Category Archives: 社会

マスクさえしていれば?

4月2日(木)

安倍さんが1世帯当たり布マスクを2枚ずつ配るという政策を発表しましたが、どうも不評のようです。布マスクは目が粗いのでウィルスは通ってしまうとか、1世帯に2枚じゃ焼け石に水だとか、自粛のうっぷん晴らしもあるのかもしれませんが、各方面から攻撃されています。

不織布のマスクは、製造能力が増強されていますが、需要がそれをはるかに上回る勢いで増えているため、市場に出回ってくる見込みはないようです。ただ、マスクをしている人の様子を見ると、さすがに鼻出しマスクはめっきり減りましたが、すきまだらけの付け方をしている人が、少なく見積もっても過半数でしょうね。工場に勤めていた頃、外気を完全にシャットアウトするマスクをつけたことがありますが、息苦しくてたまりませんでした。マスクをしても普通に呼吸ができるということは、いくらでも外気を吸い込んでいるということなのでしょう。

むしろ、マスクをしているという妙な安心感から手洗いがおろそかになる方が怖いです。思うに、多くの人がこの安心感を得たいがためにマスクをしているのではないでしょうか。マスクさえしていればどこへ行っても心配ないとかという発想だったら、本末転倒です。そのマスクを、本当に必要としている人々に譲るべきです。

たとえ流水だけでも、手をよく洗い、ウィルスを身近に置かないことが、予防に関してはマスクよりも効果があります。また、栄養状態をよくすること、睡眠を十分に取り、疲れをため込まず、ウィルスを跳ね返すだけの体力を維持することこそが本筋です。君子危うきに近寄らずで、3密空間をさすらうようなことをしてはいけません。

都内の新規感染者数は97名だそうです。戦いは当分終わりそうもありません。

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要急な仕事

4月1日(水)

「不要不急の外出は自粛すること」となって以来、繁華街は人通りがめっきり少なくなり、観光地はどこもかしこもがらがらで、新幹線や飛行機は減便が相次いでいます。テレワークがにわかに広がりだし、また、学校が休みになり、朝夕のラッシュが緩和されました。もっとも、私は朝に関しては超時差通勤をしてきましたから、もともとさほどの混雑を感じていませんでした。ただ、退勤時は人が少ないなあと感じることが多くなりました。

こうしてみると、私たちの生活は“不要不急”で成り立っていたことがよくわかります。不要不急が消えたら、とたんに景気が悪くなり、経営が行き詰まったお店や会社がたくさん出てきました。雇止めや内定取り消しとなった方も多数に上っています。昔は「一時帰休」という言葉をよく耳にしましたが、今はそんな段階はすっ飛ばして、すぐ解雇なのでしょうか。

日本に限らず、世界中が、要であり急な事柄だけでは成り立たなくなっており、不要不急があって初めて77億人とかという世界人口が賄われていたのです。精神的な充足感とか、宗教心とか、人間がよりよく生存するための部分が今回の騒動で侵されているのです。芸術や文化など、生物学的個体としてのヒトには必要不可欠とは言えない部分を削らざるを得ない状況に、我々人類は置かれています。

日本語学校もその1つでしょう。不安を感じつつ無理して日本留学するくらいなら、第一志望とは多少違っても、母国で進学した方が落ち着いて勉強できると考える人が増えても不思議ありません。世界各国が半鎖国状態に陥ってしまった今、新しい学生は入って来られません。それゆえ、在校生をいかに大切に育てていくか、これが私たちに課せられた使命です。

昨日心配した鹿児島の桜ですが、4月に入ってやっと咲きました。

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コロナよりも恐ろしい現実

3月31日(火)

世界中がコロナで大騒ぎしていますが、実は日本でとんでもないことが起こっているのです。

今年の東京の桜は、3月14日に日本でいちばん早く開花しました。満開も3月22日と、やはり日本でいちばん早かったです。桜前線は北上を続け、現在、仙台まで開花が確認されています。ところが、南国九州鹿児島では、まだ桜が咲いていないのです。鹿児島県内に咲いている桜が1本もないとまでは言いませんが、鹿児島市内のソメイヨシノの標準木は、いまだつぼみのままです。とうとう3月中に桜は咲きませんでした。いまだに咲いていないのは、北海道と、仙台・福島を除いた東北、それに長野・新潟です。いずれも北国・雪国です。

鹿児島がそんな地方と同じくらい寒かったのかというと、もちろん違います。むしろ、冬が暖かすぎたからなのです。桜の花が咲くには、暖かくなる前に、ある程度の寒さが必要です。低温の期間がないと、花の芽が形成されず、したがって花も咲きません。今年は全国的に暖冬でしたが、鹿児島では暖冬過ぎて花芽が形成されるだけの寒さに達せず、桜が咲かなくなってしまったのです。

鹿児島から約370km南にある奄美大島の名瀬では、桜の標準木がソメイヨシノではありません。ヒカンザクラです。名瀬以南はもともと暖かいですから、ソメイヨシノは咲かないため、ヒカンザクラを桜の標準木としています。鹿児島も、沖縄や奄美大島と同じように、ソメイヨシノが咲かない(咲けない)地域になってしまったのかもしれません。

コロナは、いずれ近い将来、ワクチンが開発されるでしょう。そうなれば、今のインフルエンザと同じように、ときどき大きな流行はあるものの、今年のように世界中の人々を恐怖のどん底に陥れるようなことはなくなると考えられます。しかし、地球温暖化にはワクチンはありません。そう遠くない将来、東京が今年の鹿児島のようにならない保証はどこにもありません。

コロナという目の前の災厄に対峙することも大切ですが、鹿児島の桜が仙台よりも遅くなったという現実も絶対に忘れてはいけません。

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新大関誕生

3月26日(木)

昨日、朝乃山の大関昇進が決まりました。「将来性を買って」とのことですが、それだったらなおさらのこと、もう一場所待てなかったかなあという感じがします。

どうも、最近の大関は安っぽくていけません。半年ぐらい好調が続いた関脇がポンと大関になっている感があります。つまり、大関がちょっと強い関脇に成り下がっています。その証拠に、最近の大関はよく負け越すし、関脇に転落もするし、関脇に留め置いといても構わなかったような力士ばかりです。私が小さい頃の関脇長谷川のほうがよっぽど強かったように思います。

大関らしい大関と言ったら、魁皇が最後でしょうか。横綱に上がったけど横綱としてはほとんど活躍しなかった稀勢の里を大関らしい大関と言ったら失礼かな。まあ、私の抱いている大関のイメージは、そんなところです。

やっぱり権威が欲しいですよね。特別な地位に座っているのですから、それにふさわしいオーラのようなものを発してもらいたいところです。魁皇は、右上手を取った瞬間に、後光が差し始めました。そういう威厳が、最近の大関からは感じられません。朝乃山がこのまま上がってしまったら、大関の位に負けてしまうんじゃないかと心配なのです。だから、関脇でもう少し修業を積むべきなんじゃないかと思います。貴景勝にしても、同じです。春場所は千秋楽に朝乃山に敗れて負け越してしまいました。権威も威厳もオーラも後光も全くありません。

夏場所が予定通り両国国技館で観客を入れて開かれ、そこで朝乃山と貴景勝の両大関が両横綱を脅かし、横綱へのステップを踏み出すような展開になることを願っています。

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アンダーコントロール

3月25日(水)

オリンピックがとうとう延期になってしまいました。妥当な措置だと思います。まさしく諸々の事情が複雑に絡み合っているため具体的にいつに延期するのかは決められないそうですが、だからこそ、関係者の苦衷は想像に余りあるものがあります。

2020年のオリンピックは、安倍さんが原発事故に起因する諸問題はアンダーコントロールだと大見得を切ってもぎ取ってきたところがあります。最初は批判も多かったですが、次第に国全体がオリンピックに向けて盛り上がってきました。ところが、オリンピックイヤーに入ってから新型肺炎が猖獗を極め、世界全体がアンダーコントロールじゃなくなって、昨晩の決定に至りました。こんなことを言ったら不謹慎かもしれませんが、安倍さん、アンダーコントロールの亡霊にたたられてるんじゃないかなあ。

卒業証書を受け取りに来た卒業生に話を聞くと、専門学校も大学も、ほぼ入学式は中止で、授業が始まる期日さえも未定のところがあります。証書を受け取った後笑顔で写真に収まってくれますが、心の中に言い知れぬ不安を抱えていることは想像に難くありません。日本に居続けるのも不安でしょうが、国へ帰ろうにも帰れないというのもまた事実です。帰国しても2週間は隔離ですから、心配しながらも自由に歩ける日本のほうが多少はましだといったところでしょう。

欧米諸国に比べると、日本は“瀬戸際”が予想よりも長引いていますが、かろうじてアンダーコントロールを保っています。でも、自粛ムードが世を覆い、不安や心配など暗い影に包まれた日々を送っていると、ストレスがたまってしまいます。ストレスがたまると抵抗力が落ち、新型肺炎じゃなくても体調を崩しやすくなります。それじゃあ何のために活動を控えているかわからなくなってしまいます。

安倍さん、今年は人の少ない新宿御苑で1人で花見をして、コロナウィルスが1個もない空気をたっぷり吸って、花の美しさで心の洗濯をして、この難局に立ち向かってください。

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どこでお花見?

3月24日(火)

東京の桜はすでに満開ですが、今年は私の定点観察ポイント、毎朝のお楽しみ花見スポットが、具合が悪いことになっています。丸ノ内線四ツ谷駅の荻窪方面行きホームの屋根を延長する工事をしているため、満開の桜の前に鉄パイプの足場が組まれているのです。ですから、電車の窓越しのお花見が台無しになっています。花が見えないことはありませんが、去年までのように目を奪われるような美しさは感じられません。朝のささやかな目の保養ができない状態です。

午前中、証書をもらいに来る卒業生が少なそうなでしたから、パンでも買って、花園小学校の校庭の桜を愛でながら、少し早めのお昼にしようと思って外に出ました。ところが、青空なのに風は冷たく、あっさり計画を中止して、うどん屋に入ってしまいました。きのうの朝は日曜日の暖かさが残っていましたから、今シーズン初めて、コートを着ないで家を出ました。しかし、今朝はコート+マフラー+手袋と、真冬モードに逆戻りです。日中になっても気温はあまり上がっていないようでした。

気象庁のページで調べてみると、私が出歩いていた頃の気温は10度をどうにか超えていましたが、北西の風が6~7mぐらい吹いていたようです。体感気温は真冬の寒さだったと言っていいでしょう。うどんで温まったのは正解でした。桜は盛りですが、春はまだ浅いといったところでしょうか。

四ツ谷駅の工事が今すぐ終わるとは思えませんから、今年は横着しないでどこかへ足を運ぶことにしましょう。ただ、心配なのは、屋根のほかに壁もできて、来年から桜が見られなくなることです。東京メトロさん、私のささやかな楽しみを奪うような無粋なまねはしないでくださいね。

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時間を守る

3月23日(月)

先週の月曜日から卒業証書を渡しています。今年は大勢が一時に集まらないように、予約制にしています。卒業生には、担任教師にメールで証書を受け取りに行く時間を連絡するように伝えてあります。1週間やってみて、しっかりしている学生とだらしない学生の差が歴然としていることに、たいそう驚かされています。

例えば、Aさんたちは仲のいい5人一緒に証書をもらいたいとのことでしたが、約束の時間より早く学校へ来て待っていたのはAさん。だいぶ経ってから来たのがBさんとCさん。待たされていたAさんが気の毒になり、教師側がいらいらし始めてから悠然と現れたのが、DさんとEさん。Aさんは皆勤賞、BさんCさんはまあまあの出席率、DさんEさんは…。進学してからが心配です。

Fさんは2度時間変更しました。約束した時間が都合悪くなったから変えてほしいと連絡してきたことは立派ですが、2度もとなると、時間管理の仕方が甘いんじゃないかな。でも、Gさんに至っては、1度目はすっぽかし、2度目は約束し直した時間に遅れて、私が別の仕事でいないときに現れ、証書がもらえずじまいでした。Gさんらしいと言ってしまえばそれまでですが、こんなに時間にルーズでは、困ったものです。

結構多いのが、約束していないのに突然もらいに来るパターンです。気が向いたから来たでもかまいませんが、時間を連絡しろと言われているのですから、せめて30分ぐらい前には電話でもメールでも、今から行くと連絡するのが礼儀じゃないでしょうか。

約束の時間に遅れる学生と、アポなしでやってくる学生に備えて、私は1日中職員室にいます。おかげで、先週からずっと、お昼抜きです。今朝も、普通の朝食+カップ麺1個で食いだめをしてきました。それでも、この時間(もうすぐ午後7時)になると、お腹が鳴りそうです。

明日も明後日も、パラパラと学生が来ます。空いている時間帯もありますが、結局埋まっちゃうんでしょうね。でも、多くの学生とは、これが顔を合わせる最後の機会になります。空腹感ぐらい、我慢しなきゃ。

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トイレットペーパーが買えていますか

3月19日(木)

T先生が、トイレットペーパーが買えないと嘆いています。Y先生もそれに同調。私は、うちにトイレットペーパーの在庫がありますから、今買おうとは思いません。でも、毎週日曜日、近くのドラッグストアやスーパーの前に開店前から並んでいる人たちを見ると、ないんだなあと思います。

でも、C先生やS先生などは、マスクはともかく、トイレットペーパーは十分に買えると言います。この違いは何かというと、トイレットペーパーの品薄状態は23区内に限られるということのようです。少なくとも現時点において、23区外ならトイレットペーパーの買いだめなど不必要なのです。

じゃあ、23区の内外でどうしてこんなにも違うのかというと、トイレットペーパーは安いのにかさばるので店が在庫を持ちたがらないからだそうです。23区内は土地代が高いですから、安い品物のために高い土地を使いたくないのでしょう。だから、卸から日々配送してもらいたいのですが、運送会社にしても安くてかさばる荷物は、文字通りお荷物のようです。

だから、23区内の店はわずかな在庫がなくなると次の配送まで待たなければならないのですが、その配送があっちこっち引っ張りだこで、なかなか来ず、トイレットペーパーの棚が空のまんまになってしまうというわけです。郊外の店は、多少の在庫を蓄えておく余裕があるのでしょうね。

製紙工場の製品倉庫や高速道路のインターチェンジ付近の物流倉庫にトイレットペーパーがうずたかく積まれている映像を見せられても、それを消費者の近くまで運んだり一時的にそこに蓄えておいたりするシステムやスペースが整っていないため、人々は不安を解消できません。

なんだか、日本社会のゆがみがあぶり出されているような気がします。

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よく話す仕事

3月18日(水)

卒業生が証書を受け取りに大勢来ました。もしかすると、昨日・おとといよりも多かったかもしれません。私はその一人一人に証書を読み上げて手渡しています。これまで全然接点がなかった学生、名前だけ、顔だけしか知らない学生、だいぶ前に説教した学生、初級で教えたきりの学生、選択授業で週に90分だけ教えた学生、受験講座でさんざん面倒を見た学生、もちろん、今学期の私のクラスの学生、こんなにまで色とりどりの学生がいたのかと、改めて感心してしまいます。

直接教えた学生には、「よくやった」と声をかけてやりたくなります。ことに遠隔地に赴くことになっているとなると、「しっかりやれよ」と激励もしたくなります。でも証書を渡す時は学校組織の機能の一部ですから、ごく普通に「おめでとうございます」と声をかけるだけです。渡した後で時間があれば、機能ではなく人間として接します。称賛も激励もします。

今までに“濃厚接触”した学生の中には、衝突を繰り返してきた学生もいます。こいつにだけは証書を渡したくないと思った学生もいますが、いざそういう学生が目の前に立つと、衝突したことも美しい思い出に昇華されてしまいます。「恩讐の彼方に」などと言ったら大げさすぎますが、共同作業をしてきたような錯覚にすらとらわれます。こういうのは、かえって学生のほうがドライなのかもしれませんね。

週末、マッサージに行きました。足裏と背中をもんでもらって最後の最後に、「お客さん、よく話す仕事をなさっていませんか」と言われました。背中がコチコチだとか、骨盤がゆがんでいるとか、目に疲れがたまっているとか、足が若いとか、数々の言われ方をしてきましたが、足と背中だけで仕事について言われたのは初めてです。しかも、「よく話す仕事」というのも、あながちはずれではありません。

その後3日間、授業こそしていませんが、100名からの証書をフルセンテンス読み上げてきました。今晩帰りに寄ったら、足の小指に触れただけで「昼間、よくしゃべりませんでしたか」とかって聞かれそうです。

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卒業式あいさつ

みなさん、ご卒業、ご修了、おめでとうございます。

1年の終わりは12月31日、大みそかです。暦の上ではそうであり、社会全般にそう認められています。でも、私にとっての1年の終わりは、卒業式の日です。もっと正確に言うと、卒業式で学生たちに証書を渡し終えた瞬間です。最後の学生が証書を受け取り、四谷区民センターの大ホールのステージから降りて行った時、何はともあれ1年が終わったという感慨に浸ります。

そういう意味で、今年は1年の終わりが不完全です。2019年度の残骸を抱えたまま、4月からの2020年度を迎えそうです。何より、みなさんに直接お会いしてご挨拶の言葉を申し上げられないのが、残念でなりません。

さて、本日、こうしてKCPを巣立っていかれるみなさんは、大半が日本で進学なさると思います。KCPに入学した時に思い描いた通りの進路に進めましたか。そういう人はごく限られているでしょう。中には、4月からの進学先は仮のもので、こっそりもう1年勉強して、来日当初の目標を達成しようと考えている方もおいでだと聞いています。

私は、与えられた環境がどうであれ、その中で最善を尽くすように考え、動くべきだと思っています。環境の悪さを嘆くだけでは、進歩も改善もありません。下手をすると、破滅に向かって一直線に落ちていくことにもなりかねません。そうではなく、何がどれだけ足りないのかを把握し、その環境を自分の理想に近づけるためには何をどうすればいいか、建設的に考えていくことこそ大切なのです。

KCPの卒業生の中で、たくましいなと感じさせられる人は、みんなそういう発想をしています。足りない部分を補う努力をすることはもちろん、次善、三善の策を考え出し、1ミリでも望ましい方向に進もうと動いています。その積み重ねが、国にいた時に考えていた姿とは違うかもしれませんが、1人の社会人として尊敬される人物へと、その人を導いてきたのです。

これは、みなさんがどこにゴールを設定しているかにかかってくる問題です。相撲の世界には、「3年先の稽古をしろ」という言葉があります。「今日した稽古(練習)の効果は、明日すぐに現れるわけではない。しばらく時間が経ってから形になるものだ」という意味です。将来の収穫を期待して、種をまき、水をやり続けると言った方がわかりやすいでしょうか。みなさんは、すでにKCPで1年後、2年後に役に立つ勉強として、日本語を学んできました。進学したら、5年後、10年後、20年後にも朽ちることのない頭脳を築いていってください。就職する方も、さらに長期的な視座を持って、自分の今の仕事を位置付けて、歩み始めてください。

みなさんの人生の新しい門出としては実にふさわしくない世界情勢ですが、これもいつの日か笑って思い出話にできることでしょう。そういう話をしに、たまにはKCPへ姿を見せに来てください。

本日は、ご卒業、ご修了、本当におめでとうございます。

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