Category Archives: 社会

芽を摘む奴等

1月11日(木)

M先生の話によると、留学生の受験生を狙った振り込め詐欺が発生しているそうです。手口は以下のようなものです。

留学生にも日本人学生にも人気のあるX大学を受験したAさんのところに、こんな電話がかかってきました。「X大学のY学部Z学科に出願したAさんですね。おめでとうございます。合格が決まりましたから、すぐに学費を振り込んで、入学手続きをしてください」。

確かに、AさんはX大学Y学部Z学科を受験しました。でも、X大学の合格発表は来週です。変だとは思いましたが、国では奨学金受給者などは事前に合格が知らされることもあるので、もしかするとそういう例かもしれないとも考えました。しかし、インターネットで調べてみると詐欺集団の仕業だということがわかり、お金を振り込むのはやめにしました。

Aさんは、この詐欺集団が、自分がX大学Y学部Z学科を受験したという情報をどのような経路で手に入れたかわからないと、非常に不気味がっていました。また、問い合わせ先として教えられた電話番号は、X大学の正規の電話番号に非常に類似したものでしたから、実際にだまされた受験生がいたとしても不思議はないとも言っていたそうです。

最近の留学生はお金持ちになったとはいえ、数十万円にも及ぶ入学金や授業料をだまし取られたとしたら、そのショックはいかばかりでしょう。1人の若者の人生を真っ黒に塗りつぶす行為です。留学生の大志をくじいて自分の懐を肥やしても、全く心に痛痒を感じないのでしょうね、こういうことをする人たちは。

それにしても、Aさんの受験情報は、どういう流路を伝わって魔の手に渡ってしまったのでしょう。KCP側から漏れる要素は思い当たらないし、天下のX大学が流出源になるとも考えにくいです。それゆえ、再発防止策が立てられず、受験生本人の注意力に頼らなければならないというところがもどかしい限りです。

明日から新学期です。こういうつまらぬ挫折をさせないようにも力を注いでいきます。

入学式挨拶

入学式挨拶(2018年1月10日)

皆さん、本日はご入学おめでとうございます。このように多くの学生が世界の各地からKCPに集まってきてくださったことを大変うれしく思います。

さて、一昨年ごろからAIの実力が目に見える形でわれわれの前で発揮されるようになり、人間の仕事をどんどん奪っていくのではないかと危惧する声が強まってきています。昨年あたりは、AIに取って代わられる仕事は単純労働よりも頭脳労働だということが声高に叫ばれるようになりました。皆さんが幸せな未来を切り開いていくには、人間のライバルのほかに、AIにも競り勝っていくことが求められているのです。

AIに勝つには、勝たなくてもいいですから、せめて、共存していくためには、どうしたらいいでしょうか。ただ単に知識を増やすだけではAIにかなうはずがありません。知識の蓄積こそ、AIの最も得意とするところなのですから。皆さんにとっての外国語である日本語ができるだけでも、AIによる翻訳通訳技術は日進月歩ですから、皆さんに安寧をもたらすことにはなりません。

現在のところ、この答えを知る人は、世界中に誰もいないでしょう。七十数億の全世界の人々が、この答えを求めて右往左往しているのが今日であり、これからしばらくの世界のありようです。そういう中で、皆さんは日本へ留学に来ました。皆さん自身の中で留学の意義が明確でないと、この留学自体が皆さんの人生において無意味なものになり、青春の無駄遣いになってしまいかねません。

皆さんが持っている時間は、私などに比べればはるかに長いです。今まではそれをうらやましく思うだけですんでいましたが、AIという強力な競争相手と戦い続けなければならないとなると、同情を禁じえない面もあります。もちろん、同情しているだけでは私たちは役目を果たしたとは言えません。少しでも皆さんの未来を切り開く力になろうと思っています。これこそが、私たちの責務だとも思っています。

新年早々非常に厳しい話になってしまいましたが、AIを使いこなし次世代を築いていけるのは、皆さんのような優秀な若者だけです。その力を養い、どの方向に進めば明るい未来が見えてくるのかを、このKCPで探してください。そのためなら、私たち教職員一同、喜んで力をお貸しします。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

大掃除の最中に

12月28日(木)

2017年最後の営業日なので、校舎内外の大掃除をしました。私は外回りを担当しました。枯葉がたくさん舞い込んでいるのは先刻承知でしたが、砂ぼこりも結構たまっていました。また、植え込みの陰や隣の敷地とのすき間に空き缶やポリ袋が落ちていました。いや、見えないだろうと思って誰かが意図的に捨てたのでしょう。電車など乗り物のシートも全く同じで、クッションの隙間のような目立たないところに小さなごみが無理やり突っ込まれていることが多いのだそうです。でも、それは、掃除する人に手間をかけさせるに過ぎません。空き缶(正確には、そこに何か月分もの雨水がたまっていたので七分どおり入っていましたが)を取り出すのも大変だったんですよ。

そんなことをしていたら、京都の大学に進学したGさんがやって来ました。「やせた?」「はい。キャンパスが山の上なんで、よく歩くんですよ」。去年の今頃は受験の真っ最中で、運動不足もあったのでしょうか、まん丸でしたが、今はお腹が一回りか二回りへこんだような気がします。単位も順調に取っているようですから、脳で消費するエネルギーが増えた分だけやせたのかもしれません。

そうなんですよね、Gさんは、KCP史上おそらく最多の大学を受験し、おそらく最多の大学に合格しました。年末年始は面接練習やら何やかやで、毎日大騒ぎでした。期末テスト後も始業日眼も特訓でしたものね。あれから1年、早いものです。

そのあと、在校生のDさんが、大学出願にKCPの書類が必要だけど、1月6日必着だからどうしようと、青い顔をして飛び込んできました。来年の年末は、遠くに進学したDさんがひょっこり現れて、こんなことを思い出させてくれるのでしょうか。

よい新年を迎えたいものです。

まだ何も

12月27日(水)

今年はまだ、年賀はがきを買ってもいません。去年までは、発売開始早々に全国各地の地方版年賀はがきを買い求め、各地方独特のお正月風景の点描を楽しんでから、それぞれの人が気に入ってくれそうな絵柄を選んで、一筆したためたものです。ところが、今年は勢い込んで地方版セットを買いに行ったところ、なんと、今年から地方版が廃止になったと言われてしまい、がっくり肩を落として何も買わずに家へ帰り、そのまま元日まであと5日に至ったという次第です。日曜日にウチの近くのスーパーの店先で郵便局の人がサンタに扮して年賀はがきを売っていたのですが、なんとなく通り過ぎてしまったのもいけなかったかもしれません。明日どうにか年賀はがきを手に入れて、年末を過ごす名古屋のホテルの一室で書くことになるのかなあ…。

私が年賀状を出すみなさんは、10年以上も会っていない方々ばかりです。本当に必要最低限の人数にしか出しませんから、手書きでも十分間に合うのです。また、一人ひとりに図柄を選ぶ過程を通して、その方に思いを馳せる時間も確保していました。でも、あて先の住所はその年のお正月にもらった年賀状を見て書きますから、その年賀状を読みながら思い出すことにしましょう。

実は、来年の年賀状を早くも1枚もらっています。先日、写真が趣味というCさんが、来年の干支である戌と遠縁関係にあるレッサーパンダ(どちらも食肉目イヌ亜目に属する)の年賀状をくれました。大学院は写真とは全然関係ない専門に進むのですが、まさにプロはだしの写真です。私はこういう方面にはとんと疎いもので、とてもまねできません。写真の持つ勢いに素直に感心し、愛でるのみです。

来週の今頃は‥‥

12月14日(木)

期末テスト1週間前なので、試験範囲を発表しました。試験範囲を書いた紙を教室の掲示板に張り出しましたが、私が入った超級クラスは、Sさんがスマホで写していたぐらいで、学生たちはあまり興味を示しませんでした。超級ともなると、実力で問題に取り掛かっても合格点ぐらいは取る自信があるのでしょうか。読解はそれでもどうにかなるかもしれませんが、漢字は試験範囲をきっちり復習しておかないとどうにもならない学生がたくさんいると思うのですが、学生たち自身はどう思っているのでしょう。

授業後、Lさんが再試やら追試やらを受けに来ました。Lさんは「卒業」がかかっていますから本気です。不勉強のまま受けて不合格になったり、欠席してそもそも試験自体を受けていなかったりしていると、平常点が悪すぎて卒業証書ではなく修了証書になってしまいます。今になって焦るんじゃなくて最初からきちんとやっておけよって言ってやりたくなりましたが、同じ立場のNさんは何もしていませんから、それよりは前向きだと思わなければなりません。

受験講座後、Jさんと一緒になりました。Jさんは期末テストが終わったら羽田空港直行で一時帰国します。21日と22日では、飛行機代が倍以上違うのだそうです。クリスマスに近づくと、急に高くなると嘆いていました。また、新学期の始業日に間に合うように戻って来ようとすると、1日違いで料金が高いとか。Jさんはちゃんと高いチケットを買って、始業日から出席します。

最近は、成績や進学に響かなかったら無理して始業日に戻らなくてもいいなどと子供を引き止める国の親がいるという話を聞きました。もってのほかです。親がいい加減だから、子供もいい加減な勉強しかできないのです。Jさんの考えが当たり前なのですが、それが立派に見えてしまうあたりに、近頃の若者とその親の問題点が潜んでいます。

400ppm

12月1日(金)

英国で18世紀後半に始まった産業革命は、人類が化石燃料を大量に消費するきっかけともなりました。化石燃料を燃やすと二酸化炭素が大気中に放出されます。それ以前は約280ppmで一定していた大気中の二酸化炭素濃度はじわじわ上がりだし、50年ほど昔の私の子ども時代には300ppmになりました。理科の時間に、地球温暖化とは関係なく(その頃、そんな言葉はありませんでした)純粋に知識として、そう教えられました。今は、どの教科書も400ppmと記し、温暖化効果ガスをどうにかしなければという流れになっています。この大気中の二酸化濃度変化の曲線を外挿すると、学生たちが私の年齢になることには500ppmになっているかもしれません。

このところ、なぜかこんな話を立て続けに数回しました。すると、何だか歴史の生き証人みたいな気分になるんですねえ。100ppmの変化を日々少しずつ実感してきたわけではありませんが、50年分をまとめて振り返ると、霜柱が少なくなったなあとかって感じることもあります。ベルリンの壁のあっち側とこっち側の話をしても、学生たちにとっては歴史の教科書の写真でしか知らない物を見て触って越えてきているんですから、半分英雄みたいなものです。社会人になる直前、無理してヨーロッパ旅行をし、度胸を決めて東ベルリンに踏み出したおかげで、今の私が形作られているのです。

今上天皇退位の日が2019年4月30日と決まりました。翌日から新しい元号となり、私は昭和平成そして新元号の三代を生き抜くことになります。それから10年もすると、私が明治生まれの祖父母を見ていたような目で、新元号時代生まれの子供から見られるようになるのでしょう。それまでに、祖父母たちのように威厳を備えた人物になっていたいなあと思います。

面の皮

11月27日(月)

私は、面の皮があまり厚くないので、普通の2枚刃のかみそりなどでひげをそると、わりとたやすくかみそり負けしてしまいます。そこで、電気シェーバーを使っています。ところが、最近、何年前に買ったかわからないくらい長期間愛用してきたシェーバーが、スイッチがなかなか入らなくなりました。1回でうなり出すのは稀で、数回から十数回スイッチを押さないと反応しなくなりました。もう寿命だとしても全くおかしくないので、新しいのを買うことにしました。

というわけで、先日、家電量販店でシェーバーを見ていると、「いらしゃいませ」(「っ」が落ちている)「何〇お探しですか」(“〇”は「か」と「が」の中間の発音)と声を掛けられました。こういう場面で、発せられた日本語で値踏みしてしまうのは、職業柄悪いクセだと百も二百も承知しつつ、中国人の店員だと思って振り向くと、それっぽい名前の名札を下げていました。

「こちらはおすすめの機種ですよ」とさらに声をかけてきましたから、「恐れ入りますが、しばらく一人で見させていただけませんか」と言うと、その店員はちょっと怪訝そうな顔をして、去っていきました。こんなばかっ丁寧な言葉遣いをされるのは初めてだったのかもしれません。乱暴な言葉を投げかける日本人ばかり相手にしてきたとすれば、日本人を代表して謝りたいです。

その後もあれこれ見比べて、買うと決めた品物をレジへ持って行くと、レジにはロシア人っぽい名前の店員さんが立っていました。家電量販店へ行くのも久しぶりでしたが、ずいぶんと外国人が働いているものだと感心させられました。KCPの学生たちも、時には私のような悪いお客にいじられながら、精一杯働いているのでしょう。また、進学し、そこを卒業したら、日本社会の構成員として、日本で生活していこうと考えている学生も少なくありません。その時には、少しは面の皮を厚くして、よい意味でふてぶてしく生き抜いてほしいものです。

川面から東京を見る

11月17日(金)

隅田川を下る水上バスの船乗り場は浅草ですが、私はもう4.5キロほど上流から川下りを始めました。そうです、自宅のすぐそばから隅田川遊歩道を歩いて、水上バスの旅の集合場所まで来たのです。晩秋を感じさせるススキの穂を見ながら、朝の冷気を頬に感じつつ、でも集合場所に着いたらうっすら汗をかいていました。

学生たちの集まりは結構よかったのですが、それだけに遅れてきた学生が目立ちました。やっぱりねと言いたくなる学生たちが定刻過ぎに駆け込んでクラスの列の後ろにつきました。

水上バスは満席と言ってよく、それだけに活気が感じられました。私のクラスは2階席で、椅子がたくさん並んでいるだけでしたが、1階席はテーブルを挟んで向かい合う座席配置のため、テーブルの上に食べ物や飲み物を広げて談笑するクラスもありました。

隅田川の遊歩道は、月に1回ぐらい、清洲橋か永代橋、調子に乗ると勝鬨橋まで歩き通すことがあります。右岸も左岸も歩いたことがありますが、川の真ん中を通り抜けるのは初めてです。でも、学生の様子を見に船の中をあちこち動いていると、景色どころではなく、気がついたら右手に浜離宮が見えていました。

「あ、豊洲の新市場だ」と、水上バスには何度も乗ったことがあるLさんの声にそちらを向くと、それらしい建物が建ち並んでいました。すると、程なくレインボーブリッジをくぐって終点のお台場海浜公園到着。もっとあれこれ景色を楽しみたかったなあというのが、正直な感想です。学生たちも、アトラクションで騒いでいるうちに着いちゃったというのが本音かもしれません。

お台場はいろいろな名所がありますから広く感じるかもしれませんが、せいぜい1.5キロ×2.5キロ程度です。ゆりかもめの駅がいくつもありますが、ゆりかもめ自体都電を高架線に上げたようなものですから、2つ先の駅ぐらいなら歩いていけちゃいますし、ブーツのような路線ですから、お台場海浜公園―青海など、駅は4つめですが、直線距離は600mに過ぎません。小ぶりな県庁所在地の中心街といったところでしょう。

私のクラスはそんなお台場を、約4.5キロ、ちょうど私のうちから浅草までと同じくらい歩きました。学生たちの中にはブーブー言っていたのもいましたが、若いうちから足腰を鍛えておかなきゃ年取ってから歩けなくなっちゃいますよ。

解散してから、私はレインボーブリッジを歩いて渡って帰りました。見学か所内や船内を歩いた距離を加えると、20キロぐらい歩いたかもしれません。心地よい疲れが襲ってきました。

激務に耐えかね

11月16日(木)

Rさんは国で外科医をしていました。医者をやめて学生に戻るなど、日本では考えにくい進路です。日本で健康管理の勉強をして、そういう方面の仕事に鞍替えするつもりです。日本で働きたいですが、たとえ国へ帰ることになっても医者には戻らないと言っています。

国では、Rさんは毎日朝6時から夜11時まで手術の連続で、5人の患者さんに3時間ほどの手術を施してきました。昼ごはんは、患者に麻酔が回るまでのわずかな時間を利用して軽食をかき込むだけ、夕食はほとんど取れません。糖分不足で倒れてしまったこともあったそうです。もちろん、休日に急患の手術をすることもありました。こんなにハードな仕事なのに、給料は安く、患者やその家族からは尊敬されず、患者が亡くなってしまおうものなら遺族がナイフで刺しに来るなど、身の危険を感じることもしばしばでした。

Rさんは、日本は街の中に小さい病院があって、そこにも患者さんがいると驚いていました。Rさんの国にも街の小さな医院がありますが、多くの人は風邪をひいただけでも大学病院クラスの大病院へ行くそうです。新幹線で100キロ先の大病院まで遠征するのもざらです。そんなことをしたら、かえって悪くなるような気がしますが…。そして、Rさんが勤めていたのはその大病院ですから、並の忙しさではなかったわけです。

日本では、かつてほどではないにせよ、医者の地位は高いです。Rさんの病院のようなブラックな病院はありません。しかし、高齢化により病人は増え、少子化により医者のなり手は減るとなったら、医者の負担は増えていくでしょう。割の合わない仕事だと思われてしまえば、さらになり手が減るという悪循環にも陥りかねません。

東急田園都市線が最近よくトラブルに見舞われているのは、電設会社に社員が集まらず、技術が低下した結果だとも言われています。Rさんの話声とともに、少子化のクリティカルポイントでがけが崩れ落ちる音が聞こえてきました。空耳だといいのですが…。

年末調整を済ませる

11月14日(火)

年末調整の書類が来ています。私の場合、生命保険の掛け金でいくらか戻ってきますから、毎年該当欄を埋めて提出しています。

この書類に、去年から個人番号を書くようになりました。個人番号をもらってからもう3年ぐらいになるでしょうか。でも、私が使うのは年に1回、この年末調整のときだけです。何回も使うんだったら暗記しちゃうんですが、年に1回ですから、そこまでの意欲も湧きませんし、年寄りの頭脳の貴重なメモリーをめったに使わないものには使いたくはありませんから、去年も今年も、個人番号の通知書を探す羽目に陥りました。

今年は幸いおとといの日曜日に時間がありましたから、家の机の引き出しをひっくり返して件の通知書を発見しました。そして、来年は探す時間が省けるように、他人にはわかりにくいけど私にはすぐわかる場所にしまいました。でも、去年も同じように考えて、通知書をわかりやすいと考えた場所にしまった記憶があるのですが、今年も発見までに20分ほどかかってしまいました。その20分で不要な書類の整理もできましたから、全く無駄な時間だったとは言えませんが、でもこの手のものはすっと見つけたいものです。

探し物で一番困るのは、確かにここに入れた(置いた)はずなのに、そこから見つからないという場合です。机の上や引き出しの中のファイルなら目をぐっと見開いて探せば見つけられるでしょうが、コンピューターの中のファイルやドキュメントとなると、検索で引っかかってこなかったら、モニターに映し出される細かい字を追いかけながら可能性のありそうなものを片っ端から開いて中身を確認するほかありません。老眼には辛いものがあります。発見した頃には業務継続の意欲は失われています。

個人番号はいずれ大いに活用されるようになるそうですから、その暁にはしっかりおぼえることにしましょう。コンピューター内のファイルは……どうしましょうね。