夢を抱いて

1月22日(水)

Sさんは理科系の進学を考えている学生で、午後、進路相談に来ました。高度なVRを作りたいという希望を持っています。現時点での志望校を聞くと、まっさきにW大学の名前を挙げました。でも、本当は国立大学に行きたいそうです。

大学を卒業したら、大学院はアメリカで進学したいと思っています。そして、将来はVRの制作会社を立ち上げたいと言います。だったら、アメリカの大学院で経営学を専攻したらどうかとけしかけたら、そういう考え方もあるのかという顔をしていました。

SさんのVRのアイデアと技量がどれほどのものなのか私には見当もつきませんが、MBAでも取れば世界進出も夢ではありません。もちろん、そう簡単な道ではありませんが。でも、その険しい道をあえて進もう、難関に挑もうとする意気込みが、Sさんの顔からあふれていました。

しかし、そもそものところに難題が立ちはだかっています。国の言葉で書かれた物理や化学の問題なら解けるのですが、日本語だと問題文の意味が理解できないのだそうです。これではいい点の取りようがありません。KCPでの読解の成績はいいんですがねえ…。

というような相談をしていたころ、先週から今週にかけて何回も面接練習をしたAさんは、E大学の面接試験に臨んでいました。つい先ほど、そのAさんが受験の報告に来てくれました。他の受験生よりも日本語が上手だったと、自信満々の様子でした。口頭試問も、うまく答えられたそうです。発表は来月半ばです。果報は寝て待てといきますでしょうか。

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社会を探して

1月21日(火)

毎日上級クラスに入るのはいいのですが、「社会」にかかわる教材を毎週3つ用意しなければならないのがしんどいところです。上級クラスは大半の学生が3月で卒業しますから、卒業後に進学先や就職先で困らないだけの日本語力や社会常識を付けるということが、この学期の授業における大きな柱の1つです。

「社会」といっても、政治や宗教の対立を教室に持ち込むわけにはいきません。クラスのメンバーを見て慎重に教材を選び、授業を組み立てていくということを繰り返していきます。トランプさんの大統領就任も大きなニュースなのですが、授業での取り上げ方は慎重でなければなりません。

かといって、毒にも薬にもならないようなことばかりやっていたら、学生は相手をしてくれなくなります。インコース胸元に大谷張りの速球を投げ込むようなものでしょうか。コントロールが狂ってぶつけてしまっては、何の意味も持たないどころか、破綻にもつながりかねません。

授業で取り上げて、話し合わせたり何かを書かせたりするとなると、クラスの学生の多くが興味を抱くものでなければなりません。そういう教材をいくつも用意するところに、今学期の苦労があります。まだ火曜日ですが、来週を見越してどのクラスで何を使うか、考えている最中です。

少なくとも3月の卒業式までは、こういう生活が続きます。昔の教材を引っ張り出してもいいのですが、そればかりだと卒業する学生へのはなむけにはなりません。卒業した後で、KCPであの授業を受けておいてよかったと思ってもらえるような授業を展開したいのですが、難しいものです。

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言葉の変化?

1月20日(月)

今学期は、月曜日と水曜日は最上級クラスを担当します。中には1年間ずっとこのクラスで勉強してきたというツワモノもいます。話すときに手加減する必要がないというのが、教師にとってやりやすいところですね。だからといって、気が緩んで山口弁全開などとなったら、最上級クラスでもさすがに通じないでしょうけどね。

初級や中級では、学生たちが知っている文法や語彙を組み合わせて話さないと、意図していることが通じません。それを補うために、時にはジェスチャーなどを交えたり、パワーポイントや板書を活用したりと、あれこれ頭を使います。最上級クラスは、それが省けます。

しかし、その代わり、学生は何でも知っていますから、学生たちの知識欲や向上心を満足させるにはどうしたらいいかという点に気を回さなければなりません。何か考えてもらう、考えさせる、そういう授業を作り上げるにはどうしたらいいかという点が、授業を計画する上での最重要点となります。

初回は、復習ということで、敬語を取り上げました。“書く⇒書かれる”というように、まずは尊敬動詞へお変換。ですが、“降る”みたいに目上の人が動作主になりえないものや、“盗む”みたいに非道徳的な動作で、そんなことをする人は尊敬に値しないようなものも混ぜ込んでおきました。このトラップには引っ掛かりましたね。「“雪が降られます”と言ったら、あなたは雪を尊敬していることになるんですよ」「社長に財布を盗まれた時、社長を尊敬しながら“社長は私の財布を盗まれました”と言うんですか」と指摘したら、気づいたようでした。

謙譲語も引っかかりましたね。目上の人にかかわる動作でないと謙譲語にならないのですが、“お起きする”なんていうのを作っちゃいました。“私は毎朝6時にお起きします”なんて言ってはいけないのですが、学生たちは“毎朝6時に起きる”を非常に丁寧に言うとこうなると思っていた節がありました。

それ以上に、どの言葉に“お”や“ご”を付けるかということを聞いた時に、意外な答えが返ってきました。学生たちが“お”や“ご”を付ける範囲は、私たちより狭いようです。お野菜、お車、ご休憩といったあたりも、付けないと判定していました。学生たちが付き合っている若い日本人はそうなんでしょうかね。

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心配な文化

1月18日(土)

今学期は毎日上級クラスを担当することになっています。火曜日と金曜日は選択授業も受け持ちます。昨日は上から3番目のクラスと、選択授業「身近な科学」でした。

このクラスは先学期からメンバーがほとんど変わっていません。こういうクラスは、往々にして、クラスの文化みたいなものが確立しているものです。このクラスの意場合、その文化は、授業中は静かにするということのようでした。クラス全体に問いかけても、誰も答えません。先学期の中級クラスなら、あちこちから答えが湧き上がってきたものです。間違っていようと的外れであろうと関係なく、何かしゃべらずにはいられない学生がおおぜいいました。これもまた、そのクラスの文化だったのです。

じゃあ、昨日の上級クラスはできない学生の集まりだったのかと言うと、決してそんなことはありません。指名すればまともな答えが返ってくるのです。教科書を音読させれば、先学期のクラスよりずっとスラスラ読めます。引っ込み思案、恥ずかしがり屋の集合なのでしょうか。

というわけで、授業を進めるにはいちいち指名しなければなりません。顔と名前が一致する学生が3人ぐらいしかいないクラスでしたから、名簿を見ながら指名しました。しかし、時には欠席者の名を読んでしまったり、Aさんだと思って読んだら人違いだったりなど、調子が出る前に授業が終わってしまい、選択授業へとなだれ込みました。

昨日は1月17日、阪神淡路大震災からちょうど30年の日でしたから、テーマは地震。去年の能登半島地震、もう少し前の熊本地震、もちろん東日本大震災も取り上げました。野島断層や根尾谷断層など、大きな地震を引き起こした活断層の写真を見せたり、新宿付近にも活断層があるかもしれないと脅したり、こちらは得意分野ですから、好き勝手なことを授業時間いっぱいしゃべって学生の反応を楽しみました。

いちおう授業ですから、評価もしなければなりません。授業内で見せて解説した写真を最後にもう一度見せて、何の写真か説明してもらいました。まじめに聞いていれば絶対答えられると思ったのですが、頭を抱えてしまいました。「阪神淡路大震災で倒れたビル」とでも答えてくれればマルをあげるつもりだったのですが、「強い地震でビルが倒れた」じゃねえ…。上級でこんな答え方なのかと、大いに心配になりました。

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2通りの読み方

1月17日(金)

授業が終わって職員室に戻り、メールをチェックすると、T先生から昨日から話題になっていたある学生に関する報告が入っていました。それをずっと読んでいくと、最後に「…今日本人に確認します」と書いてありました。

さて、みなさんは、この「今日本人に確認します」をどう読みましたか。私は、最初、「いまにほんじんにかくにんします」と読んで、“???”となってしまいました。その後、「きょうほんにんにかくにんします」と読むんだと気付き、腑に落ちました。「今日、本人に確認します」と読点をしっかり打っておいてくれればすんなり読めたんですがね。

つまり、「今日本人に確認します」は、読点の打ち方によって2通りの意味の取り方が可能です。これを英訳ソフトにかけたらどうなるかなと思って、実際にやってみました。

DeepLは、“I’ll check with the Japanese today.”と訳しました。todayが気になりますが、「いまにほんじんにかくにんします」派です。代案として出された訳も、にほんじん派でした。Google翻訳も同じでした。みらい翻訳も“I will check with the Japanese now.”と、にほんじん派。

しかし、Weblio 翻訳は“I confirm it to the person today.”でしたから、「きょうほんにんにかくにんします」派でした。

このように、翻訳ソフトでは、にほんじん派が優勢なようでした。T先生の意をくんでくれたのは、Weblio 翻訳だけでした。私の頭はコンピューター並みということにもなりますが、これは喜んでいいものでしょうか。

それ以上に、こんな不思議な挙動を示す文はほかにないものか、作れないものかと考えてみました。残念ながら、簡単には見つかりませんでした。もう少し、考えてみます。

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話すのは苦手

1月16日(木)

AさんはG大学に落ちてしまいました。6月のEJUでいい点が取れたので、面接なしの書類選考だけで合否が決まるG大学に出願しました。しかし、倍率が5倍ほどとAさんの予想をはるかに上回り、合格証を手にすることができませんでした。話すのに自信がなかったので面接なしのG大学なら受かるかと思ったのでしょうが、Aさんと同じ発想をした受験生が多かったようです。

G大学は滑り止めのつもりでしたが、それに落ちてしまったので、背水の陣で来週のE大学の入試に臨まなければならなくなりました。G大学に受かったら気楽にのびのびとE大学が受けられるはずでしたが、その構想が崩れ去ってしまいました。落ちてもいいぐらいの気持ちでしたから、自信のない面接もあまり練習していませんでした。しかし、どうでもこうでもE大学に引っかからねばならなくなりました。

午後、そんなAさんの面接練習をしました。わざわざE大学に提出した志望理由書まで持って来てくれたのですが、いやあ、ひどかったですね。志望理由書に書いてある内容について質問したのに志望理由書とは違う答えが返ってきたり、あまりに早口で聞き取れなかったり、口頭試問に至ってはどうでもいいことを延々と話す始末でした。そういうダメな点を指摘するのに小一時間かかったほどでした。

すでに進学先が決まっているSさんも一緒に聞いていましたが、Sさんからも厳しい指摘を受けていました。あと1週間足らずでどうにか仕上げなければなりません。今まで授業でも話す練習をおろそかにしてきたつけが、こういう形で回ってきました。私ももちろん全面協力をしますが、前途多難です。後輩を戒めるのには好適な実例にはなりますが…。

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早く治りたいです

1月11日(土)

病気にかかっている人やけがをしている人が、「早く治りたいです」と言ったら、みなさんはどう感じますか。もちろん、その人の気持ちは理解できますよね。元気になったら、仕事や勉強をしたり趣味に打ち込んだりしたい、好きな物を好きなだけ食べたい、子どもとスキンシップしたい…、そんな心の叫びを思い描くことは容易なことでしょう。

しかし、ここで問題が生じます。一般に、「~たいです」の“~”の部分には、意志動詞が入ります。ところが、「早く治りたいです」は“治る”という無意志動詞が入っています。“治る”に対応する主格は、“私”ではなく、“病気”とか“けが”とかです。“私が治る”のではなく、“病気/けがが治る”のです。

意志動詞は“治す”です。でも、上述のような状況において、「早く治したいです」とはあまり言わないんじゃないでしょうか。「早く治したいです」と言うと、薬みたいなまだるっこしい治療法ではなく、臓器移植でもしそうな勢いを感じてしまいます。医者が言うなら、「患者の病気/けがを早く治したいです」に何の違和感もありません。

患者では、「私は病気/けがが治りました」は言えます。この望ましい状態に一刻も早く到達したい、そのためには何でもする(“到達する”は意志動詞)という意味で、「早く治りたいです」と言っていると解釈すれば、この言い方もセーフと考えられます。

むしろ、「早く治したいです」は、患者としては意志が強すぎます。数時間にも及ぶ大手術を目前にして、医者が「しっかり治しましょう」声をかけ、患者が「私も早く治したいと思っています」というような状況なら許せますが、普通はそれほどのことはありません。風邪程度なら「早く治りたいです」で十分でしょう。

昨日の夜、電車の中で本を読んでいたら「早く治りたいです」が目に留まり、その後、ずっと上のようなことを考えていました。来週、私は精密検査のため入院します。「早く治したいです」ほどのことがなく済むことを願っています。

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国でのんびり

1月10日(金)

新学期が始まりましたが、年内にA大学に合格したOさんの姿は教室にありませんでした。先学期の担任のM先生が状況調査をしたところ、まだ国にいることがわかりました。進学先も決まったことだし、できることならこのまま4月の大学の入学式まで国でのんびりしたいというのが、Oさんの本心かもしれません。

Oさんの日本語が素晴らしかったら、そのぐらいの余裕をかましてもA大学でそれなりにやっていけるでしょう。しかし、Oさんはそんなレベルではありません。A大学がよく合格させたねと言いたくなるくらいのコミュニケーション力しかありません。3か月も国でのんびりしていたら、日本語をすっかり忘れて、授業で大学の先生が何をおっしゃっているのかさっぱりわからなくなっているでしょう。

どこの大学でも、留学生入試は日本人入試より早い場合が多いです。ですから、入試の時点での日本語力では、進学してからの勉学には不足です。その後数か月日本語学校で勉強すれば大学で求められる日本語力に達するであろうという見込みに基づいての合格なのです。ですから、Oさんはいい気になっていてはいけません。

そもそも、そう休んでいたら、ビザが出ません。合格はしたけどビザがもらえなかったとなったら、大学に納めた学費は戻って来ません。お金も時間も無駄になります。残念ながら、KCPの先輩にもそういう実例がありました。そういう最悪の例もあるんだよと言っても、自分に都合のいい例を信じようとするんですよね、学生は。

さて、来週、Oさんの日本語はどうなっているでしょう。

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入学式挨拶

みなさん、ご入学おめでとうございます。このように多くの方々が世界中からこのKCPに集まってきてくださったことを大変うれしく思います。

今年は2025年、令和7年、そして、昭和100年です。今ここにいらっしゃる新入生のみなさんは、大多数が日本で言う平成生まれでしょう。昭和はその前の時代、みなさんのご両親がみなさんぐらいの年か、あるいはもっと若かった、幼かったころの年代です。

その昭和が始まったのが1926年、この年を昭和1年(元年)とすると、今年は昭和100年となります。そういうわけで、今年は昭和を回顧する催しが数多く行われることと思います。せっかくそういう記念すべき年に日本へ来たのですから、今の日本だけではなく、昔の日本についてもぜひ知ってもらいたいと思います。

殊に、日本で就職しようと思って来日した方にとっては、昭和を知ることは就職した後のみなさんの仕事ぶりに好影響をもたらすに違いありません。それは、就職先の経営者や上司、あるいは取引先や折衝先の方々など、みなさんにかかわりのありそうな人たちは、多かれ少なかれ、昭和の色に染まっているからです。つまり、昭和を知るということは、みなさんを取り巻く人たちの発想や行動様式の根源に迫るということなのです。

そして、もうしばらくは、日本の社会をけん引するのは昭和テイストの人たちです。それゆえ、なおさら、昭和の時代を知らずにいることはできません。また、日本は少子高齢化が進みつつありますから、これからも若者が減り、高齢者が増えていきます。そのため、日本で商売をするとなると、マーケットのボリュームゾーンである昭和の人たちの心をつかむ必要があります。

進学を考えている方にしても同じことが言えます。特に人文科学系、社会科学系の分野に進もうと考えている方は、それらの学問の基盤は昭和にありますから、昭和が令和に与えている影響を無視することはできません。そういう方面の研究の屋台骨を支えていらっしゃる先生方の頭に、昭和はしっかり息づいています。

そのような昭和という時代がどんな時代だったか知るチャンスが、昭和100年にまつわる様々なイベントという形で、みなさんの目の前に現れるのです。これを逃す手はありません。2025年、昭和100年という節目の年に日本に来ていることを存分に活用してください。

とはいえ、昭和は64年まであった長い時代です。さらには戦争の期間を含んでいますから、昭和の時間は一様に淡々と流れて行ったわけではありません。それをつぶさに見ていき、それなりに理解していこうというのは、決してたやすいことではありません。しかし、だからといって、手をこまねいていては、得るものの少ない留学になってしまいます。難題に立ち向かって手にしたものこそ、真の意味での留学の成果であり、それこそがみなさんの未来を切り開く武器となりうるのです。

みなさんのまわりには、私をはじめ、昭和を知る教職員が大勢おります。直接は昭和を知らない若い感覚を持った教職員もみなさんを見つめております。どうか、安心して留学生活を始め、大きな成果を手にしてください。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

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再挑戦

1月8日(水)

あさってから新学期ですが、学生たちはぎりぎりの攻防を続けています。先学期の成績が振るわなかった学生に「もう一度同じレベル」という連絡をしたところ、どうしても進級したいという学生が何名か現れました。毎学期のことですが、今学期はお正月休みが長かったため、始業日の直前までごたごたが続いています。

Bさんは“もう一度”の連絡を受けた1人です。進級したいと訴えてきたため、一番点数の悪かったテストを受け直してもらうことにしました。もちろん、誰にでもこういうチャンスを与えるわけではありません。Bさんは意見を積極的に発表するなど、授業への貢献が大でしたし、授業中の活動を見る限り進級する学生に劣るとは思えませんでしたから、チャレンジさせようと思いました。結果は、こちらの期待に応えてくれました。

Cさんも同様に訴えてきました。授業中の発言などからは進歩が感じられました。しかし、Bさんに比べてどのテストも成績が劣り、特に文章力のなさが目立ちました。再チャレンジも意味不明の文が多く、あえなく失敗となりました。今学期は卒業の学期ですから、卒業証書が手にできるように努力してもらいたいものです。

Dさんも力及ばずでした。Dさんはすでに進学先が決まっていますから、無理して難しいことを勉強してわからないことを増やすより、先学期よくわからなかったことを確実に身に付けて卒業したほうが、進学してからのためになります。

まるっきり問題外のEさんからは、何の反応もありませんでした。本人も納得しているのでしょう。Eさんはこれから受験の本番ですから、それどころではないのかもしれません。

職員室には、新学期の教科書や教材が積み上げられて、学生たちを待ち構えています。

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