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請うた

1月23日(月)

超級の漢字の時間に「許しを請う」という文が出てきました。超級の学生たちはこれくらいの漢字はどうにかなりますから、ちょっと意地悪してみたくなり、「昨日許しを…」だったらどうなるかと聞いてみました。まず、当然のごとく、た形を作る規則どおりに「請った」という答えが出てきました。でも、学生たちは規則どおりだったら私がわざわざ聞くわけがないと訓練されていますから、半信半疑の顔つきです。スマホで調べた学生もいたみたいですが、正解にはたどり着けませんでした。

「請うた」と正解をホワイトボードに書くと、大学院の日本語教育専攻を目指す学生たちも含めて、「えーっ」という表情になりました。「大阪弁みたい」という感想もありました。「買うた」は学生たちも耳にするチャンスがありますからね。「請うた」を使った例文1つと、「問う―問うた」も同じパターンだと紹介すると、みんなノートにしっかり書き込んでいました。

KCPの超級の教材は、難関大学と言われている大学の留学生向け日本語教材よりもずっと難しいと、実際に進学した学生に言われたことがあります。そのぐらいの教材を平気な顔してこなしてしまうやつらに驚きと新鮮さを与えるとなると、こちらも相当な覚悟を持って臨まなければなりません。毎日「請うた」みたいなネタがあればいいですが、そうとも限りません。日々新しいことの連続のレベル1も大変ですが、超級も苦労が絶えません。

学校へ行ったけど何も学ぶことがなかった――では、授業料がいただける授業をしているとは言いかねます。かといって、小難しい理屈を教科書に盛り込めばいいというものでもありません。そんなバランスを取りながら、毎日授業しています。

報告

1月20日(金)

「先生、聞いてくださいよ。Lさんったら、M大学に受かってたんですよ」「え、本当ですか」「ええ、私が聞かなかったら、ずっと黙ってたかもしれませんよ、あの調子じゃ」と、授業から戻ってきたR先生は怒りをぶちまけていました。

確かに、学則上も、もちろん法律的にも、学生には学校や担当教師に大学合格の報告をする義務はありません。しかし、Lさんは受験前にさんざんR先生から指導を受けていましたから、R先生に受験の結果を報告するのが1人の大人として取るべき態度です。古い言葉でいえば、仁義です。

ところが、これができない学生がけっこういるんですねえ。調べてみると、M大学の合格発表は先週の金曜日でした。R先生は、その日も含めて、Lさんのクラスに3回入っています。それなのに自分から合格を伝えなかったのは、いったいどういうつもりなのでしょう。学生が教師や学校を踏み台にして、より大きく高く伸びていくことに異存はありません。でも、踏み台にも五分の魂と言いましょうか、不義理をはたらかれちゃあ、いい気持ちはしません。

落ちてもきちんと報告に来る学生がいますから、学生たちの国にはこういう文化がないわけではなく、個人の資質なのだと思います。そして、それを形成するのは、学校や家庭で受けてきた教育です。ここまで考えると、KCPにおけるしつけがいい加減だと、卒業生が進学先で低い評価を受けかねないことが見えてきます。他山の石などと言ってしまったら親御さんたちに申し訳ありませんが、戒めとしなければなりません。

理科の先生

1月18日(水)

金原先生は日本語も教えますか――受験講座・物理の授業終了直後、Sさんに聞かれました。受験講座でも教えていることを驚かれたことはありますが、日本語教師だとして驚かれたのは初めてです。Sさんは先学期から物理と化学の受験講座に出ていますが、私はSさんの日本語のクラスは担当していません。それゆえ、Sさんの目には、私は日本語教師として映らなかったのでしょう。

受験講座が始まってから10年以上、その前身の特別講座・数学を起点とすると15年以上にわたって受験科目に携わってきました。でも、あくまでも日本語教師が主で、理科や数学の教師は従という位置づけでした。また、校長として学校行事などでわりと目立つ仕事をしていましたから、私を理科の教師として認識している学生がいるとは思いませんでした。

日本語に関しては、初級から超級までどこでも教えます。初級のクラスで、「私はレベル1、2、3、4、5、6、7、その上のMSレベルの先生です」と言うと、ぽかんと口を開けて雲の上の学生を教える先生はどれだけすごいのだろうと、尊敬のまなざしで見つめられてしまいます。超級クラスで今学期は初級も教えると言うと、私が初級を教える姿なんて想像もつかないとか、初級を教えるときはとどんなことをするんですかとか、不思議そうな顔をされます。

日本語学校に勤めていますから、広い枠組みでは日本語教師ですが、私は幅広くやらせてもらっています。初級と超級では、授業の進め方も授業に対する心構えも学生への接し方も、みんな違います。また、日本語を教えるのと理科を教えるのとでは、使う脳ミソが違います。おかげで、波乱万丈の教師生活を送らせてもらっています。

いいよ×2

12月16日(金)

上級ともなると、授業中にコーラスすることがあまりありません。コーラスさせようとしても学生がなかなか乗ってきません。単語やら漢字やら文法やらを1つでも多く覚え、長い文章を少しでも速く読んでその内容を理解し、自分の考えをかっこよく書き表すことこそが、自分たちの喫緊の課題だと思っている節が見られます。

そんな上級クラスですが、コーラスさせちゃいました。「お昼、牛丼にしない?」「いいよ」「じゃ、今日はぼくがおごるよ」「いいよ、悪いよ」っていうスキットの、2つの「いいよ」のイントネーションをはっきり使い分けるという課題を出したら、コーラスになっちゃったんですねえ。自然なイントネーションは、学生たちにとって永遠の課題ですから、ネイティブたる教師の口真似を進んでしようとするのです。

ちょこっと練習したところできれいなイントネーションがすぐに身につくわけがありませんが、やらないよりはやったほうがましと考えているのでしょう。もちろん、ふだんから自然なイントネーションで話す学生もいますが、多くはイントネーションまで考えが及ばずに、頭の中に浮かんだ文を口から吐き出しているのです。このままではいつまでたっても“変なガイジン”の域を脱することはかないません。

教師側も、読解やら文法やらにかまけて、自然な話し方の練習には手が回りかねています。上級は、初級や中級の貯金で話している面が見られないでもありません。KCPの初級を経験していない、上級からの入学生が、入試の面接練習の段になって、イントネーションやアクセントの指導を受けていることもあります。

次の学期は卒業の学期です。こんなことを上級の学生への手土産にしてあげたいです。

吸収する

10月13日(木)

新学期は、新しい学生も来ますが、新しい先生方のデビューの時期でもあります。新人の先生は、自分のクラスの担任か、そのレベルの責任者である専任教師に事前に教案を提出し、チェックを受けます。そして指導を受けてから、授業に臨みます。

教えた経験がない先生の場合は、90分間20人の学生の前に立ち続けるということがイメージしづらいものです。学生から受けるプレッシャーも、自分の一挙手一投足が学生に与える影響も、計算できません。その強さ・大きさに驚き戸惑うことも多いです。

授業は演劇ではありませんから、教案は台本ではありません。常に予想外の反応があります。注文どおりの答えが返ってくるとは限りません。時には態度の悪い学生を叱る必要にも迫られます。「ここで学生を叱る」なんて教案に書き込んであるはずがありません。でも、最終目的地は決まっています。紆余曲折があっても、何とかその近くにまでたどり着かなければなりません。

しかも、ただたどり着けばいいというものではありません。学生に授業内容を理解させる、進歩したという実感を与えることが先決です。ことに、学生との関係が確立していない学期初めは、その理解の度合いを推し量るのも、結構難しいものです。そうすると、自分はゴールに到達したのか、まだその手前なのか、自分自身にもわかりかねることだってあります。

私もあっちこっちに引っ張りまわされて、新しい先生方の様子をじっくり観察できていませんから、どんな調子なのかわかりません。でも、レベル1の新入生と同じくらい、毎回の授業から何でも吸収して、3か月後には実力も度胸もつけていることと思います。

うん

10月7日(金)

Lさんは今学期の新入生です。プレースメントテストだけではレベルを決めることができず、本人にインタビューしました。

「国でどのくらい日本語を勉強してきたんですか」「半年ぐらい」「大学進学希望ですよね」「うん」「大学ではどんな勉強がしたいんですか」「アニメ。アニメ描きたい」という調子で、どっちが先生かわからない話しっぷりでした。Lさんの表情を見る限り、悪気があるとは思えませんでした。日本語学校にも通ったとのことでしたが、話す練習はろくにさせてもらえなかったんでしょうね。発音もひどかったですし…。

半年の勉強でJ.TESTのE級に受かったのですから、語学のセンスはあるはずです。でも、TPOに合わせた話し方は全くできません。もしかすると、教えてもらわなかったのかもしれません。テストで点数を取る勉強はしてきても、コミュニケーションを取る勉強はしてこなかったようです。

Lさんへのインタビューの前に、ここ1年ばかりの新入生のプレースメントテストのデータを見ていました。Lさんの半分どころか、そのまた半分にも遠く及ばない点数だった学生が、今では実にきれいな日本語を話すようになっている例が少なからずありました。Lさんが国で勉強し始めた半年前に入学していたら、J.TESTのE級はどうだかわかりませんが、話すことにかけては今の100倍も上手にさせることができたと思います。

KCPは進学に力を入れていますが、テストで点を取ることだけを目標にしているわけではありません。それ以上に、学生にはきれいな発音できちんとした話し方ができるようになってもらいたいと思って、教師は日々頭と体を使っています。

3か月後、半年後、1年後、そして卒業する時、Lさんはどんなふうに成長しているでしょうか。

明日までにお願いします

10月6日(木)

新学期の準備でどたばたしている時、Bさんが明日までに学校の書類がほしいと申し込んできました。志望校のH大学の出願締め切りが明日だと言います。書類の発行には3日かかると、入学の時から再三再四言ってきています。先学期末の授業でも、書類発行申請には余裕をもってと注意しました。Bさん同様H大学を志望する学生たちは、とうの昔に書類申請し、その書類を受け取り、もう出願しています。

Bさんは級にH大学出願を決めたわけではありません。先学期の最初のころから志望校として挙げていました。それなのに、出願締め切りの前日に至って必要書類の申請をするとは、今までいったい何をしてきたのでしょう。下手をすると、願書などの記入もいい加減かもしれません。おとといも、Bさんと同じクラスのGさんの出願書類に不備があったと、H大学から電話がかかってきました。Gさんはすぐに対応して、事なきを得ました。Bさんの出願書類に不備があったら、出願締切日を過ぎているからと書類を受け取ってもらえなくても、文句は言えません。

どうしてこういう計画性のないことをするのでしょう。確かに、人は追い込まれないと仕事をしたがらないものです。でも、進学は自分の人生がかかっているのです。それも第一志望の大学への出願です。それなのにこんなことをしているとは、本気度を疑いたくなります。申請書に書いた生年月日を見ると、Bさんは子供の年齢ではありません。苦労もせず、痛い目にも遭わず、この年になってしまったのでしょうか。

いろいろと厳しく注意して、Bさんの申請書を受理し、事務の方々に頭を下げて、新入生の対応で忙しい中、Bさんの書類を作ってもらいました。でも、こうしてBさんの願いを叶えてあげることが、果たしてBさんにとって幸せなのだろうかと思えてきます。私のきつい言葉もBさんの心に響いていなかったようだし…。

変わりました

9月27日(火)

今日のクラスは、私にとって今日が今学期最後の授業です。1週間前と比べても進歩は感じられませんが、最初の授業のころを思い浮かべると、塵も積もれば山となるで、力の伸びを感じます。

例えば、音読は自然に近いアクセント・イントネーションでできるようになりました。7月あたりは、学生たちに読ませると、根本的なところから直さなければなりませんでした。しかし、今日は重箱の隅をつつくような修正で済みました。また、そういう私の指摘で、自分たちの発音のどこがいけないのかすぐに気づくようになり、そして自分で正しい方向に歩み出せるようになりました。

文法でも、「これは硬い表現ですか」なんていう、勘が働くようになりました。例文はまだまだのところもありますが、中にはクラスの様子を習った文型に上手に取り入れて、思わずニヤッとしてしまう例文も出てきます。学生たちの頭が日本語で回転し始めてきたようです。

今学期の新入生は、良くも悪くも、学校に慣れたようです。最初は気弱そうだったHさんは、いつの間にか堂々と発言しているのと同時に、これまた堂々と9時15分過ぎぐらいに入室するようになり、さすがに教室の隅っこでですが、居眠りするようにもなりました。Cさんは、入学学期の上では大先輩のAさんと授業中におしゃべりしています。Jさんは、今日案内したビジネス日本語能力試験に興味を示しています。本当に受けるかどうかはわかりませんが、学校の予復習以外にそういう勉強をする余裕が生まれたのだとしたら、喜ばしいことです。

次の学期も、教師が学期初めをしみじみ思うくらい力をつけてもらいたいです。でも、新入生には慣れすぎないでもらいたいですね。

祝全勝優勝?

9月26日(月)

昨日千秋楽だった秋場所は、大関豪栄道が全勝優勝を飾りました。初場所の琴奨菊優勝の時は日本人力士として10年ぶりというのが話題となりましたが、豪栄道はカド番大関の全勝優勝は史上初ということです。

大関の全勝優勝ということで、相撲協会も含めて、世の中は来場所は綱取りだと騒いでいます。でも、ちょっと待ってください。そもそも、豪栄道は2年前に甘い審査で大関に上がり、その後、大関としてはぱっとしない成績が続いていました。今場所でカド番は4回目、いずれも15日間皆勤した末で負け越したという不成績によるものでした。ですから、2年前にもし大関に上がっていなかったら、今場所は小結で全勝優勝だったのです。来場所関脇になり、さあ大関取りっていう状況です。豪栄道の実力も、そんなものではないでしょうか。

そもそも、横綱の基準とは何かというと、「力量品格ともに抜群の者」であり、世間で言われている「2場所連続優勝」などというものは、どこにも述べられていません。品格はともかくとして、「力量抜群」の一例として、「2場所連続優勝」があるに過ぎないのです。“力量抜群なら2場所連続優勝ぐらいできる”とは言えますが、“2場所連続優勝すれば力量抜群だ”とは言いかねることは、明らかです。ことに豪栄道の場合、来場所優勝しても、それでやっと大関昇進に過ぎず、一歩譲ってもようやく名実ともに大関になっただけであり、横綱に昇進できるかどうかは、そのまた先のことです。

でも、来場所豪栄道が優勝したら、相撲協会も世論も、きっと豪栄道を横綱に昇進させるんでしょうね。そして、横綱豪栄道は横綱として十分な成績が残せず、精神的に辛い目に遭わされるような気がします。それで引退が早まったら、一番かわいそうなのは豪栄道です。数字による基準は、一見明快なようでも、こんな悲劇を生みかねません。豪栄道が来場所もその次の場所もそのまた次の場所も、全勝とは言わないまでもそれに近い成績を収めたら、私は諸手を挙げて豪栄道の横綱昇進に賛成します。

今週木曜日は期末テストです。教師はテストで点が取れた学生を進級させてしまいますが、本当はテストで測りきれない力も見た上で進級の可否を決めるべきなのです。点数だけで上げた学生が、上のレベルで苦しむ姿をいやというほど見ています。でも、学生を説得しきれずに、説得するのが面倒くさくて、上げてしまうんですよね…。

今年も始まりました

8月16日(火)

Gさんは入試の面接が迫っています。授業後、始めて面接練習をしました。私にとっても、今シーズン初の面接練習です。残念ながら、「初」を飾る面接にはなりませんでした。

まず、答えがどれも長ったらしい点です。しゃべればしゃべるほど焦点がぼやけていきました。どこに結論があるのかさっぱりつかめず、熱弁のわりには聞き手に与えるインパクトが弱い答えでした。あれもこれも言わなきゃと思って盛りだくさんにしていくうちに、自分でも何に対して答えているのかわからなくなってしまったんじゃないかと思います。

次に、何とかつかんだ発言内容に具体性が乏しい点です。志望理由も学習計画も将来設計も、すべてがGさん自身の中で熟し切れていませんでした。何かについて突っ込むと、慌てふためいて墓穴掘りに励むという最悪のパターンに陥っていました。こちらがこれ以上追究しても得るものがないだろうというあきらめの境地に至って、Gさんはようやく窮地を脱するのでした。

とどめは発音の悪さです。一生懸命話していることはわかりますが、日本語教師の私が聞いても聞き取りにくいのですから、外国人留学生の話に耳が慣れていない大学の先生方がお聞きになったら、チンプンカンプンかもしれません。このままでは、Gさんの情熱は空回りになりかねません。

こういう点を指摘すると、特に内容については、どう答えればいいかということを盛んに聞いてきました。答える内容があって、それを上手に伝える方法なら教えてあげられますが、答えそのものは自分で考えるべきものです。これができなかったら、大学に進学しちゃいけませんよ。

「初」はいつの年でもこんなレベルでしょう。ここを起点に教授と議論ができるぐらいのレベルにまで鍛え上げていくのが、毎年の私たちの仕事です。明日の上級クラスでは、早速面接の基本について説いていかなければなりません。