Category Archives: 社会

寂しいひな祭り

3月3日(火)

学生がいないので、ひな人形のいないひな祭りの日でした。今まで、卒業式が比較的早い年は、講堂に立派なひな飾りを出すのはやめて、ロビーに小さなお内裏様とお雛様を置いただけだったことはありました。しかし、まるっきり何もしなかったというのは、私がこの学校にお世話になってからは初めてじゃないでしょうか。この校舎が建設中で、仮校舎の時も事務の窓口に木目込みかなんかのお人形を飾った記憶があります。

学生はいなくてもオンライン授業を送り続けることは、教師側にとってはかなりの負担であり、珍しがったり面白がったり「かわいい」と言ったり話を聞いたり写真を撮りまくったりしてくれる人が誰もいないのなら、飾るのを省略したくもなります。張り合いがないですからね。

授業はオンラインですから自宅で受けられますが、諸手続きや進学相談などで学校を訪れる学生は何人かいます。そういう学生は、特に後者は精神的にあまり余裕がなく、お雛様がさりげなく立っていても気づかないでしょうね。いや、だからこそ、飾っておいて気づかせて心に余裕を持たせてあげた方がよかったでしょうか。

お昼は青空と暖かさに誘われて、近くの公園へ行きました。河津桜が咲き誇るそばで、マスクをした小さい子どもたちが遊んでいました。鬱陶しがる子どもをお母さんが叱っていました。

こういう世の中が、もう少し続きそうな気がします。韓国は3月から新学年ですが、それを大幅にずらすとのことです。日本もそうなってしまうのでしょうか。そこまで長引くとなると、端午の節句も危なくなりかねません。もちろん、そうならないように強く願っています。

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見えない授業

2月28日(金)

おとといから、新型肺炎の全世界新規患者数のうち、中国が占める割合が5割を切ったそうです。武漢市と湖北省を犠牲にして中国全体を守ったようなものだと評しているジャーナリストもいます。日本はウィルス検査も満足にできない状況が続いており、漠然とした不安が上空に漂っています。

この漠然とした不安を取り除くのは、理詰めな説明や解説ではありません。頭では理解しても、心のもやもやが晴れることはないでしょう。安心感を与えるほかはないのですが、具体的にどうすればいいのかとなると、安倍さんもだれも、確たる答えを持ってはいません。

学生たちに安心感を醸し出せるかどうか自信はありませんが、KCPもオンライン授業を開始し、学生たちが満員電車に乗らなくてもいいようにしました。昨日の夜は、その準備で全教職員が大わらわでしたが、そのおかげか、初日は大きなトラブルがないまま切り抜けられました。

学生たちも期待していたのでしょうか、初級から超級までかなりの出席率でした。初日は珍しさも手伝ってという面もありますから、授業内容の真価が問われるのは来週からです。飽きられて昼間で寝ていられたり、形式的に接続しただけで実質的に何もしなかったりなどということが起きては困ります。

そういうことを起こさないように、頭をひねり、腕を振るうのが教師の役割です。月曜日は私がカメラの前に立ちます。目の前にいない大勢の学生に対して授業をすることには慣れていませんが、どうにか引っ張っていかなければなりません。教材を厳選し、教案を立て、いつもの数倍気合を入れて授業に臨みます。

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明るい街

2月25日(火)

うちの近くのコンビニが、今月から深夜営業をやめています。コンビニ店員が集まらず、深夜営業が厳しくなっているというニュースはだいぶ前から耳にしていましたが、自分の身近なところでその影響が出るとは予想外でした。私はコンビニのヘビーユーザーではありませんから、深夜の1時から朝の6時まで5時間コンビニが閉まっても大きな影響はありません。そもそもその近辺はコンビニ過密地区で、このコンビニが休んだところで、徒歩1~2分範囲に3軒のコンビニがあります。だから、1軒が深夜営業をやめたところで、よほどそのコンビニのコーヒーとかお弁当とかが好きでないかぎり、困ることはありません。

深夜営業をやめることで人件費は節約できそうです。しかし、店の照明はつけっぱなしですから、電気代の節約にはなっているようには見えません。まあ、今はLED照明でしょうから、照明の電源を落としたところで大した節約にはならないのかもしれません。

でも、やっぱり気になります。もったいないなあと思ってしまいます。同じことが、コンビニのそばのショッピングモールにあるドラッグストアにも言えます。こちらは夜の9時から翌朝10時まで閉店なのですが、私が帰る時間にも、出勤する時間にも、店内の照明が煌々とついていることがあります。また、回転寿司屋も、1か月に2日、従業員のために休業にしていますが、その2日は、どういうわけか、店の照明はつけっぱなしです。

夜中に明かりがあると安心すると言いますが、これらの店のまわりには街灯が明々とついています。上述のように、付近に開いているコンビニがたくさんありますから、その店の明かりが消えたところで急に寂しくなるわけではありません。

せこい話で恐縮ですが、最近気になっていることです。

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口は雄弁に

2月22日(土)

教室にマスクが目立ちます。コロナウィルスに感染しないようにということなのでしかたがありませんが、授業がやりにくいです。まず、学生の声がこもってしまい、聞き取りにくいです。学生の発言を聞き返すことが増えました。その分、授業がスムーズに流れなくなります。

そんなことよりも、口元を隠されると、こんなにも表情が読めなくなるものかと、逆に感心しています。学生がわからなさそうな顔つきをしていたらもう少し説明を加えるとか、楽しそうにしていたらその活動を少し延長するとか、そういった現場での授業の微調整がしづらいのです。そこまでいかなくても、目の前の学生たちが何を考えているのかつかみにくく、商売がやりづらいことこの上ありません。

火曜日だったと思います。午後、食事に出たら、「先生、こんにちは」と学生に声をかけられました。その学生はマスクをしていましたが、わざわざマスクを取ってくれました。そのおかげで、声の主が初級で教えたMさんだとわかりました。とてもさわやかな印象でした。顔を全部見せるって、コミュニケーションの上で重要なんだと感じさせられました。

今朝の新聞に、マスクで顔を半分隠す習慣が、コロナウィルスの流行が収まってもそのまま日本に定着するのではないかと出ていました。マスクをすることによって心を隠し、安心感を得るのでしょう。でも、マスクをして感情を見せなくした群衆から受ける圧迫感はそれ以上だと思います。塵も積もれば山となるで、日本社会全体が不安定な方向へ傾くんじゃないかと心配しています。

関東地方で春一番が吹いたそうです。この強風でウィルスを吹き飛ばし、活力のある社会を作り直したいです。

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新局面

2月14日(金)

昨夜は疲れ果てて帰ったので、夕刊に目を通しただけで、風呂に入って寝てしまいました。今朝、朝刊を取ってくると、第一面に国内で新型肺炎による死者が出たという記事が出ているではありませんか。情勢が大きく動いたと感じました。

朝食を取りながら新聞をじっくり読むと、多少はあおっているところもあるかもしれませんが、感染が拡大しそうな臭いがプンプンしてきました。武漢の人などと直接接していない方が亡くなったようなので、私たちが思っているよりもずっと身近なところに新型肺炎が潜んでいるおそれは否定できません。コロナウィルスは空気感染しませんからマスクをしてきませんでしたが、そろそろ考え直すべきなのかなあ。でも、マスクはなかなか手に入らないということだし…。

休日の11日の朝9時ごろ、うちの近くのドラッグストアの前を通ったら、10時開店なのにすでに人が並んでいました。みんなこうやってマスクを手に入れているのかと感心しました。午後、その店に入ると、一般的なマスクはすでに売り切れで、1枚何百円もするマスクが何枚か残っているだけでした。もう一軒のドラッグストアは、いつ入荷するかわからないと張り紙が出ていました。

そういう異常事態だったところに、こういう新たな状況が加わり、マスク枯渇状態に拍車がかかりそうです。気になるニュースとしてマスクが買えないことを取り上げた学生がいましたが、これからどうなるのでしょう。思わず、「売り惜しみ」「買占め」という言葉を教えてしまいました。

新たな局面を迎え、今学期から来学期にかけての学校運営を再構築しなければならなくなりそうです。

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集中力

2月13日(木)

私が通勤に利用している日比谷線は、先週から駅の発車メロディーが新しくなりました。今までのに比べてよく響く感じがします。乗客に発車を伝えるという意味では改善なのでしょうが、電車の中で本を読んでいる身にとっては、若干耳障りです。それが鳴ると、そこで集中が途切れてしまうのです。読書に没頭していないから発車メロディーごときで気が散ってしまうのだと言えないこともありません。でも、気になるものは気になります。以前は気が付いたらもう降りる駅だったということがよくありましたが、今は各駅停車ならぬ各駅覚醒です。

車内でスマホをいじっている人はどうなんだろうと思います。イヤホンをしている人は、発車メロディーなど聞こえないか、聞こえたとしても気になるレベルではないのでしょう。じゃあ、普通に画面に集中している人はどうなんでしょう。ゲームのほうが読書より引っ張り込まれやすいのかな。

たまに教室に早く入ると、本気でタブレットの画面をたたいている学生を見かけることがあります。タタンタンタンタタタタタンと小気味よくリズムを刻んでいる学生の表情を除くと、思いのほか目がつり上がっていて、思わず息をのんでしまうこともあります。そんな学生なら、日比谷線の発車メロディーなどで気が緩むことは絶対にないでしょうね。その集中力を勉強に向けてくれればと思いますが、そういう学生に限って、授業が始まりタブレットをしまうと同時に意気消沈してしまうんですね。

ゲーム軍団の学生たちは、入試では集中力を発揮したようで、合格が決まっています…。

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歯が痛くなりそう

2月10日(月)

昨日は歯医者に行ってきました。いろいろな事情で、日曜日に診てもらえるというのもその1つですが、学校の近くでもうちの近くでもなく、うちから電車で通っています。その歯医者、腕もいいし虫歯予防にも力を入れてくれますから気に入っているのですが、事務員や歯科衛生士の言葉遣いがよくありません。言葉が乱暴だというのではありません。そこの先生(歯科医師)に尊敬語を使うのです。日本語教師としては、日本語教師養成講座の講師としては、見逃すわけにはいかない敬語の使い方の間違いです。

昨日は、歯科衛生士による歯周病検査の次に、歯科医師による治療が予定されていました。歯周病検査が終わると、歯科衛生士が「先生がいらっしゃるお部屋にご案内いたします」ときました。「はい」と笑みを浮かべながら歯科衛生士の後をついていきましたが、「“先生がいらっしゃる”だと? ふざけるんじゃねえ!」と思っていました。

いつもこんな調子です。予約を取るときにも、「先生のご都合をご確認します」です。言っている本人に悪気はないでしょうし、言わんとしていることも伝わりますから、表面的にはスルーしています。でも、私の語感では許しがたい使い方ですね。患者である私が、「先生のいらっしゃるお部屋はどちらですか」「先生のご都合を確認していただけませんか」などと聞くのは問題ありませんが、歯医者の事務員や歯科衛生士が、自分サイドの人間である歯科医師に対して「先生」とか「いらっしゃる」とか「ご都合」とかと言ってはいけません。

今学期は敬語を教えるレベルのクラスは担当していませんが、日本語教師養成講座で敬語を扱いました。学校で敬語について触れるたびに、歯医者を思い出します。

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新店舗開店か

1月30日(木)

全国的にはわずかではありますが減ったのに、学校の近くにまたコンビニができるようです。店員募集の張り紙がありました。新宿1丁目って、そんなに魅力ある地域なんでしょうか。大きな事務所や工場があるわけでもなく、新しい集客施設ができたわけでもなく、東京医大も富久クロスも新宿御苑も大きい通りの向こう側ですからねえ。コンビニが増えてもゼロサムゲームだと思います。

それから、店員やアルバイトが集まるのでしょうか。最近の日本語学校の学生は、KCPに限らず、あまりアルバイトをしません。付近にこれだけお店(=アルバイト先)が多いと、店の近辺で普通に募集しただけでは効果がないんじゃないでしょうか。安倍さんじゃないけど、広く募らなきゃ。

今週は、ある財団に奨学金受給者として推薦する学生を決める面接をしました。面接をした学生は1人を除いてアルバイトをしていませんでした。住んでいるところの家賃も10万円近いのが普通で、かつてのように勉強とアルバイトの両立に頭を悩ませることもありません。奨学金は、生活費を支えるというより、名誉のためにもらうためになりつつあります。

最近、バスや電車が、運転士がいなくて減便されるという話をよく聞きます。電車はゆりかもめみたいに無人運転の方向に進んでいくのでしょうか。丸ノ内線がワンマン運転を始めた時はびっくりしましたが、そうしていなかったら、今頃朝のラッシュ時の運転本数が減って遅延が慢性化して、KCPの学生の遅刻が激増していたとも考えられます。また、コンビニも、中国でやっているような無人店舗が広まっていくこともあり得るでしょう。そうなれば、新しいコンビニも生まれやすくなるかもしれません。

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マスクだらけ

1月27日(月)

今朝の電車――私が乗るのは1番電車ですからそんなに込んでいるわけではありませんが――で、私が座ったシートの人たちは、全員マスクをしていました。マスクをするとメガネが曇るので、私は可能な限りマスクをしませんが、世の中はそんな甘っちょろいことを言ってはいられなくなりつつあるようです。

昨日、うちの周りを歩いていたら、ドラッグストアをはじめ、どこへ行ってもマスクは10枚までとか最大5箱とか数量制限がついていました。それでも買い物かごいっぱいにマスクを積み上げてレジに向かう人が大勢いました。

先週のこの稿で武漢の肺炎が下火になることを祈っているなどと書きましたが、状況は日々刻々悪化しており、患者も死者も積み上がってきています。それゆえの全員マスクであり、マスクの販売制限です。流行っているのは日本ではなく、海を隔てた中国ですが、昨年は1千万、すなわち日本の人口の8%に近い人が中国から来ているのですから、油断は禁物です。

問題となっているコロナウィルスは、普通の風邪のばい菌です。肺炎だとか死ぬとかと言う物騒な話とは無縁のはずです。でも、おそらくどこかで(人類にとって)悪い方向の変異を受け、こうなってしまったのでしょう。さらに、人から人への感染力も強くなったとかで、もはや単なる風邪の病原菌などと軽く見るわけにはいきません。

現時点では感染が疑われる学生は出ていませんが、先週末の春節で大騒ぎした影響がいつ現れるかわかったもんではありません。今晩から明朝にかけて雪かもしれないという予報が出ていますが、そんなことよりこっちの方に気をもまなければなりません。早く春が来ないかなあ…。

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伝わっていますか

1月25日(土)

電車の車内アナウンスに、録音の音声による英語アナウンスが加わったのは、もうだいぶ昔のことと思います。ところが、最近、特に去年あたりから、車掌さんの肉声による英語アナウンスをよく耳にするようになりました。私が通勤に使っている東京メトロは、その日の車掌さんによってしたりしなかったりというのが現状です。

しかし、この肉声英語アナウンス、果たして通じているんだろうかと思うことがよくあります。年末に行った名古屋では、“アライビングアットカナヤマ。ドアーズオブライトサイドウイルオープン”とカタカナで書きたくなるようなアナウンスでした。“あらいびんぐあっと…”と、ひらがなの方がぴったりしそうな車掌さんもいました。東京のも似たり寄ったりです。

若い車掌さんなら、大学でかなりがっちり英語を鍛えられているはずですから、“Arriving at …”とやってほしいところですが、そういうアナウンスはなかなか聞けません。私が気持ちよく聞き取れるということは、その発音はネイティブのものからほど遠く、いかにも日本的発音だということです。悪い意味の横並び意識が現れ、わざと下手にしゃべっているのでしょうか。

私のクラスのアメリカから来ている留学生・Aさんに、自動音声アナウンスと肉声アナウンスとどちらがよくわかるか聞いてみたいと思っているのですが、授業の後はいつも忙しくて、そのチャンスがありません。非難の声が強かったらとっくの昔にやめているはずですから、それなりに支持されているのかな。日本人は手作り感に弱いですが、英語を頼りに来日している外国人の皆さんはどうなのでしょうか。

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