Category Archives: 教師

切りますか

10月22日(木)

Kさんは先学期末の受験講座説明会に出席し、申込用紙をもらっていました。でも、締切日までに申し込むのを忘れ、今日になって申し込んでもいいかと聞いてきました。

大学なら、履修登録締切日をすぎたら、絶対受け付けてもらえません。だから「ダメ」とはねつけることもできるのですが、ここは何かと日本語力に問題のある人たちがその問題をなくしていこうと勉強している学校ですから、そこまで冷たくしてしまうと、意欲のある学生から勉強するチャンスを奪ってしまいかねません。

かといって、学生の希望を何でも聞いていたら、かえって学生のためになりません。期日なんて守らなくても何とかなるって思うようになったら、進学や就職してからうんと痛い目に遭うことは明らかです。

こういう場合は、まず、本人の意図を確認します。Kさんは来春専門学校に入りたいといいます。とすると、受験講座じゃありません。Kさんと同期の学生たちは2017年の大学進学を目指していますから、Kさんがそういう学生向けの授業を受けても、あまりご利益はなさそうです。そういうことを踏まえて、Kさんには受験講座は受けなくてもいいというアドバイスをしました。そして、専門学校に出願したら必要となる面接の準備をしておくよう勧めました。

労働生産性って観点からすると、実に非効率な働き方です。でも、Kさんの満足げな後姿を見送ると、こういう仕事が私に与えられた仕事なんだろうなと思います。

倒れた???

10月20日(火)

9時10分前、午前クラスの教師たちの朝礼が始まってもE先生は姿を見せません。ゆうべ、「明日」の授業内容についてのメールを送り、それに対して10月20日という日付の入った教案を送ってきましたから、E先生が授業の日にちを忘れているとは思えません。事情を確認するためにE先生に電話をかけると、通勤途中に倒れて駅の救護室に運ばれていたことがわかりました。

午後クラスの先生に大急ぎで代講を頼みました。前半は漢字のプリントなどがありましたが、後半はE先生が独自の資料で授業をすることになっていましたから、どうにもなりません。これまた周りの先生からすぐ出てくる教材を借りて、急場をしのぎました。後刻E先生から送られてきた資料を見ると、私がお願いした授業内容を見事に反映した資料で、もしかするとこれを作るために寝不足になり、倒れてしまったのではと思えるほどの内容でした。

E先生は私の半分にも満たない年齢で、少なくとも見た目には不健康そうではありません。こういうふうに、若くてパワーがありそうな人が倒れたり病気になったりするたびに、何が健康を左右するんだろうかと考えさせられます。私のように食事も睡眠も不規則極まりなく、運動不足もはなはだしい者のほうが、よっぽど倒れちゃいそうなんですがねえ。酒煙草を全くやらないっていうのが、そんなに健康に効いているとも思えません。

いずれにしても、あれだけの力作が日の目を見なかったというのは、E先生自身が最も残念なはずです。さらに言えば、それだけの授業を聞きそこなった学生こそが最大の被害者かもしれません。次回のE先生の日に、その授業をしてもらおうかと、予定変更を考えています。

最後の粘り? 悪あがき?

10月12日(月)

Kさんは入学から先学期末までの出席率が50%で、退学勧告を受けています。学校としては、出席率があまりにも悪すぎるので、在籍の継続を認めず自主退学してもらおうと思い、先学期末からずっとそういう話をしています。しかし、Kさんは何とかして10月からも学校に残ろうとして、学期休み中も毎日のように学校へ来ては頭を下げ続けています。そんなことをしてもらっても、こちらは継続を認める気はまったくありません。

そもそも、Kさんは6月末の時点で出席率が悪いことで警告を受けています。にもかかわらず7月の出席率はそれ以下に悪化し、そこでまた叱られました。そのときに遅刻欠席したら帰国すると誓ったくせに、いつの間にかまた元の木阿弥となり、今に至っています。誓いの言葉を書いた紙を見せても、最後のチャンスをくれと粘っています。それだけの粘りを、なぜ学期中に出席することに発揮できなかったのかと問い詰めたいです。

情にほだされてKさんの在籍を認めると、結局Kさんのためにはなりません。頭を下げて殊勝な態度を示せば、過去のことは水に流してもらえて、どうにかなると思っているのでしょう。これ以上世の中をなめてかかるようになっては、いずれ大ケガをします。退学させることが、我々のできる最後の教育です。退学勧告を無視し続けるようだと、除籍処分にせざるを得ません。そうなるとKさんの経歴にきずがつきますから、そうなる前に退学届けを出してもらわねばなりません。

今もKさんはロビーのカウンター前で2時間以上泣き続けています。でも、優しい言葉をかけてやる気は、爪の垢ほどもありません。

テスト問題作成中

8月10日(月)

朝、チラッと雨が降って、打ち水効果で涼しくなると思いきや、かえって蒸し暑くなってしまいました。先週のような猛暑日ほどの暑さではありませんが、外に出るとそれとは違ったじっとりとした暑さが皮膚を覆ってきます。

そんな蒸し暑さにもめげず、今週の木曜日に控えた中間テストの問題を作っています。土曜日に漢字を、今日は文法の問題を作り、残る大物は読解だけです。でも、読解は以前に作った問題がありますから、それを元にすればそんなに大変な手間はかからないでしょう。そういう意味では、問題作成の山場は越えたとも言えます。

上級クラスは、自分で授業内容を決め、進度表を作り、実際の進度に合わせて授業を急がせたりのんびり進めたりし、中間・期末テストを作り、採点して今学期の合格・不合格を判定します。責任がすべておっかぶさってくるので肩の荷が重いことは確かですが、その責任の重さを楽しむこともできます。自分の裁量でどうにでもなるという意味では、自作自演みたいなところもあり、ワンマン社長的な面もあります。そこが楽しいのです。

これに対して、他の先生が担当なさっているレベルでは、その先生の思いを酌んで、その思いに沿って動く駒や兵隊のような役割を果たします。担任なら、そのクラスの他の先生の得手不得手を勘案し、自分がその調整弁になります。だから、単なる兵隊ではいけません。初級クラスは中間前日が私の授業日ですから、まあ、アンカーマンみたいな役目もすることになります。

さて、明日は私が問題を作っている上級クラスの授業日です。どんな顔をして授業をしようかな…。

文法脳

8月1日(土)

毎週土曜日は日本語教師養成講座の授業があります。先週から文法に入りました。日本語学習者に教える文法体系は、日本人が小学校から高校までに勉強する国文法の体系と若干違いますから、頭の中の配線を組み替えていく必要があります。また、そういった文法が、「みんなの日本語」など学習者の使う教科書にどのように反映されているかも見ていきます。座学をダイレクトに教壇に生かそうというわけです。

私は実際の文法のしくみと理論を比較したり、語句の意味を分析したりすることが好きですから、目にしたり耳にしたりした言葉や文章のかけらを起点に、文法の沼にはまり込んでいくことがあります。そして、そういうねちこち考えたことを誰かに語りたくなることがあります。日々の授業で学生相手にそんなことばかりしていたら、たちまちそっぽを向かれてしまうでしょうから、ぐっとこらえています。養成講座だと、そんな“成果”を少しは披露できます。いわば、養成の授業は私にとっては学会発表みたいなところがあるのです。

受講生のOさんは、そんな私の研究発表(?)に耳をじっくり傾けてくれます。また、次第に日本語文法を考える思考回路が築かれつつあり、こちらからの問いかけに的を射た答えが返ってくるようになってきました。急速に力をつけてきたような気がします。この勢いで伸びていけば、きっと修了までに日本語文法脳が確立されることでしょう。

理屈を語るばかりでは日本語教師は務まりませんから、その理論で自分が学習者に伝えるべき日本語を見つめ直し、学習者に伝わる形に噛み砕くことが必要です。伝わる形に噛み砕くほうは養成講座後半の演習コースで学んでいきます。まだ先は長く、苦しい思いもするでしょうが、初志を貫徹してもらいたいと思っています。また、貫徹できる力を持っていると信じています。

誰の志望理由書?

7月21日(火)

W大学の出願締め切りが迫り、出願予定者は大忙しです。いや、出願予定者を受け持つ教師のほうが学生本人以上に忙しいかもしれません。学生は自分のだけ考えればいいですが、教師は自分が受け持っている学生全員の面倒を見なければなりませんから。国の高校から取り寄せる書類や機械的に埋めていけばいい書類は、学生自身でもどうにかなりますが(というか、学生自身以外でどうにかできる人はいません)、志望理由書だけはそう簡単にはいきません。

YさんもWさんも私を忙しくさせている学生たちです。それぞれ書き上げては教師のチェックを受けて、ということになりますが、それが集中するこちらは結構な仕事量になります。YさんもWさんも、いまひとつ文章に切れがありません。それぞれ自分独自の決めぜりふがないんですね。これは誰でも書けるよねっていうことか、これと志望学科がうまくつながればすごいんだけどっていう内容とか、どうも詰めが甘いのです。

多くの日本語学校の先生方が、私と同じようにW大学に出願する学生の指導をしておいででしょう。教師の力に大差がないとすれば、合否の分かれ目は、結局は志願者本人実力に負うところが大きいというわけです。私が想像力をたくましくすれば、あるいは不合格になるはずの学生を合格させることもできるかもしれません。火のないところに煙を立てるがごとく、単に憧れでW大学と言っている学生の志望理由をでっち上げることだってできます。しかし、そうまでしてW大学に入ることが学生自身の幸せにつながるとは思えません。

わたしたちは進学のお手伝いはしますが、主体的に動くのはあくまで志願者本人です。志望理由のタネを持ってくれば、それをまいて肥料をやって、芽を出し葉を出すぐらいまではどうにかしてあげられるかもしれませんが、花を咲かせるのは学生自身の手によってです。それ以上手助けしたら、誰が大学に入るかわからなくなってしまうではありませんか。

W大学が第一陣で、この後いろいろな大学の出願が続きます。戦いは始まったばかりです。

例文

7月17日(金)

最上級クラスで文法の例文を書かせました。もちろん、ミスがないわけではありませんが、いくら考えても意味不明の文はありませんでした。初級だと複雑なことは書いていないはずなのに、何のことやら見当もつかないという文によく出会います。それに比べると、最上級まで上り詰めただけあって、語学のセンスを感じさせられます。

このレベルにまでなると、勉強が好きか日本語に対する勘が鋭いか生まれつき頭脳が優秀かのどれかでしょう。要するに、曲がりなりにも努力が続けられるか頭が切れるかだと思います。そのどちらでもない人たちは、ふるい落とされてきたと考えていいでしょう。選りすぐりの学生たちですから、文法の例文ぐらいどうっていうことないのでしょう。

このクラスは、それにとどまらず、語彙も漢字もよく知っています。N先生やK先生の話によると、文章もきちんと読みこなせているようです。こう書くとすばらしい学生の集まりのように見えますが、そのすばらしさが全国レベルかというと、未知数のところがあります。KCPの中でどんなに光っていても、他流試合に勝てなかったら学生たち自身の夢を叶えることはできません。他流試合を物にするには、したたかさも必要です。そこがどうなのか、現時点では読みきれません。

授業で志望理由書の書き方もしました。W大学への出願で苦労した人たちを除いて、まだピンと来ていないような顔をしていました。これから継続的に鍛えていかねばなりません。鍛えていけば必ず輝く素材ですから、慎重に、でも、大胆に、力を伸ばしていきたいです。

ウザイ役どころ

7月15日(水)

授業が始まり、出席を取って、連絡事項を伝え、宿題を返して、そのフィードバックをしたところで、Kさんが「病気ですから帰ります」と言い残して、早退してしまいました。事務の担当者の話によると、Kさんは来日してからひと月もたっていないのに、気ままな振る舞いが目立つとのことです。

Dさんは宿題をしてきません。漢字の宿題も文法の宿題も、未提出だったり、未完成のまま提出したりと、のらりくらりと宿題から逃げ出そうとしています。月曜日の漢字のテストも、勉強した形跡が見られず、クラスの最低点で不合格。来週水曜の文法テストが思いやられます。

この2人はどうも物見遊山的にKCPに通っているようです。サブカルか何かで日本に興味を持ち、それが高じて日本に留学したのでしょう。大学進学などというしっかりした目標があるわけでもなく、ただ単に日本での生活を楽しんでいることが、行動の端々にうかがえます。

確かに、自分の勉強した言葉が通じる外国を自由に歩けたら、自分の興味を持った文化にどっぷり漬かって暮らせたら、どんなに楽しいだろうと思います。KさんやDさんはそういう生活を送っているのでしょう。でも、貧乏性の私には、学校の授業料を捨てるようなもったいない行為にも見えます。

10年後、20年後、あるいは30年後のKさんやDさんは、自分の人生における2015年日本留学をどう位置づけるでしょうか。教えている側としては、単なる青春の思い出としてほしくはありません。たとえ短い期間であれ、実質的な成果を手にし、自分の人格の太い骨を形作った時期だったと思えるような留学にしてほしいのです。

古いと言われても私はそう考えます。そう考えて授業していきますから、KさんやDさんのような学生にするとウザイ感じがするかもしれません。そんなウザイ人間とも付き合うのが人生だとわかってもらうのが、私の役どころなのでしょうか。

手直し

7月4日(土)

今学期は超級クラスを担当しそうなので、教材集めをしています。といっても、新しく見つけ出すのではなく、以前使った教材を再利用しようと考えています。このレベルともなると、外国人向けの市販の教科書をそのまま使うわけにはいきません。それでは易しすぎるし授業が単調になってしまうし、こちらで補助教材を用意するなど、かなり手を加えなければなりません。それをやるのはかなり大変なので、昔の教材のリバイバルとなるわけです。

昔の教材を使うとなると、教材の鮮度が問題となります。3.11より前の教材は、現在では的外れなことになっていることもありますから、ことに要注意です。文法の例文も漢字のテスト問題も、手直しの必要なことがあります。そのときアップ・トゥー・デートな話題であるほど、その時期が過ぎると急に古臭くなってしまうものです。

そういう目で見ていくと、そのまま使える教材のなんと少ないことでしょう。ゼロから作るよりはましですが、やっぱりかなりの労力がかかります。また、教材を作ってから今までの間に、学生の志向や嗜好や思考が変わったという面も見逃せません。進学志向が強まり、多かれ少なかれサブカルを嗜好し、個人主義的な思考法が広まったと思います。そんなことも反映する必要があります。

それから、受験シーズンに入っていきますから、志望理由書の書き方やら面接の受け方やら大学の独自試験対策やらもしていかなければなりません。以前の資料を見ると、われながら甘いなと思うところもありますから、やっぱり何かすることになるでしょう。

来週は新入生の受け入れと養成講座の授業のかたわら、こんなことをしていきます。

爆弾作り

7月2日(木)

来週の木曜日は始業日なので、先生方の打ち合わせがありました。スピーチコンテストの概要や、進学に関する情報などをお伝えし、新学期への準備を進めました。K先生がスピーチの指導方法について詳しく講義してくださり、また、今までよりぐっとすてきな今年の会場の写真を見せられたりして、ああ今年も夏学期が始まるんだなという気分になってきました。

私は明日も来週も養成講座の授業があるので、そっちに頭を使っていると、ついつい新学期の準備が疎かになってしまいます。別に現実逃避しているわけではありませんが、受講生には全力で立ち向かいたいですから、授業の下調べに力こぶが入るのです。まあ、語彙論とか意味論とか形態論とか日本語の歴史とか、授業内容が私の好きな分野ですから、なおさらそっちのほうに目が向いてしまうのでしょう。

それでも、新学期に私が担当することになりそうなクラスの授業構想を立て始めています。教材集め、教材作りにも取りかかっています。こちらもやり始めると結構熱中してしまうもので、この教材は今学期は難しいかもしれないけど、学生たちが力をつけた来学期ならこなせるかななんて、3か月も先のことまで心配しちゃったりしています。仕事のしかたが散漫でいけませんね。

今度のクラスは進学希望の学生が大半ですが、進学するのに役に立つ日本語だけではなく、進学してから勉強しておいてよかったと思ってもらえるような日本語を教えていきたいと思っています。1年後か2年後に爆発するような時限爆弾を仕込んでいるような感じです。そう考えると、教材作りがおもしろくなります。