Category Archives: 社会

計画が進む

7月1日(水)

大阪からお客様が見えて、打ち合わせをしました。今日だからよかったものの、昨日だったら大変なことになっていたかもしれません。新幹線の車中で焼身自殺とは、人迷惑にも程があります。巻き添えで亡くなった方はどんな思いだったのでしょう。

死人に口なしで、自殺した当の本人は何を考えてわざわざ死に場所に新幹線を選んだのかはわかりませんが、死に場所を選ぶという発想自体、精神的に余裕のある人間の考えることなのかもしれません。自分のことしか見えなくなっているから自殺するのでしょう。自分を客観視できたら、そう簡単には死を選ばないんじゃないかな。

そうだとしても、新幹線で死ぬなよ。新幹線に乗る金があったら、迷惑のかからない死に方ができただろうに。いや、どんな死に方でも誰かに迷惑をかけますよ。だから、その金でおいしいものでも食べて、小さくても夢を抱けばよかったんです。

私はそもそも死にたいと思いません。辛いことがあったら、休みに何をしようかと考えます。今は夏休みの計画立案の真っ最中であり、時には年末年始の休みにも思いを馳せます。あれしようこれしようと考えたり、ネットで調べたり予約したりしているうちに、気持ちが前向きになってきます。この辛い場面を乗り越えたらまた一歩夏休みに近づくと思うと、どうしたら乗り越えられるかという方に気持ちが向いてきます。

そろそろ新学期の授業計画を練り、教材をそろえなければならないのですが、これが遅々として進んでいません。進むのは夏休みの計画ばかりで…。

たまのお葬式

6月29日(月)

昨日は和歌山電鐵の社長代理・ウルトラ駅長のたまのお葬式がありました。式場となった貴志駅はたまが駅長として勤務していた駅であり、昨日はそこに警察が交通整理をするほどの参列者が訪れました。3000人と報じられていますから、人間の葬式にしてもかなりの規模です。

私も、去年の5月の連休にたまを見に和歌山まで出かけました。私が乗った和歌山電鐵の電車は、乗客の大半がたま目当てでした。たまによって和歌山電鐵の乗客が大幅に増えたと報じられていましたが、それを身をもって感じました。たまがいなかったら、貴志駅まで乗ったお客はほとんどいなかったでしょう。それが和歌山電鐵沿線の実力であり、たまによって数十名の乗客が数百円の運賃を払って貴志駅まで乗り通したのです。そして、貴志駅に併設されているカフェや売店でお金を落としていました。たまの経済効果が11億円とかと算出されていますが、それぐらいあっても全然おかしくないと思いました。

たまの成功の後、各地の地方鉄道で動物の駅長が相次いで生まれました。二番煎じにならないようにと工夫はされていますが、たまを超える駅長はいまだ出現していないようです。それだけに、たまを招き猫として見出し、駅長に抜擢した和歌山電鐵の社長さんは偉いと思います。こういう経営センスは、机上の学問だけじゃ身に付きませんよね。学生たちは「大学を卒業したら経験を積んで…」と気安く言いますが、こういう発想の現場での経験こそ、学生の将来に資するものなんじゃないかと思います。

和歌山電鐵にはたまの後継ぎの猫がいるそうですから、きっと人気は保たれるでしょう。それどころか、たま大明神として祭られるそうですから、死して後も和歌山電鐵の貢献する勢いです。

帰りたいけど

6月19日(金)

一時帰国したいけどMERSが怖い――韓国の学生の偽らざる気持ちのようです。来週月曜日の期末テストの翌日からの学期休を控え、韓国担当のPさんのところへ学生が押し寄せています。

「私、一時帰国してもいいですか」「はい、一時帰国届けを出せば、いいですよ」「でも、MERSが心配です」「じゃあ、日本にいたら」「でも、もうチケットを予約しましたから…」「じゃあ、行けば」「日本へ戻ってきたとき、韓国人はダメって言われたらどうしますか」「それが心配だったら、日本にいるのが一番いいんじゃない?」「でも、国に用事がありますから…」

こんなやり取りを延々と続ける学生が何人もいるそうです。学生はPさんに答えを求めているのではなく、心配の種を聞いてもらいたいのです。心配でたまらない自分に酔っていると言ってもいいでしょう。そういう試練を乗り越え留学を続けようとしている自分の姿を、自分で英雄視しているのかもしれません。

私のような日本で生まれ育った人間にとっては、MERSはニュースでしかありません。もちろん、普通の日本人よりは強い関心を持っていますが。でも、韓国の学生にとっては、我が事です。当事者だから冷静に考えられなくなり、上述のPさんとのやり取りのようなことになってしまうのです。

日本が留学生を受け入れ始めて間もない頃、中国で辛亥革命が起こると、みんな新しい国づくりに参加しようと帰ってしまったそうです。これほどのことではなくても、留学生は国のことを気にかけながら勉強しています。おそらく、生まれてからいちばん「国」を意識しているんじゃないでしょうか。

留学とは、国際性が身に付くと同時に愛国心も芽生える、その人の人格形成に多大な影響を与えるイベントなのです。

日本改造

6月17日(水)

タイトルにつられて買った「一千兆円の身代金」(八木圭一、宝島社文庫)というミステリーを、つい先日読み終えました。政界の実力者の孫が誘拐され、一千兆円の身代金が政府に要求されたというところが物語の起点です。一千兆円とは日本の財政赤字額であり、要するに、誘拐犯は放漫財政のツケを若者世代に回すな、それをこしらえた世代で処理せよと訴えたかったのです。

これ以上書くとネタばらしになってしまいますから控えますが、公職選挙法が改正され、選挙権が与えられる年齢が18歳に引き下げられたというニュースを聞いて、まっ先にこの本のことを思い浮かべました。本の中では、誘拐犯の要求は若者の間で歓喜をもって支持されました。もちろん、要求された側は容易に応じるはずがありません。選挙権が18歳からになったことで、世代間での考え方の違いが鮮明になり、そういう問題がより活発に議論されるようになってもらいたいです。

そのためには、18歳が政治に関心を持つだけではなく、毎回投票率が低い20歳も25歳も行動を起こさねばなりません。今回の改正で、選挙権は18歳になりましたが、被選挙権は従前の通りです。ですから、立候補できる年代が適度に成熟して(成熟しすぎると我々の年代の頭と変わらなくなってしまいます)、18歳の感覚を取り込み、この国のしくみを変えていくことこそ、本当に求められていること、期待されていることなのです。

外国籍であるKCPの学生たちには、法律がどう変わろうと選挙権は与えられません。しかし、自分たちが周りの日本人の若者に影響を与え、彼らの意識、投票行動を変えさせることはできます。そのためには、彼らから一目置かれる存在にならなければなりません。勉強し、鍛錬し、自分の人間性を高めて、「留学生の〇〇さんってすごいなあ」って尊敬を集める人物になることが、自分たちにとって暮らしやすい日本を作る第一歩になるんじゃないでしょうか。ずいぶんと遠大な計画ですけど…。

訓練された

6月10日(水)

避難訓練をしました。地震の後で火災が発生したという想定で、全校の学生が非常階段を使って脱出し、広域の避難場所である新宿御苑の手前の、四谷区民センターまで行きました。帰りに一時避難場所である花園公園前を通り、学生たちに場所を確認させました。

学生時代、私は城南地区の住宅密集地帯にある築年数不明のぼろアパートに住んでいました。そこは、多摩川の巨人軍グラウンドが避難場所に指定されていました。平時に歩いても1時間はたっぷりかかるところです。非常時にはたどり着けそうもありませんでした。大地震が来たらアパートもろともつぶされて死ぬしかないだろうなと思っていました。

それに比べれば、この校舎は地震には強く、避難場所も近いです。阪神大震災での神戸並みの揺れに襲われても、ほぼ間違いなく生き残れるでしょう。しかし、地震で死ななかったらそれで終わりではなく、生き続けていかねばなりません。学生たちを生かしていかなければなりません。その任務は非常に重大ですが、常々そこまで考えが及んでいるかというと、目の前の仕事にかまけて何も考えていないに等しいというのが現状です。

おしゃべりするなと命じたら黙々と私の後について四谷区民センター前まで歩いていった学生たちの顔を思い浮かべると、こちらこそがしっかりしなければと思わずにはいられませんでした。学生に災害時に取るべき行動を考えさせるつもりだったのが、そっくりそのまま自分に返ってきたようです。

久しぶりの揺れ

5月25日(月)

授業中地震がありました。毎度のように私よりも学生のほうが敏感に揺れを感じ取りました。「先生、地震」と言われてしばらく経って、本格的な揺れが来てやっと、地震に感づきました。学生が心配そうな顔をしたので、外を見て電線が揺れていないことを確かめ、大きな地震ではないと宣言し、学生を安心させました。

3.11のときには、KCPの正面のビルが左右に大きく揺れました。あのビルが倒れて隣も倒れて、なんていうことになったら大変だと、とっさに最悪の事態も想像したものです。向かいのビルから見たら、KCPのビル(旧校舎)も心配になるくらい揺れたことでしょう。

しかし、その後、校舎を建て直して、現在の校舎は3.11クラスの地震でもびくともしないビルになっています。へたに外に逃げ出すよりも校舎内のほうがずっと安全です。また、教室で多少なりとも落下する可能性があるものといえば、せいぜい柱にかけてある時計ぐらいです。だから、授業中に大きな地震が起きても、なんらあわてることなく机の下に隠れるなどの行動を取ればいいのです。

揺れが完全に収まってから、そんなことを学生に言いました。この校舎にいる限り安全なのだから、地震が来てもいたずらにおびえることはないのです。また、教科書にちょうど非常袋が出てきたところだったので、それについてもちょっと話しました。非常袋を用意している学生は1人もいませんでした。

地震らしい地震(?)は久しぶりでしたから、クラスの中には来日後初めてどころか、生まれて初めて大地が揺れるのに出会った学生もいたかもしれません。でも、その大地がしょっちゅう揺れる国を留学先として選んでしまったのはあなた自身なのですからね。地震も日本文化を形作ってきた重要な一要素として、体験し学んでほしいですね。

140万分の1万

5月18日(月)

昨日、「大阪都」構想の是非をめぐる住民投票が行われ、反対票が賛成票を上回りました。この結果、これからも従来の大阪府と大阪市が存続することになりました。

反対票が賛成票を上回ったといっても、その差は投票総数140万票あまりのわずかに1万票です。橋下市長にとっては文字通りの惜敗でした。また、投票率は66.83%と、大阪市で行われた選挙にしては近年まれに見る高さでした。それでも、昨年行われたスコットランド独立住民投票の85%には遠く及びませんが。

投票率が66.83%だったということは、約3分の1の有権者が棄権したということです。賛否の票差が1万票だったことを考えると、棄権した約70万人の責任は重いと言わざるを得ません。どういった理由で投票に行かなかったのかはわかりませんが、この人たちの一部分でも投票していたら逆の結果になっていたかもしれません。

連休に大阪へ行ったとき、市営地下鉄では投票を呼びかけるアナウンスをしていましたが、賛成・反対どちらの街頭演説にも出会いませんでした。山の中ばかりではなく、難波、日本橋、梅田と、繁華街も歩いたんですけどね。また、ポスターは、首長選挙や議会選挙と違って公共のポスター掲示板があるわけではなく、街角の電柱や塀などに控えめに括り付けられたり張られたりしていただけでした。

そんな大阪の雰囲気を味わってきて、本当に盛り上がっているのかなと思いながら帰京しただけに、この投票率には驚きました。だから、棄権した人々の責任を追及したくなるのです。自分の1票では世の中は変わらないと思いがちですが、今回は変えられたかもしれなかったのです。大阪市民1人1人がキャスティングボートを握っていたのに、それに気付かずやり過ごしてしまった人が3分の1もいました。

今回の例は結果論ですが、これは全ての選挙に言えることではないでしょうか。サイレントマジョリティーなんてカタカナ語で言うとかっこよく聞こえますが、要するに何も決められないか自分の社会に対して責任を持とうとしないだけです。選挙権の引き下げに向かって動いている中、若い人たちには今回の結果を自分たちのこととしてとらえてもらいたいです。

さわやかな朝

5月15日(金)

毎朝、学校の玄関の鍵を開けるのと同時に、学校の前の駐車場や道路にごみが落ちていないか見回ります。そうすると、1週間に2日ぐらいは何かが落ちています。吸殻が一番多いですね。お菓子か何かのビニールのフィルム、ガム、コンビニ袋、紙くずなど、大きなものでなありませんが美観を損ねるものが捨てられています。木の葉が飛んでてもそんなに見苦しいとは思いませんが、フィルターだけになった吸殻が1本落ちているだけで、神経に引っかかるものがあります。

学生が学校の敷地内や前の道に吸殻やごみを捨てるとは思えません。そんな学生がいたら放校ものですよ。小さなものが大半ですから、どこかから風邪に飛ばされてきたことも十分に考えられます。でも、吸殻やガムはその場に捨てられたものじゃないかな。

とすると、犯人はおそらく日本人。日中は人目もありますからそんな投げ捨てはしないでしょう。しかし、夜は、職員室の道路に面した窓のロールカーテンも下りているし、人通りも少ないし、ちょうどいい具合に道路から引っ込んでいるから、ポイッといきたくなるんじゃないでしょうか。

そんなことを考えながら、ごみを拾います。同時に、こんな公徳心のない日本人がいることに情けなさを感じます。日本人を見習いたいと言っている学生たちには、恥ずかしくて見せられないなと思います。これは三流の日本人の仕業だと思えば少しは気が楽になりますが、その三流日本人がごみをポイ捨てするときの卑しい顔を想像すると、やっぱり心は曇り空になります。朝、ごみを見つけると、こんなふうに、朝から気持ちが落ち込んでしまいます。

来週の金曜日は運動会。会場の小豆沢体育館は、ごみは原則持ち帰りです。学生たちには卑しい日本人のまねをしてもらいたくないです。

独立を果たした

5月13日(水)

夕方、テストの採点をしていると、「卒業生のKさんが先生に会いたいって言ってますよ」と呼び出されました。受付まで出て行くと、9年前に卒業したKさんでした。かつての面影も残っていましたが、何より、白くて細かい歯が並ぶ笑ったときの口元が全く変わっていませんでした。

Kさんは、KCP卒業後、B専門学校に進学し、そこを卒業してから日本で就職し、昨年末に独立を果たしたと、今までの歩みを語ってくれました。仕事はきつかったけれども、その合間を縫って起業家セミナーなどにも参加して、知識を得るとともに人脈も築いていったそうです。

進学先を卒業したら日本で就職し、経験を積んで、いずれは自分の会社を作る――学生たちはそんなふうに自分の夢を語りますが、それを実現させられる学生は少ないです。大学や専門学校に入れば自動的に知識や技術が身に付き、就職しさえすれば自然に経験が積めて、自分が思い描いたような社長への道が開けると思っている学生が多いのではないでしょうか。現実がそうではないことは言うまでもありません。

KさんはKCPにいたころから積極的で、授業で習った言葉や文法をすぐにアルバイト先で使ってみたり、スピーチコンテストで賞を取ったり、入学式で在校生代表で挨拶したり、奨学金に応募してそれを勝ち取ったり、卒業生代表に立候補して見事にその務めを果たしたりと、自分の手で自分の道を切り開いてきました。こういう人物だからこそ日本で就職できたのであり、自分の将来に資する知識や経験を選び取り身に付けられたのであり、今は自分1人の事務所とはいえ、独立できたのです。

Kさんの話す日本語は、ら抜き言葉の入り具合まで日本人的であり、同窓会会報に載せる近況報告を書く筆の進みようも非常に滑らかで、ビジネスの世界にしっかり根を下ろしていることがうかがわれました。Kさんの会社で従業員を雇うときにはKCPの学生もよろしくねなんて、頼んじゃったりもしました。Kさんのビジネスが大きく羽ばたくことを祈ってやみません。

活動再開

5月9日(土)

朝の受験講座が終わってから、ボランティアクラブの学生たちが募金箱を作り始めました。来週からネパールの地震の被災者に送る募金を始めます。

学生たちの中にネパールとつながりのある人はいないでしょう。地震の少ない国から来た学生には、地震で家を失うとか生活の基盤が消えるとかという事態が、最初はピンとこないかもしれません。自分を被災者の立場に置いて、そういう状況がいかにとんでもないものかを理解し、縁もゆかりもないところの被災者にお金を出す、という思考や行為は、学生たちを成長させます。自分の主体的な行動が遠い世界とつながっているという実感を、若いときから持ってもらいたいです。

ネパールのど遠くじゃなくても、ボランティアのネタはいくらでもあります。日本へ来てから献血を始めたという学生も、今まで何人かいました。母国の天災を知り自らが発起人となって募金活動を始めた卒業生もいました。家の近くの公園を掃除しているという学生の話も耳にしたことがあります。そういう気持ちを大きく育てていくと、一回りも二回りも大きな人物になれるでしょう。

ボランティアクラブは、旧校舎の時代には東日本大震災の募金をはじめ、けっこう活躍していたのですが、仮校舎に移ってからは活動休止状態が続いていました。それがこのたびようやく復活し、最初の活動がこの募金というわけです。募金以外にも、毎学期実施しているバザー(収益は親と一緒に暮らせない子供の施設に寄付)のお手伝いなど、いろいろと活動計画があるようです。

募金箱を作っている面々も、受験講座を受けているくらいですから受験生です。自分の勉強を最優先にしたいでしょうが、その気持ちを抑えて、だれかのために貴重な時間と労力を割いています。この心意気は大いに買ってあげたいです。