Category Archives: 教師

聞く耳持たず

7月15日(土)

WさんがS先生に叱られています。「あなたは私の話を聞いていませんね。私が話しているとき、自分が話したいことをずっと考えています。そして、私の話が終わると自分が言いたいことを言います。私の質問には答えてくれません。あなたは日本語を話していますが、会話はしていません」

S先生の言い方はかなりきついですが、こういう学生がいつの学期も必ずいることは事実です。ちょうど去年のこの学期に上級クラスで受け持ったYさんもそんな学生でした。Yさんが進学相談に来た時、私はYさんの話を一言も聞き漏らすまいと集中して耳を傾け、Yさんの疑問点や悩みが少しでも解決するようにと情報を伝えたりアドバイスしたりしました。しかし、Yさんの反応は私の話を受けてはね返ってくるものではなく、あさっての方から新たな球が飛び込んでくるようなものでした。ですから、議論がさっぱり深まらず、私の回答がYさんのためになったのかどうかさっぱりつかめず、それこそのれんに腕押しのような無力感脱力感徒労感に襲われました。

学生たちは会話が上手になりたいと言います。だから話す練習をしたいと言います。しかし、会話の50%は相手の話に耳を傾ける役です。聞き役を務められない人は会話をする資格がないと言えましょう。ですから、S先生のお怒りはごもっともなことであり、Wさんには大いに反省してもらいたいところです。

会話が成り立たない人って、性格なのかなと思うこともあります。上級のYさんだってそうなのですから、単に日本語力の問題ではなさそうです。KCPでは一番下のレベルから「話を聞く」教育をしてきています。それでもWさんやYさんのような学生が出てきてしまいます。S先生のように、粘り強く叱り続けるのが一番なのでしょう。

いいとこ取り

7月4日(火)

養成講座の授業をしました。今学期と来学期は養成講座と日本語の通常授業と受験講座の3種類の授業を並行して進めることになります。使う脳みその場所が少しずつ違うので、忙しくもありますが、気分転換にもなります。

私はいろんな職場で働きましたが、どこへ行ってもつぶしが利くというか何でもこなすというか、何か1つをどこまでも深く追究するという仕事のしかたをすることがありませんでした。それはそれで面白いのですが、元研究者の端くれとしては、心のどこかに1つの分野を掘り進みたいという気持ちはあります。

私が養成講座で担当しているのは文法を中心とする科目で、掘り下げようと思えばいくらでも掘り下げられる分野です。独自の文法理論を打ち立てようなどとは思っていませんが、自分なりに日本語文法を矛盾なく理解したいとは思っています。私にとって日本語教師養成講座は、その成果の発表の場でもあるのです。

ですから、私の授業は、諸先生の理論のいいとこ取りをして、さらに私の実感を加え、それらを私の独断で組み合わせて、1つの体系っぽく仕上げたものです。ある先生の理論に沿って教えていこうと思っても、どこかに納得のいかない部分が生まれ、それを何らかの形で補っていくうちに、こんな形になってしまいました。

じゃあ、すべてのことが丸く収まっているのかといわれると、そうでもありません。疑問に思いつつ教えている部分もあります。日本語がわからない学習者に教えていく分には大きな問題は生じないだろうと頬かむりをしている項目も、実はあります。それがどこかは、学生には秘密ですけどね。

明日も授業です。授業を楽しみたいです。

1+1=3

7月1日(金)

日本語教育能力検定試験に備えての勉強会が開かれています。O先生やF先生が中心となり、出題される各分野について理解を深めていこうという主旨です。夏から秋にかけて鍛えていけば、10月の本番で大きな力が発揮でき、合格につながることでしょう。

私がこの資格を取ったのは20年も前の話で、養成講座に通っているときです。O先生やF先生はようやく物心がついたころでしょうか。私も、やはり、その養成講座が主催する対策講座のようなものを受けました。自分でテキストを読み込んで勉強してもよかったのですが、それだと要点を絞り込めないものです。また、自分の力がどのレベルなのかもつかめず、のんびり構えてしまったり必要以上に焦ってしまったりして、不首尾に終わる心配もありました。

今とは試験の内容が幾分異なりますが、文法や語彙や音声などの日本語そのものに関する分野と、広い意味での言語学、それから世界と日本の地理・歴史に関わるところは自信がありましたから、そこでがっちり点数を稼ぎ、教えた経験がないと答えにくい部分での失点をカバーしようという作戦を立てました。幸いにもそれが奏功し、合格できたという次第です。

こういう作戦を立てられたのも、周りと自分を比較できたからです。自分の強みと弱みがわかったので、強みをさらに強化することで弱みを補えばどうにかなりそうだというのが見えてきました。日本語教育能力検定試験は、ある基準点を取れば合格というのではなさそうで、それと同時に上から20%ぐらいに入っていなければならないようでしたから、“孤独な戦い”は独りよがりにつながりかねない要素がありました。

勉強会に参加している皆さんはどうでしょう。1+1が3になればいいですね。

チェック

6月5日(月)

朝、他の先生方がいらっしゃらない職員室で仕事をしていると、「先生、先週の土曜日のEJUをチェックしてもいいですか」と学生に声をかけられました。一瞬戸惑いましたが、すぐに、この学生は「先々週の土曜日に受けたEJUの模擬試験の結果を知りたいんですが、教えていただけませんか」と言いたいのだろうと見当がつき、「授業のとき、クラスの先生が結果を配りますから、それを見てください」と答えました。学生は納得した顔で去っていきましたから、当たりだったに違いありません。

まあ、こんな聞き方をしてくるようでは、そんなに好成績ではなさそうです。多少読解ができたとしても、230点止まりでしょう。もしかすると、初級の学生だったのかもしれません。

それはさておき、“チェック”です。今朝の学生は、どんな意味で“チェック”という単語を使ったのでしょう。「自分の目で見て(模試の結果を)確認する」という意味だとしたら、“チェック”本来の意味の土俵際で残っているかもしれません。しかし、「試験結果をくれ」という意味なら、遠慮がちに言おうとしたとしても、寄り切られているでしょう。上述の正解例は、EJUの模試を受けるぐらいの学生なら、既習の文法です。これドンピシャリじゃなくても、それに近い言い方はしてもらいたかったです。“チェック”という焦点の定まらない言葉に逃げてほしくないところです。

とはいえ、学生ばかりを責めるわけにはいきません。教室には“チェック”があふれています。「先生、志望理由書をチェックしてください」「宿題をチェックします」「忘れ物がないかどうか机の中をチェックしてください」…まだまだ例はいくらでも出てきます。これだけ日々“チェック”を聞かされていれば、土俵際用法が現れたとしても不思議はありません。

学生は教師の姿を映す鏡です。週明けからいきなり反省させられました。

職員室炎上

6月1日(木)

職員室は、朝から明日の運動会の色に染まっていました。各種目で用いる資材の最終チェックやら、競技スタッフの動きの確認やら微調整やら、各教師が明日の動きをシミュレートしながら手を動かしたり頭の整理をしたりしていました。私も競技役員をしてくれる学生に役割を説明したり、先生方に明日の仕事をお願いしたり、明日朝の現地での準備項目を話し合ったりと、“イブ”の慌しさを味わいました。ですが、私はスターターとか審判とかで出ずっぱりですから、そして、私の動きの良し悪しが運動会の成否を左右しかねませんから、当日に気力も体力も温存しておかなければなりません。今ここでヘロヘロになるまで頑張るわけにはいかないのです。

そんな職員室も、お昼前後は面接の学生が大挙して訪れました。運動会の準備もしばらく休戦です。ついさっきまで競技の小道具が広がっていた机で、中間テストの直しや進路の相談や遅刻しないようにするにはどうしたらいいかの話し合いなどが行われました。学校行事だからといって、学生指導の手を緩めるわけにはいきません。

私は、午後は受験講座。6月に突入しましたから、本番までに残された時間はわずかです。知識をぎゅうっと押し込んで、来週からの直前の追い込みにつなげていこうと思っています。本来だったら数回に分ける内容を1度に濃縮してしまったのです。学生たちが目を白黒させたのももっともなことです。

受験講座から戻ってくると、職員室は大変なことになっていました。あっちこっちで準備をしながら盛り上がっており、何だか本番みたいな雰囲気でした。今からこんなにテンションが高くて、明日は燃えかす状態になっちゃうんじゃないかと心配にすらなってきました。同時に、この学校の先生たちは本当にお祭好きなんだなあと思いました。

おいしいそうです、おいしいようです

5月19日(金)

中間テストが終わり、今学期もあっという間に後半戦です。その初日、私のクラスでは伝聞の「そうです」と推量の「ようです」を扱いました。中間テストの前に様態の「そうです」を勉強していますから、ここは学生たちの頭が混乱しかねない今学期の山場です。

ひと通り導入し、練習した後、やはり学生から質問がありました。ここで勉強していることは、要するにモダリティですから、そこにウェイトを置いて、学生たちが思い浮かべやすい状況を与え、違いを強調します。理屈をこねて説明しても、学生たちは理解してくれません。話し手がその「そうです」や「ようです」に込めている思いや、言葉の表面に出てこない意味を感じ取ってもらうのです。

一発で学生に正しい使い方を定着させられたら、それはすばらしい教師ですが、私はそんな力もありませんから、失敗しながら身に付けていってもらうという作戦を採ります。授業中に間違え、作文で誤用を犯し、そのたびに直されることで、学生の頭に正しい語感が堆積されていくのです。

同時に、私たち教師がふだん何気なく発している言葉の中から、“なるほど、こうやって使うんだ”という生きた例文を、自分の耳で発掘してもらいたいと思っています。こういう発見が多いと早く上達しますが、意味しか受け取っていないと、努力のわりに進歩が遅いという結果にもなってしまいます。

初級を担当すると日ごとに既習の範囲が広がっていき、それに伴って教師の語彙コントロールもどんどん緩やかになっていきます。そんなことを通して学生の力の伸びを感じるのが、密かな楽しみです。今学期も、「のに」とか「ばかり」とか「そうです」とか「にくい」とかが使えるようになったというか、意識して使って学生に手本を示さなければならない時期になりました。

鳥になる

3月2日(木)

Gさんが、もう1年KCPで勉強を続けることにしました。Gさんは去年の秋、早々とM大学に合格しました。しかし、国立大学受験準備にかまけていて、入学手続きを忘れ、入学資格を失ってしまったのです。

普通の大学は合格発表から入学手続きの締め切りまで2週間ほどですが、M大学は3か月もあり、また国立の試験対策に熱中していたこともあり、手続きを忘れてしまったのです。私もGさんと一緒に国立準備にばかり目が行ってしまったのがいけませんでした。担任教師なら、大所高所から学生を見守って、サポートしなければなりませんでした。学生と同じ視点、同じ視野しか持たなかったら、教師である意義がありません。

そうは言っても、カメラを引いて全体像を捕らえるアングルを確保するのは、文字で記すほど易しくはありません。学生と同じ地平から物事を考えることも必要で、同時に鳥瞰もしなければならないのですから。そのバランスが崩れると、今回のようなことになってしまいます。M大学の手続きをし忘れたのは、もちろん第一にはGさん自身の責任ですが、「M大学の手続きは終わってるよね」と、どこかで注意を向けさせてあげられなかったものかと思わずにはいられません。

明日、Gさんは見送られる立場ではなく、見送る側の一員として卒業式を迎えます。せっかく書いた卒業文集も、クラスの仲間と一緒にとった卒業制作の動画も、Gさんの手元へは来ません。強がりかもしれませんが、私の前では前向きな表情をしていることだけが救いです。

ランが咲く

3月1日(水)

今朝、学校に着くと、茜色の朝焼けが見えました。御苑の駅からKCPに向かってくると、最終コースは東西に走る道を東に進むことになります。私が学校に着く6時少し前は、先週ぐらいは真っ暗だったのに、それが朝焼けということは、朝が早まってきたということです。まだ空気は冷たいものの、もう3月、春が着実に近づいてきていることを感じました。

ロビーに雛人形が飾られました。七段飾りの結構立派なものです。休み時間や授業後には人だかりができました。3日は卒業式で授業がありませんから、初級クラスは明日ひな祭りをします。人形を見て「きれいだね」だけで終わりにしませんから、教師もしっかり勉強しておかなければなりません。

私のクラスのように卒業生の多いクラスは、講堂のステージを使って卒業証書のもらい方のリハーサルをしました。日本流の証書のもらい方は、学生たちは経験がなく、少し戸惑いながらも、卒業式に及んで汚点を残すわけにはいかないと、和やかな雰囲気の中にも真剣に手の出し方やお辞儀のしかたなどを確認していました。

春目前ですが、これから受験という学生もいます。職員室では面接練習をする教師と学生のペアがいくつも見られます。私も受験講座の直前にSさんから質問の答え方の相談を受けました。

その職員室に、ランの花が咲いています。頂き物のランを鉢に挿したのが育ったのです。去年もこの時季に咲きました。ランってなかなか花が咲かないものだそうなのに、KCPの職員室はよっぽど住み心地がいいのでしょう。それとも、何か不可思議なオーラが漂っているのでしょうか。

プレミアムフライデー

2月24日(金)

今月から最終金曜日がプレミアムフライデーと称して、早めに退社しましょうと国が旗振りをしています。中央省庁も3時に退勤することを勧めたとか。大手企業の中には半ドンにしたところもあるようです。

KCPは4:45まで授業がありますから、3時に退勤というわけにはいきません。午前授業の教師は…と言いたいところですが、今は受験シーズン最末期ですから、学生がいつ相談などに訪れるかわかりません。学生が図書室に残っている限りはスタンバイしておくに越したことはありません。また、出席率の悪い学生がひょっこり表れたら即座に指導しなければなりません。つまり、待ったなしで対応する必要がある事柄がうようよしていますから、そう簡単にプレミアムフライデーとしゃれ込むわけにはいかないのです。

金曜日は受験講座がありませんから、バス旅行の準備などで遅れていた仕事に手をつけました。そのすべてが卒業式前には片付けねばならない仕事でしたから、そういう意味でも、やっぱりプレミアムフライデーには程遠い1日でした。

でも、来月のプレミアムフラーデーは31日で学期休み中ですし、それに新学期の準備もたけなわになる前ですから、もしかすると早帰りも可能かもしれません。要するに、「今」が必要な仕事には「今」対応するほかないためプレミアムフライデーどころではなく、そういう仕事がない(少ない)時期ならプレミアムフライデーに乗ることもありうるというわけです。

国はプレミアムフライデーを通して個々に働き方を考え直してもらいたいようです。私たちも、学生に振り回されるだけではない時間の使い方を模索していきたいです。

代講

1月25日(水)

代講で初級クラスに入りました。初級で教えるときは、いつも上級の学生になってもなかなか定着しない初級の学習事項に力を入れます。というか、力が入ってしまいます。

今日のクラスでは、発音練習で長音がきちんと長音になっていなかったので、そこでまず爆発。学生は、とかく速く話せば上手だと思いがちですが、そんなことより丁寧に発音することが通じる日本語に近づく一歩です。話し言葉には「~してる」みたいな音の脱落や、「~しちゃう」みたいな2つ以上の音がくっついた形もありますが、それにもしかるべき規則があります。やたらとリエゾンさせてはいけません。

文法の時間は「~てくれます」「~あげます」でした。昨日の先生から「~てくれます」の復習をしてほしいと引継ぎを受けていましたから、それをいいことに、ここでもちょっと熱くなってしまいました。おかげで進度の遅れを少々増幅させてしまいました。「~てあげます」も、コンピューターの中に格好の教材がありましたから、それを使って練習していたら、結構時間を食ってしまいました。

上級の学生は必ずしもKCPの初級を通ってきているわけではありませんが、国の学校などで同じことを勉強してきているはずです。それでも「~てくれます」や「~てあげます」が正確に使えないということは、どこの日本語学習機関にせよ、そういった文法項目がきちんと教え切れていないということです。語学には間違えながら覚えていく側面がありますが、学習者がいつまでも同じ間違いを繰り返すということは、教え方か学び方に欠陥があるからにほかなりません。学び方は各学習者独自のスタイルもあるでしょうが、それをよりよいものに改良していく際には教師の力が欠かせません。

私が心ゆくまで文法の復習や導入や練習や発音指導などをしていたら、進度が今の半分になってしまうかもしれません。完璧主義はいけませんが、上級の学生から「願書を見せてもいいですか」などと願書チェックを依頼されると、初級のうちにそういう芽をつぶしておきたくなるのです。