Category Archives: 教師

出番なし

9月20日(木)

受験講座の時間が終わってもLさんはなかなか帰ろうとしません。私が帰り支度を進めていると、「先生、今からT大学に電話をかけます。ちょっと一緒にいてください」と声をかけてきました。Lさんは、今、ビザ更新中のため、手元に在留カードがありません。ですが、T大学の出願に在留カードのコピーが必要なのです。この場合、どうすればいいかということを聞こうとしているのです。

Lさんは上級の学生ですから、日本語で電話をかけたこともあるでしょうし、たとえかけたことがなくても教師が手伝ってやる必要などありません。でも、大学出願という一生がかかってくる手続きに関する問い合わせですから、いざというときの保険として教師を1人確保しておこうという気持ちもわかります。というわけで、しばらくそばで話を聞いていることにしました。

Lさんは少しびくつきながらも、話し方に多少強引なところもありましたが、在留カードがない場合はどうしたらいいかという一番肝心な質問の主旨は、きちんとT大学の担当者に伝えられていました。向こうからの返答を聞き取って理解するのに多少苦労していたようですが、住民票の写しで代替可能だということがわかり、ホッとしていました。すると今度は住民票の写しをもらうにはどうしたらいいかという疑問が湧いていましたが、これは私にでもどうにか答えられます。

最後まで私の出番はありませんでした。結構なことです。Lさんは初級から見てきており、会話がなかなかうまくならないと思っていましたが、この件に関しては当初の目的を立派に果たしました。成長を感じさせられました。

朝の電話

9月19日(水)

「はい、KCPです」「Jと申しますが、熱があるので学校を休んでいただけませんか」

電話の主は、上級の私のクラスのJさんです。自ら名乗ったところはさすが上級ですが、“休んでいただけませんか”はいただけません。ボケをかましてやることにします。

「休んでいただけませんかと言われても、休みにするわけにはいきませんねえ」「でも、体の調子が悪いです」「はい、そういうときは何と言えばいいんですか」「熱があるので学校を休んで……大丈夫ですか」

出た! どんな場面でも通用するオールマイティーワード・ダイジョウブ。初級の学生ならともかく、上級の学生には使ってほしくありません。困らせてやることにします。

「何がどう大丈夫なんですか」「熱があるので学校を休みたいです」「休みたいです? はい、レベル1」「ええっ? …休んでくださいませんか」「私が休むんですか。いやです」「いいえ、休むのは私です」「じゃあ、何と言って断ればいいんですか。もう一度きちんと言ってください」「休みたいんですがいいでしょうか」「私の後について一緒に言ってください。『熱があるので休ませていただけませんか』」「熱があるので休ませていただけませんか」

病人相手にちょっとかわいそうだったかもしれませんが、声の張りからすると微熱で念のため休む程度でしょうから、ちょっと訓練してやりました。上級には上級らしい話し方をしてもらいたいですから。Jさんにしてみれば、電話を取ったのが私だったというのが、運の尽きだったというところでしょう。

さて、Jさん、今度休む時はちゃんと言えるかな…。

電話をかけなければなりません

9月8日(土)

昨日レベル1のクラスで回収した文法の宿題をチェックしました。レベル1の最初のころは「~です」とか「~ます」とか言っていればいいのですが、期末テストが近づいてくると、反射神経だけではすまないような、頭を使わなければならない問題も出てきます。

例えば、“(駅で)危ないですから後ろから『押します』”とあって、この『押します』を適当な形に変換するというものです。直前の問題の答えが“~なければなりません”だからといって、惰性で“押さなければなりません”などと書いたら、教師の逆鱗に触れてしまいます。“いい天気ですから傘を持って行かないでください”というのも、何も考えずに答えているなと思われてしまいます。

そんな中に、“夜遅いですから、電話を『かけます』”という問題がありました。私の感覚では、「かけないでください」か「かけてはいけません」ですが、「かけなければなりません」という答えが少なからずありました。できる学生でもそう答えていました。もしかすると、学生たちの感覚では、夜遅いからこそ、友達や家族と思い切り話ができる、宿題や受験勉強が終わってからの貴重な気晴らしタイムだという意識があるのかもしれません。

私が学生たちと同じ年代のころは携帯電話がありませんでした(あっても非常に高かった)から、自宅から通っている友人に夜遅く電話をかけるのは気が引けました。でも今は、電話は個々人が所有するものですから、その人が夜型人間だったら、むしろ夜遅くかけるべきなのです。

言葉は生ものですから、その使われ方は世の中の動きにつれて変わっていくものです。「かけなければなりません」に×をつけながら、10年後にこの問題はどうなっているのだろうと思いました。まあ、そのころまでには、宿題の採点は教師するのではなく、AIの仕事になっていて、私の悩みなど雲散霧消するような気の利いた直し方をしているかもしれません…。

整理整頓

8月14日(火)

中間テスト。定期テストの日は、いつもとは違うクラスの試験監督をしますから、いつもとは違う教室のパソコンを使います。こういうときに私がすることは、デスクトップの整理です。私は、デスクトップ上にいろいろなアイコンが散らばっていると、気持ち悪くてなりません。自分が入るクラスの教室のパソコンは、週に1~2回チェックしますからデスクトップが満天の星状態になることはありません。しかし、中間テストや期末テストで入るクラスは、そうはいきません。好き勝手なところにショートカットやパワーポイントや動画や音声やワードなどが置かれ、このクラスの先生方はこれで平気なのだろうかと思わずにはいられません。

デスクトップにアイコンがたくさんあると、どれが本当に必要なものかわからなくなると思います。職員室の私のパソコンは、一目で把握できる程度の数のものしかデスクトップに置いてありません。画面左端から3行以内と自己規制しています。それよりも多くなったら、あまり使わないのをどこかにしまいます。たまに早々としまいすぎて、引っ張り出すのに時間を食ったり、またデスクトップに戻したりということもありますが、長期間の平均を取れば、片付けてしまったほうが効率的だと信じています。

じゃあ、ほかは何でも片付いているのかというと、決してそんなことはありません。パソコンの中の仮想的な机の上ではなく、リアルな机の上は書類が積み上がり、パソコンのモニターの横にはファイルが立ち並んでいます。こういうものを思い切って処分できたら気分がいいのでしょうが、なかなかそうもいかないところが辛いところです。

中間テストが終わり、採点すべき答案用紙や原稿用紙が、積み上がってしまいました。

病人を作る

7月18日(水)

これをお読みの皆さんは、「~しませんか」と「~しましょうか」の違いがわかりますか。「ます」の応用ですから、日本語学校では初級のうちでも比較的最初のころに勉強します。では、「~んです」はどんな時に使いますか。

これらは、一般の日本人にとってはあまりに日常的過ぎて、意味や用法を意識することなどありません。しかし、日本語学者にとってはこれらをいつどんな状況で使うかは大問題です。こういった文末表現は、使い方を一歩間違えると、相手に違和感どころか不快感を与えかねません。ですから、日本語教師としては、使い方をきっちり把握し、それを学習者に伝え、たっぷり練習させ、正しい用法を定着させなければなりません。

ということは、日本語教師養成講座では受講生に文末表現の明確な方たちを与えなければならないということです。感覚的に理解しているだけでは不十分で、日本語を習い始めてさほど時間の経っていない学習者に「ようです」と「らしいです」の違いが伝えられるくらいに、文末表現に精通していることが求められます。

「よ」「ね」のような終助詞も含めて、話し手が文全体をどういう気持ちで言ったかを表す表現をモダリティといいます。このモダリティを今期の養成講座受講生に講義したのですが、受講生の皆さんは今まで気にも留めなかった言葉遣いに目を向けさせられて、それこそ目を白黒させていました。

他人の話し言葉が気になってしょうがなくなりそうだなどと言っていましたが、それぐらい自分の身の回りの日本語に注意を行き届かせないと、日本語教師としてやっていけないと思います。まあ、気になってしょうがないというのは、日本語教師病でもあるんですが…。

声が若い

7月14日(土)

「はい…」「N先生のお宅でしょうか」「はい、いつもお世話になっております」「こちらこそお世話になっております。KCPの金原と申しますが、先生はご在宅でしょうか」「はい、少々お待ちくださいませ」…という電話のやり取りをした翌日、N先生から「家内が金原先生ってずいぶん声がお若いって言うんですよ」と言われました。自分では、最近声がかすれることもあり、年相応の声じゃないかと思っています。

N先生の奥様以外の方が聞いても声が若いとしたら、それは、ひとえに、毎日教室で発声特訓をしている(させられている?)からにほかなりません。20人を向こうに回して3時間クラスを仕切りまくるとなると、ただ単に大きな声を出せばいいというわけではありません。よく通る声、響く声を出さなければなりません。意識しなくてもそういう声が自然に湧いてくるくらいでなければ、日本語学校の教師は務まりませんね。

午前中、受験講座のEJU読解を担当しました。通常クラスよりも若干多めの学生を若干広めの教室に入れて、試験問題の解説をしました。その後、今年の大学入試の傾向などについて話しました。無意識のうちにいつもよりも声を張っていて、でもまだ出力に余裕がある自分に気が付き、だからやっぱり本当に声が若いのかなあなんて、うなずいている学生を見渡しながら、そんなことを考えていました。

私は普段はそもそもあまりしゃべらないし、しゃべっても大きな声は出しません。携帯電話の声も必要最小限です。だから、もし、この仕事をしていなかったら、元気なくぼそぼそとしゃべるおじいさんだったかもしれません。

火曜日から受験講座の理科が始まり、のど全開の日々が続きます。明日とあさってはぼそぼそと省エネで過ごしましょう。

微妙な間合い

7月10日(火)

新学期の初日は、教師のほうも緊張します。上級は持ち上がりのこともあり、それだと知った顔ばかりですからそうでもないのですが、中級や初級はまるっきり新しい顔と出会うわけですから、プレッシャーも感じます。今朝はどことなくそわそわしたベテランの先生方が大勢いらっしゃいました。

私も全然知っている名前のないクラスに入りました。そういえばこの顔はどこかで見たなあというのが2、3人いましたが、職員室で説教されているところだったり運動会の何かの種目でちょっと目立っていたりということで、私と直接的なつながりのある学生はいませんでした。こういう場合、最初にどのくらいの距離をとればいいかが意外と難しいんですねえ。1人でもよく知っている学生がいれば、その学生を突破口に距離を詰めていけるのですが、全員全然知らないとなると何か細工を施さねばなりません。

でも、私は1回の授業だけで学生に近づこうとは考えていません。半月ぐらいかけて信頼関係が築ければそれでいいと思っています。1学期は3か月ですから、残りの2か月でその信頼関係をベースに、クラスの学生たちを伸ばしていくことを考えます。学生のほうから相談を持ちかけられるようになります。こうして生まれたつながりは、その学生が卒業するまで続きます。

明日、あさってと、それぞれ別のクラスに入ります。そのクラスでも同じように信頼関係の種をまきます。じっくり育てて、学期末には大きな果実を収穫するつもりです。

アイコンタクト

7月5日(木)

久しぶりに、新入生のプレースメントテストの監督をしました。誰も知った顔のいない、水を打ったように話し声どころか物音一つしない静かな教室に入っていくのは、冷たいプールに足を突っ込むようなピリッとした感覚があります。「おはようございます」と挨拶してみても、新入生は私以上に緊張していて、わずかに頭を下げる学生が2、3名いただけでした。

最初の科目が始まると、問題を見たとたんに早くも苦笑いを浮かべる学生がいました。まじめな顔で取り組んでいても、解答用紙を見ると右から左へ文字を写しているだけだったりしていることも、毎度のことです。全然わからなくて、制限時間が来るまで退屈そうにしている学生も数名いましたが、机に突っ伏して寝てしまわないあたりが、新入生らしいところでしょうか。良くも悪くもお互いの距離感がわかりませんから、安全サイドに走っているのでしょう。

学生が机の上から消しゴムなどの小物を落としてしまったとき、それを拾って机の上に載せてあげると、国籍性別年齢を問わず、みんなニコッとします。距離がちょっと縮まったかなと思いますが、試験中ということもあり、それ以上接近することはありません。

最後の科目は、問題用紙と解答用紙を提出したら帰ってもいいことになっています。これは学期中の中間テストや期末テストと同じですが、プレースメントテストでは大きく違うことがあります。

中間・期末テストでは、提出した学生は教室を出るとき、私のほうに顔を向けて「さようなら」とささやきかけるか、会釈するかするものですが、プレースメントテストではそれがありません。この違いが1学期間の教育の成果なのかなと思っています。

私の教室にいた学生たちも、9月の期末テストではさようならと目で挨拶して帰っていくんでしょうね。

あっち、そっち、こっち、どっち

6月27日(水)

アメリカの大学のプログラムで来ている学生たちのクラスの授業をしました。私が担当するのは一番下のクラスで、表記もこれからというレベルです。ひらがなの清音濁音拗音はK先生が入れてくださいましたから、私は促音と長音を受け持ちました。

きっぷ、あさって、そうじ、がっこうなんていうレベル1の初めのころに勉強する単語はもちろんのこと、「ちょっとまってください」とか「いっしょにいってください」などという教室用語も取り上げました。「せいせき」は大学生には必須の単語ですから、初級の単語じゃありませんが例に出しました。「あっち、そっち、こっち、どっち」をジェスチャー付きでやったら喜んでいましたし、「みっつ、よっつ、むっつ、やっつ」なんてリズムよく言わせたら楽しそうに口を動かしていました。「かっぱ」などという、通常クラスでは絶対に例に出さないものまでグーグルの画像を見せて教えちゃいました。こういうことができるのが、このクラスの授業のおもしろいところです。

授業は、特に初級においては、いかに強い印象を残すかが、うまくいくかどうかの分かれ目だと思います。「あっち、そっち、こっち、どっち」によって、学生に日本語の促音の感覚をつかませられたら、今回の授業は成功なのです。まあ、本当にうまくいったかどうかは、明日ディクテーションテストをしてみないとわかりませんが…。

次にこのクラスを担当するのは来週です。予定表では疑問詞や動詞や形容詞が多少使えることになっていますが、さて、どうなっていることでしょうか。予定よりも進んでいても遅れていても、学生たちにどんなふうに教えていこうかなあと、今から楽しみにしています。

生活記録より

6月25日(月)

ある学生について調べるため、コンピューターに入っている面接記録を読んでいたら、“ビニ弁”なることばに出くわしました。前後の文脈からコンビニ弁当の略であることは想像がつきましたが、私は今までそれを“ビニ弁”と略すとは知りませんでした。

紙の辞書には載っていないでしょうから、インターネットの辞書を見てみました。すると、国語辞典系には載っていませんでしたが、俗語辞典や新しい言葉を集めているサイトにはちゃんと見出しがありました。もちろん、意味はコンビニ弁当。この面接記録を書いたのは私の年齢の半分も行っていないくらいの先生ですから、若い人たちは普通に使っているのかもしれません。

…と思ってさらに調べてみると、使われ始めたのは今から10年以上も前でした。しかし、使用者はあまり広がらなかったようで、ネットの調査でも「使わない」という意見が多数派でした。それどころか、死語と断じる意見もあるほどです。

コンビニベントウは8音ですから、略語が作られてもおかしくはありません。8音を4音に略す場合、イバラキダイガクがイバダイになるように、漢字の読み方を無視してでも、前半の最初の2音と後半の最初の2音となるケースが多いです。ビニ弁のように真ん中だけ抜き出す例は、あまり多くありません。航空母艦が空母、焼酎ハイボールがチューハイ(以上、8音ではありませんが)、訓読みが音読みになりますが大阪大学が阪大、非常にマイナーですが相武台前が武台になる例くらいしか思いつきません。このやり方だと、新宿御苑は“ジュクギョ”となりますが、こんな略語は聞いたことがありません。つまり、このような略し方は略す前の言葉と結びつきにくく、略語として定着しなかったのだと思います。

美に弁――“びにべん”+変換で、私のコンピューターではこう出てきます。ビニ弁と入力した先生は、“びに”+カタカナ変換+“べん”+変換と入力したのでしょう。それに対し、コンビに弁当は“こんびにべんとう”+変換で一発で出ます。その先生にとっては、この面倒くささを乗り越えてでも“ビニ弁”と入力したくなるほど、ビニ弁が日常語なのでしょう。おかげで、いい勉強をさせてもらえました。