Category Archives: 社会

うらのあるおもてなし

5月20日(金)

在留カードをなくしたと言っていたJさんが、再発行手続のため入管へ行き、欠席しました。外国人登録証のように区役所で再発行してもらえるのかと思ったら、そうではなく入管まで足を運ばなければなりません。さらに、再発行はやたらと待たされるらしいのだそうです。そのため、午前中入管で手続をして再発行してもらい、午後の授業に出るというわけにはいきません。

東京入管は所轄する外国人が多いですからしかたがないのかもしれませんが、在留カードの再発行が1日仕事というのは、日本にいる外国人に対するサービスとしては劣悪すぎると思います。そりゃあ、大切な在留カードをなくすのはほめられたことではありませんが、なくしてしまったときのバックアップシステムがこんなに貧弱じゃ、日本は外国人に対して冷たいと思われてもしかたがありません。

これ以外の日本で暮らす外国人への行政サービスがどうなっているかはわかりませんが、そんなに質が高そうな気はしません。有能な外国人に日本でその力を発揮してもらうと国は言っていますが、その活躍を支える体制が情けないままでは、有能な人ほど日本を相手にしなくなるでしょう。

表面的な部分を見て日本が好きだと言ってくれる外国人は多いです。そういう人たちが日本にどっぷりつかろうとした時、この国はどこまで優しいでしょうか。どっぷりつかるはるか手前で、アパートを借りる場面なんかもそうですが、生き辛さを感じさせられているんじゃないかと危惧しています。

「おもてなし」が旅行者やオリンピック選手・観戦者に対してだけでは、日本の将来は暗いと思います。

社長の貫禄

5月18日(水)

午後、職員室で学生のタスクの添削をしていると、「金原先生に会いたいって言ってるだいぶ前の卒業生が来ているんですけど…」と呼ばれました。目を上げてカウンターの向こう側を見ると、ちょっと記憶にない顔がこちらを向いて軽く会釈をしていました。

首をひねりながらカウンターまで行くと、「先生、覚えていますか」と言われましたが、覚えがありません。「2002年の卒業生のBです」「あ~あ、Bさんか。あの頃は中国の学生が少なかったよねえ」「ええ、そうでした。進学のことで先生にずいぶん怒られました」というわけで、今から14~15年前の学生でした。

Bさんは地方の大学に進学し、その地元で就職し、今は仕事で東京や横浜などへちょくちょく来るそうです。「じゃあ、もう社長?」「いえいえ、とんでもないです。仕事でスーツ着てるだけですよ」と言いますが、スーツの下からのぞいたおなかは、社長の貫禄十分でした。

BさんはKCPにいたとき、特別に優秀な学生ではありませんでした。入った大学も、いわゆる有名大学ではありません。でも、ちゃんと日本で就職し、10年も仕事をしているのです。1人で仕事を任せられているということは、会社からの信頼も厚いのでしょう。もう、どっしりと日本に根を下ろしています。

もちろん、KCPを卒業してからのBさんの道のりは平坦ではなかったでしょう。その山あり谷ありの道を歩きぬいて、今の地位にたどり着いたのです。日本で進学したい、就職したい、ずっと暮らしたいという学生には、Bさんのそういう人生を知ってもらいたいです。有名大学に入ったからといって、日本で就職し、ずっと暮らし続けられる保証が得られたわけではありません。そういう競争のスタートラインに立ったに過ぎないのです。

ラジオ体操とリレーと綱引き

5月17日(火)

運動会のたびに思うんですが、日本の学校教育って、捨てたもんじゃありません。開会式直後に準備体操代わりにラジオ体操をします。日本人の教職員は、年齢に関係なくスムーズに体を動かします。学生たちのを見ていると、そのぎこちないこと。学生たちの国では日本のラジオ体操が行われていませんから当然のことなのですが、その裏返しとして、日本人が小中学校でいかにラジオ体操をがっちり訓練されているかがわかるのです。

それから、リレー。バトンパスがめちゃくちゃなんですね。バトンゾーンなんかお構いなしにバトンの受け渡しをしようとするのです。それゆえ、毎年ここでの違反が絶えず、失格とされたチームから必ずクレームが来ます。また、次の走者が立ち止まったままバトンをもらいますから、前の走者のリードが有効に生かせないのです。日本人を4人集めて、突然リレーをしろと言っても、バトンゾーンをそれなりに有効に使い、もう少しカッコいいリレーをするんじゃないかな。今年はバトンゾーンにちょいと工夫を凝らしましたから、バトンパスでの反則はなくなりましたが、日本の体育の先生がご覧になったら、目を覆われることでしょう。KCPにも体育の時間を作って、そこで練習すれば白熱したレースが見られるんでしょうけどね。

これに対して、綱引きは、気持ちが先走って試合開始前に引っ張ってしまうところまで、万国共通なのか、毎回力のこもった戦いが見られます。今年もまた、いつもは温和なGさん、Pさん、Cさん、Eさんなどが口をひん曲げて目をひんむいて腕の筋肉を躍動させて綱と勝利を引き寄せようとしていました。

綱引きをはじめる前に、みんなでKCPの応援歌を歌いました。先週の金曜日と月曜日に練習した甲斐があり、“KCP、KCP”というサビの部分は、体育館中に大きな声が響き渡りました。こういうところで聞くと、この応援歌ってみんなの気持ちを一つにする不思議な力があるなって思います。

忘れてはいけないのが、選手にはならずに裏方に徹してくれた超級の学生たちです。それぞれの持ち場で自分の役割を果たしてくれました。彼らの力がなかったら、運動会は全く進行しなかったでしょう。感謝にたえません。

さて、運動会が終わったら中間テストは目前です。EJUを受ける学生は、本番まで1か月です。今度は、勉強で勝利を引き寄せなければなりません。

トイレに財布

5月10日(火)

お昼過ぎに午後の授業の準備をしていると、事務のSさんから「Dさんって、金原先生のクラスの学生ですよね」と声をかけられました。「はい、そうですが」「これ、Dさんの財布なんですが、5階のトイレにありました。注意して返してあげてください」「あ、すみません。ありがとうございました」

そんなやり取りの末に手渡された財布はズシリと重く、中には在留カード、キャッシュカード、定期券など、暮らしていく上でなくてはならないカード類がぎっしり詰まっていました。授業が始まるまで小一時間ありましたから、そのうちDさんが青い顔をして事務所に「財布をなくした」と言いに来て、その場で「バカモノ」とか言いながら返せばいいだろうと思っていました。

ところが、Dさんはいっこうに現れません。授業開始時刻が迫ってきたので、教室へ行きました。すると、Dさんがふだんと変わらぬ顔で座っているではありませんか。「こういうものをトイレに置いてきたらダメじゃないですか」と言いながら、財布で顔を張るふりをしてそれをDさんの目の前に突き出しても、まだきょとんとしていました。何が起きたのか理解できないという顔つきでした。財布をなくしたという自覚が全くなかったに違いありません。

そんなに大事なものが入っている財布を、なぜトイレで出して、なおかつそれを置きっぱなしにしたのか、その点はよくわかりませんが、無用心なことこの上ありません。学校内だったからよかったようなものの、駅やどこかのお店のトイレだったら、戻ってこなくても文句は言えません。Dさんと同じ年頃の私は、もっと用心深かったと思います。

最近、アルバイトをしている学生が激減しています。勉学に励むという面では結構なことですが、お金の大切さを知らないまま一人暮らしを続けている学生が増えているような気がして、少々心配です。

薄く広く

5月9日(月)

文部科学省学習奨励費受給者の推薦者を決める面接をしました。自薦で名乗りをあげた学生の中から、教師の目で厳選された学生だけが最終面接を受けます。そういう手続を経てきているので、出席率はほぼ100%、成績もそれなり以上の学生たちばかりが残っています。ですから、毎年、この面接には苦労します。だれを落としても悔いが残りそうな気がするのです。

学習奨励費とは、要するに奨学金ですから、いい学生であるかと同等かそれ以上に、経済的にどんな状況であるかが大きな問題になります。経済的に苦しくても勉学に励んでいる学生にもらってほしいと思っていますが、最近はかつてのような苦学生が少なくなりました。生活状況を聞いても、赤貧洗うが如しという学生はいません。奨学金なしでも生活していける仕送りを受けている学生ばかりです。

そう考えると、日本人の高校生のほうがよっぽど貧しいかもしれません。大学進学率は私の頃の倍ぐらいになっていますが、学費が工面できずに退学したり危ない仕事に手を染めたり、そもそも進学をあきらめたりしている若者も多いです。そういう人たちに比べると、今回の候補者の面々は恵まれた生活を送っていると思います。かつては「日本は物価が高いです」という例文が学生たちの生活実感を表していましたが、今はさほどに感じていないように見受けられます。

文部科学省がこういう学生たちの生活状況を知っているのか、学習奨励費の支給額も年々下がって、薄く広くという意図を感じます。ありがたみがなくなったという声も耳にしますが、私は時宜を得た施策だと思っています。今の学生は、お金そのものよりも、学習奨励費受給者という名誉をもらいたいのかもしれません。

なすび

4月26日(火)

卒業生のYさんがお母様を連れて来校しました。Yさんのお母様は、国で大きな日本語学校を営んでいらっしゃいます。ですから、お母様は仕事の関係で、Yさんはお母様の案内がてら近況報告に来たという次第です。

Yさんは現在就活中といいます。卒業生のそういう声を聞くたびに月日の経つのは早いものだと痛感させられます。でも、震災直後に入学し、建て直す前の旧校舎を知る最後の世代というYさんの経歴から計算すると、確かに今年4年生で、今就活に励んでいなければならないのです。

YさんがJ大学を蹴ってS大学に入学した時は、親と大喧嘩をして、勘当同然になったと言っていました。お母様の秘書官的役割を果たして来校した姿を目にして、J大学よりもS大学を薦めた私としても一安心です。知名度では断然J大学でしたが、Yさんの目指す姿に近づけるのはS大学だということで私はS大学を推しました。Yさんもその気になり、親に話したら、一時は学費も出さないというほどの険悪な状態に陥りました。親御さんは、最初は渋々だったのでしょうが、最後はわが子が心からやりたいと思っていることを認めてくださったのでしょう。

親の意見となすびには千に一つの無駄もない――と言われますが、親の意向だからとあっさり進路変更してしまう最近の留学生を見ていると、そこに危うさすら感じます。Yさんのような葛藤がないということは、自分がないということなのかもしれませんから。

Yさんは就職でも自分の意見を通しているようです。親の意見に従えば、自分の頭では何も考える必要がありません。自分で決めた道を進むとなると、責任もリスクも全部自分が背負うということになります。思い負担ではありますが、自分の手で選び取ったという手応えがあれば、その負担はやがて快感へと変わっていくでしょう。

来年の今頃、Yさんはどうしているでしょう。希望に燃えた新入社員なのか、五月病発病寸前の亡霊みたいな姿なのか、それとも就活で尾羽打ち枯らし帰国しているのか…。吉報を待っています。

初泳ぎ

4月25日(月)

朝、作文の採点をしていると、「先生、お時間、ちょっといいですか」とO先生。「はい、いいですが」「じゃ、鯉のぼり、上から下ろすんで…」ということで、毎年恒例の鯉のぼりの飾り付けを手伝いました。まあ、私のしたことは、O先生が上の階から投げ下ろした鯉のぼりが取り付けられたロープを、校舎の前で受け取って仮止めしただけですが。

鯉のぼりが泳ぎだすと、一気に初夏という感じがしてきます。ついこの前、桜が咲いたの満開だのって騒いでたのに、もう半袖が珍しくないですからね。今年もまた、順調に季節が進んでいます。学校の前の道を歩く人たちも、鯉のぼりを見上げたり指差したり、中には写真に収めたり。1年で一番明るく清々しい季節を味わっているようでした。午前中は青空でしたから、なおのこと、鯉のぼりが映えたことと思います。

夕方、妙齢の女性が、鯉のぼりにチラッと目をやりながら、受付に。専門学校か大学の方かなと思っていたら、声が聞こえてきました。その声を聞いた瞬間、何年か前の卒業生のCさんだってわかりました。仕事で来ていて、国へ帰る前のわずかなすき間を縫って、こちらに顔を出してくれました。仕事を持ったから顔つきが変わったのか、幼顔から大人の顔になったからなのか、たぶんその両方でしょうが、学校のパンフレットに載っていたCさんの顔を比べると、落ち着いた雰囲気の有能なビジネスパーソンになっていました。

鯉は立身出世を象徴する魚だとも言われています。ちょうど鯉のぼりを出した日に来るなんて、Cさん、きっと、これからますます商売繁盛、どんどん大きな仕事をしていくようになりますよ。

明日から義捐金

4月18日(月)

熊本地震が、なかなか収まりそうにありません。一発目の地震は、震度こそ大きかったものの、そのわりに被害が大きくないと感じました。しかし、それ以後、けっこう規模の大きい地震が続き、被害がだんだん拡大し、ついに16日未明の(現時点では)本震と呼ばれる地震が発生しました。いつの間にか死者が42名を数えるまでになり、11万人もの方々が避難しています。震源が大分県方面に移動し、中九州地震と言ってもいいような様相を示しています。

今回の地震は、東日本大震災とは違って、活断層が引き起こした地震です。今回の震源域の活断層は、四国を東西に貫く中央構造線につながっています。この中央構造線が大暴れしたら、日本が割れてしまいかねません。そんなことはおそらくないでしょうが、悪い想像は尽きません。

14日の地震発生以来、海外から東京は大丈夫かという問い合わせが何件も来ています。震源域から東京まで、どういう測り方をしても800キロはあります。大丈夫に決まっていますが、1万キロも彼方から見ると、800キロなんて至近距離なのです。しかも、大事な子どもを預けているとあれば、わずかな不安でも見逃せないのでしょう。

今回は、今のところは福島原発のような事故は発生していません。でも、震源域の移動方向の逆方向には、稼働再開したばかりの川内原発があります。政府は稼働を続けることに問題はないと言っています。一抹の不安を感じると同時に、もし政府が稼働停止を命じたら、それが必要以上に海外の人々の不安をあおるのかもしれないとも思っています。

明日から今度の震災の被災者に送る義捐金の募金を始めます。募金活動のボランティアを募集したら、予想を上回る人数の学生が集まったとのことです。学生たちは地震の行方に関心を示しつつも、むやみに不安がることなく勉強に励んでいます。家族から離れた異国の地で、立派なものだと思います。

温かな心

4月15日(金)

ゆうべの熊本地震は学生たちもかなり関心を持っているようで、初級の授業でたまたま「地震」という漢字を扱いましたが、「熊本」という学生たちにはなじみの薄い地名がすっと出てきました。初級の学生ですから、母国のニュースサイト経由に違いありません。ということは、世界中に「熊本=地震」という方程式が広まっているのでしょうか。

私なんかも、パリとかニューヨークとかという超有名な地名以外は、災害や事件事故がその地名を知るきっかけになることがよくあります。今は世界一の金持ち都市としてその名がとどろいているドバイも、私が知ったきっかけは、日航機ハイジャック事件でした。当時中学生だった私の心には、「ドバイ=危険な町」という強固な観念が植え付けられました。その後ドバイは発展を続けましたが、ドバイのニュースを見聞きするたびに、砂漠の真ん中の空港からの中継映像がフラッシュバックしました。

でも、ニュースによると、熊本地震の被災地を救おうという海外の動きも活発なようです。こういう温かい気持ちは、本当にありがたいです。人間のよって立つ地面が揺るぐような物騒なところとはかかわりを持ちたくないという発想に向かうのではなく、そういう信じられないような恐ろしい目にあった人たちに自分の幸せをわけてあげようという厚情を抱いてくれたことは、とても尊いと思います。

私のクラスの学生たちは、まだ初級ですから、「大変です」ぐらいしか、自分の気持ちを表す術を持ち合わせていません。「大変です」から、どういう形でも力になってあげようという心根を持っていてもらいたいです。その心根を具体的な行動に結び付けられたら、それはその人の一生の財産となるに違いありません。

採点基準

3月16日(水)

初級クラスの代講に入りました。文法テストがありましたから、授業後、その採点をしました。自分が仕切っているレベルなら、問題も自分で作っているし、採点基準も自分で決めればいいし、答案の出来を見て微調整も可能です。ですが、初級はそういうわけにはいきません。何より、クラス数が多いので、ということは採点者も多いので、私が勝手に採点基準を決めるわけにはいきません。疑義のある答えは、レベル担当のK先生に相談し、他のクラスとのバランスを取らなければなりません。

テストは、本来、同じ答案なら誰が採点しても同じ成績にならなければならないものです。すべてが選択問題ならそういうテストも作れましょうが、記述式となると、どうしても採点者の主観が入り込んでしまいます。初級の文法テストですから大した内容の文にはならないのですが、教師によって許容範囲が異なることは容易に想像できます。これはどうしても認めたくないとか、これぐらいなら目をつぶってあげてもいいんじゃないかという基準を、私も主張したいし、他の先生もそれと同じだけ主張したいでしょう。

たかがKCPの文法小テストですらこうなのですから、センター試験の改訂版となる新共通テストで実施が予定されている記述式試験となったら、いったいどういう採点をするつもりなのでしょう。採点が大変すぎるから複数回実施をあきらめたと言いますが、当然の結論だと思います。

受験生の真の能力や意欲をとらえるには記述式のほうがよいということで導入するというのはよくわかります。でも、その真の能力をしっかりと感じ取る体制ができていなかったら、理想は画餅どまりです。高い志を、何とか実現日してもらいたいと、陰ながら応援しています。