Category Archives: 教師

声の本能

6月12日(金)

今朝、玄関のドアの鍵を開けて職員室に戻ろうとしたら、N先生がそのドアを開けて入って来られました。N先生のクラスは、先週の金曜日はオンライン授業でしたが、今週は教室での授業ですから、おいでくださったというわけです。N先生が出勤なさったのは、2月末以来、3か月半ぶりです。だからでしょうか、どことなく懐かし気にロビーを見渡していらっしゃいました。

気になったのは、声の張りでした。今までほどの響きがないように感じました。「うちにこもっていると、大きな声を出す機会がないから…」とのことでした。確かにそうですね。ご自宅でしたら、話す相手はせいぜい数人のご家族だけでしょう。教室では20人を向こうに回しますから、自ずと発声法が違ってきます。

オンライン授業だって、パソコンのマイクに声を拾わせればいいのですから、そんなに大きな声を出す必要はありません。理屈の上ではそうなのですが、やっているうちにいつの間にか大声を張り上げています。そして、授業が終わると、どっと疲れが出てくるのです。これは私だけではなく、KCPの先生はみんなそうです。オンライン授業の最中に廊下を歩くと、あちこちの教室から先生の声が響いてきます。教師とは、授業となると本能的に声が大きくなる生き物なのでしょう。N先生も、きっと、教室ではかつての美声で授業をなさったことでしょう。

今学期の授業は、来週で終わりです。東京はステップ3に入りましたから、このままいけば来学期は教室での授業が増えるのではと期待しています。その際には、今学期授業をお願いしなかった先生方にご登場いただくこともあるでしょう。先生方、のどのご準備はいかがですか。

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じっくり聞きましょう

6月9日(火)

教室での授業でも、換気をよくするため、ドアと窓を開けて行っています。隣のビル工事の音が入ってくることもありますが、教室内に空気がよどまないことを優先しています。しかし、聴解の授業となると、そういうわけにはいきません。確かに騒音の中での発話を聞き取らねばならない場面に出くわすことも多々ありますが、中級の学生にそこまで要求するのは酷というものです。

オンライン授業中も聴解の授業を行ってきましたが、学生たちの家のWeb環境によっては、音声が途切れてしまうこともあったそうです。教室なら学生の顔色をうかがいながら、聞き取れなさそうな個所を繰り返し聞かせたり、この言葉を教えれば理解が進むはずだという言葉を板書したり、小技がいろいろと使えます。

「じゃあ、始まます。聞いてください」と言って問題の音声を流し始めたら、1/3ぐらいの学生が何もせずに聞いていました。オンラインの時も、メモを取りながら聞くようにという指示を与えていたはずですが、この1/3の学生たちは、自分の部屋でボーっと聞いていたんでしょうね。できる学生を集めたクラスだと言われていたのですが、それでもこの程度です。他のクラスはどうだったのでしょう。

音声ファイルを送って学生に自宅学習してもらうというパターンもありますが、教師が補助線を引いてやらないと、何回繰り返して聞いても疑問点が解決しないこともあります。また、そういう切り分けが、オンライン授業や反転学習の長所を際立たせるのです。来週の火曜日も聴解の授業です。そんなあたりをもう少し深く考えて、授業を組み立てていきたいです。

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これから始まる

5月30日(土)

今学期の私は、日本語教師養成講座と受験講座にかかりっきりで、通常クラスにはほとんど関わってきませんでした。オンラインだと1人の教師が大勢の学生を相手にできますから、私がいなくてもどうにかなっていました。

来週の月曜日から、教室で授業を行うようになります。それで、クラス数が増えますから、私も駆り出されて授業をすることになりました。教える内容そのものは、以前に扱ったことがありますから、教室で戸惑うということもないでしょう。心配なのは、今までとは授業の進め方を大幅に変えなければならないことです。

まず、こちらはマスク+フェイスシールドで教壇に立ちます。やっぱりしゃべりにくいし鬱陶しいし、声も通りにくいですから、言葉を厳選して授業を組み立てなければならないでしょう。無駄話をしていると、フェイスシールドの内側が曇ってしまうかもしれません。要領よくしゃべらないと、こちらの意図が学生に伝わらないかもしれません。

それから、ペアや少人数のグループになって活動することも、「密接」につながりますから、避ける必要があります。教室の机の配置も、学生同士が面と向かい合わないようにしています。安易に、「じゃあ隣の人と…」などということができません。それに代わる何かを開発し、教師が一方的に講義する形ではなく、学生が受身にならないようにしていきます。これが結構難しいんじゃないかな。

さらに、授業後に机などを除菌したり、教室の窓を開けて換気したりという、授業の周辺事項が増えます。学生指導にも、感染拡大防止という観点が加わります。期末テストまで1か月足らずですが、新しい挑戦に富んだ毎日になりそうです。

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ひそかな祈り

5月16日(土)

今学期はもっぱら受験講座と養成講座を担当していますから、日本語のクラスには2回しか入っていません。それも新学期第1週でしたから、オンライン授業がどんな様子で進んでいるのか、実感としてつかめません。しかし、いつの間にか授業は進み、来週の月曜日は中間テストです。

授業を担当している先生方が一番苦心なさっているのは、オンライン向けの試験問題を作ることです。学生たちが目の前にいるわけではありませんから、言ってみればカンニングはし放題です。信用ベースでテストをして、正直者が馬鹿を見るような結果になったら意味がありません。各学生の評価もできなければ弱点も探れません。今後の指導に生かせるデータは何一つ得られないという結果にもなりかねません。ですから、先生方はカンニングできないテスト、しても労多くして功少なしとなるようなテストの作成に傾注なさっています。

私が上級クラスのテストを作るときは、問題を大きく2つに分けます。1つは学生に点を取らせる問題です。授業でやったことをあまりひねらずに出題します。この手の問題で合格点を確保させ、力の差が明らかになる問題で学生の力を測ると同時に、できる学生を満足させます。点を取らせる問題で点が取れない学生は、欠席が多いか授業を聞いていないか、さもなければ授業を聞いただけで全然勉強していないかのいずれかです。

力の差が見える問題は、ひねりを加えた応用問題です。これは、習ったことに自分の感覚も加味して答えを導き出します。たとえ教科書やノートを見ても、あるいは辞書を頼っても、水準以上の答えにはなりません。私が今学期のテストを作るとしたら、そういう問題にするでしょうね。

…と簡単に言いましたが、これはこちらの頭脳も試されます。納得のいく“作品”ができあがるまでにかなりの労力を要します。M先生とH先生がパソコンに向かっています。学生たちをうならせる問題ができることをひそかにお祈りしています。

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ついに

5月13日(水)

結局、6月のEJUは中止になりました。6月に行われる予定だったいろいろなイベントの中止は先月中に発せられたものが多く、まだ何の発表もないということは、EJUはこのまま突っ走るのかと思っていました。でも、力尽きたようです。

中止ももっともだよね。EJUの試験会場となる大学がキャンパスを閉鎖して学生を入れていないんですから、EJUの受験生だけ例外なんてわけがありません。だったら、もっと早く中止って連絡してくれよって言いたいです。出願締切が3月13日でしたから、4月に中止宣言というのは、しづらかったのかもしれません。でも、やっぱり、留学生って軽く見られてるのかな。

6月のEJUが中止になると、W大学やA大学のような出願や入試が早い大学は、選抜方法の変更を迫られます。去年の11月のEJUを受けていない志願者が多数いるはずです。そういう留学生にはどう対応するのでしょう。独自試験とするのか、面接を強化するのか、志望理由書などの書類審査の比重を増すのか、何かどうにかするのでしょう。これからは各大学の入試サイトを毎日確かめるくらいの気持ちでいないといけません。

学生たちには、うろたえるなと言いたいです。出所が不確かな情報に右往左往していたら、結局損をするのは自分自身です。こういう異常時にはデマがつきものです。信ずべき話なのか、信ずべからざる噂なのか、それを見極める判断力が求められます。「みんなが」とか「あなただけに」とか、そういう言葉に惑わされてはいけません。これは私たち学生を指導していく身にも共通です。情報に接したらその真偽を速やか判定し、伝えるべき人に確実に伝えることが、私たちに課せられた任務です。

EJU中止は、学生たち私たちにとっての緊急事態宣言です。

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不安を乗り越えて

4月27日(月)

今月の最初から続いていた日本語教師養成講座の講義が、とりあえず終わりました。オンラインで養成講座の授業をするのは初めてでしたから、やりにくさは最後まで拭えませんでした。

顔は一応見えているのですが、細かい表情を読み取ることは難しく、私の話がどこまで伝わったか、びくびくしながらの授業が最後まで続きました。受講生のみなさんは優秀なようで、こちらからの問いかけにはおおむね的確に答えてくれました。ですから、そこそこ理解が進んでいるのだろうと勝手に想像しています。

でも、ミュートが原則ですから、受講生のつぶやきが聞こえません。教室でやっていた時はそういう独り言を拾ったり受講生同士の会話を聞き取ったりして、理解の進み具合を測ってきました。今回はそれができなかったのがつらかったです。自分の授業が上滑りしているのではないかと、どこか不安を抱えながらの授業でした。

そういう引っ掛かりというかつまずきというか、うまく進まない要素が見えませんから、放っておくと教室での授業よりテンポよく進んでしまいます。それゆえ、意識して以前の内容に触れて、復習のきっかけを作りました。授業内容が相互に絡み合っているということが受講生に伝われば、教室での授業より効果が上がるかもしれません。

私の養成講座の授業はしばらくお休みですが、6月にまた何回かあり、7月は後半の授業も始まります。そのころまでオンライン授業が続いているかどうかわかりませんが、それに向けての対応は抜かりなく考えておかなければなりません。

受講生のみなさんは、明日、オンラインの会話の授業に加わります。実際に日本語学校の学生と話すのは、これが初めてではないでしょうか。うまくコミュニケーションができるだろうかと、なんだか緊張しているみたいでしたから、「わからない、伝わらないという経験も、学生にとっては大事な経験です」と、励ましました。

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1人1人の卒業式

3月16日(月)

朝から、卒業生が続々と証書を受け取りに来ました。一番早く来たのはOさんで、7時40分ごろでしたでしょうか。混んだ電車に乗るのは嫌だから空いている時間に来たと言います。いまどきらしい理由だと思いました。でも、カメラマンをはじめ、スタッフがまだ来る前でしたから、9時まで待ってもらいました。

Oさんを皮切りに、三々五々というより一々三々ぐらいの規模で学生がぽろぽろと来ました。オンライン授業中のため教師も全員いるわけではなく、ギャラリーは10名いるかいないかぐらいの教職員だけでしたが、それだけ非常に距離の近い証書の授与ができました。私も、手渡す学生全員に、以下同文ではなく、証書の文面をすべて読み上げました。そして、1人1人と記念写真を撮りました。用意した学生の寄せ書きコーナーの模造紙も、1枚目はすべて埋まり、夕方には2枚目に突入してしまいました。

それでも、お昼過ぎは学生が数名集まり、ちょっと渋滞もしました。しかし、見守る学生たちも穏やかで、自分の番になるとちょっとおどけて見せたりしていました。もちろん、卒業生たちは教師と思い出話に花を咲かせることも忘れてはいません。心のこもった「ありがとうございました」「お世話になりました」が、1日中聞こえました。

夕方、金曜日に証書をもらって東京を去っていったZさんから、引っ越しが無事に終わったというメールが入りました。義理堅いものですね。周りに知っている人のいない新しい環境で生活をはじめるのは、不安や心配がいっぱいあるでしょう。進学先の入学式もオリエンテーションも中止だとか言いますから、さらに心細さが募るのではないでしょうか。しばらくしたら、景気づけにメールを送ってあげましょうか。

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手作り感満載

3月13日(金)

今年は大勢が一堂に会するのは具合が悪いということで、卒業式を中止しました。でも、証書はぜひ学生に渡したいので、学生の都合のいい時間帯に学校まで足を運んでもらうことにしました。本当は来週の月曜日からと考えていたのですが、Eさん、Kさん、Fさん、Cさんが、午後、受け取りに来ました。

みんな、東京を離れる学生たちです。Kさんは明日出発だと言っていました。毎年、卒業式の直後に引越しをする学生がいましたから、そんなに珍しい話ではありません。でも、今年は卒業生を一斉に見送ることができず、個別に送り出すことになり、卒業生の個別な事情がより明確になり、それが別れの寂しさを強調しているような気がします。

そして、入学式やオリエンテーションが中止になったと言っていました。授業が予定通りに始まるかも、予断を許さない状況のようです。こればかりはいかんともしがたいものがあります。一抹の不安を抱えての門出となりそうですが、そんなことには負けないぞという強い意志を目の奥に宿らせていました。

ばらばらに卒業生が来るおかげで、教職員が卒業生に直接話し掛けるチャンスはいつもの年よりずっと多くなりました。四谷区民センターの雑踏に紛れてフェードアウトというのではなく、きちんと挨拶できます。Cさんのように、レベル1で入って超級まで上り詰めた学生は、関わった先生も多く、思い出話に花を咲かせていました。

私は例年のような“証書渡しマシーン”に化することなく、一人一人に文面を読み上げて手渡し、記念写真に納まりました。式こそできませんでしたが、それに勝るとも劣らぬ別れの場を設けることができました。災い転じて福となすとまではいかないでしょうが、少しは失点を挽回できたかなと思っています。

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見えない授業

2月28日(金)

おとといから、新型肺炎の全世界新規患者数のうち、中国が占める割合が5割を切ったそうです。武漢市と湖北省を犠牲にして中国全体を守ったようなものだと評しているジャーナリストもいます。日本はウィルス検査も満足にできない状況が続いており、漠然とした不安が上空に漂っています。

この漠然とした不安を取り除くのは、理詰めな説明や解説ではありません。頭では理解しても、心のもやもやが晴れることはないでしょう。安心感を与えるほかはないのですが、具体的にどうすればいいのかとなると、安倍さんもだれも、確たる答えを持ってはいません。

学生たちに安心感を醸し出せるかどうか自信はありませんが、KCPもオンライン授業を開始し、学生たちが満員電車に乗らなくてもいいようにしました。昨日の夜は、その準備で全教職員が大わらわでしたが、そのおかげか、初日は大きなトラブルがないまま切り抜けられました。

学生たちも期待していたのでしょうか、初級から超級までかなりの出席率でした。初日は珍しさも手伝ってという面もありますから、授業内容の真価が問われるのは来週からです。飽きられて昼間で寝ていられたり、形式的に接続しただけで実質的に何もしなかったりなどということが起きては困ります。

そういうことを起こさないように、頭をひねり、腕を振るうのが教師の役割です。月曜日は私がカメラの前に立ちます。目の前にいない大勢の学生に対して授業をすることには慣れていませんが、どうにか引っ張っていかなければなりません。教材を厳選し、教案を立て、いつもの数倍気合を入れて授業に臨みます。

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「来る」の尊敬語

2月6日(木)

「みんなの日本語」には、て形をはじめいくつかの山があります。その最後の山が敬語と言っていいでしょう。尊敬の動詞には、例えば、「食べます」に対して、「食べられます」「お食べになります」「召し上がります」と最低3つあります。しかも、「召し上がられます」などとすると二重敬語となり、敬意が増すどころか非文法的な表現になってしまい、かえって失礼に当たりかねません。「お食べになります」はよくても、「お見になります」は使えません。「お読みになります」は尊敬語ですが、「お読みします」は謙譲語ですから目上の人の動作に使ってはいけません。いや、そうとも言い切れない状況を設定することができますから、よけいにややこしいのです。

この敬語について、養成講座で話しました。毎度のことですが、日本語教師を目指そうという、日本語に対する意識が高い方々も、いきなり敬語について質問されると、正しく答えることは難しいものです。「来る」の尊敬語は「いらっしゃる」以外に何があるかと聞かれたら、すぐに答えられますか。ポンポンポンと3つぐらい立て続けに言えたら、日本語力に相当自信を持っていいでしょう。

養成講座の敬語は、もちろん、尊敬語や謙譲語を暗記してそれで終わりではありません。待遇表現というもう一回り広い範囲の文法の一部としてとらえます。待遇表現とは、話し手と聞き手、書き手と読み手の人間関係や、その言葉が発せられる状況・場面などに応じて用いる各種表現です。こういう文や口のきき方は失礼になると考えることが、待遇表現なのです。

…ここから先は、KCP日本語教師養成講座でお話ししましょう。

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