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KCP校長ブログ

  KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。

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情報流出

10月3日(金)
 ゆうべ帰宅したら、郵便受けにベネッセからの封書が入っていました。何だろうと思って中を見ると、ベネッセからの情報流出事件に関連して、私の情報も流出したと書いてありました。ベネッセは大学に関する情報を得るために会員登録していますが、それは学校のパソコンを通してです。家では仕事をしない主義なので、自宅のパソコンでベネッセのサイトを閲覧したことはありません。ということは、学校のパソコンで会員登録するときに自宅の住所や電話番号などを入力したことになります。でも、そういう記憶は全くありませんというか、すっかり忘れていました。
 怖いなと思いました。自分がどこにどんな情報を公開しているのか、自分自身も把握し切れていないのですから。学校の私のパソコンは、受験情報を得たり教材作りの一助としたりするため、ベネッセ以外にも予備校や理科教育の団体や新聞社など、文字通りいろいろなところの会員になっています。そのときにどんな情報を入力したのか、全く覚えていません。そういうところから、毎日のように何がしかのメールが入ってきますが、それは不要だったらゴミ箱に移してしまえばいいだけで、実害はありません。しかし、自宅にまで何か押しかけてきたら、穏やかじゃありません。
 ベネッセにとっても、ベネッセからの情報流出先とされるところにとっても、子供もいない私の個人情報など、利用価値がないでしょう。自宅の住所が漏れたところでDMが来ることもないでしょう。でも、私の情報が自由に流通する状態に置かれているというのが気持ちが悪いです。
 ベネッセはお詫びとして、500円の電子マネーギフトか図書カードをもらうか、ベネッセこども基金への寄付ができるとしています。500円ぽっちの電子マネーギフトをもらってもしょうがないです。かと言って、ベネッセこども基金への寄付は盗人に追い銭みたいな気がしますから、図書カードをもらって、その分のお金を歳末助け合いかなんかに募金することにしました。

  • 2014年10月03日(金)19時59分

もう一度、例文

10月2日(木)
 期末テストの結果が出揃い、不成績な学生には呼び出しをかけました。Mさんもその1人で、早速学校へ来ました。読解、文法、漢字など、各科目の採点結果を見せ、間違い直しをさせました。アルファベットの国から来たMさんにとって、中級まで上がってきたとはいえ、漢字は難敵です。読解は時間が足りなかったと言っていました。
 合格点に届かなかった文法は、テスト範囲の各項目の例文を自分で考えて書いて提出してもらうことにしました。Mさんは2階のラウンジで例文作成に取り組みました。学期中はにぎやかなラウンジですが、学期休みの今は閑散としています。図書室並みに静かです。2時間ほどして、Mさんは例文の束を抱えて職員室に下りてきました。
 例文は、ほとんど文法の授業ごとに書かせて、教師が添削して返しています。でも、教師が書き込んだ赤をきっちり読んでいる学生は少ないんじゃないかと思います。同じ間違いを繰り返す学生が少なからずいます。「こういう説明でわかるかなあ」と思いながら書いた説明に対して質問してくる学生はめったにいません。Mさんの間違え方を見ると、Mさんもそんな学生だったんだろうなと思います。
 今日は、Mさんと1対1で話ができます。間違いについてゆっくり詳しく説明ができます。Mさんがどういう考えでその文を書いたかもじっくり聞けます。Mさんの例文を一つ一つ見ながらいい例文はほめ、変な例文はその文法の肝を噛み砕いて教えました。日本人の発想法にまで踏み込んで、なぜその例文がおかしいかを説明する場面もありました。
 Mさんは「今日の授業はとても楽しかったです」と言ってくれましたが、本当は通常授業でここまで理解を深めさせなければならないんですよね。ファッション関係に進もうとしているMさんに合わせて表現すれば、今日はオートクチュールでしたが、ふだんの授業はつるしでしょうか。せめてプレタポルテと呼ばれるくらいのレベルにはしたいですね。

  • 2014年10月02日(木)19時43分

50周年

10月1日(水)
 50年前の1964年の今日、東海道新幹線が東京―新大阪間で開業しました。新幹線は、世界各地で鉄道斜陽化が叫ばれる中、工事が進められました。それゆえ、工事中は無用の長物だとか予算の無駄遣いだとか、散々の言われようでした。しかし、今は1日約300万人、年間で1億人以上が利用する、日本に根付いた交通機関へと成長しました。日本だけにとどまらず、新幹線の成功によって世界の鉄道が高速化に向かったことは歴史が証明しています。
 新幹線は当時の最先端技術の結晶、日本のオリジナリティーの象徴であるかのようによく言われますが、それは違います。計画の時点ですでに確立され、実績のある技術を組み合わせてつくられたのです。最先端技術は1つもなかったといってよく、日本のオリジナリティーがあったとすれば、その既存技術の組み合わせ方と、そうやって作り上げたシステムの運営法にあります。
 だから新幹線は技術的に劣っていると言うつもりはありません。技術的な基盤がしっかりしていたからこそ、開業以来乗客死亡事故ゼロという記録をいまだに伸ばし続け、雪や地震など天災による場合も含めた1列車あたりの平均遅延時間が1分未満という正確さを生み出しているのです。これだけ安全性にも正確性にも信頼の置ける安定した交通機関は、世界のどこにもありません。
 新幹線が開業したころから、日本の高度経済成長が始まりました。これを支えたのも、実は最先端の技術ではなく、新幹線型の技術でした。最も優れている技術を組み合わせ、調整し、磨きをかけて、より一層優れたものに仕上げていくという手法です。さらにはそこに従事する人々を訓練・教育し、そこに使われている技術を隅々まで使いこなせるようにしていき、顧客満足度の高いサービスを行ってきました。
 ただ、今の新幹線は、サービスの基準が「速さ」に偏りすぎていると思います。新幹線が一番輝いていたのは、100系と呼ばれる2階建て車両が東京―博多間の主力として活躍していた頃だと思います。当時私は山陽新幹線沿線に住んでおり、出張の際に2階部分のグリーン車に乗り(東京までの普通車往復の料金に数百円足すだけでグリーン車に乗れる割引切符がありました)、2階にあった食堂車で食事したものです。車内にゆとりがありましたね。今は外形も飛行機に似てきたし、シートベルトこそないものの車内の雰囲気も飛行機に近いものを感じます。
 50年後は、リニアが主役になっているかもしれません。そのとき、新幹線はどんな100周年を迎えるのでしょう。私がこの世にいる確率は限りなく低いですが…。

  • 2014年10月01日(水)17時35分

眠らない街?

9月30日(火)
 都バスが去年の12月から実施していた渋谷―六本木間のバスの24時間運行が廃止されるということです。乗客が少なく、採算ラインに遠く及ばないというのが理由です。24時間運行が始まったときは、いずれはニューヨーク並みに地下鉄の24時間運行も始めるかもしれないとのことでした。しかし、東京人はニューヨーク人ほど夜の街を闊歩したがらなかったようです。まあ、深夜に渋谷と六本木の間だけ自由に移動できても、その前後はタクシーですから、それだったら中途半端にバスなんか使いませんよね。公共交通はネットワーク化が必要です。
 また、すき家は、明日から約6割のお店で24時間営業をやめるとのことです。こちらは悪評高いワンオペをなくすためですが、なぜワンオペを始めたかというと、お客さんが少なくて2人以上の人件費がかけられなかったからです。まあ、お客の方だって、夜中の2時ごろだったら、たとえすき家が閉まっていても文句は言いませんよ。24時間営業がなくなったって、大した影響は出ないんじゃないでしょうか。
 東京は眠らない街だなんて言われていますが、やっぱりちゃんと眠ってるんです。眠らないこと、起きていることを前提するのではなく、眠るのが当然だと考えた街づくりが本来の姿なんじゃないでしょうか。もちろん、私たちの生活を支えるため文字通り眠らずに働いている人たちもいます。でも、これから日本全体がまだまだ高齢化していくことを考えると、交通機関の24時間運行や、ファストフードやコンビニなどの24時間営業に対する要求がこれ以上盛んになるとは思えませんし、盛んにする必要もないと思います。
 人間、やっぱりしっかり眠らなくっちゃ。私も学期休み中くらいは、早く帰ります。

  • 2014年09月30日(火)19時15分

自分で動く

9月26日(金)
 Cさんが第一志望のG大学の大学院に合格しました。超難関と言われているところの正規生ですからね。今年の受験シーズン、幸先のいいスタートが切れました。
 Cさんは今年の春にKCPに入学したときから明確な目標を持ち、それに向かって計画的かつ精力的に努力してきました。入試に必要だということで、国ではあまり勉強してこなかった理系の科目にも果敢に立ち向かっていきました。EJUを受ける理系の学生に分けてもらいたいほどの熱心さでした。
 G大学大学院は、毎年難解な英語の専門論文の和訳問題を出します。それへも周到に対策を立ててきました。過去問を自分で訳してみて、それを受験講座の英語担当者や理系を受け持つ私のところに持ってきて、添削を依頼するという具合です。1から10まで教えてもらうつもりでいるのではなく、まず自分で動くという姿勢に感心させられました。
 もちろん、研究計画書をはじめとする出願書類も怠りなく準備し、面接練習もきちんと受けて、フィードバックに謙虚に耳を傾けていました。つまり最初から最後まで非の打ち所のない動きをしてきたのです。これだけのことができる人材なら、G大学大学院じゃなくても、どこの大学院でもほしがりますよ。Cさんは、自分の力で研究が進められて成果を出していける研究者だと認められたのでしょう。
 学校中がCさんみたいな学生ばかりだったら進路指導の教師は楽なのですが、残念ながらそうは問屋が卸しません。大天狗様や超楽天家がそこいらじゅうにいます。「水と学生は低きにつく」を地で行く学生も十指に余ります。さて、今シーズンはどんな方向に進んでいくのでしょうか。

  • 2014年09月26日(金)17時58分

模範解答作成中

9月25日(木)
 6月のEJUの問題が発売されましたから、先週から授業の合間に理科と数学の問題を解いています。ただ正解の選択肢に〇をつけるだけでなく、なぜそれが正解なのかの解説も書いています。数学や物理なら式の誘導、化学なら根拠となる化学反応式や理論、生物なら理論や問題に付いている図表の見方も加えていきます。授業ですぐに使えるように、学生に渡して学生が理解できるようにと考えながら書き進めます。ですから、時間がかかります。学生には化学は30分以内で解けと言っていますが、私はその数倍の時間をかけて解答を作ります。
 こうした解答を作るのが一番難しいのが、数学のコース1です。文系の学生向けですから、理系人間の想像を越えるようなところで疑問を抱くことがあります。かと言って、中学の数学の解説みたいなのが続いてしまったら冗長になってしまいます。そのあたりの勘所というか、見極めが一筋縄ではいかないのです。
 その点、数学コース2は理系の学生相手ですから、阿吽の呼吸みたいなもので解説を進められます。問題そのものは難易度が高いですが、勘所がつかめるので説明もバシバシ省略でき、私のペースで話を進められます。
 そうなんですね、自分と相手の間に共通の理解があれば話は進めやすいのですが、それがないと相手の頭の中を推し量る手間が必要です。1学期間受け持った学生との間には目で語り合う関係ができています。Aさんならこれぐらいはわかるだろうとか、Bさんにはこれは難しいかなとか、Cさんはきっとこんな反応してくれるだろうとか、Dさんならこういう言い方をすればこちらの気持ちがわかってくれるはずだとかっていうのが見えています。せっかく築いた関係ですが、今日が今学期の最終授業日で、その心地よい関係ともお別れです。

  • 2014年09月25日(木)19時18分

秋の交通安全運動

9月24日(水)
 どうもおまわりさんの数が多いと思ったら、21日から秋の交通安全運動が始まっていました。昨日あたりも、自転車が赤信号なのに交差点に進入して、おまわりさんに注意されているのを見かけました。ついいつもの癖で、この交差点は交通量が少ないからと思って止まらなかったのでしょう。
 確かに、横から車が来る気配もないのに信号が青に変わるまで1分ぐらいボケッと待っているのは、急いでいるときはことにじれったいし、あほらしく感じることもあります。左右をよく確認して安全なら渡ってしまうほうが合理的かもしれません。しかし、法律とかルールとかは、どんな場合でも誰でも守るということを前提にしています。自分勝手に例外規定を設けてはいけません。事故にあったら自己責任だなんてダジャレみたいなことを言っても、相手方にとっては大迷惑です。
 何より怖いのは、いつもの癖でというところです。悪い習慣に染まってしまうと、きちんとルールを守らなければ自分の身に危険が及ぶときにも、その危険な方向に自然に体が動いてしまうものです。また、みんながいつもの癖でなんて言っていたら、ルールが体を成しません。
 新校舎を使い始めて半年近く経ちました。新校舎を使うに当たってのルールをいろいろと定めましたが、最近それが守られていない場面が目に付くようになりました。教室、ラウンジ、トイレ、校舎のいたるところに汚れが見られます。使う人がいい加減だと、後から掃除をしたところで追いつきません。一人ひとりが「いつもの癖で」をやっていると、輝いていたはずの校舎がくすんでしまうのは、あっという間です。授業中に消しゴムのカスが出るのはしかたがありません。でも、そのカスをそのままにして教室を出たら、次にその机を使う人は気分がよくないでしょう。だからといって机の上から払って床に落としたら、床にカスがこすり付けられて黒ずんでしまいます。
 今日は全クラスでそういう意味の注意をしました。私のクラスの学生は、なるほどという顔をしていました。来学期以降もずっと、気持ちよく校舎を使っていきたいものです。

  • 2014年09月24日(水)17時13分

Dさんの姿

9月22日(月)
 お昼を食べて帰ってくる途中、近くの新聞販売店の店先でDさんが夕刊の配達の準備をしているのを見かけました。Dさんは数年前にKCPを卒業し、今はN大学に通っています。KCPにいたときは、はっきり言っていい学生ではありませんでした。よく欠席するし、授業態度もよくないし、教師の手を焼き続けた学生でした。
 しかし、卒業後しばらくして会ったあたりから、人柄がガラッと変わりました。KCP在学中は間違ってもDさんのほうから教師に声をかけてくるなんてなかったのに、道でばったり出会ったら、実に愛想よく「先生、こんにちは」なんて挨拶してくるじゃありませんか。こっちのほうが戸惑ってしまったくらいでした。以後、会うたびに挨拶してくるようになりました。顔つきも、KCPにいたときはどんよりしていたのが、さわやかな感じになりました。
 新聞配達は、毎日朝と夕方きちんと仕事をしなければならない厳しい仕事です。学校をよく休むような学生が続けられるとは思っていませんでした。でも、現に今まで続いていますし、この調子ならきっと就職するまで続けることでしょう。人格的な面までしっかり教育できるのですから、販売店の親父さんはよっぽどしっかりした人なのに違いありません。少なくとも、Dさんに関しては私たちよりもずっと人間性を高める教育をしたことは確かです。
 今のKCPにも、私たちの手に余る学生がいます。そういう学生に対して、とかく私たちは「どうしようもない」なんていう言葉で片付けてしまいがちです。そんな学生にかかわっている暇があったら他の私たちの力を必要としている学生の面倒を見るべきだ、なんて考えて、その学生を置き去りにしてしまうこともあります。今日もDさんの真剣な姿を目にして、少しばかり反省させられました。

  • 2014年09月22日(月)17時22分

スコットランドの住民投票

9月19日(金)
 スコットランドの独立の是非をめぐる住民投票が行われました。独立反対の票が多数を占めたため、スコットランドは今後も連合王国の一部として残ることになりました。スコットランドが独立しないことになり、日本にとってよかったのかどうか、もし独立したらどんな影響があるのかなどは、専門家が議論していますからそちらにお任せしましょう。
 私が驚かされたのは、投票率の高さです。報道によると84.6%という高率だそうです。人口数百人の村ならいざ知らず、数百万人の「国」といってもいい規模(現に独立推進派は立派なひとつの国だと信じています)でのこの数値は驚異的です。
 日本でもたまに住民投票が行われますが、投票率が50%に達しなかったため開票しないとかっていうケースもありました。首長選挙、議員選挙などでは、最近は50%を割り込むほうが普通かなとも思わせられています。今の日本でこれだけの投票率を挙げられるテーマってなんだろうと考えてみました。原発再稼動も、消費税10%も力不足でしょう。首相公選も、たとえ民主党の全盛期にやったとしても、84.6%なんていう数字は出なかったに違いありません。ということは、日本人をそこまで引き付けるテーマが今の日本にはないってことですね。
 私は選挙のたびに投票していますが、今回のスコットランドの人々ほど燃えて投票しているわけではありません。惰性とまでは言いませんが、何が何でもこの人に入れなきゃというほどの強い意志で投票しているわけでもありません。一度ぐらいはそういう気持ちで選挙してみたいものです。
 この高い投票率は全世界に誇っていいものです。スコットランドはスコッチウィスキーだけではありません。どういう結果にせよ、スコットランドの人々に幸あれと願わずにはいられません。

  • 2014年09月19日(金)21時03分

好みの問題? ゆとりの問題?

9月18日(木)
 KCPの職員室には印刷機があります。教材やテストや事務の書類などを印刷する時に使います。毎日大活躍しています。印刷ではなくコピーで済ませていたら、コピー代が天文学的金額になることでしょう。
 その印刷機ですが、KCPの教職員は老若男女を問わず、使い終わったら印刷原稿と刷り上ったものを持っただけで印刷機から離れます。給紙台の未使用の白い紙はそのままです。次に使う人は、たまたま同じサイズの紙に印刷する場合は給紙台の紙が使えますが、違うサイズの場合は給紙台の紙を片付けて、改めて自分が使うサイズの紙を置くことになります。
 私はどうもこの習慣が好きになれません。KCPの前に勤めていた会社では、新入社員のとき、何かを使ったら原状復帰せよとがっちりしつけられました。どんなに急いでいても使いっぱなしは厳しく叱られました。次に使う人がすぐに使えるようにという発想です。こういう考えが染み付いているため、印刷機の給紙台に置きっぱなしの紙を見ると、自分が使うわけではなくてもイラつきます。そのたびに、私は受けてきた教育が違うんだからと思いながら、さり気なく紙を棚に戻します。
 要は印刷した人の立場に立つか、印刷する人の立場に立つかの違いです。私がいた工場は後者の考え方をとり、それがこの学校では超少数派だということです。仕事を進める上で、両者に埋めがたい差があるとは思えません。もしかすると好みの違いというレベルの話かもしれません。でも、好みと言われたら、私は絶対に「使った人が片付ける」です。そこには誰かのためにという優しさがこめられているように思うのです。印刷機の場合、その「誰か」はごく身近にいる教職員です。隣人愛などと大げさなことを説くつもりはありませんが、給紙台の紙を片付けないというのは、仲間を思うゆとりが足りないように思うのですが。
 まあ、KCPはみんな忙しいですから、それどころではないというのも一面の真理じゃないかとも思います。本当に合理的なのは、どっちなんでしょうね。

  • 2014年09月18日(木)20時22分

パワーポイントのパワー

9月17日(水)
 夏休み明けから取り掛かってきた中級クラスの期末タスクの発表会がありました。グループで分担して、ある社会問題について調べ、自分が担当した部分を発表するというものです。もちろん、全体で大きな流れができていなければなりません。今学期はPCを活用することにし、パワーポイントで資料を作って発表してもらいました。今までは模造紙に図表などを描かせていたのですが、せっかく立派な設備を作ったのですから、それを大いに使ってもらおうじゃないかという考えで始めました。
 タスクの初日にパワーポイントを使ったことがあるかをクラス全体に聞いてみると、半分ぐらいの学生が手を挙げました。そりゃそうですよね。どこの国の若者もでもそういうのを普通に使いこなすのが当たり前に近くなってますからね。ということで、各グループ何名かの使い手を割り振ることができました。いろいろと紆余曲折がありましたが、何とか発表までこぎつけました。
 発表を見ると、確かにパワーポイントはよくできています。聞き手の目を奪う写真なんかも取り入れて、聞き手を自分たちのほうに引き寄せようという工夫が感じられました。しかし、発表のときにそのスライドを活用していたかというと、そうは言えませんでした。スライドをバックに原稿を読むというスタイルばかりで、スライドの出来がいいだけにかえって浮き上がってしまった例が後を絶ちませんでした。学生たちの日本語力がパワーポイントの技量に追いついていなかったとも言えます。
 これはそのまんま私たち指導者側の反省事項であり、次の学期からの課題です。このタスクを「いい経験」止まりにするのではなく、そこから実質的に何かを得させることを考えていかなければなりません。模造紙時代には感心させられる発表が少なからずありましたから、パワーポイントでもきっとできるはずです。それを引き出すのが、私たちの仕事です。

  • 2014年09月17日(水)18時26分

地震に驚かず

9月16日(火)
 授業後、Hさんにテストをしようとしていたら、突然揺れ始めました。「先生、地震です」と不安げな顔でHさん。その声を聞いて、そばにいたYさんは「え、地震ですか?」とわりと平気な顔をしていました。ちょっと来たなっていう感じの地震は久しぶりでしたが、程なく揺れが収まり、一安心。テストが始まったら、Hさんもそれに集中して、地震のことなど忘れてしまったようでした。
 気象庁の発表によると新宿付近は震度3で、ちょっとした地震でしたが、ちょっとだけですね。午前の授業と午後の授業の合間で、学生の人数が少ない時間帯だったこともあり、学校の中は平穏を保っていました。午後の受験講座でもこの地震は特に話題になりませんでした。
 私がちょっと驚いたのは前述のYさんです。Yさんの国は地震がなく、わずかな揺れでも大騒ぎをするというのはYさんの国の学生たちでした。しかしYさんは震度3にも全く動ずることなく、揺れている最中も落ち着き払っていて、平然と教室から去っていきました。Yさん自身がそういう性格の人なのか、来日してからだいぶ経ちますからもう慣れてしまったのか…。
 たとえもっと激しい揺れでも、この新校舎はびくともしないはずです。このビルがつぶれるような揺れだったら、東京中どこにいたって助かりません。潔くあきらめるほかありません。Yさんはそこまで知っていて平然としていたのかどうかわかりませんが、地震にしろ大雨にしろ、正しく怖がることが肝心です。感度が鈍すぎて逃げるべきときに逃げなかったら命を失うおそれがあります。でも、不必要に怖がっていたら、日常生活に支障をきたしかねません。
 KCPは校舎の耐震性は折り紙つきで、尾根筋に建っていますから多少の雨でどうにかなるような心配はありません。安心して勉学に打ち込める環境が整っています。

  • 2014年09月16日(火)18時28分

聞いて覚える

9月12日(金)
 Jさんはアルファベットの国から来た学生です。多くの先輩がそうであったように、Jさんもまた漢字を苦手にしています。それでも初級までは何とかついてきていましたが、中級に上がってからは漢字テストで不合格になることもしばしばです。どうすれば漢字の力が付くか、職員室まで相談に来ました。
 中級は毎日漢字の授業があります。1日に5字ずつ勉強し、翌日復習テストがあります。Jさんは家でちゃんと復習しているのですが、この復習テストで点が取れません。日本の小学生や中学生がやるように、何回も何回も書いて覚えようとしていますが、あまり実を結んでいません。漢字が覚えられないことから、読解も文法も思うように成績が伸びておらず、進級が危ういと焦りを感じているのです。ということで、ほかに何かいい方法がありませんかというのが相談の趣旨です。
 正直に言って、私も書いて覚えた口ですから、それがダメとなるとこれはというのが思い浮かびません。Jさんと同じ国から来て漢字が得意だった学生も、やっぱり書いて覚えていましたから、これが万国共通の覚え方なんだろうと思います。
KCPの漢字の教科書には、CDが付いています。このCDには教科書に載っている例文が録音されています。そこで、書く練習をした上でこのCDを聞き、例文を聞き取って漢字で書く練習をしてみてはどうかと提案しました。漢字と同時にその漢字を使った抽象語彙も覚えていきます。CDから聞こえてきた文を書き取る練習をすれば、生きた形で単語を使う練習にもなります。それが総合的な日本語力を伸ばすことにつながるのではないかと思います。
 「やってみます」と言いながらJさんは帰っていきました。期末テストが近づいてきました。Jさんはこの新しい勉強法によって進級できる成績を収められるでしょうか。見守っていきたいです。

  • 2014年09月12日(金)19時31分

緊張しすぎ

9月11日(木)
 面接練習シリーズ2日目はKさん。入室・着席したときから緊張していることが手に取るようにわかりました。声もかすかに震えています。ちょっといじめてやろうかとも思いましたが、明日が本番なので自信をなくされても困りますから、むしろ答えやすい質問で助け舟を出してやりました。いや、出してやったつもりだったのですが、それがさっぱり助け舟になりませんでした。立ち往生すること数回、泣き出さなかっただけでも多としなければならない出来でした。
 担任のM先生によると、Kさんは妙に自信を持っていて大丈夫を連発していたとか。KさんがKCPで唯一緊張する教師が私だということで、この面接練習に至ったのです。私は日頃学生に対してそんなにプレッシャーをかけているつもりはありませんが、存在自体がプレッシャーなのでしょうか。風格や貫禄がにじみ出ていると言ってくれるなら光栄極まりありませんが、学生のほうが「校長」という肩書きに対して勝手にプレッシャーを感じているだけだとしたら、若いのに権威主義に陥ってしまい、情けない限りです。
 クラスの学生も、どうも私の前では多少いい子になっている節が見られます。一緒に同じクラスを持っている他の先生がおっしゃる学生像と、私が実際に目にする学生の姿との間に違いを感じることが時々あります。その先生に指導力が備わっていないのならいざ知らず、そういう面では定評のある先生の口から私のイメージとは異なる学生の行状を耳にすることもあります。
 Kさんもまんざら知らない仲ではありませんでしたからあんなに緊張することはなかったんですがね。でも、そのおかげでKさんが明日の面接にあまり緊張せずに臨めたら、面接練習をした甲斐があったというものです。

  • 2014年09月11日(木)19時31分

シーズン到来

9月10日(水)
 面接練習を3人しました。受験シーズンが近づき、私もいよいよ始動です。今年は夏休みが遅かったせいか、唐突に面接練習の季節が現れたような気がします。
 3人とも上級の学生でしたが、このうちかなりしっかりと準備してきたと思われるのがSさん。すきのない答えで、自分のやりたいことを存分に伝えられていました。面接を自分で組み立てていく余裕もありました。
 KさんとYさんは、ちょっと油断していたんじゃないでしょうか。受け答えはできています。でも、内容がもうひとつ伴っていません。逆に、日本語に自信があるばかりに、内容の薄さを言葉の多さで糊塗してしまおうという感じがしました。ですから、鋭く突っ込まれて言葉に詰まってしまったときに、いかにも立ち往生してしまった空気を振りまいてしまうのです。
 学生のほうも、入学が半年以上も先となると、入学試験という実感が湧かないんじゃないでしょうか。KさんやYさんが不真面目だとか受験生としての心構えが足りないとかっていうつもりはありません。入試がちょっと早すぎるんですよ。でもSさんみたいに入念に準備している学生もいるんですから、KさんもYさんもすぐそこまでに近づいた本番までには、体調の上はもちろんのこと、頭脳面でもベストの状態に持って行ってもらいたいものです。
 明日も明後日も面接練習の学生が待っています。その学生たちを血まみれにするくらい気合を入れていかないと、これからもっと大量に押し寄せてくる学生たちをさばけません。12月のJLPTの出願受付も始まり、なんだか急に年末が迫ってきたような気がしました。

  • 2014年09月10日(水)22時05分

10月からまた

9月9日(火)
 8時20分頃、「先生、学生が呼んでますよ」と声をかけられ、職員室前のカウンターまで出て行くと、先学期学校を辞めたBさんがいました。Bさんはワーホリのビザで来日してKCPで半年勉強し、進学のための資金をためるためにこの3か月間はひたすら働き、10月からまたKCPに戻ってくるとのことです。先学期の期末テストは全科目合格していますし、話してみたところ日本語力が衰えた感じは全然しませんでしたから、新学期は1つ上のレベルで勉強することになります。
 Bさんはちょっとお金のかかる専門学校を狙っていましたから、勉強のかたわらアルバイトというのでは追いつきませんでした。実際、先学期の最後のころはアルバイト先からまっすぐ学校へ来て、授業の直前まで教室で寝ているということもありました。Bさんの偉いところは、どんなに辛くても学校を休まず授業中も寝なかったことです。そして、思い切っていったん退学して稼ぐことに専念し、後顧の憂いをなくしてまた勉強し始めようという点です。
 こういう計画を立てても実行に移せる人はわずかです。多くの学生はワーホリの「ワー」の部分に気持ちが行ってしまい、勉強がおろそかになりがちです。Bさんはそんな悪魔の誘惑に負けることなく、退学した日に買った次のレベルの文法の教科書を少しずつ勉強してきました。朝の授業前だったので仕事の話までは詳しく聞けませんでしたが、言葉の節々から自分の最終的な夢を片時も忘れなかったことがうかがわれました。
 昨日から、来学期の受験講座の説明をしています。大学に進学したかったら勉強中心の日々のスケジュールを立てるようにと口を酸っぱくして言っています。しかし、Bさんよりずっと恵まれた経済状況なのに、アルバイトの合間に勉強っていう毎日に陥ってしまう学生が後を絶たないんですよね。経済的に恵まれすぎて余計なものに手を出して勉強に集中できなくなっちゃう学生も絶対に出てくるんですよね。
 始業時刻が近づいてくると、「あら」なんて言いながらBさんと同級だった学生が登校してきました。友達の多かったBさん、いろんな人から声をかけられていました。クラスを引っ張ってくれそうなメンバーが戻ってきてくれて、心強い限りです。

  • 2014年09月09日(火)18時37分

贅沢な時間

9月8日(月)
 夏休みは、不完全燃焼でした。3年越しぐらいの課題である、四国のそして西日本の最高峰である石鎚山(標高1982m)に今年も登れなかったからです。麓の西条から南の方向を見上げては雲に包まれた石鎚山を見やり、ため息をつく毎日でした。夏休みの前の週の天気予報では、週の中ごろはまあまあのお天気に恵まれると言っていたのに、直前にその予報が覆りました。入手可能なデータを基に私が立てた予報でも、せいぜい曇り、悪くすると雷というものでした。西日本の最高峰に立って下界が何も見えなかったらやっぱりがっかりだし、それ以前に雲海の中で登山道から外れてしまっては遭難しかねません。ましてや雷などとなったら命の危険すらあります。
 その代わり、1つの博物館を1日かけて、隅から隅まで、キャプションをすべて読み、映像もばっちり見て、触れるものにはすべて手を出して見学するという贅沢な時間の使い方をしました。伊予西条駅(「加茂鶴」などで有名な酒どころの広島の西条と区別するため、駅名には愛媛県の旧国名の「伊予」が冠されています)からバスで20分ほどのところにある愛媛県総合科学博物館に開館から閉館までい続けて、特別展も常設展もじっくり見学・体験してきました。
 新学期の始まったばかりの平日ですから遠足などもなく、がらがらの館内をわがもの顔で歩き回りました。この博物館は「総合」と名乗っているだけあって、宇宙から私たちの体の中まで、幅広く取り扱っています。受験講座の授業のヒントになりそうな展示も、純粋に私の興味を満足させてくれる展示もあり、知的な刺激を強く受けました。愛媛県には西予市に歴史文化博物館があります。こちらも非常に充実した展示があったのですが、何年か前に時間の都合で2時間ほどで泣く泣く出てきたことがあります。次回は歴史文化博物館で同じことをしてみたくなりました。
 というわけで、石鎚山はまた宿題となってしまいました。東京に戻ってきたら、なんだか秋じゃありませんか。デング熱を置き土産にして、夏は去ってしまったのでしょうか。

  • 2014年09月08日(月)20時54分

国の代表

8月29日(金)
 今朝、地下鉄の車内で本を読んでいると、私の隣の空席に腰を下ろそうとした人が、発車のショックで電車が揺れたため、私にぶつかってきました。ちょっと体が触れたという程度ではなく、座っている私の体勢が崩れるくらいでした。当然一言あってしかるべきだと思っていましたが、その人は何事もなかったかのように目指した席に座り込みました。それどころか、座るや否や髪をとかし始めました。お前の髪の毛が落ちてきたぞと言わんばかりにズボンのひざの辺りのほこりを払いのけたのですが、全く動ずるところがありませんでした。
 相当ムカッと来たので肘鉄でも食らわしてやろうかと思ったら、その人はかばんから本を取り出して読み始めました。N2の文法の本でした。こいつ、N2の本なんか読んでるけど、日本語で謝れないんだなって思いました。ろくな会話もできずにN2なんか受けたって無駄だよってのろってやりました。
 その人が読んでいたN2の本は、日本人なら何語かすぐわかる言葉で解説が書いてありました。私は日本語教師ですから、N2を受ける人の中には「すみませんでした」も言えないようなできの悪いのもいるってことはよくわかります。でも、普通の日本人はその本のその言葉を目ざとく見つけ、あの国の人は無礼千万だと思うかもしれません。いや、ぶつかってきたのに何も言わなかった時点で「テメー、この野郎!」ってなるかもしれません。
 日本の中で日本人が多少失礼なことをしても、「近頃の若い者は…」ぐらいでしょう。しかし、外国人は、好むと好まざるとにかかわらず、自分の国を背負っているのです。自分の無作法が、「だから〇〇人は…」っていう自国を貶める評価につながりかねないのです。今朝、私の隣に座った人はそんなことは全く感じず、私と反対側の隣の人が席を立ったら片足をその席に乗せてN2のお勉強に励んでいました。
 まさかKCPの学生はこんなことをしてないよねって祈りつつ、やっぱりちょっと不安になりながら、下車駅まで過ごしました。明日から夏休みですが、KCPの皆さん、恥のかき捨てみたいなことはしないでくださいね。

  • 2014年08月29日(金)18時49分

お茶会の美しさ

8月28日(木)
 茶道を習っているHさんに誘われて、本当に久しぶりに、お茶会に出ました。1年半にわたる仮校舎の時は、お茶会は四谷区民センターの和室で開いていましたが、それにはとうとう一度も出ずじまいでした。その前も、受験講座などの時間が重なって、しばらく出ていませんでした。ですから、短く見積もっても3年ぶりぐらいではないでしょうか。
 7階の和室には、ほんの気持ち程度ですが、日本庭園があります。その日本庭園の片隅に蹲(つくばい)があり、そこで手を洗い口を清めて、茶室に上がります。床の間には「瀧」の掛け軸が。かなり本格的ですよ。そういう方面は全く不調法なのに正客にさせられそうになったのですが、卒業生のLさんが正客の位置についてくれて、助かりました。正客は自分がお手本にならなきゃなりませんから、心得がないものにとっては辛いものがあります。
 待つほどもなくHさんが部屋に入ってきて、お点前を披露してくれました。何度見ても、茶道って様式美ですね。動作の合理性より美しさを追求し、それを客に見せることで客の心を清涼感で満たします。1歩か2歩で行けちゃう距離を3歩か5歩かけて歩く姿には、がさつさはなく、見ているだけで心の波立ちが収まってきます。1つ1つの動作にはきっと意味があるのでしょうが、それを悟るには私はあまりにも経験不足です。
 もちろん、お茶もお茶菓子もおいしくいただきました。コスモスをあしらったお茶菓子は、先週ぐらいの暑い日に眺めたらほのかな秋の気配が感じられて趣深かったのでしょうが、今日のような肌寒ささえ覚えそうな日では、せっかくの趣向が減じられて少し残念でした。
 お茶会から戻ったら、程なく受験講座。心なしか頭が速く回転したような気がします。

  • 2014年08月28日(木)19時14分

お祝い

8月27日(水)
 今年は夏休みが1週間遅くなったおかげで、おそらくこの学校に勤めてから初めて、誕生日に学校へ来ました。しかし、誰からも「おめでとう」といわれることもなく、授業も淡々と進み、テストの採点などいつもと同じように授業後の仕事をして、夕方を迎えております。今日のテストはあんまり成績がよくなく、誕生日プレゼントにはなりませんでした。唯一、今大学4年になっているKさんからFaceBookでお祝いのメッセージをいただきました。
 50をいくつも越えると、誕生日だからってうれしいこともありません。むしろ残りの時間が短くなったことを実感させられることのほうが強いです。テレビなんかで私が生まれた年に創業した店が「老舗」って紹介されると、急に年をとったような気がしてきます。それでもまだ老け込む年ではないと思っていますし、風邪なんか引かないことにかけては、学校の中で一番ではないかと密かに自負しています。
 これからどんなふうに年を取っていくのだろうかと考えることがよくあります。体が自由に動くうちに、歩き遍路はしておきたいと思っています。多くの人が人生観が変わったと言っていますから、歩き続けて私もそういう境地に達してみたいのです。ランナーズハイならぬウォーカーズハイになるんでしょうね。
 また、学生たちの国を経巡ってみたいと思っています。それぞれの学生のそれぞれの国のお国自慢を聞いていると、やっぱり行って実際に見たり味わったりこの手で触れたりしたくなるのです。こちらのほうも足元がよぼつく前にしなきゃなりません。こうして考えると、おちおち仕事をしている暇なんてありませんね。
 それでは、これから自分で自分にお祝いをあげにいくことにします。

  • 2014年08月27日(水)19時00分
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