Category Archives: 社会

激突

9月5日(水)

関西地方は台風21号の風雨によってかなりの被害が出ました。船が激突して橋げたがずれてしまった関西空港連絡橋の画像・映像にはただただ驚くばかりでした。その関西空港は、高潮で数十センチも浸水し、機能不全に陥っています。高潮といえば、芦屋の海岸にも襲ってきて、家が流されそうになったそうです。京都では文化財がかなり損害を受けたと報じられています。

稀に見る強力な台風が上陸したことは確かですが、こちらの想像を絶するようなところに傷跡を残しています。二条城や大覚寺もそうですが、大阪湾にコンテナが漂流しているというのは、阪神淡路大震災のときにもなかったことではないでしょうか。私が毎年春に歩き回っている平穏な街並みで、屋根が吹き飛ばされたり泥水が暴れまわったり車が燃えたりなどということが起こっているのです。にわかには信じられません。

そんな中で、JR西日本を始めとする鉄道各社が午前中から計画運休をし、電車がらみの被害がなかったことは特筆に値します。不満に感じた人も多かったと思いますが、船が激突した時に連絡橋の上を電車が通りがかっていたら、悲惨なことになっていたかもしれません。駅間で停電し、大勢の人が電車に缶詰にされたら大きなニュースになっていたでしょう。関空で5000名が缶詰には及ばないでしょうが。

今年は6月に大阪府北部地震がありました。比較的自然災害が少ないと思われていた関西の平野部に天変地異が集中しているようにも思えます。日本列島は災害列島だと改めて感じさせられました。

予算5000万円

9月4日(火)

「先生、東京のマンションはどちらがおすすめですか」と、Tさんから突然聞かれました。一瞬どういうことかわからなくてあれこれ聞き返してみると、Tさんのご両親がTさんのために東京でマンションを買ってくれると言っているのだそうです。ですから、都区内で買うとしたらどの辺のを買うのがいいかという質問でした。

「予算は?」「5000万円ぐらいです」「5000万あればこの近くでもいいのが買えると思うよ。富久クロスは億ションだっていうけど」…ということで、諸費用込みで5000万円ほどの物件を探しているようです。Tさんは大学院に進学して、もしかすると研究員として日本に残るかもしれません。そう考えると、5000万円で子どもにしっかりとした生活の場を与えるというのも、親としては妥当な投資のような気もします。Tさんが日本で仕事を続け、家庭を持ち、生活の基盤を築くのならそのマンションを持ち続けてもいいし、帰国するのならその時点で売り払っても子どもの充実した留学生活に寄与したとして、よしとするのでしょう。

富久クロスの億ションの話をしたらちょっと目つきが変わりましたから、Tさんの親御さんはもしかすると5000万円どころかもっと出すかもしれません。バブルの頃の日本人も、アメリカあたりでこんな勘定をしていたのでしょう。これが国の勢いの違いかなあと思います。先進国の中で日本だけがこの20年ほどの間で経済成長がほとんどありません。低成長といわれているヨーロッパ各国でさえ、経済規模が1.5倍ぐらいになっているそうです。

Tさんが5000万円か1億円のマンションで学生生活を送ってもいいですが、学生の本分と親御さんへの感謝は忘れないでもらいたいです。根がまじめなTさんならそんなことはないと思いますが…。

逝く

9月1日(土)

今週一番ショックだったニュースは、やっぱりさくらももこさんが亡くなっていたことがわかったというニュースです。サザエさん同様、ちびまるこちゃんも作者が亡くなってもアニメ放送自体は続くでしょうが、どこからともなく寂しさが湧き上がってきます。

さくらももこさんは私より少し若いですが、だいたい同じ世代と言えます。それゆえ、ちびまるこちゃんの1つ1つの場面やエピソードには、非常に強い共感を覚えます。そういう、懐かしさを共有できる人が亡くなったこと、子どものころの思い出を掘り起こしてその中に浸らせてくれる人がいなくなってしまったことが、寂しさの源だと思います。

サザエさんもドラえもんもクレヨンしんちゃんもかつての日本の家族や暮らしを描いていますが、私の世代にドンピシャリなのは、やはりちびまるこちゃんです。舞台設定が、1970年代の清水という、大都会でもド田舎でもない、ほどほどに田舎で人の温かみがあって子どもが街と自然の境目ぐらいで遊んでいてという、私が子供のころに過ごした環境に近いのです。上述のようにちびまるこちゃんは不滅でしょうが、なんだかちびまるこちゃんにも永遠に会えなくなり、郷愁を覚える街も一緒に消え去ってしまったような気がしてなりません。

日本のアニメにあこがれて来日する学生も多いですが、物心ついたのは21世紀という彼らにとっての“さくらももこ”はいったい誰でしょう。彼らが私の年代くらいになったときに子どものころの香りを呼び起こされる作品って何でしょう。そんなことを考えた一週間でした。

歩き心地

8月27日(月)

8月19日(日)14:34、室戸岬近くのバス停にバスが着くはずの時刻ですが、まだ来ていません。田舎のバスは、乗降のない停留所が多いので、終点にちょうど定刻に着くように、途中の停留所へはやや遅れ気味で来ることがよくありますから、数分の遅延は気になりません。14:44、10分経ちましたが、まだ来ません。バス会社に連絡しようかと思いましたが、停留所の時刻表には連絡先が書いてありません。終点で11分の接続で電車に乗る予定ですから、穏やかではいられません。14:50、16分遅れでバスが来ました。私が乗るや否や、バスは猛スピードで走り出しました。国道55号線の、追い越し禁止となっているようなS字カーブも攻めまくって、信号のないことをいいことに直線では思い切り踏み込み、とろとろ走っている軽自動車を追い抜き、見る見る遅れを回復し、駅前には4分遅れで到着。30分強の乗車時間で12分も稼いだのです。

…これが、この夏休み最大のビックリでした。先週はずっと四国にいましたが、室戸の翌日に高松へ移動したため、台風19号20号の影響もほとんどありませんでした。讃岐山脈の偉大さに感心させられました。徳島県では元気だった雨雲も、讃岐山脈にぶち当たると消えてしまうのです。先週は、四国は雨がよく降ったのですが、香川県だけは台風が通過した23日深夜だけでした。だから、最大のビックリがバスの遅延回復だったのです。

室戸岬のほかに、四国八十八か所の結願の寺・大窪寺、讃岐平野の真ん中に盛り上がる讃岐富士こと飯野山と、少々マニアックなところを狙いました。それぞれ、1日に30キロ以上歩きました。それぞれ、山の頂上から下界を見下ろすところがあり、大汗をかいて息を切らせながら苦しい思いをして登ったけれども、この景色が見られるなら苦しんだ甲斐があったと心の底から思いました。

四国は、歩き遍路の伝統があるからでしょうか、歩行者に優しいと思います。横断歩道のところで立っていると、車が止まってくれる確率が本州九州北海道より高いように思います。また、「へんろ道」とかかれた赤い矢印が電柱やガードレールなどに貼られていて、陰から導いてくれます。四国の主だった観光地はほとんど見てしまいましたが、なぜかまた行きたくなるのは、こんなことがあるからなのでしょう。

旅館の作法

8月17日(金)

朝、パソコンを立ち上げると、私のクラスの新入生Yさんからメールが来ていました。Yさんは日本文学に興味を持っており、夏休みに伊豆の踊子を追って天城山へ行きたいと書いてありました。ちょっと待って。伊豆の踊子なら天城山ではなく、天城峠です。あのトンネルは、苦労して天城山に登ってもありません。

それから、「日本のお風呂(温泉)と食事のルールがわかりません」と書いてあります。想像するに、修善寺かどこかの温泉旅館を予約したけれども、和風旅館に泊まるのは初めてで、館内でどうすればよいかわからず、不安になっているのでしょう。でも、温泉のルールと言われても、湯船に入る前にかけ湯をするくらいしか思いつきません。お湯の中で泳いだり石鹸を使ったりしてはいけないというようなアドバイスが欲しいのでしょうか。Yさんは髪が短いですからお湯の表面に髪が広がってしまう心配はないし、日本の温泉は素っ裸ではいるものだというのは世界的な常識になっているし、ほかに何があるでしょう。まさか、湯上りには腰に手を当てて瓶に入った冷たいコーヒー牛乳を飲み、卓球をすることなどという、なつかしの映画の一場面みたいなことを求めてはいないでしょうね。

食事のルールとなると、さらに難関です。部屋に食事が運ばれてくるのなら、自分のペースで勝手に食べればいいし、いわゆるお食事処で供せられるのなら、普通の食堂と変わる所はないでしょう。お見合いの席での会席料理や会社の接待なら緊張の一つもすべきでしょうが、そうではないのですから、刺し箸をしたところでとがめられはしません。移し箸はどんな場合でもいけませんが、一人旅のようですから、その心配もありません。

どうアドバイスすればいいかわからないので、本人を呼び出しました。天城山と天城峠は気づいていませんでした。山登りだから、絶壁があったらどうしようと思っていたようです。お風呂と食事のルールも、自分の知っている範囲で十分だというお墨付きが欲しかったようです。時に授業中居眠りをするくらいの図太さを持っているYさんですが、学校の外では不安をいっぱい感じているのでしょう。意外な繊細さを見て、驚きました。

私も明日から夏休みです。明日は、徳島県阿南泊。ちょっとマニアックな旅をしてきます。

正しい恐れ

8月9日(木)

台風13号は、東京地方には大きな被害を与えることなく、日本のはるか東へと遠ざかろうとしています。昨日のニュースや天気予報では、関東地方を直撃し、大変なことになるかもしれないと言っていました。KCPでも、午前中は休講にしようか、始業を1時間遅らせようかなどとうい話も出ました。でも、私は、各方面からの情報を見て、そこまでする必要はないだろうと判断し、授業は通常通りと決定しました。

今朝、私が家を出る時間でも雨風は収まっており、学生が登校する頃には無風に近く、蒸し暑くなってきました。私の天気予報はよく当たると言われます。それはKCP付近のピンポイントだからであり、関東地方、東京都区部などという広域の予報ではないからです。予報範囲が広がれば、ことに台風など災害が絡んでくる場合は、その範囲内の最悪のケースを予測して予報を発表します。報道機関はその最悪の数値をもとに警戒を呼びかけます。ですから、「それほどでもなかった」と思われることも多いです。

私は、KCP付近だけを考えればよく、銚子は強風、秩父は大雨かもしれないけど、新宿はそれほどでもないと考えたら、「大したことない」と言い切れてしまうのです。それゆえ、当たるように見えるわけです。気象庁などは見逃しを避けるために大げさな発表をし、私は空振りを極力排除するためにぎりぎりまで強気の予報をします。単にどうにかなると思い込むのではなく、上手に高をくくっているのです。適正範囲の恐れを抱くと言ってもいいです。

私の通勤鞄には、いつも折り畳み傘が入っています。毎日適正範囲の恐れを見積もるのが面倒くさく、常に雨に降られるという最悪を想定し、折りたたみを入れっぱなしにしているのです。偉そうなことを言いましたが、実はこんな程度なのです。

災害に備える

8月2日(木)

毎週木曜日は、もうすぐ中級クラスの読解の日です。今週は地震についての教材でした。私の専門領域の話題ですから、ついつい本文から離れて余計な話をしたくなります。ネタは、90分の選択授業「身近な科学」が2回できるほどありますから、それを噛み砕いて話せば無尽蔵に近いくらいあります。

テキストに書かれている東日本大震災も阪神淡路大震災も、地学マニアとしては語るべきことが山盛りで、文章の精読などしている暇はありません。…などと不届きなことを考えながら、「2011年の3月11日、皆さんは何をしていましたか」と聞くと、大半が「中学生でした」「高校生でした」。「1995年の1月17日は何をしていましたか」「まだ生まれませんでした」「お母さんのおなかの中にもいませんでした」と声を合わせて答えが返ってきました。

ただただ驚くばかりですが、だからこそ、地震に対する心構えを説きたくなります。この先進学して、さらに日本で就職しようと考えている学生も多いですから、地震と上手に付き合っていかなければなりません。いたずらに怖がるだけではいけませんが、むやみに高をくくりすぎても痛い目にあいかねません。正しく恐れることが、地震に限らすあらゆる災害に向き合う姿勢として求められます。

今年は大阪北部の地震、西日本の広い範囲にわたる大雨、そして先月来のこの酷暑。テキストの冒頭に「日本は災害が多い国です」とありましたが、正にその通りの展開です。災害に備え、災害と戦い、時には共存することもまた日本文化だよと、「身近な科学」のときには言いますが、このレベルの学生には難しすぎるでしょうから、そこまでは言いませんでした。それはまた、追ってわかってもらうことにしましょう。

最低点

8月1日(水)

Yさんは入学以来コツコツ努力を重ね、満を持して6月のEJUに臨みました。受験講座での様子を見ている限り、かなり希望が持てるんじゃないかと思っていました。理科は2科目とも80点以上が期待できそうでした。90点をとっても不思議はありませんでした。先日届いた試験結果は、しかし、Yさんにとって厳しいものでした。なんと、理科が2科目とも最低点だったのです。

受験講座のときに話を聞いてみると、マークする場所を間違えたのだそうです。解答欄の1番からマークし始めたのではなく、その隣の列に塗ってしまったようです。理科の2科目を全く同じように塗ってしまったので、どちらの科目とも実質0点の最低点となったというわけです。

これが、マークシートの怖いところなんですよね。ほんのちょっとした不注意が、理不尽なほどひどい結果をもたらすのです。ミスを犯したのですから、減点ゼロではすまないことはわかります。しかし、実力の1/4か1/5の点数しかもらえないというのは、果たしてあるべき教育の姿なのでしょうか。

こうした点も踏まえて、日本ではセンタ-試験を記述方式も含めた形に変更します。でも、そうすると、記述式の部分の採点の公平性という点から疑問が呈されています。私は、何十万という受験生を1つのテストで評価しようという点に無理があると思っています。各大学の入試の簡素化が図れるなどの利点もありますが、テクニックだけで点数が取れてしまうなど、弊害も目立っています。

私は共通一次テスト第一期生です。40年前の批判に十分に答えられないまま、EJUが存在し、大学入学共通テストが生まれようとしています。

わが道を行く

7月28日(土)

T専門学校が、KCPを卒業してそこに進学し、そこを卒業した学生の進路を報告してきてくれました。その報告には、2年前の卒業生・Cさんの名前もありました。Cさんの欄には帰国と記されていました。

Cさんは、KCPに入学したときは、大学院進学希望でした。弁も立ち、文章も書け、読解力もありましたから、学力・能力の面では大学院進学に関して問題はありませんでした。しかし、Cさんは、自分が本当にやりたいことは大学院に進学したら実現できないのではないかと当初の計画を考え直し始めました。さんざん悩んだ末に出した結論が、T専門学校への進学でした。国の両親ともだいぶ議論を戦わせたようでした。

T専門学校に進学した後、何回かKCPに顔を出してくれたようですが、私が会えたのは1度だけでした。そのときは、T専門学校での勉強はとてもおもしろく、進路を変更してよかったと生き生きとした顔で語ってくれました。しかし、Cさんが選んだ専門は日本での就職は非常に難しく、送られてきた報告によると、やはり日本には残らなかったようです。

やりたいことは趣味としておき、大学院に進学していれば、Cさんの優秀さからすると、日本で就職できたに違いありません。私はそう考えて今まで生きてきています。でも、Cさんはそういう生き方を潔しとしなかったのでしょう。やりたいことを徹底的に追及するのも若さの特権だと判断したのかもしれません。

Cさんが国で就職できたかどうかはわかりません。楽しい思い出だけでは食べていけないことも事実です。でも、尾羽うち枯らしたCさんの姿は想像したくはありません。自分のやりたいことをやりとおしたのだと自信を持って歩んでいてもらいたいです。

入学式挨拶

皆さん、本日はご入学おめでとうございます。このように多くの若者が世界中からこのKCPに集まってきてくれたことをとてもうれしく思います。

皆さんの留学の目的は人それぞれでしょうが、皆さんの周りにいる、あるいはこれから現れるライバルたちに差を付けるというのもその1つではないかと思います。大勢の中に埋没してしまっては、皆さんの存在意義は薄れてしまいます。皆さんが、皆さんを取り巻く人たちにとって唯一無二の存在となるためには、ほかの人にはない何か大きな特徴を持っていることが必要不可欠な条件となるでしょう。それゆえ、留学経験を、自分自身を特徴付ける何物かにしようと思っている人も多いと思います。でも、これは留学さえすれば誰でもそうできるというものではありません。留学の中身が大きく物を言います。漫然と外国で時を過ごしただけでは、留学という経歴は残りますが、実力は伴いません。やがて周りの人々にその経歴は虚仮威しに過ぎないと見抜かれてしまいます。密度の濃い、物の考え方や仕事の進め方や果ては人生観にまで影響を及ぼすような生活を送って初めて、この留学が皆さんの将来に明るい光をもたらす経験となるのです。

では、どうすれば密度の濃い留学生活が送れるでしょうか。勉学に励むことはもちろん、というよりそれは最低条件で、進んで自分とは異質なものを求めていってください。他国の学生と友達になることもそうですし、年代の違う人たちと語り合うこともそうです。日本の文物に触れることも忘れてはなりません。インターネット上での経験ではなく、体を張って五官を通して感じ取ってください。

そして、こういう経験によって、自分自身や自分の国を相対化してください。異質なものとの接触によって得られた新しい視座から、今までの自分を総決算し、これからのあるべき自分像を見出すのです。また、自分の国を愛する心、誇る気持ちは大切です。しかし、それと何でも自分の国が一番だと信じ込んでしまうこととは別です。自分の国の強みも弱みも知っている人が、政治の世界でもビジネスの分野でも科学技術の方面でも、頼れるリーダーとなるのです。KCPにいるうちにここまでしろとまでは言いませんが、いずれはこういうことができるようになってもらいたいです。KCPを卒業し、進学したり就職したり起業したりして社会に根付いている人たちは、みんなこういう目を養っています。その一方で、異質を拒み続けた学生たちは、得る物の少ない留学に終わっています。

KCPでの勉強が終わったら国へ帰る人たちは、これからこのような異質な世界での生活は経験できないかもしれません。ですから、この機会を有意義に活用し、肌身で世界の広さを実感してください。日本で勉強を続けていこうと思っている人は、KCPでの生活は進学後の生活の助走です。より高く遠くへ飛んでいけるように、十分に勢いをつけてください。

今ここにいらっしゃる皆さんは、短い人で2か月、長い人は、日本の大学や大学院での期間も加えると、数年あるいはそれ以上にわたる留学生活が控えています。後で振り返った時、得がたい経験をしたと胸を張って言えるような濃密な人生のひとときを、皆さん自身で創造していってください。私たち教職員一同、喜んでそのためのお手伝いをいたします。

本日は、ご入学本当におめでとうございました。