Category Archives: 社会

おとなしく

4月19日(金)

もう、桜の木は周りのほかの木に埋没してしまいました。今年の桜は意外に長持ちしたと思いますが、さすがにこの週末は「花見」ではないでしょう。うちの近くの桜並木も、今はただのどこにでもありそうな木に戻っています。桜前線は、信州から南東北を通過中です。

4月の新入生、特に初級に入った学生たちは、慣れない生活に右往左往しているうちに桜を見逃してしまったようです。生の桜を見ようと思っていたのに、言葉の壁と緊張感でそんなゆとりなどなかったというのが実情でしょう。

午前の授業を終えて、外階段を下りてくるとき、何気なく下を見ると、校庭のテーブルがほぼ満席でした。談笑しながらお弁当を広げているグループがいくつかありました。最高気温23.6度、風も弱く、日差しも強烈ではなく、外でお昼を食べるには絶好のシーズンです。校庭に桜はつきものですが、残念ながらKCPの校庭は木を植えられるほど広くはありません。でも、これから梅雨入りまで、校庭は、雨さえ降らなければ、KCPの中で一番過ごしやすい場所です。私もできることなら校庭のテーブルで仕事をしたいですが、なかなか思うに任せません。

初級の漢字の時間で、「神」という字を扱いました。ちょっと脱線ということで、“八百万の神”という日本人の宗教観にも触れました。教室にもトイレにも電車にも1本1本の木にも神様が宿っているというと、国籍性別年齢を問わず、感心したような顔をします。桜の木の神様は、みんなを喜ばせ楽しませ、また目立たぬ形で、今年は平成から令和への移り変わりを見守ているのでしょう。

空を突き刺す

4月17日(水)

パリのノートルダム大聖堂が焼け落ちました。パリ市民の心痛はいかばかりでしょう。1985年の早春、就職する直前にヨーロッパを3週間ほどふらつき、日本へ帰る直前にパリの街を観光しました。ベルサイユ宮殿とルーブル美術館とエッフェル塔と、そして、ノートルダム大聖堂を見ました。真下から、セーヌ川の対岸から、角度を変えて見入ったものです。中に入ると、厳かな、でも冷たさのない空気に包まれて、ずっとたたずんでいたい気持ちになりました。あの大聖堂が消えてしまったのかと思うと、私はクリスチャンではありませんが、大きな喪失感に見舞われました。

このニュースを聞いて、規模はだいぶ違いますが、山口市のサビエル記念聖堂が全焼したニュースに接した時のことを思い出しました。ニュースステーションの終わりに、その他のニュースみたいな中で流された燃え盛るサビエルの映像を見て、叫び声をあげそうになりました。山口に住んでいた時、時々訪れて姿のいい教会だなと思いながら飽かずに眺めていたものです。数年後、サビエル記念聖堂は再建されましたが、焼ける前とは趣が変わってしまい、いまだに訪れていません。

さらにもっと昔、私が住んでいた町には高い無線塔がありました。使われなくなって久しかったのですが、町のどこからでも見える、住民にとっては心のよりどころのようなものでした。しかし、老朽化が進み、私がその町を離れてからしばらくのち、解体されました。友人の婚礼でその町を訪れた時、見上げる存在のない空間を見つめ、町のアイデンティティーが失われたことを痛感しました。

高い建物や塔は、町のシンボルです。それが忽然と姿を消すことは、住民の心に深い傷を負わせます。9.11後のニューヨーク市民もそうでした。ノートルダム大聖堂再建のために、1000億円近い募金が寄せられたと報じられています。それが再建に十分な金額かどうかはわかりませんが、パリに大聖堂の尖塔が再び君臨する日が1日も早く訪れることを祈ってやみません。

選挙と学生

4月16日(火)

日曜日から統一地方選挙の後半戦が始まり、私が住んでいる区でも新宿区でも区議会議員選挙が行われています。私の区は狭い区ですから、日曜日など、私の家の周りに何人もの候補者がうようよしていて、大混戦でした。ですから、ある候補者が政見を語っていても、別の候補者がすぐそばで演説をしていますから、どの話にもじっくり耳を傾けるなんて無理でした。

A候補は、前回の選挙からずっと毎週、区議会の報告を印刷して、地域の住民に配っていました。他の候補者は、選挙が近づいてからにわかに同様のチラシを配ったり4年間の活動をまとめてビラにして各戸のポストに入れたりしていました。当然、A候補の方が信頼できますし、選挙期間中の運動では出くわさなくても応援したくなります。

私は根っからの地元民ではありませんから、地縁とか血縁とかはありません。A候補に対したって、恩義を感じているわけではありません。でも、いや、だからこそ、毎週報告を配ってくれるA候補に親しみを感じるのです。話したことはもちろん、会ったことすらありませんが、他の候補はさらにもっと遠い存在ですから、私の1票はA候補へという気持ちです。

選挙じゃありませんが、進路指導も同じようなところがあります。受験講座などを通して日ごろから付き合いがあると、受験本番が近づいた時、こちらから力になろうかという気になります。それに対し、普段はろくに顔も見せないくせに、切羽詰まった時だけこちらを頼ってくる学生がいます。頼られたら何らかの形で応えますよ。でも、素性もわからない学生を親身になって世話するまでには、それなりに時間が必要です。自分の都合だけで利用しっぱなしという学生には、必要最小限の対応になってしまいます。

心が狭いと言われればそれまでですが、誰でも多かれ少なかれこうなんじゃないでしょうか。より良質な人間関係が作れるかどうかは、進学してから留学を成功に導けるかどうかにも直結していると思います。その練習を、今のうちにしておいてもらいたいです。

ある帰国

4月5日(金)

新学期の準備をしていると、卒業生のWさんが帰国のあいさつに来ました。専門学校を卒業し、国の会社に就職するのだそうです。その会社とは、日本人なら誰でも知っているM社の海外支社で、職員室にいた先生方全員、すごーいと思わず感嘆の声を上げてしまいました。その声を聞いたWさん、ちょっぴり誇らしげでした。

就職後は、専門学校で勉強した知識や技術を生かして、新商品の開発に取り組むようです。日本の本社にも出張があり、その時にはまたKCPに顔を出すと言ってくれました。Wさんの凱旋を心待ちにしていましょう。M社は人口減で先細り感のある日本市場よりも、海外での事業展開に注力しています。そういう意味で、WさんはM社のエリートコースに第一歩を踏み出したのかもしれません。

KCPの学生たちは、多くが日本で大学や大学院に進学しようと考えています。その先はどうなのかというと、特に大学進学を目指している学生は、まだ若いということもあり、漠然としています。最終的には日本で就職したいとか日本の会社で働きたいとか言っていますが、どこまで強くそう念じているかは疑問です。

日本の会社に入ることが最終目標なら、日本の大学や大学院に入ることはその手段にすぎません。Wさんのような道もあるのです。むしろ、そちらの方が確率が高いかもしれません。KCPとしては、1人でも多くの学生が“いい大学”に入ることが、学校としての実績につながりますから、ありがたいです。でも、学生の人生というスパンで考えた場合、それでいいのかどうかわかりません。

そんなことより、私はWさんの日本語に感心しました。社交辞令ですけどもなどと言いつつ、心配りのある言葉が次々と出てきました。できる学生でしたが、さらに磨きがかかった感じがしました。専門学校の2年間、中身の濃い勉強をしたことが容易にうかがわれました。

明日は、新たな夢を抱いた学生たちが入ってきます。

令和に思う

4月2日(火)

新しい元号が「令和」と決まりました。私は菅官房長官の発表を生で見ることができず、後で「ホーレーのレーとなごむで“レーワ”と決まりました」とアナウンスで知らされました。“なごむ”はともかく、“ホーレー”といえば、私のような理系人間にとっては、まず、“放冷”であり、だから、最初、“冷和”という文字が思い浮かびました。さすがにそれはないだろうと思い、“法令”を思い浮かべ、“令和”に至りました。

その後の画面や写真などに映し出されている“令和”の筆文字が、まさにこの稿の印刷字体の“令”でした。KCPではひとやねの下に点を打ってカタカナのマという、手書きの字体を書くように指導しています。あれだけ堂々と世界に向けて手書きの“令”を示されてしまっては、ちょっと商売しにくくなりますね。

“令和”は万葉集を典拠とすると発表されたため、万葉集が急に売れ出したそうです。私は、古文漢文はからっきしですから、万葉集を改めて読もうなどとという気は全く起きません。新聞に出ていた“令和”のもとになった文を読みましたが、よくわかりませんでした。安倍さんは日本の古典から元号を採ったことにご満悦のようですが、私には“平成”のほうがわかりやすかったです。

典拠は国書ですが、私は“令”という字そのものに強い“中国性”を感じます。万葉の時代にこんなにまで“やまと”らしくない言葉づかいがあったのかと、むしろ感心させられました。中国の文化を未消化のまま、現代のカタカナ語のような気分で、万葉集に書き込んだのでしょうか。

私は新天皇と同い年(学年は、あちらの方は早生まれですから、私は1年下)ですから、改元をこの目で見られるのは、おそらくこれが最後でしょう。今上天皇より早くご退位なさるなら話は別ですが…。ですから、改元フィーバーと天皇即位のもろもろなどを、じっくり味わっておきたいと思っています。…と言いつつ、10連休は遊びまくる計画を立ってているんですがね。

修了式と同窓会

3月29日(金)

養成講座の修了式が終わり、会場の設営を手伝っていると、Mさん、Nさん、Tさん、Oさん、Kさんなど、懐かしい面々が次々と姿を見せてくれました。名前だけではピンとこなかった方々も、顔を見たら「ああああ!」という感じで、瞬時に線がつながりました。養成講座の同窓会は、互いに久闊を叙するところから始まりました。

養成講座を修了したMさんがKCPで先生をしていたのは、10年以上も前になるといいます。確かに、震災の前ですから、そういう計算になります。でも、顔はしわが増えたわけではなく、声の張りや艶も変わることなく、でも、お話を聞くと間違いなく歳月は流れており、なんだか不思議な気がしました。

Nさんは私がKCPに入る前にお世話になっていたところでしばらく教えていたそうです。そこは震災をきっかけに日本語を教えなくなってしまったという話を聞き、少し寂しくなりました。でも、Nさんはほかで仕事を見つけ、日本語教師として立派に独り立ちしていて、表情には自信がみなぎっていました。

KCPが日本語教師養成講座を始めたのは2001年のことです。調べてみると、私は2003年ごろから養成講座に携わっていますから、かなりの数の同窓生とどこかで接触があったはずです。今回出席できなかった方たちも、送られてきたメッセージによると各方面で活躍しているようです。その活躍に微力ではあっても貢献できたんのかと思うと、なんだか誇らしいです。

もちろん、KCPの養成講座出身者は、KCPでも多くの方が貴重な戦力となっています。今期の修了生からも、3名が4月からKCPで働き始めます。同窓会でつながりができた先輩方を目標にして、ぐんぐん成長していってもらいたいと思っています。

五分咲き? 満開? 八分咲き?

3月27日(水)

気象庁から、東京の桜が満開になったと宣言が出されました。ソメイヨシノでは、今年全国で一番早い満開宣言です(奄美沖縄地方の「ひかんざくら」は2月に満開)。21日の開花から、けっこう暖かい日がありましたからね。でも、朝の四ッ谷駅の桜は、まだ五分咲きぐらいに見えました。

そんなニュースを聞いていたので、お昼に出たついでに、花園小学校の桜を見に行きました。私と同じ考えをした人が多かったみたいで、花見に具合がいいベンチは満席でした。だから立って枝をしげしげと見ると、花はかなり開いているものの、つぼみもまだだいぶ残っていて、七分咲きから八分咲きといったところだと思いました。ここの桜は日陰になる時間帯が案外長いですから、靖国神社の気象庁標準木より咲くのが遅れているのでしょう。

午前中から風が強かったので、花びらに分解する前に、花そのままの形で吹き飛ばされているのもあり、なんだかもったいない感じがしました。拾って洗ってお茶か和菓子の上にでもそっと載せれば風流なのでしょうが、私にはそんな趣味はなく、砂ぼこりと一緒に舞う落ち花を見ているだけでした。いずれにせよ、今週末が東京のお花見ハイシーズンでしょう。お天気はパッとしなさそうな予報が出ていますが…。

桜といえば、数日前の新聞に、さいたま市に20キロにわたる桜並木があるという記事が出ていました。地図を見ると、さいたま市の南北を貫く形で数千本もの桜の木が、見沼田んぼを縁取るように植えられています。端から端まで歩いてみたい気にもなりますが、そんなことをしたら、3年ぐらいもう桜は結構ですなんてなるのでしょうか。

謎の書類申請

3月8日(金)

昨日分のブログをアップしたあと、ちょっとした事件が発生しました。

私のクラスだった卒業生のXさんが書類の申請に来ました。対応したM先生によると、Y専門学校に合格して、学校から出席成績証明書と卒業証明書を出すように言われたとのことです。「明日持って行くと言っているけど、とんでもない」と憤慨していました。“書類は申請から受取りまで3営業日”と、今までに何回も伝えてきましたから、Xさんがこのルールを知らないはずがありません。ここは私が出て行って、ギュッと締めてやろうと思い、Xさんの立っているカウンターに向かいました。

「Y専門学校に合格したんですか」「はい」「それで、明日までに出席成績証明書と卒業証明書が必要なんですね」「はい」「普通は出願する時にそういう書類が必要なんですが、学校から何も言われなかったんですか」「はい」「いつ、明日までに出席成績証明書と卒業証明書が必要だと言われたんですか」「…」「「ずっと前から言われていたんですか」「…」「じゃあ、どうして持って行く日の前日まで書類の申し込みに来なかったんですか」「…」「黙っとらんで説明せんかい」とカウンターをたたくと、Xさんは文字通り顔を引きつらせ、縮み上がりました。そして、衝撃の告白が始まりました。

要するに、Y専門学校は出願すらしていない、別の専門学校への出願に必要なのでその書類がほしい、だが、その専門学校の名前がわからない、だから、Y専門学校に出すふりをして書類をもらおうとした…ということなのです。空いた口がふさがらず、怒る気力すら萎えてしまいました。

数分後、その専門学校はZ専門学校だとわかりました。つまり、Xさんはほんの数分の手間を惜しんで、Y専門学校宛の書類を、X専門学校への出願に流用しようとしたのです。そんなことをしたら、願書を受理してすらくれないでしょう。私に怒鳴られるまで、Xさんは薄ら笑いを浮かべていました。世の中をなめているとしか思えません。

出願がうまくいっていれば、Z専門学校の入試は明日です。あんななめた根性で受験したら、面接官の逆鱗に触れかねません。でも、そうなっても、助けてやろうとも思いません。一旦帰国して、もう少し大人になってから来てもらいましょう。

ラッキー?

3月7日(木)

昨日の朝、ホームで本を読みながら丸ノ内線を待っていると、電車音とともにいつもより視界が赤くなりました。何だこれは?と思いながら視線を上げると、丸ノ内線の新型車がホームに進入中でした。現在の丸ノ内線電車はアルミの地金みたいなメタリックなベースに、丸ノ内線のラインカラーの赤い帯が窓の下に入っています。これに対し、新型車は、車両全体が真っ赤で、窓の上にサインカーブが描かれた白い帯が施されています。この真っ赤が、私の視線を引っ張り上げたのです。駅のポスターなどを通して新型車が運行を始めたことは知ってはいましたが、実物を目にするのは初めてでした。

車両の中央部は普通の窓ですが、両端は丸窓です。この丸窓がなかなか粋な感じで、乗客を詰め込むだけの電車じゃないぞと自己主張しているようです。車内は、シートの色が黒と外装より落ち着いた感じの赤となっています。一方、床はいくぶん紫がかった桃色に見えました。丸窓のそばまで行ってみると、スマホ充電用のコンセントがありました。新幹線のような長距離列車用車両では標準装備になりつつありますが、通勤電車で充電している暇があるのでしょうか。需要があるからこそ設けられたのでしょうから、日中はきっとにぎわうのでしょう。まだ試運転なのか、車内の中吊りとドア上のモニターの広告は、ドラえもん一族を動員した丸ノ内線新型電車のアピールでした。

この電車の特徴は、何といっても球状になった前面です。東京のどの通勤電車とも一線を画すデザインと言っていいでしょう。大阪の南海電車の関空行き特急ラピートに似ていると思いましたが、ラピートの象がうろ覚えなので、あまり当てにはなりません。要するに、私たちの常識にある電車とはかなり違う、だから電車っぽくない顔をしているのです。

そんなわけで、昨日は新型車に乗れた幸運を密かに喜んでいました。そして、今朝、何と、また、新型車がやってくるではありませんか。運を使い果たしてしまったのではないかと、少し心配になりました。

なすび?

2月8日(金)

受験講座の欠席の多い学生を呼んで注意を与えました。その中に私のクラスのYさんがいました。Yさんは成績がいいだけでなく、習った文法や語彙を上手に使って気の利いた例文を作ります。まだ伸び盛りで、もう1年勉強すればかなりのレベルの大学も狙えるだろうと思っていました。そのYさんが、まるで大学受験を放棄したかのように受験講座の欠席を重ねているのです。

事情を聞いてみたところ、親に帰って来いと言われているそうです。 日本での大学進学はあきらめざるを得なくなり、受験講座に出てもその成果を生かすチャンスがないので、行く気がなくなったとのことでした。それを語るYさんは伏し目がちで、無念さが表情ににじみ出ていました。

去年の4月に来日するときは、ご両親から「石にかじりついてでも日本の大学に入れ」と送り出されたのですが、今年になってから掌を返したように「帰ってこい」の一点張りで、Yさん自身、困り切っています。どうしてご両親の意見が変わったかまでは、プライバシーにかかわることですから詳しく聞くことはできませんでしたが、Yさん自身納得しかねるものがあるようです。Yさんのような例はそんなに頻繁にあるわけではありませんが、最近増えているような気もします。親はどうして気が変わってしまうのでしょう。

子どもに対する支配力(欲)が強まっている感じもします。自由に操りたいのでしょうか。子どもは子どもなりに夢を描いています。その夢をつぶさせてまでも、親は自分の子どもに干渉したいのでしょうか。わずか1年で自分の気が変わって子どもに大きな方針転換を迫るというのは、いかがなものと思います。

かつて、SさんはJ大学とU大学に受かりました。自国で有名なJ大学への入学を勧める親と大喧嘩をして、自分のやりたいことができるU大学に進みました。U大学で充実した学生生活を送り、大学院にまで進学し、日本の大手企業に就職しました。“親の意見となすびの花は千に一つの無駄もない”ということわざがありますが、私は留学に関しては信用していません。もちろん、過半は親の意見が妥当な線ですが、子の考えが親の意見に勝る例も少なくありません。

考え方がとてもしっかりしているだけに、Yさんのご両親に、ぜひともYさんの話に耳を傾けてもらいたいです。