Category Archives: 社会

ポケモンGO

7月23日(土)

ポケモンGOが配信され始め、学生の中にも昨日1日でだいぶ集めたつわものがいたそうです。今のところ校内にポケモンが湧き出しているところはないようで、電車の中やら歌舞伎町やらで拾ってきているみたいです。

すでに、ポケモンを集めるために不法侵入したり、危険を冒そうとしたり、宗教的冒涜につながりかねない行為をしようとしたりという例が報じられています。大学の中には、学内でのポケモン狩りを一切禁止するというところもあるようです。KCPも、学生の振る舞いいかんでは、何か考えなければならないかもしれません。

その一方で、これをすると電池の消耗が激しいので、その方面の商品が売れ始めているとも言われています。アベノミクスをもじってポケモノミクスなることばも発見しました。人々が電車やクルマで街に出て、ポケモンを集めながら、買い物したりおいしいものを食べたりちょっと映画でも見たりということをすれば、多少は景気もよくなるでしょう。

でも、同時に、これっていつまでもつんだろうとも思います。飽きられたら終わりですから、次から次へと何かが進化していくのでしょう。あんまり進化しなかったたまごっちが在庫の山になったのは、20年ぐらい前の話でしょうか。下手をすると、年末にはポケモンGOって何だったっけってなことになっているかもしれません。

さて、6月のEJUの結果が届きました。いつもより結果のはがきを取りに来る学生が少なかったです。まさか、ポケモン狩りに熱中して忘れちゃってるんじゃないでしょうね。

巨泉さんのセミリタイア

7月20日(水)

大橋巨泉さんが12日に亡くなっていたと報じられました。私たちの世代は、巨泉さんの11PMを見て大人になったつもりに浸ったものです。もちろん、その本当の意味を理解していたわけではなく、背伸びしてようやく上っ面だけわかったような気になっていたに過ぎないのですが。11PMという番組の文化的な奥深さを知るのは、それからかなり時間が経ってからです。

その後、クイズダービーや世界まるごとHowマッチでも楽しませてもらいました。これらの番組を毎週のように見ていたおかげで、自分の世界も興味の範囲も広がったと思います。今思えば、私にとっては娯楽番組というよりは教養番組だったと思います。

そういう人気番組を抱えている最中に、巨泉さんはセミリタイアと称して、テレビの世界から引っ込んでしまいました。そして、趣味の世界で生きるようになったのです。世界各地に、それぞれ1年で最も気候のいい時期を過ごすなんていう生活も始めました。就職してまだ数年しか経っていませんでしたが、働くことの意味を強く考えさせられました。また、人生とは誰のため、何のためにあるのかということについても考え込んだ記憶があります。

この、巨泉さんがセミリタイアした年が、ちょうど今の私の年なのです。セミリタイアして好きなことをして暮らしていけるだけの経済的基盤を築いていたこともスゴイの一言ですが、その後の人生を楽しむプランも持てていたことにも注目したいです。私もセミリタイヤしたいのはやまやまですが、巨泉さんのような経済的基盤もなければ、人生を楽しむ趣味もたくさん持っているわけではありません。

日本語について考えることも、自然科学の疑問を深く追究することも、私の趣味の一部分です。だから、今は趣味を仕事にしていると言えないことはありません。でも、私の中では趣味はあくまでも楽しむものであり、それをお金稼ぎの手段に使うというのは、邪道のような気がしてなりません。日がな一日、マッサージチェアに座ってマッサージされながら、文法やことばの意味を考え続けられたら、どんなに幸せだろうと思っています。

何のために進学?

7月13日(水)

Yさんは私立のG大学と国立のM大学を志望校として挙げています。どちらの大学も、就職しやすいと言われている商学部とか経済学部とかではない学部を狙っています。卒業したら日本で就職しようと思っていますが、就職を優先して学部を選ぶのはいやだという気持ちも強いのです。

Yさんが考えている学部は、学問的にはおもしろいと思います。そういう学部で自分の興味の赴くままに勉強し、充実したキャンパスライフを送りたいというのが、Yさんの近未来の構想です。「大学に残るつもりがなかったら、そんな学問より就職後に役に立つ勉強のほうが、結局Yさん自身のためになるよ」ってアドバイスも可能です。でも、Yさんにはそんなアドバイスはしたくなくなりました。

Yさんは、就職のためではなく、学問を通して自分の青春を楽しむために大学に進学しようと考えているのです。それだったら、本気で大学生活を味わい尽くせば、それが就職のときのアピールポイントになるのではないでしょうか。普通の留学生とは一味も二味も違う留学生活を通して得たものを企業の面接官の前に示せれば、きっと面接官の心を動かせるはずです。また、何ごとにも前向きなYさんなら、口先だけではなく、本当にそういう4年間を送ることでしょう。そう考えると、そう考えると、Yさんの計画がなおさら輝いてきました。

確かにG大学やM大学は簡単に入れる大学ではありませんが、入試面接でこういう考えを強く訴えれば、十分に勝ち目があります。Yさんの背中を強く押しました。

マイナス金利

7月6日(水)

今年に入って間もなく始まったマイナス金利政策ですが、長期金利の史上最低更新というニュースが毎日のように報じられています。マイナス金利は、もうすっかり定着したということなのでしょうか。

新聞やネットの解説記事を読めば、マイナス金利の理屈も頭では理解できます。しかし、心の底の部分に何か引っかかるものがあります。借りたお金を満額返さなくてもいいって、やっぱり変ですよ。私は、古い道徳観に毒されているから、お金を借りるのが嫌いだからこんなことを言うのかもしれません。

こんな時、大学や大学院に進学して、こういう方面を勉強・研究している卒業生に講義してもらいたいなって思います。特に、顔見知りの卒業生なら、遠慮なくくだらないことも聞けますからね。彼らがここの学校にいたときには教師と学生という関係でしたが、今は専門家とド素人と、立場はすっかり逆転しました。私の寝ぼけた頭を目覚めさせてくれないものでしょうか。謙虚に教えを乞いたいです。

そうは言っても、実際に話を聞くとなると、教師根性が頭をもたげてくるんでしょうね。今の説明はわかりにくいとか、ここでこういう文法を使うべきだとか、果ては発音がよくないとかって言い出すんじゃないかな。そんな枝葉末節ではなく、国家財政とか世界経済とかを論じ合うつもりで来た卒業生は、戸惑うというよりがっかりするでしょうね。

それはともかく、KCPの卒業生は、芸術でも文学でも理工学でも、各方面で活躍しています。この偉大な力を利用しない手はないなと思いつつ、利用していない自分の手をじっと見ています。

卒業生たち

6月30日(木)

夕方、おととしの3月に卒業した卒業生が3名来ました。久しぶりに会って食事に行く途中に、KCPに寄ってくれたそうです。もう3年生で、大学院進学やら就職やらを心配し始めています。大学院進学というと、大学進学の時以上にTOEFLのスコアが物を言います。もちろん、専門の試験や面接もおろそかにはできません。また、就職は、お金も人生もかかってきますから、さらにもっと考えるべきことが多くなります。進学か就職か迷っているとなると、その両方を考えて、そんなに長い時間が経たないうちに結論を出さなければなりません。

ですが、3名はそんな悩みを吹き飛ばすような勢いで、近況を面白おかしく語ってくれました。最上級クラスにいた学生たちですから元々日本語はうまかったのですが、それにさらに磨きがかかって、ボケとツッコミが自然にでき、こっちが気圧されそうなくらいでした。これぐらいになっていないと、彼らが入った大学では授業にも何にもついていけないでしょう。

同時に、みんな、「ウチの大学」って言うようになっていました。それぞれの大学に自分の居場所を見出し、愛着を感じていることがわかります。「ウチの大学、志望している学生、いますか」なんてセリフには、いっぱしの先輩として後輩を是非受け入れたい、この大学はすばらしい大学だから是非入ってもらいたいという、ある種の愛校心を感じさせられます。

そんな彼らも、来年の今頃は内定が出ていたり院試の直前でピリピリしていたりするのでしょう。KCPという1つの幹から出た人生が、どんどん枝分かれしていきます。

お守りが床に

6月23日(木)

期末テストの試験監督に入った中級のクラスにHさんがいました。Hさんは、クラスで受け持ったことはありませんが、受験講座などで接点があり、まんざら知らない学生ではありません。そのHさん、リュックを机の横のフックに引っ掛けていましたが、そのファスナーにぶら下がっているお守りが床についてしまっていました。きっと学業成就のお守りなんでしょうが、これじゃあ御利益ゼロどころかマイナスかもしれないよって思いました。テスト中なのでみだりに声をかけるわけにもいかず、Hさんの机のそばを通るたびにイライラひやひやしながら、試験監督を続けました。

Hさんなら、お守りの意味は十分理解しているはずです。でも、そのお守りが床を引きずるようなリュックの置き方をしても、何も感じていないのでしょう。ほとんどの学生が日本文化を知りたいと言うし、自ら進んで勉強している学生も多いです。しかし、そうして得ている知識は、表面的なものが大半なのだと思います。あるいは、断片的な知識が有機的につながっていないのです。お守りは神仏の分身であり、床には大事なものを直接置かないという日本文化が結び付けられていれば、お守りが付いているファスナーのポケットにお守りをしまうとかってできるはずです。

私たちも、そうしたことをおろそかにしてきたことは否めません。通り一遍の文化紹介ではなく、もう一段深いところまで踏み込み、その背景に触れ、それを学生自身の生活に溶け込ませるような、紹介よりは体験に近いことをさせていきたいです。

テストが終わったらHさんに注意しようと思っていましたが、他の学生にかかわっているうちに、Hさんの姿は消えていました。今度会うのは来学期になってからでしょうが、何かの折に是非注意しましょう。

地震こそ日本

6月10日(金)

避難訓練をしました。地震発生という想定で、机の下にもぐって、揺れが収まってから、整列して外に逃げるというものです。ごく当たり前のパターンでしたが、私が入った初級クラスは来日から日が浅いため、すべてが新鮮だったようです。

頭を保護しなければならないのに、机の下が窮屈だからでしょうか、お尻ばっかり隠して、頭が机の外に出てしまう学生が何名かいました。建物外への避難は、比較的整然と行っていました。「ハンカチかタオルで口と鼻を隠して」とくどく言ったのに、数名はおざなりに手を口と鼻に当てただけでした。

訓練修了後、本当に地震が発生した時の対処法を話しました。学校にいるときは教師の指示に従えばいいですが、自分の家にいるときだったら、自分で身を守らなければなりません。かばんでも布団でも鍋でも何でもいいから、まず頭を守り、この近辺における新宿御苑のように、自分が住んでいる地域で指定された避難場所に逃げるように伝えました。

日本は地震が多い国で、特に関東地方は1923年の関東大震災以来、大きな地震が発生していないので、いつ熊本地震並みの地震が起きてもおかしくないと言ったら、教室中が静かになってしまいました。「あんたたち、どうしてこんな危ない国に留学に来ちゃったの?」と、今までもいろんな学生に尋ねてきましたが、このクラスの学生はみんな正面から考えてくれました。

1人でも多くの留学生に日本へ来てもらいたいですが、日本で暮らすからには常に地震と背中合わせだという覚悟が必要です。地震もまた、日本の文化や日本人の精神を形作ってきた重要な要素の1つです。地震を避けていては、日本の真髄に触れることはできません。

上手に話せるように

6月4日(土)

今週私が面接した初級クラスの学生の何名かから、上手に話せるようになるにはどうしたらいいかという質問を受けました。毎日日本人と話すのが一番いいに決まっていますが、日本に住んでいても日本人と話すチャンスはそんなにないのが現状です。KCPは日本人ゲストを呼んで、ゲストと話すチャンスを作っていますが、それだって各学期数回の前半どまりです。

アルバイトをしても、多くの場合、職場で使われている日本語は限られていますから、学生たちが望むような会話力はつきません。居酒屋敬語と称する、日常会話や入試の面接などでの日本語とはかなり様相の違う話し言葉だけが身につく結果に終わります。

相談を受けた学生には、授業前でも後でも、職員室で先生と話す練習をしてみたらどうかと言いましたが、毎日何人もの学生の会話相手をするとなると、こちらの仕事がさっぱり進まなくなります。このアドバイスは、そういう矛盾を含んでいます。また、日本語の文章を音読してみろとも勧めました。授業中に毎日音読の練習をしていますから、その成果を応用して、多様な日本語に触れ、日本語のリズムに慣れるのです。音読チェックぐらいなら、私たちも毎日できるでしょう。

Sさんは、国にいたときの日本語の先生から、公園へ行っておばあさんに話しかけなさいと教えられたそうです。内気なSさんはこれまでその教えを実行していませんが、実行しなくて正解です。変なガイジンに話しかけられたとかって誤解でもされたら、大騒ぎになりかねません。誤解を解くのに持てる日本語力を総動員し、話す力が向上するかもしれませんが、労力のわりに効果は薄いと思います。

Sさんの先生がどんな方かは存じませんが、公園でおばあさんに話しかけて会話力を磨いたとすると、まだのどかな日本が残っていた頃に勉強なさったのでしょうね。サザエさんかちびまる子ちゃんの時代なら、公園で留学生に話しかけられても暖かく迎え入れてくれる人が大勢いたんじゃないかな。今はグローバリズムの時代と言いつつも、人を見たら泥棒と思えという発想のほうが勝ってしまっているように思えます。

ある退学

6月1日(水)

Uさんが退学しました。最近は欠席がちで、学校へ来ても勉強する意欲はあまり感じられませんでしたから、いい決断です。このまま来年の3月まで在籍したとしても、得るものは少ないでしょう。だから、ここで出直すのがUさんにとって最善の道だと思います。

Uさんは経済的には恵まれた家庭のようで、アルバイトはせず、KCPのほかに塾にも通わせてもらっていました。しかし、ふだんの様子を見る限り、塾でもあまり勉強しているようには思えませんでした。自宅学習もゼロに近かったんじゃないでしょうか。入学して1年余りですが、Uさんが日本語でまとまった話をしているのを見たことがありません。入学した時のクラスメートの中には、かなりの実力者になっている学生もいるというのに。

日本での生活は、それなりに楽しんできたようです。でも、進学という本来の目的に向かっては、ほとんど歩んできませんでした。元来、勉強が嫌いなのかもしれません。国でどうにもならなかったから日本へ来ちゃったんだろうかと思うこともあります。自分の意思というよりは、親の意見に従ってというのが実のところでしょう。豊かなうちの子どもは、とかくこういうことになります。

思えば、かつて、日本の若者が大勢海外留学した時代がありました。私なんかよりももうちょっと下の世代です。アメリカなんかでは、さっぱり英語が上達しない日本人留学生が問題になったという話も聞きました。親がバブル期の経済力に物を言わせて子どもを海外留学させたものの、本人は留学経験と呼べるほどの成果もなく帰国し、結局青春の無駄遣いに過ぎなかったというものです。その現象を平行移動したものが、今、私たちの身の回りで起きています。

Uさんの退学をいい決断といいましたが、本当にいい決断とするのは、これからのUさん次第です。

98年って何してた?

5月23日(月)

中間テストがありました。中間テストと期末テストでは、学生証を机の上に置かせ、試験監督の教師はその学生証と出席簿とを照合することで出欠を確認します。教師はいつものクラスとは違う、知らないクラスに試験監督として入りますから、こういう方法で間違いが起こらないようにしています。

学生証には学生の生年月日が記載されています。生年月日は出欠には直接関係ありませんが、学生証をチェックする時に目に入ってきます。午後、私の担当したクラスには、1998年生まれがばらばらいました。1998年といえば、私が日本語教師になった年です。私が新米の日本語教師として、冷や汗をかきながらプライベートレッスンで赤坂やら渋谷やらの会社を駆けずり回ったり、技術研修生相手のクラスで教壇に立ったりしていた頃です。光陰矢の如しって言いますが、98年なんて、私にとっては昨日ですよ。

でも、その98年生まれが、健気にも祖国を離れて外国の大学に入ろうと、日本語を勉強し、その勉強した日本語で入試科目の勉強もしているのです。KCPの中間テストに合わせたわけではありませんが、EJUの受験票が土曜日に学校に届いていましたから、それを配りました。「早稲田だ」なんて、試験会場を見てつぶやいている学生も。中間テストなんかとは比べ物にならないプレッシャーが、98年生まれの学生たちにも間もなく襲い掛かってきます。

外は、今年初の真夏日でした。沖縄と奄美はすでに梅雨入りしています。九州もお天気がパッとしなくなりつつあり、入梅が近そうです。雨の季節の足音とともに、受験シーズンの影も迫りつつあります。