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正しい恐れ

8月9日(木)

台風13号は、東京地方には大きな被害を与えることなく、日本のはるか東へと遠ざかろうとしています。昨日のニュースや天気予報では、関東地方を直撃し、大変なことになるかもしれないと言っていました。KCPでも、午前中は休講にしようか、始業を1時間遅らせようかなどとうい話も出ました。でも、私は、各方面からの情報を見て、そこまでする必要はないだろうと判断し、授業は通常通りと決定しました。

今朝、私が家を出る時間でも雨風は収まっており、学生が登校する頃には無風に近く、蒸し暑くなってきました。私の天気予報はよく当たると言われます。それはKCP付近のピンポイントだからであり、関東地方、東京都区部などという広域の予報ではないからです。予報範囲が広がれば、ことに台風など災害が絡んでくる場合は、その範囲内の最悪のケースを予測して予報を発表します。報道機関はその最悪の数値をもとに警戒を呼びかけます。ですから、「それほどでもなかった」と思われることも多いです。

私は、KCP付近だけを考えればよく、銚子は強風、秩父は大雨かもしれないけど、新宿はそれほどでもないと考えたら、「大したことない」と言い切れてしまうのです。それゆえ、当たるように見えるわけです。気象庁などは見逃しを避けるために大げさな発表をし、私は空振りを極力排除するためにぎりぎりまで強気の予報をします。単にどうにかなると思い込むのではなく、上手に高をくくっているのです。適正範囲の恐れを抱くと言ってもいいです。

私の通勤鞄には、いつも折り畳み傘が入っています。毎日適正範囲の恐れを見積もるのが面倒くさく、常に雨に降られるという最悪を想定し、折りたたみを入れっぱなしにしているのです。偉そうなことを言いましたが、実はこんな程度なのです。

災害に備える

8月2日(木)

毎週木曜日は、もうすぐ中級クラスの読解の日です。今週は地震についての教材でした。私の専門領域の話題ですから、ついつい本文から離れて余計な話をしたくなります。ネタは、90分の選択授業「身近な科学」が2回できるほどありますから、それを噛み砕いて話せば無尽蔵に近いくらいあります。

テキストに書かれている東日本大震災も阪神淡路大震災も、地学マニアとしては語るべきことが山盛りで、文章の精読などしている暇はありません。…などと不届きなことを考えながら、「2011年の3月11日、皆さんは何をしていましたか」と聞くと、大半が「中学生でした」「高校生でした」。「1995年の1月17日は何をしていましたか」「まだ生まれませんでした」「お母さんのおなかの中にもいませんでした」と声を合わせて答えが返ってきました。

ただただ驚くばかりですが、だからこそ、地震に対する心構えを説きたくなります。この先進学して、さらに日本で就職しようと考えている学生も多いですから、地震と上手に付き合っていかなければなりません。いたずらに怖がるだけではいけませんが、むやみに高をくくりすぎても痛い目にあいかねません。正しく恐れることが、地震に限らすあらゆる災害に向き合う姿勢として求められます。

今年は大阪北部の地震、西日本の広い範囲にわたる大雨、そして先月来のこの酷暑。テキストの冒頭に「日本は災害が多い国です」とありましたが、正にその通りの展開です。災害に備え、災害と戦い、時には共存することもまた日本文化だよと、「身近な科学」のときには言いますが、このレベルの学生には難しすぎるでしょうから、そこまでは言いませんでした。それはまた、追ってわかってもらうことにしましょう。

最低点

8月1日(水)

Yさんは入学以来コツコツ努力を重ね、満を持して6月のEJUに臨みました。受験講座での様子を見ている限り、かなり希望が持てるんじゃないかと思っていました。理科は2科目とも80点以上が期待できそうでした。90点をとっても不思議はありませんでした。先日届いた試験結果は、しかし、Yさんにとって厳しいものでした。なんと、理科が2科目とも最低点だったのです。

受験講座のときに話を聞いてみると、マークする場所を間違えたのだそうです。解答欄の1番からマークし始めたのではなく、その隣の列に塗ってしまったようです。理科の2科目を全く同じように塗ってしまったので、どちらの科目とも実質0点の最低点となったというわけです。

これが、マークシートの怖いところなんですよね。ほんのちょっとした不注意が、理不尽なほどひどい結果をもたらすのです。ミスを犯したのですから、減点ゼロではすまないことはわかります。しかし、実力の1/4か1/5の点数しかもらえないというのは、果たしてあるべき教育の姿なのでしょうか。

こうした点も踏まえて、日本ではセンタ-試験を記述方式も含めた形に変更します。でも、そうすると、記述式の部分の採点の公平性という点から疑問が呈されています。私は、何十万という受験生を1つのテストで評価しようという点に無理があると思っています。各大学の入試の簡素化が図れるなどの利点もありますが、テクニックだけで点数が取れてしまうなど、弊害も目立っています。

私は共通一次テスト第一期生です。40年前の批判に十分に答えられないまま、EJUが存在し、大学入学共通テストが生まれようとしています。

わが道を行く

7月28日(土)

T専門学校が、KCPを卒業してそこに進学し、そこを卒業した学生の進路を報告してきてくれました。その報告には、2年前の卒業生・Cさんの名前もありました。Cさんの欄には帰国と記されていました。

Cさんは、KCPに入学したときは、大学院進学希望でした。弁も立ち、文章も書け、読解力もありましたから、学力・能力の面では大学院進学に関して問題はありませんでした。しかし、Cさんは、自分が本当にやりたいことは大学院に進学したら実現できないのではないかと当初の計画を考え直し始めました。さんざん悩んだ末に出した結論が、T専門学校への進学でした。国の両親ともだいぶ議論を戦わせたようでした。

T専門学校に進学した後、何回かKCPに顔を出してくれたようですが、私が会えたのは1度だけでした。そのときは、T専門学校での勉強はとてもおもしろく、進路を変更してよかったと生き生きとした顔で語ってくれました。しかし、Cさんが選んだ専門は日本での就職は非常に難しく、送られてきた報告によると、やはり日本には残らなかったようです。

やりたいことは趣味としておき、大学院に進学していれば、Cさんの優秀さからすると、日本で就職できたに違いありません。私はそう考えて今まで生きてきています。でも、Cさんはそういう生き方を潔しとしなかったのでしょう。やりたいことを徹底的に追及するのも若さの特権だと判断したのかもしれません。

Cさんが国で就職できたかどうかはわかりません。楽しい思い出だけでは食べていけないことも事実です。でも、尾羽うち枯らしたCさんの姿は想像したくはありません。自分のやりたいことをやりとおしたのだと自信を持って歩んでいてもらいたいです。

入学式挨拶

皆さん、本日はご入学おめでとうございます。このように多くの若者が世界中からこのKCPに集まってきてくれたことをとてもうれしく思います。

皆さんの留学の目的は人それぞれでしょうが、皆さんの周りにいる、あるいはこれから現れるライバルたちに差を付けるというのもその1つではないかと思います。大勢の中に埋没してしまっては、皆さんの存在意義は薄れてしまいます。皆さんが、皆さんを取り巻く人たちにとって唯一無二の存在となるためには、ほかの人にはない何か大きな特徴を持っていることが必要不可欠な条件となるでしょう。それゆえ、留学経験を、自分自身を特徴付ける何物かにしようと思っている人も多いと思います。でも、これは留学さえすれば誰でもそうできるというものではありません。留学の中身が大きく物を言います。漫然と外国で時を過ごしただけでは、留学という経歴は残りますが、実力は伴いません。やがて周りの人々にその経歴は虚仮威しに過ぎないと見抜かれてしまいます。密度の濃い、物の考え方や仕事の進め方や果ては人生観にまで影響を及ぼすような生活を送って初めて、この留学が皆さんの将来に明るい光をもたらす経験となるのです。

では、どうすれば密度の濃い留学生活が送れるでしょうか。勉学に励むことはもちろん、というよりそれは最低条件で、進んで自分とは異質なものを求めていってください。他国の学生と友達になることもそうですし、年代の違う人たちと語り合うこともそうです。日本の文物に触れることも忘れてはなりません。インターネット上での経験ではなく、体を張って五官を通して感じ取ってください。

そして、こういう経験によって、自分自身や自分の国を相対化してください。異質なものとの接触によって得られた新しい視座から、今までの自分を総決算し、これからのあるべき自分像を見出すのです。また、自分の国を愛する心、誇る気持ちは大切です。しかし、それと何でも自分の国が一番だと信じ込んでしまうこととは別です。自分の国の強みも弱みも知っている人が、政治の世界でもビジネスの分野でも科学技術の方面でも、頼れるリーダーとなるのです。KCPにいるうちにここまでしろとまでは言いませんが、いずれはこういうことができるようになってもらいたいです。KCPを卒業し、進学したり就職したり起業したりして社会に根付いている人たちは、みんなこういう目を養っています。その一方で、異質を拒み続けた学生たちは、得る物の少ない留学に終わっています。

KCPでの勉強が終わったら国へ帰る人たちは、これからこのような異質な世界での生活は経験できないかもしれません。ですから、この機会を有意義に活用し、肌身で世界の広さを実感してください。日本で勉強を続けていこうと思っている人は、KCPでの生活は進学後の生活の助走です。より高く遠くへ飛んでいけるように、十分に勢いをつけてください。

今ここにいらっしゃる皆さんは、短い人で2か月、長い人は、日本の大学や大学院での期間も加えると、数年あるいはそれ以上にわたる留学生活が控えています。後で振り返った時、得がたい経験をしたと胸を張って言えるような濃密な人生のひとときを、皆さん自身で創造していってください。私たち教職員一同、喜んでそのためのお手伝いをいたします。

本日は、ご入学本当におめでとうございました。

厳しい目

7月6日(金)

「ここに名前を書いてください」と「ここで名前を書いてください」の意味の違いは、日本人なら全く問題なくわかるでしょう。でも、これを英語に訳したらどうなるでしょう。どちらも、私の英語力では、“Please write your name here”なってしまいます。ですから、「に」の意味にしたかったら申込用紙か何かの名前を書く欄を指差し、「で」なら筆記台の上に用紙を置いて、相手をその前に案内するでしょう。つまり、文字以外の身体動作によって訳し分けることになると思います。

学期休み中ですが、養成講座の授業は行われています。私の担当は文法で、毎回このような屁理屈をこねくり回しています。当たり前すぎて私たちが全く注意を払わないことばの使い方や文構造に目を向け、それをどう説明すればいいかを考えるのは、私にとっては無上の喜びです。まあ、今シーズンは少々力が入りすぎ、講義の進度がいくらか遅れ気味なのですが…。

「観客を沸かす」と「お湯を沸かす」の2つの「を」の違いはどうでしょう。日本語では同じ助詞で表現しますが、学習者の母語では別の形式で表すかもしれません。日本語教師になるには、日々使っている日本語を、幽体離脱したような視点から冷静に見つめて分析しておく必要があります。養成講座の受講生の方々には、私の講義を通してそういう目を養ってもらいたいと思っています。

幽体離脱といえば、オウム真理教の松本死刑囚ほか6名の死刑が執行されました。あぐらをかいた麻原彰晃が空中に浮かんでいる写真を思い出しました。国は、平成の悪夢を平成のうちに決着をつけようとしたのでしょうか。

お茶にしびれた?

7月4日(水)

久しぶりにお茶会に参加しました。アメリカの大学のプログラムで来ている学生たちの文化体験の一環としてお茶の授業があり、クラスの学生たちの引率をしたというわけです。

毎学期行われている茶道クラブのお茶会は、受験講座の時間と重なるため、ここ数年全然参加していません。ですから、作法を覚えているだろうかと危惧していましたが、残念ながらそれが杞憂とはなりませんでした。先週、担当のO先生からレクチャーを受けていたのですが、それを本番で生かせず、小声でさんざん注意されてしまいました。やっぱり継続的に練習しないと、作法は身につかないのですね。うまくできたのは、蹲で手と口を清めるところだけでした。このしぐさは、寺社にお参りするときにしていますから、実は継続的に練習しているのです。

私のクラスは日本語がほとんど通じない学生たちばかりですから、蹲での所作も私のを見てまねします。もうこの時点で緊張気味なのがよくわかりました。でも、みんなであれこれ指示を出し合って、全員がお茶を飲み終わるまで無作法にならないように協力していたのは見事でした。先週初めて顔を合わせたばかりなのに、全員で立派なお茶会を作り上げようという雰囲気が盛り上がっていました。

茶碗を回したり最後にズズッと音を立てて飲み干したり、学生たちにとっては異文化そのもののお茶会だっただけに、最後まで興味を失わず、真剣に取り組んでいました。ただし、足はすぐしびれてしまったようで、O先生に認められた横ずわりをしていました。また、お茶を点てる体験では、Cさんがとても上手だとO先生にほめられました。茶筅を動かす時の音が違いましたから、私が見ても手際がいいことがよくわかりました。

この学生たちがもう少し日本語が上手になったときに、もう一度、今度は日本語で文化を語りながら、一緒にお茶を飲みたいと思いました。

進学先

7月3日(火)

昨日休んだら、机の上に書類が山のように積みあがっていました。多くが専門学校や大学から送られてきた学校案内や募集要項、オープンキャンパスのポスターなどで、何となく去年より出足が早いような気がします。日本人の18歳人口が減り続けているにもかかわらず、高等教育機関は増え続け、各校は留学生の確保に走っているというのがもっぱらの噂です。

私は、日本人学生がいないからといって、その代わりを安易に留学生に求めるのは間違っていると思います。サポートの体制が整わないうちに留学生を受け入れると、留学生の人生をつぶしてしまいかねません。いわゆる出口の問題を大学・専門学校と国が力を合わせてどうにかしなければなりません。現状では高等教育機関が留学生につけさせた実力を日本の国が全体として有効に活用しているかといえば、決してそうとはいえません。サブカルを楽しむにはいい国だけど、自分の一生を捧げるには疑問を覚える国なんじゃないでしょうか、留学生にとって日本は。

そんな中、M大学の方が入試の説明に来てくださいました。M大学には何年か前にGさんが入学しました。その後しばらく経って、悩んだ顔をしてKCPへ来ました。みんなでよってたかって励まして、どうやら大学を続け、もうすぐ卒業というところまでたどり着きました。M大学の方の話によると、Gさんが悩んでいたことは前向きな形で解決し、着実に専門性をつけているようです。

そして、M大学は入学のときから出口も考えて指導していることがわかりました。誰もが、華々しい一流有名企業に就職できるわけではありませんが、本人の希望に沿ってやりたいことができる会社に送ってくれているようです。M大学では総合的な人間力を養うとおっしゃっていましたが、これは学生にとって一生の財産です。

夏に勝負

6月29日(金)

梅雨が明けちゃいました。早朝から、昨晩のW杯一次予選最終戦のもやもやを吹き飛ばすような夏空が広がりましたが、まさか梅雨明けしちゃうとはね。関東甲信越地方が6月中に梅雨明けするのは、観測史上初めてだそうです。九州、四国、中国、近畿、東海をすっ飛ばして関東甲信が先を越すのは2年連続だとか。

お昼に出たときにまじまじと空を見上げると、雲が夏でした。夏至直後なので、両側にビルが建っている道でも本当に頭のてっぺんに日が当たり、32.9度という最高気温以上に暑さを感じました。今朝の新聞によると、男の人も日傘を差すようになってきているようですが、そういう気持ちもわからないでもない日差しの強さでした。

夏が早く来すぎると心配になるのが水不足です。利根川水系のダムはそこそこ水がたまっているようですから、今すぐどうのこうのということはなさそうです。夏山登山を楽しみにしている皆さんには申し訳ないのですが、谷川岳や日光連山や相模湖付近で雨がしっかり降ってくれれば、東京はこんな天気でも断水には至りません。でも、節水するに越したことはありません。水も貴重な資源なのですから。

関東地方は北と西に比較的高い山を控えていますから、気候的に本州の他の地方とは違った挙動を示すことがよくあります。今年の冬の大雪も、その一例です。気象庁は、この山にブロックされて、現在北上している梅雨前線が再び関東地方に影響を及ぼすことはないと踏んだのかもしれません。私が気象庁の担当者だったら、ちょっと強烈な梅雨の中休みと判断して、梅雨明けとは言い切れないでしょうね。梅雨明けを発表した気象庁の担当者さん、思い切った勝負に出ましたね、西野監督同様に…。

生活記録より

6月25日(月)

ある学生について調べるため、コンピューターに入っている面接記録を読んでいたら、“ビニ弁”なることばに出くわしました。前後の文脈からコンビニ弁当の略であることは想像がつきましたが、私は今までそれを“ビニ弁”と略すとは知りませんでした。

紙の辞書には載っていないでしょうから、インターネットの辞書を見てみました。すると、国語辞典系には載っていませんでしたが、俗語辞典や新しい言葉を集めているサイトにはちゃんと見出しがありました。もちろん、意味はコンビニ弁当。この面接記録を書いたのは私の年齢の半分も行っていないくらいの先生ですから、若い人たちは普通に使っているのかもしれません。

…と思ってさらに調べてみると、使われ始めたのは今から10年以上も前でした。しかし、使用者はあまり広がらなかったようで、ネットの調査でも「使わない」という意見が多数派でした。それどころか、死語と断じる意見もあるほどです。

コンビニベントウは8音ですから、略語が作られてもおかしくはありません。8音を4音に略す場合、イバラキダイガクがイバダイになるように、漢字の読み方を無視してでも、前半の最初の2音と後半の最初の2音となるケースが多いです。ビニ弁のように真ん中だけ抜き出す例は、あまり多くありません。航空母艦が空母、焼酎ハイボールがチューハイ(以上、8音ではありませんが)、訓読みが音読みになりますが大阪大学が阪大、非常にマイナーですが相武台前が武台になる例くらいしか思いつきません。このやり方だと、新宿御苑は“ジュクギョ”となりますが、こんな略語は聞いたことがありません。つまり、このような略し方は略す前の言葉と結びつきにくく、略語として定着しなかったのだと思います。

美に弁――“びにべん”+変換で、私のコンピューターではこう出てきます。ビニ弁と入力した先生は、“びに”+カタカナ変換+“べん”+変換と入力したのでしょう。それに対し、コンビに弁当は“こんびにべんとう”+変換で一発で出ます。その先生にとっては、この面倒くささを乗り越えてでも“ビニ弁”と入力したくなるほど、ビニ弁が日常語なのでしょう。おかげで、いい勉強をさせてもらえました。