Category Archives: 社会

地震にめげずに

2月6日(土)

今朝、台湾で地震がありました。台南市では、ビルが倒壊し死者が出ています。KCPにも台湾出身の学生がいますが、今のところ実家が被害にあったという連絡はありません。

台湾も日本同様にプレートの境界上にあり、過去にも大きな地震が何回も発生しています。今回の地震もプレート境界型かもしれませんが、台南市の被害の大きさを見ると、阪神淡路大震災のような直下型かもしれません。地震が多いという共通点があるため、台湾は高速鉄道を建設する時、日本の新幹線のシステムを導入しました。その台湾の高速鉄道にも阪神淡路大震災と同様の被害が出ているとのことです。

私は地学ファンですから、地震と聞くと興味や関心は上述のような方面に向かってしまいます。しかし、絶対に忘れてはいけないのは、3.11の際に200億円以上という世界最多の義捐金を贈ってくれたのは台湾だということです。お金だけではなく、衣類や暖房器具を始め、被災者が必要とする物資もいち早く援助してくれました。地震の規模は違っても、困っている人が出ていることには変わりありません。3.11の何分の一でもいいですから、手を差し伸べたいものです。

九州では桜島の火山活動が活発になり、火を噴いています。また、昨日の朝は多摩地方で震度4の地震がありました。震源が立川断層の延長線上だというのが、少し気懸かりです。台湾の地震も含めたこれら3つが互いに関連があるとは思えませんが、パタパタと続くと、いやなものです。

週明けは春節。自然災害を吹き飛ばすくらいパーッとやってもらいたい反面、学生たちの前夜の行状が激しすぎて、月曜の教室が悲惨な状況になることも恐れています…。

激しい競争

2月3日(水)

節分。例によって、赤坂の日枝神社へ豆まきを見に行きました。日枝神社の神様の使いは猿ということで、申年の今年は例年よりも人出が多かったです。私のそばにいた警備の人たちは、「去年の倍ぐらいいるね」なんて話していました。

私は超級クラスを引率していきました。Cさんは卒業文集に載せる動画の撮影のチャンスとばかりに、稲荷参道の朱塗りの鳥居をくぐっている様子を始め、クラスメートの素顔を撮りためていました。そうですね、やっぱり朱塗りの鳥居が丘の上にある境内まで続くあの道は、日本人の私でも聖なる世界に誘われるような気分になりますから、外国人である学生たちにとっては、異界に導かれるような不思議な非日常への入口なのでしょう。

正午ごろから豆まきが行われましたが、いつもの倍ぐらいの人がいましたからかなり激しい競争でした。私のクラスは半数ほどが去年の豆まきを経験していましたから、そういう学生は早々に戦線離脱。Hさんにいたっては、去年のミス上智の方がタイプだったと不謹慎な発言。それに対し、今年が初めてという学生は、何とか福豆を手にしようと、乱戦混戦に身を投じていました。

豆まきが終わって興奮気味に報告に来るのは、みんな初めての学生。いつもはおとなしいKさんやBさんも、戦利品を見せに来てくれました。Mさんは景品を引き当ててはしゃいでいました。2度目の学生でもJさんは豆の袋を2つゲットしていました。頭脳派だと思っていましたが、案外に体育会系のようです。進学してから研究成果を残すには、これくらいのガッツも必要です。

豆まきが終わってそろそろ引き上げようかというころ、去年の卒業生のDさんの姿を見つけました。Dさんは正月にこの日枝神社で巫女さんのアルバイトをしていました。「今日も巫女さん?」って声をかけたら、「ううん、遊びに」と。卒業生の元気そうな姿を見るのはいいものですね。これも神様のお引き合わせでしょうか。

10ppm

2月2日(火)

新聞報道によると、先週日銀から発表されたマイナス金利に呼応して、S銀行は預金金利を0.001%にするそうです。ここまでではなくても、現在主流の普通預金で0.02%という金利が、さらに下がりそうだと言っていました。私は経済学に関しては素人ですから、この金利が妥当なものなのか、マイナス金利政策で日本経済が上向くのかなどということについては何も言えません。ただ、0.001%という表現は受け入れがたく、理系人間としては10ppmと表したいところです。

こう表現すると、経済学的にというより、感情的にこの金利はひどいと言いたくなります。金利が10ppmですよ。汚染物質の環境基準じゃないんですよ。何でわれわれが汚染物質濃度並みの金利に甘んじなければならないのかっていう気持ちになります。雀だって、おいらの涙はもっとたくさん出るぜって言いそうです。

同じ事柄でも言い方を変えるだけで印象がガラッと変わることがよくあります。よく例に挙げられるのは、「100円(10分)だけある」と「100円(10分)しかない」です。「だけ」は希望が抱けますが、「しか」は絶望感にさいなまれそうです。自分から積極的に目の前事態に対処するか、目の前の事態に追われて対処するかの違いともいえます。

10ppmと0.001%とを比べると、%は感覚が麻痺してしまって、0.001がどのくらい悲惨な数字なのか見当がつかなくなっているんじゃないでしょうか。ppmは新鮮ですから、それの表す微小さと相まって、ショックが強いのでしょう。

ppm表示をするまでもなく、経済を知らない庶民の感覚として、今の預金金利は低すぎると思います。その金利をさらに下げることで、いったいどんな効果を期待しているのか、そこが見えません。

まぶしい選択

1月30日(土)

Aさん、Mさん、Fさん、Oさん、Gさん、Sさん、Lさん、Jさん、Hさん…今シーズンは関西の大学に行きそうな学生が目立ちます。私の近くでたまたまそういう学生が多いだけで、実際には昨シーズンとさほど変わらないのかもしれませんが、進学先として抵抗なく関西の大学を選ぶようになったと思います。

一昔前は、学生は東京から動こうとしなかったものです。埼玉、神奈川など、東京の隣県すら行こうとしませんでした。震災があってからでしょうかね、東京の外へ出て行く学生が増え始めたのは。原発事故で東日本は危ないと叫ばれたおかげ(?)で、学生の目が関西にも向けられるようになったように思います。

もう一つ、学生が豊になったことにも関係があると思います。アルバイトが日本留学の必須条件という学生にとって、せっかくつかんだアルバイト先を手放すことは死活問題でした。でも、最近はそこまでの苦学生は少なくなりました。アルバイトは純粋に社会勉強という学生にとって、東京にこだわる必然性はありません。

東京は日本最大の都市だし、秋葉原や原宿のように国でも知られた町もありますから、一度は住んでみたいですが、日本語学校にいる1年か2年で楽しみ尽くせば、大学生活は別の都市で送りたいと考えているのではないでしょうか。その別の都市として、京都や大阪や神戸という関西がターゲットになったと考えられます。

もちろん、関西に魅力的な勉強ができる大学があり、それに学生が引き付けられていることも確かです。自分の人生をより輝かせるために、一度の大学生活を有意義なものとするために、そこに住まうということにまで考えを及ぼして、進学先を丁寧に選ぶようになりました。それを可能にしたのが、豊かさではないかと思っています。

逆に見ると、東京の町や東京の大学は、留学生に選ばれなくなりつつあるのではないでしょうか。東京は世界で一番おもしろい町とか、2度目のオリンピック開催とか言って、日本の中のガリバーとしてあぐらをかいていると、近い将来、どんでん返しを食らいかねないような気がします。その東京にぶら下がっている大学も、多少名が通っているからと言って安泰ではありません。

東京の大学で6年も過ごしてしまった身から見ると、学生たちの選択はうらやましい限りです。

大雪

1月18日(月)

朝、結露を拭いて窓の外を見ると、真っ白ではありませんか。目を凝らすと横殴りの降りのようです。午前の授業は大混乱だろうなと思いつつ、いつもの電車で出勤しました。

私が住んでいるところは、地下鉄の車両基地のあるところなので、よほどのことがない限り電車には乗れます。3.11の直後でも普通に通えたくらいですからね。その上一番電車と来れば、地下鉄ですから雪の影響もなく、また、他からの遅れを引きずることもなく、定時に新宿御苑前に着くのです。今朝もまさにそのパターンでした。

しかし、そうはいかない先生方も大勢いらっしゃいました。T先生は最寄り駅を通る線がどちらも不通で、出勤がお昼ごろになりました。それほどではなくても、大回りしたとか車内で缶詰にされたとかという例はかなりありました。新宿に比較的近い駅では、着く電車がすべて超満員で乗り込もうにも乗り込めずに、9時までには来られなかった方もいました。最寄り駅までバスというのはさらに悲惨で、バスがまともに走らず、雪かみぞれかの中を何十分も歩くことを余儀なくされたという例も。

雪のたびに言われますが、東京は本当に雪に対して脆弱です。でも、年に数回もない雪の日のために、札幌並みの備えをしていたのでは、その設備の維持費だけでもとんでもなく費用がかさみ、不経済のきわみと指摘されるでしょう。逆に言うと、札幌は東京の言う「不経済のきわみ」を抱えていないと、生活が維持できないのです。人口が札幌の100分の1,1000分の1の規模でも、雪国においてはそれがインフラの一部なのです。

こうして考えると、東京は贅沢な町です。雪に降られる都度大騒ぎはしますが、片手で数えられる雪の日さえ我慢すれば、軽装でいられるのですから。東京の雪は長続きしません。雪の翌日は、必ず晴れです。夏は確かに暑いですが、それとて連日38度とかということはありません。こういう軽装で住む町だから、雪には脆弱ですが人が集まるのでしょう。

ひねた子どもたち

1月15日(金)

国民の祝日としての成人の日は1月の第2月曜日に移動したものの、私たちの世代にとっては成人の日は1月15日のほうがしっくりきます。

大人になるとは、周りの人や状況など、自分以外のものに合わせて行動できる人、誰かのために、何かのために動ける人だと思います。逆に言うと、どんなに年齢を重ねていても、自分のことしか考えられない人は、まだ子どもなのです。こういう目で見ると、世の中にはひねた子どもが大勢います。

まず、吸殻のポイ捨てをする人。毎朝校舎の正面を見て回ると、たいてい吸殻が落ちています。多くは校舎前の道路ですが、敷地内に投げ込まれたと思える吸殻も珍しくはありません。一服の快楽が得られれば、後は野となれ山となれなのです。

それから、電車のシートに中途半端に座る人。詰めればもう一人座れるのに、込んでいても詰めようとしない人は毎日のように見かけます。ちゃんと規定の人数が座れるようにシートがくぼんでいても、そのくぼみを無視してまでゆったり座ろうっていうのは、どういう神経なのでしょう。

電車ついでに、駆け込み乗車してドアに挟まれ、車掌にドアの開閉をやり直させる乗客は、その電車1本の全乗客の時間を奪っていることに気付いていないんでしょうね。乗客1000人の電車で再開閉に10秒かかったとすると、10000秒=2時間46分40秒が無駄になります。新幹線に乗れば新神戸か八戸まで行けます。北陸新幹線なら終点の金沢で降りて、タクシーで香林坊まで行けちゃうかもしれません。

昼の時間にKCPの成人式がありました。大勢の新成人が集まりましたが、この中には上のような“子ども”はいないですよね。

多国籍

1月4日(月)

そのラーメン屋さんに入ると、明らかにベトナム人の名札を付けた店員さんが働いていました。その人が大学生なのか専門学校生なのか日本語学校生なのかまではわかりませんでしたが、なんとなく応援したくなりました。電車に乗っても、スーパーへ行っても、ベトナム語っぽい言葉が飛び交っていることがよくありました。

私が毎年泊まるホテルは、部屋の掃除担当者が名前の入ったカードを置いていきます。その名前に、フィリピン人と思われる名前が書かれていた日がありました。年末年始の名古屋は、今まで以上に多国籍でした。

スペイン語かポルトガル語かよくわかりませんが、その系統の言葉もいたるところで耳にしました。名古屋を中心とする中京地方は、自動車産業を始め、製造業が活発です。そこで働く外国人が大勢住んでいますから、そういう人々の言葉が街にあふれているのも当然です。地下鉄のアナウンスにも、取り入れられていました。

もう一つ、街に外国人の子どもが多いように感じました。もう少し正確に言うと、外国人の親に連れられた子どもが目立ちました。日本人は少子化がどんどん進んでいるのに、日本に定住している外国人は、自国にいるのと同じように子どもを作っているんじゃないでしょうか。言葉の壁もあるだろうし、日本人が嫌がる3K職場で給料も決して高くないかもしれませんが、いや、だからこそ、子どもが宝に思えるのでしょう。

名古屋は毎年年末にしか行きませんから、博物館などがいつも休館中です。名古屋城ぐらいはだいぶ前に行ったことがありますが、主だった博物館は鉄柵の外から眺めるだけです。今回も、東山動物園・植物園を外からのぞき、その周りの「東山1万歩コース」なる6.2キロの散策コースを歩きました。好天に恵まれ、高台の上から名古屋市街が見下ろせて気分はよかったのですが…。今年こそは、どこかの休みで腰を据えて名古屋市博物館や徳川美術館あたりを見学したいものです。

お正月は、エルニーニョの影響か、日本中がぽかぽか陽気で、重装備がまさに重く感じられました。仕事始めの日から面接練習やらわがままな学生の対応やら、正月休みのリフレッシュをすべて帳消しにするような仕事ばかりで…。今年も忙しいんでしょうね。

Pさんの机の上の時計

12月22日(火)

気がついたら、期末テスト。午前中の試験監督のクラスで、Pさんは教室に入るなりかばんから小さなデジタル時計を出しました。小指の第2関節ぐらいまでの長さと太さの時計で、それを机の端っこに置いてテストに取り掛かりました。

この時計を見て、京大が今年から入試会場に時計類の持ち込みを一切禁止すると決定したことを思い出しました。腕時計型の端末によるカンニングを未然に防ぐためです。京大は何年か前に、携帯電話を使ってネット掲示板に入試問題を投稿するというカンニング事件を引き起こされていますから、その手の機器の持ち込みに関しては敏感なのでしょう。

Pさんの時計は明らかに計時機能しかありませんでしたから、そのまま受けさせました。よしんばその時計が漢字かなんかを記憶していて、Pさんに好成績をもたらしたとしても、Pさんが得る利益はKCPで次のレベルに進級するということだけです。それが見つかって私にたっぷり説教されるリスクを冒してでも手にしたくなるような利益ではありません。

とはいえ、腕時計型端末が誰もが持つほど普及したら、KCPも規制を考えなければならないでしょう。私がKCPに勤め始めたころは、紙の辞書が主力でした。それがあっという間に電子辞書になり、今では電子辞書すら持たず、もっぱらスマホを辞書に使う学生のほうが多数派です。作文の時間に辞書使用可とすると、ネットのどこぞのページを丸写ししたような文章が出てくるようになりました。

技術の発展に伴う悪用を見ていると、性悪説を信じたくなります。腕時計型端末どころか、ウェアラブルコンピューターが進んだら、試験会場でめがねの着用が禁止されるようになるのでしょうか…。

終夜運転

12月19日(土)

今朝、新宿御苑前駅で降りると、ホームの壁に大晦日の終夜運転の時刻表が張ってありました。ゆうべの帰宅時は張られていなかったように思いますから、終電後にでも張り出したのでしょう。毎年、これが現れると、ずいぶん押し詰まってきたなと感じさせられます。既に、学校の近くには、お正月の笹のお飾りが出ています。

学校と家との往復に終始する生活だと、クリスマスやお正月が近いことを実感するチャンスがありません。確かに、カレンダーを見ればあと1週間足らずでクリスマス、2週間足らずで新年です。でも、日々の生活にそういう雰囲気があるかといえば、授業をして、面接練習をして、教材を作って、進学相談に乗って、…という調子で、何の変化も季節感もありません。強いて言えば、おととい、卒業生のYさんがアイスクリームでサンタクロースを作って届けにきてくれたことぐらいでしょうか。だから、今朝、大晦日の終夜運転の時刻表を見つけたときに感動したのです。まあ、残念ながら、丸の内線の終夜運転には乗りませんがね。

Aさんが退学の挨拶に来ました。いったん国へ帰って、1月からは関西に居を構えて、関西の大学を集中的に受験するそうです。関西へ行っちゃうと面接練習が簡単にはできなくなるから、あれやこれやいろんな場合を想定した面接練習をしていきました。また、今までは同じ志の友人が身近にいましたが、1月からはそうはいきませんから、1人で勉強するに当たってのアドバイスも求めていきました。

退学してもKCPとの絆が切れてしまうわけではありません。メールでやり取りできますし、陰ながら応援していきます。松飾が取れる頃、Aさんは初陣を迎えます。

末は博士か‥‥

12月10日(木)

Sさんは2017年に理科系の大学進学を目指す初級の学生です。授業後、理科系の大学・大学院で勉強したらどんな将来が待ち構えているかを聞きに来ました。

Sさんは理学部の物理か化学を考えています。そこで博士課程まで進んで、研究者になりたいというのが現時点での希望であり夢です。そして、大学に残ったらどんな将来像が描けるかという質問ですが、残念ながら、あまり明るい道筋を示せませんでした。

日本の場合、理科系で一番就職がいいのは修士です。博士になると企業への就職は修士より難しくなり、かといって研究職のポストが豊富にあるわけではありません。博士の学位を取ったのにそれに見合ったポジションに恵まれていない研究者がたくさんいます。たとえ研究職を得ても、そこに安住できるわけではありません。今は有期雇用がほとんどで、3年とか5年とかでしかるべき成果が出せないと、契約打ち切りになってしまいます。

万難を排して研究を続けていくにしても、基礎研究の場合、自分の研究がどのように発展・展開していくのか見えずに悩むことがよくあります。芽が出なくても頑張り続けることは、想像以上に精神的な負荷がかかるものです。いまどきの研究者とは、経済的にも精神的にもきついのです。

そもそも、物理や化学の研究がどんなところにつながっているのかという質問もありました。触媒や超伝導や熱電変換素子や、思いついたことをいくつか話しました。こちらは多少夢のある話ができたかもしれません。

なんかわけがわからないけどとにかくEJUでいい点数を、という学生が多い中、Sさんはきちんと足が地に着いた将来設計をしようとしています。いたずらに有名大学といわないところも立派です。あとはただ、日本語の力が伸びてくれれば…。