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情報通信

9月13日(火)

HさんはU大学の通信工学科にしようか情報工学科にしようか悩んでいます。Hさんがやりたいことは情報セキュリティーで、学んで知識や技術を国へ持ち帰って、国の情報セキュリティーのレベルアップに力を尽くそうと考えています。U大学でそういうことが学べることは確かなのですが、通信工学科で学んだほうがいいのか、情報工学科のほうがいい勉強ができるのか、見極めがつかずに悩んでいるのです。

工学部化学工学科という、少なくとも理科系の人間にとっては何を勉強するのか明らかな学科で勉強してきた者にとって、今は学部名や学科名が名は体を表していないように思えます。名前を聞いて学問の内容がすぐにはわからない学部名や学科名も増えたし、Hさんのようにこういうことを勉強したいんだけどどこに入ったらいいのだろうというパターンも増えたように感じます。学問の分野が広がった上に細分化されてきましたから、そうなるのもやむをえない面もあるでしょう。

また、学ぶ側の要求も細分化されてきましたから、教える側がそれに合わせてコース設定をしたりカリキュラムを整えたりした結果が、Hさんのようなどっちで勉強したらいいでしょうということになった面も見逃せないと思います。40年近く前の私の学生時代と比べてはいけませんが、その頃は自分であれやこれや取る授業を組み合わせて、セミオーダーメードみたいな勉強をしていました。今はそういう学び方を大学が公式に認めて、学科とかコースとかを設けているようにも思います。それだけ大学が親切になったのです。

Hさんの話に戻ると、おそらく、どちらの学科でもセキュリティーの勉強はできるでしょう。どちらがHさんの思い描いている将来像に近いかという問題だと思います。昔なら、電子工学科かなんかを選んでおけば迷う必要はなかったでしょう。いや、そもそも、「情報セキュリティー」なんて、学問として成り立っていなかったかもしれません。

こんな話をしたところでHさんの問題はなんら解決しませんから、HさんにはU大学に直接問い合わせるように勧めました。同時に、自分の名前も売り込んでおけば、実際に出願・受験したときに有利に働くこともあるかもしれませんから。

ちょっとマニアック

8月29日(月)

県庁所在地クラスの都市ともなると、どこもしっかりした歴史を持ち、それを裏打ちする史跡があるものです。その地の人々は自分たちの歴史に誇りを感じ、それを後世に伝えていこうという姿勢が感じられます。その中において、長崎は異質な歴史が重層している稀有な街です。金沢は、長崎と同規模の街で、深い歴史もあり、それに根ざした文化もあり、日本人はもちろんのこと、外国人をも魅了してやみません。しかし、それらの大半は「加賀百万石」という大きな括りの中に入れられます。それに対して、長崎には、中国の香り、オランダの色、キリスト教の風、幕末の足音、そして被爆都市としての涙、ざっとこれくらいの歴史が複雑に絡み合って層を成しています。それゆえ、街を歩いていて史跡の案内板を読んでいると、自分が今どこの国の歴史と向き合っているのかわからなくなるという、心地よい錯乱に陥ります。

夏休みは、その長崎を振り出しに、日田、臼杵、高千穂、人吉、大宰府と回って、福岡から東京に戻ってきました。…とあっさり書きましたが、この文章をお読みの方で上記5つの土地をすべて歩いた方はゼロに近いでしょうし、九州の地図の上でその場所を正確に指し示せる方も少ないでしょう。臼杵にいたっては、これを「うすき」と読める方すら珍しいかもしれません。

それはともかく、東日本は台風やらその後の大雨やらで大騒ぎだったようですが、九州はいいお天気が続き、傘を使ったのは高千穂で夕立に見舞われたときだけでした。おかげで、腕の外側だけがこんがり焼けました。

長崎では被爆都市としての一面を見学し、出島でオランダの匂いをかぎました。地学ファンとしては稲佐山を見落とすわけにはいかず、頂上から長崎の地形をたっぷり味わってきました。

日田は幕府天領の町で、豆田町がその面影を残していました。暑さも有名ですが、私が歩いた日は最高気温が35.6度で、日田としては涼しい1日だったようです。

臼杵は石仏を見てきました。臼杵の石仏も心惹かれる表情でしたが、友好都市となっている敦煌の莫高窟には規模も歴史も遠く及びません。

高千穂は神々の里ですが、現代においては橋の町です。そもそも高千穂の神話が、川べりのがけの岩屋にアマテラスが隠れたところから始まるのです。深い谷をまたぐ幾本もの橋が町と町をつなぎ、神々の里に現代文明と観光客をもたらしました。天岩戸もしっかり見てきました。

人吉は平安末期から続く相良氏の街で、立派な歴史博物館と国宝を有する青井阿蘇神社を見学し、そして温泉を楽しんできました。

大宰府は天満宮へは行ったことがありますから、その隣の九州国立博物館を見てきました。展示物は興味深かったですが、学芸員と思われる人に質問しても満足のいく答えが返ってこなかったのが残念でした。そのかわり、大宰府政庁跡にあった無料の大宰府展示館のボランティア解説員が大宰府の歴史を詳しく教えてくれました。そこで教えてもらった水城(みずき)が帰りの電車から見えて、感激しました。

さて、期末テストまでちょうど1か月。学生に気合を入れつつ、私も頑張らなければ…。

2年後、5年後

8月19日(金)

Yさんは、来春、理系の大学院進学を予定しています。志望校の志望する研究室の先生ともだいたい話がついています。非常に好意的な扱いを受けているとのことです。

大学院進学の道筋は何とか付けられましたが、Yさんが心配しているのは、大学院で学位を取った後です。Yさんは研究職に就きたいと考えていますが、ビザの問題があり、大学院出たての外国人が日本国内で研究職を得るのはかなり厳しいとも聞かされています。

日本の民間企業は、博士よりも修士を採りたがりますから、博士課程に進学しないで就職するというのも1つの手です。しかし、Yさんのやりたい研究分野はあまりつぶしが利かないので、民間企業に就職するというのも、決して容易なことではなさそうです。たとえ就職できたとしても、そこでYさんのやりたい研究ができる可能性は非常に小さいです。

研究職を得るには博士を取らねばなりませんが、博士号は研究職のパスポートにはなりません。就職するなら修士のほうが有利ですが、就職先で自分の研究が生かせるかというと絶望的です。Yさんは国へ帰るよりも日本で暮らしていたいのですが、日本の社会のシステムは、Yさんにやさしくありません。

Yさんは、国籍を変えるつもりはありませんが、ずっと日本で働きたい、暮らしたいと思っています。入管の高度人材ポイント制が始まって数年になりますが、恩恵を受けている人はどのくらいいるのでしょうか。Yさんが就職する頃にはこの制度が大きく育っていることを願ってやみません。

明日からの夏休みに何をするかときいたら、うちで英語の勉強をするとのことです。大学院入試対策ではなく、最悪日本で就職できなかったら、アメリカへ渡るかもしれないからとのことでした。

頭を垂れる

8月15日(月)

中間テストがありました。終戦記念日とあって、午前中、靖国通りを走る街宣車からの軍歌がわずかに聞こえましたが、中間テストの妨げになるほどではありませんでした。真剣に問題に取り組んでいた学生たちの耳には、届いていなかったかもしれません。

今、船戸与一の「満州国演義」という長編小説を読んでおり、もうすぐ読み終わります。600ページ余りの文庫本全9冊という、船戸与一渾身の遺作です。「砂のクロニクル」を始めとする船戸与一の作品が好きだったので、小説の内容を確かめることもなく読み始めました。登場人物が多く、話の流れが複雑ですが、ぐんぐんストーリーに引き込まれました。

タイトルから想像できるように、大陸における日本軍のありさまが中心となっています。小説ですから書かれていることすべてを事実だとしてはいけないでしょうが、軍の上層部に人がいなかったことが随所に描かれています。最も取ってはいけない手を取り続けた結果が、昭和20年8月15日だったように思えてきました。

無数の兵士が、この上層部の犠牲になりました。「生きて虜囚の辱めを受けず」と兵士にひたすら死を強要し、特攻という、尊い命と、当時の日本において希少資源となっていた金属を使い捨てにする戦術を“発明”したこの人たちは、いったいどういう神経をしていたのかと考えさせられました。

靖国神社は、こういう死を強要した側と生への道を絶たれた側とが一緒に祭られています。私は前者の霊が祭られているという点において、靖国神社で素直に頭を垂れる気になれません。ですから、8月15日は心の中だけで祈りをささげます。

荒波にもまれて

7月29日(金)

どこのクラスにも自分のことしか見えない学生はいるものです。外の世界に関心を示さないと言ってもいいでしょう。そういう学生は、スピーチコンテストのような学校行事に進んでかかわろうとはしません。他の学生が応援の話し合いをしているのに、自分だけ英単語を覚えようとしたり、宿題に手をつけたりして、その話し合いの輪に加わろうとはしません。応援の役割を振られても、それを果たそうとしないかあからさまにいやいやながら鈍く体を動かします。

彼らは、自分のことにしか関心がないくせに、自分が周りからどう見られているかには無頓着です。非協力的な態度に冷ややかな視線が浴びせられているのに気付きません。他人の目が気にならないのか、それを気にしようとしないのか、要するに家の外にはいますが、引きこもりと同じです。

引きこもりクンたちは自分のペースを貫き通せばそれでいいかもしれませんが、クラスの応援リーダーは引きこもりクンたちを引っ張り込もうと努力します。人を小ばかにしたような態度に腹を立てつつも、一緒にやろうと誘いの手を差し伸べます。教師からもギャーギャー言われて、ようやく重い腰を上げて練習に参加した引きこもりクンは、スピーチコンテスト当日、あっさり裏切って本当の引きこもりになることもよくあります。そういうやつに限って、応援賞の商品だけはしっかりもらっていくんですねえ。

引きこもりクンと応援リーダーと、このスピーチコンテストまでの期間、いい勉強ができたのはどちらでしょう。もちろん応援リーダーです。人を動かすことの難しさ、その難しさを乗り越えて何かを成し遂げる胆力、何かを得たはずです。今年もそういうややこしいクラスを背負っているリーダーの苦労を見聞きしています。日本語のほかに、世間の一端も知ることができたリーダーたちに幸あれと、心の中で祈っております。

ポケモンGO

7月23日(土)

ポケモンGOが配信され始め、学生の中にも昨日1日でだいぶ集めたつわものがいたそうです。今のところ校内にポケモンが湧き出しているところはないようで、電車の中やら歌舞伎町やらで拾ってきているみたいです。

すでに、ポケモンを集めるために不法侵入したり、危険を冒そうとしたり、宗教的冒涜につながりかねない行為をしようとしたりという例が報じられています。大学の中には、学内でのポケモン狩りを一切禁止するというところもあるようです。KCPも、学生の振る舞いいかんでは、何か考えなければならないかもしれません。

その一方で、これをすると電池の消耗が激しいので、その方面の商品が売れ始めているとも言われています。アベノミクスをもじってポケモノミクスなることばも発見しました。人々が電車やクルマで街に出て、ポケモンを集めながら、買い物したりおいしいものを食べたりちょっと映画でも見たりということをすれば、多少は景気もよくなるでしょう。

でも、同時に、これっていつまでもつんだろうとも思います。飽きられたら終わりですから、次から次へと何かが進化していくのでしょう。あんまり進化しなかったたまごっちが在庫の山になったのは、20年ぐらい前の話でしょうか。下手をすると、年末にはポケモンGOって何だったっけってなことになっているかもしれません。

さて、6月のEJUの結果が届きました。いつもより結果のはがきを取りに来る学生が少なかったです。まさか、ポケモン狩りに熱中して忘れちゃってるんじゃないでしょうね。

巨泉さんのセミリタイア

7月20日(水)

大橋巨泉さんが12日に亡くなっていたと報じられました。私たちの世代は、巨泉さんの11PMを見て大人になったつもりに浸ったものです。もちろん、その本当の意味を理解していたわけではなく、背伸びしてようやく上っ面だけわかったような気になっていたに過ぎないのですが。11PMという番組の文化的な奥深さを知るのは、それからかなり時間が経ってからです。

その後、クイズダービーや世界まるごとHowマッチでも楽しませてもらいました。これらの番組を毎週のように見ていたおかげで、自分の世界も興味の範囲も広がったと思います。今思えば、私にとっては娯楽番組というよりは教養番組だったと思います。

そういう人気番組を抱えている最中に、巨泉さんはセミリタイアと称して、テレビの世界から引っ込んでしまいました。そして、趣味の世界で生きるようになったのです。世界各地に、それぞれ1年で最も気候のいい時期を過ごすなんていう生活も始めました。就職してまだ数年しか経っていませんでしたが、働くことの意味を強く考えさせられました。また、人生とは誰のため、何のためにあるのかということについても考え込んだ記憶があります。

この、巨泉さんがセミリタイアした年が、ちょうど今の私の年なのです。セミリタイアして好きなことをして暮らしていけるだけの経済的基盤を築いていたこともスゴイの一言ですが、その後の人生を楽しむプランも持てていたことにも注目したいです。私もセミリタイヤしたいのはやまやまですが、巨泉さんのような経済的基盤もなければ、人生を楽しむ趣味もたくさん持っているわけではありません。

日本語について考えることも、自然科学の疑問を深く追究することも、私の趣味の一部分です。だから、今は趣味を仕事にしていると言えないことはありません。でも、私の中では趣味はあくまでも楽しむものであり、それをお金稼ぎの手段に使うというのは、邪道のような気がしてなりません。日がな一日、マッサージチェアに座ってマッサージされながら、文法やことばの意味を考え続けられたら、どんなに幸せだろうと思っています。

何のために進学?

7月13日(水)

Yさんは私立のG大学と国立のM大学を志望校として挙げています。どちらの大学も、就職しやすいと言われている商学部とか経済学部とかではない学部を狙っています。卒業したら日本で就職しようと思っていますが、就職を優先して学部を選ぶのはいやだという気持ちも強いのです。

Yさんが考えている学部は、学問的にはおもしろいと思います。そういう学部で自分の興味の赴くままに勉強し、充実したキャンパスライフを送りたいというのが、Yさんの近未来の構想です。「大学に残るつもりがなかったら、そんな学問より就職後に役に立つ勉強のほうが、結局Yさん自身のためになるよ」ってアドバイスも可能です。でも、Yさんにはそんなアドバイスはしたくなくなりました。

Yさんは、就職のためではなく、学問を通して自分の青春を楽しむために大学に進学しようと考えているのです。それだったら、本気で大学生活を味わい尽くせば、それが就職のときのアピールポイントになるのではないでしょうか。普通の留学生とは一味も二味も違う留学生活を通して得たものを企業の面接官の前に示せれば、きっと面接官の心を動かせるはずです。また、何ごとにも前向きなYさんなら、口先だけではなく、本当にそういう4年間を送ることでしょう。そう考えると、そう考えると、Yさんの計画がなおさら輝いてきました。

確かにG大学やM大学は簡単に入れる大学ではありませんが、入試面接でこういう考えを強く訴えれば、十分に勝ち目があります。Yさんの背中を強く押しました。

マイナス金利

7月6日(水)

今年に入って間もなく始まったマイナス金利政策ですが、長期金利の史上最低更新というニュースが毎日のように報じられています。マイナス金利は、もうすっかり定着したということなのでしょうか。

新聞やネットの解説記事を読めば、マイナス金利の理屈も頭では理解できます。しかし、心の底の部分に何か引っかかるものがあります。借りたお金を満額返さなくてもいいって、やっぱり変ですよ。私は、古い道徳観に毒されているから、お金を借りるのが嫌いだからこんなことを言うのかもしれません。

こんな時、大学や大学院に進学して、こういう方面を勉強・研究している卒業生に講義してもらいたいなって思います。特に、顔見知りの卒業生なら、遠慮なくくだらないことも聞けますからね。彼らがここの学校にいたときには教師と学生という関係でしたが、今は専門家とド素人と、立場はすっかり逆転しました。私の寝ぼけた頭を目覚めさせてくれないものでしょうか。謙虚に教えを乞いたいです。

そうは言っても、実際に話を聞くとなると、教師根性が頭をもたげてくるんでしょうね。今の説明はわかりにくいとか、ここでこういう文法を使うべきだとか、果ては発音がよくないとかって言い出すんじゃないかな。そんな枝葉末節ではなく、国家財政とか世界経済とかを論じ合うつもりで来た卒業生は、戸惑うというよりがっかりするでしょうね。

それはともかく、KCPの卒業生は、芸術でも文学でも理工学でも、各方面で活躍しています。この偉大な力を利用しない手はないなと思いつつ、利用していない自分の手をじっと見ています。

卒業生たち

6月30日(木)

夕方、おととしの3月に卒業した卒業生が3名来ました。久しぶりに会って食事に行く途中に、KCPに寄ってくれたそうです。もう3年生で、大学院進学やら就職やらを心配し始めています。大学院進学というと、大学進学の時以上にTOEFLのスコアが物を言います。もちろん、専門の試験や面接もおろそかにはできません。また、就職は、お金も人生もかかってきますから、さらにもっと考えるべきことが多くなります。進学か就職か迷っているとなると、その両方を考えて、そんなに長い時間が経たないうちに結論を出さなければなりません。

ですが、3名はそんな悩みを吹き飛ばすような勢いで、近況を面白おかしく語ってくれました。最上級クラスにいた学生たちですから元々日本語はうまかったのですが、それにさらに磨きがかかって、ボケとツッコミが自然にでき、こっちが気圧されそうなくらいでした。これぐらいになっていないと、彼らが入った大学では授業にも何にもついていけないでしょう。

同時に、みんな、「ウチの大学」って言うようになっていました。それぞれの大学に自分の居場所を見出し、愛着を感じていることがわかります。「ウチの大学、志望している学生、いますか」なんてセリフには、いっぱしの先輩として後輩を是非受け入れたい、この大学はすばらしい大学だから是非入ってもらいたいという、ある種の愛校心を感じさせられます。

そんな彼らも、来年の今頃は内定が出ていたり院試の直前でピリピリしていたりするのでしょう。KCPという1つの幹から出た人生が、どんどん枝分かれしていきます。