Category Archives: 社会

悩み

9月21日(土)

受験講座EJU日本語の授業後、Kさんの進学相談に乗りました。心理学を勉強したいということで、都内のT大学、N大学、S大学を志望校として考えています。これらの大学の“相場”を知りたいというのが相談の内容です。

手持ちのデータを見せると、「6月の点数ではだいぶ足りませんね。11月は50点ぐらい伸ばさないと…」とつぶやいていました。Kさんの成績で合格できそうな大学は東京にはなく、関西になってしまいます。でも、Kさんは東京を出るつもりはありません。じゃあ、11月に50点上積みできそうかというと、受験講座でやった問題の答案を見る限り、疑問符を付けざるを得ません。

最近、定員厳格化で都内の大学の“相場”は上がっています。また、東京だけが日本ではないということも知ってもらいたいこともあり、東京の外の大学を積極的に進めています。今年は、京都の大学の担当者に来ていただいて、進学説明会も開きました。そうやって大いに力を入れているのですが、Kさんをはじめ、学生の気持ちを動かすには至っていないというのが現状です。

思い切りよく自分の国を出て日本へ来た留学生なら、東京・京都間の距離ぐらい目じゃないと思いたいところですが、多くの学生が東京にどっしりと根を下ろしてしまうのです。進学アンケートなどで「進学先は東京以外でもいい」と回答していた学生も、いざ出願となると、東京の大学を選んでしまいます。

東京で生まれ育ったG先生によると、大都会でしか暮らしたことがないと、電車が来ないとかお気に入りの店がないとかという生活には耐えられないのだそうです。また、大都会出身でないと、大都会にあこがれるものですから、結局、学生は東京に集まってしまうとも考えられます。

来学期は、そういう学生を東京から引きはがす大仕事が待ち受けています。

卵のもがき

9月11日(水)

私のクラスのHさんは、音楽大学志望です。アートウィークに参加してもらおうと、クラスの教師全員で勧めました。手を変え品を変えHさんの気持ちを盛り上げようとしましたが、最後まで首を縦に振ってくれませんでした。

そのHさんが、アートウィークの演奏会に足を向けました。ピアノやフルートの演奏に耳を傾け、歌の発表も聞きました。昨日も登場したPさんのピアノ演奏も、当然聞きました。その後、「あのぐらいの演奏だったら私でもできました。私も出ればよかったです」と、一緒に行ったS先生に漏らしました。「次のアートウィークには、必ず参加します」と力強く宣言しましたが、来年3月卒業予定のHさんには“次”はありません。S先生にそう言われると、Hさんはとても残念そうな顔をしたそうです。

Pさんが紡ぎだした音が、Hさんの芸術家魂に火をつけたのかもしれません。でも、“後悔先に立たず”を地で行くような話じゃありませんか。このアートウィーク、才能豊かな学生たちに発表の場を与える意味も含まれています。この場で自信をつけ、それが進路に好影響を及ぼせば、喜ばしい限りです。Hさんだって、このチャンスを生かせば、Pさん同様の喝采を浴びられたでしょう。

「やればできるんだ」と「やったんだ」との間には、画然とした違いがあります。Pさんは境界線の向こう側へ軽やかに飛んで行ってしまい、Hさんは地べたに体育座りしてその姿を見ているのです。芸術家は、「作品」を多くの人の前に出すことで、鍛えられ成長するものです。その勇気がなければ、つまり頭でっかちなだけでは、誰からも見向きもされません。自画自賛だけではガラパゴス的芸術家になってしまいます。

こうなったら、卒業式の余興を狙うしかありませんね、Hさん。

没個性

9月4日(水)

読解のテキストに熊本地震の話がちょっとだけ出てきました。地震となると言いたいことがいっぱいありすぎて、放っておくと独演会になりかねません。身近な科学ならそれでもいいでしょうが、初級の読解で、しかも他にやることが山ほどある日にそんなことはできません。あえて何も触れずにさらっと流そうと思いましたが、それではこちらにストレスがたまってしまいますから、震度7という家がつぶれて死者が出るほどの地震だったということだけ話しました。でも、学生たちの反応は薄かったです。

学生たちの多くは地震がほとんどないところから来ています。日本で生まれて初めて地震を体験し、震度2ぐらいで大騒ぎをします。この前の日曜日は防災の日で、地域によっては防災訓練をしたり、お昼ごろに電車に乗っていたら訓練に出会えたりしたはずなのですが、そんなことを経験したり見かけたり気付いたりした学生はいなかったようです。地震が起きたら人並み以上にびっくりするくせに、地震の周辺事項に対する感度は鈍いのです。

大地が揺れ動くということが想像できないのでしょう。学生たちにとっても“地震雷火事親父”かもしれませんが、地震が圧倒的にずば抜けて1位の恐怖に違いありません。揺るぎないはずのものが揺るいじゃうんですからね。日本で暮らしていく上では、いつでもどこでも地震に見舞われるおそれがあるんだということを伝えていくのが私の役回りじゃないかと思っています。そういう授業をすることが、教師の個性なのだとも思っています。

とはいえ、テキストの隅っこにちょこっと出てきただけの熊本地震からここまで引っ張っちゃったら、本末転倒です。だから、予定の時間を踏み越えることなく読解を終えました。

ある電話

9月3日(火)

受験講座が終わって職員室で一息ついていると、S大学から電話がかかってきました。留学生を受け入れる態勢を整えたので、説明に来たいとのことでした。S大学なら志望校の1つになりそうな学生の顔がいくつか思い浮かびましたから、話を聞くことにしました。ところが、先方は明日の朝お邪魔したいと言います。でも、私は、水曜日はクラス授業と受験講座で、9時から5時まではほとんど時間がありません。

こうなると、普通は別の日にということになりますが、先方は「じゃあ、資料だけ置いていきますよ。明日の朝、そちらの方へ行く用事がありますから」と言います。それも、明るいというか軽いというか、とてもあっさりした口調で。要するに、何かのついでにこちらに寄って、言いたいことを伝えていこうという心づもりなのでしょう。

ビジネスの世界ですから、時間を有効に使おうという気持ちはわかりますし、ジグソーパズルのピースがぴったり合わなかったら違うものを当てはめようとすることもわかります。でも、あの口調で言われちゃったら、聞き手はいい気分はしませんよ。S大学は名門と言われている大学ですが、自分本位の考え方をしたがるのかなと思ってしまいます。こういう態勢で集めた留学生を果たして本当に大切にしてくれるのだろうかと疑いたくすらなります。

電話口では、「はい、わかりました。今後ともよろしくお願いいたします」と言いましたが、この担当者とはあんまりよろしくしたくないですね。こうして本音を隠してしまうところが、日本人のよくないところなのかもしれませんがね。

変身できたかな

9月2日(月)

今朝は、馬子にも衣裳みたいな、どことなくぎこちないスーツ姿の学生が何人も職員室の前を通っていきました。お昼の時間に、面接身だしなみ講座があるからでです。スーツ屋さんの店長さんがいらっしゃって、スーツの着こなしや、男性ならネクタイの結び方、女性ならメイクのポイントなどを教えてくださいます。去年開催して好評だったので、今年もそろそろ入試の面接シーズンに突入しますから、また開くことになったのです。

「人は外見よりも中身が大切だよ」と日ごろから言っていますが、「人は見た目が9割」なんていう本がベストセラーになってしまうほどですから、表面的なものも無視はできません。初めて入ったクラスで、初めて顔を合わせた学生に対しても、やっぱり第一印象で判断してしまう傾向はあります。クラスの学生なら、その後いくらでもその第一印象を修正するチャンスはありますが、入試の面接は一発勝負です。中身の素晴らしさが伝わる前に拒絶されてしまうことの方が多いのではないでしょうか。

また、こういう講座を受けて、それに基づいて身支度を整えて面接に臨んだとなれば、それが試験場での自信につながると思います。堂々とした態度で面接官の前に立てば、面接官の目を引き付けることもできるでしょう。逆に、「こんなスーツの着方で面接官に変に思われないだろうか」などとびくびくしていたら、その自信のなさを面接官に見抜かれて、減点されてしまうかもしれません。昨今の留学生入試はどこも競争が激しいので、減点の要素は1つでもなくしておかなければなりません。

朝、馬子にも衣裳だった学生たちはどうなったでしょう。帰りがけの姿を見逃してしまいましたから、講座の効果をすぐに確かめることはできませんでした。でも、入試の結果で効果を示してもらえれば、それで結構です。

九州半周

8月26日(月)

夏休みは、春の10連休に続いて、一緒に行きたくないシリーズの旅行をしました。唐津、名護屋城跡(名「古」屋ではありません)、生月島、平戸、島原、雲仙、原城跡。いかがでしょうか。そして、天草を通って熊本へも行きましたが、寄ったところは超低視聴率にあえぐ大河ドラマ・いだてん(私は、随所にクドカンの非凡さが見て取れる、とても楽しめるドラマだと思っています)関連の展示館がある玉名です。

上記の地名、何も見ずにどこにあるかわかったら、相当地理に詳しい方でしょう。大き目の白地図で、それぞれどこにあるか人差し指できちんと指し示せる人は、ほとんどいないんじゃないかな。

唐津と名護屋城跡は佐賀県にあります。でも、佐賀県は、今学期から使い始めた初級の読解教科書に日本一の不人気県として載っています。知名度が低い、関心が薄いという意味ですが、味わってみると面白い県です。

唐津は佐賀県北部にありますが、福岡空港からなら空港地下から発車する地下鉄1本で行ける(途中からJRに乗り入れます)ので、それを利用しました。佐賀空港よりも福岡空港の方が便利に使えるというあたりにも、佐賀県の印象の薄さがあるのかもしれません。

名護屋城跡は、その唐津からバスで数十分です。「跡」ですから建造物は1つも残っていませんが、その礎石などを見ると、またこの城を建てた秀吉の性格を考えると、神々しいばかりの大城郭があったことが想像できます。史跡をたどるときには、想像力が必要です。原城跡にしても、そこでの戦いと戦いが済んだ後の虐殺というべき戦後処理を思い浮かべながら見学すると、草ぼうぼうの丘陵が、天草四郎や知恵伊豆の生きた証に見えてきます。

平戸と島原は、潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録されて間がないということで、どこの博物館なども展示に力が入っていました。世界遺産そのものは原城跡しか行きませんでしたが、それ以外の施設でも、それに関連付けて展示がリニューアルされたようです。それらを見ると、日本はどうしてこんなにも異端者に不寛容なのだろうと考え込んでしまいます。神仏習合などを見る限り、宗教に関しては寛容なはずなのですが、お上が「ダメ」と決めつけた途端に、平気な顔でキリシタンに残酷な仕打ちをしてしまいました。ネット上での炎上を思い浮かべました。

実は、今回の旅行で一番時間をかけて見学したのは、島原にある「がまだすドーム」です。1991年の雲仙普賢岳噴火の記録を残した施設です。地学マニアとしては、外すことができません。ネットなどでは見学1時間となっていましたが、3時間かけて隅から隅まで見てきました。

「先生、焼けましたね」と、朝礼の時にS先生に言われました。確かに、毎日10キロは歩いたと思いますが、先週の九州はそんなに日が照りませんでした。それどころか、昨日の熊本はうすら寒いほどでした。8月の九州で半袖から出た腕をこすることになろうとは思いもしませんでした。

午前の授業をしながら、先週の今頃は平戸大橋を渡っていたころだなとかって思っていました。休み気分が抜けていないのは私以上に学生で、1週間授業がないとこんなにもしゃべれなくなるものかと、逆に感心させられました。

尊敬のまなざし

8月6日(火)

アメリカの大学のプログラムでKCPに留学している学生と話す機会がありました。そのうち2人が、日本史を専攻していて、ハーバード大学の大学院で研究を続けると言っていました。その研究対象も、徳川家康とか源平合戦とかという多くの人が手を付けたものではなく、幕末維新期の庶民の生活とかその時期の津軽藩の動向などという、あまり研究がなされていない分野でした。

2人の話を聞いているうちに、私もその方面に興味が湧いてきました。庶民の衣食住の欧米化がいつどのような形で進んだか、それも一様に進んだのではなくまだら模様を描きながら広がっていったのでしょうから、それを追いかけるのはさぞかし面白いだろうと思いました。また、畿内や江戸周辺ではなく、津軽という辺境ともいうべき地域に目を付けた点も、私にとっては新しい視点に感じられました。

研究を進めるには、古文書を読むことも必要です。日本人ですらごく限られた人しか読めないそういった文献を、外国人である2人は、非常な苦労は伴うものの、どうにか読んでいると言いますから、驚きを禁じえませんでした。「変体仮名は苦手ですね」とも言っていましたが、こちらは変体仮名など読もうとも思いません。

私は、歴史は好きですが、高校のとき古典文法がさっぱりわからなかったので、大学で歴史を勉強することはあっさりきっぱりあきらめました。私が読めるのは夏目漱石までですから、古文書の解読は専門家に任せて、そのエッセンスだけを現代文で勉強させてもらえれば十分だと思っています。歴史好きの素人以上は望んでいません。

だから、異国の古文書に果敢に挑む2人を見ていて、素直に尊敬しました。何年か後に、2人の研究成果に触れるのを、今から楽しみにしています。

激励メッセージ

7月26日(金)

今週、KCPでは、京アニへの激励メッセージを募集しました。18日に発生した放火事件は世界中に衝撃を与えていると報じられていますが、それを裏付けるかのように、多くの学生から絵や言葉のメッセージが寄せられました。私のクラスでも、普段はめったに口を開かないKさんが、職員室へ向かおうとする私をわざわざ捕まえて、「先生、メッセージカードはまだありますか」と聞いてきました。WさんとSさんも、授業後教室に残ってメッセージを書いて(描いて)くれました。

日本のアニメは、世界中で高く評価されて、多くの若者に日本に興味を持つきっかけを与えています。しかし、アニメの制作会社がアニメの作品と同様に名前が知られている、尊敬されているというのは、意外でした。日本人は昔から裏方に関心を示し、敬意を払ってきましたから、日本国内で京アニの名が通っていることには何の不思議もありません。でも、こういうのにわりと淡白だと思っていた外国人が、今回のように涙を流し花束をささげるのは、正直に言って、驚きでした。それゆえ、少なからぬKCPの学生が、やっとチャンスが巡ってきたとばかりに、激励メッセージを送ろうとしていることに目を見張りました。

いい傾向だと思います。どこからでも見える表面しか見ていないのではなく、それを支える人々にも視線を向けることで、日本人の心根がわかってくると思います。「京アニ、ありがとう」と叫ぶことで、学生たちは殻を1枚脱いだのではないでしょうか。

WさんとSさんは京アニへの思いを熱く語ってくれました。この思いが激励メッセージに載っていれば、京アニの方々もしっかり受け止めて、再建に向かってくれるでしょう。

夏はいつから?

7月25日(木)

早起きの人間は、日の長さを朝の早さで感じます。目が覚めてからどのくらいで明るくなるか、駅までの道の街灯がついているかいないか、一番電車の車窓から見える太陽の高さがどのビルぐらいかなどといったことで、夏になったとか秋が近いとか思うものです。

ところが、今年は、夏至のちょっと後から曇りや雨の日ばかりで、日の出から間もない太陽を目にすることがずっとありませんでした。今朝、本当に久しぶりに、東の空の真っ赤な太陽が見られたのですが、だいぶ低い位置になっていました。なんだか、知らないうちに夏の盛りが過ぎ去ってしまったようで、いくばくかの寂しさに襲われました。

もちろん、本物の夏はこれからです。真夏日熱帯夜はしんどいですが、冷房の効いたビルや電車に滑り込んだ時の快感や、寝苦しいとき開け放った窓から履いてきた風などに夏のさわやかさを見出します。でも、昨日梅雨明けの機会を逸してしまった関東地方は、週末も雨だそうですから、夏の訪れは来週にずれ込みそうです。

梅雨が明けても、夏らしい強烈な日差しが来るのか、少々不安です。梅雨の湿度を保ったまま、気温だけがじわっと上がり、蒸し暑さに拍車がかかった、過ごしにくいこと極まりない夏になりそうな気がします。梅雨が明けた地方も、今一つスカッとしない夏のようですから。

朝のお掃除をしてくださるHさんは、小学生とラジオ体操をしてからこちらへいらっしゃいます。本気でラジオ体操をすると結構暑くなるようで、汗をふきながら事務室に入ってきます。こんなことをすれば夏らしさを感じられるんだろうかと、曇り空とHさんとを見比べながら思っています。

いつもと違うぞ

7月22日(月)

四谷警察の方が来て、防犯の話をしてくださいました。話の内容そのものは、入学時のオリエンテーションで学生の母語で書かれた冊子で確認していることでも、日頃私たち教職員が伝えていることでもあります。でも、警察の方の口からじかに聞かされるとなると、学生たちの心に響くものがより強かったようです。

Gさんはこの学期休み中に引越ししました。しかし、在留カードはそのままにしていました。これは20万円以下の罰金に相当すると聞かされ、顔色を変えて区役所へ。この例も、私たちは何度となく注意してきました。しかし、教師の言葉だと軽く聞き流されてしまうのです。日々接しているものが口を酸っぱく注意したところで、効き目は高が知れています。ところが警察が言ったとなると、同じことでも重みが100倍ぐらい違います。おそらく、Gさん以外にも授業後に区役所に駆け込んだ学生が何名かいたのではないでしょうか。

校長などという職に就いていると、時々「叱ってやってください」と先生方に頼まれることがあります。クラスの先生が持て余している学生を連れてきて、私の口から説教してくれというのです。実情を聞いて、学生の言い分にも耳を傾け(と言っても多くの場合、聞くに値しない言い訳にすぐませんが…)、学生としてあるべき姿を説いていきます。すると、いったんは持ち直す場合がほとんどですが、いつの間にか元の木阿弥という例もよく見られます。

学生に、多くの目で見られているんだという意識を持たせることが肝心だと思います。クラスの教師だけでなく校長も見ている、学校の教職員だけでなく警察も見ている、そういう環境の中、日本で生活しているんだと実感してもらいたいのです。監視社会という面もありますが、本当の悪の道にまで転落しないような救いの手がいつでも差し伸べられるんだということも、ぜひともわかってもらいたいところです。

学生たちには有意義な留学生活を送ってもらいたいですから、これからもこういう機会を設けていきたいものです。