Category Archives: 社会

厳しい目

7月6日(金)

「ここに名前を書いてください」と「ここで名前を書いてください」の意味の違いは、日本人なら全く問題なくわかるでしょう。でも、これを英語に訳したらどうなるでしょう。どちらも、私の英語力では、“Please write your name here”なってしまいます。ですから、「に」の意味にしたかったら申込用紙か何かの名前を書く欄を指差し、「で」なら筆記台の上に用紙を置いて、相手をその前に案内するでしょう。つまり、文字以外の身体動作によって訳し分けることになると思います。

学期休み中ですが、養成講座の授業は行われています。私の担当は文法で、毎回このような屁理屈をこねくり回しています。当たり前すぎて私たちが全く注意を払わないことばの使い方や文構造に目を向け、それをどう説明すればいいかを考えるのは、私にとっては無上の喜びです。まあ、今シーズンは少々力が入りすぎ、講義の進度がいくらか遅れ気味なのですが…。

「観客を沸かす」と「お湯を沸かす」の2つの「を」の違いはどうでしょう。日本語では同じ助詞で表現しますが、学習者の母語では別の形式で表すかもしれません。日本語教師になるには、日々使っている日本語を、幽体離脱したような視点から冷静に見つめて分析しておく必要があります。養成講座の受講生の方々には、私の講義を通してそういう目を養ってもらいたいと思っています。

幽体離脱といえば、オウム真理教の松本死刑囚ほか6名の死刑が執行されました。あぐらをかいた麻原彰晃が空中に浮かんでいる写真を思い出しました。国は、平成の悪夢を平成のうちに決着をつけようとしたのでしょうか。

お茶にしびれた?

7月4日(水)

久しぶりにお茶会に参加しました。アメリカの大学のプログラムで来ている学生たちの文化体験の一環としてお茶の授業があり、クラスの学生たちの引率をしたというわけです。

毎学期行われている茶道クラブのお茶会は、受験講座の時間と重なるため、ここ数年全然参加していません。ですから、作法を覚えているだろうかと危惧していましたが、残念ながらそれが杞憂とはなりませんでした。先週、担当のO先生からレクチャーを受けていたのですが、それを本番で生かせず、小声でさんざん注意されてしまいました。やっぱり継続的に練習しないと、作法は身につかないのですね。うまくできたのは、蹲で手と口を清めるところだけでした。このしぐさは、寺社にお参りするときにしていますから、実は継続的に練習しているのです。

私のクラスは日本語がほとんど通じない学生たちばかりですから、蹲での所作も私のを見てまねします。もうこの時点で緊張気味なのがよくわかりました。でも、みんなであれこれ指示を出し合って、全員がお茶を飲み終わるまで無作法にならないように協力していたのは見事でした。先週初めて顔を合わせたばかりなのに、全員で立派なお茶会を作り上げようという雰囲気が盛り上がっていました。

茶碗を回したり最後にズズッと音を立てて飲み干したり、学生たちにとっては異文化そのもののお茶会だっただけに、最後まで興味を失わず、真剣に取り組んでいました。ただし、足はすぐしびれてしまったようで、O先生に認められた横ずわりをしていました。また、お茶を点てる体験では、Cさんがとても上手だとO先生にほめられました。茶筅を動かす時の音が違いましたから、私が見ても手際がいいことがよくわかりました。

この学生たちがもう少し日本語が上手になったときに、もう一度、今度は日本語で文化を語りながら、一緒にお茶を飲みたいと思いました。

進学先

7月3日(火)

昨日休んだら、机の上に書類が山のように積みあがっていました。多くが専門学校や大学から送られてきた学校案内や募集要項、オープンキャンパスのポスターなどで、何となく去年より出足が早いような気がします。日本人の18歳人口が減り続けているにもかかわらず、高等教育機関は増え続け、各校は留学生の確保に走っているというのがもっぱらの噂です。

私は、日本人学生がいないからといって、その代わりを安易に留学生に求めるのは間違っていると思います。サポートの体制が整わないうちに留学生を受け入れると、留学生の人生をつぶしてしまいかねません。いわゆる出口の問題を大学・専門学校と国が力を合わせてどうにかしなければなりません。現状では高等教育機関が留学生につけさせた実力を日本の国が全体として有効に活用しているかといえば、決してそうとはいえません。サブカルを楽しむにはいい国だけど、自分の一生を捧げるには疑問を覚える国なんじゃないでしょうか、留学生にとって日本は。

そんな中、M大学の方が入試の説明に来てくださいました。M大学には何年か前にGさんが入学しました。その後しばらく経って、悩んだ顔をしてKCPへ来ました。みんなでよってたかって励まして、どうやら大学を続け、もうすぐ卒業というところまでたどり着きました。M大学の方の話によると、Gさんが悩んでいたことは前向きな形で解決し、着実に専門性をつけているようです。

そして、M大学は入学のときから出口も考えて指導していることがわかりました。誰もが、華々しい一流有名企業に就職できるわけではありませんが、本人の希望に沿ってやりたいことができる会社に送ってくれているようです。M大学では総合的な人間力を養うとおっしゃっていましたが、これは学生にとって一生の財産です。

夏に勝負

6月29日(金)

梅雨が明けちゃいました。早朝から、昨晩のW杯一次予選最終戦のもやもやを吹き飛ばすような夏空が広がりましたが、まさか梅雨明けしちゃうとはね。関東甲信越地方が6月中に梅雨明けするのは、観測史上初めてだそうです。九州、四国、中国、近畿、東海をすっ飛ばして関東甲信が先を越すのは2年連続だとか。

お昼に出たときにまじまじと空を見上げると、雲が夏でした。夏至直後なので、両側にビルが建っている道でも本当に頭のてっぺんに日が当たり、32.9度という最高気温以上に暑さを感じました。今朝の新聞によると、男の人も日傘を差すようになってきているようですが、そういう気持ちもわからないでもない日差しの強さでした。

夏が早く来すぎると心配になるのが水不足です。利根川水系のダムはそこそこ水がたまっているようですから、今すぐどうのこうのということはなさそうです。夏山登山を楽しみにしている皆さんには申し訳ないのですが、谷川岳や日光連山や相模湖付近で雨がしっかり降ってくれれば、東京はこんな天気でも断水には至りません。でも、節水するに越したことはありません。水も貴重な資源なのですから。

関東地方は北と西に比較的高い山を控えていますから、気候的に本州の他の地方とは違った挙動を示すことがよくあります。今年の冬の大雪も、その一例です。気象庁は、この山にブロックされて、現在北上している梅雨前線が再び関東地方に影響を及ぼすことはないと踏んだのかもしれません。私が気象庁の担当者だったら、ちょっと強烈な梅雨の中休みと判断して、梅雨明けとは言い切れないでしょうね。梅雨明けを発表した気象庁の担当者さん、思い切った勝負に出ましたね、西野監督同様に…。

生活記録より

6月25日(月)

ある学生について調べるため、コンピューターに入っている面接記録を読んでいたら、“ビニ弁”なることばに出くわしました。前後の文脈からコンビニ弁当の略であることは想像がつきましたが、私は今までそれを“ビニ弁”と略すとは知りませんでした。

紙の辞書には載っていないでしょうから、インターネットの辞書を見てみました。すると、国語辞典系には載っていませんでしたが、俗語辞典や新しい言葉を集めているサイトにはちゃんと見出しがありました。もちろん、意味はコンビニ弁当。この面接記録を書いたのは私の年齢の半分も行っていないくらいの先生ですから、若い人たちは普通に使っているのかもしれません。

…と思ってさらに調べてみると、使われ始めたのは今から10年以上も前でした。しかし、使用者はあまり広がらなかったようで、ネットの調査でも「使わない」という意見が多数派でした。それどころか、死語と断じる意見もあるほどです。

コンビニベントウは8音ですから、略語が作られてもおかしくはありません。8音を4音に略す場合、イバラキダイガクがイバダイになるように、漢字の読み方を無視してでも、前半の最初の2音と後半の最初の2音となるケースが多いです。ビニ弁のように真ん中だけ抜き出す例は、あまり多くありません。航空母艦が空母、焼酎ハイボールがチューハイ(以上、8音ではありませんが)、訓読みが音読みになりますが大阪大学が阪大、非常にマイナーですが相武台前が武台になる例くらいしか思いつきません。このやり方だと、新宿御苑は“ジュクギョ”となりますが、こんな略語は聞いたことがありません。つまり、このような略し方は略す前の言葉と結びつきにくく、略語として定着しなかったのだと思います。

美に弁――“びにべん”+変換で、私のコンピューターではこう出てきます。ビニ弁と入力した先生は、“びに”+カタカナ変換+“べん”+変換と入力したのでしょう。それに対し、コンビに弁当は“こんびにべんとう”+変換で一発で出ます。その先生にとっては、この面倒くささを乗り越えてでも“ビニ弁”と入力したくなるほど、ビニ弁が日常語なのでしょう。おかげで、いい勉強をさせてもらえました。

7:58

6月18日(月)

大阪北部で地震がありました。マグニチュードは約6ですから、日本では1か月に1回は発生する規模で、決して珍しいものではありません。ただ、発生したのが有馬高槻断層付近ですから、おととしの熊本地震と同じパターンで、数日中にこの地震よりもさらに大きい地震が同じ断層上で起こるおそれがあります。この断層は、秀吉が建てた伏見城をつぶしてしまった慶長伏見地震を引き起こしています。それから400年余りの間にたまった地質的なひずみが今朝の地震を機に解放に向かったとしたら、ちょっとこわいものがあります。

この地震で、小学4年生の女児とお年寄り2名の3名が亡くなりました。女児は、自分が通う市立小学校のプールを囲う目隠しの塀の下敷きになったといいますから、市の責任が厳しく問われることになるでしょう。地震大国の日本に、震度6弱程度の揺れで倒れてしまう公共の建造物があるとは信じがたいものがあります。でも、阪神淡路大震災から20年あまり、1995年当時は健全であっても老朽化が進み危険領域に入ってしまった建物があったとしても、全く不思議ではありません。

東京では揺れを全く感じなかったので、学生たちの間では話題にもなりませんでした。昨日のEJUが難しかったとかいうことを、授業中ひそひそと話しているようでした。私は事あるごとに言っていますが、日本に留学するには、地震と心中する覚悟も必要です。春秋に富む留学生にも無差別に襲い掛かる魔の手が自分の足元から伸びてこないとも限らないのです。

殺人事件を語る

6月14日(木)

代講で上級のクラスに入りました。このクラスには、先学期までに教えた学生が何名かいるはずなのですが、朝、出席を取ったときには1名を除いていませんでした。2名が遅刻して入室しました。私の顔を見て驚いていましたから、「私が教えた学生ばかり遅刻しているということは、私の教え方が悪かったんですかねえ」と言ってやったら、恐縮していました。こういう皮肉が通じるのが、さすが上級です。でも、他はとうとう姿を現しませんでした。教えた学生が乱脈なことをしていると、気になるものです。

このクラスは、毎週、その週の気になるニュースについて語り合うことになっています。早速学生たちに聞いてみると、米朝会談という声が上がりました。今週はそうですよね。でも、それについてあれこれ語るというレベルには至りませんでした。それは、話す力が足りないというよりも、話題が話題だからめったなことを話せないと自己規制した面も感じました。また、明らかに興味がないという顔つきの学生もいました。

その証拠に、別の学生が新幹線殺人事件について語り始めると、あちこちから意見や感想が出てきました。この手の話題なら身近に感じられ、また、政治がらみじゃありませんから好き勝手なことが話せると思ったのでしょう。先週あたりは、紀州のドンファンの話でもしたのでしょうか。

文法もしました。出てくる質問が中級あたりとは違うと感じた反面、中級までに習ったはずの項目を忘れているとも思いました。同じことを繰り返し勉強していくうちにそれが定着するのですから、その辺は大目に見ましょう。上級に在籍しているということは、語学のセンスもあり、それなりに努力もしてきたからにほかなりません。卒業まで3学期ありますから、さらに自分を伸ばしていってもらいたいと思いました。

異文化体験?

6月13日(水)

畑で取れたてのトマトはおいしいという意味の文が教科書に出ていましたから、学生たちに“取れたてのトマトを食べたことがありますか”と聞いてみました。クラスの半分まではいきませんでしたが、都会っ子が多いですからほとんどいないんじゃないかという私の予想を裏切って、数人が目を輝かせながら反応してくれました。

「赤くて本当においしいです」「冷えてないけどおいしいです」などという声に混じって、「砂糖を付けるともっとおいしくなります」と発言した学生がいました。「砂糖? トマトは塩でしょう」と私が応じると、蜂の巣をつついたような大騒ぎになってしまいました。トマトに塩なんて絶対にありえないというのが、学生たちの意見です。今までの食習慣と言ってもいいでしょう。この点、国籍を越えて一致していました。

「せっかく取れたてのおいしいトマトがあるのに砂糖なんかかけたら、まずくて食えなくなるだろう」「塩をつけるくらいならわさびをつけます」「わさび? いいじゃないか。砂糖よりずっとおいしそうだよ」「えーえっ、じゃあ、しょうゆは?」「うん、いいねえ。わさび醤油っていうのもおいしそうだなあ。砂糖をつけるくらいなら、なんでもおいしそうに見えてくるよ」…というぐあいで、主張は交わることがありませんでした。

実は、20年ぐらい前に中国へ行ったとき、砂糖のかかったトマトスライスが毎日のように出てきて、非常に驚きました。砂糖のかかっていない部分を探し出して食べていました。

これも文化の違いかなと思って、この原稿を書く直前にインターネットで調べてみたところ、日本でも砂糖派が増えつつあるのだそうです。「日本人は絶対塩だよ」って言い切ってしまいましたが、早計はいけませんね。

アジサイとカタツムリ

6月6日(水)

うちの近くの植え込みに咲いているアジサイが、とても色鮮やかで目を和ませてくれます。私が見るのは毎朝4時40分ごろですから、空気も澄んでいることもあり、より一層瑞々しく見えるのでしょう。アジサイは漢字で書くと「陽」の字が入りますが、陽がさんさんと降り注ぐ中で見る花じゃないような気がします。明るくなったばかりの、湿り気を含んだ空気を通して見たときが一番映えると思います。

KCPの6月の目標は「梅雨を楽しもう」です。学生たちに雨の日の楽しみ方を聞いてみましたが、返ってくる答えは「寝ます」ばかり。雨が降るたびに寝ていたら、これから先、睡眠過多になっちゃいますよ。お店屋さんの雨の日サービスなんてヒントを出しましたが、学生たちはピンと来なかったみたいです。本当にどこも行かなくなっちゃうのでしょうか。

「梅雨を楽しもう」のパワポのスライドに描かれていたアジサイの絵に、カタツムリもひょっこりくっついていたので、「これは何と言いますか」とクラスの学生たちに聞いてみました。みんな、「ああ、あれだ」とう顔つきになりましたが、名前を知っている人は1人もいませんでした。答えを教えてやると、ほとんどの学生がノートにメモっていました。カタツムリもまた、留学生だけが知らない日本語のようです。

梅雨入りが発表されました。平年が6月8日ですから、順当なところでしょう。朝から雨が降ったりやんだりでしたから、傘立ては久しぶりににぎわっていました。関東甲信地方の平年の梅雨明けは7月21日。その頃には、6月のEJUの結果が出ます。雨だからって寝ている暇などありません。

プレゼンは嫌い?

6月4日(月)

授業後の面接で、「先生、今学期もみんなでする発表がありますか」とLさんに聞かれました。グループで発表するタスクがあるかという意味です。「はい。今週の後半ぐらいから取り掛かる予定ですよ」と答えると、Lさんは眉を八の字にして、「日本はみんなの前で発表することが多いんですか」と聞いてきました。

Lさんは、自分独りで調べて勉強してレポートの形にまとめて提出するのはいいけれども、それをみんなの前で発表するとなるとプレッシャーを感じると言います。また、グループで何かをするのも好きではないそうです。ですから、グループで課題に取り組んで、その成果をクラスのみんなの前で発表するなんて、Lさんにとってはとんでもなく嫌な課題なのです。先学期も先々学期もそういう課題があり、今学期もそういう課題があるという噂を聞き、居ても立ってもいられなくなったのでしょう。

今は、専門学校でも大学でも大学院でも、学生にプレゼンテーションをさせる授業がよくあります。私の学生時代のように先生の話を一方的に聞くばかりというパターンは少なくなりました。自分の考えや学んだ成果を公にすることがより強く求められるようになったのです。社会が、そういうことができる人材を求めるようになったと考えてもいいでしょう。同様に、協調性を養う一形態として、グループタスクも盛んになってきています。

私も、こういう商売をしていますが、みんなの前で何かするよりは、こうして独りで静かに作業するほうが好きです。職人気質みたいなところがあると思っています。ですから、Lさんの気持ちもわからないではありませんが、Lさんが活躍する時代は自分を積極的に売り込むことをしていかないと、勝ち組にはなれません。AIとの競争にも敗れてしまうかもしれません。

そんなことまでは言いませんでしたが、Lさんの志望校は黙って授業を聞いているだけでは済みません。性格を改造するくらいの気概が必要です。そう考えると、私はのどかないい時代に生まれたのかもしれません。