Category Archives: 教師

吸収する

10月13日(木)

新学期は、新しい学生も来ますが、新しい先生方のデビューの時期でもあります。新人の先生は、自分のクラスの担任か、そのレベルの責任者である専任教師に事前に教案を提出し、チェックを受けます。そして指導を受けてから、授業に臨みます。

教えた経験がない先生の場合は、90分間20人の学生の前に立ち続けるということがイメージしづらいものです。学生から受けるプレッシャーも、自分の一挙手一投足が学生に与える影響も、計算できません。その強さ・大きさに驚き戸惑うことも多いです。

授業は演劇ではありませんから、教案は台本ではありません。常に予想外の反応があります。注文どおりの答えが返ってくるとは限りません。時には態度の悪い学生を叱る必要にも迫られます。「ここで学生を叱る」なんて教案に書き込んであるはずがありません。でも、最終目的地は決まっています。紆余曲折があっても、何とかその近くにまでたどり着かなければなりません。

しかも、ただたどり着けばいいというものではありません。学生に授業内容を理解させる、進歩したという実感を与えることが先決です。ことに、学生との関係が確立していない学期初めは、その理解の度合いを推し量るのも、結構難しいものです。そうすると、自分はゴールに到達したのか、まだその手前なのか、自分自身にもわかりかねることだってあります。

私もあっちこっちに引っ張りまわされて、新しい先生方の様子をじっくり観察できていませんから、どんな調子なのかわかりません。でも、レベル1の新入生と同じくらい、毎回の授業から何でも吸収して、3か月後には実力も度胸もつけていることと思います。

うん

10月7日(金)

Lさんは今学期の新入生です。プレースメントテストだけではレベルを決めることができず、本人にインタビューしました。

「国でどのくらい日本語を勉強してきたんですか」「半年ぐらい」「大学進学希望ですよね」「うん」「大学ではどんな勉強がしたいんですか」「アニメ。アニメ描きたい」という調子で、どっちが先生かわからない話しっぷりでした。Lさんの表情を見る限り、悪気があるとは思えませんでした。日本語学校にも通ったとのことでしたが、話す練習はろくにさせてもらえなかったんでしょうね。発音もひどかったですし…。

半年の勉強でJ.TESTのE級に受かったのですから、語学のセンスはあるはずです。でも、TPOに合わせた話し方は全くできません。もしかすると、教えてもらわなかったのかもしれません。テストで点数を取る勉強はしてきても、コミュニケーションを取る勉強はしてこなかったようです。

Lさんへのインタビューの前に、ここ1年ばかりの新入生のプレースメントテストのデータを見ていました。Lさんの半分どころか、そのまた半分にも遠く及ばない点数だった学生が、今では実にきれいな日本語を話すようになっている例が少なからずありました。Lさんが国で勉強し始めた半年前に入学していたら、J.TESTのE級はどうだかわかりませんが、話すことにかけては今の100倍も上手にさせることができたと思います。

KCPは進学に力を入れていますが、テストで点を取ることだけを目標にしているわけではありません。それ以上に、学生にはきれいな発音できちんとした話し方ができるようになってもらいたいと思って、教師は日々頭と体を使っています。

3か月後、半年後、1年後、そして卒業する時、Lさんはどんなふうに成長しているでしょうか。

明日までにお願いします

10月6日(木)

新学期の準備でどたばたしている時、Bさんが明日までに学校の書類がほしいと申し込んできました。志望校のH大学の出願締め切りが明日だと言います。書類の発行には3日かかると、入学の時から再三再四言ってきています。先学期末の授業でも、書類発行申請には余裕をもってと注意しました。Bさん同様H大学を志望する学生たちは、とうの昔に書類申請し、その書類を受け取り、もう出願しています。

Bさんは級にH大学出願を決めたわけではありません。先学期の最初のころから志望校として挙げていました。それなのに、出願締め切りの前日に至って必要書類の申請をするとは、今までいったい何をしてきたのでしょう。下手をすると、願書などの記入もいい加減かもしれません。おとといも、Bさんと同じクラスのGさんの出願書類に不備があったと、H大学から電話がかかってきました。Gさんはすぐに対応して、事なきを得ました。Bさんの出願書類に不備があったら、出願締切日を過ぎているからと書類を受け取ってもらえなくても、文句は言えません。

どうしてこういう計画性のないことをするのでしょう。確かに、人は追い込まれないと仕事をしたがらないものです。でも、進学は自分の人生がかかっているのです。それも第一志望の大学への出願です。それなのにこんなことをしているとは、本気度を疑いたくなります。申請書に書いた生年月日を見ると、Bさんは子供の年齢ではありません。苦労もせず、痛い目にも遭わず、この年になってしまったのでしょうか。

いろいろと厳しく注意して、Bさんの申請書を受理し、事務の方々に頭を下げて、新入生の対応で忙しい中、Bさんの書類を作ってもらいました。でも、こうしてBさんの願いを叶えてあげることが、果たしてBさんにとって幸せなのだろうかと思えてきます。私のきつい言葉もBさんの心に響いていなかったようだし…。

変わりました

9月27日(火)

今日のクラスは、私にとって今日が今学期最後の授業です。1週間前と比べても進歩は感じられませんが、最初の授業のころを思い浮かべると、塵も積もれば山となるで、力の伸びを感じます。

例えば、音読は自然に近いアクセント・イントネーションでできるようになりました。7月あたりは、学生たちに読ませると、根本的なところから直さなければなりませんでした。しかし、今日は重箱の隅をつつくような修正で済みました。また、そういう私の指摘で、自分たちの発音のどこがいけないのかすぐに気づくようになり、そして自分で正しい方向に歩み出せるようになりました。

文法でも、「これは硬い表現ですか」なんていう、勘が働くようになりました。例文はまだまだのところもありますが、中にはクラスの様子を習った文型に上手に取り入れて、思わずニヤッとしてしまう例文も出てきます。学生たちの頭が日本語で回転し始めてきたようです。

今学期の新入生は、良くも悪くも、学校に慣れたようです。最初は気弱そうだったHさんは、いつの間にか堂々と発言しているのと同時に、これまた堂々と9時15分過ぎぐらいに入室するようになり、さすがに教室の隅っこでですが、居眠りするようにもなりました。Cさんは、入学学期の上では大先輩のAさんと授業中におしゃべりしています。Jさんは、今日案内したビジネス日本語能力試験に興味を示しています。本当に受けるかどうかはわかりませんが、学校の予復習以外にそういう勉強をする余裕が生まれたのだとしたら、喜ばしいことです。

次の学期も、教師が学期初めをしみじみ思うくらい力をつけてもらいたいです。でも、新入生には慣れすぎないでもらいたいですね。

祝全勝優勝?

9月26日(月)

昨日千秋楽だった秋場所は、大関豪栄道が全勝優勝を飾りました。初場所の琴奨菊優勝の時は日本人力士として10年ぶりというのが話題となりましたが、豪栄道はカド番大関の全勝優勝は史上初ということです。

大関の全勝優勝ということで、相撲協会も含めて、世の中は来場所は綱取りだと騒いでいます。でも、ちょっと待ってください。そもそも、豪栄道は2年前に甘い審査で大関に上がり、その後、大関としてはぱっとしない成績が続いていました。今場所でカド番は4回目、いずれも15日間皆勤した末で負け越したという不成績によるものでした。ですから、2年前にもし大関に上がっていなかったら、今場所は小結で全勝優勝だったのです。来場所関脇になり、さあ大関取りっていう状況です。豪栄道の実力も、そんなものではないでしょうか。

そもそも、横綱の基準とは何かというと、「力量品格ともに抜群の者」であり、世間で言われている「2場所連続優勝」などというものは、どこにも述べられていません。品格はともかくとして、「力量抜群」の一例として、「2場所連続優勝」があるに過ぎないのです。“力量抜群なら2場所連続優勝ぐらいできる”とは言えますが、“2場所連続優勝すれば力量抜群だ”とは言いかねることは、明らかです。ことに豪栄道の場合、来場所優勝しても、それでやっと大関昇進に過ぎず、一歩譲ってもようやく名実ともに大関になっただけであり、横綱に昇進できるかどうかは、そのまた先のことです。

でも、来場所豪栄道が優勝したら、相撲協会も世論も、きっと豪栄道を横綱に昇進させるんでしょうね。そして、横綱豪栄道は横綱として十分な成績が残せず、精神的に辛い目に遭わされるような気がします。それで引退が早まったら、一番かわいそうなのは豪栄道です。数字による基準は、一見明快なようでも、こんな悲劇を生みかねません。豪栄道が来場所もその次の場所もそのまた次の場所も、全勝とは言わないまでもそれに近い成績を収めたら、私は諸手を挙げて豪栄道の横綱昇進に賛成します。

今週木曜日は期末テストです。教師はテストで点が取れた学生を進級させてしまいますが、本当はテストで測りきれない力も見た上で進級の可否を決めるべきなのです。点数だけで上げた学生が、上のレベルで苦しむ姿をいやというほど見ています。でも、学生を説得しきれずに、説得するのが面倒くさくて、上げてしまうんですよね…。

今年も始まりました

8月16日(火)

Gさんは入試の面接が迫っています。授業後、始めて面接練習をしました。私にとっても、今シーズン初の面接練習です。残念ながら、「初」を飾る面接にはなりませんでした。

まず、答えがどれも長ったらしい点です。しゃべればしゃべるほど焦点がぼやけていきました。どこに結論があるのかさっぱりつかめず、熱弁のわりには聞き手に与えるインパクトが弱い答えでした。あれもこれも言わなきゃと思って盛りだくさんにしていくうちに、自分でも何に対して答えているのかわからなくなってしまったんじゃないかと思います。

次に、何とかつかんだ発言内容に具体性が乏しい点です。志望理由も学習計画も将来設計も、すべてがGさん自身の中で熟し切れていませんでした。何かについて突っ込むと、慌てふためいて墓穴掘りに励むという最悪のパターンに陥っていました。こちらがこれ以上追究しても得るものがないだろうというあきらめの境地に至って、Gさんはようやく窮地を脱するのでした。

とどめは発音の悪さです。一生懸命話していることはわかりますが、日本語教師の私が聞いても聞き取りにくいのですから、外国人留学生の話に耳が慣れていない大学の先生方がお聞きになったら、チンプンカンプンかもしれません。このままでは、Gさんの情熱は空回りになりかねません。

こういう点を指摘すると、特に内容については、どう答えればいいかということを盛んに聞いてきました。答える内容があって、それを上手に伝える方法なら教えてあげられますが、答えそのものは自分で考えるべきものです。これができなかったら、大学に進学しちゃいけませんよ。

「初」はいつの年でもこんなレベルでしょう。ここを起点に教授と議論ができるぐらいのレベルにまで鍛え上げていくのが、毎年の私たちの仕事です。明日の上級クラスでは、早速面接の基本について説いていかなければなりません。

鍛錬の夏

8月5日(金)

Aさんはクラスで一番質問が多い学生です。授業中、わからないことがあると、すぐ「すみません、〇〇はどういうことですか」「××について、もう少し詳しく説明していただけませんか」などときいてきます。中には非常に基本的な質問もありますが、私はそういうAさんの質問を決しておろそかにしようとは思いません。

教室の中では携帯電話は使用禁止です。ですから、わからないことがあってもググることはできません。わからないことをそのままにしておきたくなかったら、教師に聞くのが一番安全確実なのです。隣の学生に聞くこともできますが、その間に授業は遠慮なく進みます。わからないことが1つ解決しても、また新たにわからないことが2つぐらいできてしまいます。教師に尋ねれば、そこで授業が止まりますから、わからないことが増える心配はありません。

Aさんは、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という精神を自然に身に付けています。こんなことを聞いたらかっこ悪いと思って、教師の目を盗んでググろうとしたり母語で周りの学生に聞いたりそのまま打ち捨てようとしたりする学生も少なくないでしょう。それゆえ、Aさんの質問に答えることは、そういう多くの気の小さい学生の疑問を解消することにも直結するのです。このクラスの学生はAさんに大いに助けられており、Aさんはこのクラスのペースメーカーになっていると言ってもいいのです。

Aさんのクラスでは、他のクラスとは違った緊張感を覚えます。Aさんからどんな質問が出てもそれに対応できるようにって思います。Aさんが質問しなくても理解できるような授業の進め方を考えます。そうやって臨んでもAさんに質問されると、計画の抜け落ちを感じさせられるし、Aさんの質問に端的に答えられないと、伝えることの難しさを感じずにはいられません。

今学期は、Aさんに鍛えられているような気がします。

義務感

7月22日(金)

選択授業で、中級のドラマの聴解をしました。「ドラマの聴解」という選択科目名を見て、ドラマが「見られる」と思った学生が多かったようですが、この授業では映像は見せません。音声だけのソースのストーリーを追い、内容を把握し、さらにはそこに散りばめられている日本人の発想や習癖や生活など、もう一歩踏み込んで文化的背景までつかみ取ってもらおうという欲張りな授業です。

日本人なら鼻歌交じりで聞いていても十分理解できますが、中級の学生にとっては、1回聞いただけでは表面的な理解にとどまります。登場人物の名前を聞き取るのも一苦労だし、擬音語擬態語はとりあえずなかったことにして、聞き取れた単語をつなぎ合わせて一番太い幹をよじ登っていくので精一杯です。変な単語が耳についてしまったら、いつの間にか小枝の先にぶら下がっていたなんていうこともありえます。

教師は、幹のありかやそれがどちらに向かっているかをしっかり指示することはもちろん、枝についた葉や花や実にも目を向けさせていかなければなりません。JLPTの聴解問題などを解くだけでは得られるのとは違った種類の力をつけさせていくことが最大の仕事です。学生にとって、わざわざ日本へ来て、日本人の教師から教えを受ける意義は、こういうところにこそあるはずです。

学生が独習できることを教師が仰々しく取り上げても、学生はあまりありがたくないでしょう。多くの学生は、日本人の日本語教師に日本語を習うことに意義があると考えてこの学校に入ってきたのでしょうから、私たちはそれに応える義務があります。安くない授業料を受けとている側としての、サービスの提供義務です。私は、いつもそういうことを考えながら、授業を組み立てています。

懐かしい文字

7月11日(月)

私が担当する新しい超級クラスの名簿に、Lさんの名前がありました。Lさんは、新入学の学期に初級クラスで受け持った学生です。発言が多かったり成績がすばらしくよかったりしたわけではありませんが、授業に集中し、勉強したことを確実に物にしていくタイプの学生でした。その学生がこつこつと勉強を続けて、超級まで上り詰めたのです。

会うのを楽しみにしていたのですが、教室に入ってもLさんの姿がありません。チャイムが鳴り終わっても、全員の出席を取り終わっても、現れませんでした。Lさんのことを気にしつつオリエンテーションを進めていたら、Lさんは、20分後ぐらいに、遅延証明書を手に申し訳なさそうに入ってきました。そうだよね、Lさんがそう簡単に休んだり遅刻したりしないよねと安堵しました。

今学期は8月1日にスピーチコンテストが迫っているため、始業日にいきなりスピーチコンテストの原稿を書いてもらいました。週末にその旨を連絡しておいたのですが、多くの学生が自分の思いを原稿用紙上に表現するのに苦しんでいました。Lさんもそういう学生の1人で、授業中には書ききれず、図書室などで書いて持ってくるようにと伝えて授業を終えました。

午後の授業の後、机に戻ると、何人分かの原稿が置かれていました。その中に、懐かしい文字が。Lさんの原稿です。初級のときと全く変わらぬ、私より数倍上手で几帳面な楷書で埋められた原稿用紙がありました。初級からここまで、順調なことばかりではなかったでしょうが、その大波小波を乗り越えて、よく育ってくれたと思いました。

初級で教えた学生に中級や上級で再び出会うのは、教師として非常に大きな楽しみです。「初級の頃はいい学生だったのに…」とぼやきたくなる学生が少なくない中、順良な心を保っているLさんは、ひときわ光る存在です。そのLさんも、今学期は自分の大きな方針を決めなければならない学期です。今まで続けてきた努力で、もう1歩進んでもらいたいです。

1クール

7月9日(土)

4月に新しい事務教務システムが稼働して1クールになります。この3か月間、教職員一同、便利になったと感動したり、機械というかコンピュータープログラムの融通の利かなさを嘆いたりしてきました。

私は、自分たちの仕事をシステム製作者に伝えることの難しさを痛感しました。どんな作業をしているかを伝えるのですら、暗黙の了解の余地がない人が相手となると、その作業を細かく分解せねばならず、けっこうな負担となりました。さらに、個々の作業が有機的にどうつながり、どんな仕事が形作られるのかとなると、私たちにとっては自明のことでも、外部の人にとってはチンプンカンプンです。私たちがシステムに対して「まったくもう!」と思ったことの大半は、実は私たちの側に原因があったのです。

学生の要望にきめ細かく対応しようとすると、そのきめ細かさに比例して判断項目、判断基準が増え、部外者にはわかりにくい仕事の進め方になってきます。じゃあ、そういうこまごまとしたことをばっさり切り捨てられるかというと、そういうわけにもいきません。物ではなく人を相手にしていますから、その心に訴えかける仕事となると、機械的な割り切りばかりではすみません。

いってみれば、私たちの仕事の進め方は名人芸であり、伝統芸能です。それはそれで価値のあるものではありますが、それで自己満足に陥ってはいけません。合理的な仕事の進め方ができれば、さらに仕事を進化させられるはずです。そのための新システムであり、この構築のために自分の仕事を振り返ったことを、学校全体の発展につなげていかねばなりません。