませんが、こんなメールをもらったら、Gさんがどんなに具合が悪くても、さらにひどくするような激烈な反撃メールを送らずにはいられないでしょう。

こういうのに比べれば、「休んでいただきますか」などはかわいいものです。優しく「卒業する前に初級をもう一度勉強しておきましょうね」と言ってあげられます。でも、こんなメールを外部に向かっては絶対に送らないでくださいね。間違いなく日本語力を疑われます。

相変わらず多いのが、名無しの権兵衛さんです。そりゃあ答案用紙の氏名欄を見れば誰が書いたかはすぐわかりますが、メールの文面を書けという問題なのですから、そこにも書かなきゃね。

K先生は“情けを掛けろ”とおっしゃいたかったのでしょうが、Sさん、Gさんを始め、情けの掛けようがない答案をたっぷり読ませていただきました。超級の皆さん、新年早々送られてくる成績通知メールの文法の成績に驚かないでくださいね。

去る者

12月22日(金)

選択授業の時間に書かせた小論文を読んでいます。教養とは何かというテーマを与えたのですが、ちょっと重すぎたようです。一生懸命書いてはいるのですが、議論が浅いのです。「教養は人間らしい生活に不可欠なものだ」といった類の、書いた本人もおそらくわけがわかっていないと思われるものが多く、出題を失敗したかなと思いました。しかし、これは何年か前の某大学の留学生入試の問題ですから、受験生たるもの、12月の時点で書けないなどと言っていてはいけないのです。

マークシート的な知識の堆積を狙った授業ばかりをしてきたつもりはありません。しかし、「教養」という、高等教育の目的の1つについてお手上げ状態では、私たちの教育のどこかに至らぬ面があったのでしょう。学校の中に物事を深く考える雰囲気が足りなかったのかもしれません。

その中に、「教養とはコミュニケーションのツールである」という意見がいくつかありました。異文化に触れ世界に目を向けるきっかけを作るなどという話になると、読んでいても夢が広がります。こういう学生の将来がまぶしく見えてきました。

コミュニケーション力をつけてくれというのは、私も去年の1月の入学式で祝辞として述べています。それから2年間勉強した学生たちの卒業式がありました。卒業生全員出席で、会場に空席がないというのは気持ちのいいものです。2年前には講堂いっぱいにいた新入生のうち、卒業式まで残ったのは講堂の真ん中にほんの3列だけ。コミュニケーション力が身についたか怪しい学生もいますが、よくぞ頑張り通したと思います。彼らと激戦を繰り広げた先生方も、式後ににこやかに談笑していました。

引っ張られる

12月11日(月)

先月募集した読書感想文コンクールの審査をしました。出足が悪く、一時はどうなることかと思いましたが、先月末の締め切り直前に大勢からの提出があり、むしろ読むのが大変になったくらいでした。

先週のうちに原稿を渡され、ひと通り目を通してみました。数名は読書感想文というよりは読んだ本の要約で終わっており、「感想」は書かれずじまいでした。また、書評っぽい作品もありましたが、自分の心の動きをきちんと書き留めた感想文らしい感想文をたくさん読むことができました。

また、字数制限を設けたのですが、多くの学生がそれを上回る分量を書いてくれました。その字数では自分の思いを書ききることはできなかったのでしょう。冗長ではなく、中身が詰まった文章で字数を超えていたのですから、感服しました。まあ、中には自分の世界に入り込んでしまい、こちらからはどうすることもできない学生もいましたが…。

審査委員の先生方それぞれにいいと思った作品を選んでもらいました。優秀作品については、おおむね意見が一致しました。初級なのに原稿用紙4枚も、しかも、読み手の先生にその作品を読んでみたくさせる感想文を書いたAさん、審査員だれもがうまい構成だとほめたBさん、学生の気持ちを代弁しているような書きっぷりのCさん、みんな順当に選ばれました。

読書感想文なんか書かせるのは日本だけかもしれないと不安に思ったりもしましたが、それは杞憂でした。思わず引っ張り込まれてしまうような文章を書いてきた学生が多く、KCPの学生の意外な才能を見た思いがしました。

鋭く

12月7日(木)

「〇〇についてどう思いますか」とクラス全体に聞いたとき反応してくれる学生、指名したときに必ず何か答えてくれる学生は、教師にとってありがたいものです。その学生の答えを軸にして、授業を進めていけます。

Yさんはそんな学生の1人です。頭の回転も速く、うがった物の見方もできます。クラスメートもYさんには一目置いていて、Yさんが話す時はみんな耳を澄まして聞いています。

ところが、小論文となると、Yさんはとたんに歯切れが悪くなります。舌鋒鋭く切り込んでいたのが、筆鋒は鈍ってしまい、毎回焦点のぼやけた文章になってしまいます。Yさんの文章には「~とおもう」「~かもしれない」のような、断定を避ける表現が多すぎるのです。誤解が生じないようにというつもりなのでしょうが、1つのことを述べるのに留保条件が多く、文を読んでもYさんの言わんとしていることが頭にスッと入ってきません。

文だと証拠に残ますから、間違ったことを書かないようにと腕が縮こまっているような気がしてなりません。口から発する言葉では言い切ることができても、文だとそこまでの勇気が湧かないのでしょう。でも、これでは小論文の読み手の心には響きません。

それから、抜け落ちがないようにと、たかだか数百字の文章に何でも盛り込もうとするきらいがあります。すると、課題に対して広く浅く全体をなでるような小論文になり、散漫な印象しか残せません。どれか1つに絞って突っ込んで書いてくれたほうが、読み手からすると議論のしがいがあります。

要するに八方美人過ぎるのです。自分の手で自分の角を矯めて、個性を殺しています。向こう傷を覚悟の上で相手に切り込んでいく気概がほしいです。クラスにいるときの尖ったYさんのほうが、らしさがあふれているんですよ。