Category Archives: 社会

お守りが床に

6月23日(木)

期末テストの試験監督に入った中級のクラスにHさんがいました。Hさんは、クラスで受け持ったことはありませんが、受験講座などで接点があり、まんざら知らない学生ではありません。そのHさん、リュックを机の横のフックに引っ掛けていましたが、そのファスナーにぶら下がっているお守りが床についてしまっていました。きっと学業成就のお守りなんでしょうが、これじゃあ御利益ゼロどころかマイナスかもしれないよって思いました。テスト中なのでみだりに声をかけるわけにもいかず、Hさんの机のそばを通るたびにイライラひやひやしながら、試験監督を続けました。

Hさんなら、お守りの意味は十分理解しているはずです。でも、そのお守りが床を引きずるようなリュックの置き方をしても、何も感じていないのでしょう。ほとんどの学生が日本文化を知りたいと言うし、自ら進んで勉強している学生も多いです。しかし、そうして得ている知識は、表面的なものが大半なのだと思います。あるいは、断片的な知識が有機的につながっていないのです。お守りは神仏の分身であり、床には大事なものを直接置かないという日本文化が結び付けられていれば、お守りが付いているファスナーのポケットにお守りをしまうとかってできるはずです。

私たちも、そうしたことをおろそかにしてきたことは否めません。通り一遍の文化紹介ではなく、もう一段深いところまで踏み込み、その背景に触れ、それを学生自身の生活に溶け込ませるような、紹介よりは体験に近いことをさせていきたいです。

テストが終わったらHさんに注意しようと思っていましたが、他の学生にかかわっているうちに、Hさんの姿は消えていました。今度会うのは来学期になってからでしょうが、何かの折に是非注意しましょう。

地震こそ日本

6月10日(金)

避難訓練をしました。地震発生という想定で、机の下にもぐって、揺れが収まってから、整列して外に逃げるというものです。ごく当たり前のパターンでしたが、私が入った初級クラスは来日から日が浅いため、すべてが新鮮だったようです。

頭を保護しなければならないのに、机の下が窮屈だからでしょうか、お尻ばっかり隠して、頭が机の外に出てしまう学生が何名かいました。建物外への避難は、比較的整然と行っていました。「ハンカチかタオルで口と鼻を隠して」とくどく言ったのに、数名はおざなりに手を口と鼻に当てただけでした。

訓練修了後、本当に地震が発生した時の対処法を話しました。学校にいるときは教師の指示に従えばいいですが、自分の家にいるときだったら、自分で身を守らなければなりません。かばんでも布団でも鍋でも何でもいいから、まず頭を守り、この近辺における新宿御苑のように、自分が住んでいる地域で指定された避難場所に逃げるように伝えました。

日本は地震が多い国で、特に関東地方は1923年の関東大震災以来、大きな地震が発生していないので、いつ熊本地震並みの地震が起きてもおかしくないと言ったら、教室中が静かになってしまいました。「あんたたち、どうしてこんな危ない国に留学に来ちゃったの?」と、今までもいろんな学生に尋ねてきましたが、このクラスの学生はみんな正面から考えてくれました。

1人でも多くの留学生に日本へ来てもらいたいですが、日本で暮らすからには常に地震と背中合わせだという覚悟が必要です。地震もまた、日本の文化や日本人の精神を形作ってきた重要な要素の1つです。地震を避けていては、日本の真髄に触れることはできません。

上手に話せるように

6月4日(土)

今週私が面接した初級クラスの学生の何名かから、上手に話せるようになるにはどうしたらいいかという質問を受けました。毎日日本人と話すのが一番いいに決まっていますが、日本に住んでいても日本人と話すチャンスはそんなにないのが現状です。KCPは日本人ゲストを呼んで、ゲストと話すチャンスを作っていますが、それだって各学期数回の前半どまりです。

アルバイトをしても、多くの場合、職場で使われている日本語は限られていますから、学生たちが望むような会話力はつきません。居酒屋敬語と称する、日常会話や入試の面接などでの日本語とはかなり様相の違う話し言葉だけが身につく結果に終わります。

相談を受けた学生には、授業前でも後でも、職員室で先生と話す練習をしてみたらどうかと言いましたが、毎日何人もの学生の会話相手をするとなると、こちらの仕事がさっぱり進まなくなります。このアドバイスは、そういう矛盾を含んでいます。また、日本語の文章を音読してみろとも勧めました。授業中に毎日音読の練習をしていますから、その成果を応用して、多様な日本語に触れ、日本語のリズムに慣れるのです。音読チェックぐらいなら、私たちも毎日できるでしょう。

Sさんは、国にいたときの日本語の先生から、公園へ行っておばあさんに話しかけなさいと教えられたそうです。内気なSさんはこれまでその教えを実行していませんが、実行しなくて正解です。変なガイジンに話しかけられたとかって誤解でもされたら、大騒ぎになりかねません。誤解を解くのに持てる日本語力を総動員し、話す力が向上するかもしれませんが、労力のわりに効果は薄いと思います。

Sさんの先生がどんな方かは存じませんが、公園でおばあさんに話しかけて会話力を磨いたとすると、まだのどかな日本が残っていた頃に勉強なさったのでしょうね。サザエさんかちびまる子ちゃんの時代なら、公園で留学生に話しかけられても暖かく迎え入れてくれる人が大勢いたんじゃないかな。今はグローバリズムの時代と言いつつも、人を見たら泥棒と思えという発想のほうが勝ってしまっているように思えます。

ある退学

6月1日(水)

Uさんが退学しました。最近は欠席がちで、学校へ来ても勉強する意欲はあまり感じられませんでしたから、いい決断です。このまま来年の3月まで在籍したとしても、得るものは少ないでしょう。だから、ここで出直すのがUさんにとって最善の道だと思います。

Uさんは経済的には恵まれた家庭のようで、アルバイトはせず、KCPのほかに塾にも通わせてもらっていました。しかし、ふだんの様子を見る限り、塾でもあまり勉強しているようには思えませんでした。自宅学習もゼロに近かったんじゃないでしょうか。入学して1年余りですが、Uさんが日本語でまとまった話をしているのを見たことがありません。入学した時のクラスメートの中には、かなりの実力者になっている学生もいるというのに。

日本での生活は、それなりに楽しんできたようです。でも、進学という本来の目的に向かっては、ほとんど歩んできませんでした。元来、勉強が嫌いなのかもしれません。国でどうにもならなかったから日本へ来ちゃったんだろうかと思うこともあります。自分の意思というよりは、親の意見に従ってというのが実のところでしょう。豊かなうちの子どもは、とかくこういうことになります。

思えば、かつて、日本の若者が大勢海外留学した時代がありました。私なんかよりももうちょっと下の世代です。アメリカなんかでは、さっぱり英語が上達しない日本人留学生が問題になったという話も聞きました。親がバブル期の経済力に物を言わせて子どもを海外留学させたものの、本人は留学経験と呼べるほどの成果もなく帰国し、結局青春の無駄遣いに過ぎなかったというものです。その現象を平行移動したものが、今、私たちの身の回りで起きています。

Uさんの退学をいい決断といいましたが、本当にいい決断とするのは、これからのUさん次第です。

98年って何してた?

5月23日(月)

中間テストがありました。中間テストと期末テストでは、学生証を机の上に置かせ、試験監督の教師はその学生証と出席簿とを照合することで出欠を確認します。教師はいつものクラスとは違う、知らないクラスに試験監督として入りますから、こういう方法で間違いが起こらないようにしています。

学生証には学生の生年月日が記載されています。生年月日は出欠には直接関係ありませんが、学生証をチェックする時に目に入ってきます。午後、私の担当したクラスには、1998年生まれがばらばらいました。1998年といえば、私が日本語教師になった年です。私が新米の日本語教師として、冷や汗をかきながらプライベートレッスンで赤坂やら渋谷やらの会社を駆けずり回ったり、技術研修生相手のクラスで教壇に立ったりしていた頃です。光陰矢の如しって言いますが、98年なんて、私にとっては昨日ですよ。

でも、その98年生まれが、健気にも祖国を離れて外国の大学に入ろうと、日本語を勉強し、その勉強した日本語で入試科目の勉強もしているのです。KCPの中間テストに合わせたわけではありませんが、EJUの受験票が土曜日に学校に届いていましたから、それを配りました。「早稲田だ」なんて、試験会場を見てつぶやいている学生も。中間テストなんかとは比べ物にならないプレッシャーが、98年生まれの学生たちにも間もなく襲い掛かってきます。

外は、今年初の真夏日でした。沖縄と奄美はすでに梅雨入りしています。九州もお天気がパッとしなくなりつつあり、入梅が近そうです。雨の季節の足音とともに、受験シーズンの影も迫りつつあります。

うらのあるおもてなし

5月20日(金)

在留カードをなくしたと言っていたJさんが、再発行手続のため入管へ行き、欠席しました。外国人登録証のように区役所で再発行してもらえるのかと思ったら、そうではなく入管まで足を運ばなければなりません。さらに、再発行はやたらと待たされるらしいのだそうです。そのため、午前中入管で手続をして再発行してもらい、午後の授業に出るというわけにはいきません。

東京入管は所轄する外国人が多いですからしかたがないのかもしれませんが、在留カードの再発行が1日仕事というのは、日本にいる外国人に対するサービスとしては劣悪すぎると思います。そりゃあ、大切な在留カードをなくすのはほめられたことではありませんが、なくしてしまったときのバックアップシステムがこんなに貧弱じゃ、日本は外国人に対して冷たいと思われてもしかたがありません。

これ以外の日本で暮らす外国人への行政サービスがどうなっているかはわかりませんが、そんなに質が高そうな気はしません。有能な外国人に日本でその力を発揮してもらうと国は言っていますが、その活躍を支える体制が情けないままでは、有能な人ほど日本を相手にしなくなるでしょう。

表面的な部分を見て日本が好きだと言ってくれる外国人は多いです。そういう人たちが日本にどっぷりつかろうとした時、この国はどこまで優しいでしょうか。どっぷりつかるはるか手前で、アパートを借りる場面なんかもそうですが、生き辛さを感じさせられているんじゃないかと危惧しています。

「おもてなし」が旅行者やオリンピック選手・観戦者に対してだけでは、日本の将来は暗いと思います。

社長の貫禄

5月18日(水)

午後、職員室で学生のタスクの添削をしていると、「金原先生に会いたいって言ってるだいぶ前の卒業生が来ているんですけど…」と呼ばれました。目を上げてカウンターの向こう側を見ると、ちょっと記憶にない顔がこちらを向いて軽く会釈をしていました。

首をひねりながらカウンターまで行くと、「先生、覚えていますか」と言われましたが、覚えがありません。「2002年の卒業生のBです」「あ~あ、Bさんか。あの頃は中国の学生が少なかったよねえ」「ええ、そうでした。進学のことで先生にずいぶん怒られました」というわけで、今から14~15年前の学生でした。

Bさんは地方の大学に進学し、その地元で就職し、今は仕事で東京や横浜などへちょくちょく来るそうです。「じゃあ、もう社長?」「いえいえ、とんでもないです。仕事でスーツ着てるだけですよ」と言いますが、スーツの下からのぞいたおなかは、社長の貫禄十分でした。

BさんはKCPにいたとき、特別に優秀な学生ではありませんでした。入った大学も、いわゆる有名大学ではありません。でも、ちゃんと日本で就職し、10年も仕事をしているのです。1人で仕事を任せられているということは、会社からの信頼も厚いのでしょう。もう、どっしりと日本に根を下ろしています。

もちろん、KCPを卒業してからのBさんの道のりは平坦ではなかったでしょう。その山あり谷ありの道を歩きぬいて、今の地位にたどり着いたのです。日本で進学したい、就職したい、ずっと暮らしたいという学生には、Bさんのそういう人生を知ってもらいたいです。有名大学に入ったからといって、日本で就職し、ずっと暮らし続けられる保証が得られたわけではありません。そういう競争のスタートラインに立ったに過ぎないのです。

ラジオ体操とリレーと綱引き

5月17日(火)

運動会のたびに思うんですが、日本の学校教育って、捨てたもんじゃありません。開会式直後に準備体操代わりにラジオ体操をします。日本人の教職員は、年齢に関係なくスムーズに体を動かします。学生たちのを見ていると、そのぎこちないこと。学生たちの国では日本のラジオ体操が行われていませんから当然のことなのですが、その裏返しとして、日本人が小中学校でいかにラジオ体操をがっちり訓練されているかがわかるのです。

それから、リレー。バトンパスがめちゃくちゃなんですね。バトンゾーンなんかお構いなしにバトンの受け渡しをしようとするのです。それゆえ、毎年ここでの違反が絶えず、失格とされたチームから必ずクレームが来ます。また、次の走者が立ち止まったままバトンをもらいますから、前の走者のリードが有効に生かせないのです。日本人を4人集めて、突然リレーをしろと言っても、バトンゾーンをそれなりに有効に使い、もう少しカッコいいリレーをするんじゃないかな。今年はバトンゾーンにちょいと工夫を凝らしましたから、バトンパスでの反則はなくなりましたが、日本の体育の先生がご覧になったら、目を覆われることでしょう。KCPにも体育の時間を作って、そこで練習すれば白熱したレースが見られるんでしょうけどね。

これに対して、綱引きは、気持ちが先走って試合開始前に引っ張ってしまうところまで、万国共通なのか、毎回力のこもった戦いが見られます。今年もまた、いつもは温和なGさん、Pさん、Cさん、Eさんなどが口をひん曲げて目をひんむいて腕の筋肉を躍動させて綱と勝利を引き寄せようとしていました。

綱引きをはじめる前に、みんなでKCPの応援歌を歌いました。先週の金曜日と月曜日に練習した甲斐があり、“KCP、KCP”というサビの部分は、体育館中に大きな声が響き渡りました。こういうところで聞くと、この応援歌ってみんなの気持ちを一つにする不思議な力があるなって思います。

忘れてはいけないのが、選手にはならずに裏方に徹してくれた超級の学生たちです。それぞれの持ち場で自分の役割を果たしてくれました。彼らの力がなかったら、運動会は全く進行しなかったでしょう。感謝にたえません。

さて、運動会が終わったら中間テストは目前です。EJUを受ける学生は、本番まで1か月です。今度は、勉強で勝利を引き寄せなければなりません。

トイレに財布

5月10日(火)

お昼過ぎに午後の授業の準備をしていると、事務のSさんから「Dさんって、金原先生のクラスの学生ですよね」と声をかけられました。「はい、そうですが」「これ、Dさんの財布なんですが、5階のトイレにありました。注意して返してあげてください」「あ、すみません。ありがとうございました」

そんなやり取りの末に手渡された財布はズシリと重く、中には在留カード、キャッシュカード、定期券など、暮らしていく上でなくてはならないカード類がぎっしり詰まっていました。授業が始まるまで小一時間ありましたから、そのうちDさんが青い顔をして事務所に「財布をなくした」と言いに来て、その場で「バカモノ」とか言いながら返せばいいだろうと思っていました。

ところが、Dさんはいっこうに現れません。授業開始時刻が迫ってきたので、教室へ行きました。すると、Dさんがふだんと変わらぬ顔で座っているではありませんか。「こういうものをトイレに置いてきたらダメじゃないですか」と言いながら、財布で顔を張るふりをしてそれをDさんの目の前に突き出しても、まだきょとんとしていました。何が起きたのか理解できないという顔つきでした。財布をなくしたという自覚が全くなかったに違いありません。

そんなに大事なものが入っている財布を、なぜトイレで出して、なおかつそれを置きっぱなしにしたのか、その点はよくわかりませんが、無用心なことこの上ありません。学校内だったからよかったようなものの、駅やどこかのお店のトイレだったら、戻ってこなくても文句は言えません。Dさんと同じ年頃の私は、もっと用心深かったと思います。

最近、アルバイトをしている学生が激減しています。勉学に励むという面では結構なことですが、お金の大切さを知らないまま一人暮らしを続けている学生が増えているような気がして、少々心配です。

薄く広く

5月9日(月)

文部科学省学習奨励費受給者の推薦者を決める面接をしました。自薦で名乗りをあげた学生の中から、教師の目で厳選された学生だけが最終面接を受けます。そういう手続を経てきているので、出席率はほぼ100%、成績もそれなり以上の学生たちばかりが残っています。ですから、毎年、この面接には苦労します。だれを落としても悔いが残りそうな気がするのです。

学習奨励費とは、要するに奨学金ですから、いい学生であるかと同等かそれ以上に、経済的にどんな状況であるかが大きな問題になります。経済的に苦しくても勉学に励んでいる学生にもらってほしいと思っていますが、最近はかつてのような苦学生が少なくなりました。生活状況を聞いても、赤貧洗うが如しという学生はいません。奨学金なしでも生活していける仕送りを受けている学生ばかりです。

そう考えると、日本人の高校生のほうがよっぽど貧しいかもしれません。大学進学率は私の頃の倍ぐらいになっていますが、学費が工面できずに退学したり危ない仕事に手を染めたり、そもそも進学をあきらめたりしている若者も多いです。そういう人たちに比べると、今回の候補者の面々は恵まれた生活を送っていると思います。かつては「日本は物価が高いです」という例文が学生たちの生活実感を表していましたが、今はさほどに感じていないように見受けられます。

文部科学省がこういう学生たちの生活状況を知っているのか、学習奨励費の支給額も年々下がって、薄く広くという意図を感じます。ありがたみがなくなったという声も耳にしますが、私は時宜を得た施策だと思っています。今の学生は、お金そのものよりも、学習奨励費受給者という名誉をもらいたいのかもしれません。