KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
8月26日(火)
Pさんは今学期中級クラスに入った新入生です。とっても明るく、クラスの中でも人気があるのですが、漢字が極端に弱いのが最大の問題点です。中間テストでは、読解はクラスの最高点と取った一方で、漢字は最低点に甘んじています。今日の漢字テストも、惜しいところで不合格でした。
Pさんは料理の専門学校を目指しています。面接練習で若干幼さの残る話し方を矯正していけば、人当たりもさわやかですし、合格も夢ではありません。しかし、進学してからやっていけるかとなると、大きな疑問符を付けざるを得ません。漢字に振り仮名が付いていなくちゃ読めないようじゃ、お先真っ暗です。
漢字が読めなくたって何とかなるさと高をくくって進学した学生が、進学後1、2か月で悄然として「専門学校の授業は厳しい」と報告に来た例をいくつも知っています。日本人と同じという授業環境にあこがれて入学したものの、漢字に関しても日本人と同じで手加減してもらえず、沈没しかけているという次第です。このままでは、Pさんもこういう学生の二の舞を演じかねません。
何はともあれ興味を持ってもらうこと、敬遠せずに向かっていく気概を持つことが、漢字の苦手意識払拭には欠かせません。興味を持たせることに関しては、最近の初級の漢字教科書はどれも工夫が凝らされています。しかし、Pさんのような中級の学習者向けの漢字教科書は、それまでの積み重ねがあることが前提となっていますから、初級で漢字の勉強をしてこなかった学習者には辛いものがあるかもしれません。
最近、Pさんのように、能力のバランスが悪い新入生が増えています。「能力のバランスが悪い」と言いましたが、これはあくまで教える側の勝手な言い分です。学生の側からすれば、自分の興味の赴くままに勉強したら漢字だけ置いてけぼりを食ってしまったというところでしょう。進学とかっていう希望を持っている学生は、必要ならこのバランスの悪さを何とかしてもらいたいと思っているのでしょう。とすると、今の中級の漢字教育は力不足かもしれません。難しい教科書だけどがんばれってあおるだけでは、学生はついていけません。でも、学生の努力に負う以外、名案がないのもまた事実です。
8月25日(月)
日が射さず雨もぱらついたからでしょうか、今日は最高気温が30度に届きませんでした。お昼を食べに外に出ても、暑くてやりきれないという感じは全くしませんでした。そりゃそうですよね、8月も下旬ですから暑さが収まり秋風が立っても何の不思議もありません。今年は学校の夏休みが例年より1週間遅いので、今週いっぱい授業で休みは9月になってからです。こうなると「夏休み」という名前にいくらか疑義が生じます。それとも、夏休みにあわせて暑さがぶり返すのでしょうか。
Tさんは先々週まで私が持っていた初級の学生です。読むのと書くのはまあまあなのですが、聞くのと話すのが極端に弱いです。中間テストも不合格ではありませんでしたが、決していい成績とは言えません。来学期進級できるか不安な成績で、それは本人も自覚しています。今日も午前中学校へ来てY先生と会話の練習をしていましたが、スムーズな会話ができません。
教科書を音読することはできます。でも、言いたいことを日本語の文にして話すことはできません。それから、耳から入った音を頭の中で日本語の文にすることができません。どうやら、文を創造することが苦手なようです。
こういう学生をどうやって伸ばしていくかって、とっても難しいと思います。1対1で会話の練習を続けるのが一番いい方法なのでしょうが、非常に手間ひまがかかり、Tさんが思っているように次の学期の進級に間に合うかどうかわかりません。続ければ確実に力が上がりますが、学校には学期という時間の制限があり、そこが問題です。同じレベルをもう一度っていうのは、どんな学生も嫌がります。Tさんも文法項目は理解できていますし、進学という目標もあるし、話せないからって来学期も同じレベルっていうのは嫌に決まっています。
Tさんにとって来週の夏休みは非常に大きな意味を持ちます。教科書のCDを聞いて口頭練習を繰り返せば、夏休み明けにあるいは今よりだいぶ上達しているかもしれません。文法の練習問題かなんかばっかりしていたら、聞く力も話す力も退化しかねません。夏休みが終わったら来日当初に戻っていたなんてことになってたら、それこそ悲劇です。
単に勉強すればいいというものではありません。正しい勉強のしかたで、自分に必要な力をきっちり伸ばしてもらいたいです。
8月22日(金)
初級の進学コースの授業で学生にテキストを音読させたら、うなっちゃうぐらい下手でした。読ませた文章が難しめだったことを考慮しても、ちょっとねっていう出来でした。テキストは先週配っていて、テキストに関する問題をやってくることになっていましたから、予習はしてきているはずです。現に、問題はよく解けていましたから、テキストそのものに目を通していないことはありません。でも、音読できないのです。
学生たちには、問題の答えさえわかればいいと考えている節が見られます。確かに、EJUにはテキスト音読なんていう科目はありません。本当に受験が目前ならそれもしかたがないでしょう。しかし、私が相手にしている学生は来年受験が主力です。今からそういうことばかりしていると、答えにたどり着くテクニックは身に付けられても、本当の読解力は伸ばせません。
音読するには、一文または一行全体を見渡して意味を把握していかなければなりません。上手に音読できるようになるには、もちろん漢字も読めなければなりませんが、それ以上に文章を読み解いて意味を理解する力が必要です。これぞまさに本当の読解力ではありませんか。一見迂遠なようですが、実は音読の練習は日本語力のアップに直結しているのです。現に、面接試験のときに新聞記事などの音読をさせる大学もあります。
それから、問題はしゃぶりつくしてもらいたいです。答えを出して終わりではなく、問題文に使われている単語や文法を調べたり、社会的背景や関連事項にまで目を広げたりすると、得るものが多くなります。中級で勉強する内容をちょっと早く知ることができたり、今まで気づかなかった日本の別な一面が見えてきたりします。そっちのほうが本当の勉強だとさえ思います。
8月21日(木)
中間テスト後の面接が始まっています。進学を考えている学生は、それについての相談もします。Eさんは数学が好きなので、大学で数学が勉強したいと言っています。数学が勉強できる大学をいくつか志望校として挙げていますが、どれも超有名校の張難関校ばかりです。いかに数学が好きだろうとも、そう簡単に入れてくれる大学ではありません。聞けば、「東京」にも「国立」にもこだわらないとのことなので、Eさんのリストに出てこなかった数学が勉強できる大学を数校挙げました。
数学が好きだから数学を勉強する――それはそれでかまわないのですが、もう少し何かないと面接は通らないでしょう。「好きこそ物の上手なれ」は、入試の世界では通用しません。面接官に訴える何物かがほしいところです。また、数学を修めて将来どうするのか、何をしようと思っているのかも、自分なりにはっきりさせておかねばなりません。Eさんはまだそこまでには至っていないようです。
そんな指導をするのですが、自分が大学入試のときはどうだったかというと、将来のことなんにも考えていませんでしたね。「大学を卒業したらどうしようと思っていますか」「さあ…。そんな先のことなんてわかりません」Eさんが受けるような面接試験があったらこんなやり取りになってしまい、当然落とされたでしょうね。
入試の面接で将来設計をとうとうと語っても、そのとおりに歩んだ学生なんてあんまりいないんじゃないでしょうか。将来設計そのものではなく、自分の将来について真剣に考えたという経験が求められているのでしょう。結果として初志とは違う道を歩むことになっても、その違う道を選ぶ際にきちんと考える力を持っているかどうかは、重要なポイントです。それを見極めるための面接の問答なのでしょう。
Eさんの出願までは、まだ少し間があります。それまでにどんな未来予想図を描くのでしょう。
8月20日(水)
学校を休んだPさんに電話を掛けたところ、アラームをセットして朝5時に寝たけれども、目が覚めたのは1時だったとのことでした。Pさんのうちは学校までゆっくり歩いても20分はかからないほどのところです。8時に起きれば簡単な朝ごはんは食べられるだろうし、最悪8時半に布団を出れば9時には教室に滑り込めます。でも目が覚めたのが1時じゃいかんともしがたいですね。
たとえ勉強して5時まで起きていたとしても、学校を休んでしまっては本末転倒です。それに、日頃の自分の生活パターンを考えれば、いったん寝て3時間で目が覚めるかどうか見当がつくはずです。また、3時間の睡眠で授業中ずっとしっかりしていられるかどうかもわかるはずです。にもかかわらず、東の空が明るくなるころまで起きていたとは、どういう魂胆なのでしょう。
ひとつには、Pさんの心の迷いがあるんじゃないかと思っています。大学進学と言っていたPさんですが、それがぐらついている様子がうかがえます。中間テストの成績も芳しいとは言えず、Pさん自身の心の中に伸び悩み感がきざしているんじゃないかとも思います。そんなこんなで、なんとなく5時まで起きていたっていう線も考えられます。
つい最近、作文で「日本留学を考えている後輩へのアドバイス」というのを書かせました。その中に規則正しい生活を送れというのもありました。また、最初の目標を忘れるなというのもありました。Pさんはまさにこれです。ここで今自分がなすべきことを再確認しないと、どんどん落ちていってしまうかもしれません。そういう学生を何人も見てきているだけに、ちょっと気になるPさんの欠席です。
8月19日(火)
この夏、年を取ったなと思うことが1つだけあります。それは、冷房が効きすぎていると感じるようになったことです。去年まではかなりがんがん効いていても全く平気でしたが、今年は半袖から出ている腕をこすったことが何回かありました。長袖を着ようとまでは思いませんが、スーパーの食品売り場なんかからは逃げ出したくなることはあります。それだけ体の中から熱が生まれなくなった、代謝レベルが落ちたということなのでしょう。
私はめったに病気をしませんから、体温なんて正月にノロウィルスにやられて寝込んで以来、全然測っていません。でも、測ってみたら平熱が下がっているかもしれません。子供のころ、60過ぎの祖母は平熱が35度台でした。そういう域に近づいているのでしょうか。
そういうことを感じながら体温の塊みたいな学生を見ていると、若さの源であるエネルギーがほとばしり出るのが見えるような気がします。こんなことを言うと、そういう時代に戻りたいですかって聞かれそうですが、私は無条件で戻りたいとは思いません。今の悪知恵というか狡猾さというか、よく言えば経験という財産をそのまま携えて行けるなら、戻ってもいいかなって思います。なんとまあずるい考え方なんでしょう。力ではなく頭で問題を解決し、効率的に若さを謳歌しようというんじゃ、本当の青春じゃありませんよね。でも、おんなじシナリオを2度も演じたくはないなあ。大人の知恵でスマートに若い時代を過ごせたら、違った人生が広がったんじゃないかな。
でもまだ健康さは青春時代の人にも負けませんよ。今日だって、私の半分の年にもなっていない(と思われる)O先生がご病気で、その代わりをしちゃったくらいなんですから。歩く速さだって、若い人以上です。冷房がひやんと感じるようになったくらいで老いぼれちゃったわけではありません。
8月18日(月)
東京は普通の夏の日々を送っていますが、西日本は各地で大雨が降って、大変なことになっています。朝刊の1面に、京都府福知山市の水没したマンションの写真が載っていました。社会面には市街地が全面的に泥の海になってしまった福知山の写真が出ていました。福知山は、明智光秀が縄張りしたといわれる福知山城を中心とする落ち着いた城下町ですが、社会面の写真はそんな面影など全く感じさせてくれません。
「市内を流れる由良川が氾濫」とは書いてないので、純粋の雨量が下水の排水能力を上回って、川沿いの低地に広がる市街地が水浸しになったのでしょう。過去、由良川は何回か氾濫し、そのたびに福知山は大洪水に見舞われました。治水工事を進めてきた結果、今回は氾濫こそ免れましたが、またもや大きな被害が出てしまいました。心からお見舞い申し上げます。
私のマンションも隅田川の川沿いにあり、集中豪雨に襲われたら新聞の写真のような状況に陥ってしまうかもしれません。もちろん、隅田川があふれでもしたらひとたまりもありません。私のマンションは、地震の時は外に出ずに室内にとどまっているのが安全だとされています。しかし、水害の際はどうなのでしょう。電気や水道など、ライフラインは確保されるのでしょうか。室内が安全だと思っていたら雪隠詰めになっていた、なんていうことじゃシャレにもなりません。早速調べておかねばと思いました。
日本はどこへ行っても何らかの災害に遭うおそれは消し去れません。災害の歴史が日本文化の一部をなしているとも言えます。「日本文化」が大好きな学生の皆さん、こういう面も忘れないでくださいね。
8月15日(金)
毎週金曜日、週の納めの授業は、初級の進学コースの授業です。私は読解が担当で、今までは日本語学習者向けの文章を扱ってきましたが、今日は学生たちにとって難しいのを承知の上で、新聞記事をそのまま取り上げました。そのままといっても多少振り仮名はつけましたけど、単語や文法はまったくいじりませんでした。
このクラスの学生は、みんな11月のEJUを受けます。EJUの読解問題は、ほとんどが日本人の大人が読む文章を出典としています。いつまでたっても初級向けの読解問題集じゃEJUに対抗できる力はつかないし、易しい文章が読めたからって変な自信を持ってもらいたくはありません。
200字ちょっとの記事でしたが、学生たちは大苦戦。読み取りのための問題は、白紙に近い学生が続出。問題は中級ぐらいの難度ですから、初級の学生ができないのは当たり前です。とはいえ、EJUもそれぐらいの難度ですから、できませんと言ってばかりはいられません。手がかりを見つけて、そこから文章全体の内容をつかんでいく想像力、そういう形の読解力を養っていくことが求められます。
今日は10分かけて200字ほどの文章のないよう理解でしたから、EJUのスピードには全然届きません。私自身も学生たちの実践的な力がつかめました。これから3か月で、今日の問題ぐらいは1分以内で処理できるように学生たちを伸ばしていかなければなりません。学生たちも大変でしょうが、バシバシ鍛えていくほうも茨の道です。今日は学生たちが持っていたほのかな自信やプライドを木っ端みじんに打ち砕きましたが、本番までにはそれを再建しなければなりません。それが、これからの私たちの大きな仕事です。
8月14日(木)
中間テストがありました。試験監督の合間に、おととい実施した作文の中間テストの答案を読みました。私の担当は中級クラスで、お題はこれから日本に留学する後輩へのアドバイス・メッセージです。ただし、「日本語を勉強するならKCP」というアドバイスはなしにしました。
1クラス分の作文を読みましたが、飛び抜けて目立つのってありませんでした。勉強しろ、学校を休むな、食事に気をつけろ、アルバイトをしすぎるな、早く友達を作れ、初志を忘れるな、国で日本語を勉強してから来いなど、ありきたりといえば実にありきたりの内容でした。でも、これは、裏を返すと、学生たちはそういったことが不十分だったがゆえに、辛い目にあったということではないでしょうか。自分自身もそのようなアドバイスをもらって気をつけてきたのだけれども、苦労を強いられたに違いありません。留学生活は魔物を書き分けて進むような一面があるのでしょう。
留学とは、20歳かそこらの人生経験の浅い若者が、自国とは風俗風習の違う外国において、自分の手で自分の身を守りながら勉強することです。将来を夢見るあまり足元をすくわれてしまっては意味がありません。かと言って、足元ばかり見つめていたら得るものの少ない留学になってしまいそうです。学生たちの作文は、そのさじ加減がとても難しいことを表していると思います。
留学経験のない私でも容易に想像できる内容だったということは、私たちの指導も的外れではなかったとうことです。いや、むしろ、いろんな教師が手を変え品を変え注意してきても、まだそういう基本的な部分でつまずく学生が出るのを防ぎきれないのが現状なのです。
この学期は、中間テストまでというアメリカの大学の短期プログラムで来日する学生が多い学期です。その学生たちは、今日の修了式で留学生活は楽しかったと言ってくれました。でも、見方を変えると、苦労を味わう前にプログラムが終わり、楽しい盛りで帰国するとも受け取れます。明日以降も勉強を続ける皆さんには、基本の「き」を見つめなおして有意義な留学生活を築いていってもらいたいです。
8月13日(水)
中間テストの前日ですから、中間テストの範囲のことはすべて終わらせなければなりません。私のクラスは進度が若干遅れ気味で、私がアンカーとして帳尻を合わせなければなりませんでした。急がなければなりませんが、急いだことで学生の理解度が下がってしまったら本末転倒です。
こういうときは、要点の要点だけに絞り、その要点を学生に印象付けることを考えます。そのためには、学生に体を動かせたり、視覚に訴えたり、あらゆる手を尽くします。時には、私は勝手に頂上作戦なんて呼んでますけど、導入も何もなしでいきなり結論から入ってしまうこともあります。乱暴なやり方ですからそんなに頻繁に使うわけにはいきませんが、今日はその魔法の杖をちょっぴり振るってしまいました。
魔法の杖を振るうには、当然、最重要点がわかっていなきゃなりません。教科書のここでは何を教えなければならないか、頭に入っているか教科書を見た瞬間にピンと来なければいけません。ピンと来るためには、学校なら学校全体のシラバス、さらに言ってしまえば、そのシラバスが日本語教育っていう大きな枠組み、学生が目指す到達点への道のりにおいてどの辺に位置しているのかを理解している必要があります。そして、とりあえず後回しにしてもいいと判断したものを、バサッと切り捨てる勇気を持ち合わせているかどうかにかかっています。アリの目線ではなく鳥の目線で取り上げるべき項目を判断するのです。
で、自分に与えられた時間と目の前にいる学生の実力を勘案して、何をどんなふうにどのくらいやるのかを教室で即決します。実は、私、こういうのが好きなんですね。今、KCPの日本語教師養成講座のホームページを刷新するので、そこに載せるのに日本語教師の魅力について書いてくれって言われています。私はこれが魅力の1番ではないかとか思いますが、こりゃちょっと載せられませんからね…。どんな魅力があるかは、そのうちページが新しくなったらお読みください。あ、ボツになってるかもしれませんね。
8月12日(火)
受験講座を終えて職員室に戻ってきたら、事務からCさんが中間テストまでで退学するというメールが入っていました。午前中はCさんのクラスでしたが、Cさんはそんなそぶりは全く見せていませんでした。中間テスト直前ですから総まとめの授業でしたが、疑問点はどんどん質問し、こちらの説明は真剣に聞き、退学を決めた学生にありがちなだらけた態度はみじんも見せませんでした。ですから、Cさん退学というメールを見たときは本当に驚きました。
その一方で、誠にお恥ずかしい話なのですが、来年3月まで続けるつもりらしいGさんとは、まだ1回か2回ぐらいしか会っていません。日本で進学するようでもあり、それにしてはあまりにも何にもしていなさ過ぎるし、どうなのかよくわかりません。学校へ来なくて、電話を掛けても出てもらえないのでは、話を聞こうにも聞けません。こういう学生こそ、早くやめてもらいたいんですがね。Cさんみたいにスピーチコンテストの応援でもクラスをまとめる役を果たしてくれるようないい学生ほど早くやめちゃうんですね。
Cさんは国で就職するそうです。Cさんのような人格者なら、企業だってほしいでしょうね。将来のわが社をしょって立つ人材なんて認められて、引っ張られたんだと思います。私が人事担当者だって、CさんとGさんなら文句なしでCさんを採りますよ。
Cさんの今学期の出席率は100%です。おそらく100%のまま最後まで行くでしょうから、中間テストではクラスで1番の成績を取って、就職に花を添えてもらいたいです。
8月11日(月)
朝、Pさんから電話がかかってきました。今日の漢字テストのため明け方まで勉強して体調を崩したので、学校を休むとのことでした。
Pさんのクラスは今日漢字テストが予定されていました。Pさんは漢字を苦手としています。中間テストが迫ってきましたが、不合格のテストを抱えています。だから、今日のテストのために必死に勉強する――そのこと自体、間違っていません。立派な心がけです。しかし、体調を崩してしまって欠席しちゃったら、元も子もありません。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」そのものです。
Pさんのレベルでは、毎日、前日に習った漢字の復習テストがあります。1週間に1回ぐらいのペースである漢字のまとめテスト一発勝負ではなく、毎日少しずつ積み重ねていくという学習態度を身につけてもらおうと実施しています。Pさんは最初のうちは合格点を取っていましたが、最近は成績が思わしくありません。毎日の予復習が、きちんと回転しなくなっているのだと思います。
KCPの授業は、特にPさんのような中級以上では、家で数時間の予復習をしてくることを前提にスケジュールが立てられています。Pさんが予復習をサボっていたのだとしたら、成績が悪くなるのは当然の結果です。冷たいようですが、自分ではい上がってもらうしかありませんし、それができないならこれ以上の進級は不可能です。何とか生活のリズムを取り戻し、勉強を中心にして日々のスケジュールを作り直し、授業についてきてもらいたいです。逆に、これができないようなら、KCPにいる意味はありません。いても時間の無駄遣いに過ぎません。
Pさんはもう一度同じレベルをするのは絶対にいやだと言っているそうですが、この分ではそうなっても全くおかしくありません。今、瀬戸際に立っていることを、Pさん自身は気づいているのでしょうか。
8月8日(金)
今日の私のクラスでは、文法の時間に「うちに」を勉強しました。当然、「間に」と同じ意味ですかという質問が出てきます。言い換えられる場合もありますが、「暗くならないうちに帰りましょう」などというのは「うちに」でないといけません。「間に」では不自然です。
そういう説明を、例文も示しながらしていって、最後に学生たちに例文を作らせます。同じ説明を同じようにうなずきながら聞いていたはずなのに、出てくる例文はぜんぜん違うんですね。Zさんなんかは気の利いた例文を書いてくるのに、Cさんあたりは、私の教え方はそんなに悪かったんだろうかって頭を抱えたくなるようなのを書いちゃうんですねえ。
この差は日本語に対する勘の良さ、悪さに還元してしまうこともできますが、Cさんだって毎回毎回ひどい例文ばかり書いてくるわけではありません。「うちに」に関しては、私の説明はCさんの心に響かなかったと考えたほうが真実に近いと思います。つまり、学生によってツボが違うのです。今日私が提示した説明や例文は、Zさんのツボは捕らえられましたが、Cさんのツボは押さえられなかったというわけです。
限られた授業時間内で、1クラス20名の学生それぞれのツボを押さえていくことは不可能です。どこかで妥協するというか、切り落とすというか、見切りをつけなければなりません。でも、それは、ツボを押さえられなかった学生を見捨てるのではありません。学生が提出した例文を添削することで、何とかツボに迫ろうと考えます。ですから、例文を直すのは精神的に重労働です。
今日添削した例文は月曜日に学生に返却され、そしてそれが来週木曜日の中間テストに出ます。中間テストは進級の可否に大きくかかわりますから、例文直しも責任重大です。
8月7日(木)
Tさんは今学期入学の初級の学生です。日本語が本当にまるっきりゼロからスタートしました。それははっきり自覚しているようで、毎日欠かさず11時ごろには登校して、職員室の顔見知りの教師を見つけては会話の練習や疑問点のチェックなどをしています。私も何回かお相手をしました。
Tさんの「みんなの日本語」を見ると、練習問題の答えや間違いを直したところや授業中のメモなどが書き込まれ、必死に勉強していることがよくわかります。日本での進学を考えていますから、それぐらいのことは当然です。でも、Tさんはスタート時のレベルが低過ぎたため、そこまでやっても次の学期にすんなり進級できるかは、まだ何とも言えません。読んで書くテストは点数が稼げても、聞いて話す方面はクラスで最下位に近い実力だと思います。
まだ日本語で意思疎通が十分にできないTさんに詳しい話を聞けないままでいますが、名の通ったところとなると、来春の進学はほぼ無理でしょう。大学でさえあれば名前・知名度や教育体制などは一切問わないというのなら話は別ですが、Tさんはそうは考えていないでしょう。となると、厳しいものがあるなんてもんじゃありません。
日本で「いい大学」に進学しようと思ったら、やっぱり国にいるうちから日本語の勉強を始め、しかるべき実力を養っておくべきです。「いい大学」には高いレベルの人材が集まりますから、その人たちに伍していくとなると、日本に着いてからぼちぼちなんていうんじゃ手遅れです。Tさんがいかにまじめで精神力の強い学生であっても、国である程度勉強してきた人との差を詰めることは、並大抵のことではありません。
教師として弱気なことは言いたくありませんが、現実はきちんと見なければなりません。Tさんの日本語力がもう少し上がったら、Tさんにも伝えなければなりません。今までこういうことを何回もしてきましたが、あまり気分のいい役回りではありません。
8月6日(水)
月曜日に受験講座・数学のS先生から、理系クラスの3名の学生が最近欠席がちなのでやる気を確かめてくれと言われましたから、休み時間にその3名を呼び出しました。Sさんは熱中症などで体調を崩して欠席したと言いました。前にも調子が悪くて休みが増えたことがありましたが、体格のわりには病弱なようです。Oさんは笑ってごまかそうとしたところを見ると、これといった理由がないようです。Bさんは今日はクラスも欠席でした。昨日は応援でギターを弾いていたのに…。
要するに3人とも中だるみなんですね。やらなきゃいけないことはわかっているけれども、やる気が湧き上がってこないのでしょう。EJUまで3か月「も」あると思っているのかもしれません。しかし、理系は数学が命です。入試て重きを成すことはもちろん、進学してからも入試レベルの数学がわからなかったら専門の授業にはついていけません。専門科目の教科書は数学という言語で書かれていますから、多少数学に自信があったとしても、勉強しすぎるということは決してありません。
私ににらまれたからということもあるでしょうが、SさんとOさんは今日の数学の授業には出席しました。でも、出席簿を見るとSさん・Oさん同様に油断ならない学生がもう数名います。追い詰められてきたらまた気持ちがぴんと張り詰めるのなら、まあ許してあげられますが、こんな中だるみのまま本番の受験になだれ込んでしまったら、結果は推して知るべしです。
こういう点、奨学金をもらっているTさん、Mさん、Iさんはさすがですね。崩れる気配もありません。そのほかにも期待の持てる学生はいますが、私たちの本当の仕事は、中だるみの学生をどこまで引き上げられるかです。結構厳しいんですよね、この仕事は。
8月5日(火)
朝は、最低気温28度の熱帯夜明けにしては空気が澄んだ青空でした。室内での行事とはいえ、やはり天気がいいと気分も高揚します。緊張してぜんぜん寝られませんでしたと言っていたスピーカーのJさんも、そんなに眠そうな顔をしていませんでした。
今年も卒業生の審査員を5名呼んで、懐かしい顔がそろいました。WさんとBさんは旧交を温めあっていました。審査員としてお呼びした受験講座のK先生やS先生からも声をかけられていました。
さて、スピーチコンテスト。私は、全体的なレベルは上がったけれども、図抜けてすばらしいスピーチはなかったと感じました。去年の最優秀賞のHさん(審査員として来ていただきました)、理事長賞のFさんのように他を圧するようなスピーチはなく、同じぐらいのレベルのスピーチがいくつか並びました。どんぐりの背比べというほど低次元ではありませんが、横綱がいないのです。その証拠に、卒業生の審査員が中上級のスピーチにわりと辛い点を付けていました。自分たちの代のスピーチコンテストに比べてなのか、進学先で自分たちが囲まれている日本語に比べてなのかどうなのかはわかりませんが、卒業生審査員たちは中上級のスピーチに何かいまひとつ物足りなさを感じていたようです。
図抜けたものがなかった理由のひとつは、発音だったと思います。「わだしはスビーヂゴンデスドにでましだ」のような、余計な濁音が目立ちました。大きな声で強く話そうとすると濁音に近い音になってしまうのかもしれませんが、マイクがあるのですから、それを上手に使ってきれいな発音で話してほしかったです。
マイクといえば、マイクの位置が悪くて声が拾われていなかったため、舞台担当のM先生が手を伸ばすことが何回かありました。また、緊張のため声を詰まらせるスピーカーも何名かいました。スピーチをする前にマイクの位置を調整すると、自分は何かに操られているのではなく、自分の手でこの場をコントロールしているのだという気持ちになることができ、あがりを抑えることができます。私は役目柄マイクの前に立つことが多いのですが、位置を調整する必要がなくても、マイクをちょっと動かしてまた元に戻し、自分の気持ちを落ち着けています。
こういったことはすべて我々教師に降りかかってきます。日常会話ではない次元の「話す」力をいかに伸ばしていくか、聞き手の心を動かす話し方とは何か、考えなければならないことがたくさんあります。
8月4日(月)
KCPでは、一番下のレベルでもイントネーションの訓練をがっちりします。毎日、授業の後、数人ずつテストをします。多くの学生がイントネーションまで覚えてテストに臨みますが、中にはペーパーテストさえできればいいと考えているらしき学生がいます。Rさんもそんな学生の1人です。学期が始まって1か月足らずですが、もう差がついてしまいました。
Rさんは、授業中に指名しても、答えは正しくても発音は2段落ちぐらいで、時には何を言っているのか教師の私でさえよく聞き取れないことがあります。留学生の下手な日本語に耳が慣れている教師にこんなことを言われたら、その辺を歩いている普通の日本人に通じるわけがありません。Rさんは進学を考えているようですが、このままじゃ間違いなく面接で落とされますね。
先週、KCPで初級から勉強している中級・上級の学生にクラスに入ってもらって、勉強のしかたを始め、留学生活のアドバイスをしてもらいました。そのときにも、口を動かすことの重要性をうんと強調してもらったのですが、今日のRさんを見ている限り、心に響いてはいないようです。中上級になってもさっぱりしゃべれない学生を今まで大勢見てきましたが、そのレベルになったら手遅れで、もう日本語できちんと話すことができるようにはならないでしょう。Rさんはまだなんとかなります。クラスメートとの差をつめることも不可能ではありません。
同じ国から来て、テストの成績はそんなに変わらないGさんは、実に聞き取りやすい発音をします。Gさんの日本語なら確実に日本人に通じます。スタートは同じだったのですから、Rさんにもできないはずはありません。これからの奮起を期待します。
8月1日(金)
スピーチコンテストの応援練習が花盛りです。私のクラスも、20分ばかり時間を使って、動きの確認をしました。応援に使える時間はわずかに1分。しかし、その準備にはとんでもなく長い時間が使われています。その時間で磨き上げた珠玉の1分を本番の舞台上で結晶させるのです。
応援練習をすると、最後に頼りになるやつ、実は薄情なやつ、追い込まれてから力を発揮するやつ、最後までひたすら指示を待ってるやつなど、学生の本性が見えてきます。Cさんは見かけに違わず頼りになるやつ、WさんやZさんは見かけ以上に頼りになるやつ、Dさん、Bさん、Uさんあたりは見かけ倒し組、Sさん、Lさんなんかは予想通りにコバンザメしてます。
自分の手でクラスを動かそうとしている学生は、この1週間か2週間で成長してきたと思います。一番下のレベルのAさんも、自分の考えを伝えようと、乏しい語彙を駆使しています。国の言葉が通じない中、クラスの共通語である日本語でコミュニケーションを図っています。わかってもらえないこともありますが、そのわかってもらえない経験を通して鍛えられるのです。
その一方で、Uさんにはクラスの中心になってもらおうと思ったのですが、自らその座から逃げてしまいました。ぜんぜんクラスに貢献していないわけではありませんが、こちらが考えていたのに比べると小さな仕事に過ぎません。Bさんもニヤニヤしながら割り当てられた振り付けをするだけで、見ていて歯がゆい限りです。
この学期はスピーチコンテストがあるおかげで、通常にはない形で学生たちが成長します。中間テストまでで帰ってしまうアメリカからの短期留学の学生たちは、太く短く濃い経験を積みたいことでしょう。そういういろいろなものが相まって、強い絆が生まれ、学生にも教師にも思い出深いクラスになることもあります。私のクラスはそういうクラスになるでしょうか…。
7月31日(木)
今年の3月に卒業してA大学に進学したTさんが、大学をやめて帰国しました。ひと月ほど前にTさんの親友のOさんが、Tさんが落ち込んでいるから励ましの手紙を書いてほしいとやって来ましたが、手紙を書いた甲斐なく完全帰国になってしまったようです。
Tさんはちょうど1年前のスピーチコンテストに出場しました。自分とペットのかかわり、をユーモアも交えて発表してくれました。ちょっと体が弱く、それが精神的な面にも影響してしまうきらいがあったTさんが、スピーチコンテストのクラス代表になったことをきっかけにして上昇気流に乗ってくれればと思っていました。スピーチコンテスト出場がある程度自信につながったようで、その後大学進学を目指して目の色が変わってきました。
A大学では自分の勉強したいことができると喜んでいました。そのTさんが、入学後2か月かそこらで落ち込んでいるとは一体どういうことだろうと心配しました。去年のスピーチコンテストの思いでも含めて激励の手紙を書き、Oさんに託しました。どうやら学業や日本での生活が問題になったのではなく、家庭の事情が元になっているようです。それだからなおのこと自分の無力感が募って、激しく落ち込んでいたのかもしれません。
学校で先生たちに会うと泣いてしまうから、ということで、Oさんが手紙のお礼と帰国の挨拶を兼ねたお菓子を持って来ました。今頃は、国で家族に囲まれて笑顔が戻っているのでしょうか。2年余りの日本での生活が、これからのTさんの人生に少しでも明るい彩りを添えるものになることを願わずにはいられません。2年間海の向こうで暮らしてきたんだ、戦いに敗れて尾羽打ち枯らして帰るんじゃないんだと、胸を張って新しい何かに挑戦し、本当の幸せをつかみ取ってもらいたいです。
7月30日(水)
午後の授業を終えて職員室で学生対応をしていると、誰かがこちらをのぞき込みました。あっ、Kさんじゃない! 去年やおととしじゃなく、かなり昔の卒業生ですが、顔は全く変わっていません。中年太りをしていてもおかしくない年代のはずですが、小柄で細身の体形もそのままです。 「先生、変わりませんねえ」っていうKさんの言葉は間違いなくお世辞ですが、Kさんは掛け値なしに学生時代のKさんです。ちょっといたずらっぽい響きの声を聞いていると、Kさんがいたころがありありと脳裏に浮かんできます。
Kさんは来日14年だと言っていました。とすると、私がKCPにお世話になり始めたころに入学した計算になります。KCP卒業後進学し、就職し、転職もし、いまや永住権を持つに至りました。その間多くの苦労があったことでしょうが、それを全く感じさせないところにKさんのしなやかさがあります。突っ張りすぎちゃって、KCPでの生活さえ傷だらけの血まみれで送っている学生に、爪の垢を分けてやりたいくらいです。
在学中のKさんは、優秀な学生というよりは勘のいい学生という印象が残っています。テストの点数としては現れにくい力を持っていました。学力もさることながら、コミュニケーション能力により秀でていたように思います。今日も、いかにも外国人という発音・イントネーションや不自然な言葉遣いがなく、これだったら周りの日本人に変な壁を作らせずにすみます。
そうです。Kさんは壁のない人でした。いつの間にか親しくなっちゃう人でした。Kさん自身に私たちの胸元に飛び込んでこようという気持ちがあり、それゆえ私たちもKさんを直接教えていようといなかろうと、Kさんを応援したくなったのです。それが、Kさんの(少なくとも今までの)人生に成功をもたらしたのだと思います。
今朝、同じクラスのSさんとLさんがけんかしました。Kさんなら、「あんたたち、どうしてそんなつまらないことでけんかになっちゃうの?」って言うんじゃないかな。こんな余裕のなさを受験勉強や経済力の問題なんかに帰するのは、教師として安易に走っちゃってるんじゃないかとも考えさせられました。