Category Archives: 社会

寝場所

2月15日(木)

今頃、Yさんは明日の試験に備えてホテルで参考書を開いているのでしょうか、それとももう寝てしまっているのでしょうか。今朝の飛行機で北海道へと向かっています。アメダスのデータによると、札幌は日中いくらか晴れ間がのぞいたようですが、最高気温はー2.3度と真冬日で、積雪は65cmほどあります。

実は、昨日、Yさんの面接練習をしました。もう何回も練習を繰り返し、すでにK大学に受かっているだけあって、面接の受け答えには大きな問題はありませんでした。多少圧力をかけても、変に緊張せずにサラッと受け流す余裕が感じられました。

練習後の雑談で、前日入りで時間に余裕があるようなら、藻岩山に登って札幌の街を上から眺めおろし、面接の際の話のネタにすればいいとアドバイスしました。Yさんは乗り気でしたが、行ったでしょうか。それと、圧雪の上を歩くときに、受験生なのだから間違っても滑って転ぶことのないように、へっぴり腰で見た目は悪くても慎重に足を動かすようにとも言っておきました。

その雑談で、Yさんは成田発のLCCを使うと言っていました。早朝便なので成田に泊まるとも言っていましたから、それではかえって高くつくのではと聞くと、成田空港で一夜を過ごすと、こともなげに言いました。K大学を受けに行った帰りも、早朝発の成田行きに乗るために空港に泊まろうとしたところ、夜になったら締め出しを食らったとのこと。空港近くのコンビニを転々として、朝まで過ごしたそうです。南国鹿児島とはいえ、さすがに冬の夜は寒かったと言っていました。

Yさんは一見繊細そうなのですが、図太い面もあるのだなあと感心させられました。そのバイタリティーを受験でも発揮して、文字通りの「合格」発表日を迎えてもらいたいです。

バレンタイン<募金

2月14日(水)

私が就職した30年ちょっと前は、配属された工場のあちこちの部署からチョコレートをいただいたものです。義理チョコ、その他大勢チョコ、枯れ木も山の賑わいチョコでしたが、それっぽい箱を手渡されると、何はともあれ、思わず微笑んでしまいました。私のところだけじゃなく、工場中にチョコが飛び交っていました。工場内の書類や荷物を運ぶ構内便の荷物室が、この日だけは満載になりました。

最近はハロウィンに追いつき追い越された感があり、お店屋さんでの扱いも穏やかになったように思います。先週末、家の近くのスーパーに入ったら、楽しいひな祭りが流れていました。チョコ売り場は設置されており、それなりにお客さんがいましたが、そのすぐ隣にひな祭りグッズが置かれていました。もはや、若者が大騒ぎする年間の一大イベントではなくなったのでしょう。

「先生、これ、どうぞ」と、授業後、Jさんが私にチョコをくれました。「ありがとう。あなたが女性だったらどんなにうれしかったでしょう」と冗談半分に言ったら、Jさんもちょっと照れくさそうに笑っていました。愛を告げる日ではなく、感謝の気持ちを表す日に変貌したのでしょう。友チョコとかご褒美チョコとかも、身の回りの人たちや自分自身への感謝の気持ちの表明だと考えると、胸にすとんと落ちます。

チョコレートよりも、台湾地震の被災者への募金がにぎわっていました。私は面接練習があったのでじっくり観察する暇はありませんでしたが、有志の胸の前の募金箱にお金を入れている学生たちの姿をチラッと目にしました。

狭いなあ

2月10日(土)

昨日からオリンピックなので、クラスの学生たちにオリンピックについて自由に語ってもらおうと思いました。3人1組で話を始めてもらったのですが、あるグループは30秒もたたないうちに静かになってしまいました。「どうしたの?」「私たち、だれもオリンピックに興味がないんです」「冬のオリンピックじゃなくてもいいんだよ」「夏も冬も全然知らないんです」…ということで、そのグループは盛り上がることなく制限時間になってしまいました。

私もオリンピックに特別強い興味を持っているわけではありません。それでも笠谷幸生から浅田真央まで、それなりに語れますし、よほどオタクっぽいトリビアでない限り相手の話題にもついていけます。マイナーなスポーツならいざしらず、オリンピックですよ。全く語れないというのは、常識に欠けているとされても文句は言えないでしょう。

最近、こういう、興味の範囲の狭い学生が増えているような気がします。読解にしても、読解力以前の、興味関心のレベルが低すぎてテキストの読み込みができない学生がいます。昨日の3人にしても、勉強ができないわけではありませんが、このまんまだと面接試験に耐えられるかどうかわかりません。進学できたとしても、学問を進めるなら今のうちから視野を広げておく必要があります。

Cさん、Hさん、Tさん、Sさん、Lさん、Dさん、みんな4月から進学ですが、私の目には危なく映ります。手を拱いていたわけではありませんが、この学生たちの目を外に向けるには、私は力不足だったようです。卒業式までちょうどあと1か月ですが、どうにかできないものかと思っています。

使わない

2月8日(木)

授業が終わって自分の席で採点していると、H先生が「これ、Yさんの財布です。連絡取ってもらえませんか」と言いながら、ちょっと高そうな財布を私に手渡しました。ちょっと値の張りそうな財布で、カードも何枚か入っていて、その中の1枚にYさんの名前が書かれていました。数えたわけではありませんが、お札がいっぱい詰まっていて、これを失くしたとなったらYさんはショックだろうなと、容易に想像できました。Yさんにメールを送ると、10分後ぐらいにYさんが財布を受け取りに来ました。財布を渡すと、申し訳なさそうに苦笑い。

Yさんの財布には結構な現金が入っていましたが、私が若い頃は、年齢×1000円分のお札を入れておけと言われたものです。つまり、30歳なら30×1000=3万円、40歳なら4万円は、いざという時のために現金で用意しておけということです。でも、今、私の財布には3万円あるかどうかです。その代わり、nanacoやwaonやpasmoなどの電子マネーに、全部で2万円ぐらいは入っているんじゃないかな。図書カードも1万円のが数枚あり、クレジットカードも持っていますから、現金を使うことが少なくなりました。

今朝のクラスで、学生たちに日本で面倒くさいと感じることを話し合ってもらいました。ごみの分別とか敬語とか食事の準備とか、いろんな意見が出てきました。私だったら現金の支払いって答えるんじゃないかなと思いながら、学生たちの答えを聞いていました。

今は何でも電子マネーや上述のカードのどれかで払います。現金を全く使わない日も珍しくありません。そうなると、財布から現金を出して、代金を支払って、お釣をもらってそれを財布に入れるという一連の動作が億劫に感じるようになってきました。ちなみに、今週は月曜から水曜まで、現金は全く使っていません、

お金は使いませんが、私は財布はなくしませんよ、Yさん。

にじゅうなのか

2月6日(火)

先日、ある手続きをするためにコールセンターに電話をかけました。本人確認で生年月日を聞かれました。「はちがつにじゅうしちにち、にじゅうななにちです」と答えると、向こうの担当者は「はちがつにじゅうなのかですね」と問い返してきました。一瞬、何と聞かれたのかわからず、絶句してしまいました。“にじゅうなのか”とは“27日”のことなのだろうかと、落ち着いて考えたくなりました。でも、そこで妙な間が空くと、本人じゃないと疑われそうなので、“にじゅうななにち”とまでダメ押ししているのだから、“にじゅうなのか”は、きっと“27日”に違いないと信じることにして、「はい、そうです」と答えてしまいました。手続きは滞りなく済ませられましたが、“にじゅうなのか”は手続きをしている間ずっと気になっていました。

“7日”は“なのか”です。しかし、“17日”を“じゅうなのか”というだろうかと考えると、私は絶対にNOです。だからこそ、“にじゅうなのか”と言われて意味をつかみかねてしまったのです。日々、学生たちのへたくそな日本語を聞いていますから、私の日本語感覚がそれに害されていて、“にじゅうなのか”という正しい日本語に違和感を抱いてしまったのかと心配になりました。でも、やっぱり、“にじゅうなのか”は変です。

私の電話を受けたオペレーターは、声の感じからすると20代の女性でした。若い世代には“にじゅうなのか”という言い方が広まっているのかもしれないと、インターネットで調べてみました。すると、レアケースであり、ネット上では否定されてはいますが、“にじゅうなのか”と言う人も存在することがわかりました。どころか、某局のアナウンサーがテレビ番組で“にじゅうなのか”と言っていたそうです。そのアナウンサーの言葉遣いを否定する意味で取り上げられていましたから、“にじゅうなのか”は認められていません。

“にじゅうしちにち”は“にじゅういちにち”と聞き間違えやすいです。それを避けるために“にじゅうななにち”と言い換えることは普通に行われています。“にじゅうなのか”と私に聞いてきたオペレーターは、もしかすると、“にじゅうななにち”ではぞんざいに聞こえると思い込み、丁寧語のつもりで“にじゅうなのか”と言ったのかも知れません。強いて考えれば、こんなところでしょう。

“にじゅうなのか”もいずれ日本語の乱れとして認知され、それが日本語の揺れとなり、いつのまにか日本語の一角を占めるようになるのかもしれません。しばらく観察していくことにします。

寒中喫煙大会

2月2日(金)

午前中は雪が結構勢いよく降った時間帯もありましたが、お昼過ぎにはそれも上がり、先週のような大雪にはなりませんでした。低気圧の通過したコースが、先週よりいくらか南だったため、まとまった雪にはならなかったようです。

雪がやんでも気温はあまり上がりませんでした。その寒空の中、学校の前にあるホテルの敷地でタバコを吸っていた学生がいました。しかも10人も。「タバコは喫煙室で」と事あるごとに注意しているのですが、それでもまだこういう学生がいるのです。お恥ずかしい限りです。

教師をバカにしているのか、学校をなめているのか、日本社会を甘く見ているのか、ルールやマナーを守ろうとしない学生は、結局何も考えていないか考えられないかなのです。私が以前捕まえたKさんもそうでした。吸いたくなったから非常階段の踊り場で吸ったのです。「吸ってしまった」という後悔や後ろめたさは感じられませんでした。こいつはまずいなと思いました。でも、厳しく注意したことが効いたのか、その後在学中は問題になることはありませんでした。じゃあ、Kさんはタバコのルールが守れる人間になったのかというと、私は懐疑的です。非常階段はまずいということは学習できたでしょうが、さらに一般化して、吸える場所以外では吸わないという境地にまで至ってはいなかったんじゃないかな。進学先でトラブルを起こしていなければいいがと思っています。

飲食禁止の教室で休み時間にこっそりお菓子を食べたりコーヒーを飲んだりしている学生、「てやまない」は「祈る、願う、期待する、希望する」と何回も注意したにもかかわらず「国に戻ってやまない」などという例文を書いてよこす学生、授業中にせっせと内職する学生、みんな根は同じところにあるような気がします。自分の目の前のことしか見えていないのです。

視野狭窄だからこそ、視野を広げるために日本まで留学に来たのですから、親の育て方が悪いとかっては言っていられません。こういう学生に考える力を付けさせるにはどうしたらいいか考えるのが、私たちの仕事です。

雪の朝

1月23日(火)

朝(多くの皆さんにとっては夜中でしょうが)3時に目を覚ますと、まだ始発前なのに電車が走っている音が聞こえました。1番電車から正常に動けるように線路の状態を保つための運転です。運転士や保線係員や駅員のみなさんが夜通し働いて、私たちの足を確保してくれていたのです。ゆうべも、どこからこんなにたくさんの駅員を集めてきたのかと思うほど多くの駅員が、各駅のホームで安全確認をしていました。こういう鉄道会社の方々のご尽力に、手を合わせたくなりました。軽やかな電車の走行音を耳にして、正常運転を確信しました。

吹きだまりに踏み込んでも構わない靴をはき、予備の靴下と汚れたら捨ててもいいタオルをかばんにしのばせ、家を出ました。駅までの道は雪に覆われていましたが、アイスバーンにはなっておらず、いつもより多少時間はかかったものの、難なく駅に着きました。いつもはメトロの車両の1番電車が東武の車両だったくらいで、新宿御苑前駅までもいつもどおり。駅から学校までも、つるんつるんではなく、慎重に歩けば問題なし。

朝、トイレ掃除をしてもらっているKさんも時間通りにやってきました。その後30分ほどかけて校舎前を除雪したのが、いつもとの最大の相違点でしょうか。雪かきをしてみると、雪がとても軽くて驚きました。東京に降る雪は湿った雪が多く、雪の重さをどっしりと感じるものですが、今回の雪は乾いた雪だったようです。上空に北国並みの冷たい気団が入ってきていたのでしょう。

「東京で23cmも雪が積もるのはめったにないことだから、皆さんはラッキーなんですよ」というと、学生たちは苦笑い。今回生まれて初めて雪を見たという学生も、移動の大変さが身にしみて、無邪気に喜んでばかりもいられなかったようです。

天気予報が言っていたほど気温は上がりませんでしたが、雪解けはかなり進んだようです。でも、地球規模の大気の流れやラニーニャ現象、黒潮の蛇行などを考えると、本格的な春の前にもう1回ぐらい大雪が降ってもおかしくはありません。果たして、どうなるでしょう。

AIと働く

1月20日(土)

1年で一番寒いとされる大寒を迎えました。覚悟して家の外に出ると、思ったほどでもありませんでした。空を見上げると星が見えず、上空の雲が多少なりとも熱が逃げるのを防いでくれたようです。しかし、日中もその曇り空が続いたため、気温はあまり上がりませんでした。

超級クラスでは、読解の時間にAIの上司とはどんなものかというテキストを読みました。意見があふれ出て激論が交わされるような雰囲気のクラスではないので、このテキストを踏まえて上司とはどういう存在かについて文章を書いてもらいました。それを一気に読んだのですが、深く考えて書かれた文章が多かったです。

学生たちは、私が思っていたよりAIの上司に対して好意的でした。感情に流されずに部下を評価できる、常に論理的に冷静に判断が下せるなど、考え方がぶれないことに期待しているようです。女性差別がなくなるので、女性の戦力化が進むのではないかという意見もありました。

学生たちはこの後30年かそれ以上、会社かそれに類似した組織で働くことになります。あと10年働けるかどうかの私より、AI上司について真剣に考えたことでしょう。そういう彼らが、その間気持ちよく働けるのは、人間よりもAIの上司の下だと思ったのです。“人付き合いが苦手だから、上司はAIのほうが働きやすい”という意見には、同感したくなるものがあります。学生たちの考えを読んで、私も認識を新たにしました。次の読解もAIに関するテキストです。また学生たちから刺激を受けたいです。

大寒の次の二十四節気は立春です。日の光に力がみなぎりだすまでもう少しです。

5:46

1月17日(水)

23年前、震源から300kmほど離れた山口県徳山市(当時)でもかなりの揺れを感じ、私もその揺れで目を覚まし(そのころは、今ほど早起きはしていませんでした)、テレビをつけました。神戸が壊滅していたのがわかったのが、地震発生からしばらく経ってからだったこともよく覚えています。あの日からしばらく、衝撃的な画像や映像が数え切れないほど目に入ってきました。

神戸とは特別濃密な関係はありませんでしたが、私も何かしなきゃという気持ちになりました。会社が派遣する被災地支援要員に選ばれなかったのが残念でなりませんでした。神戸ほどの街がつぶれたというのは、当時の日本人にとっては、かなりのショックでした。

山陽新幹線が復旧してから神戸を通り抜けましたが、ブルーシートに覆われた町には言葉を奪われました。初夏の陽光に輝く青に、かえって痛々しさを感じました。

超級クラスの授業で、阪神淡路大震災を取り上げました。学生たちの多くは、地震のない地域から来ています。日本は地震とは切っても切れない縁があること、日本文化には地震との共存や地震からの復興も含まれていることを訴えたかったです。事実、阪神淡路大震災後も東日本大震災やおととしの熊本地震をはじめ、死者が出るほどではなくても、多くの人々を恐怖に陥れる強い地震が、毎年発生しています。東海地震をはじめ、相当規模の地震が近い将来襲ってくることが予測されています。日本で暮らすとは、そういうことを前提に生きていくことなのです。

春になったら、野島断層を見に行こうと思っています。

雪の中を

1月13日(土)

センター試験が行われました。留学生のセンター試験とも言えるEJUは2か月前に終わっており、すでに結果も出ています。EJUの行われる11月は、実際に入学する翌年4月の5か月前で早すぎると思うこともありますが、雪のため開始を遅らせた会場もあったなどというニュースを聞くと、日本に不慣れな留学生が受験する試験は、雪のないうちに行うのが妥当だとも思えてきます。

志願者数58万人余りのセンター試験に対し、EJUは全志願者数で20分の1、日本国内の受験者数では30分の1程度になります。学生数の比率もそんなものですから、留学生が優遇されているわけでも冷遇されているわけでもなさそうです。

しかし、センター試験は問題が公開され、正解も配点も示され、自己採点が可能です。しかし、EJUは問題も正解も配点も全てブラックボックスです。どういう過程を経て自分の点数が算出されたのか、受験生自身にもわかりません。こういう点は、留学生はずいぶん冷遇されていると思います。各大学の独自試験も、問題の公開がなされないところが多く、留学生を増やそうと国が旗を振っているわりには、末端は動いていない感じがします。

大学なり大学院なりで学問を修めてから就職しようとなると、さらにお寒い状況が待っています。改善されつつあるとはいえ、優秀な若者が夢を叶えられずに日本を離れる例が後を絶ちません。私が知っているのはKCPの卒業生という、ほんの一握りにもならないサンプルですが、その中でもそうですから、全留学生においてはどれほどの人材流出、教育の空回りになっていることでしょう。

国が望んでいるような高度人材を世界中から集めるには、優秀な若者に学問をする場所として選んでもらうには、実が伴っていないように思えてなりません。