Category Archives: 教師

存在感

12月9日(水)

教室に入ると、今まで出席率100%のJさんがいません。電車が遅れても9時前には必ず教室にいたのに、Jさんの定位置の机にかばんも何もありませんから、トイレでもなさそうです。いったいどうしたのだろうと、出席簿に挟んである書類を見ると、入試のための欠席届が出ていました。

Jさんは特別発言が多い学生ではありませんが、いないとなるとどこか不自然さを感じます。授業中に教室全体を見渡してJさんの姿が見当たらないと、なんだか調子狂うんですよね。Jさんには、それだけ無言の存在感があったのでしょう。

同じく、KさんとPさんも欠席でしたが、この2人は今までにもよく休んでいたので、特に何も感じませんでした。「ああまたか」と思うこともなく、「まったくもう」と怒りを感じることもなく、欠席を受け入れているのです。クラスを担当する教師として、学生の欠席を当然のことと思ってはいけないのですがね。まあ、それぐらい、この2人は、Jさんとは違って、私の心の中に存在感がないのです。

このクラスに限らず、毎学期受け持つどのクラスにも、KさんやPさんのような学生がいます。昨日のクラスではGさん、Sさんでしょうか。遅刻して教室に入ってくる姿に、腹も立たなくなっています。注意はしますけれども、GさんやSさんほどの常習犯になってくると、注意に身も入りません。言っても無駄だろうなと思いながら注意しても、効き目は半減ですから、悪循環に陥っています。

Kさん、Pさん、Gさんは、Sさん、考えてみればかわいそうな人たちです。同じ授業料を払っているのに、Jさんほど目をかけてもらえないんですからね。私にもっと熱き血が流れていれば、様相は違ってるんでしょうが、現実は彼らの空席を見ても心拍数すら変わりません…。

スクランブル発進

11月12日(木)

午前中授業のあと、お昼から面接練習4連発…のはずが、風邪でお休みのK先生の代講をすることに。授業直後の1発目の面接練習を終えて机に戻ると、代講の用意がすっかりできあがっていて、配布物などが机に積み上げられていました。文法と漢字の教科書を持って教室へ。スクランブル発進です。

手元に教案などあるわけがなく、授業内容のメモと教科書を見比べ、学生の反応を確かめながら授業を進めていきます。「みんなの日本語」だったら、すばらしい授業はできなくても、合格点はもらえる授業ぐらいならどうにかする自信があります。もう少し正確に言うと、どうにかしてしまう度胸があります。突き詰めて言えば、初級の授業とは授業内容をいかにして学生に印象付けるかなのです。

私は、文法のポイントを説明することには自信があります。その得意な領域に持ち込むため、学生たちの頭を目的とする文法にどう結びつけるか、そこを必死に考えます。鉄板の導入法やドリル法を持っているわけではありませんから、その場の雰囲気をつかんで、自然な流れの中で気が付いたら新しい文法の勉強をしていたという形に持ち込もうと考えます。自分の全感覚を振り向けないと空気がつかめませんから、これは結構疲れます。同時にスリルも感じます。このスリルが味わいたくて初級の授業をやってるなんて言ったら、変態じみてますかね。

代講が終わったら、また面接練習。「家族は何人ですか」なんていう頭から、「TPPの関税撤廃が日本経済にどのような影響を与えるのか関心があります」なんてことを考える頭へと、すばやく切り替えなければなりません。初級の代講とは全然違う脳みそを働かせながら指導します。

気が付いたら、どたばたしているうちに日はとっぷり暮れていました。

テスト作り

11月11日(水)

来週の水曜日が中間テストなので、その試験範囲が発表されました。私が担当している超級レベルは、試験範囲といっても試験前日までやったところという、何の情報にもなっていない発表です。超級ですから、たとえ勉強していない問題が出されてもそれなりに解けなきゃだめですよ。

来週水曜が中間試験ということは、火曜日までに問題を作らなければならないということです。昨日から問題作りを始めたのですが、明日は授業後は面接練習がしこたま入っていて、明後日は受験講座で時間が取れず、土曜日は会議、月曜日は受験講座と、一体いつ作る暇があるんだろうかという感じです。範囲はいい加減でも、問題は気合を入れて作らねば、一生懸命勉強してくる学生たちに失礼です。

この時期は大学の出願もありますから、志望理由を見てあげなきゃいけない学生がたくさん出てきます。Cさんもその1人です。一生懸命書いてきたのはいいんですが、Cさん自身も途中で何を書いているのかわからなくなってしまったことが、文章の上にありありと表れています。カッコいいことを言おうとしているんですが、企画倒れ気味です。そういう文章を、本人に事情聴取しながら書き直すのですから、時間がかかることおびただしいです。

それから、Oさんの推薦状も書き上げました。Oさんは、いい意味で書くべきエピソードが豊富ですから、思ったほど時間がかかりませんでした。それでも小一時間はかかりました。

その他、Sさんの進学相談、AさんとJさんの出願書類チェック、ZさんとKさんの理科の勉強法相談、Lさんの面接練習、さらに、明日は急に実習生が私のクラスを見学することになり、そのために授業内容をちょいと変えることに。気合を入れて問題を作りたくても、気合を入れる時間すらありません。問題を作る時間がなかったから中間テストなしってなったら、学生は喜ぶでしょうけどね…。

切りますか

10月22日(木)

Kさんは先学期末の受験講座説明会に出席し、申込用紙をもらっていました。でも、締切日までに申し込むのを忘れ、今日になって申し込んでもいいかと聞いてきました。

大学なら、履修登録締切日をすぎたら、絶対受け付けてもらえません。だから「ダメ」とはねつけることもできるのですが、ここは何かと日本語力に問題のある人たちがその問題をなくしていこうと勉強している学校ですから、そこまで冷たくしてしまうと、意欲のある学生から勉強するチャンスを奪ってしまいかねません。

かといって、学生の希望を何でも聞いていたら、かえって学生のためになりません。期日なんて守らなくても何とかなるって思うようになったら、進学や就職してからうんと痛い目に遭うことは明らかです。

こういう場合は、まず、本人の意図を確認します。Kさんは来春専門学校に入りたいといいます。とすると、受験講座じゃありません。Kさんと同期の学生たちは2017年の大学進学を目指していますから、Kさんがそういう学生向けの授業を受けても、あまりご利益はなさそうです。そういうことを踏まえて、Kさんには受験講座は受けなくてもいいというアドバイスをしました。そして、専門学校に出願したら必要となる面接の準備をしておくよう勧めました。

労働生産性って観点からすると、実に非効率な働き方です。でも、Kさんの満足げな後姿を見送ると、こういう仕事が私に与えられた仕事なんだろうなと思います。

倒れた???

10月20日(火)

9時10分前、午前クラスの教師たちの朝礼が始まってもE先生は姿を見せません。ゆうべ、「明日」の授業内容についてのメールを送り、それに対して10月20日という日付の入った教案を送ってきましたから、E先生が授業の日にちを忘れているとは思えません。事情を確認するためにE先生に電話をかけると、通勤途中に倒れて駅の救護室に運ばれていたことがわかりました。

午後クラスの先生に大急ぎで代講を頼みました。前半は漢字のプリントなどがありましたが、後半はE先生が独自の資料で授業をすることになっていましたから、どうにもなりません。これまた周りの先生からすぐ出てくる教材を借りて、急場をしのぎました。後刻E先生から送られてきた資料を見ると、私がお願いした授業内容を見事に反映した資料で、もしかするとこれを作るために寝不足になり、倒れてしまったのではと思えるほどの内容でした。

E先生は私の半分にも満たない年齢で、少なくとも見た目には不健康そうではありません。こういうふうに、若くてパワーがありそうな人が倒れたり病気になったりするたびに、何が健康を左右するんだろうかと考えさせられます。私のように食事も睡眠も不規則極まりなく、運動不足もはなはだしい者のほうが、よっぽど倒れちゃいそうなんですがねえ。酒煙草を全くやらないっていうのが、そんなに健康に効いているとも思えません。

いずれにしても、あれだけの力作が日の目を見なかったというのは、E先生自身が最も残念なはずです。さらに言えば、それだけの授業を聞きそこなった学生こそが最大の被害者かもしれません。次回のE先生の日に、その授業をしてもらおうかと、予定変更を考えています。

最後の粘り? 悪あがき?

10月12日(月)

Kさんは入学から先学期末までの出席率が50%で、退学勧告を受けています。学校としては、出席率があまりにも悪すぎるので、在籍の継続を認めず自主退学してもらおうと思い、先学期末からずっとそういう話をしています。しかし、Kさんは何とかして10月からも学校に残ろうとして、学期休み中も毎日のように学校へ来ては頭を下げ続けています。そんなことをしてもらっても、こちらは継続を認める気はまったくありません。

そもそも、Kさんは6月末の時点で出席率が悪いことで警告を受けています。にもかかわらず7月の出席率はそれ以下に悪化し、そこでまた叱られました。そのときに遅刻欠席したら帰国すると誓ったくせに、いつの間にかまた元の木阿弥となり、今に至っています。誓いの言葉を書いた紙を見せても、最後のチャンスをくれと粘っています。それだけの粘りを、なぜ学期中に出席することに発揮できなかったのかと問い詰めたいです。

情にほだされてKさんの在籍を認めると、結局Kさんのためにはなりません。頭を下げて殊勝な態度を示せば、過去のことは水に流してもらえて、どうにかなると思っているのでしょう。これ以上世の中をなめてかかるようになっては、いずれ大ケガをします。退学させることが、我々のできる最後の教育です。退学勧告を無視し続けるようだと、除籍処分にせざるを得ません。そうなるとKさんの経歴にきずがつきますから、そうなる前に退学届けを出してもらわねばなりません。

今もKさんはロビーのカウンター前で2時間以上泣き続けています。でも、優しい言葉をかけてやる気は、爪の垢ほどもありません。

テスト問題作成中

8月10日(月)

朝、チラッと雨が降って、打ち水効果で涼しくなると思いきや、かえって蒸し暑くなってしまいました。先週のような猛暑日ほどの暑さではありませんが、外に出るとそれとは違ったじっとりとした暑さが皮膚を覆ってきます。

そんな蒸し暑さにもめげず、今週の木曜日に控えた中間テストの問題を作っています。土曜日に漢字を、今日は文法の問題を作り、残る大物は読解だけです。でも、読解は以前に作った問題がありますから、それを元にすればそんなに大変な手間はかからないでしょう。そういう意味では、問題作成の山場は越えたとも言えます。

上級クラスは、自分で授業内容を決め、進度表を作り、実際の進度に合わせて授業を急がせたりのんびり進めたりし、中間・期末テストを作り、採点して今学期の合格・不合格を判定します。責任がすべておっかぶさってくるので肩の荷が重いことは確かですが、その責任の重さを楽しむこともできます。自分の裁量でどうにでもなるという意味では、自作自演みたいなところもあり、ワンマン社長的な面もあります。そこが楽しいのです。

これに対して、他の先生が担当なさっているレベルでは、その先生の思いを酌んで、その思いに沿って動く駒や兵隊のような役割を果たします。担任なら、そのクラスの他の先生の得手不得手を勘案し、自分がその調整弁になります。だから、単なる兵隊ではいけません。初級クラスは中間前日が私の授業日ですから、まあ、アンカーマンみたいな役目もすることになります。

さて、明日は私が問題を作っている上級クラスの授業日です。どんな顔をして授業をしようかな…。

文法脳

8月1日(土)

毎週土曜日は日本語教師養成講座の授業があります。先週から文法に入りました。日本語学習者に教える文法体系は、日本人が小学校から高校までに勉強する国文法の体系と若干違いますから、頭の中の配線を組み替えていく必要があります。また、そういった文法が、「みんなの日本語」など学習者の使う教科書にどのように反映されているかも見ていきます。座学をダイレクトに教壇に生かそうというわけです。

私は実際の文法のしくみと理論を比較したり、語句の意味を分析したりすることが好きですから、目にしたり耳にしたりした言葉や文章のかけらを起点に、文法の沼にはまり込んでいくことがあります。そして、そういうねちこち考えたことを誰かに語りたくなることがあります。日々の授業で学生相手にそんなことばかりしていたら、たちまちそっぽを向かれてしまうでしょうから、ぐっとこらえています。養成講座だと、そんな“成果”を少しは披露できます。いわば、養成の授業は私にとっては学会発表みたいなところがあるのです。

受講生のOさんは、そんな私の研究発表(?)に耳をじっくり傾けてくれます。また、次第に日本語文法を考える思考回路が築かれつつあり、こちらからの問いかけに的を射た答えが返ってくるようになってきました。急速に力をつけてきたような気がします。この勢いで伸びていけば、きっと修了までに日本語文法脳が確立されることでしょう。

理屈を語るばかりでは日本語教師は務まりませんから、その理論で自分が学習者に伝えるべき日本語を見つめ直し、学習者に伝わる形に噛み砕くことが必要です。伝わる形に噛み砕くほうは養成講座後半の演習コースで学んでいきます。まだ先は長く、苦しい思いもするでしょうが、初志を貫徹してもらいたいと思っています。また、貫徹できる力を持っていると信じています。

誰の志望理由書?

7月21日(火)

W大学の出願締め切りが迫り、出願予定者は大忙しです。いや、出願予定者を受け持つ教師のほうが学生本人以上に忙しいかもしれません。学生は自分のだけ考えればいいですが、教師は自分が受け持っている学生全員の面倒を見なければなりませんから。国の高校から取り寄せる書類や機械的に埋めていけばいい書類は、学生自身でもどうにかなりますが(というか、学生自身以外でどうにかできる人はいません)、志望理由書だけはそう簡単にはいきません。

YさんもWさんも私を忙しくさせている学生たちです。それぞれ書き上げては教師のチェックを受けて、ということになりますが、それが集中するこちらは結構な仕事量になります。YさんもWさんも、いまひとつ文章に切れがありません。それぞれ自分独自の決めぜりふがないんですね。これは誰でも書けるよねっていうことか、これと志望学科がうまくつながればすごいんだけどっていう内容とか、どうも詰めが甘いのです。

多くの日本語学校の先生方が、私と同じようにW大学に出願する学生の指導をしておいででしょう。教師の力に大差がないとすれば、合否の分かれ目は、結局は志願者本人実力に負うところが大きいというわけです。私が想像力をたくましくすれば、あるいは不合格になるはずの学生を合格させることもできるかもしれません。火のないところに煙を立てるがごとく、単に憧れでW大学と言っている学生の志望理由をでっち上げることだってできます。しかし、そうまでしてW大学に入ることが学生自身の幸せにつながるとは思えません。

わたしたちは進学のお手伝いはしますが、主体的に動くのはあくまで志願者本人です。志望理由のタネを持ってくれば、それをまいて肥料をやって、芽を出し葉を出すぐらいまではどうにかしてあげられるかもしれませんが、花を咲かせるのは学生自身の手によってです。それ以上手助けしたら、誰が大学に入るかわからなくなってしまうではありませんか。

W大学が第一陣で、この後いろいろな大学の出願が続きます。戦いは始まったばかりです。

例文

7月17日(金)

最上級クラスで文法の例文を書かせました。もちろん、ミスがないわけではありませんが、いくら考えても意味不明の文はありませんでした。初級だと複雑なことは書いていないはずなのに、何のことやら見当もつかないという文によく出会います。それに比べると、最上級まで上り詰めただけあって、語学のセンスを感じさせられます。

このレベルにまでなると、勉強が好きか日本語に対する勘が鋭いか生まれつき頭脳が優秀かのどれかでしょう。要するに、曲がりなりにも努力が続けられるか頭が切れるかだと思います。そのどちらでもない人たちは、ふるい落とされてきたと考えていいでしょう。選りすぐりの学生たちですから、文法の例文ぐらいどうっていうことないのでしょう。

このクラスは、それにとどまらず、語彙も漢字もよく知っています。N先生やK先生の話によると、文章もきちんと読みこなせているようです。こう書くとすばらしい学生の集まりのように見えますが、そのすばらしさが全国レベルかというと、未知数のところがあります。KCPの中でどんなに光っていても、他流試合に勝てなかったら学生たち自身の夢を叶えることはできません。他流試合を物にするには、したたかさも必要です。そこがどうなのか、現時点では読みきれません。

授業で志望理由書の書き方もしました。W大学への出願で苦労した人たちを除いて、まだピンと来ていないような顔をしていました。これから継続的に鍛えていかねばなりません。鍛えていけば必ず輝く素材ですから、慎重に、でも、大胆に、力を伸ばしていきたいです。