Category Archives: 社会

不安

12月3日(木)

今週は学生たちにマイナンバーについてのお知らせをし続けています。留学ビザで日本に滞在する学生も、マイナンバーの対象者だからです。私のクラスの学生はみんな進学希望なので、専門学校に入ったとしても、あと2年は日本にいますから、マイナンバーのお世話になることがきっとあるでしょう。

各方面で報じられているように、マイナンバーの配布は遅れているようですが、私のところには先月半ばに配達が来ました。あいにく留守で直接受け取ることはできませんでした。郵便受けには不在通知が入っていて、それに従って受け取りに行きました。いつもの不在通知と同じように所轄の郵便局の窓口へ行ったら、マイナンバーに関しては隣の建物だと言われ、そちらへ移動。そこで簡単な書類を記入し、免許証で本人確認し、受け取りのハンコを押して、ようやくマイナンバー通知書が受け取れました。

学生は、留守中に不在通知が届いていたら、それをきちんと処理して、マイナンバー通知書を受け取ることができるでしょうか。漢字の密度が高く、しかも見慣れぬ単語に満ちている不在通知を読みこなすことは、至難の業に違いありません。案の定、超級クラスでも、よくわからないから捨てたとか、何週間もそのままほうってあるとかいう学生が続出しました。初級の学生の実情がどうであるかは想像に難くありません。いや、想像を絶するものがあるかもしれません。

外国人である学生に限らず、日本人を80年以上も続けている私の母も、マイナンバーをもらったはいいけれども、何をどうしていいやらわからず、非常に不安がっていました。マイナンバーに数々の利点があることは認めますが、私を含めてこの国に住む人々にそれが何物であるかが十分に伝わっていないように思えます。なんか、物事の進め方が雑なような気がしてなりません。

2人のJさん

11月25日(水)

授業後、2人のJさんを呼び出しました。学校で団体申し込みをしたJLPTの受験票が届いたのですが、アルファベット表記が全く同一のこの2人のJさんは、区別がつきません。団体申し込みは受験者が手書きする部分がどこにもないため、筆跡鑑定もできません。そこで、2人を呼び出して、受験票を同時に開けて、中の写真を見比べて、決着をつけようと考えたのです。

日本の苗字は10万種とも30万種とも言われています。それに対し、人口が10倍以上の中国は、少数民族の苗字を加えても、2万種をちょっと出る程度、韓国はわずかに250種程度だそうです。日本では最多の苗字とされる佐藤さんでも200万人ほどで、全人口の1%強ですが、中国最多の李さんは7%強で、1億人近くいます。韓国では5人に1人が金さんだと言われています。

名前のほうも、「幸子」が“さちこ”にも“ゆきこ”にもなるように、日本は漢字の読み方が多様ですから、なおのこと同姓同名の頻度を下げています。これに対して中国・韓国では伝統的な名づけ方があるようで、それに従うと、必然的に同姓同名が日本よりもずっと高い確率で出現します。

現在、JさんのほかにDさんペアも在籍しています。Aさんも今年3月の卒業生に同姓同名がいました。…というふうに、今までにも同姓同名が少なからず存在していたのですが、今回のようにはがきの表面からは全く区別が付かずに困ってしまったのは初めてです。

授業後、1人のJさんは時間通りに職員室に現れたのですが、もう一人のJさんは、欠席だったのか、来ませんでした。まじめに来てくれたJさんを待たせるわけにもいかず、何とかならないものかともう一度JLPTの団体申し込みのページを見てみたら、受験番号が出ているではありませんか。受験票が届いた時には載っていなかったのに。それと受験票が封じ込まれているはがきの受験番号とを照合して、来てくれたJさんに無事受験票を渡すことができました。

クラスのみんなが受験票をもらったのに自分だけもらえずに心配していたJさん、ようやく受験票を手にして、改めて受験への意欲が湧いてきたようです。

やっぱりわからない

11月16日(月)

日本時間の13日に発生したパリの同時多発テロは、ISの犯行ということで、フランスはISの本拠地を空爆したそうです。宗教上の考えがからんでくると、私なんかはどうも理解が追いつかなくなります。

日本もかつては“宗教戦争”と呼んでもいい国内戦がありました。島原の乱や信長対本願寺の戦い、古くは大化の改新だってそういう面が見られます。でも最近はそこまで激しい戦いはありません。オウム真理教のテロが成功していたら、日本の宗教戦戦争に新たな1ページが加わるところでしたが、幸いにもそこまでの傷痕を残すことなく鎮静化しています。

日本人は無宗教ではありませんが、敬虔な信者は少ないです。だから宗教の違いが元で深刻な争いが起こることもあまりありません。でも、それは同時に、こういう事件に対する理解が深まらない、いまひとつ自分のこととは思えず他人事どまりになってしまうということでもあります。私なんか、その典型でしょう。今回の新聞記事を読んでも、亡くなった方々への同情や哀悼の気持ちは湧いてきますが、この人たちが犠牲にならなければならなかった原因については、思考が及びません。

ISがフランスを狙った理由についてもあれこれ言われていますが、どうもよくわからないというのが、私の本音です。イスラム教やキリスト教そのものでなくても、仏教に帰依する心がもっと深ければ、それを通してこういった事件の本質に近づけるのではないかと思います。モスクで祈りをささげる人々を見ればその信仰心に美しさを覚えます。もう30年も昔になりますが、ヨーロッパで見た巨大な宗教画には、その絵を完成させようとしたエネルギーのすさまじさに心を打たれました。しかし、そういった感動を与えるものとその宗教の対立の激しさが、どうしても結びつきません。

宗教心が全体に希薄だから何も起きないことを幸せに思えばいいのでしょうか。最後の最後に心のよりどころがないことに寂しさを感じればいいのでしょうか。私は、仏像にも神殿にもステンドグラスにも素直に感動できるこの曖昧さが、とても好きです。

食費はいくら

10月16日(金)

朝刊に日本の大学生の生活費に関する調査の記事が出ていたので、上級クラスでその記事を取り上げました。記事によると、親元を離れて暮らす大学生の場合、全支出の約4割を住居費に使い、食費は2割だそうです。食費を削ってでも、住環境を整えたいようです。

記事を読ませる前に学生に聞いてみたところ、食費は2~3万円ぐらいが相場で、家賃はもうちょっと高いという学生が多かったです。つまり、日本人の大学生と同じ傾向です。学生たちが家賃に振り向けるお金は、食費よりも低いんじゃないかと思っていましたから、学生たちの答えはちょっと意外でした。でも、確かに、学生たちの住所にはマンションっぽい名前が目立ち、ストリートビューで見てみても、こじゃれた建物が多いです。

30年以上も昔の、私の学生時代と比べること自体がナンセンスかもしれませんが、この間に食はさほど変わっていないのに対し、住は大きく変わりました。イタリア料理が流行ったり、韓国料理が広まったり、マクドナルドのメニューもいくらか変わったりってことはありますが、食の基本ラインは同じです。ところが、私が住んでいたバストイレなしの4畳半なんて、もうどんなに探しても見つからないでしょう。

学生たちに家賃にお金をかける理由を聞いてみると、これまた日本人大学生と同じように、いいところに住みたいからという答えです。学生たちの家庭が豊になったのですね。快適な部屋で勉強に集中してもらおうというのが、学生たちの親の考えなのだと思います。

ただ、安くておなかが膨れる食事というと、おにぎり、パン、カップラーメンなど、炭水化物を挙げて来ましたので、太りすぎに注意してもらわなければなりません。そして、ビタミン豊富な果物を、是非、積極的に取って、健康維持に努めてもらいたいです。

4枚の切符

10月15日(木)

お昼を食べて帰ってきたら、1階の受付にKさんが立っていました。Kさんは大学受験のため、明日の授業後、新幹線で京都に向かいます。京都までののぞみの指定席を取ったのはいいのですが、乗り方がわからないと言います。乗車券と特急券とで片道2枚、往復で4枚の切符を目の前にして、戸惑っている様子でした。

.Kさんは超級クラスの学生で、日本に2年近く住んでいます。もちろん、Kさんの国にも鉄道はあります。それでも新宿駅で切符を4枚も渡されると、不安でたまらなくなってしまうのです。自分の人生を左右しかねない旅行だっていうプレッシャーがそうさせている面もあるでしょう。また、新宿駅の窓口で切符の使い方を聞こうと思ったけど、後ろに並んでる人がいたから遠慮したとも言ってました。そういう優しさはKさんの美点ではありますが、時にはずうずうしさ、ふてぶてしさも必要です。

私は旅行が好きで、まとまった休みのたびに旅行していますから、どんな切符でもビビることはありません。でも、旅慣れない人にとっては、乗車券と特急券の2枚だけでも怖気づいてしまうのでしょう。それが往復で2組あるとなると、間違ってしまうのではないか、そのためせっかく取った指定席に乗り損ねるのではないかって心配になるほうが普通の神経かもしれません。

乗車券と特急券を1枚にできないものでしょうか。いろいろと複雑な事情があって2枚としているのでしょうが、お客のほうに顔が向いていないと言われてもしかたがないシステムだと思います。まあ、常連さんはケータイをかざすだけで、通常料金より安く新幹線に乗れちゃうんですから、お得意様には優しいんですね。

いずれにしても、Kさんには、新幹線の切符ごときに振り回されることなく、あさっての入試で全力を出し切り、来月初旬に朗報を聞かせてもらいたいです。

三陸から北陸へ

10月10日(土)

三陸鉄道が観光客を大幅に減らし、赤字幅が拡大してしまうそうです。原因は多々ありますが、その中で北陸新幹線開業によって、三陸を訪れていた観光客が金沢などに流れてしまったというのが目を引きました。

金沢を始め、北陸各地が観光客を大幅に増やしたというニュースは、新幹線開業直後から何度も目にしています。しかし、この三陸鉄道のような、北陸新幹線開業の負の影響が表に出ることはあまりなかったように思います。考えてみれば、日本は人口が減り始めていますから、がんばってもゼロサムゲームなのです。北陸の観光客が増えれば増えるほど、どこかの観光地が訪問客を減らすのです。北陸へ行く分だけ旅行の回数を増やすなんてできる人は、今の日本の経済状況では天然記念物的存在でしょう。残念ながら、三陸は北陸に観光の魅力の点で負けてしまい、選んでもらえなかったのです。

おそらく、全国各地に北陸との観光客争奪戦に敗れ、経済的ダメージを受けたところがたくさんあると思われます。だから、訪日観光客に目を向けているところも多いのですが、これまたどこでもうまくいっているわけではありません。東海道新幹線沿線など、ごく一部に集中しているのが現状です。

観光に限らず、すべての産業においてゼロサムゲームが展開されています。新しいお店がオープンすれば、既存店のどこかが客を減らします。新しいサービスが始まれば、既存のサービスから客が移り、サービス休止に追い込まれるところが出てきます。観光なら外国から需要を呼び込む目もありますが、その他の産業ではそうはいかない場合のほうが多いです。

日本がこんな調子だと、そういう日本に魅力を感じる留学生も減り、日本語教育業界にも影響が及ぶかもしれません。いつまでもアニメだサブカルだとばかり言っていられません。

母語で学問

10月6日(火)

日本中で大村智さんがノーベル医学生理学賞を取ったことを喜んでいますが、私は中国人の屠呦呦さんが同時に受賞したことのほうに注目しています。なぜかというと、屠さんは中国から出たことがないからです。

今までにも中華系または中国出身で外国籍を取った人が自然科学系のノーベル賞を受賞したことはありましたが、数はあまり多くありません。中国の研究者は、海外に出て行く傾向があります。そこですばらしい業績を残した人も少なくなかったですが、ノーベル賞という超最高級のレベルにはなかなか手が届きませんでした。これには言語の問題があるんじゃないかと思います。

中国語を母語とする人が英語圏に留学すると、当然、英語で物事を考えねばなりません。しかし、その研究者にとって英語は第2言語ですから、母語に比べたら思索が深いところまで届かなかったのではないでしょうか。それゆえ、いい線までは行くんだけれども、最後の絶壁を登りきれず、最高峰には立てなかったのではと見ています。

屠さんは純粋に中国で生まれ育って教育も研究もすべて中国国内です。中国人が中国語で思索すれば(論文は英語で書いたでしょうが、研究についての議論は中国語で行われたでしょう)最高峰に到達できることを実証した点が画期的だと思うのです。屠さんは84歳と、私の母と同世代の方ですが、中国語で学問することの可能性を、身をもって示した功績は、もしかするとノーベル賞そのものよりも大きいとさえ思います。

中国の学生がみんなこんなことを考えるようになると、中国からの留学生が日本へ来なくなって、KCPは商売上がったりになってしまうかもしれません。いや、たぶんそうはならないでしょう。留学は学問を究めるためだけにあるのではありません。世界を広げ、相互理解を深め、地球の未来を明るいものにするためにあるのです。

四半世紀の時を越えて

9月26日(土)

富久クロスにできたイトーヨーカ堂へ行って来ました。昨日オープンだったので、授業が終わってからでものぞきに行こうと思っていたのですが、あいにくの雨であきらめていたのです。薄曇りの暑からず寒からずのお天気に誘われてか、私と同じ考えの人たちで結構な人ごみでした。オープンセールで何か安い物がないかと探してみましたが、ヨーグルトやキャベツじゃ持って帰るのが一苦労ですから、手を伸ばせませんでした。私より一足先に行ったK先生やS先生は、店内で美味しいものを食べたそうです。

富久クロスの住居部分への入居はもう少し先のようですが、ずっと工事中だった周囲の道路は黒光りしたアスファルトで開通しました。また、内科や歯科などの医療機関も内覧会をしていました。そのうち人が住む街らしくなるのでしょう。

私なんかにとっては、「富久町」といえばバブル期の地上げの象徴です。不動産屋だか開発業者だかがあこぎなやり方で土地を買い占めたあげく、不動産価格の下落で塩漬けになったという印象です。古くからのコミュニティーが破壊され、砂漠のような駐車場になってしまいました。どういうフレームワークの下でか知りませんが、それがようやく立ち直って、富久クロスという形で結実するまでに、四半世紀もの時を必要としました。

その間に日本の経済繁栄は終わりを告げ、富久クロスの最上階は中国人実業家が買ったという噂もあります。3.11の不連続線を越え、社会の様相も人々の考え方も大きく変化しました。地上げ当時の計画よりも成熟した街ができるのだとしたら、それもまた一興です。

イトーヨーカ堂へは、靖国通りを越えねばなりませんから、そうそう行けるわけではありませんが、学校指定の中華料理屋・明京園さんのそばですから、そこで食事したついでにたまには寄ってみましょう。

夢は枯野を

9月25日(金)

女優の川島なお美さんが亡くなりました。私と同年生まれで、密かに応援していました。亡くなる直前まで舞台に立ち、降板の際も不治の病であると知りながら復帰を信じてその病と闘う姿勢を見せたことは、立派の一言に尽きます。私と同年ですから思い残すことがなかったとは思えませんが、最期まで女優であり続けたことに関しては、それなりの満足感を抱いて旅立ったのではないでしょうか。

高校生の時、祖父の法要で、「人間、40までは生を生き、40からは死を生きる」という法話を聞きました。そのときは意味がよくわかりませんでしたが、20年ちょっと前に父が亡くなった時、半分ぐらいわかりました。自分が死ぬ順番ということを初めて意識したのです。その頃から恩師やお世話になった方などの悲報に接することが多くなりましたから、より一層そういう気持ちが強まりました。

東日本大震災で同級生が亡くなり、最近は田中好子さんや川島なお美さんなど、同年代の有名人の訃報を耳にすることもまれではなくなりつつあります。つい先日、骨髄バンクから手紙が来て、バンクの上限年齢に達したので登録が抹消されると知らされました。中年から老人への道筋がだんだんはっきりしてきて、「死を生きる」ムードがどんどん強まってきました。

私は川島なお美さんのように死の直前まで現役というつもりはありません。頭と体がしっかりしているうちに、すでに世界制覇は無理でしょうから、せめて日本中の行きたい所へ行き、見たいものを見ておきたいと思っています。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」って形で死ねたらなと思います。周りには迷惑でしょうが…。

せいしょこさん

9月18日(金)

熊本市民は、加藤清正を自分たちの街をつくった英雄として尊敬、崇拝しています。わりと最近、市が住居表示を変えようとした時、市民から「あんたは清正公さん(せいしょこさん)のお決めになった街の名前を変えようとするのか。あんたは清正公さんより偉いつもりか」と詰め寄られて、計画を思うように進められなかったという話を聞いたことがあります。

昨日の安倍首相には、「あんたは今までのどの首相や最高裁長官より偉いのか」と言ってやりたいものがあります。歴代の首相や最高裁長官が、いや、国民が国を挙げて築き上げてきた憲法や平和に対する思いを一気にひねりつぶそうとしています。しかも、正面から憲法論議をして改正するのではなく、姑息な手段で委員会可決をし、その勢いで本会議も突破しようというのです。正々堂々と市民に理解を求めようとした熊本市の職員のほうが、よっぽど責任ある態度です。

自衛隊を海外で戦える組織にすることは、グローバルスタンダードに則っていると言えます。しかし、グローバルスタンダードって、何でも受け入れていいものなのでしょうか。道のりははるかですが、戦争をしないことこそグローバルスタンダードにするべきことじゃないでしょうか。「核の傘の下でのうのうと…」と言われるのが嫌だったら、それがなくてもやっていけるだけの実力を、別の視点に立って養っていこうと国民に語りかけ、賛同を得るのが、真に尊敬される国家への第一歩だと思います。

私は清正公さんという太い精神的支柱を持っている熊本市民がうらやましいです。日本国憲法って、日本国民にとっての清正公さんになれる要素を持ったものだと思います。これを要素のままにしておくのではなく、本物の柱へと育て、日本人に自信と誇りを持たせてこそ、後世に名の残る政治家なのです。安倍首相の憂国の情は多としますが、その発露のベクトルがちょっと違うんじゃないかな。