Category Archives: 教師

電源を開ける

5月14日(木)

来学期中級に上がるべき初級最後のレベルの学生のクラスが伸び悩んでいます。文法テストでなかなか合格点が取れないのです。来週火曜日の中間テストが非常に気懸かりな状況です。

最大の原因は、問題文をよく読まないことです。助詞をきちんと読み取っていないから自動詞と他動詞を間違えたり、空欄の前後しか読まないから文全体が表す状況にそぐわない言葉を入れてしまったりしています。満点に近い成績を挙げる学生もいますから、他の学生も、同じくらいの成績とは言わないまでも、少なくとも合格点ぐらいは取れるはずです。詰めの甘さがさらけ出されています。

次に、母語の影響を脱しきれていない学生が多いことです。「下週」と書いて、その上に「らいしゅう」と読み仮名を振った学生もいました。「電源を開ける」という答えは1人2人ではありませんでした。このクラスの1つ上のレベルではこんな間違え方をする学生はいません。この両レベルの差は思った以上にあるようです。また、このギャップを飛び越えることが、初級から中級への最終関門の通過を意味するのでしょう。

そして、今までいい加減に覚えてきたことのつけが一気に表面化してきたのです。活用とか単語の発音とか助詞と動詞の組み合わせとか、そういった事柄の正確性のなさが、中級を目前にした学生たちの足を引っ張っています。これはきちんと定着させてこなかった教師の側にも原因があり、私たちも大いに反省しなければなりません。文法事項が学生の頭にこびりつくまでしつこく練習してこなかったから、初級を卒業しようかというときに馬脚を現してしまったのです。

原因を分析したところで学生たちの実力が急に伸びるわけではありません。しかし、初級最後の学期の残り半分で、学生たちの穴を1つでも埋めていくことが、私たちに課せられた仕事です。

全員出席

5月11日(月)

やっぱりクラス全員がそろうと気分がいいですね。教室に入った瞬間パッと見渡して空いている机がなく、出席を取って全員から返事があると、こちらも気合が入るというものです。学生たちも、スカスカの教室より友達が全員顔を見せているほうがやる気が湧くんじゃないのかな。教室は多少狭く感じるくらいでちょうどいいのです。

もちろん、日本語学校のような20人ぐらいのクラスの教え方もあれば、10人ぐらいのクラスや数人規模の学習者への教え方もあります。だから、20人のクラスで10人欠席したら10人クラスの教え方をすればいいというものではありません。表面的にはそうするかもしれませんが、学生側の気持ちや教師のノリが10人のクラスで10人が来たときとは大きく違うのです。

私は、欠席が多かったら、出席した学生に出てきた甲斐があったと思ってもらえるような授業を心がけます。何かそういう目標を掲げないと気力が続きませんし、スーパーの雨の日サービスじゃありませんが、お得感も持たせないとね。

今日のクラスは最初から全員出席で、気持ちよく授業ができました。予定よりみっちりした授業ができました。密度の高い授業は、学習者の数が少ないときにできるものではなく、最適の学習者数のときになされるのであり、その最適の学習者数とはクラスの学生数なのです。

ここしばらく誰かが欠席しているという状態が続いていたので、なんだか学生の顔つきも明るく感じられました。これは私の思い込みも入っているでしょうが、今日の教室に活気があったことは確かです。明日は別のクラスですが、またこういう授業ができるといいと思っています。

教科書を買う

4月8日(水)

日中の気温が5度を下回り、みぞれがちらついた寒い1日でした。かなり強力な寒気団が南下しており、しばらくは冬に戻ってしまったかのような日が続きます。そんな中、新学期が始まりました。

私は教科書販売を担当しました。場所が地下室でしたから、キンキンに冷えた打ちっぱなしのコンクリートに囲まれて、暖房をいくら強くしてもどこかうすら寒かったです。

ただ、学生たちは非常に素直に教科書を買っていきました。一昔前なら、この教科書は先輩にもらうからいらないとか、この薄さでこの値段は高いとか、国で使っていた教科書とだいたい内容が同じだから買う必要がないとか、いろいろと難癖をつけて言い訳を構えて買おうとしない学生が少なからずいました。今日の学生たちは、これが必要だと言われればその通りに買いました。

進学を考えている学生が大半で、日本語力がつくなら数千円の教科書代など安いものだと考えているのでしょうか。それだったらなおのこと、教科書選びや教科書作りの責任が増します。その教科書を通して学生たちに何を伝えるのか、その教科書の力をフルに引き出して学生の力を伸ばせるだけ伸ばしているか、新しい教科書に寄せている学生たちの期待を裏切らない授業をしているか、自問自答したくなることが次から次へと出てきました。

午後からは授業。今日は先学期の復習でしたから教科書は使いませんでしたが、身が引き締まる思いの1日でした。

夢を壊す

4月7日(火)

昨日の入学式の挨拶では学生たちに希望を持たせるような話をし、今日の受験講座のオリエンテーションでは学生の夢をぶち壊すようなことを言う――全くもって正反対のことをしています。話しながら、嫌なやつだなと思いました。でも、受験は現実であり競争であり、自分を直視できなければ勝てません。夢と現実との距離を正確に把握し、その距離を埋めるためには何が必要かを認識しなければ第一歩が踏み出せません。

国立大学に入りたいという気持ちはよくわかりますが、国立大学は全国の日本語学校生のみならず、国外(=学生たちの母国)から出願する学生にも人気の的です。国でいい大学に入れなかったから日本でいい大学に入る、などという考えは、あまりにも日本の大学をバカにしています。国でいい大学に入れなかった学生は、よほど奮起しない限り、日本のいい大学にも入れません。

KCPは進学してからのことも考えて教育しています。学生を大学に入れるだけなら、たとえば問題集をひたすらゴリゴリやれば何とかなるでしょう。でも、それでは大学で学生の人生を形作る勉強などはおろか、ろくな交友関係も築けないでしょう。そうならないように、自ら考え発信できる人間に育ってもらおうと思っています。

これは学生にとっては楽な勉強にはなりません。高すぎる要求かもしれませんが、私たちはそういうことを考えて学生に対しています。留学生活は楽しいことばかりじゃありません。特に進学を考えている学生には、自ら進んで苦難の道を歩んでもらわねば困ります。だから、容易に夢は叶えられないという意味をこめて、厳しい話をしたのです。

伸ばせなかった

3月27日(金)

成績表をまとめていると、この1学期に伸びた学生とそれほどでもなかった学生とがはっきりしてきます。

Tさんは打てば響くような学生で、なんでもぐいぐい吸収していきました。すばらしい成績でしたから飛び級を勧めたのですが、自分は1つずつ階段を上がっていきたいとのことで、通常の進級をすることに。

Dさんは、授業中はちょっと斜に構えたような態度をしていましたが、自分がわからないこと、知らないことを扱っているときは目の色を変えて真剣に聞いていました。すばらしい成績とは言い難いですが、着実に力を伸ばしたと言っていいでしょう。

Lさん、Fさん、Cさんも、授業中はおとなしいですがこちらの意図することをきちんとくみ取り、力をつけてきました。もう少ししゃべってくれれば自信を持って次のレベルの先生にお渡しできるのですが…。

Yさんはがんばってはいたのですが、そのがんばりが形になりませんでした。Aさんも宿題は全てきちんと出していたのですが、合格点は取れませんでした。2人とも、学期の最後は他の学生との差が歴然としていました。努力をしていただけに、次学期も同じレベルをもう一度勉強しなさいと伝えるのに辛いものがあります。これに対して、Hさんは大した努力もせず欠席も多かったですから、伸びなかったのも当然です。

Bさんも伸び悩み組みでしょう。同じぐらいの力だったGさんは順調に力をつけて成績上位に食い込んだのに対し、Bさんは不合格点を取ってしまいました。自分ではできるつもりみたいなのが厄介なところです。Gさんはきちんと予復習をして実力を積み上げてきたのに、Bさんにはそういう緻密さがありませんでした。やるべきことをやった人とやらなかった人がこんなに違ってくるっていう好例になってしまいました。

伸びた学生も、次の学期は当然勉強が難しくなりますから、油断せずに取り組んでもらいたいです。伸びなかった学生は、今学期の自分をきちんと分析して敗者復活につなげてもらいたいです。

教える立場からすると、Tさんは自然に伸びた学生、Lさんたちは伸ばせた学生、YさんやBさんは伸ばせなかった学生、Hさんは伸びようとしなかった学生ということになるでしょうか。伸ばせなかった学生に対して何かできることはなかったかというのが、新学期が始まるまでの宿題です。

伝わったかな

3月24日(火)

今学期の授業が終わり、あとは期末テストを残すだけです。と言っても私の通常クラスの授業は昨日で終わっており、今日は受験講座・物理と来学期の受験講座・英語のレベルテストの監督でした。午前中は私が受け持っていた上級クラスの期末テストを作りました。

この学期の卒業生の多いクラスは、とかくあわただしさに追われて終わりがちですが、何か1本筋を通さないと卒業式後に残る学生たちに対して失礼です。私としては、それを中間テストと期末テストを通して示したつもりですが、明日期末を受ける学生たちに伝わるでしょうか。

昨日は初級クラスの最後の授業でしたが、君たちはこの3か月でずいぶん進歩したよっていうメッセージを十分に伝えられずに終わってしまったような気がします。短文を重ねて物を言うのがやっとだった学生たちが、含みや余韻を残す言い方ができるようになったんですからね。何名かはそこには遠く及ばず、もう一度同じレベルをやってもらうことになりそうなのが少々残念ですが…。次に彼らに会うのは、中級か上級の教室でしょう。それまでにさらに力を伸ばして、私を大いに驚かせてほしいです。

受験講座は6月のEJUを控えた来学期が本番ですから、通常クラスほどセンチな気分にはなれません。授業外でもフル回転することになるでしょう。物理の時間に青色LEDなんて余計な話までしちゃいましたが、次の学期はそんな暇があったら過去問の1つも解かなきゃならないでしょうね。

直す?

3月13日(金)

卒業式が終わると上級クラスの授業がなくなって楽になるかと思いきや、今日は早速I先生の代講が入ってしまいました。期末テストでしかるべき点を取れば中級クラスに上がる学生たちのクラスです。初級のいちばん最後ともなれば、もうかなりのことがわかります。今学期受け持ってきた初級クラスの学生たちもだいぶいろんなことがわかるようになったと思っていましたが、それよりももう1つ上のクラスですから、さらにもっとわかっている感じがします。もちろん上級と比べたらいけませんが、このぐらいわかればとりあえずどうにかできるんじゃないかな。

授業の最後に、作文の清書がありました。先週I先生の時間に書いて、I先生が添削・採点なさったのを学生に返し、チェックが入ったところを直して書くのです。誤字脱字の類は誰が見ても同じですからいいのですが、表現方法に関するものとなると、すぐにはわからない場合も出てきます。本当に初級の作文なら、表現方法も限られていますから、ちょっと読み返せば赤を入れた意図がわかります。しかし、このクラスぐらいのレベルになると、学生が使える表現にバリエーションが出てきますから、教師によって直し方に違いが出てきます。どうもI先生と私とでは直し方の癖が違うようで、その調整が今日の授業の中での一番苦労した点でした。

おそらくこれはI先生と私との文体の違いによるところのものと思います。I先生のお書きになった文章を読んだことはありませんが、たぶん私とは違うリズムの文章なのでしょう。最近はあまり作文の授業をしていませんでしたから、いつもとは違う刺激を受けました。清書した作文を提出してもらいましたが、これをさらに私流で直すと、学生たちは困っちゃうかな…。