KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
1月26日(木)
このところ、1年で一番低い平年値をさらに下回る気温の日が続いています。今日の最高気温は6.4度で、平年より3.2度も低いです。最近発表された予報によると、4月ぐらいまでは平年よりも寒いそうです。この寒さのおかげで、日陰には月曜日に降った雪がまだしぶとく残っています。もっとも、カチカチに凍っていますから雪遊びなんかはできませんが。
私のような年よりは、寒いと背中が丸くなってしまいがちです。毎朝、ネクタイを締めるために鏡をのぞくたび、じじむさい姿勢だなと思います。そして鏡の前で背筋を伸ばすのですが、家を出て駅への道を歩いていると、いつの間にか元に戻っています。
授業のときは教壇に立って教室全体を見回さねばなりませんから、背中を伸ばします。しかし、文法の例文など学生に課題を与えて、それに取り組む学生を見回っていると、下を向きますから、またまた背中が丸くなります。学生の目にはどう映っているのでしょうか。
いまさら若ぶろうとは思いませんが、やっぱり背筋がピンとしていたほうが勢いが感じられますよね。自信を持っているようにも見えます。少なくとも、学生を説教する時は背中が丸いとかっこうがつかないんじゃないでしょうか。訴えたいことがある時は、胸を張って主張したほうが通りやすいと思います。
明日もまた寒いようです。予想最低気温は氷点下1℃。でも、姿勢を正して学生を力強く指導していきたいです。
1月25日(水)
卒業生がいる各クラスでは、卒業文集の清書をしています。下書きを書かせるときにはああだこうだとつべこべ言ってた学生も、清書の段階になると、少しでもいい文章を残そうと、自分が思っていることをどのように文章表現すればよいか、どんどん教師に質問してきます。今日の私のクラスもそうでした。みんな、昨日のクラス担当のR先生がゆうべ遅くまでかかって添削してくださった文章に、さらに手を加えようとしていました。何回も書いたり、その書いたものを直されたりしているうちに、自分の言いたいことが自分自身にも見えてくるのではないでしょうか。
NさんやJさんはそんな学生で、下書きの文章に論旨があいまいなところを見つけ、自分で代案を考え出し、それでいいかどうかきいてきました。自分なりに直してから私に相談を持ちかけるあたりが、さすが曲がりなりにも最上級クラスと思いました。
Lさんは創作風の文章を書いてきました。懲りすぎて自滅しているところをR先生に直されたのですが、どうもそれが不満なようです。R先生の文では自分の感覚が伝わらないと言い張るのですが、日本語ネイティブとしては、やはりR先生の文に軍配を上げたくなります。
どのレベルでも同じですが、ことに上級では、作文の時間の教師はしゃべる辞書です。微妙なニュアンスの違いにこだわって、自分の気持ちをピンポイントで表現したがるようになります。その集大成が卒業文集なのです。「文集なんかだれも読まないよ」なんて言いつつも、むきになってちょっとでもいい文章を書こうとする学生たちに、成長の跡を感じました。
1月24日(火)
ゆうべからの雪で、今朝の東京は6年ぶりの4センチの積雪でした。その雪がシャーベット状になり、おっかなびっくり歩いている人が目立ちました。私もその一人でしたが…。学生たちがけがをしないかと気になっていましたが、みんな無事に学校にたどり着いたようです。
学生たちは思ったより平静で、雪だからといって大はしゃぎしていたのはごく一部でした。雪を見るのが初めてという学生もいましたが、学生が登校してくることにはぐちゃぐちゃの茶色い雪になっていましたから、「きれい」からは程遠い状態でした。
この雪のため、首都圏の一部の鉄道ではダイヤが乱れ、通行止めになった高速道路もありました。東京は、札幌などのような雪を前提とした街づくりがなされていませんから、高々数センチの雪で影響が出てしまいます。そこに住む人たちも雪を知らない人たちばかりですから、必要以上に雪を恐れたり、雪の怖さを知らずに無茶をしたりして、混乱に拍車をかけるのです。
数年に1回しか積もるような雪が降らないのなら、そしてその雪もすぐに解けてしまうのなら、雪のための備えをしておくのは無駄なことかもしれません。雪の降った日とその翌日ぐらいだけ、不便を我慢すればいいのですから。それよりも、毎年いやというほど続く真夏日・熱帯夜への対策を優先するのが当然です。
昨年の地震では、何百年かに1度の大津波に襲われて、東北地方の太平洋沿岸は壊滅的打撃を受けました。数年に1回の東京の雪はせいぜい電車が止まる程度ですが、数百年に1度の大津波は街を根こそぎ破壊します。つい最近、ここ数年の間に首都圏で直下型大地震が起こる可能性が70%あるという研究結果が発表されました。地震についてはずっと警戒してきていますから、決して備えがないわけではありません。それなり以上に強い街が造られているはずですが、更なる対策を講じておくにこしたことはありません。それと同時に、人間の心も鍛えておかねばなりません。パニックに陥ったら、せっかくに地震対策もすべてパーですから。
1月23日(月)
今日は旧正月・春節でした。I先生は、朝、教室に入るなり「明けましておめでとうございます」と言われ、目が点になったとか。そんなのはかわいいほうで、欠席が多かったのには閉口しました。朝、教室に3人しかいなかったとか、授業の後半でやっと出席者が2桁になったとか、景気の悪い話ばかりでした。
私は旧正月・春節を祝うことを否定するつもりは全くありません。ただ、自分の立場をわきまえてもらいたいと思います。まず、学生の本分は勉強することです。それが二の次になってしまうような行動は慎むべきです。ゆうべ飲み過ぎて今日学校を休むなど、学生にあるまじき行いです。
それから、留学中は留学先の流儀を尊重すべきです。日本の正月はあくまでも1月1日であり、学生たちもその前後にたっぷり休んでいるはずです。それにもかかわらず、自分たちの正月にも休んでしまおうという根性はいかがなものかと思います。自国の文化にどっぷりつかっているうちは、留学先の文化の吸収などできるはずがないではありませんか。
私が受験生のころは、元旦に教科書を開いた学生は志望校に合格できると言われていました。要は、それぐらいの非常事態だという気持ちで臨めば道はおのずと開けるということです。今日、遅刻もせずにいつもどおりちゃんと登校してきた学生は、勉強に対する心構えの上で、休んだ学生を大きくリードしていると思います。そういう学生に幸あれと祈らずにはいられません。
夕方から冷たい雨が降り始め、夜半には雪になるとか。東京の雪は春の前触れです。まさに「春」節です。
1月20日(金)
12月の半ば以降、1か月以上も雨が降らず、空気もからからに乾いていましたが、ようやく程よいお湿りがありました。しかし、気温は全く上がらず、最高気温は日付が変わった直後の5.7℃で、日中は2度台をうろちょろしているありさまでした。
その寒さのせいなのか、今日のクラスは出足が悪かったです。卒業生のクラスなので、卒業制作について話し合おうと思っていたのですが、朝は人数が揃わず、別のメニューをしました。
その別のメニューというのが、東京についてのお勉強です。学生たちは大半が東京に住んでいるものの、東京については驚くほど何も知りません。23区の白地図を渡し、新宿区がどこにあるかを聞きましたが、正解だったのは半分ほどでしょうか。でも、他の学生も当たらずとも遠からずのところを答えていましたから、まあまあでしょうか。東京タワー、東京ドーム、銀座、スカイツリー、お台場、連れて行ってもらったことがあったり名前だけ知っていたりするところがどこにあるのか、ほとんどわかってませんでしたね。
以上のことは日本人でも怪しい人が大勢いますから、留学生は大目に見てもらえるかもしれません。しかし、せっかく東京に住んでいるのですから、自分の街についてちょっとでも知っておいてもらいたいです。この先も東京で暮らすのなら、それは常識でもあると思います。また、東京という世界に名だたる大都市についてちょっと深く知っているというのは、地球市民の一人として胸が張れることではないでしょうか。家ー学校ーアルバイト先という“魔のトライアングル”から1歩も2歩も踏み出して、自分の世界を広げることが肝心です。
そんなことをしているうちにだんだん学生が集まってきて、卒業制作の話も少しだけかっこうがつきました。卒業式までわずかな期間ですが、1つでも多くのことを吸収し、思い出もたくさん作っていってもらいたいです。
1月19日(木)
この学期は卒業が近づき、どうしても浮ついた雰囲気になりがちです。でも、国立大学を始め受験を控えている学生もいます。私が持っているクラスは、その受験を控えている学生が多いクラスです。ですから、他のクラスがお楽しみモードの授業をしているのを横目に、まだまだがりがりと勉強させています。昨日も今日も漢字やら入試の過去問やら、ハードな授業をしました。
このクラスの授業の中に「中学入試に挑戦」というのがあります。文字通り、東京近郊の有名中学の入試問題を解いてみるものです。中学入試ということは小学校6年生が解くわけですが、相当な歯ごたえがあります。最上級クラスの学生をもってしても悲鳴を上げる問題ばかりです。
今回のところで学生たちが苦戦したのは、「水ぬるむ春」などというような、季節を表す言い回しです。“ぬるむ”が“ぬるい”から来ていることは想像がつくのですが、学生たちにとって“ぬるい”はネガティブな意味の言葉で、春の訪れを喜ぶような場面に使うことがピンとこないようです。「風かおる初夏」などというのも、イメージしにくいのでしょう。
こういった表現が日本特有なのかどうかまではわかりませんが、これらを通して日本人の季節の移ろいに対する感覚を少しでも学べたら、それもまた日本文化の習得になると思います。志望校に進学したら、今よりほんの少し余裕を持って、街中のちょっとした表情の変化にも春夏秋冬を感じ取ってもらいたいですね。
1月18日(水)
10:50、授業中に緊急地震速報装置の発報訓練がありました。どんな擬音語で表現したらいいかわからない、あの耳障りな警報音とともに、「震度5強、30秒前」と放送され、10秒前からは秒読みになります。訓練だとわかっているとはいえ、緊張を強いられる嫌な空気でした。学生たちは放送の指示に従って机の下に頭を隠し、訓練終了を待ちました。その後15分ぐらいは地震談義で盛り上がったというか、脱線したというか…。
緊急地震速報は、地震予知とは違って、気象庁の地震観測網にとらえられた遠隔地の地震波をもとに発せられます。それゆえ、予想したほどの規模ではなくても十数秒か数十秒か後に地震は来ます。地震波が到達するまでのわずかな時間に安全な体勢をとれば、被害を防ぐ、悪くても被害の程度を軽くすることができるはずです。
同様のシステムは、ちょうど20年前に「ユレダス」という名で、東海道新幹線で運用が開始されました。東海大地震の被害を何とか防ごうという考えからです。東海大地震はまだ発生していませんが、2004年の中越地震の時にはユレダスによって走行中の上越新幹線が緊急停車し、被害を軽微な脱線にとどめました。全速力で走っている最中に地震に襲われたら、大惨事になっていたかもしれません。
こういう実例を考えると、KCPが気象庁のシステムとつながっていることは非常に幸いなことだと思います。また、このシステムを有効活用するためには今日のような訓練は必要不可欠です。日本は地震が多い国ですが、地震におびえながら暮らすのではなく、地震にきちんと対処する生活をしていけば、必要以上に恐れることなど全くありません。訓練は不安をかき立てるためではなく、消し去るために行うのです。
1月17日(火)
阪神淡路大震災から17年目で、かつての被災地で記念式典が行われました。東日本大震災と関連付けた催し物も見られました。“地震雷火事親父”というように、地震は世の中で最も怖いものとされてきました。自分が拠って立つ地面そのものが揺れるのですから、すなわち、根本原理が失われたようなものであり、何を信じていいのかわからなくなります。阪神淡路大震災では、大きなビルや高速道路の高架橋などが倒壊してしまい、直下型地震というそれまであまり注目されていなかった種類の地震の恐ろしさを痛いほど感じさせられました。倒れたビルや高架橋の生々しい映像が全国に配信されたので、なおのこと恐怖感が募ったものです。
日本文学の大きな底流の1つである「無常」にも、仏教の概念に加えて、地震などの自然災害の前には人間など無力なものだという考えもあります。大自然の厳しさに立ち向かってそれを克服するというよりは、自然の流れに逆らわずそれに乗って生きていくという面が強いのが日本人だと思います。俳句が盛んになったのも、単に四季の移ろいを感じ取っているからではなく、自然災害に見舞われることなく1年が過ごせたという喜びを表そうとしているからかもしれません。
そうは言っても、現代社会においては自然に流されているだけというわけにはいきません。大地震に鍛えられたおかげで、日本の耐震建築技術は世界一です。阪神淡路大震災の反省をもとに、ビルや高架橋の耐震補強がなされ、設計基準も厳しくなりました。昨年の震災では、新しいビルと古いビルとでは揺れ方が全然違いました。昔は地震がおきたら建物の外に逃げろと言われていましたが、今は室内の落下物に気をつけて屋内にとどまれと指示されます。落ち着いて行動しさえすれば、いまや、地震は決して怖いものではないのです。
1万5千人余りという東日本大震災の犠牲者の大多数が津波によるものでした。地震そのものによる被害はかなり克服できたものの、津波という新たな防災の宿題を突きつけられているのが、今の日本です。
1月16日(月)
今学期から、今年の6月と11月のEJU・大学入試を目指した受験講座が始まります。今日は進学コースの学生向けにオリエンテーションを行いました。メンバーががらりと入れ替わり、先学期までの上級中心から、中級の入口ぐらいの学生が主力となりました。この前まで先輩のお尻にくっついていた学生たちが全体を引っ張ることになり、不安がないわけでもありませんが、毎年のことですからね。
オリエンテーションでは、今から大学入学までの全体計画をしっかり立てるように強調しました。大学入学は来年の4月ですが、私大の早いところは夏場に入試があります。秋に入試の大学でも、6月のEJUが勝負ですから、実は半年あるかないかの時間しかないのです。そういう話をすると、学生たちは一様に驚いたようは表情をします。いい意味で少し焦ってもらいたいところです。
そのオリエンテーションの直前、HさんがJ大学に受かったと報告に来てくれました。実を言うと、私はHさんはJ大学は無理だと思っていましたから、驚きとうれしさが同時に襲ってきました。でも、HさんはJ大学では不満なようで、来年国立大学を受けると言い始めています。Hさんのような理工系の場合、大学院で国立なり何なりを狙うという道があるのでそれを勧めていますが、果たしてどうなるでしょう。
オリエンテーションの後、Zさんが今週末にあるA大学の入試の口頭試問の練習に来ました。また、Sさんが面接練習の申し込みに、Jさんが推薦をもらいに来ました。今シーズンの受験が続いていますが、来シーズンに向けての動きが始まったKCPです。
1月13日(金)
今日から新学期です。月曜日あたりまで授業料未納の学生がけっこういて心配していましたが、ふたを開けるとほとんどの学生が授業料を払って、今日から出席していました。最近の円高のため、為替相場を見ながら国から送金してもらうタイミングを計っている学生が多いと聞きます。ぎりぎりまで授業料を納めなかったのも、そういう事情があるからなのでしょう。
いずれにしても、クラスの面々が揃った状態で授業が始められると、何をするにしても活気が出てきます。活気が出てくれば教えるほうも教わるほうも気持ちよく授業に臨めます。そういう意味で、今学期は上々の滑り出しができたのではないでしょうか。
卒業生にとっては、3月9日の卒業式まで、ちょうど8週間です。1月期は、毎年、あっという間に卒業式が来てしまいます。卒業生は、KCPを出たら、日本語と正面から向かい合う機会はほとんどないでしょう。特に進学する学生にとっては、この8週間は、進学してから困らないだけの日本語力をつける最後のチャンスです。そう思って、私たちも力こぶを入れて授業を組み立てていきます。
それと同時に、思い出作りも大切です。卒業文集には、今年から動画をつけます。どんなストーリーの映像にするのかクラスで決めていきます。この動画の制作を通して、今まで学んだ日本語の総決算をしてもらいたいと思います。これが、日本語を使って何かを成し遂げたという自信につながれば、まさに最後の教えとなります。
国立大学を受ける学生は、これからが勝負です。Cさんは来週水曜日にT大学を受けます。その欠席届を出してきました。Yさん、Hさんは、今、私の目の前で出願書類を書いています。みんな、にっこり笑えるといいですね。
1月12日(木)
昨日の夕方、先週末にR大学を受験したTさんが来ました。Tさんは去年の秋口から、N大学、M大学と受験しましたがいずれもダメで、今回、R大学を受けたのです。もう、出願している大学はないので、これが最後の受験かと思ったら異常に緊張してしまい、自分の思いのたけを面接でうまく表現できなかったと言っていました。
Tさんはやりたいことは決まっていて、それが勉強できるところとして、N、M、Rという3つの大学に出願しました。入試の面接を受けるたびに、それを勉強したいという気持ちが強くなってきたそうです。R大学は、手ごたえとしてはダメっぽいのですが、入りたいという気持ちは3つの大学の中で一番強く感じたということです。
Tさんに最初から「勉強したい」という気持ちがあったことは確かでしょうが、試験に落とされるたびに雑念もふるい落とされて、その気持ちが純化してきたのではないかと思います。この半年ほどの間に、自分は何に人生を賭けるべきかがはっきり見えてきたのではないでしょうか。
しかし、悲しいことに、それが明確になったとき、Tさんの受験シーズンは終わってしまいました。「もう少し早くから自分の気持ちを整理しておくべきだった」なんて言えるのは周りの人間だけです。人生を決める渦中にいる当の本人は、そんな余裕など持てません。もう1校受けられたら、その面接の場で、Tさんは、借り物ではない自分の言葉で自分の将来を語ることができるでしょう。Tさんは、受験を通して大きく成長しました。
ゆうべ、「S大学を受けるかもしれません」と言って帰っていったTさんですが、今日は何も言ってきませんでした。明日、新学期の教室で確かめてみましょう。
皆さん、ご入学、おめでとうございます。このように多くの国から多くの学生が入学してくれたことをうれしく思います。
新年の新聞を見ていたら、とてもいい言葉を見つけました。それは、
The end depends upon the beginning.
という言葉です。意訳すれば、「よい結果を得たかったら、初手を間違えてはいけない」、すなわち、「何事も最初が肝心」ということになるでしょうか。
「終わりよければすべてよし」ということわざもあります。よい結果が得られれば、その途中のミスや苦労などは消し飛んでしまう、結果がすべてだ、という意味です。でも、そのよい結果を手にするためには最初の一歩をいかによい形で踏み出すかが何より重要だと、先ほどの言葉は教えています。
昨今の世界情勢を見ても、確かにその通りだと思います。今、世界の耳目を引いているギリシアの財政危機も、ギリシアがユーロに加盟したその年に、間違った方向に歩みを進めてしまったがために引き起こされたと言ってもいいでしょう。2000年にギリシアがユーロに加盟した時の条件は、財政赤字を対GDP比3%以内に抑えるというものでした。しかし、ギリシアは、歳出削減などの正当な方法でこの条件を達成しようとせず、粉飾決算という道を選んでしまいました。それが積もり積もって、ついには覆い隠せなくなり、世界の経済を揺るがす事態に陥ってしまったわけです。
昨年の日本の原発事故もまた然りです。原子力発電は、原理的にはすばらしい発電方法です。反応式を見る限り、これですべてのエネルギー問題が解決できるとさえ思えてきます。資源小国である日本がこの発電方法に目をつけたのは、決して間違いではありません。しかし、物事には必ず表裏の両面があるという基本中の基本を忘れて、原子力発電の負の側面を見ようとせずに前進し始めたところに問題がありました。政治家も官僚も国民も、みんな夢のエネルギーの熱に浮かされていたと言っても過言ではありません。組織は、大きくなればなるほど過ちを正すのが難しくなります。一歩目をおかしな向きに進めてしまい、いつしか軌道修正できないところまで来て、そのまま突き進むしかなく、昨年の3月11日を迎えた、これが昨年の原発事故の根底をなすものです。
皆さんの留学についても同じことが言えます。この留学を成功させたかったら、心して最初の一歩を踏み出してください。もちろん、最初の一歩が正しく踏み出せたからといって、自動的に留学の成功が得られるわけではありません。数々の誘惑やトラブルが皆さんを待ち受け、襲い掛かってくることでしょう。成功の果実は、それらをはね退けていった先にあります。私たち教職員は、皆さんが留学の成功に向けて正しい道を歩んでいるかどうか、いつもどこかで見守っています。ですから、悩みや困ったこと、あるいは辛いことなどがあったら、遠慮なく相談に来てください。私たちの方から声をかけることもあるかと思います。そのときには心を開いて私たちの話を聞き、私たちに何でも話してください。
今日の話の最初の言葉をもう少し大きな枠組みでとらえると、その人の人生は若い時にどれだけしっかり勉強したかで決まる、ということも意味しているのだと思います。これからKCPで、日本で過ごす一日一日が、皆さんの人生の基礎を築くのです。1分1秒たりとも無駄にすることなく、密度の濃い留学生活を送っていってください。この留学は、皆さん自身の長い人生における第一歩でもあるのですから。この場にいるすべての皆さんが、この留学で一つでも多くのものを得て、皆さん自身の人生を成功に導いていくことを切に願ってやみません。
本日は、ご入学、本当におめでとうございます。
(今日、取り上げた言葉は、1月4日の朝日新聞夕刊に載っていた言葉です)
1月10日(火)
始業日を今週末に控え、今日も大勢の学生が職員室にやってきました。JさんはT大学に合格したという報告に来てくれました。正直言って、面接練習なんかの様子を見ても、合格は難しいんじゃないかなと思っていましたので、うれしい誤算でした。現金なもので、合格が決まったら、T大学は田舎だと文句を言い始めました。
YさんはそのT大学に落ちてしまいました。すぐに次の大学を探し、出願しなければなりません。D大学やB大学の準備をし始めました。これから先は、実力がありながら今までの試験でダメだった学生が集まってきますから、厳しい戦いを覚悟しなければなりません。
Cさんはこれから2つの大学に出願します。志望理由を書いてきて、私に直してくれと言ってきました。内容的にはすばらしいのですが、文法のミスも含めて、表現力がもう一歩です。私が直すと、学生自身が書いたことにはならないかもしれませんが、この時期ならどの学生も先生の手が入った文章で出願してくるでしょうから、おあいこですね。
LさんはK大学を受けますが、そのほかにどこか受けられる大学はないかという相談に来ました。11月のEJUで思ったよりも点が取れなかったLさん、ちょっと自信をなくしているようです。そんなに弱気になることはない、まだまだいろんなところが受けられるよと元気付けました。
先週末にM大学の発表があり、そこを受けた学生がどうなったか気になるところです。誰からも何も言ってこないということは、どういうことなのでしょう。ダメだったらすぐ次の手を打たなければならないのに連絡がないということは、受かって浮かれているのでしょうか。それとも、布団をかぶって泣いているのでしょうか。
教師とは、損な商売ですね。
1月6日(金)
今日は小寒、寒の入りです。これから大寒を経て立春までが1年で一番寒い時期と言われています。実際、東京の日ごとの平年平均気温を見ると、今日が6.4℃で、これからどんどん下がって、大寒の21日に5.8℃となり、これが1年の最低です。平均気温が5.8℃の日が2月1日まで続き、立春前日の2月2日から上がり始め、3日の平均気温は5.9℃です。
言うまでもなく、1年で一番日が短いのが12月21日頃の冬至です。しかし、このころは「冬至、冬なか、冬はじめ」と言って、本格的な冬の入口に過ぎません。12月21日の平年平均気温は8.0℃で、今日はそれに比べて1.6℃も下がっています。ちなみに、平年平均気温が今日と同じ6.4℃になるのは2月10日、冬至と同じ8.0℃になるのは、何と、ひな祭りも過ぎた3月5日です。いずれにせよ、これからのひと月ほどが寒さのピークなのです。
そういう寒さの中、今日は新入生のプレースメントテストが行われました。予定開始時刻のだいぶ前に学生が集まり、少し早く始めた教室もありました。なかなか意気盛んな学生たちのようで、今学期が楽しみです。この中の数名は、大学院進学特別クラスの学生で、国にいるときからスカイプを通して顔を合わせ、指導してきました。担当のM先生はすでに顔なじみで、何か月も受け持っている学生であるかのように試験を受けている様子を報告してくれました。
大学院進学特別クラスは、今学期から本格的に活動を始めるクラスです。渡日前サポートにより、国に居ながらにして日本の大学院への進学準備ができます。周到な準備をした上で日本へ来て、KCPで大学院進学に必要な日本語力を磨くとともに、KCPをベースにして大学院の先生方とのコンタクトを取っていきます。それに加え、英語を始めとする大学院入学に必要な基礎科目の勉強もできます。
また、美術系進学クラスも始まります。今までもあった大学進学コースも、新しい学生を迎えて2013年度入学に向けてのスタートを切ります。KCPは、外界に春が訪れるよりもひと足早く、新芽が芽吹き始めています。
1月5日(木)
昨日から学校が始まるや、いろいろな学生が進学の相談に来ています。
Hさんは、第一志望だったT大学に合格しているのですが、急に国立大学も受験したいと言い出しました。東京からあまり遠くない国立大学という、学生だれもが唱える希望をつけています。それに加えて、英語の苦手なHさんは、英語の試験がないところと言っています。そうすると、おのずと大学が絞られてくるのですが、その大学は毎年競争率が高く、Hさんの力では届きそうにありません。東京近郊以外の大学も紹介したのですが、寒いとか、大きなゴキブリがいそうだとか、難癖をつけては拒否します。ついには、私立のN大学に入り、来年もっといい大学を狙うと言い始める始末です。
「Hさん、T大学はどうするんですか」と聞くと、「実は、手続きの締切日を忘れていて…」と言うではありませんか。言葉がありませんでした。第一志望に合格して、欲が出てきたから国立も狙おうとしているのだとばかり思っていたのですが、全然違いました。Hさんはもう少ししっかりしていると思っていましたが、甘かったです。手続き締切日直前に駄目押しをしなかったのが、痛恨のミスです。
苦労したかいあって希望がかない、夢を大きく膨らませていたのに、それがすべて無になってしまったHさんの落胆は、いかばかりでしょうか。希望の大学に合格させるだけではなく、ちゃんと入学するまで見届けて初めて進学指導が完了するのに、Hさんについてはそれができていませんでした。
留学の第一歩でつまずいてしまったHさんですが、まだ向かっていこうという気持ちがあるところが救いです。その気持ちを、今度こそ形あるものにしていくお手伝いをすることが、せめてもの罪滅ぼしだと思っています。
1月4日(水)
年末年始は、名古屋近辺をうろうろしていました。お天気には恵まれ、傘のお世話には全くなりませんでした。ただ、風がけっこう冷たく、帽子とイヤーマフには大変お世話になりました。
お天気がよかったので、馬籠(まごめ)宿から妻籠(つまご)宿を通り、南木曽(なぎそ)まで、旧中山道(なかせんどう)を歩きました。澄み切った青空からの陽光に雪が輝いて、古風な宿場町がより一層映えていました。旧街道なので道が細く曲がりくねっていましたが、案内の標識が整備されていたおかげで、道に迷うことなく、街道筋の風景を楽しむことができました。年末で博物館がどこも閉まっていたのが残念でした。でも、人も少なく、お天気も最高で、シックな町並みをじっくり味わうにはもってこいでした。
その翌日、名古屋市内の史跡を見て歩きました。前田利家(まえだとしいえ)の生まれ育った土地を巡る犬千代(いぬちよ;前田利家の若いころの名前)ルートという散策コースが整備されているとのことだったので、安心しきって出かけました。情報によると、市営地下鉄高畑(たかばた)駅から近鉄伏屋(ふしや)駅まで、コースの要所要所の路面に矢印で進むべき方向が表示されているとのことでした。しかし、歩き始めて10分と経たないうちに矢印が消え、行きつ戻りつして道路標示を探すはめに。道路標示のうち、肝心の矢印が消えているものもあり、不安を抱きつつ見当をつけて進むこともたびたびでした。どう少なく数えても4回は道に迷いました。あたりは新興住宅街で、旧中山道のように一本道ではなく、道を見失うと建売住宅やマンションなどの間をさ迷い歩くことになります。腹立ちを抑えながらゴール地点に立った時は、逆に妙な達成感すら覚えました。
名古屋市は人口230万人の政令指定都市です。馬籠宿は岐阜県中津川市(人口8万2千人)、妻籠宿は長野県南木曽町(人口5千人)で、両方あわせても人口は9万人足らずです。それなのに、観光客へのサービスは人口の少ない後者の方が格段に勝っていました。確かに、馬籠~妻籠ルートのほうが、犬千代ルートより観光客は多いでしょう。でも、犬千代ルートが設けられたのはわずかに数年前で、その後保守管理された形跡があまり感じられないのはいただけません。
名古屋市の河村市長は減税を公約に市長となり、その減税を今年から実施するそうです。減税するにはどこかで歳出を削らねばなりません。地元民にはあまり恩恵がないから犬千代ルートの道路標示の整備はカットするというのでは、お金をかけるべきところと節約すべきところとの区別がついていないのではないでしょうか。230万人の大都市には、観光以外にもしなければならないことがたくさんあるでしょう。しかし、これでは「総身に知恵が回りかね」と言われても仕方がありません。
KCPも名古屋市のような状態に陥っていないかと、その日、ホテルの風呂につかりながら考えました。全学生のすべてを把握するのはなかなか難しいことですが、細かいところまで行き届いた学校を作っていくことを、今年の目標にしたいと思います。
12月27日(火)
今年は今日が最後の仕事日。明日から年末年始の休みです。
今年を振り返ると、やはり、3月の地震抜きでは語れません。あの日、前日卒業したばかりのUさんとJさんが、差し入れを持って職員室に来てくれたことを思い出します。卒業して縁が切れてしまうのではなく、ちゃんと学校のこと、私たち教師のことを気にかけてくれたことが何よりもうれしかったです。その後も2人は、ときどき顔を見せてくれました。
昨日の夕方は、この3月に卒業したFさんが手作りの年賀状を持ってきてくれました。来年の干支の辰をあしらったなかなかの力作です。もう少し早く来てくれれば、私も作り方を教えてもらいたいくらいです。地震で入学式が遅れて不安そうだったこと、その入学式でマジックを披露したこと、そんな話を聞いたのがついこの前のことようです。でも、同級生の中にはもう就活を始めた学生もいて、内定をもらった人すら出ているとか。Fさんも4月から本格的に就活だそうです。
こういう、学校とのつながりを大切にしてくれた学生がいた反面、Zさんはおとといから春節が終わるまで、1か月あまりも一時帰国しています。A大学に受かっているZさんにとっては、KCPでの勉強はもはや不要なのかもしれません。大学の入学手続きも問題ない、出席率でビザがもらえなくなる心配もないと言い張ります。法律上もZさんの一時帰国は何ら問題はありません。しかし、何か割り切れないものが残ります。大学進学したら、日本語にじっくり向き合える時間は取れません。そういう最後の総まとめが次の学期なのです。Zさんにとって、この学校は、進学のための踏み台に過ぎなかったようです。一刻も早く縁を切りたい存在なのでしょう。
Zさんとの間にそういう関係しか作れなかったのは、私たちに至らぬところがあったからでしょう。Uさん、Jさん、Fさんのように絆を大切に思ってくれる学生が大半ですが、Zさんのような学生がいないわけではありません。年末に重い宿題を突きつけられた感じがします。
それでは、よいお年をお迎えください。
12月26日(月)
連休中何もしなかったため、今日は朝一番で、先週やり残した期末テストの採点をしました。
まず、上級クラスの作文。思ったより書けていました。このクラスは嫌な顔をせずに課題に取り組んでいましたから、社会的なテーマについて書く力がそれなり以上についたのでしょう。もちろん、Sさんのようにほぼ完璧な文章の人もいれば、Fさんのように文法がかなり怪しい人もいます。しかし、自分の言いたいこと、そのテーマについて考えたことははっきり伝わってくる文章でした。
次は、最上級クラスの読解。これはかなり差がつきました。総じて言えば、授業にちゃんと出て、先生の話をちゃんと聞いていた学生は高得点で、休みが多かった学生は苦戦しています。でも、まじめに出てきている学生の中にも、ちょっとひねった応用問題にひっかかってしまった学生がいます。さらに、点数を取らせようと思って作った問題さえも間違えている学生には、頭を抱えてしまいます。こういう学生は、国の言葉でも読解力が弱かったのでしょうか。いずれにしても、根本的な読解力を向上させられなかった点は、教師として反省しなければなりません。
お昼ごろ、Zさんが出願大学の相談にやってきました。Zさんは、11月のEJUの点数が6月とほとんど変わらず、第一志望のD大学は初志貫徹で出願するとして、それ以外の大学をどこにしたらいいかを悩んでいます。A大学、S大学などの名前が出てきましたが、どれも安全だとは言えません。Zさんは、この1年、本当にがんばってきましたから何とか合格させてあげたいのですが、点数が出てしまっている以上、もはや面接でがんばれとしか言ってあげられません。
さて、年内の仕事は明日までです。Zさんや応用問題に引っかかった学生から宿題をもらったような形です。これをどう解決していくか、真剣に取り組まねばなりません。
12月22日(木)
午前中、卒業式がありました。今までの12月の卒業式は、前年の1月に入学した2年コースの学生が対象でした。しかし、今年からは、それ以降に入学した学生でも、日本での就職が決まって12月いっぱいで退学する、上級に在籍しているなら卒業証書を渡そうということになりました。KCPも、日本での就職に力を入れていくという決意の表れです。
その、就職での卒業の第一号がSさんでした。Sさんは国の大学を卒業し、今年の1月にKCPに入学しました。上級クラスでも成績はすこぶる優秀で、秋口から就職活動を始め、見事にソフト会社への就職を射止めました。今日は就活で着たと思われるスーツ姿で出席しました。卒業証書を渡した後に1人ずつ簡単なスピーチをしてもらいましたが、Sさんのスピーチがずぬけてよかったです。1月からは新入社員ですが、きっとすばらしい仕事をしてくれるでしょう。
Yさんは、今朝、漢字のテストを受け、合格点を取り、何とか卒業にこぎつけました。8時過ぎに職員室に入ってきたときの不安そうな顔つきとは打って変わり、すがすがしい表情をしていました。Yさんは初級から上級まで1つずつ階段を上ってきた学生で、多くの先生に教えてもらってきました。親しみやすいキャラクターなので、どの先生の印象にも残るのです。式の後のお茶菓子を食べながらの懇親会でも、次から次と先生に話しかけられ、笑顔がたえませんでした。
Hさんは私のクラスの学生ですが、20分ほど遅刻して来ました。ドアを開けるなりニコッと笑って、腰をかがめながら自分の席まで進んでいきました。授業に遅刻して教室に入ってくるときと全く同じでした。ゆうべ、Hさんの期末テストを採点しましたが、遅刻・欠席が多いわりには本当によくできていました。生活指導をうんと厳しくしていれば、Hさんの力をもっと伸ばせたかもひれないと、反省しました。
12月の卒業式は、毎年10名ほどのこぢんまりとした、でも温かみのある卒業式です。今年もその例に漏れず、外のどんよりとした曇り空と冷たい季節風を寄せ付けない、ほんわかとした思い出作りの場となりました。
12月21日(水)
昨日に引き続き、今日も卒業生が顔を見せてくれました。Dさんは今年3月にKCPを卒業し、今は日本とDさんの国をつなぐ会社で仕事をしています。自分の国と日本との架け橋になるという、留学生にとっては理想的な仕事です。社会人として鍛えられただけあって、在学中に比べてぐっと礼儀正しくなり、よく気がつくようになり、そして、何より、自分に自信を持っている様子がうかがわれたのが、送り出した側としてうれしかったです。みんなに振りまく笑顔や天真爛漫さなど、失ってほしくないものをきちんと守っているからこそ、就職もうまくいったのでしょう。
さて、今日は期末テストでした。中間・期末の時は、学生証を机の上に出しておくことになっています。試験監督官は学生証の写真と本人とを照合するわけですが、写真と実物が大きく違っているケースがよくあります。一つは、学生証の写真は人によっては2年近く前のものなので、成長著しい学生の場合、必然的に変わってしまいます。また、日本へ来てから髪を染めたり、ヘアスタイルを変えたり、めがねをコンタクトにしたりすると、写真のイメージとずいぶん違ったものになってしまいます。
一番暗い気持ちになるのは、現在の本人が生活に疲れたような顔をしている場合です。アルバイトに追われて、あるいは遊びが過ぎて、不本意ながら来日前の夢とは懸け離れた現実に直面している学生は、見るに忍びないものがあります。
さらに今日は、11月の留学試験の結果が学校に届き、期末テスト後に学生に手渡しました。6月に比べて成績を伸ばした学生もいれば、伸び悩んだ学生もいます。伸び悩んだ学生は、みんな努力を怠っていたとは思いませんが、普段の様子を思い起こすと、最後に自分を信じることができなかったのではないかという気がします。また、こちらのアドバイスに耳を貸さずに暴走してしまったきらいのある学生もいます。
生活に疲れた学生や自分を信じ切れなかった学生に思いを馳せているところにDさんが現れたので、Dさんがより一層輝いて見えました。年末に一時帰国して結婚するそうですから、そういう意味の輝きもあるんですよね。