KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
11月21日(月)
先週水曜日にあった中間テストの作文の採点が、やっと終わりました。2クラス分の学生の作文を見るとなると、けっこう骨が折れます。今日は、最上級クラスのを採点しました。
すばらしい学生は、ほとんど手直しせずにすみます。授業では取り扱っておらず、学生が知らないであろうと思われる、より高度な表現を紹介するのが主な添削事項です。ダメな学生のは、文章を読み解くだけでかなりの時間が費やされます。そして、本人の言わんとしていることをくみ取って、その学生が分かるであろうと思われる表現で書き換えます。そもそも、文章の構成から改めなければならないこともあります。今日読んだ作文では、Mさんが前者の例、Lさんが後者の例でした。
Mさんの作文は、完璧に近い文章でした。全然直さないのも癪だからと、目を皿のようにして直せそうなところを探し、脱字を2か所見つけました。ほかに3か所ほど、日本人っぽい表現に直しました。欲を言えば、全体の論調を強めたほうが、大学入試では有利に働くでしょう。
それに対してLさんの作文は、思いついたことを書き連ねたという感じがして、全体の脈絡がつかめません。何回読んでもLさんの言いたいことはつかめず、だからどう直したらいいのかもわからず、結局、最低評価を付けざるを得ませんでした。
Lさんは問題の趣旨を理解し、おぼろげながらもそれに沿った文章を書いていることはわかりましたが、CさんやYさんはこちらが問うたことに答えていませんでした。確かに、文章そのものはLさんよりしっかりしています。でも、設問に答えていなかったらいい点数をつけてあげたくてもつけられません。CさんもYさんも、小論文のある大学を狙っていますから、ちょっと心配です。
明日はこの中間テストの結果を学生たちに返し、それに基づいて面接を始めます。進学する人、就職する人、国へ帰る人、それぞれ自分の目標に向けて仕切り直しです。
11月18日(金)
朝の天気予報によると、今日は南風が吹いて気温が上がるということでしたが、いっこうに風向きが変わらず、日中は寒いままでした。
その寒空の中、避難訓練がありました。授業中に地震が発生したという想定で、訓練放送が入ると同時に、学生たちは机の下に身を隠し、教師は教室のドアを開けて避難路を確保します。地震が収まったという放送で、クラスごとにまとまって新宿御苑まで整列して避難しました。地震による火災が発生したことを想定した訓練です。机の下に入るまではキャーキャー言っている学生もいましたが、新宿御苑まではわりとおとなしく行動していました。
3月11日の東日本大震災の時も、その少し前にこうした訓練をしておいたおかげで、教師が特に指示しなくても、学生たちは机の下に入りました。もちろん、大地震など発生しないに越したことはありませんが、いざというときに備えてこうした訓練をしておくわけです。地震の少ない国から来た学生からすると、このような訓練は忌まわしく感じられるかもしれません。でも、世界的な地震大国である日本で暮らす以上、このような訓練は避けては通れません。このような訓練をすることで、地球上には自分の知らない世界が広がっていることを実感できるというように、前向きに受け取ってもらいたいところです。
のどもと過ぎれば熱さを忘れると言います。また、日本語学校の宿命として、学生の入れ替わりが激しいので、たびたびこのような訓練をして常に意識を高めておく必要があります。それは、学生のみならず教師もです。
日本は避難訓練といえば地震ですが、国によっては空襲を想定した避難訓練を行っているところもあります。KCPに勤め始めて間もないころに学生からそういう話を聞き、非常に驚くとともに、日本の平和を改めてありがたく思ったことがありました。今日の避難訓練に参加した学生の中には、自分たちの国が地震に襲われることが少ないことをありがたく思っているのかもしれません。
11月17日(木)
ゆうべ、帰宅すると、家の前のショッピングモールにクリスマスのイルミネーションが飾り付けられていました。もみの木をイメージしたLEDが光り、赤鼻のトナカイがBGMとして流れていました。ちょうど中間テストの日で学期の半分が終わったという気持ちになっていましたから、より一層年の瀬が近いことを感じさせられました。そろそろ年末年始の計画を立てなきゃと思いながら、ショッピングモールを抜けて家に帰り着きました。
年末年始は、ホテルはもう押さえてあるのですが、具体的に何をするかはまだ決めていません。だから、今朝は朝食をとりながら地図やガイドブックや時刻表を見て、計画を練り始めました。年末年始は、博物館などの施設はお休みのことが多いので、空振りにならないように注意が必要です。また、この時期限定のイベントは異常に込むこともあり、そういう一発ものはあまり好きじゃないので、私はよほどのことがない限り避けています。でも、大阪の黒門市場や名古屋の大須観音界隈など、大都市の中にある庶民の街の年の瀬も押し詰まった雑踏の雰囲気は好きなので、そういうところはよくぶらつきます。
この時期は、太平洋側は好天に恵まれることが多いですから、自然景観をめでることも計画に入れようと思っています。去年の年末は、静岡県の薩埵(さった)峠から海越しにきれいな富士山を拝みました。今回もそんなことができればいいなと思っています。
中間テストの採点も終わらないうちから休みのことばかり考えていたら、もっと真面目に仕事しろ、なんて言われちゃいそうですね。
11月16日(水)
今日は中間テストがありました。普段の学期は中間テストの日は面接練習を入れないのですが、今週末に入試という大学が数校あるため、今日はLさんの面接練習をしました。Lさんは風邪気味でしたが、面接日が近いので、真剣そのもので練習をしていました。同じ日にある小論文の練習もしているので、多少専門的な質問にも的を射た答えをしていました。
13日の日曜日が今年2回目の留学試験だったので、私が担当する受験講座は、今週から来学期の初めまでお休みです。お休みといっても何もしないでいるのではなく、1月から始まる新シリーズに向けて準備をしなければなりません。今年使った教材を点検し、来年の教材作りに取り掛かります。学生たちの理解度がよくなかったところは、教え方や練習問題を再検討します。入試問題を解いて最新の傾向をつかんでおくのもこの時期の仕事です。
面接練習も入試の小論文の指導もしていかなければなりませんから、受験講座がなくなっても暇にはなりません。明日、あさっては、面接練習の嵐です。うまくできていますね、EJUのお世話が終わったら大学の個別入試が山場を迎え、ちゃんと教師の空き時間が埋まるようになっているのですから。
東京は、今シーズン初めて気温が10℃を割ったそうです。中間テストの試験監督をしながら窓の外を眺めると、学校の前のホテルの入口にあるのぼりが北風にはためいていて、いかにも寒そうでした。空を見上げるときれいに晴れ上がっていて、すっかり冬の景色でした。関西まで遠征するYさんを始め、多くの学生が、今週末、決戦の場に向かいます。月曜日に笑顔で登校してくれることを祈るのみです。
11月15日(火)
11月15日付の「学校生活」のところに、“たまにはリラックスしてね…”という記事があり、そこに私がマッサージをしてもらっている写真が載っています。口を半開きにしたアホ面を世界中に披露するのはお恥ずかしい限りなのですが、そういう顔になってしまうくらい気持ちよかったのです。昨日、ボランティアクラブが「ストレスゼロ」の部屋と銘打って、教師にはマッサージを、学生には気楽に遊べるゲームを用意してくれました。
午前の授業が終わってから、1日限りのマッサージルームへ行きました。私にマッサージしてくれたのが、感想を載せているNさんです。最初は手加減したのか力が弱く、「もっと強く」と注文したら、指にぎゅっと力を込めてもんでくれました。私は重症の肩こり持ちで、マッサージ屋でも、いつも「お客さん、カチンカチンですね」と言われます。Nさんも私の肩の凝りのひどさを感じていたはずですが、何も言わずひたすらほぐそうとしてくれました。10分ぐらいもんでもらったでしょうか。授業で凝りまくっていた肩がすっかり楽になりました。
ボランティアとは、いまさら解説するまでもなく、無償の奉仕です。ただ、そこに「してやってるんだ」的な恩着せがましい気持ちがちょっとでも混じると、活動そのものが鼻についてしまいます。たとえこちらにそんな気持ちはなくても、相手がそう感じてしまったらそれでおしまいです。そういう意味で非常に難しい活動です。しかし、私が見ている限り、KCPのボランティアクラブの活動は、このような状態に陥ってはいないと思います。先日のタイへの募金も、純粋な気持ちの発露が学生たちを募金に駆り立てて、4万円あまりという金額につながったのです。
ボランティアクラブの学生たちは、自分たちの活動を通じて語学以外の何かを得ているはずです。それこそが世界を広げることなのです。日本語学校の宿命として、学生は次から次へと入れ替わっていきます。その中において、ボランティアクラブはよき伝統として不動点でいてほしいものです。私のアホ面が不動点のために必要とあらば、いくらでもさらします。
11月14日(月)
金曜日の夜、ある奨学金財団のパーティーに出席しました。その財団は、日本語学校や大学・大学院で学ぶ留学生に奨学金を出したり、格安の住居を提供したりしています。今年からKCPの学生もその奨学金がもらえるようになりました。金曜日は財団の奨学金事業10周年記念パーティーでした。
パーティーには、私たち学校関係者のほかに、現在奨学金をもらっている学生、住居の提供を受けている学生、かつて奨学金をもらったり住居の提供を受けていたりした学生が参加しました。企業などの○○周年パーティーなどというと、大体私よりももっとお年を召した方々ばかりで、知り合いどうしで雑談したり知り合いを紹介しあって名刺交換したりなどという風景になります。しかし、このパーティでは、200名あまりの参加者の大半が現在の奨学生やかつての奨学生で占められ、非常に若い雰囲気でした。料理も、通常のパーティーなら量より質という感じで、こんな量で足りるのかなという程度しかありません。それに対して今回は、肉料理も何もかも、今までに見たことのないくらい大量にありました。直径1メートルはあろうかというすし桶が、山のように積みあがっていました。それが見る見る間に減っていく様は、まさに留学生のパワーそのものでした。私もつられて、知らず知らずのうちに、けっこう食べてしまいました。
会場には現在の奨学生であるYさんがいました。「今日はうまいものを食わせてもらったんだから、うちへ帰ったらEJUの勉強をしっかりしろよ」と言ったら、はいと答えていました。また、KCPからS大学に進学したOさんもいました。Oさんは、S大学の大学院1年生で、この財団の奨学金をもらっているそうです。大学院1年生ということは、Oさんが卒業してからもう5年になるということです。ついこの前のことのように思えるのですが、月日が流れるのは本当に早いです。
今日まで、この財団のことはあまりよく知りませんでした。今日のパーティーに参加して、財団のトップの挨拶を聞き、10年間をまとめた映像を見、そして、活気あるパーティー会場の雰囲気に浸り、この財団がなそうとしていることの一端が感じ取れました。YさんもOさんも、財団を通して自分の学校以外の質の高い友人を作っていることがわかりました。日本留学をこういう形でサポートしている財団に、改めて敬意を感じました。
11月11日(金)
1並びの今日の11時11分に大地震が起きるという噂をまことしやかに流していた学生もいましたが、その時刻は授業の真っ最中で全く気づかぬうちに過ぎてしまいまました。私は理科系の教育をがっちり叩き込まれてきたためか、この手の噂に関してはいつも冷淡です。今日は1並びと言いますが、それは西暦の場合であって、イスラム歴なら1432年12月14日、皇紀で陰暦なら2671年10月16日となり、1並びにはなりません。基準を換えれば日付など簡単に変わってしまうのです。日付に1が並んだくらいで大地震に見舞われていたら、地球などいくつあっても足りません。
おととい、直径400メートルほどの小惑星が、地球から見て月よりも近いところを通過しました。その最接近した小惑星が悪さをして地球に何かが起きる、という噂のほうに信憑性を感じるのは、私ぐらいでしょうか。天文学者や地球物理学者は、てぐすね引いて待ち構え、いろいろな観測をしたようですが、我々一般庶民が感じるような何かは起きませんでした。
理系人間は、つまらないところで科学性を追及するので、自分自身を窮屈な方向に追い込んでしまうこともあります。私の場合は、例文を作るとき、物理的、化学的、生物学的にありうるかどうかを考えてしまいます。そういうチェックを入れてしまうため、葛飾北斎の浮世絵のようなダイナミックな構図は生まれてきません。こういう条件の時に限り成り立つなどということを考えてしまうので、ちまちまとした例文になってしまいます。そういう枠を取っ払いたいと思っても、なかなかできないのです。
血液型にしても、あんなものは赤血球表面のタンパク質の違いなので、それが性格や運命などに影響を与えるわけがないと考えます。だから、血液型で盛り上がる人たちにはどうもついていけません。性格やら他行動様式やらを全く見なくても、「あなたの血液型は、A型かO型ですね」と言えば、血液型の存在比率から、日本人の場合、70%の確率で当たります。そう考えてしまうのが私です。
1並びの日だから大地震が起きると言っている学生を冷ややかな目で見つつも、内心ではそういうことに夢中になれることをうらやましくも思っていました。日本は地震大国ですから、1並びじゃなくても油断はできません。そんなことよりも、あさっての留学試験で学生たちがどうなるのかの方が気懸かりです。
11月10日(木)
おとといの立冬から、昨日、今日と気温が下がり続けています。天気予報によると、明日は雨で、さらにぐっと気温が下がるそうです。土曜日と日曜日は天気が持ち直すようで、日曜日の留学試験はまずまずのコンディションになってくれそうです。
留学試験が近いということは、受験講座も大詰めということで、私の担当も明日の1回を残すのみです。今学期に入ってからはもっぱら過去問ばかりで、「習うより慣れろ」で押し進めてきました。おかげで、少なくとも理科に関しては、受験講座の学生は、どこの日本語学校よりも多くの過去問を解いてきたのではないかと自負しています。
「習うより慣れろ」は、短時間で成果をあげるという効率性で見たら最高の方法ではありません。短時間で勝負するなら、学生の母語で教えるに限ります。しかし、KCPの学生は多国籍のため、それはできません。となると、演習の数をこなして力をつけるというのが最善ではないかと思います。また、多くの問題を解くうちに、学生の問題に対するカンが養われて、あるところから急に解けるようになることがあります。実力が臨界点を超えると、爆発的に伸びるのです。
問題を解き続けることは苦しいことですが、その向こう側には楽園があることを忘れないでもらいたいです。ここで楽をしてもいいのですが、それは苦しみの先送りに過ぎません。数年後、利息がついてより大きな苦しみとなって自分自身に降りかかるでしょう。プレッシャーや誘惑に負けず、日曜日まで走りきってもらいたいです。
11月9日(水)
このところ、いろいろとアクシデントがあって、急に代講を頼まれたり、予定外の授業内容をしたりすることが続いています。また、日本語の授業以外のことで忙しく、下調べも十分にせずに授業に臨むこともあります。私は、立場上代講は一切断らずに引き受けていますし、授業内容がちょっと変わったくらいでおたおたするようではプロではないと思っています。どんな状況でも、100点の授業は無理でも合格点はもらえる授業をするのがプロではないでしょうか。
もちろん、きっちり下調べをして教案を立てて、万全の態勢で授業を行うのがベストです。教育というサービス業に携わっている以上、顧客である学生に最高のサービス、すなわち最高の授業を提供するべきです。そうは言ってもそれができないこともあります。ベストの状態と次善の状態との差を限りなく小さくするのが、プロの仕事に対する日ごろの心がけだと思います。
そうなるためには、やっぱり経験を積むことが物を言います。ただ漫然と経験を積むのではなく、経験がカンとなり、自分の置かれた状況から現時点意向の展開が予想できるようになることが肝心なところです。経験で仕事を語るようになったら、その人はもう伸びないと言われることもあります。でも、それが円熟味というものではないでしょうか。
今学期の私は、月曜と木曜の選択授業がとても新鮮です。教科書も今までの資料も何もなく、いわば、道なき道を切り開いていく仕事です。展開が読めないスリルと、新しいものを作り上げる創造的刺激、そういう最近トンと味わっていない感覚にどっぷり浸っています。
11月8日(火)
今日は立冬。朝から曇り空で、最高気温も昨日までより5度ぐらい低く、それらしい1日となりました。寒気が入ってきて、週の後半にかけて気温が下がるそうです。日曜日にコートやマフラーをスタンバイさせておいてよかったです。
朝型人間の私にとって、6時半頃まで薄暗いとなると、出鼻をくじかれたような気がします。街灯に照らされた舗道をひとり歩くのは好きですが、これから仕事をしようというときには太陽の光に迎えられたいものです。夜の明けないうちに出かけて、夜も更けてから帰宅するというのは、何だか裏街道を歩いているような気もします。
でも、晩秋から初冬にかけての、頬にピリッとくるような空気の冷たさは、私は好きです。身が引き締まるというか、パッチリ目が覚めるというか、多少の眠気を吹き飛ばし、体全体を戦闘モードにしてくれます。空気が澄んでいる感じがするのも好ましい限りです。朝寝坊したり二度寝したりしょっちゅう遅刻したりしている学生たちは、このピリッとか澄み渡った感じをどう感じているのでしょうか。ただ単に寒くてかなわないと思っているのでしょう。だから寝ぼけたまんまで学校へ来てしまうのです。
今日、私が入ったクラスも、9時の始業のチャイムと同時ぐらいに入室してきた学生が3名。週末の留学試験に向けてエンジン全開で突っ走らねばならない人たちなのですが、一抹の不安を感じずにはいられません。留学試験の結果が人生を分けるかもしれないのに、その緊張感が今ひとつ欠けているように思われます。暗いうちに起きて冷水摩擦でもすれば、気合の一つも入るのではないでしょうか。
冷水摩擦はともかくとして、試験本番は朝から始まりますから、やっぱり9時には100%の状態で教室にいてもらいたいですね。
11月7日(月)
月曜日は上級の選択授業の日です。私のクラスは、「日本は今」と銘打って、新聞やテレビ番組などを通して現在の日本を知るという授業をしています。留学試験や能力試験とは関係ない学生たちが集まっています。先々週から、G大学の大学院生の方が3名クラスに加わり、若い人の目から見た日本の社会を語ってくださっています。
やはり、学生たちには刺激になるようで、議論が弾みます。自分の考えを教師以外の日本人に分かりやすく伝える、それに対する意見を踏まえてさらに議論を発展させる、そういうことに新鮮さを感じているのでしょう。なおかつ、私のような年寄りではなく、自分たちとそう変わらない年代の日本人、それも高学歴の人たちと意見を交換することには、大きな意義があると思います。
3名の中の1名は、中国からの留学生です。日本の大学を卒業してG大学の大学院に入っていますから、日本語はKCPの学生より流暢です。上級ともなるとお山の大将となってしまいがちですが、まだまだ上には上がいるんだよという意味で、これまた彼らの刺激になっています。臆せずどんどん自分の意見を行ってくれて、話しやすい雰囲気にしてくれます。
こういうクラスがたくさんできればいいのですが、残念ながらなかなかそうはいかないのが現状です。私のクラスにしたって、大学院生が加わるのは学期が始まる直前に急に決まったことです。チャンスがあればいくらでも作りたいのですが、なかなか都合がつきません。
新入生は教師の日本語も新鮮に感じることでしょうが、それに慣れてしまうとより強い刺激を求め、教師と学生というつながりとは別の関係で日本語を使ってみたくなるものです。私たちもそういう学生たちの要求に可能な限り応えようと思い、わずかなつながりでも積極的に活用しようとしています。今回の大学院生の授業参加も、私が日本語教師揺曳講座の受講生だった時の講師の先生とのつながりから生まれたものです。
大学院生にもためになる授業なんて考えると、授業の計画を立てるのがちょっぴり重荷です。でも、授業そのものは私自身も面白くやらせてもらっていますから、ここしばらくは月曜日が楽しみです。
11月4日(金)
LさんはN大学の指定校推薦を目指していて、今週から大学での試験で出される小論文の練習をしています。今日はおとといもらった課題を書いてきました。
Lさんが書いてきた小論文は、確かに字数は規定を満たしていますし、課題に沿った内容が書かれています。しかし、課題に関する解説だけで、自分の意見がありません。入試の小論文は、単なる解説文では合格点はもらえません。自分はその課題に対してどう考えるか、どんな意見を持っているか、今後どうあるべきか、そういった内容が必要です。大学の先生は、受験生独自の意見を通して受験を知ろうとしています。だから、自分の意見を書かないということは、大学の先生とのコミュニケーションを拒否しているに等しいのです。それでは合格など、夢のまた夢です。
Lさんとは違うクラスの授業で、あることに対する意見を書いてくるようにという宿題を出しました。宿題を出した学生が少なかったことも大いに問題なのですが、出してきた学生も「意見」ではなく「解説」を書いていました。学生たちはなぜ意見を書きたがらないのでしょう。
社会的な問題に対して意見を持つ、あるいは持とうとする習慣がないというのがその一因です。社会の出来事への関心が薄いから、意見が持てないのでしょう。少なくとも文系志望の学生は、現在進行形の事件に関しては何がどうなっているのかをきっちり追跡していく必要があります。同時にそれに対して自分はどう思うかをまとめておかなければなりません。それができていないから、意見が書けないのではないかと思います。
それから、意見を書くと自分をさらけ出すようで嫌だという声を聞いたことがあります。今年の学生ではありませんが、変な考えを持っていると思われたくない、知識が足りないのを見透かされそうで怖い、などということを言っていました。課題から外れたことを論じているならともかく、課題に沿った意見を述べていれば、それを変な考えだとして切り捨てるようなことはしません。また、知識が足りなければ足りないなりに、その知識を組み合わせ、想像力を働かせ、課題について何かを論じれば、そこにオリジナリティーが生まれてきます。ただ、関心がなくおざなりな書き方をしていると感じられてしまったら、高い評価は得られないでしょう。
Lさんには週末に書き直してくるように指示しました。月曜日にどんな文章を持ってくるでしょうか。
11月2日(水)
ボランティアクラブが、タイの洪水の被災者への募金を集めました。昼休みと3時の休憩時間に募金活動をしましたが、今日1日で3万円以上集まったそうです。ボランティアクラブは、震災の後にも東北の被災地に送る募金活動をしたり、救援物資を集めたりしました。そのたびに学生たちの温かい志を感じさせられます。決して豊かだとはいえない学生たちが、少しずつお金を出し合って、洪水で困っている人たちを助けようという気持ちは、非常に尊いものです。自分のことだけではなく、世界に目を広げられるようになったことは、留学の成果かもしれません。
でも、気になる話もあります。最近、中国で車にひき逃げされた女の子が、多くの人に見て見ぬふりをされ、亡くなってしまったという事件がありました。これに関連して、ある先生が「あなたならどうする?」とクラスの学生に聞いたところ、無視するという学生もいたそうです。国によって事情はいろいろでしょうが、留学したからには人間的に一回り大きくなって、違った角度から物を見て行動できるように成長してもらいたいです。それでこそ、母国にとって有為の人材になるのではないでしょうか。
KCPのCは、coexistence、cooperationを表します。困っている人のために募金することは、まさにこの精神の発露といってよいでしょう。私たちは、こういうことを学生に伝えたくて仕事をしているのです。世界中の人々がこういう精神を持つようになれば、明るい未来が築けると思っています。
11月1日(火)
Jさんが10時半の休憩時間にもじもじしながら私のところへやってきました。「先生、おかげさまで、A大学に合格しました」という報告でした。正直に言って、JさんはA大学の出願基準点ぎりぎりの成績だったので、受からなくてもやむをえないと思っていました。Jさん自身もそう思っていた節があり、とても喜んでいました。TOEFLを受けて、11月のEJUの結果次第では国立も狙うつもりのようです。
Jさんは4月ぐらいから中だるみ状態で、6月のEJUは全く振るいませんでした。それ以後、奮起して、受験講座の際の目つきも変わってきたし、積極的に質問するようになりました。まさに尻に火がついた感じで、その頑張りが今回の合格につながったのでしょう。
同じA大学で、Cさんは一次審査不合格でした。6月のEJUがけっこう取れていたので、一次審査ぐらいは通るだろうと、本人も私たちも思っていました。それがまさかの不合格。「どんな人が合格したんですか」と、どうしても納得がいかないようでした。Cさんにとってはこれからの受験が大きなプレッシャーになるでしょうが、尻に火がついて目の色が変わってくれればと思っています。捲土重来の言葉どおり、次こそは花を咲かせてもらいたいです。
11月はいろいろな大学の試験があります。教師は学生の尻を叩くことしかできず、もどかしいことこの上ありません。自分の力でどうにもならないことにやきもきしても始まらないと、かえって平静な心になれるほど、私は悟りを開いた人間ではありません。しばらくは落ち着かない日々が続きます。
10月31日(月)
今日、2011年10月31日は、世界の人口が70億人に達した日です。今日生まれた赤ちゃんに70億人目の証明書を配るなど、世界各地でセレモニーが行われているようです。人口爆発が懸念されているので、お祝いムードはあまり感じられません。
君たちは日本人1億人には負けるかもしれないけれども、世界の60億人以上の中で1億1番目ぐらいに日本語が上手なんだよ、上から2%以内に入ってるんだよ――なんていうことを冗談半分で学生に言ったこともあります。でも、これは半分は真実です。日本語は、ほぼ日本だけで、ほぼ日本人だけによって話されていますから、外国人日本語学習者であるKCPの学生が、ネイティブの日本人の次に日本語がうまいというのも、的外れな話ではありません。400万人と言われる日本語学習者の中での順位争いなど、70億人という数字に対しては、0.1%以下の誤差範囲に過ぎません。だから、初級の学生でも1億1番目ぐらいと言えちゃうのです。
同様に、70億人のうちで海外留学ができる環境にあるのは、ほんの一握りにも満たないでしょう。世界70億人の中で海外留学しているのは、どう数えても1億人はいません。留学できることは、日本語が話せること以上に貴重なことなのです。その貴重なチャンスに恵まれているのですから、石にかじりついてでもそれを生かしてもらいたいです。確かに、KCPの学生の中には経済的に大変な思いをしている学生もいます。でも、今日の命をつなぐために苦労している人が数え切れないほどいることを思えば、明日の夢につながる苦しさが乗り越えられないことはありません。
10月28日(金)
朝はちょっと冷え込みましたが、気持ちのいい秋晴れ、バーベキュー日和(?)に恵まれました。集合場所の新木場駅前には、集合時間のかなり前から学生が現れ始めました。遅刻常習犯のHさんも、今日は定刻の20分ぐらい前に新木場駅に登場。先生方から「どうして授業の時は早く来られないの!」と、時間に間に合っているのに怒られていました。遅刻はやっぱり損ですね。
会場の若洲海浜公園からは、若洲とお台場のさらに外側の埋立地とを結ぶ東京ゲートブリッジが完成に近づき、恐竜橋というニックネームのとおりの形がすぐそばに見えました。まだ工事中ということで、3年前には出られた海辺は立ち入り禁止になっていました。ウィークデーなのでキャンプ場はいたってすいており、ほぼKCPの貸切状態でした。
私は例によって火付け役で、各クラスを火をつけて回りました。私のクラスにも回ったのですが、会場に入ってからあまり時間がたっていないのに、もう火がついていて、調理が始まっていました。「誰が火をつけたの?」と聞くと、「Cさん」という答えが。Cさんは普段はあまり目立たないのですが、火をつけるときには大いに働き、クラスメートの注目を集めたようです。このように、意外な人物が活躍するのが学校行事の面白いところで、活躍した学生がクラスの中で存在価値を認められ、自信を得ることもしばしばです。来週からのCさんが楽しみです。
今年は、ハンバーグを焼くクラスが目立ちました。特に初級のクラスに例年よりアメリカの学生が多いので、今まで韓国料理や中国料理に押されてはじき出された形だったハンバーグが、市民権を得て堂々と鉄板の上を占めるに至ったのではないかと思います。買ってきたものではなく、手でこねて作ったハンバーグを焼いたクラスもあったようです。アメリカ仕込みのハンバーグが食べたかったら、秋の学期にKCPにどうぞ。
バーベキューの後は、クラスで歓談したり、ゲームをしたり。それぞれ、小春日和の1日を楽しんでいました。3時半を回ったころから急に気温が下がってきました。うっすら汗ばむほどだったのが、涼しさを通り越してもう1枚羽織りたくなる感じになりました。やはり、秋の終わりなのだなと実感させられました。帰りの新木場駅までのバスの中から、夕焼けにぽっかり浮かび上がった富士山のシルエットが見えました。最後にきれいなお土産がもらえました。
10月27日(木)
ゆうべ、学校から家へ帰るとき、やけに外が寒いなと思いました。東京は、昨日、木枯らし1号が吹いたのだそうです。寒かったわけです。今日は朝から抜けるような青空で、放射冷却によって気温が下がり、この秋の最低を更新しました。コートにマフラーといういでたちで通勤している人もかなりいました。確かにそれでちょうどいい感じの朝でした。
毎週木曜日は選択授業があります。私が担当するクラスは、日本の文化を学ぶクラスで、EJUやJLPTを受けない学生向けです。きょうは新宿の歴史を勉強しました。その授業でテレビ番組を使おうと思い、家でDVDに録画してきました。それを見せようと思って学校のDVD再生機に入れたのですが、さっぱり映りません。機械をあれこれいじってみましたが、いっこうに言うことを聞いてくれそうもありません。止むを得ないので、学生の人数も少ないことから、全員を職員室へ連れて行き、職員室の再生機で見せました。
あとでいろいろと調べてみると、教室で使おうとした再生機は、家で録画したDVDは受け付けないことがわかりました。市販のDVDは全く問題なく再生できたので、何の疑問もなく番組を録画したDVDを再生しようとしたのですが、両者の録画方式が違うのだそうです。うーん、難しいですね。取扱説明書をよく読めばわかったのかもしれませんが…。技術の進歩により技術が細分化され、かえって不便になったように思えます。
先日の台風15号のとき、首都圏では多くの鉄道がストップしました。そんな中で、都電荒川線だけは黙々と動いていたそうです。路面電車という、鉄道の基本形を維持したシステムが、最新技術を駆使したシステムよりしぶとく生き残ったというあたりに、技術を作り出す側の反省点があるように思えます。この例と私の今日の失敗を同列に論じることはできないかもしれませんが、何か通底するものがあるように思えてなりません。
それはさておき、明日はバーベキュー。今日のような青空に恵まれることを祈ってやみません。
10月26日(水)
去年行われた国勢調査の確定結果が発表されました。それによると、日本人の人口は1億2536万人で、5年前の前回調査より37万人余り減少しました。一方、外国人の人口は29万人近く増えて、約270万人になりました。総人口に占める割合は2.1%です。でも、これは震災前のデータですから、今はこれよりもう少し小さい数字になっていることでしょう。
たとえ2.1%のままでも、他の国に比べると外国人の割合はかなり小さいと言えます。日本語教師などという、毎日外国人と接している仕事をしていると、もっとたくさんの外国人がいるような気がしてしまいますが、日本全体で見るとそうでもないのです。大久保辺りへ行くと日本も開けてきたなと思えますが、外国人に無縁の地域のほうが当たり前なのです。国際化が叫ばれて久しいですが、声の大きさほど国際化は進んでいないのが現状です。
98%という圧倒的な割合の前では、外国人は割を食うことが多いです。学生の口からもそういう話をよく聞きますし、いやな目にあわないように自衛するような指導もしています。そんな指導をしなければならないこと自体、国際化がまだまだだということを立証しています。震災直後も、満足な情報が得られずに不安な日々を過ごしたという外国人が多かったです。私たちも学生に向けて精一杯情報を発信しましたし、不安を解消するために手を尽くしました。しかし、それで十分だったかどうかはわかりません。
国勢調査は、65歳以上の高齢者の割合が23%と、世界最高であるとも述べています。高齢化で失われた国の活力を、国際化によって補おうと思ったら、日本語教育がその中核をなします。外国人に日本語を教えるだけではありません。外国人に最も親しく接している者として、日本人に外国人への心の開き方を教えていくのも、日本語教育に携わるものの使命だと心得ます。
10月25日(火)
バーベキューが今週金曜日に迫ってきました。天気予報によると、まずまずのお天気のようで、ほぼ間違いなく予定通り行われることになるでしょう。先週末あたりから、校内の随所にバーベキューのポスターが張られ、ムードを盛り上げています。そのポスターは学生たちの手によるものなのですが、どれもすばらしい出来ですね。
バーベキューに限らず、バス旅行でも何でも、学校行事のたびに学生からポスターを募集していますが、毎回その作品のレベルの高さに驚かされます。以前は手で書いたポスターが主流でしたが、今ではパソコンで作った作品のほうが多いようです。私には絵の才能が欠如していますから、パソコンで絵が描けることは理解できるものの、お絵かきソフトに関しては全く興味の対象外です。写真にも興味がなく、画像・映像関係はすごいなあと感心しながらただ見るだけです。パソコンを駆使してきれいな作品を仕上げる人たちは、私にとっては雲の上の尊敬すべき人です。
要するに、画像・映像に関しては、私は時代遅れの人間なのです。そういう私も、今の学生たちの年代には、コンピューターに関して詳しいとされていました。職場にワープロやらパソコンやらが入り込み始めた時期でしたから、職場の先輩方にそういったものの使い方を教える立場でした。しかし、忙しさにかまけて最先端の情報を収集しなくなり、新しい技術の勉強を怠り、自分が持っている知識や技術を組み合わせればそれでよしとするようになってから、進歩が止まってしまいました。
進歩が止まった時期は、私よりも詳しい新人が職場に入ったとき、その人に張り合おうとしなくなった時期に一致します。新しいことは新しい人に任せてなどと、妙に老成し始めた時期です。今から思えば、若さを失い始めた時だったような気もします。
いまKCPにいる学生たちは、自分たちが若さを失うなど、考えもしていないでしょう。しかし、それは何かのきっかけであっという間に襲い掛かってきます。襲われてしまったら、逃れることはほとんど不可能です。あとはずぶずぶと年寄り沼にはまっていくだけです。
これは、何もコンピューターに限ったことではありません。日本語を教えることにも当てはまります。自分自身の手で自分自身を進歩させていかなければなりません。それはきついことですが、プロに課された義務だと思います。
10月24日(月)
今日は午前中にEJUの受験票が学校に届き、午後の受験講座の出席者にはそれを渡しました。早速封を切り、自分の受験会場を確認し、近いとか遠いとか騒いでいました。Wさんは会場が駒場の東大で、会場名を見ただけでにこにこしていました。東大に入学するのと、試験会場として入場するのとでは全然違うんですからね。Kさんは会場の大学の校舎が古いと嘆いていました。校舎が最新だからといって、いい点が取れるわけじゃありませんよ。
先週末はA大学の入試でした。面接試験でどんな質問があったかを聞きました。Jさんは志望動機や学費についてなど、ごく当たり前のことだけだったようです。Cさんは志望動機を事細かに聞かれたそうです。Sさんは、物理についてを聞かれ、かなり戸惑ったとか。志望動機までは準備もし、練習もしていますが、学門的なことはどういう意図で質問したのでしょうか。口頭試問というのが入試項目としてあるのなら、物理でも数学でも聞かれて当然ですが、単に面接となっていたら、受験生としてはそこまでの心づもりはしていません。面接官がSさんに興味を持ったからそんな質問も出てきたのだとしたら大いに勝ち目はありますが、ただの気まぐれでそんな質問が出てきたのだとしたら、質問されたほうはたまりません。さて、この質問、Sさんにとって吉と出るのでしょうか、凶と出るのでしょうか。
M大学に出願したUさんは、面接は書類審査の結果が出てからだと、のんびりしています。でも、よく聞くと、書類審査の翌日ぐらいが面接本番です。ということは、書類審査に通ってから面接の準備を始めたのでは間に合いません。どうもその辺のところがよくわかっていないようです。書類審査には通ったものとして、面接の準備をしろと指示しました。
専門学校の面接を受ける学生の面接練習も始まりました。これからしばらく、気の抜けない日々が続きます。